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1: 無名武将@お腹せっぷく 2008/02/12(火) 01:06:51
兵法や、それを応用した戦いについてのスレが無いから立てた。
何でもいいから、兵法とか有名な戦いについて考察しようぜ!








3: ひょーりみ ◆7rAzqBFcf. 2008/02/12(火) 01:36:58
山上に布陣する

敵軍が山を登ってくる

逆落とし

勝利

12: 無名武将@お腹せっぷく 2008/02/12(火) 23:53:39
>>3
生兵法

5: 無名武将@お腹せっぷく 2008/02/12(火) 05:58:13
現代人が読んだ六韜のつまらなさは異常

17: 無名武将@お腹せっぷく 2008/02/13(水) 08:57:00
いくら兵法覚えても、やっぱり経験が一番ものを言うんだろうな。
馬謖や趙括が良い例だ。
実際の地形や戦況に、どう兵法を応用するか。

兵法に溺れた大敗って、街亭や長平以外に何がある?
関ヶ原も入るかな。

19: Jominian ◆Henri9gNlM 2008/02/13(水) 23:23:06
>>17
経験は非常に重要なんだけど、誰しもが指揮官としての経験を積む事ができるわけじゃないから、
それの代用として戦史の研究や図上演習などを行う事が重要になってくるんだろうね。
馬謖や趙括が戦史に通暁していたかは、自分には分からないけど。

25: 無名武将@お腹せっぷく 2008/02/14(木) 10:49:37
孫子が実際役に立つ面ってあんまないと思う
まあ戦争に対する考え方や理論はその通りだけど

27: kogindama 2008/02/14(木) 15:19:07
孫子もええが管子もええ。
あまり兵法書という感じではないけど。

47: 無名武将@お腹せっぷく 2008/02/28(木) 15:59:15
俺は兵法家じゃなく兵法ファンだから語っていいか?

スレタイに孫子ってあるから、孫武の話でもしよう
紀南城と郢城の水攻が有名だな

この水攻、水位が上がり始めて城が水浸しになったら
敵の民衆も兵も、皆逃げてしまって勝利を収めることになる
しかし、兵糧は宮殿に大量に確保した上で
筏作って連絡とって城壁上で戦闘したらまだいけると思うんだが
パニクって諦めてるのかな?

48: kogindama 2008/02/28(木) 17:51:16
もしおれが城を守っている兵士だったら
そんな状況下で戦いたくない

51: 無名武将@お腹せっぷく 2008/02/28(木) 20:05:13
あまり意味無い
それよりこっちのが参考になる

ttp://www.bitchu.jp/muneharu/mizuzeme/chikutei.html
>城を孤城にする事により、精神的な圧力と、戦意の喪失
>兵糧と救援を絶つのが狙いだったのでしょう。

