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1: 日本@名無史さん 2013/09/02(月) 02:22:29.39
入水を選ばず退却を選んだらどうなってましたか?








147: 日本@名無史さん 2013/09/28(土) 19:26:59.54
仮に三種の神器を屋島の戦いの後手渡して、平家存続の道をとってたとしたらどうなったんだろうか。
もちろん主要な人物は処刑されちゃうだろうけど。
北条執権の時代になったら幕府の中核どころに収まるのかな

148: 日本@名無史さん 2013/09/28(土) 20:10:50.12
>>147
安徳天皇 上皇として普通に生涯を過ごす。
ただし院政はしけない。
時子、徳子 都でそれなりの生活
宗盛 望み通り讃岐国の国司になり(「玉葉」)そのまま屋島で生涯を終える
時忠 しぶとく政界復帰を遂げる
その他一門 官位面では一生干されるが、地方に下って地方武士として生きる。かな?

152: 日本@名無史さん 2013/10/02(水) 02:17:59.29
>>147
安徳天皇→淡路廃帝コース
重衡→史実通り処刑
これはほぼ確定じゃないか?

153: 日本@名無史さん 2013/10/02(水) 03:06:21.29
>>152
当時財産を持たない上皇は無力な存在。
膨大な荘園の所有者は八条院と後白河法皇の二者しかいない。
この両者が荘園の譲渡をしないと安徳天皇が退位後力を持つ事はない。
それまでの経緯を見ると後白河法皇も八条院も安徳天皇に荘園を譲渡する事はない。
従って安徳天皇は退位後人畜無害な忘れられた存在となる。
保元の乱のように、経済力を持つ存在(摂関家領を牛耳っていた忠実頼長父子のような存在)
と結びつかない限り淡路廃水帝コースを歩む事はない。

156: 日本@名無史さん 2013/10/05(土) 02:21:36.47
>>153
じゃあ九条廃帝コースか

157: 日本@名無史さん 2013/10/06(日) 22:54:45.38
瀬戸内海沿岸を拠点として対峙する作戦だと、史実どおり早期の滅亡は免れまい。南都も西国も一枚岩で平家を支える状態にはない。西国をすべて失陥したときに備えて、奄美・琉球方面への逃走経路を確保しておく必要があった。

沖縄本島に安徳天皇の御座所を置いて宗盛の本軍が護衛し、奄美大島で知盛の前衛軍が源氏の追討軍を迎え撃つ展開になれば、戦線の伸びた源氏は厳しい戦いになるだろう。
万一、沖縄本島を失陥した場合は、御座船に安徳天皇を移し参らせ、台湾に御座所を移動させることになる。

158: 日本@名無史さん 2013/10/07(月) 01:13:23.26
>>157
そこまで行ったら、源氏は追ってかないと思う
とは言え三種の神器は欲しいから、放っておくことも出来ないんで、和議を持ちかけるが、平家がそれに応ずるとは思えない
150年早く、南北朝になったかも知れんな

159: 日本@名無史さん 2013/10/07(月) 05:47:34.58
>>158
三浦水軍、梶原水軍などという水軍を坂東武者は持っていたし
義経の娘婿である源有綱を出した摂津源氏は渡辺党という水軍を従えていた
さらに、西は九州、北は奥州といったように日本全国で水運活動をしていた
熊野水軍も義経についたから、追跡は可能だったと思う。

161: 日本@名無史さん 2013/10/07(月) 13:00:42.39
当時の沖縄は統一国家はなかったがグスクを構えた小国王は群雄割拠してたからな平氏が受け入れられたかどうかは分からんのでは

162: 日本@名無史さん 2013/10/08(火) 23:26:31.93
知盛・悪七兵衛景清あたりの先遣隊が沖縄の部族長たちを平定しておく必要があるかも知れない。家人化して平姓を授けて重用するとよい。日宋貿易の拠点も沖縄に移すことで、平家の収入源を安定させて、武具や軍船の購入に充てることができる。

