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1: 世界@名無史さん 2005/04/24(日) 14:20:28 0
マムルークって両刀使いが多かったらしいけど実際どうなの?
ちなみにおれは腐女子ではない。






マムルーク

マムルークは、イスラム世界における奴隷身分出身の軍人のこと。原義は「所有(m-l-k)された者」を意味し、本来はアブド、ジャーリヤなどのアラビア語で奴隷を指す様々な語のうちの男性奴隷を指す語のひとつであるが、特にマムルークの語は9世紀頃から19世紀初頭頃までイスラム世界の各地で広く活躍した白人の奴隷身分出身の軍人たちを指すのが普通である。

マムルークは、多くが幼少の頃から乗馬に親しんでいる騎馬民族の出身で、また幼少のうちに購入されて乗馬、弓射、槍術などの徹底した訓練を受けて弓射を得意とする騎兵のエリート軍人として育成された。彼らはその優れた軍事力で13世紀から16世紀初頭までエジプト・シリアを支配したマムルーク朝では事実上の支配階層であった。



マムルーク朝

マムルーク朝は、エジプトを中心に、シリア、ヒジャーズまでを支配したスンナ派のイスラム王朝(1250年 - 1517年)。首都はカイロ。そのスルターンが、マムルーク(奴隷身分の騎兵)を出自とする軍人と、その子孫から出たためマムルーク朝と呼ばれる。一貫した王朝ではあるが、いくつかの例外を除き王位の世襲は行われず、マムルーク軍人中の有力者がスルターンに就いた。




2: 世界@名無史さん 2005/04/24(日) 14:21:41 0
マムルークの子孫って今のエジプトにもいるのか?

3: 世界@名無史さん 2005/04/24(日) 14:31:58 0
「バイバルス」いう名前のやつが普通にいるらしい>エジプト

16: 世界@名無史さん 2005/04/24(日) 19:38:53 0
マムルーク朝ってオスマン帝国が攻めてきたときに
「銃や大砲を使うのは卑怯だ! 正々堂々と勝負しろ!」
とか書状を送ったらしいな。馬鹿すぎwwwww

18: 世界@名無史さん 2005/04/25(月) 13:57:21 0
>>16
そんな話は聞いたことがない。セリムがエジプトに侵攻してきた際にはマムルーク軍は砲兵隊を組織して対抗してる。イェニチェリに背後に回りこまれてあぽーんされたけど。

ただマムルークが火器を軽蔑してたのは本当らしい。
黒人奴隷を訓練して銃兵隊を組織したスルタンがいたが(名前は失念)そいつらをパレードに出したら「格式を汚した」といってマムルークが暴動を起こして皆殺しにしてしまったという逸話がある。

20: 世界@名無史さん 2005/04/26(火) 13:38:14 0
マムルークは、たしか兵の教育を全寮制の訓練学校で行うんだっけ。
今の時代で言えば、幼稚園から大学までの期間を一つ屋根の下、ずーっと同じメンツのクラス(部隊)で過ごす。
そうして鍛えられた部隊はほとんど家族同然の強い結束を持っていた、とか

21: 世界@名無史さん 2005/04/26(火) 13:46:13 0
>>20
訓練学校の寄宿舎で先輩から衆道を教わる。
それは先輩から後輩へ、そしてそのまた後輩へと密かに伝えられ、性によって培われた絆は血よりも濃く、鋼鉄よりも強固だったとか。

22: 世界@名無史さん 2005/04/28(木) 18:03:10 0
マムルーク朝は実力主義って聞いてたけどバイバルスやカラーウーンの子孫はなんでスルタンになれたの?

23: 世界@名無史さん 2005/04/29(金) 10:46:15 0
>>22
マムルーク朝で政権交代があると、前スルタンの元で要職についていたマムルーク達は退けられて新スルタンの子飼いのマムルークと入れ替えられてしまう。その後は左遷されたり暗殺されたり。スルタンの子孫が王位を世襲してくれれば「お前たち、息子のことを頼むぞ」みたいな感じで家臣も地位を保つことができるから、相互の利益になったのでは?

