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1: 日本@名無史さん 2014/04/14(月) 02:00:31.05
国司って実質いつまでいたの?
平安末期までは一応いたみたいだけど戦国時代にはいないよね?
でも江戸末期まで国司は任命され続けました。

そんな国司について語るスレッドです。






国司

国司(こくし、くにのつかさ)は、古代から中世の日本で、地方行政単位である国の行政官として中央から派遣された官吏で、四等官である守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)等を指す。

郡の官吏(郡司)は在地の有力者、いわゆる旧豪族からの任命だったので、中央からの支配のかなめは国司にあった。任期は6年(のちに4年)であった。国司は国衙において政務に当たり、祭祀・行政・司法・軍事のすべてを司り、管内では絶大な権限を持った。





2: 日本@名無史さん 2014/04/14(月) 02:25:46.05
江戸期にも地下の国司はいたよな
家禄殆どなしで大名並みに越前守とか

3: 日本@名無史さん 2014/04/21(月) 10:58:38.01
六位の国司は結局江戸末期まで存続していた模様。

4: 日本@名無史さん 2014/04/21(月) 10:59:54.53
あっ、国司って言うか国守。
国司は主典まで含むから七位もいたし、幕末ぎりぎり八位も復活したらしい。

6: 日本@名無史さん 2014/05/05(月) 14:24:29.05
>>1は任命された国司が実際に任国を統治して、国衙領から収入を得られていたのはいつまでだったの? って聞きたいんだよね。

だいたい、戦国時代になるまでだと思うが、どうか?

8: 日本@名無史さん 2014/05/07(水) 12:18:36.77
戦国時代まで生き残った国司って飛騨姉小路氏と伊勢北畠氏くらいしか知らない

9: 日本@名無史さん 2014/05/07(水) 17:20:07.87
実際の領地と受領名が一致する大名はいる。
織田尾張守信秀とか徳川三河守家康とか大内周防介・伊予守・筑前守義隆とか。
江戸時代でも島津薩摩守とか伊達陸奥守とか。

10: 日本@名無史さん 2014/07/12(土) 16:57:44.58
江戸時代に島津薩摩守や伊達陸奥守なんていない
松平薩摩守や松平陸奥守ならいる

13: 日本@名無史さん 2014/08/16(土) 17:09:54.78
対馬の宗氏は江戸時代ずっと対馬守

11: 日本@名無史さん 2014/08/16(土) 16:32:56.60
国守が朝廷に上納する年貢ってどう決められてたの?
収穫の何割的な定率制? それとも○○国は何万石みたいな定額制?
年貢は毎年都に届けたの?それとも任期満了時にまとめて? 近国と遠国で差があるの?
国守を一期勤めれば大富豪になることをみんな知ってるってことは、私腹を肥やしてるってことが
わかってたのに、朝廷はそのへん追求しないの?

19: 日本@名無史さん 2015/02/05(木) 15:53:54.08
>>11
請負制って奴で、その代り経費一切合財は自分持ちだし、 飢饉なんかで決められた年貢を朝廷に収められない場合には自腹切らないといけなかった。
例えば源義家なんか、後三年の役絡みで陸奥から上納できなかったのでずっと催促されてたりするよ。

情報インフラが整ってない前近代では、中央からコントロールすることが難しかったので、大ざっぱな上納額を決めて、あとはお任せというスタイルが東西問わずよく見られた(広義の封建制という奴)

12: 日本@名無史さん 2014/08/16(土) 17:00:28.61
私腹を肥やせない地方官なんて誰もやりたがらないでしょ

14: 日本@名無史さん 2014/08/17(日) 10:22:24.02
朝廷側として、とにかく一定額の収入が確保されることが重要で、本当はもっととれるはずだとかってのは、とりあえず無視しようってところじゃないの。収入見込みが成り立たないといろいろ不便だし。
それに私服肥やしても、その中からなんぼかは規定外の上納金っていうか寄付金というか売官料というかで朝廷に入ってくるし。むろん、摂関ら高官の手元にも。

