51Egd6Yfh5L



1: 人間七七四年 2007/03/13(火) 21:37:15 ID:rzO8eT4h
卑怯な裏切り者なのか領民や自領を守るためには仕方なかったのか?
主に躑躅ヶ崎の武田三代との関係を中心にしてこの一族をみんなはどう評価する?








2: 人間七七四年 2007/03/13(火) 21:40:02 ID:H6IFKeay
信茂がまずいのは同じ小山田一族の・昌行・昌辰が仁科五郎盛信に忠義を尽くして死んでいる点。

もの凄く印象悪いよ・・・。

3: 人間七七四年 2007/03/13(火) 22:14:21 ID:fAHcyxLB
信玄にはよく仕えたんだろ?
三方が原でも石投げて石川一正隊を嵌めた訳でしょ?
長篠では小山田隊はかなりの犠牲を出した様だし。
穴山のほうが印象悪くね?

5: 人間七七四年 2007/03/13(火) 22:30:50 ID:c354sauQ
武田と小山田は同盟関係だからね。もともと。
武田が国体として崩壊していた以上、その関係は解消でしょ。
領主としては領民を守るのが最大の責務であり、昌行らとは責任の重さが違うんじゃないか。
たとえ義理の兄弟であっても浅井が織田をはめようとしたように、
戦国時代は儒教的価値観では語れまい。
ドラマ、小説のように誘い出してだまし討ちなんてしたかどうかも不明。
江戸時代の儒教教育のための創作説が主流だよね。
正直、いまさら来ないでくれよ。てのが信茂の言い分じゃないか。

7: 人間七七四年 2007/03/14(水) 00:51:54 ID:PcaJwQQz
>>5
>ドラマ、小説のように誘い出してだまし討ちなんてしたかどうかも不明

信長公記を読んだことあるのか?
織田方の視点で書かれているこの史料ですら小山田の裏切りがあったと
はっきり書いているんだが…。

9: 仙台藩百姓 2007/03/14(水) 02:30:43 ID:KQt5pn6C
民衆の為なんて人道主義的倫理感がこの時代にあるわけないお( ^ω^)

11: 人間七七四年 2007/03/14(水) 03:48:00 ID:/jD0P0cR
小山田備中守昌辰 昌行の父
息子も備中守なので古備中といわれた
なお小山田は郡内にもあるのでこれと分けるために
備中守の一統は石田の小山田と呼ばれた、石田は甲州の北山筋(場所不定)に
あって代々の所領と居館があった。
信虎時代からの侍大将で海尻城や内山城などの城代も務めた
昌辰は小山田を名乗る前、上原伊賀守昌辰と名乗っていたので郡内小山田とは同族では
無いと思われる、あと昌辰の活動時期がおもに天文年間なので、高遠で討ち死
はしていない。
昌行と共に高遠に籠城したのは弟の大学助昌貞

19: 人間七七四年 2007/03/14(水) 21:09:58 ID:1PIYJbkS
信茂は最後にやらかしたせいで輝かしい戦歴が目立たなくなっちゃったのかな

20: 人間七七四年 2007/03/14(水) 22:04:46 ID:S+RK/+ui
ど素人の素朴な疑問なのだが、そもそもなんで『裏切り』が罵倒の対象になってるのかがわからない。
この戦国時代では裏切りも騙し討ちも珍しくもなんともないよね?まして小山田は、武田信虎の代で同盟者になったものの、元は武田氏以上に勢力があったわけで、(事実がどうあれ)内心「いつかきっと」という思いでいたとしても自然なことだろう。
信長という強大な勢いの前で勝頼がとくに愚将だったというわけでも、小山田がとくに卑怯だったともみえない。あえて小山田だけを裏切り者の代表とした理由はなんなのか。勝頼の子孫やファンが恨みの対象とすることは理解できる。勝者にとってスケープゴートが必要だったこともわかる。
しかし、なぜ信茂でなければならなかったのだろう。
信茂だって、のこのこ出向けば危ないことぐらいわかっていただろうに、(いくら織田側に甘いことをいわれていたとしても警戒しないとは考えにくい)なぜ会いにいったのか。何かもっと他の理由はなかったのかなあ、とか考えてしまう。
どうなんですかね?

22: 人間七七四年 2007/03/14(水) 23:17:31 ID:O13Q7MTM
江戸時代に残った武田の残党も小山田に責任を押し付けたんだろね。
逆に主家に殉じたのって誰?