高松城のやつね
こっちは兵は逃げてないようだが

救援は来てるので「強力な兵糧攻め」という感じだな

52: 無名武将@お腹せっぷく 2008/02/28(木) 20:11:27
あと、そのHPで面白いのが

>秀吉は生涯何度か水攻めを行っていますが、成功したのは高松の戦いだけです。

水攻め成功させるのは難しいんだな
失敗談にも凄く関心あるんだけど、あまり目にしないね
この人はどこでそんな話を見たんだろう

53: kogindama 2008/02/28(木) 20:15:03
いや、別に↑は参考にならんでしょ。

城の防衛は対策もそうだが、士気次第と思うがな。

で、自分を守備兵に置き換えてダメだと思ったら
落ちるだろうし、イケルと思ったらもつだろうな。

おれは墨子が守る城だったらかろうじて踏ん張るかもしれないが
それ以外なら逃げるな。

要は水攻めだろうがなんだろうが城を守る将次第じゃないだろうか。

水攻めくらっても趙襄子は何とか守りきったしな。

54: kogindama 2008/02/28(木) 20:18:52
秀吉の直接指揮ではないが忍城は失敗してる。

55: kogindama 2008/02/28(木) 20:22:47
同じ水攻めでも日本と中華では城というものの構成が違うから
単純比較はしないほうがいい

と、今思った。

56: 無名武将@お腹せっぷく 2008/02/28(木) 20:35:01
お、趙襄子の話いいな
サンクス

置き換えは普通にやるけど、それだけじゃなあ
防衛成否←士気←将軍って依存関係もよくわかる話だけど
援軍の有無や兵糧だって士気に影響するものじゃないか

58: kogindama 2008/02/28(木) 20:42:14
援軍の有無や兵糧が士気に影響するしないは確かにそうだな。

ただ、孫武の紀南城水攻めは楚の援軍や兵糧がどうのより
ごししょの存在が相当でかかったと思う。

59: 無名武将@お腹せっぷく 2008/02/28(木) 20:58:53
伍子胥は意識されてたな

紀南城はともかく、郢城には大量に兵糧があったらしいので、不思議に思ってた
楚の守備兵数や他の城にいた兵の数もわからないのでなんともだが

士気を考えるなら、漢水での戦いを始め、楚は連敗してた方が大きいようには思われる
復讐者伍子胥の存在はもちろん、名将伍子胥としての存在がでかい、なら

61: 無名武将@お腹せっぷく 2008/02/28(木) 21:35:02
より詳細な紀南城と郢城の水攻について

紀南城:郢城の北西にある出城、場所は低い
水攻をされて「一面の海に浮かんだ小島」
翌日には「半ば水に没する」と描写されている
呉兵は筏を操って城に攻めかかるが、武器を振るうまでもなく水嵩が増し
城兵は溺れ死に、逃げ散ったとされる

郢城:紀南城より標高は高い
紀南城を埋めた水で「周辺ともども水浸しになった」と描写される
呉は城を包囲し切らず、東門に退路を作っておいたところ
始めに城民、次に兵、紛れて将軍高官、昭王までもが城を脱出したとされる

62: kogindama 2008/02/28(木) 21:38:26
無理をいうが標高差ではなく河との比高差が知りたい

65: 無名武将@お腹せっぷく 2008/02/28(木) 22:04:36
>>62
河との比高差・・

赤湖(水源)
漳水(水を引いた河)
虎牙山(溝を作った山)
魯洑江(城近くにある大きな河)

らしいので、このへんの地名から検索して、地図見てみて
現代でも同じ形してれば・・w

66: kogindama 2008/02/28(木) 22:11:49
>>65
サンクスコ

標高が高いところを流れている河は必然的に河が位置している標高も高いからな

ちょっと気になった

63: 無名武将@お腹せっぷく 2008/02/28(木) 21:57:43
>>47
>筏作って連絡とって城壁上で戦闘したらまだいけると思うんだが

と自分で言ったものの
それまでの連戦連敗、伍子胥への恐怖、二つとも出城は陥された
もう名将もいない、王は6歳の子供、敵はとんでもないこと(水攻)考える
東門からは逃げられる、だから逃げろ、という流れで納得できそう
キーは「士気」でした
首都を攻められるまでには、様々な経過があり、それを見ないでは
理解できまいというところでしょうか

お付き合い下さったkogindama氏に感謝

64: kogindama 2008/02/28(木) 22:01:46
士気の大事さに気づいたら、孫子ではなく呉子を嫁

67: 無名武将@お腹せっぷく 2008/02/28(木) 22:12:19
>>64
和・士気の重要性を説いたとは聞いてるけど
いくらなんでも精鋭千に、祖鈍の兵五万を率い
秦五十万を破ったって、無茶でしょ
孫氏より全然荒唐無稽なような

読みたいリストには入ってるよ、呉子

68: kogindama 2008/02/28(木) 22:16:56
呉子の率いる兵はかなーり士気が高かったようだから

死を厭わなかったようだ

70: 無名武将@お腹せっぷく 2008/02/28(木) 22:24:13
一兵敢死、万軍該退

敢死の近衛兵を盲信した宋の襄公は笑い者だが
呉起は誇張があるだろうとはいえ実現したということだろうか

71: kogindama 2008/02/28(木) 22:32:04
さあ、おれにはよくわからんが
呉起は戦争屋でジョウコウはそうではなかったってことじゃまいか?

72: 無名武将@お腹せっぷく 2008/02/28(木) 22:44:52
そうだねw

あ、それでお伺いしたいんだが

孫武が漢水を挟んでの楚との戦いで
偽りの退却を見せて河を渡らせたところを伏兵おいて破ったり
捕虜を使って、敵別働隊を詭計にかけたりしたって話は
聞いたこと有る?
また、何に書いてあるかわかる?

俺は今日の話全部安能務氏の春秋戦国志が元で、この孫武の話もそうなんだけど
ググってもwikiでもこうまで詳しい話が出てこないもので
逆に范蠡の決死隊なんかはすぐ出てくる

安能氏の創作なのかな?

73: kogindama 2008/02/28(木) 22:47:13
パッと出てこんが

ふつーは、春秋か史記じゃまいか?

