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1: 笑福亭笑瓶「ウィッキーデース!ルックルックルックルック…」 2013/04/28(日) 01:49:12.01
明治時代大正時代昭和時代平成時代みたいに呼ばれないのはなんでなのか








2: 日本@名無史さん 2013/04/28(日) 02:11:27.94
>>1
元禄

4: 日本@名無史さん 2013/04/28(日) 03:03:24.59
慶長
元和
寛永
正保
慶安
承応
明暦
万治
寛文
延宝
天和
貞享
元禄
宝永
正徳
享保
元文
寛保
延享
寛延
宝暦
明和
安永
天明
寛政
享和
文化
文政
天保
弘化
嘉永、安政、万延、文久、元治、慶応

5: 日本@名無史さん 2013/04/28(日) 03:17:47.96
明治に「一世一元の制」となるまでは、天災などが起きるたびに数年から長くて十数年で年号変えてたから全部覚えるのは大変だから。

あと、江戸時代とは幕府を開設した1603年から大政奉還をした1867年の期間を指す。

6: 日本@名無史さん 2013/04/28(日) 03:34:32.91
>>5
泉重千代さんの生まれた年があやしい、ということになって「最後まで生きた江戸時代生まれは誰か?」という問題がよくわからなくなった。

ちなみに「最後の大名」は第二次世界大戦中まで生きた。

7: 日本@名無史さん 2013/04/28(日) 03:56:54.91
明治時代とは『慶應』から『明治』(9月8日改元。ただし年始に遡って適用)に年号を変えた1868年から1912年の期間。

8: 日本@名無史さん 2013/04/28(日) 11:08:16.60
なんで応永ってあんな長いの?

10: 日本@名無史さん 2013/04/28(日) 11:43:55.77
応永年間は、足利義満が意地張って自分が生きてる間は年号変えさせなかったから

16: 日本@名無史さん 2013/05/06(月) 23:11:50.73
実は義満が死んだのは応永15年
そこから更に20年続いているため、それが事実かどうかは疑わしいという話もある。

22: 日本@名無史さん 2013/08/16(金) NY:AN:NY.AN
>>16
義満の話は古くから義満の皇位簒奪説と結びつけられて広く知られたエピソードだが、実は同じように戦後元号を変えさせなかったのは息子の足利義持だという説も存在するのだが、上が有名過ぎて殆ど顧みられていない(なお、義持の没後に直ちに正長への代始改元が実施されている)。

11: 日本@名無史さん 2013/04/30(火) 13:04:37.66
昔の人は、長治7年に、大きな洪水が起きたでござるよ
ああ、今より745年前のことでござるな

とかやっていたのだろうか
そのためにどんだけ頭のキャパくってんだよ
馬鹿じゃないのか なんで長い暦使わないんだよあほが

12: 日本@名無史さん 2013/04/30(火) 22:43:37.79
>>11
昔は十二支で年号を表した
乙巳の年とか午子の年とか
60年で一周だな
元号言われても今から何年前のことかピンとこないと思うが
60年前のことまでが分かれば大概の日常生活には不自由しなかったと思う

17: 日本@名無史さん 2013/05/14(火) 21:31:44.01
元号の改定ルール変えた方が良い気がする

19: 日本@名無史さん 2013/06/01(土) 02:12:30.41
嫌なこと合ったから元号変えるよ!とか
元号が変わったからいいことあるよ!とか

わけのわからん感覚だ 
そんなことで何かが好転したら苦労しないっつーの!

とおもったが、現代でも総理交代でこれが当てはまってしまうなw
区切りをつけたがり、何かあってもすぐ忘れるのは元号のせいなのか

20: 日本@名無史さん 2013/06/07(金) 06:20:01.24
何年ごととかに変えるって決めれば良いと思う

21: 日本@名無史さん 2013/08/16(金) NY:AN:NY.AN
西暦と和暦が混在してややこしい現代、2001年になったら「弐泉」と改元すればいいと言っていたのは星新一だったか。

