51WDQRHS8ZL



1: 世界@名無史さん 2005/08/06(土) 18:36:57 0
琉球とかチャンパーとかシュリーヴィジャヤとか。
なんとなくエキゾチック。








2: 世界@名無史さん 2005/08/06(土) 19:34:54 0
とりあえずガジャ・マダ最強といっておく
200px-Gajah-Mada


ガジャ・マダ

ガジャ・マダ(? - 1364年)は、14世紀のジャワ島にあったマジャパヒト朝の宰相を務めた人物。ハヤム・ウルク王を補佐して王国の全盛期を築いた。

初めは禁軍の1将校に過ぎなかったが、1319年に当時のジャヤナガラ王の危機を救ったことから地方の知事に抜擢されて治績を挙げた。1331年にサデン人の反乱を鎮圧したのを機に中央に召されて宰相に就任した。当時はジャヤナガラの従兄弟であった女王トリブワナー(その母親のラージャパトニが即位していたとする説もある)が在位し、1350年に即位したトリブワナーの子であるハヤム・ウルクも若年であったためにガジャ・マダがこれを補佐して国政全般を指揮した。また、軍人出身であったガジャ・マダは軍の指揮官としても才能を示し、1342年にバリ島を征服したほか、周辺地域を次々と征服し、南海諸王朝の歴史の中で最大の版図を築いた。


4: 世界@名無史さん 2005/08/06(土) 19:50:05 0
ガジャ・マダといえばパラパだが、
結局パラパって何なのよ

5: 世界@名無史さん 2005/08/06(土) 20:06:52 0
なんかの果物だとか、セクースの秘儀だとか、名誉を称える顕彰式だとか、諸説紛々


17: 世界@名無史さん 2005/08/21(日) 12:59:11 0
琉球は東南アジアと交易していたっていうけど本当か?
どの本を見ても日本や中国との関係ばかりで
東南アジアについては一言も触れられていないんだが

18: トメ・ピレス『東方諸国記』より 1/2 2005/08/21(日) 14:54:16 0
レケオ〔琉球〕人はゴーレスと呼ぱれる。かれらはこれらの名前のどちらかで知られているが、レキオ〔レケオに同じ〕人というのが主な名前である。国王とすべての人民は異教徒である。国王はシナ(中国)の国王の臣下で、〔彼に〕朝貢している。彼の島は大きく、人口が多い。かれらは独特の形の小船を持っている。またジュンコ(ジャンク型の船)は3、4隻持っているが、かれらはたえずそれをシナから買い入れている。かれらはそれ以外は船を持っていない。

かれらはシナとマラカ(マラッカ)で取引を行なう。しばしぱ彼らはシナ人といっしょに取引をし、またしばしば自分自身でシナのフォケン〔福建〕の港で取引をする。それはシナ本土にあり、カントン〔広東〕に近く、そこから一昼夜の航海のところにある。マラヨ(マレー)人はマラカの人々に対し、ポルトガル人とレキオ〔琉球〕人との間には何の相違もないが、ポルトガル人は婦人を買い、レキオ人はそれをしないだけであると語っている。

19: トメ・ピレス『東方諸国記』より 2/2 2005/08/21(日) 14:54:38 0
レキオ人は、かれらの土地には小麦と米と独特の酒と肉とを持っているだけである。魚はたいへん豊富である。……(中略)……われわれの諸王国でミラン〔ミラノ〕について語るように、シナ人やその他のすべての国民はレキオ人について語る。かれらは正直な人間で、奴隷を買わないし、たとえ全世界とひきかえでも自分たちの同胞を売るようなことはしない。かれらはこれについては死を賭ける。かれらは色の白い人々で、シナ人よりも良い服装をしており、気位が高い。かれらはシナに渡航して、マラカからシナへ来た商品を持ち帰る。

かれらはジャポン〔日本〕へ赴く。それは海路7、8日の航程のところにある島である。かれらはそこでこの島にある黄金と銅とを商品と交換に買い入れる。レキオ人は自分の商品を自由に掛け売りする。そして代金を受け取る際に、もし人々がかれらを欺いたとしたら、かれらは剣を手にして代金を取り立てる

