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1: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/07(土) 09:37:22
一度きりの失敗で跡取り候補を殺した罪は大きい

馬謖一人いれば姜維もあれだけ一人で負担を抱えることはなかった。








3: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/07(土) 09:49:30
確かにな

大失敗とは言え、たった一度の落ち度だったろうに
頭は良かったんだし、自信過剰なところを治すのと、
兵法の基本をもう一度自ら叩き込めばよかったのに。

5: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/07(土) 10:43:18
孔明の公正さをアピールするためだけに殺された馬謖が可哀想でならない。

7: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/07(土) 11:26:58
魏が全軍で、あたれば瞬く間に潰れる蜀だったから必要以上に厳格公正にしなければ、ならなかったんだろう。百人を救う為一人を犠牲にするのと同じ様な考えだね

8: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/07(土) 11:28:39
それで救えた?のは孔明の後世の名声だけだから情けない

10: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/07(土) 11:47:33
一番引き際を弁えていたのは劉禅なのかもね

11: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/07(土) 12:07:12
あそこで厳罰に処して置く必要はあったんじゃないか?
身内贔屓が濃すぎたら項羽軍のような離反を招くハメになるよ。

12: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/07(土) 12:15:51
馬謖を処罰しなかったことで贔屓だとはおもわんが、
南蛮平定の功をたった一度の失敗で無効にし、なお死罪ってのは不自然じゃね?

兵糧管理に失敗したあげく偽報まで流しても平民なんだぜ?
李 厳

李 厳
(り げん、? - 234年)は、中国後漢末期から三国時代の政治家・武将。荊州南陽郡の人。

231年春、諸葛亮は再び北伐を行なった(「後主伝」)。この時、李厳は軍糧輸送監督の任務についた。しかし長雨による兵糧輸送の滞りを理由に、馬忠と督軍の成藩を派遣し、遠征中の諸葛亮にそのことを報告した。ところが諸葛亮が撤退して来た後、李厳は撤退したことを諸葛亮の責任にしようと謀った。さらに、劉禅にも上奏し「丞相(諸葛亮)は敵を誘うために撤退した振りをしているだけでございます」と嘘をついた。

このため諸葛亮は李厳の出した手紙を集め、李厳の発言や要旨の矛盾を追及した。李厳はこの追及に敵わず、罪を認め謝罪した。諸葛亮は劉禅に対し、これまで自らが李厳のいい加減さを知りつつも、才能を惜しみ任用し続けてきたことを率直に陳謝した上で、李厳を弾劾し罪を明らかにすることを、上奏して求めた。李厳は免官となり庶民に降格され、梓潼郡に流された。


17: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/07(土) 12:30:11
>>12
同意。
それやこれやを考えると、実際のところは孔明の責任逃れと見る方が正しいように思う。

子供の頃、横光マンガを読んだときは、信賞必罰を貫く公正な孔明の態度に感動したけどw

13: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/07(土) 12:22:18
命令違反で大敗
本人は生きてけえってきた
それまでに大きな功績ない


生きていても返り咲きは無理だろwwwww
これで処罰しないパターンってあるか?

28: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/07(土) 13:46:26
>>13
仙石秀久みたく、家康級の人物が
とりなしてくれれば良かったのにな。

まあ、でも孔明は意固地だから、
それでも殺しちゃう鴨。
(殺さない場合自分が隠遁しそう)

14: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/07(土) 12:24:14
馬謖ほどの人物なら曹操だったら処罰しない気がする

30: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/07(土) 14:07:12
その後も馬謖を重要すれば魏倒して漢を復興できたかもな。

そもそも最初の北伐だって馬謖がいたからこそ出来たことだし、
馬謖には状況を転換させる才能がある。
生きていれば司馬懿を動かせたかもしれないし、
姜維も無駄に北伐を繰り返すばかりでなく新たな一手を繰り出したかもしれん。
馬謖さえ生きていれば…

31: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/07(土) 14:09:35
>>30
ならなんで街亭でまけたんだろな
そんなに大才はない

32: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/07(土) 14:14:28
負けなしの武将のほうが少ないだろ。