79: 無名武将@お腹せっぷく 2008/02/29(金) 20:11:55
http://www.geocities.jp/sei_taikou/index.html

ここで史記の和訳をうpしてくれてた

孫武の漢水の戦いに関係ありそうな
呉太伯世家、孫子呉子列伝、伍子胥列伝あたりを読んでみたんだけど
漢水の戦いでは弟の夫概が果敢に攻め込んだことで勝ったことになってるw
探し足らないかもしれないけど、史記にはないような感じ

春秋かね

83: 無名武将@お腹せっぷく 2008/02/29(金) 21:34:43
すぐには見つからなそう
孫武の漢水の戦いの典拠がわかれば、今度はそれネタに話しようと思ってるのに

関係ないけど中国古典うpしてくれてるHPたくさんあるんだね
http://www.h3.dion.ne.jp/~china/book24.html
※リンク切れ

>斉威王が用兵について孫臏に問うて
>「彼我の兵力は同じで、たがいに対峙して守りを固めて、手が出せない状況になった時、どうやって局面を打開するか」と言った。
>孫臏は答えて言った「身軽な兵を繰り出し、指揮官には身分の低くて勇敢な男を当て
>あらかじめ敗走するよう言い含めておきます。
>そして伏兵をして敵の側面を衝きます。これがいわゆる『大得』というものです」

ここで孫臏が「大得」と称しているのは、日本の戦国時代、島津がお家芸とした戦法と似ています
この戦法は島津家では何と呼ばれていたでしょうか

85: kogindama 2008/02/29(金) 21:39:40
つりのぶせじゃなかったか。

要は佯敗だな。


99: 無名武将@お腹せっぷく 2008/03/02(日) 12:23:30
東周列国志≒三国志演義
安能務≒吉川英治

であれば
「赤壁で霧の出た早朝に船を出し、敵に射掛けさせて十万本の矢を確保したのは孔
明先生の策略」レベルの情報だということです(正史では孫権軍とのこと)
史記も呉越春秋でも漢水の戦いでの活躍が記載されているのは、呉王闔閭の弟夫概
の急襲一つであり、孫武も伍子胥も活躍は記載されていません
孫武も兵法の祖ということで、孔明並に補正が入ってる可能性があります

それは踏まえた上で、兵法ファンが話すネタとしてある程度まで機能してくれる密
度は備えていますので、以下で安能版、漢水の戦いを検討してみたいと思います
(よく読んでみれば、孫武以上に伍子胥大活躍です)

これネタにお話しましょう

100: 無名武将@お腹せっぷく 2008/03/02(日) 12:24:43
背景
孫武・伍子胥指導の下、富国強兵策を推進していた呉は
楚の属国、徐と鐘吾を滅ぼし、楚の城を奪い、遠征の準備を整えていた
一方、楚の幼君を擁し政権を専断した宰相の子常は
属国諸国を脅し、金品を巻き上げていた
子常に恨みを抱いていた属国蔡と唐が、勢いを増す呉に寝返ったところ
機、熟したとみた呉は、蔡と唐に共同軍を要請した上で、闔閭自ら親征する
子常は寝返った蔡を討つため、蔡の首都を包囲した
唐は蔡救援の機を伺い、共同軍に加われないでいた

一方呉の南、越国は范蠡、文種らの下、着々と力を蓄えていた
秦は哀公の下、大国として平和裡に治められていた

101: 無名武将@お腹せっぷく 2008/03/02(日) 12:25:39
戦力比較

呉 遠征軍
呉王闔閭
夫概(前鋒、史記・呉越春秋では大活躍)
伍子胥(左軍)孫武(中軍)屈毅(右軍)
子山(後軍)
兵車八百乗、兵六万

楚 
蔡首都攻撃軍/本隊
子常(悪い大臣)子皇(副将)
兵車五百乗、兵二万

援軍1
沈尹戍(楚随一の勇将)武城黒(副将)
兵車二百乗、兵一万五千

援軍2
エン(草カンムリ遠)射(前軍)
エン(同)延(後軍)
兵車二百乗、兵一万

102: 無名武将@お腹せっぷく 2008/03/02(日) 12:26:12

同盟軍

将軍、兵数共に不明
楚の城攻動員兵数二万で「小国相手に必要以上の大軍を」と
評されているため、一万に届かないと思われる
半数が呉に従い共同戦に参加したとしても五千未満が妥当か


同様に不明
同程度と見て五千未満


合計
対楚連合軍:七万弱/楚:四万五千(首都郢城の防衛戦力は不明)

