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1: 日本@名無史さん 2005/12/02(金) 20:38:52
ほんとにお代官様と癒着してたんですか?







4: 日本@名無史さん 2005/12/02(金) 23:34:03
三越が三井越後屋だと知っている人はあまりいない

8: 日本@名無史さん 2005/12/03(土) 01:21:03
幕末期には幕府にも官軍にも資金援助していた。

12: 日本@名無史さん 2005/12/03(土) 02:01:27
>>8
資金援助って金貸しだろ。

9: 日本@名無史さん 2005/12/03(土) 01:41:28
どっちが倒れてもいいってことだな。
さすが商売人。こうでなくっちゃ。
24: 日本@名無史さん 2006/01/08(日) 08:44:23
>>1
マジ話、癒着の度合いが一番低いから長い生命力を保ったと
思われ。

武家などの権力と組んだ商人が結局倒れたのを見てきたことと、
自らが紀伊家に散々迷惑を受けた経験から、武家と過度に関わる
なってのが家訓だったみたいだからね。

幕末、朝廷と幕府の両方に献金したなんてのもその現れだろうね。

11: 日本@名無史さん 2005/12/03(土) 02:00:11
越後屋は1673年誕生だっけ

30: 日本@名無史さん 2006/01/08(日) 14:20:32
越後屋つくる前に地元伊勢で金融業を営んでた
江戸に出てきたのはかなり年取ってから 
普通なら隠居する年齢から、息子たちを使って事業拡大

こういうところからしてロスチャイルドに似ている

31: 日本@名無史さん 2006/01/08(日) 23:10:01
三井高利さんだっけ?
三井 高利

三井 高利(みつい たかとし、元和8年(1622年) - 元禄7年5月6日(1694年5月29日))は、江戸時代の商人である。通称は八郎兵衛。三井家(のちの三井財閥)の基礎を築いた。

江戸で釘抜三井家を創業した長兄の三井高次(三郎左衛門)に丁稚奉公し、番頭となる。のちその商才を恐れた兄達に(郷里で母親・三井殊法の面倒を見てほしいという表向きの理由をつけて)事実上放逐され、松坂で金融業を営む。

1673年、長兄高次の死後、母・殊法の許しを得て江戸本町一丁目に呉服店を開業し、屋号を越後屋(のちの三越)とする。それまでの呉服店は、代金は後日の掛け(ツケ)払いで、定価がなく客との交渉での駆け引きで売値を決める方法で、売買単位は1反単位が当たり前、得意先で見本を見せて売る方法が一般的であったのを、現金掛値無し(現金払いでの定価販売)、必要分だけ反物の切り売りし、店前(たなさき)売り(店頭で、現金を持っている人なら誰にでも販売する方法)などの新商法を導入して繁盛する。

なお、高利は江戸に移り住んだのか、松坂から江戸に対して指示を送っていたのかははっきりしていない。江戸の店の実務は主に長男高平らに任せていた。松坂(あるいは江戸)から後に京都に移り住んだ。

店を駿河町に移転後に両替商(三井両替店・現在の三井住友銀行の源流)も開業する。高利は両替店を活用した為替でも才能を発揮し、幕府の御用為替方を引き受けた。1694年に73歳で死去。

32: 日本@名無史さん 2006/01/08(日) 23:21:02
平野屋、淀屋、天王寺屋とかは全滅だね。

淀屋は、岡山にもあって幕末まで続いていたそうだけど。

36: 日本@名無史さん 2006/01/09(月) 14:57:29
明治以降の三井の歴代首脳バイオグラフィー
(三井11家は基本的に君臨すれども統治せずのスタンス)


三井大元方 総轄 「三野村利左衛門」
 
三井両替屋の筆頭番頭・三井銀行頭取など歴任。
外見風貌は豪放磊落な親しみやすい爺さん。その実すごい陰謀家。
小野組を潰したのは多分この爺さんの陰謀。幕府を見限って新政府につくという情勢判断もこの爺さんが主導。
江戸末期から明治にかけて三井が生き残ったのはこの爺さんによるところが大きい