勝頼に「おおい匿ってくれよ」っていわれた時、信茂迷惑だったろうね
「少なっ!だから長篠で最後まで突撃止めたろ、今更来るな馬鹿が」ぐらい言ったかな

26: 人間七七四年 2007/03/15(木) 02:00:16 ID:WU65YAl5
>>22
>主家に殉じたのって誰?
 
小山田信茂のいとこと言われる小山田平左衛門と信茂の甥と言われる小山田弥助が勝頼と共に天目山で討ち死にしているらしい

親族すら捨て駒にしたことがまずかったんじゃないか?

25: バロン曽志崎 2007/03/15(木) 01:05:39 ID:X5qSRNtc
海野信親の孫・信正が恩赦で大島から帰ってきた際、最初に彼を保護したのは内藤忠興だったが、これは忠興の側室が小山田信茂の娘だったからで、彼女の嘆願だったそうだ。父の贖罪の気持ちもあっただろうと思う。

27: 人間七七四年 2007/03/15(木) 09:45:15 ID:1mM3tqnw
どんな背景があろうと、
一度は勝頼主従を岩殿に迎えると言っておきながら、笹子峠を封鎖してその上 迎撃までしたんでは裏切りといわれても仕方ないでそ
勝頼を岩殿に迎えると言わなければよかったんだけど、、、

31: 人間七七四年 2007/03/15(木) 17:56:39 ID:UpWvi3+D
選択肢が2つあって真田の本拠地吾妻に行ってれば再興だってあり得たのだ。
それを譜代じゃないから真田は信用できないって話で小山田なら頼むに足るって話経緯じゃん。そしたら裏切りだろ。
最悪な悪党だろ

32: 人間七七四年 2007/03/15(木) 18:02:55 ID:Fleu1waE
どうでもいいが外様謀臣真田か準一門大身小山田かと言われれば迷わず小山田に行くよな。
選択肢は実は一つなんだよね。

39: 人間七七四年 2007/03/15(木) 22:24:41 ID:YmyNjwpA
小説とかだと誘っといてだまし討ちだが、ほんとにそうかね。
そのつもりなら岩殿城に迎え入れてから生け捕りとかするよ。おれなら。
「こっから先入ってくんなよ」ってやったら初鹿野天目山で切腹しちゃった
じゃあ、その首は有効利用しようくらいのノリじゃない?
誘ってみたら、10数人で来たよどうすんの?とかじゃない?
誘ったという記述の根拠は何だろ。甲陽軍艦?知ってる人教えて。
「信茂様のとこにいきましょう。とか配下が誘ってそれを見る人が見たら
小山田の口車とかってなっちゃったり。

40: 人間七七四年 2007/03/15(木) 22:40:42 ID:di1eoWkx
有名なところだととりあえずこれじゃね?

勝頼一行は名残を惜しみながら住み慣れた古府中を脇に見、そこから小山田信茂を頼って勝沼という山中から駒飼という山里へ逃れた。ところが、ようやく小山田の館が近付いてきたというところで変事が起きた。自身が内々に承諾して呼び寄せておきながら、当の小山田信茂がここに至って
無下にも勝頼を突き放し、一行の受け入れを拒否してきたのである。
一行は前途を失い、途方に暮れた。新府を出る時には五、六百もいた侍分の者は逃避行の中で離散し、残ったのは遁れられぬ運命の近臣わずか四十一人になってしまっていた。(信長公記)


48: 人間七七四年 2007/03/17(土) 11:49:43 ID:mEIgMnSb
え?ソースって信長公記なんだ。
それは信憑性にかけるな。
あれは信長の動向をざっと知るにはいい文献だが、現在の研究では疑問点も指摘されている。
生駒辺りは書き残していないのかなあ

49: 人間七七四年 2007/03/17(土) 13:07:34 ID:HO32d/3T
>>48
当然、信長公記の記述が必ずしも正しいわけではない。
しかし、小山田裏切りを否定する史料、信長公記の記述を異とする史料を提示できなければ、
その反論には、説得力は全くない。
信長公記の全体の性格に言及するだけで、小山田の記述の部分が信憑性に欠けるという根拠も何も示されてないし。

今のとこ、このスレで提示された史料は信長公記のみだし。
一方小山田擁護側からは、感情論の類ばかりで、いまだ明確なソースはだされてない。
相手にだけソースを求め、それの信憑性に文句をつけ、否定しようというやり方はどうだろうかと見てて思った。

