51i1Wq4UiXL



1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/11/21(月) 22:52:04.82 ID:iqD3sjxp0
みんなで語ろう!









2: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/11/22(火) 01:31:44.79 ID:zHuVStm2O
昭和初期のエログロナンセンスに興味がある。
現代と微妙に違うけど共通点も多いまるでパラレルワールドって感じ。

4: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/11/22(火) 18:23:34.97 ID:dQPFA/ZO0
着物にブーツって好きだな。
あの頃の、着物に洋装のエッセンスを加えたような服装っていいよね。

100_0064_r1


5: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/11/22(火) 19:56:31.80 ID:Wy86vy/U0
>>4
いつ頃まであったの?

7: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/11/23(水) 17:04:45.88 ID:OvispdvD0
>>5
昭和初期には普通にあったみたいだけど
今でも稀に卒業式でその格好してる人は、いないことはない。

8: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/11/23(水) 21:58:31.49 ID:Pqxl+zJW0
今はコスプレとしてだから、純粋な風俗として見るには無理がある。

9: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/11/24(木) 13:03:39.96 ID:4HGWRoeK0
だな。
懐古趣味で着ているのと今風のファッションとして受け入れるのでは意味が違う。
ただ、>>7は「稀に卒業式で」と限定しているから問題なし。
むしろそういう情報もどんどん知りたい。

10: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/11/24(木) 16:39:28.04 ID:SIamKH740
昔のガラスは耐久性がなかったから
細かい格子の鉄枠等で支えてたって聞いた事あるけど、
ステンドグラスみたいになってて良いよね。

今みたいにまっすぐなガラスじゃなくて
牛乳瓶底みたいな歪み方をするから
景色は少し見辛いけど、それもまたおもしろい。

文化っていうより技術かな。

12: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/11/25(金) 09:54:46.04 ID:mHWUPCnU0
モダンとかなんとか言ってたのは都市部だけ
地方じゃ娘を売って生活費の足しにしていたのに文化もへったくれもない

14: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/11/25(金) 19:49:15.83 ID:6qTW60yv0
一口に戦前でも期間が長すぎるわけだが。敗戦直後とバブル期を「戦後」で一括り(経済面で)するのは意味を成さないのと同様だ。

昭和10年初頭(敗戦前での経済MAX)の都市部の公立小学校の朝礼風景の写真みると、女子児童は柄物のワンピースを着て小奇麗な格好してるよ。都市部においては市民階級が根付いていたのがこれでも分る。一方、農村部は貧しいままだったろうな。

15: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/11/25(金) 20:19:50.42 ID:k3Iq3Gz70
東北の不作が続いたのが昭和7~あたりだからそこら辺からはかなり深刻なダメージを受けてたはず。

都市部は豊かだったけど、それでも農村を救え、不景気云々と壮士が色々演説ぶったり、活動家がビラ蒔いたりしてる。

それで戦争起こして土地を拡大すれば良いという流れになって行くわけで。

19: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/11/29(火) 17:19:21.77 ID:ZhfSYMnwO
>>15
豊かというのは農村に比べたらといった気休めレベル程度で実際は大卒でも就職口に難渋していた

そもそも欧米に旅行や留学出来る人間なんて洋館に住んでるような金持ちくらいその市民が国力は見かけ倒し、民主主義は刹那主義、文化は退廃的で道徳観に欠け米英恐るに足らずと軍やマスコミを後押ししていた

17: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/11/27(日) 14:26:12.93 ID:R+bi4jE20
なんとなくここ見てたら浅草の仁丹塔を思い出したけど昭和61年に無くなっちゃったんだね。
秋葉原かなぁ、銀座かなぁ・・・チンチン電車が走ってて、道路の上に沢山の電線が張り巡らされていたのをうっすら覚えてる。

HNKの朝の連ドラ見てて、着物が減って洋服がじわじわ増えて、ラジオとか電気扇とか、電話とか、このくらいからこういうのがあったのかと興味深く見てるよ。

220px-Jintan_12kai_cropped



24: ninjya! 2012/03/10(土) 18:09:00.25 ID:QY/0cJvc0
仁丹塔って凌雲閣に似てるなと思ったけど模していたんだね

20: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/11/29(火) 19:31:34.88 ID:y1n9sWj00
大正ロマン文化

22: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/12/13(火) 00:37:43.28 ID:oLpqmAHW0
白い鼻緒の朴歯の高下駄、少し色が褪せた金釦の詰襟に、腰には豆絞りの手拭い、校章が燦然と輝く角帽を被り、トンビを羽織って岩波文庫片手に喫茶店で激論を交わしているバンカラ大学生。街頭では「♪その名ぞ吾等が母校~♪」校歌を歌う学生達。
どうやら六大学野球リーグ戦の戦勝祝いだろうか、街には【祝勝・○×大学】の提灯や、紅白の餅を配る商店街の小父さん、小母さんたち。少し暮れかかってきた夕空の赤い色が川面を照らしている…。私の祖父の学生時代、セピア色の写真を見て大正浪漫、昭和レトロの良さを改めて感じます。

25: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/27(金) 21:20:57.53 ID:hVh2XroYO
古きよき時代。


今の世もそう言われる時が来るんだろうか?

