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1: 日本@名無史さん 2006/05/01(月) 02:29:19
知らないよね








2: 日本@名無史さん 2006/05/01(月) 07:14:05
天子様ってことで知られてたんじゃないの?

4: 日本@名無史さん 2006/05/01(月) 08:06:19
称徳女帝の時代(奈良時代)に平民が詠んだ詩に「女帝様を誑かして…」という内容があった気がする。

8: 日本@名無史さん 2006/05/01(月) 21:40:38
農民にとって天皇は生きて行く上で何ら関わりを持たないから知っていても興味無いだろ。
生活面では領主や中期以降は寄生地主との関係で生きているんだし
精神面でも普通は一向宗などの仏教、変わったところで耶蘇教にはしるぐらいで
天皇も神道も必要とされていない。よく間違われるのが村祭りだが神話の神を祭っているのではなく土地神。
地域ごとの民話や昔話でも神道や天皇は極稀にしか出てこない。ほとんど土地神。

88: 日本@名無史さん 2006/05/22(月) 23:47:10
>>8
逆、逆
農民の方が天皇の出す暦を基準に生活していたし
天皇神話の祭りも農村のが多い。
維新の尊皇派を一番支援したのは農民だとしらんのか

15: 日本@名無史さん 2006/05/02(火) 13:49:00
元号があったのだから知っていただろう。

19: 日本@名無史さん 2006/05/02(火) 16:48:18
>>15
改元は幕府の裁可がなければできなかった

全く知らなかったということはない。
幕府自体が大名家を支配する理屈として天皇から全権を委託された将軍が領地の支配を各大名家に委託しているという理論を唱えているから。

20: 日本@名無史さん 2006/05/02(火) 17:05:15
>>19
大名、上級武士はね。農民達はどうだか・・・

21: 日本@名無史さん 2006/05/02(火) 17:22:06
京の住人なら誰でも知ってるだろうが
地方の下層農民にとっては天子様っつうファンタジー世界の神様

23: 日本@名無史さん 2006/05/02(火) 20:07:47
太平記読みやら琵琶法師の平家物語
地方の神社や寺の縁起、田舎歌舞伎での登場頻度からして
地方の農民、とくに西国ではかなり広く知られていたのは間違いない。

27: 日本@名無史さん 2006/05/02(火) 20:56:07
漂泊民が古代天皇からの認可状という偽文書をよく持っていることに着目して漂泊民と天皇に繋がりがあると網野が唱えていたはず

30: 日本@名無史さん 2006/05/07(日) 19:17:58
たとえば一休とんち話しは江戸時代民間で確立されたが
このとんち話しのモデルはもちろん実在した一休宗純で彼が皇子という出自のことも話しに織り込まれている。

31: 日本@名無史さん 2006/05/07(日) 19:22:00
またこの一休とんち話しの背景には
時の権力者である足利将軍(徳川将軍の見立て)をじつは天皇の血を受け継ぐという
トンチ小僧がやりこめるという
朝廷にたいする庶民の潜在的な親しみと同情、期待が含まれていたとも言えよう。

46: 日本@名無史さん 2006/05/09(火) 18:48:57
>>1
少なくとも江戸時代なら
武家・貴族・それらに関連する職業従事者(この辺りは当たり前ですが)
それに、町人・自作農レベルまでは知っていたかと。

あと地域差も大きそうですね。
近畿圏での認知度は当然高いでしょうし、町人文化の花開いた江戸でも認知度は
それなりに高かったと思いますが、地方(中央から遠い諸藩)の農民レベルとなると
さて・・・何処まで認知されてたのか、御触れなどで天皇の崩御や改元それに物語
レベルではある程度知っていたとは思いますが、現実の存在としてどれだけ認知
されていたかは・・・さてさて。

50: 日本@名無史さん 2006/05/10(水) 23:27:13
>>46
どういう「暦」を使っていたかによるのではないでしょうか?
東北はその点、絵文字の「暦」があったとか?
江戸時代の「暦」の発行権は伊勢神宮?
「暦」の編纂は、幕府の天文方で、朝廷の陰陽師は既に「暦」つくる能力がなくなっていたと思うのですが。

54: 日本@名無史さん 2006/05/11(木) 15:52:44
>>50
江戸時代以降の話なら、暦はさして関係ないのでは?(無関係ではないでしょうが)
天皇の崩御については御触れがでますし、元号改正についても告示はあったでしょうから。