15: 日本@名無史さん 2014/08/17(日) 10:44:26.93
薩摩や陸奥みたいな遠国の国司や荘園の荘官が都の朝廷や荘園領主に年貢を上納する方法は、はるばる荷車に積んで運んだのかな?
よほどの護衛をつけないと盗賊に襲われると思うのだが。
むしろ薩摩の年貢は隣の肥後の国司に納め、肥後の国司は同額を更に隣の筑後の守に納めるみたいなリレー方式なら安全かと、臣慎みて進言奉る

34: 日本@名無史さん 2015/09/15(火) 19:07:53.61
>>15
国司が実際に任国に下向すること自体がまずありえないんだが

35: 日本@名無史さん 2015/09/15(火) 19:40:56.41
>>34
いつの話だよ
奈良時代には実際に赴任してるだろ
国司は任国の正倉に税を収納して量が正しいことを確認の上、鍵かけて封印するまでが本業

あとは、必要になる度に中央からどの正倉からどんだけの税を運べと随時の命令が来てから運ぶ

80: 日本@名無史さん 2016/04/01(金) 15:36:02.85
>>34
平安時代も任地に行ってるぞ。
うちらの地域は和泉式部が亭主とやってきた。
12世紀のことだな。

36: 日本@名無史さん 2015/09/15(火) 21:24:42.18
菅原道真なんて讃岐国司に任命されて讃岐に赴任してたしな

37: 日本@名無史さん 2015/09/15(火) 21:29:09.70
>>36
その辺りまでは赴任するものだったわけだよな
藤原純友だって国司として赴任した現地で挙兵したんだっけ?

38: 日本@名無史さん 2015/09/15(火) 22:20:10.56
>>37
そう
そのまま赴任先で土着してしまうような連中が現われて問題になっている

23: 日本@名無史さん 2015/08/23(日) 21:08:55.08
公家の知行国主たちを調べたけど何だか虚しくなった・・・

大名配置図みたいに国主たちを地図に書き込んでみたけど、よくよく考えたら
コイツら京にいて年貢が運ばれてくるのをただ待ってるだけの存在。
現地とはちっとも関係のない存在だった。

25: 日本@名無史さん 2015/08/28(金) 23:50:07.39
室町時代の守護も似たようなもんだろ。

26: 日本@名無史さん 2015/08/29(土) 02:43:09.30
>>25
守護は、地元武士を被官化して家臣を束ねたから、ちと違わね?
あと、関東や九州の守護は在京せず任国に住んでるから、全く違うしな

27: 日本@名無史さん 2015/09/06(日) 15:20:08.67
江戸時代になると受領とか関係ないから、
普通に介としての上総介が存在したりする。

28: 日本@名無史さん 2015/09/07(月) 16:47:45.18
名誉職というか名誉官職だよね。
イギリスのプリンス・オブ・ウェールズみたいな。
イギリスと日本って、遠く離れているけど、結構似たところがあっておもしろい。
ゲルマン系というか。
人口学でよく出てくるのが、教会の資料と日本のお寺の宗門人別帳。

39: 日本@名無史さん 2015/09/16(水) 21:24:40.93
多少の例外はあるにせよ、院政期になるまでは、概ね公卿と言えども下向してたでしょ。
院近臣を中心に知行国の慣習が成立して、一気に廃れたよね。

40: 日本@名無史さん 2015/09/16(水) 22:32:09.06
知行国主≠国司じゃないの? 知行国主が下向しないことと、国司が下向しないことって直接
関係するのかな・・・

41: 日本@名無史さん 2015/09/17(木) 21:47:45.71
国守は知行国主の子とか兄弟とか家臣とかが多いってイメージ。
国守要員が必要だから、大臣クラスでも子供の内で四位止まりがいるとかどうとか。
まあ大臣の子全員が公卿になるほどポストがないって方が主たる原因?