あの曹操だって負けは沢山ある。
馬謖は負けて処断されたから活躍できなかっただけ。

それに韓信は背水の陣で成功してる。
戦法で成功するかしないかは運の要素も多い。

33: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/07(土) 14:17:50
>>32
馬ショクは諸葛亮が期待しすぎただけ
それほどの大才があるかはわからんが負けて斬られたやつを過大評価するのはおかしいだろ。 しかも原因は命令無視。 命令無視して負けるやつが魏を倒せるなんてどう考えても無理


36: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/07(土) 14:19:59
常日頃かわいがって側に置き過ぎてたから殺さないといけない空気になったんだろう
負け方も軍令違反という最悪の形でだしな

37: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/07(土) 14:25:50
曹操なら度量が広いから死刑にはしなかっただろうけど
それ以前に口先男だから楊修みたいに殺されてたかもしれないな

38: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/07(土) 14:27:37
でも、切ることはないと思う。司馬イを左官させたのは馬ショクでしょ?
せめて平民に落とすとか、色々手はあったんじゃないかな?

42: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/07(土) 14:31:29
>>38
李厳の例があるが俺が思うに

①平民に落とされた李厳は諸葛亮死後平民のまま死去したから李厳への処置も処刑と大差がないように思える

②諸葛亮は先主の遺言を無視してこのような事態を招いたから先主への謝罪の意もあったかもしれない

43: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/07(土) 14:34:44
>>38
李厳と馬謖は同列視は出来ないね。
馬謖は自分が引き立てていたところもあるから対外的により厳しい処断をする必要がある。

45: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/07(土) 14:35:59
しかし仕出かしたことの罪の重さは李厳が圧倒的に重い

46: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/07(土) 14:38:00
李厳しかり、馬謖しかり
諸葛亮が期待した人物が裏切った行動を行った時には
実に冷たい処置をするのな

49: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/07(土) 14:40:42
>>46
李厳に期待してたと言えるのかなあ?
精々尊重してやるから足引っ張るようなことするなよ程度のような気がするが。

71: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/07(土) 14:54:48
>>49
李厳が担った職務は
それまで諸葛亮が担っていた
いわゆるNo2の職

47: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/07(土) 14:39:03
しかしあの李厳の対応はどうにかならんかったのかねえ?
なんか自らせっせと墓穴を掘ったようにしか思えない。
やはり語られざる真実があるのだろうか?

51: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/07(土) 14:41:45
>>47
たしかにあの言い訳は短絡的すぎるよな
李厳にはどこか光秀じみたものがある。


59: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/07(土) 14:46:09
魏延にすればよかったのに・・・。
失敗したらあいつを切ればいい。成功したら自分の采配的中ってしそうだけどw

61: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/07(土) 14:47:05
魏延に名声をあげられちゃ困るだろ。
むしろ魏延の対抗馬を育てたかったんだとおもう。

65: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/07(土) 14:48:52
魏延をうまく使えない孔明にまず勝ち目はない

72: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/07(土) 14:57:59
>>65
これ以上無いほど使ってますが?
諸葛亮の戦争の巧さの結構な部分に魏延は関わってます
また諸葛亮以上に魏延を扱えるのは君主でひとたらしの名人劉備くらいです

112: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/07(土) 17:47:32
つーか王平がしっかり水源を確保しないからいけないんだ
孔明は王平を処刑すべきだった

113: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/07(土) 17:50:22
>>112
それやってたら蜀は無法国家呼ばわりされるだろうね

116: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/07(土) 17:59:50
条件1.軍令違反者は処断しなければならない
条件2.馬謖を失うわけにはいかない
条件3.馬謖は山頂に布陣する

以上の条件を併せて考えると

『諸葛亮が予め馬謖に山頂布陣を指令しておけば馬謖を失わずに済む』

という結論が出ました

121: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/07(土) 19:47:06
>>116
何故か納得してしまった

118: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/07(土) 18:02:11
で、結果は変わらず魏軍にボコボコにされるわけか

124: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/07(土) 20:30:59
ついでに山頂の馬謖とその兵の存在は無いものとした上で、
勝てる作戦を練っておけば完璧。

125: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/07(土) 20:51:26
なら大事な馬謖は床の間にでも飾っておけばいいよ

126: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/07(土) 21:08:39
馬謖を四輪車に乗せて魏軍に突っ込ませればいいよ

136: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/07(土) 21:48:44
>>126
山上から四輪者で逆落としするシーン想像して吹いた

141: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/08(日) 00:56:05
曹燥は失敗続きの敗軍の将曹仁や項を焦った干禁を許したのに

143: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/08(日) 12:09:39
馬謖カワイソス(´;ω;`)

148: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/08(日) 21:04:28
まあ真相は脱走したからじゃね?

