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1: 無名武将@お腹せっぷく 04/12/28 23:01:41
略列伝。
字は伯安。名前だけだが太尉にもなる。後に幽州牧として北方の異民族と友好政策を採り成功。袁紹などに皇帝に担ぎ上げられそうになった。
異民族は彼が来ると安心したという。公孫讃の対異民族圧力主義と対立し、ついに戦闘になり公孫讃に殺された。

当時の北方異民族の関係も含め語ってくれ。







劉 虞

劉 虞(りゅう ぐ、? - 初平4年(193年))は、後漢の宗室(広義の皇族)。

中平4年(187年)、中山太守の張純と張挙らが、烏桓の丘力居と連携して反乱を起こした。翌年(188年)、朝廷は劉虞を幽州牧に任命して、その鎮圧に当たらせた。劉虞は烏桓の間でも人望が厚かったため丘力居は戦わずして劉虞に帰順し、張純は鮮卑族の下へ逃亡した。間もなく張純は食客の王政に殺害され、反乱は鎮圧された。4月、この功績によって劉虞は太尉に昇進し、容丘侯に封じられた。永漢元年(同188年)9月、董卓が献帝を擁立すると、劉虞は大司馬に昇進し、襄賁侯に封じられた。

初平元年(191年)、袁紹や韓馥は、劉虞が漢王室の年長の宗室ということで皇帝に擁立しようとしたが、劉虞はこれを拒絶した。

公孫瓚は袁紹とたびたび戦い、敗れていたが、それでも袁紹を攻めることをやめなかった。劉虞は公孫瓚がみだりに武力を行使することを憂い、次第に兵糧の支給を削減した。これに怒った公孫瓚は人民を侵犯し、劉虞が異民族に与えようとしていた物資を略奪した。劉虞もまたこれを怒り公孫瓚を討伐しようとしたが、東曹掾の魏攸に諌められ、思い留まった。

初平4年(193年)、魏攸が病死した。ここに至って劉虞の怒りも限界に達し、10月、公孫瓚を討伐すべく異民族などを糾合して10万余りの大軍を集めた。ところが公孫瓚との決戦を前に、従事の程緒が「公孫瓚の悪事過失は明白だが、処罰の名目が立っておらず、また勝算の見通しも立っていない。ここは兵を留めて攻撃せず、武威を示せば公孫瓚は降伏するでしょう」と進言する。劉虞は進言を退け、士気を沮喪させたとして程緒を斬首に処したが、かえって軍勢は混乱した。さらに従事の公孫紀は、公孫瓚と同族で彼に厚遇されていたため、討伐作戦の詳細を密告した。

公孫瓚はこれに対抗すべく、民衆を盾にして城に立て籠った。劉虞は「余人を傷つけないように、斬るのは公孫伯珪(公孫瓚)ただ一人のみ」と指示し、そのため、劉虞の軍勢は城を攻めあぐねた。その隙に公孫瓚は劉虞の陣へ火攻めを仕掛けて散々に討ち破り、ついに劉虞は捕らえられてしまった。多くの人民が劉虞の助命を嘆願したが、公孫瓚は市場で劉虞を曳き回しにした上、「皇帝になれるほどの人物なら、天から雨を降らせることができるであろう」と強引な要求をした。時は真夏の最中だったが、結局雨が降らなかったため、劉虞は処刑された。






3: 無名武将@お腹せっぷく 04/12/28 23:03:42
じゃあ閻柔とか鮮于輔とかも。

5: 太史公 ◆SHUZENU4Yk 04/12/28 23:56:07
演義冒頭で幽州に劉焉がいたことになってるけど、劉虞の誤りかな?