生田滋・加藤栄一・長岡新治郎訳
『大航海時代叢書』Vより

20: 『歴代宝案』より 2005/08/21(日) 15:01:47 0
右,暹羅国に咨す

為照するに,本國は貢物稀少なり。今,正使實達魯等を遣わし,勝字号海船
一隻に坐駕し,磁器等の物を装載し,貴國の出産の地面に前到して,胡椒,
蘇木等の貨を収買し,回國して應用せしむるの除外(ほか),専ら礼物を備え,
詣前し奉献して少しく達意を伸ぶ。仍お希(ねが)わくは海納せよ。煩(ねが)
わくは四海一家を念(おも)い,貿易を従容し,早(すみ)やかに発するを
為さんことを。風迅に*かん(*「そうにょう」に「旱」の字です)*趁(*正しくは
「そうにょう」に「弥」の「ゆみへん」をとった字)して回國すれば便益ならん。
今,礼物の数目を将(もっ)て後に開坐す。須らく咨に至るべき者なり。今,
奉献の礼物を開(しる)し,後に開坐す。
織金段五匹,素段貳拾匹,硫黄三千庁,今報ず貳阡五伯斤正,腰刀五柄,
摺紙扇三十把,大青盤貳拾箇,小青盤四伯箇,小青碗貳千箇。

宣徳貳年(1427)九月十七日

※琉球王府がシャムに送った外交文書

21: 世界@名無史さん 2005/08/22(月) 03:16:09 0

わざわざどうも。
独特の形の小船というのが気になるな。

23: 世界@名無史さん 2005/08/28(日) 01:23:23 0
フィリピンが歴史上に登場するのはいつごろだろう。
宋代の史書に登場しているんでしたっけ。
南部諸島には仏教の碑文が建てられた記憶が。

24: 世界@名無史さん 2005/08/28(日) 01:26:24 0
山東省には今でもミンダナオのイスラム教徒の子孫を名乗る連中が住んでるんだよな。
明に朝貢した帰りに王子が死んだので墓守に残ったとかそういう理由で。

25: 世界@名無史さん 2005/08/28(日) 01:29:31 0
>>24
それはおそらく始祖伝説で、やはり実際の所は元代の色目人の後裔だったりするんだろうか。

26: 世界@名無史さん 2005/08/28(日) 01:40:39 0
>>25
山東省にもあっちこっちに結構な数の回族が住んでるけど、ミンダナオの子孫を自称する人たちはひとつの村にしか住んでないから、そうやって括らなくても良いように思うが。

27: 世界@名無史さん 2005/09/02(金) 03:37:17 0
>ミンダナオの子孫を自称する人たち

いつごろ、いかなる経緯で山東省にたどり着いたのだろう?
フィリピン南部にイスラムが浸透したのは古くても元代以降だっけ?

28: 世界@名無史さん 2005/09/09(金) 22:27:48 0
ルソン島とは宋代に通交があったらしいが。

29: 世界@名無史さん 2005/09/10(土) 01:17:38 0
>>28
麻逸のことか?
それならミンドロ島に比定されているはずだが。

30: 世界@名無史さん 2005/09/18(日) 19:41:14 0
有史前のフィリピンは中国方面よりもむしろマレーシア方面からの文化的影響のほうが強かったのかな。ミンダナオ島かスールー諸島あたりに碑文も建てられたんだっけ。

31: 世界@名無史さん 2005/09/19(月) 03:06:22 0
オーストロネシア語族の拡散ルートとしては台湾~フィリピンルートが有力視されているが、台湾と福建も明代以前はそんなに交渉がなかったし南方の文化的影響の方が強かったと思うよ。

フィリピン史最古の現地史料はインド系の文字で書かれた銅板文書だったはずだし。

32: 世界@名無史さん 2005/09/19(月) 14:02:18 0
ミクロネシアに限ってはフィリピン諸島から直接東方へ航海した形跡もあるらしい。

もっとも紀元後の移住が主らしいが。
このとき稲作も携えてきたとかなんとか。グアムにはマゼラン以前に水田があったらしいが。

35: 世界@名無史さん 2005/10/22(土) 10:32:03 0
ミャンマーの話題ってまったく登場しないね。
一時はインドへも進出したり、仇敵タイを攻め滅ぼしたりと元気な時代もあったが、今はわずかにスーチー女史くらいしかニュースがないなあ。
 

37: 世界@名無史さん 2005/10/22(土) 22:30:04 0
インドってホントかよ。
アラカンを征服したのだって、かなり遅くじゃなかったか?