154: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/08(日) 23:19:08
でも、実際、南蛮平定戦では、ちんたらと時間のかかるごく普通の懐柔案を推しただけだし。
司馬懿左遷も、
司馬「何か最近、工作員がうぜーから、暇もらって隠遁しとくわ。そうすりゃ、あいつら調子にのって勇み足すんだろ」って真相かもしれんし。


168: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/09(月) 14:12:16
>>154
だから司馬懿左遷は演義の虚構でしかないっての

156: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/09(月) 00:22:41
そもそも馬謖は有能だったのかということがハッキリしないと何とも言えない

俺は論客としては有能だったとだけ評価している

157: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/09(月) 00:33:56
馬謖は権謀術には長けていた。それで馬謖自身は自信過剰的なとこがあったんだろね
諸葛亮も馬謖は軍の指揮ができると思い込んでいた。
頭がキレるから戦でも馬鹿な布陣はしないだろう、という思い込みの結果じゃないかね

こいつは知力は高けれど、軍の指揮や兵法はそうでもなかったんだろう
何より経験不足

よくいる頭は良いが仕事はできないっつー感じな。

158: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/09(月) 00:40:04
つまりあれだろ
客観的に助言するタイプには向いてるが
実際自分で軍を動かしたり、全権を任される指導者タイプじゃなかったってこったな

諸葛亮が街亭の大将を王平にして副将を馬謖にしてりゃ、
馬謖も李厳以上に活躍して後世じゃ有能な知略家で終わってたろうに

161: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/09(月) 01:10:05
馬謖が敗れたのは、山における水の手を断たれたためと書いてある。しかしこれはちょっと信じられないミスである。
山に布陣する際には水の手の確保は最重要事項であり、これを忘れるなどと言うことはいくら初陣とはいえ、しかも王平がついていると言う状況でこのような失態は普通は考えられない事である。

 そしてそれを説明するのが、命令が煩雑を極めた、と言う正史の記述である。

煩雑な命令、つまり何をどうするべきかきちんと将兵達に伝わりきらない混乱状態の中で水源確保と言う命令が上手く伝わらず、どこかの部隊が行っているだろうという思い込みのまま各部隊の山での布陣が進行。
そしてやってきた張儁乂がそれをあっさりと見抜いて水源を完全に断ったと言うところではないだろうか。

ここに至れば既に戦術どうこうのレベルではない。水の手を断たれた部隊など、勝てるはずが無いのである。
正史が記述する通り、馬謖は惨敗したわけである。

http://www.page.sannet.ne.jp/abe_t/sanngokusi_basyoku_2.htm
※リンク切れ

162: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/09(月) 01:34:55
馬謖の指揮官としての能力よりも孔明の総司令官としての能力を疑うだけの話だろ。
絶対に落とせない要所を、兵法書に馴染みのある程度の経験未熟なものに一軍を委ねて配置する方が可笑しい。
経験ある王平を副官につけても、大将が偉いんだから仕方ない話。
仮に大将と副官の立場が反対でも、本で読む限りじゃ、馬謖は喰って掛かって山頂に兵を割りそうだけどな。

俺の馬謖のイメージ。
「帷幄の中で謀を巡らし千里の先に勝利を決す」だな。
馬謖は戦場に出たら軍を率いるより、郭嘉のようなタイプの方が合ってたんじゃないか

180: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/09(月) 21:22:01
wikiに書いてあったんだけど、
諸葛亮の寛大な処置で処刑を免れたやつもいたんだね。

なんで免れたの?