177: 日本@名無史さん 2006/08/24(木) 01:02:18

>>36に事実誤認があったので訂正します。
>>36で「小野組潰したのはこの爺さんの陰謀」としたが、近年の研究によるとここは違うらしい。

明治新政府で為替方に任命されていたのは三井・小野・島田の3豪商だったが、
民間預金のほとんどない時代、彼らは預かった政府資金を投資運用していた。
(例えば小野組は東北の鉱山)。政府も当初事実上これを黙認していた。
ところが1873年、政府が急に官公預金の担保を、預金額の四分の一要求する。
1874年には三分の一に引き上げ、この後さらに全額に引き上げる。
わずか二ヶ月で実施せよという政府命令に、小野組、島田組は破綻。
井上馨からの情報を事前に得ていて、「それに備えていた三井のみが生き残った」
というのが、昔からの定説的解釈だった。

ここを陰謀論的に膨らませて、そもそもこの担保要求自体が
三井家最高顧問だった井上馨に、三野村が働きかけて実施された政策では?
とする見方が従来から根強くあった。自分も三井のそれ以降の行動パターンから見て
概ね、んなところだろうと思ってた。


178: 日本@名無史さん 2006/08/24(木) 01:09:10

しかし近年の研究によると、
「小野や島田の放漫な貸し出しに対して、三井が堅実な貸し出しをしていたので対応できた」
とする従来の解釈は誤りのようで、やはり三井も貸付回収による抵当の増額はできず
オリエンタルバンク(ロス茶系)からの資金借り入れで、まかなった事が明らかにされている。
(石井寛治「体系日本の歴史12」)


179: 日本@名無史さん 2006/08/24(木) 01:15:27

問題の所在を明確にするために、この騒動の背景を簡単に解説しておく

「高校レベル」のおおざっぱな日本史では、こんなイメージだと思う。
当初、大久保利通が明治政府を率い、その下で伊藤博文が補佐していたが、
大久保の暗殺後は、伊藤がその後を受けて全権を掌握したと。

でも、もうちょっと細かく見ると
大久保の下で補佐していたのは、伊藤博文・大隈重信の二人で、
大久保の死後は、むしろ大隈の方が一時的に主導権をとった。
それが明治十四年の政変で失脚し、そこで初めて伊藤博文の独裁体制が確立する。

180: 日本@名無史さん 2006/08/24(木) 01:19:44
大久保利通というのは、一言で言うと「三菱のパトロン」で、
三菱が短期間に一気に巨大化したのは、大久保時代に新政府の御用を独占的に引き受けた為。
ちなみにW・ロストウがなんかの本でこう言ってた。
「世界で最も早いスピードで巨大化したのはロックフェラーではない。三菱だ。」

その意図としては、おそらく大久保の外資に対する警戒感があった。
(ご存知のように三井はロス茶との関係が強い)

大久保の後継者であった伊藤と大隈のうち、三菱との関係は大隈の方が引きつぐ。
反対に、伊藤・井上の三井=ロス茶との関係はそれなりに有名。

181: 日本@名無史さん 2006/08/24(木) 01:25:09
ここからが結論になるが、前記の
政府御用の三つの為替方に対する「担保要求・引き上げ」政策は「大久保全盛期」に実施されている。
だからこれは「三菱を背景とする大久保によって三井が潰されかけた」と見るほうが解釈としては妥当かもしれない。

その後、
オリエンタルバンクからの借金の返済期限が来た三井は、返済に窮し、
抵当として差し出していた三井銀行の株をオリエンタルバンクに譲渡する危機を迎える。
このとき、また三野村が動き、今度は大隈にかけあい、政府から資金を出してもらう。
具体的には
三井物産が政府米の輸出を請け負い、その輸出代金を三井組が流用できる仕掛けを作った。
(今なら完全に非合法)。でもこれで危機は回避。


182: 日本@名無史さん 2006/08/24(木) 01:31:14
三井というよりもロス茶との関係が強かった井上が(彼の三井家顧問就任はロス茶の意向)
三井をロス茶に買わせる意図で、1873、4年の抵当要求政策を主導したと見れないこともないが、
外資に警戒感の強かった大久保の全盛期にそういう政策が取れるとも思えない。
ロス茶の傀儡と当時から見られていた三井を、大久保が潰そうとしたと見るほうが自然に感じる。