源氏の水軍の追尾を振り切って、安徳天皇と宗盛の船団が奄美方面にいかに逃げ切れるかがカギになる。紀伊水道から四国の南側を通って抜けて行くのがよいかも知れない。

163: 日本@名無史さん 2013/10/09(水) 01:35:36.37
>>162
そんな余剰兵力あったら源氏にあてるだろう
兵力も時間も物資も足りない
そもそも後年に島津にあっさり征服されたからといって琉球をあなどりすぎ

165: 日本@名無史さん 2013/10/09(水) 22:20:41.96
琉球に逃亡するのが難しいとなると、最初から台湾を目指すしかない。
ただ、どのタイミングで西国を見切って逃亡を開始するかが難しい。

167: 日本@名無史さん 2013/10/10(木) 00:37:51.74
台湾って、琉球行くより難易度高くない?

168: 日本@名無史さん 2013/10/10(木) 01:23:13.88
琉球にせよ台湾にせよ、
なんで国内の勢力も抑えきれないのに海外遠征ができると思うんだ?

174: 日本@名無史さん 2013/10/12(土) 23:38:53.93
木曽義仲との和議に踏み切るのが良策だったと思う。
これなら一の谷や屋島の要塞を保持したまま、都を伺うこともできた。
西国を失陥した場合も、安徳天皇と平家の本軍は沖縄・奄美方面に退いて本陣を築くとともに、南九州を木曽義仲・新宮十郎行家に守らせて、本土奪還をねらうこともできる。

175: 日本@名無史さん 2013/10/13(日) 22:28:49.20
>>174
行家はこの時期義仲とは険悪になって別行動している。

179: 日本@名無史さん 2013/10/16(水) 02:06:22.60
木曽義仲と組んだら中央政権から総スカン

180: 日本@名無史さん 2013/10/16(水) 12:11:49.82
どうせなら、奥州藤原氏と組んだ方が良くない?

181: 日本@名無史さん 2013/10/16(水) 13:24:18.99
>>180
奥州藤原氏の方に何のメリットもないわ。

183: 日本@名無史さん 2013/10/16(水) 19:42:37.10
>>181
平家が滅んだらパワーバランスが一気に崩れて結局奥州藤原も滅んだじゃんか

182: 日本@名無史さん 2013/10/16(水) 14:19:55.27
清盛死後の平家はどうあがいても絶望でFA?

185: 日本@名無史さん 2013/10/16(水) 20:07:55.22
>>182
滅亡回避に二回チャンスはあった。
一度目は清盛死亡直後の頼朝からの和平提案の受け入れ。
二度目は一ノ谷の後の和平提案。
何人かは死ぬことになったかも知れないが、全員滅亡は免れたと思う。

186: 日本@名無史さん 2013/10/17(木) 22:24:15.57
清盛逝去の後、頼朝と和議をしていたら、西国と都を拠点とする平氏と東国を拠点とする源氏、奥州藤原氏は併存する事態が続いたのだろう。

頼朝の死後、源氏棟梁たちに高い官位を授けたり、和歌を伝授したり、中央貴族の姫を娶らせたりして、次第に都の文化で懐柔しながら、源氏と東国武士団の離間を図るチャンスがあったかも知れない。

東国政権の政治顧問に平氏からも派遣して、内部から懐柔する手もありそうだ。

189: 日本@名無史さん 2013/10/18(金) 22:14:05.46
>>186
もし3者が並立していたら元寇のときはどんな対応をしていただろう

190: 日本@名無史さん 2013/10/19(土) 09:03:32.11
都で政権を担っている平氏が対応への決定をするんだろうな。また、西国に基盤のある平氏が軍事的対応の中軸となるんだろう。蒙古・高麗が実際に侵攻した場合は、現地の家人・原田氏あたりが総大将を務めるか、知盛の子孫あたりの平氏一門が指揮するのだろう。

その際、東国政権(源氏)や奥州藤原氏にも院宣か勅旨で動員命令を出すものと思われる。
敵国撤退後、西国警護を通じて、平氏は東国や奥州藤原氏に対する支配、干渉を強め、一時的に平氏の権勢は強まるのではないかと予想する。
だが、そのことは三者の均衡を崩し、新たな局面に入っていくものと考えられる。

191: 日本@名無史さん 2013/10/22(火) 00:13:37.87
北条氏ってのは平家の時代の家格はどんなもんだったの?