181: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/09(月) 21:33:40
>>180
参謀の陳某ってヤツの事?
まあ、参謀が事態を収拾できるレベルの状況
じゃなかったと判断したんだろ。

『228年、諸葛亮は出陣して祁山に向った。
当時経験を積んだ指揮官として魏延、呉懿らがおり、
意見を言ったものは皆、彼らを先鋒にするべきだといった。
しかし諸葛亮はそれに反して馬謖を抜擢して先鋒として大軍を
率いさせて前方にやり(以下略)』(馬謖伝)

って状況だったらしいし、戦う前に敗戦を自分で
決めてしまったと、孔明も思ったんだろ。

182: 164 2006/10/09(月) 21:33:59
百戦錬磨の連中とつき合ってて
自分もいろいろ経験してる劉備が「信用するな」って言ってんだから
やっぱり馬謖は言われてるほどには良将ではなかったと思うな
んで、斬首がいい・わるいってことだけど
いくら孔明でもホイホイ斬ったりしないだろうし
熟慮の上でのアレなら、まあ間違ってはなかったんでないかな

192: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/10(火) 10:43:42
まあ荊州系と益州系の対立も背後にはあったかもね。

210: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/10(火) 23:36:31
馬謖にこの重任を負わせたのは、多分孔明の考えで任務が簡単だけど意味が重大で、
つまり絶好なチャンスだった。上手くいけば馬謖を昇進させ更に重用するつもりだったと思う。

211: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/11(水) 01:44:41
重大な意味なんかねーだろ。(おそらく功績大といいたいのだろうが、それもない)
要衝であっても、言われたとおりやってりゃ、できる仕事だ。
それをできなかったから、大失敗といわれてるんだよ。

212: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/11(水) 01:48:17
命令守ればもっと能力低い武将でもできた。
それができない彼はまだ命令守る魏延より自意識過剰な小者じゃないか

217: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/11(水) 07:21:10
今さらだが馬謖は敗北してさらに逃亡を図ったから
処刑されるのは当然と言えば当然だろう
向籠がかばっても無駄に終わったし
「朗、もとより馬謖と善し。謖、逃亡し、朗、情を知れども挙げず。亮、これを怨み、免官せられて成都に戻る」(向朗伝)


218: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/11(水) 08:06:36
一軍は得やすく一将は得がたいとか言ってるくせにな。

222: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/11(水) 09:59:55
自分の独断で、もしくは部下の独断を抑えられず
諸葛亮の命令にそむき、蜀にとってゲームセットとなる大敗を喫して
自分は逃走を図ろうとして向籠まで巻き込んで結局獄死

こんな人材いらんがな

227: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/11(水) 13:37:12
演義や吉川三国志ではバカ補正がかかってるけど、
そもそも張コウって、司馬懿より鋭く戦局を見抜いちゃったり
する名だたる名将。

相次ぐ戦功で舞い上がっちゃってる馬謖が先鋒として
ぶつかるには難敵過ぎたのかもしれん。


255: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/13(金) 13:14:29
諸葛亮の命令を遵守しての敗戦だったらまだ次の機会があったろうに。

289: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/16(月) 13:37:43
>>255
そうなったら斬られるのは諸葛亮だな

291: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/16(月) 15:15:33
>>289
馬謖が切られたのは軍令違反+逃亡のダブルパンチだからだろ
普通負けただけなら軍権剥奪、免官、降格のどれかになるだけだ
現に諸葛亮は自身を降格して左将軍となって自分も罰している

257: 245 2006/10/13(金) 14:39:40
客観的立場にたてばキレる馬謖も
実戦での用兵となると経験不足が心配の種だった。
孔明も自分の歳や蜀の人材不足をおもえば、早く若手が育って欲しいところ。
だから南征に同道させたけど充分とはいえないから、北伐では馬謖に部隊の
指揮を任せてみたところが御覧の有様で、弟子の大ポカに頭を抱える孔明先生

258: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/13(金) 16:34:03
経験不足は重々承知で、
作戦を与えて、副将には経験豊かな王平を配置
これでまずは経験を積んで貰う事で人材育成と

ここまでやってんのに!想定外と泣き笑いの孔明先生

261: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/14(土) 00:01:45
脱走で斬られたと書いてあるのは向朗伝だけだし時期も不明(処刑が決定した後かも)
諸葛亮伝には命令違反をし乱雑な指示を出して大敗した事が処刑の理由になってる
王平伝も命令違反とは書いてないけど大筋では同じ
演義は詳しくないけど命令違反は無かったんだっけ?