30: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/07/05(木) 00:44:35.71 ID:Y02beHrp0
アインシュタインが来日して講演会をした時、素人ながら目を輝かせて原子物理学の話に聴き入っていたような知識層は、既に育っていた。石原純や寺田寅彦の著作も人気があった。
芥川龍之介の後期のものを読むと、確かに極限まで追い詰められた、あまりにも凄惨な話ではあるが、そこに描かれた生活文化を見れば「閉店後のレストランの中に見えるバナナの束」とか「ウィスキーの『ブラック・アンド・ホワイト』をソーダで割る」という表現がたくさん出て来る。
その直後、戦争という大変な経験をしたことは確かだが、基層には現代へと続く隠れた道が既に出来つつあったのだ。

31: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/08/22(水) 01:28:37.69 ID:T6VYJBw80
俺の親父(内地勤務の陸軍中尉)は48時間休暇のたびに家の蓄音機でウィーン・フィルのSPを聴いていたそうな。

32: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/09/08(土) 00:24:56.64 ID:zm0wOeBJ0
戦中でもドイツ・オーストリアはもちろんOK。ハンガリー、フィンランドも枢軸側。
ヴィシー政権だからフランス語の歌も問題なし。
8月上旬まではロシアも五族協和の範囲内。
フランコのスペインもサラザールのポルトガルもお咎めなし。
英語でさえ中央では「比島の統治に使う」と言えばノーチェック。
田舎では横文字=敵性語=勉強しなくていいい(ラクだ!)=攘夷!
だったようだが…

33: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/09/22(土) 05:47:27.79 ID:Wlj6hvKJ0
>>32
五族協和にロシアは入らんだろw
「き~たのロシアに降ればよい♪」(満洲娘の一節)は満洲生まれの親爺が
よく歌っていたわ

34: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/09/22(土) 17:26:28.00 ID:o3x6Qy94O
食文化とか面白そう。
海軍では戦艦勤務の士官はフレンチのコースみたいなのを食べてたんだよね?
一般でも都会のホテルや洋食屋ではコースやらカレーやらが美食として楽しまれてたのかな?

36: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/09/27(木) 23:16:51.06 ID:tsjdktcA0
まず外交上の必要から洋装がデフォルトとなり、宮中の晩餐がフランス料理に決定した。(そのため、BGM担当宮内省楽部もあわてて西洋音楽を兼修した。)
そこから陸海軍の正餐も洋食となり、やがて末端の兵卒レベルまで日本化された洋食(豚カツ、コロッケ、ライスカレーなど)が広まって行った。除隊になった軍のコックや、ホテルや外国船のコックから独立した人たちが故郷に帰って町に洋食屋を開いた。
兵隊に行って洋風の味を覚えた人達がやはり故郷に戻って、その常連客になったり家でも洋風の献立を作ってみるようになった。
そうした人たちの曾孫たちが今、「食べログ」のイタリアンにコメントを書いている……

40: 名無しさん@お腹いっぱい。 2013/04/10(水) 17:30:55.10 ID:m9WOmdbn0
「阪神間モダニズム」(←wiki)!

41: 名無しさん@お腹いっぱい。 2013/04/12(金) 00:21:26.27 ID:kbo6pcYl0
↑ 名前は「阪神間」やけど、実態は「阪急沿線モダニズム」やね。
  阪神沿線に、そげなハイカラな物おまへんで。

44: 名無しさん@お腹いっぱい。 2013/04/20(土) 19:42:49.31 ID:0jfEbf4D0
>>41
阪神電車沿線にも深江文化村、芦屋市平田町などあるよ。
また大阪にも戦前のモダンな建築が今もたくさん残っている

42: 名無しさん@お腹いっぱい。 2013/04/16(火) 02:26:48.96 ID:iQCENqofO
昭和のカレーうどん食いてええwwwwwwwwwwwwwww

43: 名無しさん@お腹いっぱい。 2013/04/16(火) 23:56:49.86 ID:Msk9kk1r0
早矢仕有的のハヤシライスなら丸善の中のレストランで食える。
(精養軒とどちらが本当の元祖かは論争のある所だが・・・)
カレーならうどんより正統的な松本楼のカレーライスが一番。

53: 名無しさん@お腹いっぱい。 2013/06/20(木) 00:18:42.02 ID:cD/yUp8B0
舊制高校で獨逸語を第一外國語に選択した人達は、「會議は踊る」「未完成交響樂」「黄昏の維納」などの映畫を観て發音を練習したやうだ。

56: 名無しさん@お腹いっぱい。 2013/08/24(土) NY:AN:NY.AN ID:JQ5CU+Sh0
「日本のオンナをヤルのは簡単」と豪語する外人男たち


http://www.menscyzo.com/2012/11/post_4951.html
no title

昭和2年5月「東京朝日新聞」

58: 名無しさん@お腹いっぱい。 2013/11/13(水) 00:45:33.09 ID:AfrFlZh/0
戦前は貧富の差がとにかく大きかった。
また旧制の中学や高校は公立でも学費が高くてお金持ちの子供しかいけなかった。
だから全然の大学生は金持ちの子ばかりだったらしい

60: 名無しさん@お腹いっぱい。 2013/12/09(月) 03:19:15.14 ID:Kjiv40m70
>>58
国公立の中等・高等学校・大学を無償にするという発想がなかったのが謎だ。
階級社会だったからそんな発想がでてくるわけがなかったのだろうけど。

61: 名無しさん@お腹いっぱい。 2013/12/09(月) 23:45:17.69 ID:16HBe4Eu0
>>60
リーダー教育を行う中等以上の教育機関の進学率が上がりすぎて役割分担が不明確になるのを防いでいたようだ
実際戦後は学歴のインフレ化が進行しているようにもみえる

71: 名無しさん@お腹いっぱい。 2014/05/25(日) 22:30:54.55 ID:QJjSN4jy0
戦前は貧富の差の大きい階級社会だった
文化的にも庶民的な文化とお金持ちの文化がはっきりとわかれていた

引用元: ・明治から戦前までの文化