193: 日本@名無史さん 2013/10/22(火) 00:46:08.28
「北条某」で済まされてしまうレベル

195: 日本@名無史さん 2013/10/23(水) 01:26:28.36
そんな家格で頼朝と結婚出来たんだね

196: 日本@名無史さん 2013/10/23(水) 04:06:18.91
>>195
頼朝が流人だったからね。
だから最近政子は頼朝の正室としての立場というものが議論されていて政子が頼朝の正室でいられたのは鎌倉殿になった後の頼朝が自分の地位に相応しい他の妻をめとらなかった結果に過ぎないとも言われている。

229: 日本@名無史さん 2013/10/31(木) 22:20:27.54
そもそも関東に出先機関を設置して、坂東平氏の面倒を見ておけば、頼朝の挙兵を許すことはなかった。平知盛あたりを鎌倉公方、悪七兵衛景清あたりを関東管領として下向させ、坂東平氏を被官として組み込んでおけばよかった。

230: 日本@名無史さん 2013/10/31(木) 22:24:17.67
>>229
藤原忠清を上総介にして坂東の総括をさせようとしたんだが その忠清が上総国の実力者広常と悶着を起こして広常が頼朝側につく下地をつくってしまったんだよな。
構想は悪くないが施策が失敗した。

233: 日本@名無史さん 2013/11/01(金) 02:11:59.52
ちょっとまとめたいんだけど、スレのタイトル通り、壇ノ浦での退却は厳しいっていう事でいいのかな?仮にも退却する場があるとすれば(現実的ではないが)

1.琉球
2.奥州
3.朝鮮などの異国

って事でおけ?しかも釣りをしながら。

235: 日本@名無史さん 2013/11/02(土) 10:13:35.46
>>233
極めて厳しいでしょうね。客観的な状況だけでなく、当事者の平家一門が天皇を抱えていながら、その身を守ることを断念して道連れにしたってことは完璧に絶望だったのでしょう。

それでも敢えて脱出出来たとした場合の逃亡先ですが、奥州藤原氏の保護を求めるのは難しいかと。藤原側に受け入れる理由が無い。琉球や高麗も大同小異。
山中や孤島に隠れ住むしか無いかな。

236: 日本@名無史さん 2013/11/02(土) 11:43:51.27
逃走ルートを考えると、奥州へ抜けるのは難しい。
西国方面しかルートはなさそうだから、南九州を本土の拠点としながら、奄美・琉球を根拠地化して粘り抜き、承久の乱の際、京方に加勢して、一挙に反撃するのがよいだろう。
高麗方面に抜けるには、壱岐・対馬を拠点化する必要がある。

237: 日本@名無史さん 2013/11/02(土) 22:58:37.94
現実的な方策としては義経軍が来る前に範頼軍に降伏すれば全滅を免れたかも。

240: 日本@名無史さん 2013/11/03(日) 11:26:54.48
降伏しとけば可能性はあったかも、後白河も頼朝も和睦打診してたし
かつてのホームである伊勢は京に近いから無理だとしても安徳天皇の外戚として常陸辺りで静かに暮らしていくことは出来たかも

241: 日本@名無史さん 2013/11/03(日) 12:45:49.27
>>240
伊勢とか常陸とか清盛・宗盛の頃はどの程度の地盤だったのかね

242: 日本@名無史さん 2013/11/03(日) 17:13:26.37
>>241
伊勢伊賀は平氏家人が多い、いわば平氏地盤。
だが、多くは小松家家人となってしまい、清盛には近いが宗盛には遠い存在となってしまった。
都落ちの際、同道せずに伊勢伊賀の在地に残留したり藤原忠清のように義仲に降伏したものもいる。