270: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/15(日) 14:16:21
劉備が遺言で孔明に
「馬ショクは口ばかり達者で実際はたいしたことないので重要な仕事は任せるな」
と演技では言ってたよな、確か?
馬ショクを殺したのは劉備が関羽救援の要請に答えなかった劉封を厳しく罰し
処刑にしたから孔明もそれに習ったんじゃないかと思う。

271: 平民バカ 2006/10/15(日) 17:11:42
>>270
しかし、逆に劉備が諸葛亮の補佐につけた李厳もヤバくね?
九錫もらって王を名乗れとか言うし、食糧送れなくなったのに嘘吐き続けて蜀軍追い詰めたり。
諸葛亮の中で
『劉備の遺言で起用した李厳は小才子→劉備の遺言アテにならん』
良く考えたら劉備の遺言の
「君が国を奪え」
「李厳を副に」
「馬稷を起用するな」
どれも守ってないよね。

281: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/15(日) 23:08:16
諸葛亮は人を見る目がなかったんだろうな
魏延の件にしても・・・・・
劉備は魏延をきちんと評価してたが
諸葛亮は楊儀の魏延への中傷を聞いても二人の仲をそれを嘆くばかりで
何も解決策を施してないからな

282: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/16(月) 00:20:14
諸葛亮は魏延の武勇を頼りにしてたって記述は無視ですか。

それと、きちんと自分の後釜をショウエンと定めていたりとか
人材起用法が間違ってない例だっていくつもあるんだから
見る目がないなんていきなり断定しても。

284: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/16(月) 10:11:24
うだつの上がらないトウシ抜擢は無視ですか、そうですか

李厳重用したけど、裏切られたので平民に落としましたが、
李厳は諸葛亮の公正な人事に期待して復帰を待っていたという記述も
無視ですか
そうですか

294: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/16(月) 18:14:29
>>284
うだつの上がらない鄧芝を諸葛亮が抜擢?
鄧芝は劉備が益州を平定した際に劉備に評価され見出された人物
その後、県令、太守を務め中央に召されて尚書にまでなった。
確かに諸葛亮に任命され呉への使者になったが
けっしてそれまでうだつの挙がらない人物ではなかったよ。

295: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/16(月) 21:45:29
>>284
> 李厳は諸葛亮の公正な人事に期待して復帰を待っていた
この話はたまに見かけるが理屈がよく分からない。
復帰できるかどうかって諸葛亮が公正な事とどう繋がるの?

303: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/16(月) 22:53:23
>>295
そもそも正史の記述は"李厳は諸葛亮に期待して復帰を待っていた"。
公正さに期待したなんて書いてない。
習鑿歯という東晋の人が李厳や廖立が庶民に落とされても
諸葛亮に恨みつらみを言わなかったのは刑罰が公正だったからと解説してる。

まあ蜀に仕えていた李厳の息子や蜀に戻った廖立の妻子が
例え諸葛亮への不満を聞いていたとしても喋るわけはないけどね。

287: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/16(月) 12:47:07
李厳に関しては失脚の理由が断定しきれないから
なんとも言えないかと。
本当に兵糧での不備があったのか、あるいは蜀内部での政争に負けたのか
そこらへんの解釈で(諸葛亮を含む)人物像が大きく変わってきちゃう

288: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/16(月) 13:05:03
正史で兵糧の不備&言い訳と記述があるのだし
これを政争の結果とするのであれば、どんな想像も成り立つな
つか、政争だと政争相手が死んで、
自分の復帰の道が断たれたと嘆く意味がわからなくなるな

339: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/18(水) 22:49:30
>>1の意図はネタかもしれんが
俺も街停の戦いはなんか引っかかる。

水道立たれて、士気落ちて惨敗とか
ちょっと単純すぎねぇ?そこまでバカとは思えないんだが。

なんか他の理由があったようにしか思えん。単純化されて伝わったとか

367: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/23(月) 20:13:22
処刑しなかったとしたら
しおらしくなったバショクは有能になったのだろうか

身の丈を知って謙虚に良将になったかもしれぬ
失敗を覆うために傲慢になったかもしれぬ

403: 無名武将@お腹せっぷく 2006/11/05(日) 20:42:45
孔明「よいか、馬謖。此度の目的は魏軍を通さぬことじゃ!」
馬謖「はっ、存じております!謖にお任せください!」
・・・・・敗戦後
馬謖「え~っだってぇ、高いとこから攻撃したほうがいいと思ったんだもン」

こんなやり取りだったら俺でも斬る

404: 無名武将@お腹せっぷく 2006/11/06(月) 05:18:04
>>403
俺は泣かないで斬るw

407: 無名武将@お腹せっぷく 2006/11/11(土) 12:28:14
> こんなやり取りだったら俺でも斬る

まるで孔明よりお前のほうが上のような言い方だな

408: 無名武将@お腹せっぷく 2006/11/11(土) 12:50:48
違うのか?