また、大久保の部下である大隈が、ロス茶に買われそうに三井を、今度は救ってるのも、
その線で解釈できる。


183: 日本@名無史さん 2006/08/24(木) 01:41:36
外資と官公系の経済団体とのつばぜり合いは、今現在に至るまで続いていて、
日本近代史を眺める上で一番面白いポイントだと思うけど、印象としては
掛けるのはたいてい外資の側で、官公系は守勢に立ってるイメージが強い。
ところが1870年代段階では、政府サイドからかなり強引な「潰し」を
仕掛けてきているのが興味深い。

もうひとつ興味を引くのは、ロス茶べったりと思われがちな三井も
いざロス茶に乗っ取られそうになると、この時点では、慌てて政府に助けを求めてる点。

184: 日本@名無史さん 2006/08/24(木) 01:52:56
でもまあ、この時代の財閥がらみは出てくる資料が少ないから
ホントよくわかんないや。。。
財閥史の最高権威の武田晴人さんですら「よくわからない」「まだはっきりしない」
を連発してるぐらいだから。。。


なお
三野村は、オリエンタルバンクの件を解決した後亡くなるが、
あいだに何人かおいて、その地位を益田孝が継ぐ。

大隈が失脚して、親三井である伊藤博文=井上馨の政権になったあと、
>>38に見られるように、井上=益田のコンビが、こんどは三菱に襲いかかる・・・

ヤレヤレ

37: 日本@名無史さん 2006/01/09(月) 15:07:52
三井元方 専務理事 「中上川彦次郎」

戦後のマスメディアからは一番のお気に入り。
実情は本来金融・商業資本の三井に工業資本を持ち込んで混乱させただけ。
三野村亡き後の混乱状態でのピンチヒッター的存在。次の益田の陰謀によって失脚

38: 日本@名無史さん 2006/01/09(月) 15:18:29

三井管理組 専務理事 → 
三井合名株式会社 理事長 「益田孝」

三井物産初代社長。三野村に輪をかけた陰謀爺さん。
親三菱の大隈が下野したときを狙い、三井家顧問の井上馨を使って危うく三菱を潰しかけた。海運以外の事業を岩崎家の直営に移していた三菱は何とか踏みとどまったが、船会社を取り上げられた弥太郎は怒りのあまり憤死。
長い歴史を持つ財閥にはこの手の陰謀爺さんが多い。三野村は外見は田舎の百姓のようだが益田は外見も絵に描いたような陰謀爺さん。美術品の収集でも有名。
合名会社組織にした初めての理事長でもある

39: 日本@名無史さん 2006/01/09(月) 15:25:33
三井合名会社理事長 「団琢磨」

三井鉱山社長から益田の後継として合名の理事長へ。MIT卒。東大助教授。
益田が三井物産を立ち上げたように、団は三井鉱山を立ち上げたといえる。
エンジニアで至誠の人タイプ。大財閥のトップとしては基本的にエリート人格者タイプと陰謀家タイプがあり団は前者の典型。

暗殺される。

40: 日本@名無史さん 2006/01/09(月) 15:30:05
三井合名会社専務理事 「有賀長文」

団暗殺後、池田が出てくるまでのつなぎ。よって「理事長」でなく「専務理事」
官僚出身。常務理事の福井菊三郎との共同統治。

41: 日本@名無史さん 2006/01/09(月) 19:09:42
団琢磨とか三井は損かぶってるイメージあるな
岩崎家なんてみんな元気なのに

42: 日本@名無史さん 2006/01/09(月) 21:06:00
三井合名会社 筆頭常務理事 「池田成彬」

三井銀行筆頭常務(頭取は三井一族なので実質的な頭取)から合名筆頭常務に。
自身のドル買いにより三井バッシング最盛期の三井指導者。様々な策を打ったことで財界ジャーナリストレベルの評価は高いが、実質殆ど逆効果。
三井の池田、池田の三井といわれ日銀総裁、枢密顧問官等を務めたわりに、三井内部ではたいした評価でなく、トップとはいえ有賀より低い「筆頭常務」の肩書きにとどまる