一の谷後は次のようにある。

伊勢 
三日平氏の乱までは平氏方家人優勢
三日平氏の乱以降鎌倉御家人優勢

伊賀 
三日平氏の乱までは平氏方家人天国
三日平氏以降は有力家人が死亡するも
壇ノ浦後に知盛遺児知忠をある程度まで匿えるくらいの地盤はある。

常陸は保元以前から平氏の知行国であったので親平氏が多い。
頼朝挙兵後も常陸はなかなか頼朝の支配下には下らなかった。

佐竹→元々親平氏。金砂城以降常陸撤退するも、しばらくの間奥州藤原氏の援護で常陸奪回をもくろむ。
常総平氏→足並みそろわず。
志田義広→野木宮合戦で頼朝に敗退してから常陸撤収。

しかし1184年12月に頼朝が常陸国住人に安堵状を出したという記載が『吾妻鏡』にあるので壇ノ浦以前には常陸も頼朝の掌中に入ったとみていいと思う。 

244: 日本@名無史さん 2013/11/03(日) 20:14:09.24
>>242
解説さんくす
強固な地盤の地方があったとしても
既に源家の優勢が動かない状勢となってしまってからでは
平家を庇護してくれそうもないね

246: 日本@名無史さん 2013/11/04(月) 09:45:49.26
皇族や公家なら降伏して流罪くらいで許されることもあるが、武士である平家が許されることは難しい。家人たちも壊滅的に離反して、庇護してくれる家人は少ないのではないか。権力があったころはあれだけ専横の振る舞いがあったのだから、中央貴族たちが平家を絶対に許さないだろう。
戦い抜くことで活路を求める以外になかったと思われる。

249: 日本@名無史さん 2013/11/05(火) 04:16:39.97
なんとなく頼朝は助命嘆願に弱いタイプなイメージ

250: 日本@名無史さん 2013/11/05(火) 18:33:02.68
自分を射た山内首藤経俊すら許してるよね
乳母の山内尼を悲しませたくなかったのが理由だろうけど

253: 日本@名無史さん 2013/11/16(土) 12:47:55.01
源義経や藤原泰衡、上総介広常みたいな政治的に厄介な連中以外はわりと大目に見るかんじだね
粛清を受けても残った一族が遺領(の一部)を継いでるケースがままあるし

254: 日本@名無史さん 2013/11/16(土) 13:04:08.48
だから平家が降伏してた場合、宗盛ら首脳部の処刑と大幅な領地削減などによる勢力後退は免れないが、一門の存続は可能だったんじゃないかと思った壇ノ浦での一ほぼ門全滅は、戦の終わらせ方・負け方を誤ったとしか

256: 日本@名無史さん 2013/11/16(土) 19:37:45.82
>>254
壇の浦以前に平家が降伏したとしても平家の処遇の決定権は
後白河法皇&公卿>>>>>>>寺社>頼朝
頼朝も法皇や公卿に平家への懲罰強化も温情嘆願もしないような気がする。
頼朝にしてみれば
鎌倉の権益拡大>>>>>>平家の処置
だろうし。

257: 日本@名無史さん 2013/11/16(土) 19:47:48.96
だから平家の処罰は後白河法皇の意思による所が大きかったと思う。後白河法皇は平家が降伏した場合どうするつもりだったんだろうか?

ちなみに「吾妻鏡」に宗盛からの書状が載っているんだけどその中に平治の乱のいきさつに簡単に触れてから「源氏と平家の間に遺恨はない」と書いてある。
確かに平治の乱は源氏と平家の戦いではなく三条殿焼き討ちの後の情勢の成り行きで 結果的に清盛と義朝が戦うだけのことだったから平治の乱で源氏と平家に遺恨が生じたわけでもなく頼朝が平家だけを恨むということもなかったと思う。

259: 日本@名無史さん 2013/11/17(日) 12:52:18.82
平頼盛の系統は所領や官位も安堵されて続いているのだから、平家は存続できたと言えるのではないか。ただし、公卿に昇ることができたのは、子息の光盛の代までで、その後は平凡な地方豪族に収まってしまった。仮に平家が存続するといっても、このくらいの存続の仕方に過ぎなかっただろうと思う。
そして、室町前期ごろの混乱で、消滅するという展開なのだろう。

276: 日本@名無史さん 2013/12/17(火) 15:39:07.07
案外、対馬あたりに退却したらよかったのかも知らん
義経が屋島落としてから1か月、逃げ場所がなくなったのを強攻したから関門海峡ダイビング大会になったんだしな