51: 日本@名無史さん 2006/05/10(水) 23:54:36
江戸とかなら、長屋の御隠居レベルくらいまでなら、そういうものが京都にいる、
ってことぐらいは知ってそうだけど、その認識も、百人一首のパロディなんかみてると、
徳川足利より遥か昔の大大名、ってくらいのレベルで(もっとも、その認識は概ね間違ってないわけだけど)、
地方の人にいたっては、武家やインテリ以外には、殆ど忘れ去られた存在だったんじゃないの。

 「臣伏シテ惟(おもう)ニ、曩(さき)ニ維新ノ初メ皇化未ダ洽(あまね)カラズ、
 辺陬(へんすう)ノ民概ネ皆故見ニ慣レ、旧習に泥(なず)ミ、
 覇府アルヲ知テ皇室アルヲ知ラズ」
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 「群黎(ぐんれい)ヲシテ親シク仰戴ノ君主アルヲ知ラシムルヨリ急且(かつ)
 要ナルハナシ」

  (三条実美「乞車駕北巡上奏稿」(明治八年頃)(『三条家文書』書類の部))


※辺陬-かた田舎 覇府-幕府 群黎-民衆

54: 日本@名無史さん 2006/05/11(木) 15:52:44
>>51
長屋のご隠居レベルだけじゃなくて、もうちょっと広い範囲じゃないかな?
寺子屋に通う子供は太平記とか習ってたようだし、歌舞伎や浄瑠璃なんかでも天皇ネタは
結構あったし、あと百人一首や読み物も江戸中期以前には庶民にも広まってたようだしね。

ただ・・・後指摘の通り、どこまで「現実の存在としての天皇」を把握してたか、それは疑問だけどね。

56: 日本@名無史さん 2006/05/12(金) 13:23:39
「江戸時代までは皇室のことは一般の町民や農民は知らなかった。」
と、よく聞くが・・・

これは嘘です!
幕府によって序列化された庶民は、天皇との結びつきを願い、自らの尊厳の根拠と身分解放への原理を天皇に求めた。被差別民の由緒書、職人の由緒書や偽文書には、その起源を天皇に求めるというのが少なくなかった。

また職人や町人の中には、朝廷から位階や受領を授けてもらおうとする者も後を絶たなかったというのは、その現われであろう。
当時、天皇や中宮、朝廷の人物を模した雛人形が百姓町民の間に売れに売れ、幕府の統制が加わったほどだったというから、いかに庶民が皇室へ厚い憧憬を寄せていたかが分かる。
(松浦光修「菊の下草」)。

~衛門とか、~兵衛とか、権助など江戸時代民衆の間で親しく使われた名前は、実は朝廷の官職名に由来している。また近松門左衛門は三十三篇もの天皇を素材とする浄瑠璃を書き、天皇の御代を称え、天皇の徳政に感謝する劇が民衆から喝采を浴びた。

中でも天皇に忠誠を尽くした楠木正成が、当時の人々は大好きだった。
講釈場の門口に「今日より正成登場」というような張り紙が出ると、お客がどっと集まったという。
(司馬遼太郎「余話として」)。

この正成を中心とする「太平記」を題材とする作品は、謡曲、能、浄瑠璃にも数多く作られた。
そのためか、幕末に来日したロシア宣教師ニコライによれば、日本のどんな辺鄙な寒村に行っても、楠木正成の名前を知らない無知な者に出会ったことはなかったという
そして、何よりも「おかげまいり」と称せられている一般庶民による伊勢参宮は、庶民の自然な天皇への意識の事象ではないか。伊勢神宮は、皇祖天照大御神を奉祀するお宮だ。
このことひとつ見ても庶民のほとんどが天皇のことを知らなかった、などという妄説はどこかに吹き飛んでしまうだろう。



79: 日本@名無史さん 2006/05/15(月) 00:44:40
>>56
>庶民のほとんどが天皇のことを知らなかった、
>などという妄説はどこかに吹き飛んでしまうだろう

成立したばかりの明治新政府によって全国津々浦々で行なわれた、人民告諭なる教宣活動において
「そもそも、天皇様とは何者で、なんで偉くて、なんで有難くて、なんで尊ばねばならくて・・・・云々」
なんてことをいちいち説明せざるを得なかったことを考えると、
その“妄説”とやらがどこにも吹き飛んでくれなくて、けっこう難儀するんですが(笑)