43: 日本@名無史さん 2006/01/09(月) 21:11:54
三井合名会社 理事長 「南條金雄」

三井物産会長から合名の理事長に。(江戸秀雄氏の著書によると任期の後期でも「南條筆頭常務」と呼んでいるので、正式な理事長でなかったかも。このあたりはもう少し調べを要する)
危機の時代に関わらず決断を欠き、さして評価は高くない。任期も短く次の向井忠晴へのつなぎと見たほうが良い

45: 日本@名無史さん 2006/01/09(月) 21:40:17
江戸英雄も有名だよね

48: 日本@名無史さん 2006/01/10(火) 14:29:46

三井総元方 理事長 「向井忠晴」 

三井物産会長から三井合名筆頭常務理事・さらに合名が改組された総元方の理事長へ。
「人材の三井」といわれるなかでも「三井の頭脳」とされ、歴代の大番頭の中ではおそらく最も傑出した存在。
正式の「理事長」をもらったのは合名以前の三野村を別とすると、益田、団、向井の三人だけ。
江戸英雄談「自分の生涯でこれほど頭の切れる人に出会ったことがない」。
一般に知れている在任中の業績として、財産税で合名が維持できなくなったことで、三井物産が合名本体を吸収合併し、その上に三井総元方という最高意思決定機関を設立。自身が総元方理事長と物産会長を兼任した。
山西事件の責任を取って辞任。戦後貿易庁長官・大蔵大臣を歴任。吉田茂の葬式で友人代表として答辞を読んだことでも知られる。


49: 日本@名無史さん 2006/01/10(火) 20:15:39
「向井忠晴」続き

往年の向井は「その前に出ると物産人は直立不動。よく見ると指先がブルブル震えていた」といわれるようなキャラだったが、晩年はすっかり好々爺に。
ポツリと「自分もずいぶん悪いことをしたから・・・」

同じ陰謀畑の池田の場合、ドル買いで大正不況の原因を作ったり、台湾銀行からコール引き上げて鈴木商店を倒産させたり、香ばしいことを色々やってるが、それらはたいていリアルタイムで叩かれてる。
226事件の裁判で北一輝に金を出してたことが暴露され、当時の(今も?)ジャーナリストが「三井批判を抑えるため」という理由をひねり出し慌てて火消しに回るという始末で、基本的に脇の甘さがあった。

益田や三野村の場合、没後何年もたって証言が出たり状況証拠が出たりして、当時してたことのあらましが浮かび上がる程度。

向井の場合は一番きわどい時期に重責を担っていたのに、何も出てこない。

50: 日本@名無史さん 2006/01/10(火) 20:24:42
「向井忠晴」続き

三井物産から「向井忠晴追想録」が出版されている。(非売品)
政財界の人間が亡くなった時この種の追想録が出版され、友人知人が文章を寄せ、当人を知る上で参考になるが向井本の場合殆ど役に立たない。
向井が98歳で死んだために先輩はもちろん、同僚・友人・知人・部下・後輩までも鬼籍に入り、入社試験で向井に面接を受けたことのある物産の会長みたいな人間の原稿の寄せ集めになってる。
一番謎の多い人物。

51: 日本@名無史さん 2006/01/10(火) 20:31:02

三井本社 常務理事 「小池正彰」&「川島三郎」

向井退任後、軍部からの要請でまたも改組をおこなう。物産と切り離し、三井本社を設立。
社長は合名の時と同様に三井家当主三井八郎右門。その下の二人の常務理事が三井の実質的トップ。
この二人はつなぎ的。

52: 日本@名無史さん 2006/01/10(火) 20:34:26

三井本社 専務理事 「住井辰男」

三井物産社長から三井本社専務理事へ就任。
GHQによる三井財閥の解体に立ち会う。

55: 日本@名無史さん 2006/01/12(木) 11:20:14
三井銀行会長 「佐藤喜一郎」

戦後、持ち株会社が解散されて、中心企業の三井物産も二百数十社に分割される。(これは「旧三井物産社員は三人以上集まって会社を作ることを禁ずる」というGHQの指令。)
その間、三井の司令塔として機能したのが三井銀行で、その会長の佐藤が事実上のグループのトップだった。

