1: brown_cat ★ \(^o^)/ 2016/10/01(土) 17:45:10.50 ID:CAP_USER9
国内最大荘園の経営拠点か 宮崎・都城、平安期の大溝発見
2016年10月01日16時42分 (更新 10月01日 17時29分)

宮崎県都城市の郡元西原遺跡で見つかった平安時代末の大規模な溝跡=9月14日
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宮崎県都城市の郡元西原遺跡で、平安時代末(11世紀後半―12世紀前半)の大規模な溝跡が見つかった。
当時、国内最大の規模を誇った荘園「島津荘」の経営拠点だった荘政所を取り囲む堀の一部とみられ、市教育委員会は「謎が多かった島津荘の経営実態を知る手掛かり。荘政所の構造を明らかにしたい」としている。

遺跡の一帯は平安時代の土地台帳「日向国図田帳」に「島津院」と記され、荘政所があったと考えられていたが、遺構が確認されたのは初めて。

見つかった溝は深さ約1・5メートル、幅約3・5メートル。非常に丁寧なつくりで途中から直角に曲がっている。

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/culture/article/278861









2: 名無しさん@1周年 2016/10/01(土) 17:46:20.36 ID:Q50HWG6v0
荘園:貴族の脱税農園

12: 名無しさん@1周年 2016/10/01(土) 18:07:21.58 ID:5F96qMgv0
>>2
皇族も脱税しとったで!

4: 名無しさん@1周年 2016/10/01(土) 17:48:27.93 ID:kwRdBgbm0
九州南部は歴史的に班田収授法による土地再分配も実施されて来なかったものだからやりたい放題。

地主の過度な強大さは、八公二民の苛政を薩摩藩で滞りなく敷いて行く上での一翼も担ったのである。

8: 名無しさん@1周年 2016/10/01(土) 18:04:38.50 ID:FshYMOAD0
>>4
八公二民ってえげつないな~(´・ω・`)

13: 名無しさん@1周年 2016/10/01(土) 18:15:53.51 ID:Fu6wuGsm0

墾田永年私財法で、公地公民なんて崩壊なんだから。農民から貴族・僧侶まで一斉に、開墾して
荘園づくりが始まったんだからな。

16: 名無しさん@1周年 2016/10/01(土) 18:25:20.09 ID:kwRdBgbm0
>>13
それがな、九州南部は元から公地公民制の適用外だったんだ。
(滝川政次郎「日本法制史」を参照)

だから、デフォルトとして植え付けられていた土地への公共意識などもない。
それが他にもまして苛烈な領土支配の温床となった他、戦乱期における切り取り合戦の激化の因子ともなった。

薩摩っぽの日本人離れした世間知らずさの一因ともなったんだ。

20: 名無しさん@1周年 2016/10/01(土) 18:47:51.58 ID:KAaDi+6x0
南九州は隼人の征伐で手間取ったので国府が実質機能してなかった
なので他所と違って国府からの段階を踏まず一気に貴族と寺社の領地となったので日本最大の荘園島津荘が出来た

22: 名無しさん@1周年 2016/10/01(土) 19:06:17.95 ID:lq1Cjctb0
島津の名前はこんな頃からあったんだ

24: 名無しさん@1周年 2016/10/01(土) 19:13:10.76 ID:KAaDi+6x0
>>22
元は惟宗だよ
名乗り始めたのは鎌倉以後の話

28: 名無しさん@1周年 2016/10/01(土) 21:23:27.46 ID:bwi0tpT00
やっぱ治めてたのは島津氏の先祖?

31: 名無しさん@1周年 2016/10/01(土) 21:56:59.43 ID:KAaDi+6x0
>>28
惟宗がきたのは地頭に任命されて少し後の鎌倉半ば以降
それまでは摂関家が派遣した同じ藤原の氏族の弁済使が管理してた

32: 名無しさん@1周年 2016/10/01(土) 22:07:48.22 ID:S6bKE3a60
薩摩の島津氏は、あらゆる大名の中で最も簡単に殿様になってる
もとは平安時代の下級貴族、つまりサラリーマンが単身赴任で鹿児島へ赴任してたら
京都と鎌倉で権力闘争がおきて
後任の駐在員がこなくて、そのまま自分の領地にしちゃったわけだ
今風に言えば業務上横領

34: 名無しさん@1周年 2016/10/01(土) 22:12:11.13 ID:a3BLRApL0
>>32
マジで?
関東武士が地頭として派遣されて土着したのじゃなかったのか。

40: 名無しさん@1周年 2016/10/01(土) 22:24:35.84 ID:VaU5Q+oG0
>>34
頼朝の御家人になったわけだから関東武士と言えなくもないが、
もともとは摂関家に仕えた京侍

41: 名無しさん@1周年 2016/10/01(土) 23:00:29.50 ID:haHbSOz60
>>32
島津荘を開拓したのは地元平氏
税金払うの嫌だから、摂関家(後の近衛家)に寄付した
摂関家側の係員が惟宗氏
で、大きい荘園だから島津氏と改名した(この時点では京都在住)

で、平氏が滅んで源頼朝が鎌倉に政権を建てた
島津氏は近衛家の鎌倉幕府における代理として源義経征伐まで同行した
で、鎌倉二代源頼家に接近し過ぎて、北条氏に領地を取られた
で、承久の乱で鎌倉を支持して薩摩守護と越前守護を取り戻した
で、蒙古襲来に合わせて薩摩下向(実はこの時点までは京都か鎌倉にいた)
で、鎌倉滅亡に併せて大隅や日向を占拠
あとは日向にやってきた伊東氏や、川内川流域に来た渋谷氏と抗争に入る

引用元: ・【文化】国内最大荘園「島津荘」の経営拠点か 宮崎・都城、平安期の大溝発見

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