24: 世界@名無史さん 2005/04/29(金) 17:01:55 0
マムルーク朝で、死去した先代のスルターンの子が即位するのはほとんどの場合、先代のスルターンの配下か、同僚の中で有力なアミールが対抗勢力を粛清したり、左遷したりして政権基盤を固めて、幼少で実権の無い先代の子のスルターンを廃して自分自身がスルターン位に就くまでのあくまで暫定的な処置かと。

25: 世界@名無史さん 2005/04/29(金) 17:02:44 0
バイバルスの子のバラカとサラーミシュがスルターンだったのも、バイバルスの同僚だったカラーウーンがバイバルス派のアミールを粛清したり、懐柔したりして政権基盤を固め、自らスルターンに即位するまでの短期間の在位で実権も無かった。

26: 世界@名無史さん 2005/04/29(金) 17:03:24 0
カラーウーンの死後、跡を継いだ子のハリールは地中海東岸に唯一に残っていた十字軍の拠点のアッカーを陥落させるなど、バイバルスの息子たちに比べれば、それなりに実権を有していたが、政権固めに父親のマムルーク出身のアミールたちの粛清を行うと彼らの反撃を招いて、狩猟中に襲撃されて死亡。

27: 世界@名無史さん 2005/04/29(金) 17:04:15 0
その弟のナースィル・ムハンマドも第一期治世、第二期治世はまだ幼少だったこともあり、キトブガー、ラージーン、バイバルス・アル=ジャーシュナキーリーら、父や兄の配下だった有力アミールたちに実権を握られるか、スルターン位そのものからも追われる。
しかし、バイバルスやサラールの失政に愛想を尽かしたアミールたちに擁立されて追いやられていたカラクからカイロに帰還すると、父や兄のマムルーク出身のアミールを粛清し、子飼いのマムルークを育成、ナースィル検地によりイクターの再分配を行い、スルターンの権力基盤を強化。
30年余りに及ぶ第三期治世はマムルーク朝の最盛期と言われる。

28: 世界@名無史さん 2005/04/29(金) 17:04:55 0
ナースィル・ムハンマドの死後、バルクークが最後のカラーウーン家のスルターン、ハーッジー2世を廃して、自らスルターンに即位するまでの約40年間はナースィルの子、孫、曾孫の12人が即位したが、皆が幼少か青年で実権は無く、カウスーン、ヤルブガー・アン=ナースィリー、アサンダムル・アン=ナースィリー、アイナバク・アル=バダリーら、有力アミールがカラーウーン家のスルターンの廃立を好き勝手にやりたい放題で、スルターンにはほとんど実権ナシ。

29: 世界@名無史さん 2005/04/29(金) 17:05:35 0
スルターン位が父親の死後にそれなりに実権のある息子に継承されて、比較的長い期間、スルターン位を保てたのは、カラーウーンの子のナースィル・ムハンマドの第三治世と、それに続くのがバルクークの息子のファラジュくらいか。
ファラジュも最後はハリールのようにムアイヤド・シャイフら父親のマムルーク上がりのアミールの反乱を招いて殺されてるから平穏無事に生涯を終えたナースィル・ムハンマドとは比較にならんか。


31: 世界@名無史さん 2005/04/30(土) 18:57:58 0
マムルーク朝のスルタンって結局同輩中の第一人者なのか

35: 世界@名無史さん 2005/05/11(水) 12:42:43 0
フィクションと歴史との区別はついているつもりなんだけど、
池田理代子の「エロイカ」によるとマムルーク兵って美男ぞろいとありますた。

皇帝に仕える兵隊だったから、容姿も選考の基準に入っていたの?

36: 世界@名無史さん 2005/05/11(水) 13:22:08 0
>>35
というか君主もマムルーク出身

当時並ぶ者のない眉目秀麗なマムルークで、高位のアミールたちから「俺のところで仕えろ」と引く手あまただった人の話が、佐藤次高の「マムルーク」に載ってました。

38: 世界@名無史さん 2005/05/11(水) 18:11:29 0
>>35
ヨーロッパの軍隊の場合、近衛兵は容姿端麗な者が集められていたみたいだね。
マムルークとは関係ないけど、オスマン帝国の宮廷に仕える小姓たちは、美少年ばかりが集められていた。

39: 世界@名無史さん 2005/05/11(水) 18:15:23 0
中近東の基準で美少年てどんななんだ?