佐藤に関してはとかく批判があり、三井グループが三菱に抜かされたのは銀行が弱体だったからという説がいまだに根強くある。(帝国銀行との合併・再分離で体力消耗。)
三池のストなどにもうまく対応できないお公家さん的な三井を象徴する人物。
性格的に自由主義的だったため、グループの結束にも消極的でその意味でも三菱に差を空けられた。

56: 日本@名無史さん 2006/01/12(木) 11:37:32
三井物産会長 「水上達三」

分割されていた物産が1950年代の終わりから60年代初めにかけて、徐々に合併されて大合同に成功する。
またグループの結束を図るために「二木会」が結成され、三井銀行社長、三井物産社長、三井不動産社長の三者が幹事役となることが定例化。(御三家と呼ばれる。不動産が入ってるのは解散された旧三井本社の資産・人材を引きついでいるためプレステージが高かったから)

この時期(70年に会長を退任するまで)三井を率いた精神的なリーダーは物産の水上達三で戦後再び物産をトップに押し上げた功労者。
「二木会」は三菱の「金曜会」のようにトップ「代表世話人」をおかず、上記三社の代表が幹事を務めた。

57: 日本@名無史さん 2006/01/14(土) 16:31:31
三井銀行会長→
さくら銀行相談役→
三井住友銀行相談役 「小山五郎」

七十年代以降三井住友の合併にいたるまで、事実上の三井の総帥として影響力を保ち続けたのがこの人。
有名な三越の岡田社長解任劇もこの人物の判断によるものといわれ、その他王子製紙事件時の裏で暗躍してたとの説もある。
太陽神戸銀行との合併を画策したのもこの人物という見方が一般的。
会長退任以後は「相談役」の立場で、歴代相談役の中で指導的立場にあったとされる。
三井住友合併時には確か95。(最終回)

58: 日本@名無史さん 2006/01/14(土) 16:36:28
三井本家の人達はどうなったの?

63: 日本@名無史さん 2006/01/17(火) 19:20:28
>>58
長老の向井氏が動いて、三井の商号・商標権なんかを三井家の収入に当てたとか
でも三井は11家もあるので岩崎(2家)に比べてそーゆー措置は行き届かないとか

59: 日本@名無史さん 2006/01/14(土) 16:38:10
財閥解体に遭遇したときの住井辰男の説明がえらく簡単な・・・

確か、この人は「少年社員」として入社してるんだが、要するに丁稚あがり?

63: 日本@名無史さん 2006/01/17(火) 19:20:28
>>59
住井さんも臨時的な人であまり重要な話はありません。

61: 日本@名無史さん 2006/01/15(日) 14:25:30
三菱の岩崎独裁と三井の番頭政治では三井のほうが優れてたはずなんだがなぁ
三井としては重工さえあればといったとこだったのかね

77: 日本@名無史さん 2006/01/28(土) 02:22:06
>>61
石川島播磨重工業

78: 日本@名無史さん 2006/01/28(土) 02:29:41
IHIって三井系なの?

80: 日本@名無史さん 2006/01/28(土) 02:49:28
>>78
三井系は社名に三井の文字がないのも多いからね(戦前から)。
東芝、王子製紙、新日本製鐵、電気化学工業…
三菱に負けてないよ

81: 日本@名無史さん 2006/01/28(土) 08:53:51
トヨタも三井だよ

82: 日本@名無史さん 2006/01/28(土) 15:55:18
>>81
オブザーバーだが

95: 日本@名無史さん 2006/02/04(土) 02:08:13
トヨタは元来は住友系。
自動車に本格的に乗り出した時、
住友銀行の「天皇」といわれた堀田庄三が、
「織機屋(ハタヤ)には貸せても、鍛冶屋には貸せぬ」と言ったとか、
融資を断わったため、日銀名古屋支店長の仲立ちで、
その後三井に鞍替え。

83: 日本@名無史さん 2006/01/29(日) 00:25:23
三井は三菱よりもグループ間の結束がゆるいと聞いたが。
「三井」を関しているところは別として。

85: 日本@名無史さん 2006/01/29(日) 01:38:45
人の三井、組織の三菱

三井系は労災とか直ぐ下りるけど、三菱はなかなかねぇ…

64: 日本@名無史さん 2006/01/18(水) 16:36:51
三井は伊勢松坂の出身だった筈
なぜ越後?