89: 日本@名無史さん 2006/05/23(火) 20:20:41
>>79
おまえの妄想だな。
それと同じようなものは江戸時代にも戦後の占領政策でも同じよに配られてる。
単なる天皇の在り方と日本の政治を示したものにすぎず
そのような解釈は君の妄想だね。
ああ、未来の人はその詭弁の理屈で戦後まで天皇を知らなかったとか言うかもね。

97: 日本@名無史さん 2006/05/25(木) 21:35:18
>>89
そうだな。時代時代で似たようなの配布してるな。
確かに平成の今でも天皇関係の本や政治家の発言なんかにも
「一般は天皇の事を知らなさすぎる」
とかよく出て来るな。
未来の人は平成の人は天皇を知らないと判断www

99: 日本@名無史さん 2006/05/25(木) 23:29:01

「覇府アルヲ知テ皇室アルヲ知ラズ」

にたいして、>>89 >>95 >>97 の解釈ではチョイ苦しいね。

平泉澄の『伝統』っていう本の中にあることだけど、光格天皇が亡くなったさい、
このことを、鹿島神宮の神官ですら、かなり後になるまで知らなかったとか。
徳川将軍が亡くなった時には禁止される歌舞音曲の類も、この時の江戸市中では
一日中絶えることはなかったそうで、ま、知ってる人たちの間ですら、かなり軽~く
みられていたことは確かだな。

81: 日本@名無史さん 2006/05/16(火) 12:38:24
中近世の庶民にとって天皇は稲荷や土着の神と一緒で人間の認識は無かった。
今でも天皇は人より神に近い。政治にちょっかいを出さなければ・・・

82: 日本@名無史さん 2006/05/18(木) 16:44:48
>>81
>中近世の庶民にとって天皇は稲荷や土着の神と一緒で
>天皇は人より神に近い

ってな内容の話を、明治政府が全国に宣教者を派遣して、説いて廻ったんだよね。

90: 日本@名無史さん 2006/05/23(火) 20:24:32
>>82
無知だね。
続日本紀にも万葉集にも数有る文献にも天皇は現御神たる~と書かれ
天皇が神と一体化する祭祀は農民の五穀豊穣の神事にも重なりが有り知識は普及してましたが。

92: 日本@名無史さん 2006/05/25(木) 01:41:41
ふ~ん、じゃなんで >>51 みたいな話になるわけ。

95: 日本@名無史さん 2006/05/25(木) 20:57:15
>>92
皇室の具体的な役割をと元のに書いてあるでしょ
歌舞伎なんかでも天皇は良くでるが統一観が無い
しかも三条自身が詳しくそこまで把握してる訳ない。

111: 日本@名無史さん 2006/05/31(水) 17:43:21

>>90
そもそも続日本紀や万葉集などの文献は、当時の農民層に浸透していない。
五穀豊穣などの神事が天皇に結びつくと文献に書かれていても、
農民たちがそのように理解していた証拠にはならない。

114: 日本@名無史さん 2006/05/31(水) 21:33:41
>>111
集落の神事にも普通に記紀神話や天皇関連の口伝や物語を軸にした祭りは記録されてるけどね。
五穀豊穣神事でアマテラスは出てくるし、京に向かい祈るなどの行為もしてる。昔の人を馬鹿にしすぎ。
続日本紀なんかは知らなくても、今よりも真剣に神や霊を信じていたり、他に娯楽が無い分、神様や祭りの神話に関しては詳しい。
そもそも、農民が使う暦は朝廷が古来は出していた。
江戸時代も庶民は神宮暦をよく使っていた。

91: 日本@名無史さん 2006/05/24(水) 00:32:24
一向一揆の時に天皇の勅命で和解したんだけど、
信徒には本願寺明け渡しは天子様の御意だと説明されたとか記録が有った。
知らないわけねーな

98: 日本@名無史さん 2006/05/25(木) 21:41:18
>>91
本願寺にはあちこちに菊紋が有るくらいだからね。

勅使門も。
うちが檀家の寺にも勅使門が有るけど皆で管理していたんだよね。
天皇勅使が来ると街中でもてなした。

94: 日本@名無史さん 2006/05/25(木) 12:47:13
幕末まで普通の人には国家意識なんて存在しなかったんだから天皇を知ってるか知らないかは個人の知識意欲に負うところが大きい。