何年も昔の奴なんざ現代人の英智の足下にも及ばん!

415: 無名武将@お腹せっぷく 2006/11/11(土) 13:53:04
>>408
馬謖みたいな奴だなお前はw

410: 無名武将@お腹せっぷく 2006/11/11(土) 13:13:21
現代に生きてるってだけで
他人の努力と才能を自分も共有してると思える人材を育てるために
ゆとり教育政策を行ったわけじゃないとおもうんだ。

411: 無名武将@お腹せっぷく 2006/11/11(土) 13:38:55
確かにそうだな。俺も音楽や美術はまだしも、道徳や家庭科までをも削る文部科学省の改革は教育基本制度の改訂に則ったものとはいえ、やり過ぎだと思うんだ。
といって今度の世界史の必修科目受講義務における学校側の見解には俺は同意してるんだ。そも、受験に必要ないわけだろ。じゃあ進学校というその存在意義が問われる。
孔明はどう考えるだろうか・・・

414: 無名武将@お腹せっぷく 2006/11/11(土) 13:52:04
センターで6科を強制で受けさせるってのも目的と手段が逆転してるよね
「専門バカ」ってのを心配してるようだけど、こんなのルサンチマン以外の何者でもない。
出る杭は打たれる、バカが足をひっぱるのは民主主義の弊害だよ

馬謖ももしかしたら打たれたのかもしれんね
王平か諸葛亮か…どちらかに。

416: 無名武将@お腹せっぷく 2006/11/11(土) 14:01:47
ある意味あいで、日教組が力を無くしてきていることの弊害とも言えなくはないと思うんだ。
といって俺は日教組を肯定はしないし民主党の弛まぬ失敗と国会討論の旧・社会党的な反論というか難クセに教育など見られない。
かといって実利的なことばかりを重視し社会的な教育を無視するかのようなやり方は或いは、馬謖が育った環境と同じなのかもしれない。

417: 無名武将@お腹せっぷく 2006/11/11(土) 14:05:14
スゲェな。馬謖から現代教育の問題点が浮き彫りになってきた

474: のたまり先生  ◆nVAstm6bc. 2006/11/22(水) 23:18:15
じゃ話を元に戻す為に、先ず事実確認を…

○馬謖は、魏延や呉懿を推す声を抑え、諸葛亮が起用
○馬謖揮下には、張休、高翔、王平ら
○劉備は生前、馬謖は見栄っぱりなので重用は避けよと諸葛亮に忠告
○諸葛亮は出陣前、馬謖に「山に陣どるな」と忠告
○馬謖、しかし山に陣どる
○王平は諫めたが、馬謖は聞き入れなかった
○魏の張コウ、山上の馬謖軍を発見、水、食料の補給路を断つ
○馬謖軍、張コウ軍と一度戈を交えただけで敗走
○王平、殿軍を務め、偽兵を使い撤退成功
○これを受け、陽動軍の趙雲、トウ芝軍も退却。街亭より被害少なく、趙雲、諸
葛亮に激賛。軍中の絹を労いにあてるも、趙雲、敗戦なので…、と辞退
○仲良しの向朗、馬謖を庇う。それがかえって、傷口を深くする
○街亭は天水など三郡を守る為の、いわば魏を攻める足掛かりの要所であったが、
街亭の敗戦を受け、全て三郡全て魏に奪われる。

475: のたまり先生  ◆nVAstm6bc. 2006/11/22(水) 23:31:51
処分確認

諸葛亮は、軍の七禁(軽、慢、盗、欺、背、乱、呉)をいくつも犯しているとし、
死刑を求刑。
常々「我が心は秤のごとし。人によって軽重をなすあたわず」と言っていたので、
自身にも敗戦責任を問い、降職三等とし、右将軍になる。
馬謖が死んだ直後、ショウエンが来訪「今後を考えれば知計ある人を殺すのは惜しい」と告げる。
諸葛亮は、罪は罪として裁かなくてはならないと返答。
馬謖を庇った向朗は免職、趙雲は閑職に。
馬謖は死の直前、諸葛亮に今まで可愛がってくれたことに対する礼と、遺族を、
よろしくとの手紙を書いている。