43: 日本@名無史さん 2015/09/17(木) 23:37:08.14
実際に現地に赴任するのは目代という国司の代官でしょ
醍醐天皇の頃には実際に国司自身が下向することはよほどの物好きを除いてほとんどいなかったはず

44: 日本@名無史さん 2015/09/18(金) 02:35:25.48
国にもよるし、国司の出身階層にもよる

武家国司はそこそこあとまで下向してた、だからこそ任地に荘園を確保したり任地周辺の領主と主従関係を結んだりできたわけで。

45: 日本@名無史さん 2015/09/18(金) 23:31:25.27
正確に言うと中央での栄達が見込めない地下の堂上といわれる人々が
自ら現地に遥任してこれが武家の始祖となったわけであって武家の国司というのがいたわけではない

46: 日本@名無史さん 2015/09/19(土) 01:11:21.41
正確には国司じゃないけど、藤原隆家の太宰府下向は異例だったんだよね。道長が任官を妨害したそうだけど、単なる嫌がらせか、自分が圧迫したかのように取られるのが嫌だったのか、どっちかな?

47: 日本@名無史さん 2015/09/19(土) 01:57:50.55
いや、その時代のことじゃなくて、もう少し後の、武家という職能がおおむね固まりだした院政期でも下向してることが多くないか

42: 日本@名無史さん 2015/09/17(木) 23:16:41.11
公地公民制に基づく国府が維持されたのって、どの時代ぐらいまでなのだろうか?
墾田永年私財法→摂関政治→清盛政権→守護地頭設置→承久の乱→元寇

48: 日本@名無史さん 2015/09/19(土) 20:24:20.41
>>42
班田なら902年の藤原時平のときに一部の国で行われたのが最後
10世紀に入るちょっと前から公領のほとんどは「名」と呼ばれる新しい行政単位に区分し
田堵や富豪浪人と呼ばれる新興有力層を「名主」という職につけて委託管理していた
この「名」は公領つまり国有地なので国衙の指示によって名主の編成替え(転封)が行われることもしばしばあった

南北朝時代になると守護が国司を兼ねるようになり公領は守護領に在庁官人の多くは守護被官(家来)になりましたとさ
のちの守護領国制である

49: 日本@名無史さん 2015/09/21(月) 15:29:47.14
周防国の国衙なんて一応1869年まで存続してたからな。
東大寺再建のために、1206年に東大寺の知行国(国司・重源)になってから、
先細りしながらも大内氏・毛利氏の下で国衙領を支配し維持してきた。

もっとも1646年に財政難の毛利氏によって国衙領を全没収されてからは、
毎年、毛利氏が支給する蔵米400石を知行国主の東大寺へ運ぶだけだったけど・・・
国衙領(こくがりょう)は、平安時代中期頃以降の公領を、荘園に対して呼ぶ歴史学用語。国衙は国の役所の意味。

50: 日本@名無史さん 2015/09/21(月) 16:34:36.79
>>49
江戸時代にも米切手じゃなくて現物はこんでたの?

51: 日本@名無史さん 2015/09/21(月) 20:15:39.05
>>50
すまない。米の流れまでは調べてないけど、
毛利氏が一括管理して、大阪あたりで東大寺側に割当て額を支給したのかも

52: 日本@名無史さん 2015/09/22(火) 01:03:33.41
国衙の周りには市場が立ち並んでいて一種都市的な空間が広がっていたけど
どれ一つとして後の城下町に発展しなかったのはなぜなろう
国衙

国衙(こくが)は、日本の律令制において国司が地方政治を遂行した役所が置かれていた区画である。

国衙に勤務する官人・役人(国司)や、国衙の領地(国衙領)を「国衙」と呼んだ例もある。

各令制国の中心地に国衙など重要な施設を集めた都市域を国府、またその中心となる政務機関の役所群を「国衙」、さらにその中枢で国司が儀式や政治を行う施設を国庁(政庁)と呼んだ。