42: 世界@名無史さん 2005/05/12(木) 23:28:03 0
>>39
肌に産毛の跡もあざやかな色白で眉は黒くて長く眼も切れ長、紅顔でヒゲがまだ生えていない、云々。

あるいはカーウース・ブン・ワシュムギールが曰くに、奴隷は中庸が必要で、背は高からず低からず、肥りすぎず痩せすぎず、色は白すぎず赤すぎず、毛は濃すぎず薄すぎず、頭髪は縮れすぎず立ちすぎないのがよい。肉がしなやかで、皮膚が美しく、骨は均整がとれ、酒色の髪、黒い睫毛、黒ずんだ目、黒い眉、開いた目、鼻筋が通り、ほっそりとした腰、丸顎、紅の唇、白い歯、歯並びが良い云々。

40: 世界@名無史さん 2005/05/11(水) 21:11:26 0
>>39
美少年についてはよく知らないが、
美女については、コーカサス地方やスラヴ系の色白・金髪の女性が
好まれたようだ。

43: 世界@名無史さん 2005/05/13(金) 13:23:45 0
こんなのかな
no title

59: 世界@名無史さん 2005/06/02(木) 22:05:54 0
バイバルスはイスマーイール派の残党を雇ってエドワード一世の暗殺を試みたことがある。
これは嘘みたいな実話。

60: 世界@名無史さん 2005/06/02(木) 23:22:06 0
>>59
イスマーイール派の一人がキリスト教の洗礼を受けたがっているサラセン人のふりをして近づき、エドワード1世を暗殺しようとした事件ですな。
ちなみにイスマーイール派は同じ方法でコンラッド・ド・モンフェラートを暗殺することに成功している。

61: 世界@名無史さん 2005/06/02(木) 23:27:55 0
>>59
同じくバイバルスは、ティルスの領主フィリップ・ド・モンフォールもイスマーイール派を使って暗殺。

62: 世界@名無史さん 2005/06/05(日) 12:25:47 0
で、最後は本人がカラーウーンに暗殺されるというオチ

70: 世界@名無史さん 2005/06/10(金) 00:01:09 0
証拠もないのにバイバルスを暗殺したとか思われてるカラーウーンが哀れだ。

63: 世界@名無史さん 2005/06/05(日) 15:11:02 0
バイバルスって片目だったとか両目とも見えたとか言われてるけどどうなの?

64: 世界@名無史さん 2005/06/05(日) 21:10:47 0
>>63
片目が白内障だったらしい。

65: 世界@名無史さん 2005/06/05(日) 23:18:11 0
 
着飾った美形の奴隷軍団……はい、予想した方は正しい。いつの頃からは不明だが、マムルークはその趣味が盛んだったらしい。
もちろんマムルークも妻帯はするのだが、順当に子供をもうけているなら、支配階級の人的資源は再生産されるはずだ。それが外から買ってきた奴隷で補充する制度が五百年以上持続するというのは、いくら何でもかなり異様である。かなりのマムルークが子孫を残そうとしない、または子孫に執着しないと考えねばならない。
少なくともナポレオンのエジプト遠征軍の記録による限り、18世紀末におけるマムルークの男色趣味は明瞭であった。フランス遠征軍の補給部隊がマムルーク騎兵に襲撃されて捕虜となった際、随行していたフランス娘はマムルークから顔をボコボコにされただけだったが、フランス兵は片端から凌辱されたとの報告がある。
実に恐ろしいというか、嫌な敵である。こりゃフランス兵も必死に戦うよなあ。
生きて虜囚の辱めを受けず、としか言いようないではないか。

66: 世界@名無史さん 2005/06/05(日) 23:41:14 0
>もちろんマムルークも妻帯はするのだが、順当に子供をもうけているなら、
>支配階級の人的資源は再生産されるはずだ。

それは誤解。
マムルークが支配階層に入るためにいちど解放されて自由人になってしまうとそのマムルークの子供は生まれながら自由人であり、そのため奴隷になれない(ムスリムの自由人を奴隷にすることはできない)から、マムルークの子供はマムルークになれない。
マムルークの主人は自分の所有する奴隷を一人前の兵士に育てたあとで解放して部下にするという手続きをとるからマムルークと主人との間には強固な主従関係が生まれるが、自由人であるマムルークの息子と主人の間にはそのような主従関係は結ばれないので彼らは二級の軍人にしかなれない。
結果、支配階層はマムルークの子孫からは再生産されにくくなる。
ということです。
子孫はちゃんと残しますがすぐ没落してしまって続かないのです。
もちろんこういうシステムの背景である主人と奴隷の強い主従関係の裏に美男子趣味があった可能性は否定できないけど。

67: 世界@名無史さん 2005/06/06(月) 12:58:27 0
マムルークの息子の将来ってハルカ軍団に編入あたりが一番多いコースか?
軍隊がいやならあとは勉強してウラマーになるとか。
マルムーク