39: 無名武将@お腹せっぷく 05/02/12 00:45:15
>>5
演義で劉焉が幽州牧なのは、後に劉備が劉璋から蜀を奪うんで、
劉備の乱世へのとっかかりにその親父が関わってるっていう因縁話って事らしいよ。

6: 太史公 ◆SHUZENU4Yk 04/12/28 23:57:29
演義は史実そのものじゃないから誤りっていうのは違うかもしれないけど・・・。

劉虞の地盤は死後袁紹に引き継がれたっぽい。

7: 無名武将@お腹せっぷく 04/12/29 03:16:41
劉焉は幽州牧から益州牧に転出。その後劉虞が幽州牧になったんですよ。
それが188年のことで、演義の冒頭はその前の時期、まだ劉焉が幽州牧の頃のことですね。
てか田疇様のことも語れ。いいキャラだぞ。特に曹操との絡みが。

9: 太史公 ◆SHUZENU4Yk 04/12/29 13:10:01
>>7
三国志と後漢書の劉焉伝によると、劉焉が幽州刺史(牧)をしていたことはないようです。
一方、劉虞は黄巾の乱以前に幽州刺史をしていましたが、黄巾の乱の際には離れており、甘陵相になっていますね。
(三国志公孫サン伝注と後漢書劉虞伝)
史実としては、劉備が黄巾の乱討伐に参加する時の幽州刺史は劉焉でも劉虞でもなさそうです。
(当時の幽州刺史が劉焉という記事があるようなら教えてください。見つかりませんでした。三国志劉備伝にも特に書いてないですし。)

演義での話なんだからそもそも史実うんぬんは野暮だったかもしれないですけど・・・。

10: 無名武将@お腹せっぷく 04/12/29 19:29:26
劉虞には野望というか覇気が欠けてると思う。
人望は厚かったんだから匈奴の軍事力を借りて袁紹と組んで公孫讃を潰し、南下すればいいものを。。
肥のゲームでやってみるかな。。。

11: 無名武将@お腹せっぷく 04/12/29 21:56:23
公孫讃の横暴に怒って奇襲したときも、民の家を焼くな。公孫讃だけを殺せなんていうから、圧倒的兵力差だったのに逆転されて、捕まって処刑・・・いい人過ぎる。征服なんて言葉はないと思われ。

12: 太史公 ◆SHUZENU4Yk 04/12/29 22:06:36
あくまでも印象ですが、漢の官僚という枠からはみ出る事がなかったんじゃないでしょうか。
同時期に州牧となった(というか州牧制施行の推進者)劉焉あたりと比べるとスタンスの違いがわかる・・・ような。
劉虞もいい人というだけではなかったとは思いますが(公孫サンに捕まった時に暴露されたという件など)、
官僚として統治者として優れた人物だったんだろうなあ、とは思います。
劉虞

劉虞は倹約・質素を信条とし、冠が破れても新しい物に変えず、その穴を繕って使い続けるほどであった。しかし彼の死後、公孫瓚の兵がその家を捜索すると、妻妾は質素とは程遠い、美しく飾り立てた絹製の服を着ていた。人々はこれを聞いて、劉虞の本性を疑ったという。


13: 無名武将@お腹せっぷく 04/12/29 22:10:58
異民族を懐柔できるのは、やっぱすごいわな。

14: 無名武将@お腹せっぷく 04/12/29 22:20:56
Ⅸで異民族から攻められたときはさすがにブチ切れたなあ・・・

16: 無名武将@お腹せっぷく 04/12/29 22:34:21
劉備のようなペテン師や劉表のような日和見野郎を仁君とは言わない
真の仁君とは彼のような人物だ

17: 無名武将@お腹せっぷく 04/12/29 22:53:59
この人の徳のお陰で蝗もその土地を荒らさなかったという伝説があるぜ。

19: 無名武将@お腹せっぷく 04/12/30 14:40:38
もし、劉虞と公孫瓚が組んでたら一大勢力になるぜ。

21: 太史公 ◆SHUZENU4Yk 04/12/31 01:16:17
公孫サンみたいな強硬派がいたからこそ、異民族が劉虞に従ったという面もあるような気もする。
北風と太陽みたいな。

22: 無名武将@お腹せっぷく 04/12/31 01:58:17
幽州に居ながら大司馬に任命されるなんて凄いな。あれは長安政権が
劉虞を懐柔させようとしたのか?