54: 日本@名無史さん 2015/09/22(火) 21:16:14.23
>>52
国衙の衰退時に、別の町に地位(後の城下町の役割)を奪われたことで、住民ごと持って行かれちゃったんでしょ

近世城下町だって、城下町の役割を失ったら縮小したでしょ。無くなりはしないことが多いけども。

53: 日本@名無史さん 2015/09/22(火) 15:06:04.03
結局、武家による土地直接支配のせいで、
公家側(朝廷)おこぼれをもらえるよう計らってもらうしかなかったのか・・・
国司>>>>>こえられない壁>>>>>>守護とか大名とか

54: 日本@名無史さん 2015/09/22(火) 21:16:14.23
>>53
え、なんで守護や戦国大名より国司の方が上なの?
不等号の向きが逆じゃない?

55: 日本@名無史さん 2015/09/23(水) 15:35:30.17
鎌倉時代の頃は圧倒的に国司のほうが偉いのは間違いない
もともとの守護の権限は地頭+大犯三ヶ条しかないし
土地を巡る裁判でも国司側のほうが圧倒的に強かった

67: 日本@名無史さん 2015/11/23(月) 02:44:29.97
それじゃあ、最後に朝廷が国司に任じて、現地に赴いて現地で仕事をした国司は誰なの?
建武の新政だと、やり直し感がつよいいので、平安~鎌倉時代で。

68: 日本@名無史さん 2015/11/23(月) 08:00:40.39
>>67
おそらく在庁官人が国衙領を再編して存続した、
周防大内氏と常陸大掾氏が最後の国司と呼べるのではなかろうか。
建武以後なので、質問の答えにはならないが。

69: 日本@名無史さん 2015/11/24(火) 02:39:26.10
そもそも本来の国司は中央で一定の任期だけ官につけて派遣する職なわけで、地方出身者が就任する職じゃないよ
もともとの制度では、守・介・掾あたりまで全部、中央で任命されるはずだったもの。現地採用の官もあるけど、それはもっと下っ端。四等官のさらに下だ。
まあ、平安時代にはいろいろと制度が変わったけど。

大内含め在庁官人は国司の補助が仕事であって、国司そのものとは言えないんだよ。

平安期の制度変更で四等官全部を派遣しなくなったことで在庁官人が成立したわけだが、
介とか掾とかの官位を得られるようになっただけで役割的にはむしろ現地任用の下級官の延長みたいなモノ

70: 日本@名無史さん 2015/11/24(火) 11:36:14.11
>>69
国司に限らず、律令制に基づく機構は時代と共に変遷している。
元来は中央からの任命だったからといって、後代に地方出身者を任官させたとして、
それは態様が変わっただけであり、国司と呼べないとは言えない。名称は存続しているのだから。

そういう定義でいくなら、受領が廃れて遥任になった時点で、
公田制から名田制に移行した時点で、もはや国司そのものとは言えない。
やってることが荘園の権利関係と同等で、それが私領か公領かの違いだけだ。

在庁官人の多くは、受領や目代の支配を円滑に運ぶために成立した階層であるから、
国司の下僚や受領・目代の郎党を前身にするとしても、四部官の名目を持つならそれは国司と言える。

大内介、常陸大掾、これらはそもそも、国司の長官の補佐が職掌であって、その点の指摘があたっていない。
後に長官が指揮しなくなってからは、実質的に在地の長であった。国司の名目を持って。

どうも指摘の趣旨が的を外れているように思う。

71: 日本@名無史さん 2015/11/24(火) 18:07:06.52
で結局、中央貴族が国の守に任官して統治するというシステムは鎌倉時代には存続してたの?
それともこの時代の国司は武家?