マムルークの息子たちは父と違って生まれながらのムスリム自由人であるのでマムルーク軍団に編入されることはなく、自由人からなるハルカ騎士団に編入された。ハルカ騎士団はアイユーブ朝におけるクルド人自由人からなるエリート軍団に由来するが、奴隷出身のマムルークが政権の中枢に移ったマムルーク朝では次第に冷遇され、授与されるイクターもマムルークに比べて少ないものであった。このため、マムルークの子孫は軍人としての出世を諦めてウラマーになるなどし、次第にエジプトのアラブ社会に同化してゆく運命であった。逆にいえば、マムルーク体制は絶えず新しいマムルークを迎え入れる必要があったのである。


68: 世界@名無史さん 2005/06/07(火) 02:28:26 0
>>67
ぐれてアイヤールになったりとかも有りか

アイヤール

アイヤールとは、アラブやペルシャなどのイスラーム社会西部における、社会の公的な秩序とは別の、非公的・民間的・私的な秩序を形成し、かつそれを維持する団体およびその構成員。すなわち欧米社会におけるマフィアや、中国社会における侠客、日本社会におけるヤクザと類似した存在である。

アイヤールは、その支配下(なわばり)にある都市市民に以下のサービスを提供することを、少なくともその理想、原理原則、建前としていた。


76: 世界@名無史さん 2005/06/17(金) 21:34:37 0
ttp://harryhp.hp.infoseek.co.jp/slave-2.html
※リンク切れ
 
さて、それではそのマムルークの行動規範だが、これは俗にヒドマと呼ばれる。ヒドマとは義務と言う意味だ。マムルークが広い概念である事は既に記した。ここでは戦うマムルーク、戦士としてのマムルークをファリスと呼ぶことにしようと思う。なお、ファリスとは『騎士』的な意味をもつ。騎士として認識してもらえれば間違いはないと思う。ヒドマには主要なもので、3つの義務がある。
まず、ファリス第1の義務は戦う事だ。「戦わないマムルークにフルースィーヤはない」と言う言葉にそれが最もよく出てきているだろう。尚、ここで使われているフルースィーヤとはファリスの道、所謂騎士道だと考えてほしい。勿論、西洋のそれとは完全に異なるので、全く同じモノだと考えるのは危険だ。ファリスは与えられたイクターからの収入で武具を整え、主君の招集に応えて聖戦に参加、交易路を警備し、遊牧民、農民の起こす叛乱を鎮圧しなければならない。
この義務の恐ろしい反面は、負傷によって軍事奉仕に参加できなくなった場合だ。
戦争に参加できなくなったファリスはバッタール(退役騎士)となり、イクターを没収されてさびしい余生を送る事になる。

79: 世界@名無史さん 2005/06/20(月) 15:46:34 0
マムルークに対して、土着のエジプト人が反乱を起こすようなことはなかったの?

80: 世界@名無史さん 2005/06/20(月) 15:56:47 0
>>79
初期にベドウィンがよく反乱起こしてたはず。
十字軍の道案内をする奴までいたらしい。

マムルーク朝の領土ってリビア方面でも増えたり減ったりしてるけどそっち側では主にベドゥインの部族と戦ってたのかな?

86: 世界@名無史さん 2005/06/23(木) 17:39:36 0
マムルーク朝に製作された工芸品(たとえばモスク・ランプなど)を見ると、注文主(パトロン)の紋章がつけられたりしているけど、イスラーム圏の紋章は、ヨーロッパの紋章とどう違うの?

87: 世界@名無史さん 2005/06/23(木) 17:43:13 0
あんまり違わない。フランスの百合の紋章ももともと中東から輸入した
織物にあった模様だったとかいう説もあるし。

89: 世界@名無史さん 2005/06/24(金) 17:27:36 0
>>86
こんなページがあった。
ttp://users.panola.com/AAGHS/manluk.html
ttp://www.tirbriste.org/dmir/Heraldry/1307.html

ハーッサキーヤ(近衛隊)でスルタンの身辺に仕えたマムルークなんかだと例えばスルタンの弓を管理する役だったら弓のマークとかを使うことが多かった。あと自分が仕えたマムルークの紋章の一部を取り入れたりとか。

439: 世界@名無史さん 2005/07/15(金) 20:38:08 0
マムルーク朝ってペストの被害は受けなかったの?
当時の交易ルートからして伝染してそうだけど。

440: 世界@名無史さん 2005/07/16(土) 16:19:45 0
>>439
15世紀にはペストが流行したよ。

442: 世界@名無史さん 2005/07/16(土) 16:40:02 0
ヨーロッパと同時期に発生した14世紀半ばの大流行と、半世紀余り後の15世紀初頭の大流行ではどちらがエジプト・シリアにおける被害が甚大だったのだ?