103: 無名武将@お腹せっぷく 2008/03/02(日) 12:26:54
漢水の戦いに至るまで

A)呉は長江を上り楚の首都郢へ行こうとしていたが
蔡が自力で包囲を突破するのは絶望的
(伍子胥「真っ直ぐ楚の首都に向かえば、蔡を包囲していた楚軍が動き、背後を突

かれる可能性あり」)
(孫武「各個撃破の好機/蔡→楚も悪いルートではない」)
呉は予定を変更し、蔡救援に准水※1を上る

104: 無名武将@お腹せっぷく 2008/03/02(日) 12:27:20
B)蔡の都に到達すると、子常は呉の大軍を怖れ、逃げ去った
一方で到着した唐軍が共同戦に加わった
蔡、唐は呉軍を労おうとするが
(孫武「子常の包囲は偽装で、真の目的は呉軍を背後から攪乱することかもしれな

い、急ぎ楚軍を追うべき」)
蔡、唐両軍を編入し、東に向かった楚軍を追う

B2)楚軍を追うには水路を諦める必要があったので
船は淮汭(ワイゼイ)※2に停留させた

105: 無名武将@お腹せっぷく 2008/03/02(日) 12:28:02
そして予章※3から、漢水※4を渡り、その南岸に布陣する
(孫武は楚軍の意図を掴みかねる)
(楚人伍子胥は、臆病かつ卑劣な子常の人為を知っており、怖気づいてああ動いた
/今は援軍を待っているのでは?と指摘)
連合軍は川を渡る船もないので、漢水の北岸に布陣し、ひとまず出方を伺う

106: 無名武将@お腹せっぷく 2008/03/02(日) 12:28:41
漢水の戦い

D)十日後、援軍の沈尹戍が来る
沈尹戍は敵の船を焼き払い、その後連合軍の背後を討とうと
別働隊一万を率いて淮汭(ワイゼイ)に向かう
(連合軍:兵車八百乗、兵七万弱)
(楚:兵車五百乗、兵二万五千+別働隊兵車二百乗、兵一万)

107: 無名武将@お腹せっぷく 2008/03/02(日) 12:29:06
E)呉の哨兵が楚の別働隊の動きを掴む
(呉王闔閭・将軍夫概「不利、座視すれば船を失う/背後を突かれる/今船が無く

漢水も渡れない」)
(孫武「今追えば、楚本隊に背後を撃たれる上に、挟撃の危険もある
しかし敵別働隊が引き返せなくなったのを見定めた上で、偽装退却を行えば
敵は追撃のため河を渡る。そうすれば水際で掃討でき、敵船で漢水も渡れる」)

108: 無名武将@お腹せっぷく 2008/03/02(日) 12:29:33
F)三日後、連合軍は突如撤退する
楚本隊は追撃のため川を渡る
そこに潜伏していた左軍右軍が奇襲をかけ、水際で壊滅させた
副将史皇・武城黒は死に、子常は大別山※5を目指し逃走する
連合軍はあえて追撃はせず、急いで敵船で南岸に渡る
(伍子胥「彼の逃走路の予想がつくので後を追う」)
(連合軍:兵車八百乗、兵七万弱)
(楚:別働隊兵車二百乗、兵一万)

109: 無名武将@お腹せっぷく 2008/03/02(日) 12:30:16
漢水の戦いその2(渡し場の戦い)

G)伍子胥は大別山と小別山※6の間の渡し場に向かったところ
渡河中だった楚軍から子常は逃げ出し、鄭国まで落ち延びた
まだ北岸にいた楚兵一万は逃げ散り、南岸に渡った一万は捕虜となった
捕虜は将が伍子胥だと知ると、忠誠を誓った
連合軍は渡し場南岸に到着した
(伍子胥「楚別働隊が帰ってくるはず。自分は左軍と捕虜を使い北岸で楚軍に扮する
また、南岸は楚援軍が来るはずなので、残した捕虜をうまく使え」)
(連合軍:兵車八百乗、兵七万弱+捕虜一万)
(楚:別働隊兵車二百乗、兵一万)

110: 無名武将@お腹せっぷく 2008/03/02(日) 12:30:39
H)伍子胥は小別山麓に布陣し※7、楚軍に扮する
漢水の戦いから二日後、別働隊は状況変化に迷うも
(対峙していた場所も北岸南岸も変わっている)
楚の陣地だと確認した上で接近、伍子胥はそこを突き、将軍沈尹戍を倒す
楚別働隊は退却しようとするも、捕虜達が投降を呼びかけ
さらに一万の兵が捕虜となる
伍子胥は左軍と捕虜を南岸に移した
(連合軍:兵車八百乗、兵七万弱+捕虜二万)
(楚:参加兵全滅)