65: 日本@名無史さん 2006/01/18(水) 18:40:42
戦国時代の先祖が越後守を名乗る武士だったから。

74: 日本@名無史さん 2006/01/23(月) 18:12:06
三井家ほどの大店になると、数百人の従業員がいて、職制も整備されていた。
時代劇の商家の大店のイメージとはかなり違う。

従業員は店の営業に関わる手代・丁稚と力仕事・雑用専門の下男に区別されていた。
前者は上方の身元のしっかりした家庭から採用し、見込みのない者は追い返された。
後者は江戸近辺の者から採用したが、営業職にはなれなかった。
ある意味、キャリアとノンキャリといえるかもしれない。

75: 日本@名無史さん 2006/01/23(月) 18:27:13
厳密に言うと、近江など上方の上層農家の子弟が十代前半で江戸に出て奉公し、
数年ごとの宿下がりの時期に商人として見込みのない者は、そのまま暇を出される。
これをくり返すことで、一人前の手代になる頃には同期の者がかなり淘汰される。

手代以上の役職なども何段階にも細かく職制が定められている。
支配人になる頃には、すっかり老人になっており、同期の仲間もほとんどいない。
87: 日本@名無史さん 2006/01/29(日) 05:18:44
江戸時代から複式簿記らしきことやってたってホント?

92: 日本@名無史さん 2006/02/01(水) 21:29:47
>>87
本当です。

97: 日本@名無史さん 2006/02/04(土) 18:13:16
>>92
それって近江商人が作った仕訳だっけ?

101: 日本@名無史さん 2006/02/16(木) 19:32:32
三井財閥の席順はどうだったの?

103: 日本@名無史さん 2006/02/17(金) 17:38:45
>>101
三井家は出すお菓子も社長・部長・課長・平社員に応じて決まってた
戦前江戸英雄が平社員のときハンコもらいにお屋敷に行くと最中が出た
戦後三井不動産の社長になってから行くと羊羹がでた

106: 日本@名無史さん 2006/02/19(日) 06:49:00
江戸東京たてもの園に三井本家の建物あるよ、
すげー趣味の悪い建物なんだ。

108: 日本@名無史さん 2006/02/26(日) 13:06:58
あれは京都の本邸を移築したものだろ。

109: 日本@名無史さん 2006/02/26(日) 14:02:57
>>108
客間と食堂部分だけ京都から移築し1952年西麻布に建てられた。

110: 日本@名無史さん 2006/02/26(日) 14:08:21
財閥解体後でも、邸宅を移築したり新築する余裕があったんだな。

112: 日本@名無史さん 2006/02/26(日) 14:37:12
ああ、あの旧三井本家邸か。西麻生のお屋敷街のちょうど
ど真ん中にあったよ。周りのお屋敷に囲まれるようにひときわ
でかいお屋敷があった。

今は跡地は高級マンションになっちまった。こうして街は
風情をなくして個性がなくなっちゃうんだよな。

124: 越後屋オタ 2006/03/01(水) 04:19:59
三井家は元々士族です。
江戸時代の豪商で近代日本の大財閥となった三井家の元祖は、高俊の4男
三井高利(1622~94)とされるが、三井家繁栄の基礎を築いたのが
高利の母、殊法(しゅほう)です。
夫、高俊は武士の生まれで商いにはうとく、連歌や俳諧などの遊芸にふけって
家業はもっぱら妻が取り仕切っていた。

夫、三井高俊の先祖は、もと近江源氏の流れを汲む六角佐々木氏に仕えた
武将で天正年中に佐々木氏が滅亡した為、高俊の父の越後守高安の代に近江
から伊勢山田へ移り、さらに高俊の代に松坂に移住し、ここで高俊は武士を
捨てて商人になった。
高俊は松坂の中心街・本町に酒と味噌を商う店を構えた。
当時、松坂の人々は高俊の店を「越後(守)殿の酒屋」と読んだので、
ここから三井家の屋号「越後屋」が生じたと言われている。