72: 日本@名無史さん 2015/11/24(火) 18:18:41.88
一部の国を除いて鎌倉時代にも存続してるはず

幕府領になった関東の何カ国かは幕府関係者の武士が国司だが、それ以外の国司は京都の公家や官人のはず
平安時代にもあったように、治安の都合とかで臨時に武士が国司になることもあっただろうけど。

73: 日本@名無史さん 2015/11/24(火) 18:29:14.55
国衙領があったうちは国司が居たと見てよい

74: 日本@名無史さん 2015/11/24(火) 19:40:28.43
まあ、国衙領ってのも荘園の一種みたいに変わっちゃつてたけどね

普通の荘園が領家に年貢を納めるとこを領家の代わりに国司に納める感じ

国司がいないとこだと他の領家から横槍が入るとかで所属先を変えちゃうから、
国司を頼れなくなれば国衙領じゃない別の荘園にかわるだろうし
普通なら国司不在だと国衙領は残らないんだろうけど、
戦国時代の朝倉氏みたいに、京都からの要望を受けて守護や戦国大名が
国衙領を保護することもあるし。

77: 日本@名無史さん 2015/12/23(水) 22:03:59.75
15世紀の讃岐国衙領を所有(知行国主?)していた公家・万里小路時房は、
細川氏の守護請で、毎年15~30貫を納入してもらっていたという・・・
もはや荘園一つと変わらないレベル

あまりの情けなさに涙が出てきたでおじゃる(´;ω;`)ブワッ

89: 日本@名無史さん 2016/04/03(日) 22:47:57.38
>>77
荘園一つどころか、無名の地侍のレベルだぞ、それ。
軍役帳等で、そのレベルの数字がよく出てくる。

91: 日本@名無史さん 2016/04/04(月) 19:41:38.97
>>89
現地の領主から取り立てた年貢を、経費と手数料を差し引いて上位の領主(領家とか本家)に渡す事業たる守護請けの手数料率が、
独占的な事業ゆえに高くつきすぎただけだろ。

悪く言えば中抜きだが、構造的に言えば、社会的に必要な仕事に過ぎない。
で、手数料を抜かれまくるから、わずかな金額しか納入されないと。

79: 日本@名無史さん 2016/03/31(木) 20:51:01.43
ピンハネだよ、ピンハネ。
京都の山奥、久多はどこぞの寺社領だったが、朽木氏が侵入してきて代官になり、
2割を領家に送ってた。

82: 日本@名無史さん 2016/04/02(土) 00:40:51.18
どの役所がいつまで続いていたのか知りたいものだが、分からんのだろうなあ

83: 日本@名無史さん 2016/04/02(土) 03:54:34.79
それ興味あるよなあ
フェードアウトと言ってしまえばそれまでなんだろうけど

84: 日本@名無史さん 2016/04/02(土) 07:14:24.40
フェードアウトというよりは、在庁官人が守護の被官になって守護所に吸収合併というかんじではないか?
そういう意味では古代国家の残滓が完全に一掃されたのは、やはり太閤検地では

85: 82 2016/04/02(土) 14:04:58.09
定期的な収入(予算)があったら一応維持はされたんだろうな。
あと、一応、民衆の支持と

まあ、古代の役所の場合は主役の側がやる気をなくしていたような気がしないでも
ないが

けど、既得権益(収入、職、名誉・・・)だけは手放したくないだろうし、それを奪い
取りたい者と闘争があって結局敗北していつの間にやら没落したんだろうが

駅路・駅家とかいつまで維持されたんだろうなあ?
山を削り谷を埋め(ほんまかいな?)、幅の広い直線的に敷かれた道路を日本中に
張り巡らせて各地の国府などを結んでいた 現代の高速道路とルートがかなり一致
するらしい
no title

http://www.jsce-tochigi.gotohp.jp/b/H1805/2006_081.htm


平将門は律令国家が作った駅路を通って関東各地の国府を襲撃したんだろうし、
平貞盛軍も駅路を通って関東に東征したんだろうが、平維盛・源義仲・源頼朝・
源義経あたりの軍隊は駅路を使ったのだろうか?
さらに下って北条時宗・新田義貞・足利尊氏・足利義満・足利義教の頃になると・・・??