278: 日本@名無史さん 2013/12/19(木) 14:03:28.47
逃げの姿勢に入った時点でもうだめぽ


282: 日本@名無史さん 2013/12/20(金) 00:43:52.29
宗盛に必要だったのは落ち延び先よりも現実と戦う勇気だった希ガス

288: 日本@名無史さん 2013/12/21(土) 20:34:55.05
>>282
一の谷合戦で和睦の打診があったのに急襲されて一門が大打撃受けてるのだから、宗盛自身が降伏を決意していたとしても後白河への不信感が充満していただろうよ

284: 日本@名無史さん 2013/12/21(土) 05:10:19.32
屋島とかに逃げないで九州に先に逃げてれば良かったんじゃないの?
それに一つの戦いで一族集まりすぎだろ。

285: 日本@名無史さん 2013/12/21(土) 13:25:34.08
>一つの戦いで一族集まりすぎ
 

中世の合戦はそういうもんだって

289: 日本@名無史さん 2014/01/14(火) 02:30:56.36
一の谷や屋島は平家の拠点だから、当初はここを守って抗戦したのはやむを得ないだろう。
致命的だったのは、九州を失陥したことにより、一の谷・屋島を失った後、さらに西へ逃げる経路がなくなったことだ。九州を維持できていれば、壇ノ浦で決戦することなく、九州へ上陸して抗戦していたはずだ。
その後、九州を失う展開になったとしても、壱岐・対馬・琉球などに水軍の拠点を築いて、安徳天皇の御座船も退避することができただろう。

291: 日本@名無史さん 2014/02/02(日) 02:09:06.02
結論としては、
壇ノ浦の時点で平家には現実的な退避先もないし、一の谷の経緯から和睦も成立するとは思えない
つまり戦って勝つ以外にどうにもならない、でFA?

294: 日本@名無史さん 2014/02/02(日) 10:43:09.11
>>291
そんな所ではないかと。
もし他の選択肢があるとしたら、壇ノ浦の戦いになる前に恥も外聞もなく夜逃げすることだけど
それをやるなら死を選ぶだろうし

297: 日本@名無史さん 2014/02/02(日) 22:05:57.11
九州・奄美群島を拠点化する陣容を、全盛期のうちに築いておくべきだった。
平知盛を九州都督、平重衡を奄美都督として派遣し、諸将を副官として補佐させ、現地の経済基盤を強化しておけばよかった。その後、琉球・台湾・澎湖諸島・海南島に拠点を築いていけば、どこまででも逃げて行くことができる。
安徳天皇の御座船を護衛しながら、宗盛の本隊は海南島まで退き、知盛の前衛隊が澎湖諸島に前線基地を築いて源氏を迎え撃つ体制を築けば、たとえ九州・奄美・琉球まで失陥したとしても、源氏の補給線が長すぎるので、ここまでは追って来れまい。

298: 日本@名無史さん 2014/02/03(月) 00:03:56.92
なんで逃げることが前提なんだw

299: 日本@名無史さん 2014/02/03(月) 00:05:04.41
その戦力があれば逃げる必要はなくなりそうだ。

312: 日本@名無史さん 2014/03/08(土) 21:01:25.61
義仲との和睦を受け入れていればまた違ったかもな。
安徳帝の嫁に義仲の娘を嫁がせるって条件で。(娘がいなかったから将来的にってことで)

313: 日本@名無史さん 2014/03/09(日) 06:14:38.74
平家も勢力を回復してた頃だから、京を追われた相手を受け入れるとは思わんけどな。
義仲が倒れた直後に全軍で京に迫ってればまた違ったんだろうが。

315: 日本@名無史さん 2014/03/09(日) 16:23:05.46
義仲との和睦は、平家の報復を恐れる後白河がいる限り無理だったと思う。
逆に言えば諸悪の元凶後白河を連行できなかった時点で平家討滅は確定的だったかもしれない

281: 日本@名無史さん 2013/12/20(金) 00:27:29.22
いったいどこに逃げ場があるというのか
戦わなきゃ源氏と

引用元: ・壇ノ浦の戦いで平家側が退却したら