23: 太史公 ◆SHUZENU4Yk 04/12/31 02:05:08
懐柔より、董卓自身が太尉になるために劉虞を位は高くても実職のない官に就けたというのが真相のような気がしてならないです。

24: 無名武将@お腹せっぷく 04/12/31 02:15:23
そうとは言え、幽州牧を兼ねたまま大司馬に任命された事はかなり大きいな。
本来なら公孫瓚なんて屁でもないのだがな。

25: 無名武将@お腹せっぷく 04/12/31 03:06:29
董卓としては劉虞にはエンショウの横腹をつついて欲しい、もしくは自分の横腹をつつかれたくないと言ったところでね?

26: 無名武将@お腹せっぷく 04/12/31 10:55:10
劉虞は劉協よりもずっと血統では皇帝劉氏の血を受け継いでるから皇帝になっても
十分だが、劉虞は野心が少ない人間だったからな。

27: 無名武将@お腹せっぷく 05/01/09 17:33:10
しかし袁紹が公孫より先に劉虞に攻めてくるのは納得いかねえ・・・

47: 無名武将@お腹せっぷく 黄天当立184/04/02(土) 01:30:31
裴注に引く『典略』という書によると、公孫は劉虞を捕らえた後、縄で縛って市場に晒し、
「貴様が本当に皇帝の資格があるなら天が雨を降らせて助けるだろう」と言ったが、
夏の真っ盛りで雨が全然降らなかったため処刑したという。

48: 無名武将@お腹せっぷく 黄天当立184年,2005/04/03(日) 17:05:11
可哀相。・゚・(ノД`)・゚・。ウエエェェン

49: 無名武将@お腹せっぷく 黄天当立184年,2005/04/03(日) 17:22:48
劉虞って淮南郡出身の劉曄と系統的に近いでしょ?

劉虞が東海恭王劉彊(後漢の郭太子)の系統で、
劉曄がその庶弟の阜陵王劉延の系統。
まあ、どちらも後漢の宗室系だな。

59: 無名武将@お腹せっぷく 2005/04/29(金) 23:52:59
そういえば異民族との講和策は魏攸の進言によるものだっけ。

61: 無名武将@お腹せっぷく 2005/04/30(土) 08:57:54
死後、遺臣たちが次々と復讐戦に立ち上がったところに、この人の真価があると思う。

63: 無名武将@お腹せっぷく 2005/04/30(土) 15:10:07
人望はあったが、如何せん配下がなぁ・・・。
配下が天下を目論むような大物で、劉虞を担ぎ上げれば面白かったのかも。

ただ、袁紹が帝位へと誘ったときはあっさりと蹴っていたっけ。
だからこそ人望があったんだろうが・・・。

64: 無名武将@お腹せっぷく 2005/04/30(土) 19:00:05
>>63
擁立されていたら劉虞の真価は発揮されまいよ。
配下が非才だったということもないだろう。

俺は劉虞は烏丸と結んでいたんだから
その兵を動かして天下を狙えば
上手くいっていたんじゃないかと思っている。
叛乱を起こした張純や丘力居も四州に渡って荒らしたという記述があるし、
烏丸を戦に抱きこむ有効性は高いはずなんだけどな…

65: 無名武将@お腹せっぷく 2005/04/30(土) 19:36:00
>>63
劉虞のもとには閻柔がいたぞ。>天下を目論む大物の配下

67: 無名武将@お腹せっぷく 2005/05/04(水) 21:08:29
>>65
待て。閻柔は劉虞存命時にはまだ烏丸にいた。劉虞存命時の部下で出世頭はたぶん鮮干輔のはず。

68: 無名武将@お腹せっぷく 2005/05/04(水) 21:32:07
烏丸兵なんて下手に動かしちゃったら五胡十六国時代が早まっちゃたり
しないかい?
曹操のようながっちり手綱を握れる人ならまだしも・・・

69: 無名武将@お腹せっぷく 2005/05/04(水) 22:25:25
>>68
烏丸が劉虞を裏切るならそうなるな。

70: 無名武将@お腹せっぷく 2005/05/05(木) 00:27:32
五胡十六国のごちゃごちゃが短期にすんで北魏→隋→唐とスムーズにいけば
万々歳じゃないか


引用元: ・【あっても】劉虞をたたえるスレ【いいだろ】


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