111: 無名武将@お腹せっぷく 2008/03/02(日) 12:31:10
I)翌日楚の援軍エン射(前軍)が来たが、味方の戦況報告が絶えていたことで
すぐには陣地に接近せず、警戒していた
だが、接近を躊躇した場所には伏兵がおり
奇襲を仕掛けられ、連合軍に包囲され、壊滅させられた

I2)援軍の後軍エン延は前軍の壊滅を知り、引き返した


最終結果
(連合軍:兵車八百乗、兵七万弱+捕虜二万)
(楚:援軍2 兵車百乗、兵五千人)

112: 無名武将@お腹せっぷく 2008/03/02(日) 12:31:40
漢水の戦い後

連合軍は申包胥※8の守る出城、麦城を騙し取り
紀南城、首都郢城を水攻し、楚を壊滅させる
申包胥は騙された自分のせいで楚は滅びたと打ちひしがれ
秦の宮廷で三日三晩泣き続け、ついに援軍を了承させる
一方夫概は、闔閭が楚にいる隙に「王は戦死した」と偽り
越国の支持を取り付け、呉の都で王位に就く
闔閭は楚を捨てて急ぎ呉に帰還し、逆に夫概は楚に亡命した
秦の協力により楚は再建された

113: 無名武将@お腹せっぷく 2008/03/02(日) 12:32:25
注釈
こちらのHPで「春秋時代地域別地図」を選択し、新しく開いたウィンドウ上部の

「楚呉越」部分をクリックしてください
今回扱っている地域の地図を見ることができます
http://shibakyumei.web.fc2.com/NSS/map/map.html

114: 無名武将@お腹せっぷく 2008/03/02(日) 12:32:53
※1准水 
春秋時代地域別地図(楚呉越)では、スクロールを左上にした画面で下中央やや右
よりに准水と書かれていると思います
呉軍の向かった蔡の都は、准水中流の街、◎州来(蔡3、下蔡)です
ちなみに地理選択者には懐かしい、チンリンホワイ川線のホワイ川が准水です

115: 無名武将@お腹せっぷく 2008/03/02(日) 12:33:13
※2
淮汭(ワイゼイ)
「准水の大きく曲がった処」とされています
蔡の都に行き、陸路で楚軍を追うため船を置いていった場所ですから
地図上でもやはり◎州来(蔡3、下蔡)近辺でしょうね

116: 無名武将@お腹せっぷく 2008/03/02(日) 12:33:38
※3
本文では(安徽省)とありましたので、こちらの地図を載せておきます
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E6%85%B6%E5%B8%82
この地図で西側の省境になっているのが、後に出てくる大別山です
春秋時代地域別地図(楚呉越)でいえば、州来から真っ直ぐ南、○六や●潜など街
が集まっているあたりが、楚・呉の通ったルートになったのだろうと思われます

117: 無名武将@お腹せっぷく 2008/03/02(日) 12:34:14
※4
漢水
春秋時代地域別地図(楚呉越)、スクロールを左上にした画面に戻していただいて
左下に書かれているのが漢水です
実際に戦場になったのは、もう少し下流に行った、江水(長江です)と合流する近
辺で、今では武漢の街の近くだそうです

118: 無名武将@お腹せっぷく 2008/03/02(日) 12:36:08
※5大別山
※3を参照

119: 無名武将@お腹せっぷく 2008/03/02(日) 12:36:59
※6
小別山
「大別山と小別山の間の渡し場」が凄く重要な場所なのですが
特定できませんでした

120: 無名武将@お腹せっぷく 2008/03/02(日) 12:37:47
no title

121: 無名武将@お腹せっぷく 2008/03/02(日) 12:39:08
no title

122: 無名武将@お腹せっぷく 2008/03/02(日) 12:40:01

※8
申包胥
かつて伍子胥が楚王に親兄弟を殺され、国外逃亡を図ろうとした際
発見しながらも見逃してくれた友人
友誼に厚く、楚を愛する将軍で、伍子胥のことをいづれは楚に帰ってくる人だと思っていた
その点を突かれ麦城を奪われた