23: 日本@名無史さん 2013/10/17(木) 20:05:42.69
まあ一番好きな元号はダントツで天正だな
戦国末期から江戸時代を迎える日本史上もっともドラスティックな時期
明治維新なんか足下にも及ばんわ

24: 日本@名無史さん 2013/10/17(木) 22:52:51.52
>>23
戦国時代は、国内統一と武士政権から武士政権に移行しただけ。

明治時代は、武士政権から近代国家に移行。
さらに対外問題で植民地の瀬戸際期。

ドラスティックなら、明らかに後者だろ。

25: 日本@名無史さん 2013/10/18(金) 02:27:51.57
天正はドラスティックというよりドラマチックな時代。
物語的に見映えがする時代。

ドラスティックなのは慶長。

同様にドラマチックなのが幕末で
ドラスティックなのは明治初年。

27: 日本@名無史さん 2013/10/22(火) 23:07:09.56
南北朝の頃とかどうすんの?

35: 日本@名無史さん 2013/10/26(土) 12:42:30.76
>>27
通常は南北朝の元号を併記するが、南北朝期の天皇の正当性
いわゆる南北朝正閏論は南朝にあるという明治天皇の決裁により
北朝がなかったという見解をとって南朝の元号しか表記しない教科書もあったらしい
現実問題は南朝が消滅して北朝に統合されたから継続性は北朝、正当性は南朝という
ややこしい状態になってるらしい。

30: 日本@名無史さん 2013/10/25(金) 21:51:05.46
応永は足利将軍家の意向で年号を変えなかったが、天文は朝廷の意向?

32: 日本@名無史さん 2013/10/26(土) 07:09:31.75
>>30
改元には儀式を伴うので銭がいる。
そして室町時代~戦国時代にその銭を出せたのは幕府だけ。
だから、幕府が金を出さなければ改元できない。
幕府滅亡後は織豊政権が代わりを務めるが、天正10年代は信長の後継者争い~天下平定事業でゴタゴタしていたから、
後陽成天皇代始と天下平定の慶賀を合わせて祝う文禄改元まで持ち越しとなった。

36: 日本@名無史さん 2013/10/26(土) 14:18:19.59
>>32
改元に儀式はいらないよ。
「改元の詔」は作成するので紙代ぐらいは必要だが。
即位の礼を行う金すらなかった天皇のときでも、改元は行われている。

改元は天変地異の際や、天皇の即位を記念して行われる。
応永はずっと後小松天皇だったし、改元の必要に迫られた大きな天変地異もなかったというだけのこと。

文禄の改元は後陽成天皇の即位を記念してのことで、天下平定の慶賀という意味はない。

37: 日本@名無史さん 2013/10/26(土) 15:19:45.37
>>36
改元の朝議は正式な衣冠束帯での出席を要するが、室町後期以降戦乱などで公家の収入は滞りがちだったから、衣装が揃えられない公卿が出席せずに朝儀が成立しないケースもあった。それを回避するために室町幕府が改元を要請する際には朝廷に献金を行って公卿たちに事前に衣装を用意させる必要があった。

その辺りの詳しい話は久水俊和の『室町期の朝廷公事と公武関係』(岩田書院)の中に所収された論文に書かれている。

38: 日本@名無史さん 2013/10/26(土) 19:04:13.79
>>37
読んだことないが、室町時代には衣冠束帯必須のため朝議ができなかったと書いてあるわけか?

41: 日本@名無史さん 2013/10/26(土) 19:46:24.05
>>38
多少大雑把な言い方をしたが、「下行」は即位式などをはじめとする儀式への支度金を名目として朝廷から下げ渡される手当だから下行を受けた公卿や地下官人はそこから衣装その他の必要経費を支出し、余りは自己の生活費に補填する。
だから、下行がない朝議には参加しないし、参加するメリットも無い。
従って、永正改元では公家側都合の改元であるため、幕府も支出も少なく、公卿への下行も少なかったため「故障」を理由に欠席する公卿が相次ぎ、辛うじて朝議は成立したものの出席公卿4名で160疋を分配した。