38: 世界@名無史さん 2005/11/03(木) 20:20:28 0
アッサム・アラカン・シャンを征服したよ。
ビルマ史上最大の版図だったな。
コンバウン王朝

コンバウン王朝は、後にミャンマーとなるビルマ最後の王朝(1752年 - 1886年)。

第二次タウングー王朝が衰退すると、下ビルマのモン族は上ビルマに侵入、モーソーボ(現在のシュエボー)の首長アウンゼーヤがこれを撃退してアラウンパヤーと名乗った。アラウンパヤー王はモン族の本拠地パゴー(ペグー)を下し、東部のシャン地方や西方のマニプルにまで遠征した。

第3代シンビューシン王は1766年タイのアユタヤ王朝を下すが、雲南南部のタイ族小邦の宗主権をめぐって対立した清軍と交戦し、停戦後に清と冊封関係を結ぶ。

1782年前王を殺害して即位したボードーパヤー王はアラカン王国を征服し、マニプル王国やアッサム王国を支配下に治め、ビルマ史上最大の版図を実現した。しかし、ビルマの西方への拡大はインドを支配するイギリス当局の利益と衝突し、英緬戦争が勃発した。


41: 世界@名無史さん 2005/11/22(火) 10:11:43 0
>>38
スゲー

42: 世界@名無史さん 2005/12/04(日) 17:28:07 0
1758年 シャン地方やマニプールに遠征
1759年 タイの首都アユタヤ攻撃、撤退
1766年 シンビュシン王、アユタヤを陥落させる
1769年 清軍とアヴァ近郊で停戦協定を結び、撤退させる
1782年 ボードーパヤー王、マウンマウン王を殺害。アマラプラに新王都建設
1795年 アラカン王国を征服
1814年 マニプール王国を支配下に入れる
1817年 アッサム王国を支配下に入れる

43: 世界@名無史さん 2005/12/07(水) 23:32:55 0
なんというか、消える炎の最後の輝き、って感じの最後の一世紀だったんだな・・・

44: 世界@名無史さん 2005/12/27(火) 00:48:11 0
アラカン山脈を越えて侵攻したのは、先にも後にもこれ一回じゃなかろうか、もしかして。
インドの王朝がビルマへ攻め入った話は聞かないし。

45: 世界@名無史さん 2006/01/22(日) 15:57:19 0
アラカン山脈ってそんなに越えがたいのかねえ
日本軍もインパール作戦で散々苦労してるけどさ

46: 世界@名無史さん 2006/02/01(水) 13:02:46 0
世界屈指の豪雨地帯でもあったはず。

64: 世界@名無史さん 2006/07/02(日) 19:05:55 0
うちのインド史の教授が「人間の通るところじゃありません」と言い切ってた。

47: 世界@名無史さん 2006/02/04(土) 00:02:45 0
東南アジアの中世っていつ?

48: 世界@名無史さん 2006/02/04(土) 03:32:14 0
>>47
いろいろ説はあるけど、9/10~14/15世紀くらいが主流ではないかな。

49: 世界@名無史さん 2006/02/13(月) 01:32:51 0
フィリピンにも古代/中世の区分ってあるんかいな?

51: 世界@名無史さん 2006/03/11(土) 20:24:27 0
国家が発生しなかったのに文字文化が普及したフィリピンってなんだか珍しい例かも。

53: 世界@名無史さん 2006/03/12(日) 22:02:20 0
>>51
インド系文字がマレーシア経由で北上し、フィリピン各島に伝播していたよ。
独自の改変を施されたオリジナル文字が各島にあったそうな。
交易品ではなく、各地の言語で竹筒や木簡に刻まれた叙事詩や占術書などが残っている。
長編叙事詩「フドフド」などはマゼラン到達以前に完成していたしね。
 

60: 世界@名無史さん 2006/05/28(日) 17:37:18 0
>>53
これが最古の文献らしいな。

フィリピン最古の文字記録「ラグナ銅板文書」
http://www.halohalo.info/JAPANsite/what/History/History.htm
※リンク切れ

62: 世界@名無史さん 2006/06/10(土) 18:34:00 0
>>60
900年頃だとしたら、東南アジアでも相当古いほうだよな。
インドに隣接したミャンマーでさえ、まだ固有の文字は登場してなかった気がする。

57: 世界@名無史さん 2006/04/04(火) 14:26:12 0
パガン朝文学。
そこそこ栄えたらしくて、翻訳も何点か出てたはずなんで読んでみたいんだが、書名がわからん。