123: 無名武将@お腹せっぷく 2008/03/02(日) 12:41:38
<疑問点>

C)で楚軍は漢水を渡っていますが、船はどうやって調達したのでしょう?
一応、漢水近辺は楚の領内で、川沿いの街から徴収した、くらいに思っていますが
ちょっと足を伸ばせば、呉も徴収できるのではないかな・・?
敵の出方を伺ってるなら、その間に調達させる手はなかったものでしょうか

124: 無名武将@お腹せっぷく 2008/03/02(日) 12:43:08
E)で闔閭やその子が焦っていますが、船焼かれてまずいのはどの点でしょう?
金銭面→敵城陥落でお釣がくる
補給→孫武先生は弁当はしっかり持ち、その上極力現地調達主義なので大丈夫
拿捕→淮水ルート確保→蔡攻撃や呉首都攻撃は困るけど
そんな遠まわしな心配より、挟撃される方が実際怖いと思います
わかりませんですた

125: 無名武将@お腹せっぷく 2008/03/02(日) 12:44:26
E)偽装退却
疑問というか、偽装の口実考えるのが面白かったです
何が一番相手を信じさせ得るでしょう?
・闔閭病死/急死につき
・都城で太子の造反起こった
・占い師から凶兆の卦が出た
・天変:流星落つ/日食月食/季節外れの風雪雹

ダメ例
・船探しに動いた→一部でできるので、全軍動くと怪しい
・別働隊追撃に行った→今更反応ですか?遅いぞ、何かあるな

126: 無名武将@お腹せっぷく 2008/03/02(日) 12:45:02
F)の伏兵
数千~万単位の兵が隠れられて
かつ川べりってどんな地形なんだろう
これは自分が無知
一回見てみたい

127: 無名武将@お腹せっぷく 2008/03/02(日) 12:45:54
<考察>
楚が負けた側なので「楚がどうすれば勝てるか?」を考えてみる
以下ではそれぞれの時点での代案を考えてみた

A)B)C)の時点
補給寸断策
現地調達をもって最善となす孫武相手に
曹操の官渡の戦いのように補給路寸断策は取れない
すると、そもそも食料収奪を不可能にする焦土作戦をとるしかない
焦れば手持ちの食料で勝負できる期間、首都城攻めをやるだろう
見越して伏兵を仕掛けておき、挟撃する

128: 無名武将@お腹せっぷく 2008/03/02(日) 12:46:27
G)の時点
外交・逆王手策
子常は渡し場から楚に帰ろうとしたりせず、敗残兵を率い淮汭の別働隊と合流
淮汭の船を拿捕し、呉首都に急行
(できれば蔡とか川沿の町の船は破壊して、呉の水路追跡の邪魔をしておく)
越と共同で呉の首都を逆に攻略する

越には金品を惜しまず、さらには呉首都を与える約束をしてもよい
楚・越側の勝算高しということが伝わった段階で
呉本隊が引き返してくるだろうから、空手形になる可能性は高い上
攻略できても楚本土から遠く、飛び地になり維持が困難だから

呉に対してこれは奇襲になる
A状況の繰り返しではないか?と思われるが、越の参加が違う
呉は越を抑えてからでないと出征できなくなるからだ
時間を稼いでいる隙に、蔡や曹を再び属国に引き入れ
沈尹戍将軍を使って奪われた城を取り返すことだ

ただ、戦争始まってから越と同盟じゃ遅いし
(=范蠡あたりに足元見られて、逆に闔閭に売りつけられる可能性すらある)
呉の首都防衛兵力・越の戦力共に明確ではないので未知数
そこで、A)以前からの策が次

129: 無名武将@お腹せっぷく 2008/03/02(日) 12:46:53
反乱鼓舞策
野心家夫概を前もって焚きつけておく(遠征に参加せず、急病等で首都に残れ)
楚・越の後ろ盾を得させ、闔閭親征の隙を狙って独立せしめる
外交・逆王手と組み合わせる

130: 無名武将@お腹せっぷく 2008/03/02(日) 12:47:42
首都水攻をされる直前、麦城を騙し取られる前
王暗殺策
一発逆転
伍子胥の友達申包胥に寝返りさせて、闔閭に謁見させて暗殺
確実性=王の信頼を増すために、兵もいっしょに寝返りしておくか
伍子胥を見逃したことから、口添えしてもらう

もっとも性格的に凄く向いてない上
伍子胥が楚に寝返ると思って、麦城を騙し取られたくらいなので
実行は不可能に近い

131: 無名武将@お腹せっぷく 2008/03/02(日) 12:54:03
以上です

詳細な状況に関するご質問
状況への疑問点
代案
私の出した代案へのご意見など
お話できると嬉しいです

133: kogindama 2008/03/02(日) 14:05:31
せめて地形図がないとちょっと語れないな。

135: 無名武将@お腹せっぷく 2008/03/02(日) 20:16:19
あと、別働隊の地形別の移動速度とか概算できないと
なんで孫武が偽装退却まで三日待ったかとかわかんないね