59: 48 2007/03/17(土) 15:36:19 ID:mEIgMnSb
>>49
反論したんじゃないよ。ほかに裏づけ史料はないのか質問したつもりだった。
ところで、これをみただけだと勝頼は既に40人そこそこの手勢で、小山田・北條・真田が助けたとしても織田軍には勝てなかっただろうね。
本当にこんな兵力しか残っていなかったのだろうか。

61: 人間七七四年 2007/03/17(土) 17:02:13 ID:p59gUQLB
>>59
勝頼は最後の戦いに出たのじゃなく「密かに甲斐を落ち延びる」ための逃避行ですからねえ。

当時の言葉で「貴賎上下ともに倦み疲れて、内心は信長の国に仕りたしと諸人も願ひ存する」という状態になって、利でつなかっていた甲斐領主連合軍は木っ端微塵に解体して、百姓名主もみな脱出してしまった形。

勝頼は新府城に火をかけて、甲斐脱出のために地元に「馬300頭、人夫500人」の徴用を名主達に呼びかけたものの、ついに一人の人夫も一頭の馬もやって来なかったとか。付き従う武士まで寝首を掻くのではないかと疑心暗鬼になって追い返したという記録まであり、事実上、女・子供だけを伴っての夜逃げに近い状態。

むしろこの期に及んでなぜ小山田を頼れると思ったのかが不思議です。そこまで小山田は信用できる相手と思ったのか、ただ逃走ルートとして郡内方面が有利と思ったのか。あと二ヶ月たてば本能寺、というのはIfの話ではありますが、実質的に「追放された前国主」には合戦などはしたくても無理だったでしょう。天目山だって「戦い」というほどのものでなし、「さてこそ天目山のいくさは無かりけれ」というやつですね。

66: 人間七七四年 2007/03/17(土) 21:50:54 ID:mEIgMnSb
>>61
レス㌧
そんなに凄惨だったのか。想像しただけであわれだなあ。
みんなのレスからすると、凄まじい戦いだったのに小山田領内はそれまでそんなに戦渦に巻き込まれてない、なのにわざわざ助けるといった、という認識であってる?

67: 人間七七四年 2007/03/17(土) 23:40:33 ID:p59gUQLB
>>66
実際、小山田を頼ったわけじゃなく夫人を北条の領地に放つか同じ捕えられるなら北条の庇護下に入ろうとして笹子峠に出てきたという説もあるそうで。

結局夫人は北条に戻ることをキッパリ拒否し、はじめっから死ぬつもりで行き止まりの天目山に栖雲寺を目指して上り、途中の山道で地侍というか地元百姓の乱捕りに遭いそうになって急遽山道をその場しのぎの柵で遮断してそこを死に場所と定めてお松殿とお付きの二人、のちに「勝沼古事記」でこの逃避行を詳述した坂本直昌らが分かれて落ち延び、残ったものは別れの杯を交わして夜明けを待ったとか。

女たち約40人は自決し、44人の男たちは織田軍と地元衆の挟撃に対して狭い間道で迎え撃つ。
「武田三代軍記」では「百余人討ち取り」という大合戦、「甲陽軍鑑」では勝つよりが六人を討ち取り槍で刺されたと書かれている「合戦」も、「惣見記」では夫人が自害した刀で勝頼も自刃、「信長公記」でも「相伴討死」と書かれるプライベートな自決であったようで、午前十時には全員死亡が確認されているとか。

わずか二日後には勝頼親子の首は伊那の信長に届けられ、翌日には「裏切り者」の木曾・穴山が信長を訪れて祝賀の言葉を述べています。

58: 人間七七四年 2007/03/17(土) 15:23:11 ID:1SehFa7h
朝倉景鏡も土壇場で裏切って主君を死においやったが、本領安堵された。
小山田は一族ともども斬首。何が気に入らなかったんだか信長は

60: 人間七七四年 2007/03/17(土) 16:43:16 ID:p59gUQLB
穴山や木曾は武田軍を解体するのに必要な釣り餌だっただけで釣った魚(それを見て後から続々裏切った武田の親族衆・直臣衆)に餌をやる必要はない以上、いなくなってくれた方が良いっていうことだと単純に考えるのが一番いいんじゃないかと。

結局武田の一族はほとんど全員が根切りにされている。
殺されずに済んだのは盲目の次男龍宝の子・道快と信清という僧籍になっていた二人の子供だけで、信玄の影武者も、信虎が駿河で作った子も裏切り者であろうがなかろうがみんな殺された。