パガン朝時代、既に現在の○の組み合わせみたいなビルマ文字でかかれていたのだろうか。

パガン王朝

パガン王朝は現在のミャンマーに存在した、ビルマ族最初の王朝である。

首都はパガン。「パガン」とは「ピュー族の集落」を意味する「ピュー・ガーマ」が転訛したものと考えられている。国王が55代続いたと言うことが一連の伝統的な王統史には書かれてあるが、出土品と碑文によってこの論はおおむね否定されている。
南詔の尖兵として上ビルマに存在していたピューを征服し、その後イラワジ平野に定住したビルマ族を祖先とする。849年ごろに彼らが都を築いたパガンの地は降水量が少なく、稲作には不向きな土地であったが、米どころであるチャウセー地方とミンブー地方の中間点に位置していた。ビルマ族は先住していたピュー族から農耕技術を学び、彼らとの接触によって仏教を知ったと考えられる。

現存する王朝の出土品から初めて実在が確認される、王統史の言う「44代目」のアノーヤター(1044年 - 1077年)が最初の王とされる。


58: 世界@名無史さん 2006/04/16(日) 02:14:48 0
ビルマ最古の文字記録が1112年建立のミャゼディ碑文。
パガン朝チャンシッター王の遺徳を讃えた四角柱の顕彰碑にモン語・パーリ語・ピュー語・ビルマ語の四言語で刻んであるもの。

もうこの時点でランドルト環のような字形ができあがっていたようで。

67: 世界@名無史さん 2006/07/17(月) 07:12:02 0
フィリピン南部まで仏教が浸透してたんだよね。
スールー諸島かミンダナオ島あたりに石碑がなかったっけ。

88: 世界@名無史さん 2007/01/24(水) 11:08:38 0
ラグナ銅板文書って、(いちおう)10世紀(ってことになってるん)だろ。
チャム文字の碑文とかの方が古いじゃん。

89: 世界@名無史さん 2007/01/27(土) 21:01:45 0
古い順に並べるとこんな感じか。

チャム文字(4世紀~)
クメール文字(7世紀~)
モン文字(6世紀~)

90: 世界@名無史さん 2007/01/28(日) 16:39:11 0
インドから見て一番手前のビルマから順々にインド文化が伝わるとイメージしていまいそうだが、実際はそうでもないんだな。

むしろメコン下流に早く文明が開けるのは、海運上の立地と平野の広さだろうか?

91: 世界@名無史さん 2007/03/01(木) 00:45:07 0
南インドから伝わった文物が多いことからすると、一挙にベンガル湾を横断してスマトラ島あたりに最初に伝播していたんじゃなかろうか。

93: 世界@名無史さん 2007/03/11(日) 04:04:35 O
東南アジアのインド化
・中部ベトナムのミーソン碑文(サンスクリット語)
4C末 林邑王バトラヴァルマンがリンガを祀る
5C初 林邑王敵真(碑文ではガンガラージャ)、ガンジス河へ渡る

・南部ベトナムの扶南地域でサンスクリット語碑文
 扶南の外港オケオでローマの金貨、ランプとともにヴィシュヌ神像、シヴァ神
像出土
4C中 扶南王竺セン壇
→インド名の最初の王(竺→インド、セン→香木チャンダナの音訳)
4C末 インドから渡来したバラモン僧カウンディンヤ(僑陳如)、扶南王即位
天竺法制導入

・カンボジア~東北タイ
6~7C 南グランダ文字(パッラヴァ文字)による碑文群

・マレー
5~7C パルラヴァ文字によるサンスクリット語の印章が西海岸クロントーム
遺跡で出土
4~13C 西海岸ルンバブジャン遺跡で50以上のヒンドゥー寺院、仏寺の遺構群
南グランダ文字によるサンスクリット碑文(5~9C)4面
515年 東海岸パタニにあった港市国家狼牙脩(サンスクリットのランカスカの
音訳)、粱に朝貢

・ジャワ
2C 西ジャワにあった港市国家ジャヴァドゥウィーパ、インドより仏教化
5C 西ジャワでサンスクリット碑文
タルマ国王プルナヴァルマンの運河建設記す

94: 世界@名無史さん 2007/03/11(日) 04:16:05 O
>>93の続き
碑文ではタルマ国がヒンドゥー教を導入したことも記されている
・カリマンタン
6~7C カリマンタン東部クタイで南グランダ文字碑文7柱
ムラヴァルマン王が多数の牛を奉献したことを記する・バリ
517年 インド化していた婆利国、粱に朝貢

97: 世界@名無史さん 2007/03/27(火) 23:27:00 0
やはりビルマは素通りされてたのか?