496: 世界@名無史さん 2006/07/07(金) 22:18:03 0
>>442
ヨーロッパと違ってイスラム圏は14世紀の黒死病のあと経済的に復興できなかったらしい。

443: 世界@名無史さん 2005/07/16(土) 17:24:26 0
14世紀の黒死病のせいでカーリミー商人が大勢死んでしまい
それでマムルーク朝の経済が衰退したとか。

444: 世界@名無史さん 2005/07/17(日) 13:00:25 0
クルディスタンあたりの野生の齧歯類が慢性的にペスト菌をもっていてそこから周辺国に伝染して流行することが多かったらしい。

458: 名無しさん@そうだ選挙に行こう 2005/09/11(日) 18:33:25 0
>>444
ドナウ川の北にも天然の病巣があったとか・・・

463: 世界@名無史さん 2005/09/22(木) 00:11:12 0
>>458
ポーランド内陸部あたりは中世のペスト禍を免れたが、あれとは関係しているの?
他の国で悪魔の使いと見なされていたネコを狩らなかったのが福と転じたそうだが。

464: 世界@名無史さん 2005/09/23(金) 21:14:51 0
>>463
ポーランドが14世紀のペストを免れたのは交易ルートから外れてたからでは?
ロシアもなぜかバルト海を経由してペストが伝染してるし(クリミアから欧州に伝わったのに)
なんか東欧平原は人の行き来があまり活発でないような・・・

447: 世界@名無史さん 2005/07/17(日) 13:51:35 0
トルコではペストは風土病程度の認識だったらしいよ。
オーストリア・ハンガリーはトルコ国境沿いに防疫線を作って対抗してたけど。
面白いことに、18世紀のセルビアなどで頻発した吸血鬼事件はその防疫線の近くで起こることが多かったらしい。

448: 世界@名無史さん 2005/07/17(日) 15:53:46 0
>>447
中世イスラーム世界では医学が進んでいたのにその程度の認識だったとは…

452: 世界@名無史さん 2005/07/25(月) 14:41:09 0
>>448
イブン・シーナですら「ペストを発生させる大気は地震でできた地表の裂け目から出てくる」
とか訳のわからないこと書いてるから・・・

465: 世界@名無史さん 2005/09/30(金) 01:02:24 0
ペストはもともと野生の齧歯類の間に見られる伝染病であり、それが蚤を介して人間に伝染されることでペスト禍が起こる。
オスマン・トルコには「自然の病巣」、野生の齧歯類の間で慢性的に流行している地域がいくつかあった。恒常的なものはクルド地方に、一時的な病巣がアルバニア、モルダヴィア、イスタンブール、アナトリア地方にあったと考えられる。トルコの外ではカスピ海周辺の南ロシアにもあったらしい。したがってペストの流行はオスマン・トルコでは慢性的で、一八世紀初頭から一九世紀中葉までの一五〇年の間に九四回の発生を見ている。
 
平賀英一郎『吸血鬼伝承』より

491: 世界@名無史さん 2006/05/31(水) 18:04:01 0
マムルーク制度の消滅って何時ごろ?

492: 世界@名無史さん 2006/05/31(水) 20:13:08 0
>>491
エジプトでは19世紀初頭のムハンマド・アリーの虐殺だろう。
イランや中央アジアで奴隷兵の制度がいつまで残っていたかは分からない。
ModernEgypt,_Muhammad_Ali_by_Auguste_Couder,_BAP_17996


ムハンマド・アリー

ムハンマド・アリー・パシャ(1769年? - 1849年8月2日)は、オスマン帝国の属州エジプトの支配者で、ムハンマド・アリー朝の初代君主(在位:1805年 - 1849年)。

1811年、オスマン帝国はムハンマド・アリーに対し、マッカを支配下に置くなどアラビア半島のほぼ全域を支配下に置きシリアやイラクにも勢力を拡大しつつあった第一次サウード王国を攻撃するよう要請した。ムハンマド・アリーはこの要請を、いまだ完全に服従したとは言い難いマムルークの反乱を煽り自身を総督の座から追い落とそうとする計略であると察知し、後顧の憂いを断つべく苛烈な手法を用いてマムルークを粛清することを決意した。