144: 日本@名無史さん 2006/03/19(日) 03:08:54
>>124
っていうか、士族じゃなくて、武士でしょ。

士族なんて言葉は、明治時代にできた言葉で、江戸時代武士だった人間を
さしたんだから、三井は士族ではない。江戸は平民だけど、士族が
あった時代は士族より上の華族だからいいじゃん。

130: 日本@名無史さん 2006/03/02(木) 03:54:56
士族であったかどうかなんて関係ない。
三井では経営を番頭に任せていた、番頭が華族にもなっている。
もちろんオーナーの三井も華族に列している。

131: 日本@名無史さん 2006/03/10(金) 02:05:44
でも爵位は一番下の男爵なのが悲しい 三井も住友も

132: 日本@名無史さん 2006/03/14(火) 13:34:39
>>131
三菱の岩崎家も・・・

133: 日本@名無史さん 2006/03/14(火) 13:48:47
>>131-132
商人が上の爵位に執着してどうすんのさw

134: 日本@名無史さん 2006/03/15(水) 00:34:35
国家権力と結びついた政商のサガ・・・

140: 日本@名無史さん 2006/03/16(木) 01:20:58
現金掛け値なし。
店先での店頭販売。

それまでは、顧客の屋敷に出向いて、商品を広げ、購入代金は年末に一括払い。
それを顧客が店に来て商品を選び、その場で現金で支払いを済ませるシステムにした。

京都で呉服を作って、江戸で販売する。
上方は銀貨で江戸は金貨なので、江戸で儲けた金を銀に替えて呉服の材料を仕入れた。
この金から銀への両替部門が、後の三井銀行の前身になった。

というのが俺の三井越後屋に関する知識なのだが、あってる?

141: 日本@名無史さん 2006/03/18(土) 19:39:37
あってるとおもう

142: 日本@名無史さん 2006/03/18(土) 20:19:09
戦前は三井が一番大きかった。それで財閥解体も三井が徹底してやられた。
だから今は三菱グループの方が結束が固い。

152: 日本@名無史さん 2006/04/02(日) 01:12:17
>>142
戦前の日産コンツェルンは,三井を凌駕してる

159: 日本@名無史さん 2006/04/04(火) 01:22:55
>>152
日産生命、日産火災、共に破綻。
日産銀行があれば…

日立製作所と日産自動車は、世界企業だがな。
あとは何だっけ???

146: 日本@名無史さん 2006/03/19(日) 20:12:40
三菱もかなりの規模で解体されたんじゃないの?
戦争への加担は三井より三菱のほうが強かったし

150: 日本@名無史さん 2006/03/30(木) 01:08:14
三井はみんなにやさしい企業が多い

155: 日本@名無史さん 2006/04/02(日) 08:47:18
>>150
三井って政商になることを嫌って(名門商家はみんなそうだけど)、
大名貸しとかもやらない主義だったんだよね。

161: 日本@名無史さん 2006/04/04(火) 06:16:21
>>155
いや、創業当初は松坂に店があったので、その縁で
紀州家にかなりの大金を貸した。まあ領主だからつきあい
上断れなかったのだろうけど。で、それを見事に踏み倒さ
れたw

その教訓と、他の大名貸しの悲惨な末路を例に挙げた
家訓が生まれ、以後基本的に大名貸しはしてない。

163: 日本@名無史さん 2006/04/04(火) 22:36:56
>>161
幕末期には官軍にも幕府にも金だしていたんじゃなかった。

164: 日本@名無史さん 2006/04/04(火) 22:51:54
>>163
あれは貸すのじゃなくて、保険としての捨て金では?


165: 日本@名無史さん 2006/04/08(土) 19:18:05
幕府から新政府に乗り換えるタイミングが絶妙。
でも戦後三菱よりきつくやられたのは三井首脳はビックリしたろうね なぜビックリしたかというと・・・

引用元: ・三井越後屋について


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