99: 世界@名無史さん 2007/04/14(土) 11:18:45 0
>>97
アラカン山脈の西側は、長い間インド文明圏にも属さない地域だったしな。
モンゴロイド系住民が住む、ナガランドやマニプール、チッタゴン丘陵あたりね。

陸路では仏教などのインド文化はなかなか伝わらなかったと思われ。
山道は峻険、低地はジャングル、だものねえ・・・

103: 世界@名無史さん 2007/07/15(日) 14:44:47 0
>>99
アッサム側にもアホム王国のようなタイ系王朝が栄えていたことが信じられん。

71: 世界@名無史さん 2006/09/16(土) 14:30:21 0
東南アジアでは大規模な海賊集団ってあったんでしょうか。
倭寇のようにいくつもの国を股にかけて広域に荒らすような。

73: 世界@名無史さん 2006/09/28(木) 22:44:27 0
>>71
ブギス人とかイラヌン人とか。

74: 世界@名無史さん 2006/09/29(金) 19:20:54 O
ブギス人って海賊もやってたん?
傭兵や航海者としては有名だが
あとイラヌン人ってよく知らない
別名はある?

ブギス族

ブギス族はインドネシアのスラウェシ島南西に居住する民族。

歴史的には14世紀前後より確認されており、ルウ王国、ボネ王国、ワジョ王国などを建国した。元来はヒンドゥー教が信仰されていたが、17世紀に入るとイスラム教の流入により宗教対立が発生した。また、航海術、造船術に優れており、東南アジアにおける海賊活動が盛んに行われた。その影響範囲はオーストラリア北岸、ニューギニア、東南アジア大陸部などに波及している。18世紀にはマレー半島に起こったリアウ朝、ジョホール朝、スランゴール朝といった諸王朝を立ち上げている。

社会的には厳格な双系の階級社会制度となっており、王族、貴族、平民、奴隷が明確に区別された。血縁を重んじ、特に王族はスラウェシの天孫降臨神話を背景とした白い血を持っていると信じられており、その濃度によって社会的地位が取り決められた。


75: 世界@名無史さん 2006/09/29(金) 20:41:18 0
イラヌン人はマラナオ人の亜集団です。


104: 世界@名無史さん 2007/08/19(日) 22:30:19 0
東南アジアってなんで陸続きなのに言語や民族が雑多なんだろ

105: 世界@名無史さん 2007/08/20(月) 10:28:37 0
山と河で細かく分断されているからでは?

106: 世界@名無史さん 2007/09/06(木) 00:43:12 0
白石隆さんの「海の帝国」を読んでいます。
既に他の誰かが指摘されているかもしれませんが、これを読んで思ったのですが、東南アジアが「まんだらシステム」となったのは、他の地域でしばし見られた古代帝国がなかったからなのではないかと思いました。マガタ、ローマ、ペルシア、中華などの古代帝国は、地域に一体性とそれぞれの世界へのアイデンティティをもたらす効果があったと思うのです。
「海の帝国」に19世紀に、突然西欧近代的アイデンティティへの目覚めと国家・民族意識の誕生の同時的発生についての記載がありますが、この、前近代的アイデンティティのあり方は、この地域が「古代帝国」という現象を持たなかったから、という気がしました。東南アジアに巨大な古代帝国が発生しえなかったのは、地形的要素なのでしょうか。

107: 世界@名無史さん 2007/09/06(木) 00:54:26 0
>>106
16世紀頃にはマレー半島やインドネシア地域の人口は今の1000分の1以下だったらしい。だから帝国など作れるはずもなかったのだろう。



108: 世界@名無史さん 2007/09/06(木) 23:42:36 0
確かに人口が原因かも。でも1000分の1ではないと思う。
「海の帝国」でも、1600年当時、1100万程度。現在5億8千万程度だから、100分の1でも580万人。つまり、50分の1くらい。古代帝国の時代はもっと少なかったろうから、確かに帝国成立の余地はなかったかも。地域の広さと比べると、1600年当時で1100万は少ないかも。

109: 世界@名無史さん 2007/09/07(金) 12:41:16 0
アンコール朝は古代帝国じゃないの?
東南アジアをほとんど領有していた時代もあったんでしょ。