42: 38=41 2013/10/26(土) 19:57:22.77
補足すると、応仁の乱前は公家社会もある程度までは生活が維持出来ていたから、下行を貰う必要性が無かった(反対に荘園などの基盤が無い地下官人には下行が必要だった)。
ところが、応仁の乱以降の公家社会の困窮が深刻化する一方で、武家執奏による改元は幕府の権威を示す手段としては依然として有効だったから公卿に下行を与えて参加を促すようになり、それが公家側都合の場合でも慣例化された。
もっとも、幕府も公家側の都合による改元への支出には次第に渋るようになり、遂に本来であれば革令を実施しなければならない永禄4年と同7年には幕府の支出が無くて改元が行われなくなった。

39: 37 2013/10/26(土) 19:35:34.18
件の久水論文のコピーがあった(ネタに仕えると思って)のを思い出したので、そこから抜粋(ただし、古文書・日記から判明できる部分のみなのでそれ以上かかった可能性がある)

康正改元…1050疋(地下官人への下行のみのため、全額朝廷が支出)
文明改元…3000疋(応仁の乱の為、上卿・伝奏の出仕もままならず彼らの支度分も含めて幕府が支出)
長享改元…970疋(康正と同じ事情で全額朝廷が支出)
延徳改元…2500疋(武家執奏の為、公卿の出仕を促すために幕府が支出して参仕公卿1名あたり100疋を下行)
明応改元…2200疋(公家側の都合による改元であるが、朝廷の要請で幕府が支出)
文亀改正の金額は不詳であるが、『実隆公記』文亀元年2月29日条より幕府の支出が確認
永正改元…2100疋(公家側都合(革令)による改元であるが、明応改元を先例とされて幕府が支出)
大永改元…2850疋(武家執奏の為、延徳改元を先例として幕府が支出して参仕公卿1名あたり200疋を下行)
享禄・天文改元の金額は不詳であるが、『二水記』享禄元年7月28日・天文元年7月29日条より幕府の支出が確認
弘治改元…1950疋(支出元は不明だが、幕府支出の可能性が大)
永禄改元…1780疋(弘治改元と同様)
元亀改元…2420疋(武家執奏の改元である上、将軍足利義昭が自らの権威づけのために5000疋を献上したため残りはそのまま朝廷の収入となった)

33: 日本@名無史さん 2013/10/26(土) 10:54:10.79
未だに現代の当年改元と歴史上の踰年改元の区別のつかん奴がおる
歴史上の出来事がちょうど改元した年だった場合それが何月かによって
元号変わってくるだろとか言う奴がおる
歴史語るならちったその辺の勉強してこいと

48: 日本@名無史さん 2016/08/04(木) 10:53:55.91
ちょっと古い資料だと、皇紀で通して表記されてるな。
明治維新以降、西暦に全部直されたと思われる。

51: 日本@名無史さん 2016/09/02(金) 20:48:04.63
自分は
鎌倉、室町、江戸、で東京時代と言うべきだと思う

52: 日本@名無史さん 2016/09/03(土) 13:45:48.60
>>51
東京時代→明治大正昭和平成だと中身が濃すぎるわ。
最近になればなるほど起こる事件の量が多いから元号ごとに分割してるんだろう。
近代以降は元号、近世までは政権所在地でくくって、丁度いい分量になるんだろう。
ただし次の2つは改善すべきかと。

安土桃山時代
 信長の政権所在地である安土はいいとして、秀吉の政権所在地は大坂。
 安土大坂時代にするべきかと。

奈良時代
 政権所在地としてはいいとしても奈良という呼称は現代くさい。
 平安時代に倣って平城時代というべき。

53: 日本@名無史さん 2016/09/03(土) 23:16:00.90
>>52
今後5年くらいで天皇が変わったらどうする?
それでも1時代になるかな

安土大坂時代と平城時代は、同感だな

時代って昭和20年前後で違うんだよね
内容で分けると帝国憲法時代と日本国憲法時代なんだが

56: 日本@名無史さん 2017/01/14(土) 11:14:09.75
>>52
秀吉の大坂はプライベートな城
政権の在り処は伏見城(後に桃が植えられ桃山に)

引用元: ・なぜ江戸時代以前は年号+時代で呼ばれないのか

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