92: 日本@名無史さん 2016/04/05(火) 18:17:46.60
>>85
古代官道とか9世紀時点で放棄されて水上輸送に切り替わってるんだが
当時の日本には過ぎたるものだったってことだな

94: 日本@名無史さん 2016/04/19(火) 23:20:19.63
>>92
奈良時代や平安初期よりも財政の規模が縮小して首が回らなくなったから官道を維持する費用を工面できなくなって放棄されたんだろ

費用面で多少なりとも余裕があった奈良時代には十分に維持費を捻出できてたんだから、過ぎたものじゃなかったと思う

95: 日本@名無史さん 2016/04/20(水) 02:52:19.48
何言ってんだよ。
それは農民からの収奪の上に成り立ってたものだろ。
律令制度が崩壊したのも農民の兆散が一因。

96: 日本@名無史さん 2016/04/20(水) 04:25:26.64
高給取りな貴族の人数がどんどん増えて人件費が高騰していく度合いを見て見ろよ


奈良時代には大臣が1~2人だけしかいなくて、閣僚級の上位者は大納言だったのが、
いつの間にか大臣が3~4人に増えてるし大納言の下に中納言なんてのができてるし、
時代が下ると昇殿できないランクの人も昇殿させる蔵人とかもでてくるし、ムチャクチャだろ

皇后とかの封戸で1000戸とか2000戸とかあるけど、あれ2000戸もあれば中~下国の一国分ぐらいの規模だぜ
大臣が増えれば税収何カ国分も人件費が増えるわけ
収入の減少もあったが支出の増加の方がひどかったと思うぞ

97: 日本@名無史さん 2016/04/20(水) 16:50:51.48
>>96
けど、人口もかなり増えたんじゃないのかなあ
昔は娯楽がなかったからか、本能をセーブすることがなかったからなのか、子供を
作れるだけ作ったからな

99: 日本@名無史さん 2016/04/20(水) 17:20:25.22
>>97
無茶苦茶増えたわけではないと思うよ。
土木技術が未発達だから可耕地が限られてただろうし、
逃散の受け入れ先が存在するという時点で、可耕地における人口が飽和してなかったということではないだろうか。

100: 日本@名無史さん 2016/04/20(水) 17:26:55.04
奈良時代にはかなり増えたっぽいぞ

班田収授法は、いろいろ無理なとこのある政策だったとは言え、少なくとも人口の大幅増加をもたらす程度に効果があったもよう
まあ、奈良時代がおわらんうちに頭打ちになったんだろうけど。

86: 85 2016/04/02(土) 14:49:50.06
この写真を見る限り、確かに小山なら削ってるようだな

http://www.jsce-tochigi.gotohp.jp/b/H1805/081/081-2.jpg


誰が建設して誰が維持・管理してたのだろうか?

うちの近所に国土交通省維持出張所という役所があるんだが、平成日本では
中央の役所の出先機関が国道の維持・管理をしてるんだが、昔は・・・?

駅家はウィキペディアを見たら、兵部省の管轄下で国司も運営に関わっていた・・・
という古代にありがちな?職掌の重なり?がある

道路の建設・維持・管理みたいな仕事は素人じゃできそうにもないし、実際
どうだったのだろうか?

87: 85 2016/04/02(土) 15:08:45.07
駅路建設の作業員は誰か?というと、雑徭で徴発した一般人なんだろうな

飯の支給もナシで、60日タダ働きって酷いよな

平成日本で2ヶ月分の飯持参でどっかの建設現場へタダ働きの肉体労働に
駆り出されると想像すると、大変な負担だわ

租・庸・調・雑徭もいつまで続いたんだろうな?

90: 日本@名無史さん 2016/04/04(月) 18:08:31.05
2か月間もタダ働きって古代の生産性でそんなことできるわけないだろ
仕丁の費用は田租から捻出された
さすがに60日間の徭役は朝廷にとっても重い負担となったので桓武天皇の頃に30日間に減らされている

引用元: ・【律令】国司について語るスレ【武家官位】


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