136: kogindama 2008/03/02(日) 20:20:27
史書とか読んでいて思うのは地名だけではイメージできない。
やっぱり地形図ないと㍉

そりゃ、山があって川があるのはわかるが、
何も書かれていないところは全くの平坦ではないだろうからな。

137: kogindama 2008/03/02(日) 20:26:25
でも、細部にこだわるなら当時の地形図じゃないとだめだな。
大きいものだと、今と昔じゃ河水の流路が違うからな。

となると、細かい検証は㍉

138: 無名武将@お腹せっぷく 2008/03/02(日) 22:20:10
そうそう、「春秋時代地域別地図」と
現代の地図帳で、河水の太さとか流路とか微妙に違うのよ確かに
そのレベルでの検証は確かに無理


143: kogindama 2008/03/02(日) 23:06:53
ところで楚が勝つ方法は特にないと思う。
戦争する時点で負け。

144: 無名武将@お腹せっぷく 2008/03/02(日) 23:16:14
補給寸断策は?

145: kogindama 2008/03/05(水) 20:38:52
焦土作戦して呉軍が撤退したらどうすんだ?

146: 無名武将@お腹せっぷく 2008/03/08(土) 21:11:33
撤退したら・・勝ちではないのかな?

150: kogindama ◆KSKTSa.ZXk 2008/03/15(土) 13:51:13
ハヤキコトカゼノゴトク

これを曹操たんは

兵は神速をたつとぶ

と解したらしいが、問題はどないして兵を神速にするか

ふつーに畑を耕してる20~30代の男子を

どうやって神速にするか

こういう実際の問題を解決する術があってこその孫子だろうな

152: Jominian ◆Henri9gNlM 2008/03/16(日) 02:03:56
革命後のフランス軍では、その歩度を、当時一般的に行われていた1分間70歩から、
1分間120歩に変更して機動力を向上させたという事もある。
ただ、簡単に落伍するような兵では、いくら歩度を上げたとて効果は無いから、
結局は訓練を積ませるしかないように思える。

自国内における機動力の向上という事であれば、道路などの交通線の整備も重要だな。
古代ローマの各街道や、プロイセンの鉄道整備などは効果を挙げているし。

224: 無名武将@お腹せっぷく 2008/03/17(月) 19:59:09
ある時、『孫子』十三篇を耽読した呉王・闔閭によって招かれた。
「わしの側室である女性達で軍隊を編成してみよ」との命を受け、
孫武は王の愛妾二人を隊長に部隊を編成した。
だが、女性達は孫武の命令を一向に聞かない。
しかし孫武は「これは私が彼女らに取り決めの意味を理解させるに至らなかったので、
指揮者の私の落度であり私の責任だ」と言って、その指示法を何度も繰り返して説いた。
だが女性達は相変わらず、孫武を馬鹿にして笑い転げてばかりだった。
ついに孫武は怒り出して「黙れ!」と一喝し「私は編成の調練法を何度も繰り返し説いて、
再三申し渡したのだ。先程は私の落度だが、
今度はそれを実行しないその隊長の責任である!」と言い隊長である二人の愛妾を斬ろうとした。
闔廬は慌てて「わしの落度だ。わしに免じて彼女らを許してやってくれんか?」と止めようとした。
だが孫武は「将軍たるもの一度命令を受ければ、
軍中にあっては仮(たと)え、君主の命令といえども従えない事があると申しまする!」と言って、
その隊長格である愛妾の二人を斬った。
残った女性達は孫武に恐れをなし、今度は命令に忠実に従うようになった。
闔廬は不興であったが、素直に孫武の軍事の才を認め、正規の将軍に任じた。
その後の呉の隆盛は孫武の働きによるところが大きかった。

244: 無名武将@お腹せっぷく 2008/03/19(水) 22:50:25
春秋初期の祭仲もなかなかの策士なんだ(例によって元ネタは春秋戦国志)
北戎討伐のため太子忽に授けた戦法は
陥空城の計あり、追撃の伏兵の妙ありで面白い

245: kogindama ◆KSKTSa.ZXk 2008/03/19(水) 22:54:35
あれ?どこの誰だっけ?

太子ってことは周か?