111: 世界@名無史さん 2007/09/07(金) 19:57:14 0
>>109
これはあくまで個人的な定義なのですが、「まんだらシステム」に対置される古代帝国とは、
 
-文化・文明的一体意識を、現在に至るまで地域住民に与え続け、その地域の古典時代となっている。
-いわゆる世界帝国。崩壊後は、世界宗教の範囲をも規定する
-現在に至るアイデンティティへの影響

というものです。この考えからすると、アンコール朝は、東南アジア全体に、そこまで影響力を持っているようには思えないのです。しかし、それも私の無知であるとしたら、アンコール朝に興味がわきますけれども。

113: Ryuju ◆RlujhF6VrA 2007/09/07(金) 23:41:10 0
>>109
アンコール朝が東南アジア全域に支配権を及ぼしていたとしても、それは「曼荼羅の中心にいられた」比較的短い時期であって、ローマや中国のような、ある程度固定した領域と数百年にわたる継続した文化や統治システムを持つ、古代帝国とは大きく異なるよ。

116: 世界@名無史さん 2007/09/08(土) 09:33:06 0
 逆に言えば、インドには古代帝国なんてあったろうか?
マウリヤ朝の支配はほとんどアショカ王1代の間に終わったし、後は全インドを支配できた政体は一つもない。大体に短命で地域的な支配体制が多かった。
でも、インドはインドとしてのアイデンティティを持ち続けてきた。

118: 世界@名無史さん 2007/09/08(土) 13:00:24 0
>>116
「インド」って、結局のところマハーバータラとラーマーヤナを共有しているかどうか、ってのが条件のようにも。
マハーバーラタ

『マハーバーラタ』は、古代インドの宗教的、哲学的、神話的叙事詩。ヒンドゥー教の聖典のうちでも重視されるものの1つで、グプタ朝の頃に成立したと見なされている。


ラーマーヤナ

『ラーマーヤナ』は、古代インドの大長編叙事詩。ヒンドゥー教の聖典の一つであり、『マハーバーラタ』と並ぶインド2大叙事詩の一つである。サンスクリットで書かれ、全7巻、総行数は聖書にも並ぶ48,000行に及ぶ。成立は紀元3世紀頃で、詩人ヴァールミーキが、ヒンドゥー教の神話と古代英雄コーサラ国のラーマ王子の伝説を編纂したものとされる。


121: 世界@名無史さん 2007/09/08(土) 22:32:26 0
確かにインドは全領域支配王朝はなかったが、前5世紀から後6世紀までのマガタ国が中核を担い、「古典インド」を作り出した。アショカ時代は、インド各地の発展度を均一化する功績があり、グプタ朝は、都市社会生活をもたらした。もちろん南インドがインド世界観を内面化するのは、より後世かも知れないが、アショカやビンビサーラ王の南インド遠征は、「インド世界」の認識のもとに行われたものと思う。

中華や地中海ほど明確な単一の世界帝国は生まれなかったが、マガタ国を中心として、古代帝国の機能が存在していたものと思うのですが、いかがでしょうか。

122: 世界@名無史さん 2007/09/08(土) 23:48:59 0
マガダ国の支配領域なんて相当小さいし、ライバルのコーサラ国なんかに比べてそれほど優越してたのかな?
インドは良く古代16国なんて言うけど、つまりマガダは16分の1だったわけでしょ。
マガダ国1国に帰着せしめるのは無理がありすぎるような気が個人的にします。

インドがインド足り得てるのはやはり宗教によるのではないかと。つまりはヒンドゥー。
古代帝国の存在云々より、宗教の力の方が大きいのではないか?

123: 世界@名無史さん 2007/09/09(日) 00:28:54 0
マガタ国は、マウリヤ朝以前だけではなく、グプタ朝も正式名称はマガタ国だったはず。

124: 世界@名無史さん 2007/09/09(日) 00:30:05 0
あと、もちろんマウリヤ朝もマガタ国です。

125: 世界@名無史さん 2007/09/09(日) 00:32:00 0
つーか今のインドも「マガタ国」って呼んでいるような。

126: 世界@名無史さん 2007/09/09(日) 05:47:50 0
今のインドの自称は「バーラタ」でしょ。
マハーバーラタ(大いなるバーラタ)のバーラタ。
バーラタ族の末裔と言うのがインドのアイデンティティ。


引用元: ・中世以前の東南アジア

東南アジアの歴史―人・物・文化の交流史 (有斐閣アルマ)
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