476: のたまり先生  ◆nVAstm6bc. 2006/11/22(水) 23:40:22
私としては、自分の失敗で、こんだけ他の人が処分されていれば自害しますね。
これは仕方ないことだったと思います。
ただ、ここでもし、かろうじて、再度戦えるだけの戦力が残っていれば別だった
でしょうと思います。
この敗戦の為、しばらく回復の為に後退しないといけなかったわけですから、
遠い将来より、近くくる、しかもそこそこ長い、その軍力回復期間のことを考え
ると、汚名返上の機会もこないわけですから、その間に、処分に失望した多くの
人材を失う可能性があります。
ここは、大きな犠牲で甚大な犠牲を食い止めたと考えるのが妥当ではないでしょうか?

477: 無名武将@お腹せっぷく 2006/11/23(木) 02:41:55
でも三国時代、大敗の元凶でも処刑までされた例は殆どないんよね
たいていは降格や所領・官爵等の剥奪あたり
この件じゃ馬謖ばかりか李盛に張休と三人も処刑される、この時代じゃ
前代未聞の極刑
その半面で王平への賞与は格別でこれまた抜擢にも近い待遇を与えてる

普通にみれば信賞必罰って図式なんだろうけど、どうにも馬謖を起用した
失敗を糊塗しようっていう諸葛亮の個人的な打算が見え隠れしちゃう

490: のたまり先生  ◆nVAstm6bc. 2006/11/26(日) 02:57:07
>>477
諸葛亮が馬謖を斬ったことで腹黒いものを感じるのは諸葛亮伝の
「馬謖を死刑にして兵士たちに謝罪した」とだけしか書かれてい
ないから泣いていない。ということからくるのかな?
蜀史には、馬謖は投獄されて獄中死し馬謖のために涙を流したと
あるよ。
また、この処罰の判断は、罰のみを見ると重いけど、この戦いは
出師の表を劉禅に奉った直後であり、魏の3郡を攻略するという
凄くうまく行ってた時期で、街亭を守りきれば魏進行の足掛かり
が築けるというまさしく千載一遇のチャンス。全てを懸けて守り
通さなければならなかった戦いだった。
これを潰したというのは、魏進行が2度と叶わなくなることを意
味すると諸葛亮だけでなく、蜀全体が知っていたのではないかな?
だとすると、やはり処分は重くして、次は無いのだ、そして次の為
に全てを懸けて備えさせるという、通常の方法以上に士気昂揚を高
める策をとったのんじゃないかな?
そしてそれが、次世代の人材をより多く残す一番の手立てだったの
では、と思うのは不自然かな?

506: 会社経営者 2006/12/16(土) 18:41:57
おまんら、馬謖みたいな部下もったらわかるよ。

まじ才知走っての勝手な行動に切れそうになるんだってば。

511: 無名武将@お腹せっぷく 2006/12/17(日) 06:34:16
人の上に立つなら、組織にとって最適な判断に徹するべきで、
その上の判断として、
首をはねることで組織がこうむった損害が緩和される、
ということであれば、その当否はともかくとして、首をはねることもありうる。

一般に、でかいミスをしでかした部下を処断するとなれば
相応のメリットとデメリットを冷徹に秤にかけた結果だろう。
馬謖の戦略ミスで北伐プロジェクトはいったん頓挫したわけということになっているわけだが、
どのような障害が発生しようと、プロジェクト自体を放棄することはありえなかった、ということをまず前提とする。
馬謖が存在しないほうが今後プロジェクトを推進する上で有益である、ということだったんだろう。

だが、孔明のその厳罰主義こそが、蜀のアキレス腱ではなかったか?
よく言われるのが、
「泣いて馬謖を斬ったことで、命令・法令遵守の重要性を再認識させ、組織を引き締めた。」
ということだ。
そこに引っかかる点がある。
まず第一に、
そこまでしなければ、組織を引き締められなかったほど、孔明の指導力は弱かったのか、ということだ。
第二に、
孔明の「見せしめ的厳罰」は確かに時として、組織を引き締める一助にはなっただろうが、
多くの場合、むしろ、現代の組織でもありがちな、ミスや障害の報告の遅れを招いたのではないか、ということだ。
現に街亭ではまさにそれが起こっているし、
その後も、李厳が兵糧輸送の遅配をごまかしたというケースもある。