穴山一人いれば名目上の名跡は残したから後はもう要らないっていうことで、甲斐・信濃は川尻秀隆・滝川一益・森長可に分配することが決まっていた以上、旧領主はなんのかのと因縁をつけて
みんな殺すのが当然の処置でしょう。信長としては。
まあそういう雑駁な戦後処理をするから川尻がその恨みを全部受けて逆さにつっこまれることになっちゃうわけだけど。

何代も続いてきた領主である小山田が殺される理由なんて、悩む必要もないくらいはっきりしていると思うがなあ。少なくとも「裏切り者だから」なんていうヨタ話だけは絶対にないよな。

63: 人間七七四年 2007/03/17(土) 20:14:48 ID:jDYB6rKz
大勢が決した後に裏切ったら「よくもまぁ今更ヌケヌケと!どのツラさげて…見下げ果てたヤツだわい。」と思われても仕方がない。
木曾や穴山の場合は「でかした!これで武田攻略の道が開けるわい(*^^)v」だろう。

69: 人間七七四年 2007/03/18(日) 09:51:48 ID:/8ibjH7F
信茂の祖父・初代信有は信玄の祖父・信縄の娘を妻にしている
信茂は信玄の娘を妻にしている
一方で信玄の曽祖父・信昌は小山田から妻(側室?)を迎えている
更に遠くは武田家13代(信玄は19代)信満は小山田氏から
妻を迎えていてその子が14代信重になっている
正直言ってここまで厚遇されているにも拘らず勝頼を裏切った
とあれば世間の謗りは免れまい。

80: 人間七七四年 2007/03/18(日) 13:31:27 ID:Ai7tntcQ
自分が小山田だったとしても普通は勝頼を迎えて戦おうとは思わんよ
「こっち来るなよ」って思う
もし小山田家が残る方法があるならば・・・。 って考えるのも当時の常識

言いたくないが徳川家のキャンペーン活動の影響もあるよ

87: 人間七七四年 2007/03/18(日) 21:20:40 ID:rawK9mH2
あのシチュエーションでどのように振舞うのが処世術として正しかったんだろね

①武田裏切って一縷の望み託して織田に投降
②武田抱え込み織田に滅ぼされる
③領地捨てて北条あたりに亡命

他にあるかな。②なら後世に美名残せたね
でも、俺の先祖(郡内出身)は信長軍に蹂躙されて殺されたろうから
そしたら今頃俺いないな。

88: 人間七七四年 2007/03/18(日) 22:00:27 ID:uStQOpsC
小山田家は元々、町田出身。
当時も町田に領地があって、信有(信茂の庶兄?)が統治していた。
郡内小山田家取り潰しの際には、一族を匿ったらしい。

北条家にも他国衆として扱われているので簡単に武田家の武将と言い切れない面もある。
とは言え落ち目になった武田家を土壇場で見捨てたのはマイナス。
せめて勝頼一行が北条領へ脱出するのを見て見ぬ振りしておけば・・・・。

見逃そうが見逃さなかろうが織田家が大身である小山田家を残す理由は無いので、
生き残るには勝頼と一緒に北条家へ亡命するしかなかったと思われるが、
所詮は田舎大名の信玄の元に長くいたのでその辺の考えは多分無かったかと・・・。

同じく他国衆の木曽家の帰参が許されたのを見て自分も大丈夫という程度だったかと。
なお、武田一族なのに裏切った穴山家は問題外。
本能寺の際のドサクサに殺されたが、あれが無くても結果は大して変わらなかったかと。

ただし、最後の失敗だけで信茂を評価すべきでなく、武田家と北条家に挟まれながら上手く立ち回った手腕や、
戦場での活躍を考えれば当時一流の武将であったと言っても過言ではない。

90: 人間七七四年 2007/03/19(月) 01:03:56 ID:fVYQPpq0
寧ろそこまで対等の力を持つ勢力であったなら
武田家が危険な状態(木曽&穴山離反)になったら
北条の他国衆なんだから北条に完全に鞍替えして
後ろ盾を得て甲斐一国を統一してみようとか、
最悪でも郡内領だけを北条に組み込むとかしなかったのだろうか?
北条も他国衆としていたのであれば小山田に少なからず
この武田崩壊の好機にアプローチ(上記のような)がなかったのか?