247: 無名武将@お腹せっぷく 2008/03/19(水) 23:05:24
>>245
おひさしゅう
太子忽は鄭の太子だよ

246: 無名武将@お腹せっぷく 2008/03/19(水) 23:04:25
北戎は山賊や盗賊みたいなセンスだから
斉とか鄭のように、城を攻め取って統治しようなどとは考えない
城を攻め取ったら金品奪って美食に美酒に美女でウハウハ言ってれば幸せな連中
こういうやつらが一城取って「漢人(その概念もっと後世だけど)弱えー」とナメてかかってる

そこを突いて
1.少し戦って逃げ、より大きな城を見せる(連中にはもっと大きなケーキに見える)
2.戦う前に、城から軍勢を逃がし、逃亡したかのように見せかける(ナメてるから信じやすい)
3.城民代表が「もう兵いません。金品出しますんで、穏便にヨロシク」と言って城に引き入れる(引き入れ「られ」る)
4.敵兵が入ったら表から閂をかけて、城壁に潜ませていた弓兵で射殺す

戦国策に「之を敗らんと欲せば、必ず暫く之を助けよ」とあるんだけど
それを地で行く計

248: 無名武将@お腹せっぷく 2008/03/19(水) 23:09:31
この陥空城の計には続きがあって
ある程度弓兵攻撃を行った後、敵が死中に活を求める決断をする前に
城門を空け、逃げ道を用意してやるんだ
ちょっともったいないことするな、と思ったんだが
こちらの損害を少なくし、勝敗をゆるがせない固い戦法なんだと解釈してる

勝利を固めるのが、次の追撃の伏兵

250: 無名武将@お腹せっぷく 2008/03/19(水) 23:16:15
人間喰わねば腹が減る
士気は落ちる、動くのも嫌になる、終いには死ぬ
何より、水がなければ3日で人間干上がる

それを前提として、体感として理解した上で
(俺とか実はピンと来てないw コンビニいけば飯が食え、水道ひねれば水がある世界から出たことが無いから)
水食糧のあるルートを割り出し、それぞれに伏兵を置いておく
本当三国志演義の赤壁の追撃戦みたいな感じ

損害少なく、敵にもっとも打撃を与え得る戦法の一つが伏兵による奇襲の成功だから
それを連続させることで、敵兵を大幅に損耗させていくことができる
「士気」低い敵なんか逃げることばかり考えるんだし

国境沿いに至ったところで、完全に弱らせた敵と最終決戦、殲滅

252: kogindama ◆KSKTSa.ZXk 2008/03/19(水) 23:20:36
たぶん目的次第だな。

殲滅させたいのか、
追い払いたいのか

それによって、どこまでヤるのかが決まるんだろうな

253: 無名武将@お腹せっぷく 2008/03/19(水) 23:22:19
そだな
敵が北戎だから、害虫駆除みたいなセンスでやってたんだと思う
春秋の鄭vs宋とかだと、ここまでやんないもんね

254: 無名武将@お腹せっぷく 2008/03/19(水) 23:27:06
反対に陥空城の計を逆手にとって生き延びたのが
徳川家康だっけな

例によって陥空城の計や追撃の伏兵の失敗エピソード等ご存知だと
教えてくれると嬉しいです

255: kogindama ◆KSKTSa.ZXk 2008/03/19(水) 23:35:59
追撃の伏兵の失敗エピソードって何を指しているかわからんが

たしか越のおっさんは調子に乗って追いかけたら山で恥かかされたんじゃなかったか

256: 無名武将@お腹せっぷく 2008/03/19(水) 23:44:01
呉王闔閭じゃなくて、越王勾践? どんなんだっけ?

いやあ、いると思うのよ、策に溺れた策士が
伏兵出したはいいけど、見抜かれて伏兵の方がやられたみたいなw
陥空城の計とか失敗したら派手だろうと思うし

257: kogindama ◆KSKTSa.ZXk 2008/03/19(水) 23:47:02
伏兵に気がついたら、伏兵をやっつけるより、
放置するか、大きく迂回して本陣攻めるか、が多い希ガス

258: 無名武将@お腹せっぷく 2008/03/19(水) 23:54:29
ふむ。遊兵化しちゃうわけか
まあ伏兵看破すれば各個撃破の対象にもなるから
どっち選ぶかは状況次第だあな

陥空城計の看破の後、放置策を採るのは安全牌なんだけど
逆手にとれれば被害少なく城取れて凄いんだけどなあ


引用元: ・【孫子】お前ら、兵法は勉強してるよな?【六韜】

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