翻って、遡れば、夏侯惇が荊州で劉備に敗れたとき、敗戦責任として処断を申し出たのを、曹操は無罪としている。
もちろんここには命令違反の有無もあり、とても同列に語れることではないが、
いってしまえば、
その程度のことで引き締めのために人材を失うよりは、
多少けじめがつかなくても、後で挽回させたほうが組織にとっても有益である、ということもあるだろうが、
無理に断罪しなくても、その程度の目こぼしで組織の統制が乱れない、
という曹操の自信もあったのではないか。

513: 無名武将@お腹せっぷく 2006/12/17(日) 10:42:57
>>511
曹操と諸葛亮では元々の権力基盤が違いすぎるよ
軍事力が根本基盤だった曹操は
諸葛亮ほど法を徹底させる必要がない
それこそ自分の身内の処断を流したとして組織の統制が多少乱れようと
彼自身の持つ軍事力による威圧で抑え付けることができる
諸葛亮は劉備のもとで高い地位につき蜀の実際の政治運営をしてきたとは言え
もとは一官僚に過ぎない
曹操のような軍事力による威圧は彼には取れないんだから
法の厳罰化による威圧に走るのは当然じゃないか?

514: 無名武将@お腹せっぷく 2006/12/17(日) 14:10:14
>>513
確かにそういう面もあるのだろうけど、
曹操と諸葛亮の、
法家としてのスタンスの違い
もあったのではないかと。
遵法精神を
あくまで統治のための一手段に過ぎないと割り切っていた曹操と、
統治のための唯一の手段とした諸葛亮との。

もっとも、
益州一州でしかない蜀の国力で
華北の大国である魏と対峙しなければならなかったのだから、
やむをえなかったのだろうけど、
厳罰主義が組織の血の巡りを悪くしていたのも事実ではないか。
諸葛亮が蜀の法制を整備する際、
法正だったか、法が厳しすぎるのではと進言していたし。

515: 無名武将@お腹せっぷく 2006/12/17(日) 19:23:13
>>514
どうも厳罰化ばかりをやたらと気にしているけど
諸葛亮の厳罰化は言い方を変えれば法の公正な運用(のアピール)でもあるんだよ
上でも彼の権力基盤は法の厳罰化による威圧だといったけど
諸葛亮は独裁を敷く上で法を遵守し、下にも遵守させることで体制を維持していた
下に遵守させるには誰にでも公正に見える法の運用がまず必要になる
諸葛亮が法に違反しているのに下には従えなんて言っても説得力ないからな

そうして下の不満を抑えて独裁を行なってきたんだ
この独裁は丞相府への権力の一極集中化というもの
権力が諸葛亮一点に集中しているということは諸葛亮が物事の流れや情報を得やすいってことだ
君は厳罰化を強めれば罰を恐れて下のものはミスを隠すようになるといいたいようだが
そもそも諸葛亮が法の厳罰化によって維持している独裁体制が
諸葛亮に情報を集めやすくできているんだから
厳罰化が組織の血の巡りを悪くしていたとは言えない

が、馬謖のように戦場で独自判断が許される場や
李厳のように後方の全権を任された場合
(つまり諸葛亮から一時的に権限を与えられて独自判断が可能になった場合)
諸葛亮が情報を得にくい状況が生み出されて結果大問題が起きていることがある

これは諸葛亮の法の厳罰化が問題というより彼の異常な独裁体制が問題と見るべきものじゃないか?

516: 無名武将@お腹せっぷく 2006/12/17(日) 21:00:57
独裁、独裁って言うけど、現代でも軍隊はそういう構造だぞ。
下が命令守らないと秩序が崩壊するから、基本的に命令違反には厳罰で対処する。
それができなくて下が勝手に暴走した結果、60年ちょっと前に国がひとつ滅びましたが?

518: 無名武将@お腹せっぷく 2006/12/17(日) 22:49:27
まあ馬ショクを死罪にしたのはあの場合はもっとも適切な方法だったってことだな

220: 無名武将@お腹せっぷく 2006/10/11(水) 09:50:18
諸葛亮「おお、馬謖が戻ったか」

諸葛亮「斬れっ!」

引用元: ・諸葛亮が馬ショクを殺したのは最大の間違い

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