91: 人間七七四年 2007/03/19(月) 01:41:06 ID:g1iWuZ++
小山田氏を、ある程度の自立性・独自性をもった有力国人としてとらえるのならわかるが、
それがなぜ、武田と対等な同盟関係とか飛躍してるのだろう?
と一部の小山田信者を見て思った。

もう一つ。小山田はひたすら擁護しながら、
穴山梅雪を罵るのには容赦ないのには見苦しいものを感じた。

97: 人間七七四年 2007/03/19(月) 19:51:40 ID:GC6Cv4kj
>>91
対等な同盟関係なんて言ってる人いたっけ
もちろん同盟関係ったって強弱はあるんでしょうね
また同盟といっても両者の間柄を便宜的に言い表したりしただけじゃないか。
誰かの本(ごめん忘れた)に手紙の分析かなんかして
「君臣ではなく、兄弟みたいな関係」ってあって
なるほどと思った記憶がある。勉強しなおすかな、この機に。

94: 人間七七四年 2007/03/19(月) 08:53:17 ID:yXfrTqyV
当時、国人が主君に従うのは自分達の利益を守ってくれるから
主家が落ち目になれば鞍替えしない家のほうが少数派
歴史の動静を見れば別に珍しくも無い
縁戚だからって一連托生とする義理はない、というのが戦国の常識でしょ
まして半独立性があるのならむしろ積極的に織田に与しなかっただけマシ(もっともこの中途半端な態度が木曽らとの明暗を分けてしまったんだが)

101: 人間七七四年 2007/03/20(火) 00:41:49 ID:Uz5jRjtQ
てか、穴山と木曽は事前に寝返り工作で内応を約束されていたけど
小山田は土壇場の崩れ際に寝返ったよね

ここが信長の心象を悪くしたんじゃないの

関ヶ原でも事前に東軍寝返りを約束していた小早川や脇坂は戦後加増されたけど
無約束で勝ち馬にのって東軍に寝返っただけの赤座や小川は、不忠者としてしっかり改易されているよ
それとおんなじなんじゃないの

103: 人間七七四年 2007/03/20(火) 08:10:20 ID:mx11qL/c
ふと疑問なんだが北条家の他国衆ってどんな扱いなの?
この他国衆って奴の扱われ方が気になるんだが・・・。
それと拮抗した最盛期の武田と北条の間でなら
上手く仲裁屋として立ち回って存在感をアピールできただろうけど
武田を滅ぼした圧倒的な織田と北条では天秤にはかけられない
確実かに早めに織田に寝返ったほうが上手いのだが
多少なりとも北条に肩入れしている部分もあり
おまけに土壇場でっていうか勝頼死後の残党狩り中に降ったら
助かるとは到底思えない。
小山田氏の中途半端な行動が凄く気になるんだぜ

104: 人間七七四年 2007/03/20(火) 11:12:31 ID:J5mVYiJr
北条氏の他国衆というものがどういうものかはよくわからんが、
たしか当時の書状などから、小山田氏の上位権力として信玄が
いたということが判明しているみたいだから、従属関係はハッキリ
していると思う。北条氏でいうところの上田氏のような関係が近いんじゃないか?

105: 人間七七四年 2007/03/20(火) 13:16:16 ID:ZwryHsTs
中途半端なのは結果論じゃないの?
こういう局外中立的な立場をとって最後まで帰属をはっきりさせないことで生き残ろうとした国人はよくいたよ
真田氏だっておおまかにいえばその立場じゃん

114: 人間七七四年 2007/03/20(火) 23:34:51 ID:mx11qL/c
>>105
真田は時代時代で生き延びる為に方々に行動を起こしているよ
それに比べて小山田氏はどのように考え行動を起こしたのか、かなり不明
それを指して中途半端と評したんだ
武田家でも中枢にいて情勢も把握している小山田氏が中立を決め込むなんて
有り得ないって言うか周りが許さないだろう?