3月11日、次男アフマド・トゥーソンのアラビア遠征軍司令官任命式を執り行うという名目で有力なマムルーク400人あまりを居城におびき寄せて殺害する(シタデルの惨劇(アラビア語版))と、カイロ市内のマムルークの邸宅、さらには上エジプトの拠点にも攻撃を仕掛け、1812年までにエジプト全土からマムルークの政治的・軍事的影響力を排除することに成功した。

山口直彦は、マムルーク粛清に成功したことによりムハンマド・アリーのエジプトにおける支配権は確固たるものとなり、実質的に独立王朝ムハンマド・アリー朝が成立したとしている。


493: 世界@名無史さん 2006/06/01(木) 00:16:03 0
フランスにもしばらくマムルーク部隊が残ってたはず

497: 世界@名無史さん 2006/08/05(土) 19:15:55 0
大航海時代が到来して海上交易のお株を
欧州人に奪われたのも大きいんでは。

498: 世界@名無史さん 2006/08/06(日) 10:00:58 0
>>497
それはマムルーク朝末期の懸案だったらしいけどその後エジプトを征服したオスマン朝はほとんどそれについて手を打ってないような。

グジャラートあたりに一回派兵してたっけ。

535: 世界@名無史さん 2007/04/08(日) 13:15:40 0
カザフスタンの大河ドラマ「バイバルス」
ttp://www.youtube.com/watch?v=Px5j2YJHhAE


536: 世界@名無史さん 2007/05/08(火) 01:58:49 0
むむ、通しで見てみたいな。
バイバルス自身はカザフスタンの地と何かゆかりはあったっけか。

537: 世界@名無史さん 2007/05/08(火) 07:22:04 0
>>536
たしかクリミア出身のキプチャク人だったと思う
カザフ人には「ダシュト・イ・キプチャクつながり」みたいのを感じるのかも

579: 世界@名無史さん 2009/04/14(火) 16:15:01 0
>>536
カザフ、カラカルパク、ウズベクあたりに広まっている英雄叙事詩「アルパミシュ」には「バイボリ」と「バイサリ」という兄弟が出てくる。

バイサリーって名前のマムルークも実際にいたよね。

542: 世界@名無史さん 2007/08/09(木) 02:47:14 0
イェニチェリ マムルーク どっちが強い?

543: 世界@名無史さん 2007/08/09(木) 16:10:44 0
>>542
セリム1世の対マムルーク朝戦役で実証済み。
イェニチェリの勝ち。

544: 世界@名無史さん 2007/08/09(木) 17:37:30 0
イェニチェリ マムルーク双方とも出身地は似たようなもの?

545: 世界@名無史さん 2007/08/09(木) 17:40:39 0
イェニチェリがバルカンなどのキリスト教圏なのに対しマムルークはトルコ系遊牧民で出身はイスラーム圏。

547: 世界@名無史さん 2007/08/09(木) 18:17:01 0
マムルークにはコーカサス系もいたのでは?

548: 世界@名無史さん 2007/08/09(木) 22:14:17 0
>>547
トルコに征服された頃はチェルケス人が多く
ナポレオンに征服された頃はグルジア人が多かったはず

サファヴィー朝のゴラームもグルジア人多かったような

560: 世界@名無史さん 2008/01/20(日) 00:07:44 0
ゴヤの絵で「マムルークの攻撃」というイベリア半島戦争の絵がある

ナポレオンもマムルークを使っていたのか?
la-carga-de-los-mamelucos

561: 世界@名無史さん 2008/01/20(日) 21:21:56 0
>>560
エジプト遠征から連れて帰った連中。
後には衣装だけマムルークで中身はヨーロッパ人ってのもいたらしいけどw

ナポレオンが失脚して王政復古が始まると民衆の暴動で虐殺されたらしい。
マムルークと共にフランスに来たあるエチオピア人女性は殺されるまで「皇帝万歳!」と叫び続けたそうです。

578: 世界@名無史さん 2009/01/22(木) 09:08:39 0
マムルーク朝の最後って大砲揃えて強固な陣地築いてオスマントルコが攻撃してくるの待ってたらトルコの大砲のが射程距離長くて陣地から追い出されて凹にされたって悲しすぎる

引用元: ・マムルーク軍団のウホッ情報求ム


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