102: 日本@名無史さん 2006/05/26(金) 02:01:40
さまざまな娯楽・文化・小説。劇に天皇は出て来る。
例えば近松門左衛門の浄瑠璃百数十のうち、天皇が登場するのは三十三編。
内、当時の天皇を扱ったと思われるものが十五編。
地方を回る芝居も、おおよそ比率としては同程度。

識字率すら関係ないごく日常に回ってくる娯楽の中に、1割以上は「そのとき即位
している天皇」が題材のものが含まれている。   

103: 日本@名無史さん 2006/05/26(金) 02:03:18
また、江戸期において勅使が江戸へ往復する際でさえ、「天子の遣い」というだけで、
その残り湯を珍重した世相など、天子が明治期とも違う形で崇められていたことが
いくつも証拠として残されている。

イメージの変質については全くその通りだけど、温度差となると大いに疑問。

110: 日本@名無史さん 2006/05/31(水) 08:07:51
私の住んでる地域から言います。
豊川稲荷の法祖の寒厳禅師は順徳天皇の御子で、開祖の東海義易禅師は勿論、皇胤です。
豊川閣は有栖川宮から賜った。
豊川稲荷の信徒なら昔は誰でも知っていたし、逸話や劇や布教にも使っていた。利用したと言っても良い。
逆に、明治の政策や神仏分離で余り語れ無くなった。
私の住んでる地域は明治以前の方が間違ったイメージや情報が多いけど、天皇に関する逸話は多いよ

115: 日本@名無史さん 2006/06/01(木) 20:14:45
そういや雛壇のお内裏様って天皇の昔の呼び方じゃん。
私の家は地方の田舎で農民だけど江戸時代には雛祭りくらいしていて
(農民の中でも下の家なのでさすがに家には無い?のか)
近くの神社に農民が皆で小さい雛人形を共同で奉納していて記録に先祖の名前も古びた人形も在る。
宮中を模して天皇の呼び方がお内裏様って事くらいは知ってたね。

130: 日本@名無史さん 2006/06/06(火) 00:01:39
落語で天皇が出てくる話ってありませんか?

131: 日本@名無史さん 2006/06/06(火) 23:48:28
>>130
落語の舞台は大阪か江戸がほとんどだから話を作っても
受けないから作らなかったんじゃないの?
江戸には目黒のサンマみたいに大名をからかったのも
あったりするけどな。

132: 日本@名無史さん 2006/06/07(水) 05:16:51
>>130
あるよ
前に教えてもらったけどかなりの多く有ったみたい。
他にも、浄瑠璃、歌舞伎とか多数ある。
過去ログ倉庫だけどコピペ見付けたら今度貼るよ

135: 日本@名無史さん 2006/06/08(木) 22:58:26
農民の神事には天皇神話も多く出てくるからな~
口伝ベースでもかなり多いしね。
農民の90%は天皇系の暦を採用。
字は書けないが暦や年号など読める人が大半。税や年貢の記録や墓、位牌関係からも分かる。
ちなみに、尊皇派を支えたのは農民だったと言う事実。
尊皇運動は下級層が中心だったと言う事実。武士でも豪士。

143: 日本@名無史さん 2006/06/11(日) 21:06:22
いまはなき昔の人の信仰
稲荷信仰、天神信仰、北辰信仰、太子信仰、大師信仰、
この全てが当時は天皇と結び付いていましたよ。

146: 日本@名無史さん 2006/06/13(火) 12:59:15
>>143
稲荷=荼枳尼天
天神=菅原道真
北辰=妙見菩薩
太子=聖徳太子
大師=空海
天皇との直接の関連がわからんが?

148: 日本@名無史さん 2006/06/13(火) 23:45:08
>>146
それぞれの逸話に天皇が出て来たり、天皇の勅旨や関連の祭りが有ったりする。

145: 日本@名無史さん 2006/06/13(火) 05:48:01
でも、おいらの町の農業関係の祭りには昔から、草薙の御剣の模擬が使われてる。
ヤマトタケルを演じたりとか記録は多い。

149: 日本@名無史さん 2006/06/14(水) 00:07:39
その祭りの由来をどれだけ庶民が知ってたかってことだよ、問題は

166: 日本@名無史さん 2006/06/17(土) 12:30:45
古代では、奈良や京の都心部だけだろう。
中世では一部の階層だけだろう。
近世では都市部の上層民だけだろう。
近代では広まっただろう。行幸と言う名の引き回しがあったからなw

172: 日本@名無史さん 2006/06/17(土) 13:50:08
>>166
でも、地方からの献上の記録は多数にのぼるんだよね。
何百万の農民が天皇発布の暦を使い、御所には多数の民が押し寄せた記録もある。
御千度参りだったかな?