108: 人間七七四年 2007/03/20(火) 17:01:05 ID:IGKB9la0
未だに裏切りとか言ってるのか。

自分は見限りと言うけどね。

109: 人間七七四年 2007/03/20(火) 17:38:58 ID:Qw0SJF/1
事前の内通なしだから、土壇場での裏切りととられても仕方ない

111: 人間七七四年 2007/03/20(火) 17:40:48 ID:Qw0SJF/1
そもそも、明確な見限りなら、木曽氏のように
織田・徳川の侵攻に合わせて叛くはずだし、
最後の最後で主君をだまし討ちにしたら、それは裏切りだよ

112: 人間七七四年 2007/03/20(火) 19:03:10 ID:fpg+gww5
横からすみません。
勝頼を裏切ったのは郡内小山田氏全員?それとも信茂だけなんですか?
前のほうに違うものもいたようなレスがあったような気がするんですが、信茂との関係がよくわからなくて。

113: 人間七七四年 2007/03/20(火) 21:29:07 ID:YyUmlgYL
小山田昌行・昌盛(息子)・昌貞(弟)
ってのが武田家臣にいて仁科信盛の高遠城篭城戦に参加して討ち死にしてますが
系図的に郡内小山田とは別系統です
小山田氏は源平の頃からつながる由緒のある家柄ですので、元をたどればどこかでつながる
って考えてもよさそうですが、そうともいえない。「勝手に小山田名乗った」
というのもありな時代なんで。
まあ、「クラスにいるあなたと同じ苗字の人」くらいの感覚でしょうか

ちなみに郡内の信茂の数代前に小山田信長ってのもいます

114: 人間七七四年 2007/03/20(火) 23:34:51 ID:mx11qL/c
>>113
小山田昌行の家系は数代前に郡内小山田氏から分かれ
分家したため本家に憚って別の苗字になっていたが
信虎の時代に大元の小山田に戻った、と言う説もある。

115: 人間七七四年 2007/03/20(火) 23:50:40 ID:BX3mA8Dk
石高はどれくらいあったんだろ。この小山田氏って。大月~町田くらいまで領地あったの?
なら、10万石くらいあったんかな?

116: 人間七七四年 2007/03/21(水) 00:39:38 ID:tG+hwI93
>>115
大月~町田まで領地があったら完全に大名でしょうがそれはもちろん無い
家が別れていってそれぞれ子孫がそれぞれの地を領有していきました
石高は不明ですが、はっきりいってたいしたこと無いよ(地元民がいうんだ間違いないw)
ただし、小山田は経済活動の独立性を武田から認められてる面があり、
浅間神社(富士山信仰の神社)を押さえて、富士山詣での信者から関所で通行料など取っていて
かなり稼いでいたそうです
長篠の戦に3200名を動員したという兵力で経済力を計算してみてください。

119: 人間七七四年 2007/03/21(水) 02:12:36 ID:DCdbUNws
>>116
江戸時代に富士講が過熱したおかげもあって今は下手すると
北口の方が有名だが(有名なだけで中心ではないとあえて付け加えておく)
当時の浅間(富士山)信仰の中心はもっぱら静岡側の大宮(現富士宮・三島)口。
山梨側で通行料取って食っていけるほどに一般登山者が増えたのも江戸時代。

小山田の稼ぎ口は通行料というより、富士山が閉山している期間に
御使達が各地をまわって浅間信仰者からもらった初穂料や神饌、奉納品等だよ。

118: 人間七七四年 2007/03/21(水) 02:05:02 ID:rlsv193P
神社、御使を押さえていた→経済面でも重要だったが、諜報のためという役目があったことが近年わかっている。動員数には入らないが、これも戦力として補足しておいたほうがいいだろう。

おもしろい一族だということはたしかだな。

141: 人間七七四年 2007/03/24(土) 14:20:32 ID:eQiDC0f0
信茂の兵力についてききたいんだけど、
長篠→勝頼が岩殿いきを決めたときでそれぞれどれぐらいだったんだろう。
おしえてくんでスマソ

142: 人間七七四年 2007/03/24(土) 15:21:28 ID:QTmE3slR
長篠合戦では小山田衆は三千で出陣・うち一千が討死という大打撃を受けている
武田を見限ったのは、野戦兵力の三分の一を失って織田との戦いに全く展望が無くなったのも理由の一つだろう
数は織田侵攻までに回復したとしても、その程度じゃない?

145: 人間七七四年 2007/03/25(日) 21:36:30 ID:JcLEwsqO
それだけ投入して打撃受けたらイタイっすね。しかし裏切るつもりなら、まだ兵力が残っていたわけだから、どうせなら長篠直後に動けば良かったのに。なんでそうしなかったのか理解に苦しむ。

154: 人間七七四年 2007/03/27(火) 17:53:36 ID:y1gSqOIJ
最後の裏切りさえなければ名臣として名前のこせてのにね
武田五名臣の1人とかって
残念な奴だ

引用元: ・【岩殿城】小山田一族について語れ!【谷村館】

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