170: 日本@名無史さん 2006/06/17(土) 13:12:06
江戸時代には国学者が出てきて日本は神の国という思想を広めたので知識階級は
誰でも知っていただろうし、寺子屋で教えていたのではないか?

 またどこにでも神社があるので神主が天皇の存在を教えていただろう。

190: 日本@名無史さん 2006/06/17(土) 17:29:42
>>170
>江戸時代には国学者が出てきて日本は神の国という思想を広めたので知識階級は
>誰でも知っていただろうし、寺子屋で教えていたのではないか?

寺子屋で何を教えたの?

>またどこにでも神社があるので神主が天皇の存在を教えていただろう。
いません。神社と天皇が結びついたのはそれほど昔ではない。

191: 日本@名無史さん 2006/06/17(土) 18:03:31
>>190
前者は、読み書きを教わる中で、昔の天皇の和歌ぐらい知るんじゃないかな?

後者は、神社と天皇の結び付きが強くても、わざわざ教える必要はあるのかね?

195: 日本@名無史さん 2006/06/17(土) 20:43:09
>>190
“延喜式”で天皇が神道全般に祭司権を握ったのは仏教伝来後だが古くから。(また逆本地の神が本地との考えの期間は長い)
天皇祭祀の一部を任された神祇伯白川王家は臣籍降下後も王家を名乗る事を許されたくらい深い関係。(神祇伯白川家は花山天皇の孫が臣籍降下した花山源氏) 
そして神祇伯は神祇官の長官です。吉田家も歴代神祇大副の家柄で、戦国乱世の間に「神祇官長上」を名乗って神祇官のトップを自認していたわけで、いずれにしても天皇制の政治組織(朝廷)の官職として、その権限において神祇行政を司っていたわけです。

さらに中世前期から古代には天皇が神道を司っていたことは明白な事実で、近年になって神道を司る事に成り、それまでは軽く見ていたと言うのは何を根拠にしているのでしょうか?

174: 日本@名無史さん 2006/06/17(土) 14:01:14
天皇は暦を出してないよw
制定権は幕府にあったんだよ

177: 日本@名無史さん 2006/06/17(土) 14:11:11
>>174
それは江戸時代の一時期以降の話し。
それに幕府天文方が公認権を握っていても朝廷も出していた。
暦ってのは一つでは無い。
さらに一般にはお札と一緒に配られた伊勢暦が一番、浸透していた。

247: 日本@名無史さん 2006/06/25(日) 22:58:34
家、代々、農家(地方)だけど神社の祭りに集落で寄進した時の台帳にと捧げられた祝詞を観たら応神天皇の名が書かれていた。
たぶん祭りの神楽なんかでも出てきたと思う。
当時の即位している天皇を詳しく知ってるかは分からないけど、「天皇を感じ」てはいた。

248: 日本@名無史さん 2006/06/25(日) 23:46:29
だいたい、どこの神社にも天皇関連の由来を書いているので識字階級なら
知っていただろう。

上流階級なら天皇家と関係づける家系図もあっただろうし。

251: 日本@名無史さん 2006/06/26(月) 00:22:30
>>248
>上層階級なら天皇家と関係づける家系図もあったろうし

上層でなく、漂流の技能民たちが自らの出自を貴種に求めるべく
天皇家と関係づける家系をもった事実もある。

249: 日本@名無史さん 2006/06/25(日) 23:47:08
突っ込むと、応神天皇を知っていても将軍とどちらが偉いか、将軍と天皇の違いを知っていたかはそれからは全くわからない

265: 日本@名無史さん 2006/07/04(火) 10:56:10
江戸時代だけとっても時期により庶民の認識には差があるんじゃないのかなぁ。

引用元: ・昔の人って天皇のこと知ってたんですか
江戸時代の天皇 (天皇の歴史)
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