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436: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)19:01:46 ID:UHI

今日は郭嘉伝の全文(意)訳と解説をしてくから暇だったら見て行ってクレメンス

437: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)19:02:17 ID:UHI
郭嘉、字奉孝、潁川陽翟人也。

郭嘉は字を奉孝といい、潁川陽翟の人である。

438: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)19:02:40 ID:PIP
人材の名産地潁川

439: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)19:03:36 ID:Vxb
惜しまれる若死にの人やな

440: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)19:04:36 ID:UHI
初、北見袁紹。謂紹謀臣辛評郭圖曰「夫智者審于量主、故百舉百全而功名可立也。

初めは北の袁紹に見えた。郭嘉は袁紹の謀臣辛評、郭図に言った「そもそも智者というものは主人の器を量って明らかにするもので、それゆえ百度挙げられれば百度全うし功名を立てることが出来るのです。

441: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)19:05:40 ID:UHI
袁公、徒欲效周公之下士而未知用人之機。

袁公は周公の士にへりくだることに倣おうとしておりますが、人を用いることの機微は知っておりません。

※周公は周の政治家、礼学の基礎を作った

442: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)19:06:58 ID:PIP
人材集めても活用できない袁紹さん

444: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)19:08:01 ID:UHI
>>442
袁紹は田豊や沮授らの忠言を受け入れてれば覇者足り得たのになぁ

448: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)19:10:09 ID:PIP
>>444
ほんこれ
やけど、下は下で派閥争いしまくりやからな…
確か河北と潁川あたりの部下の意見が違ってるんやなかったかな?

454: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)19:17:42 ID:UHI
>>448
郭図は潁川で審配は冀州だからそこらへんで分かれてたのかもしれへんな
調べてないから詳しくは言えへんが

445: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)19:08:58 ID:UHI
先是時、潁川戲志才、籌畫士也、太祖甚器之。早卒。

それより先、潁川の戯志才は謀略の士で太祖(曹操)は彼を甚だ重用していた。しかし、若くして亡くなった。

※正史では曹操は諱を避けられて太祖と呼ばれている

449: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)19:10:49 ID:UHI
太祖與荀彧書曰「自志才亡後、莫可與計事者。汝潁固多奇士、誰可以繼之?」彧薦嘉。

曹操が荀彧に宛てた手紙に曰く「私は戯志才が亡きあと、共に事を計るものが居なくなった。汝、潁は多くの優れた人物が居ることに間違いなく、誰に継がせるべきであろうか?」荀彧は郭嘉を推薦した。

※荀彧もまた袁紹を見限った人物である

450: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)19:12:12 ID:PIP
郭嘉の前任者というだけで戯志才気になるよな
ほぼ全くと言っていいほど経歴わからんけど

451: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)19:13:02 ID:UHI
召見論天下事、太祖曰「使孤成大業者、必此人也」嘉出、亦喜曰「真吾主也」表爲司空軍祭酒。

郭嘉を召して天下のことを論じ、曹操は言った「私の大業を為す者は、必ずこの人であろう」郭嘉は退出するとまた喜んで言った「真の我が主君である」曹操は郭嘉を上表して司空軍祭酒とした。

452: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)19:13:19 ID:Vxb
荀彧は本人有能人脈有能という

454: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)19:17:42 ID:UHI
>>452
荀彧は引っ張ってきた人物が凄い
演義での推挙ラッシュは正史だとほぼ一人でやってるからな

455: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)19:17:55 ID:UHI
※裴松之の注、袁紹の十敗、曹操の十勝、有名なため抜粋

傅子曰。太祖謂嘉曰「本初擁冀州之衆、青、幷從之、地廣兵彊、而數爲不遜。吾欲討之、力不敵、如何?」

『傅子』曰く。曹操は郭嘉に言った「本初(袁紹の字)は冀州の兵を擁し、青、并州を併合し、地は広く兵は強く、何度も不遜なことをしてきた。私はこれを討ちたいが力では敵わない、どうすればよいのだろうか?」

457: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)19:19:51 ID:UHI
對曰「劉、項之不敵、公所知也。漢祖唯智勝。項羽雖彊、終爲所禽。

郭嘉は答えて言った「劉邦は項羽に敵わなかったのは曹操殿の知るところでしょう。漢の高祖はただ智にて勝っただけです。項羽は強いといえどもしまいには囚われてしまいました。

※劉邦、項羽は秦末期に覇権を争った二人
初め項羽の勢力が圧倒的に勝っていたが智謀に劣っていたため劉邦に敗れてしまった

460: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)19:22:55 ID:UHI
嘉竊料之、紹有十敗、公有十勝、雖兵彊、無能爲也。

私が密かにこれを計るに、袁紹に十敗あり、曹操殿に十勝があり、兵は強いといえども事を為すに能わないでしょう。

461: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)19:24:36 ID:UHI
紹繁禮多儀、公體任自然、此道勝一也。

袁紹は儀礼は繁雑ですが曹操殿は自然に任せます、これが一つ目の道の勝利です。

462: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)19:25:34 ID:UHI
紹以逆動、公奉順以率天下、此義勝二也。

袁紹は反逆をもって動き、曹操殿は順行をもって天下を率いています、これが二つ目の義の勝利です。

465: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)19:28:28 ID:UHI
漢末政失於寬、紹以寬濟寬、故不攝、公糾之以猛而上下知制、此治勝三也。

漢末の失政は寛容すぎることが原因ですが、袁紹は寛容さで寛容さを済ませ、故に律せずにいます。曹操殿は猛きことをもって糾弾するので皆制度というものを知っております。これが三つ目の治の勝利です。

466: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)19:30:09 ID:UHI
紹外寬內忌、用人而疑之、所任唯親戚子弟、公外易簡而內機明、用人無疑、唯才所宜、不間遠近、此度勝四也。

袁紹は外面こそ寛容ですが内面は人を忌み、人を用いるのに疑い、任務を任せるに親戚や子弟のみです。曹操殿は外面を簡易にしておりますが内面は機微があり明察で、人を用いるのに疑わず、ただ才のみを善しとします。これが四つ目の度の勝利です。

467: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)19:31:22 ID:UHI
紹多謀少決、失在後事、公策得輒行、應變無窮、此謀勝五也。

袁紹ははかりごとが多いですが決断力に欠け、失策は後れることにあり、曹操殿は策略をすぐに行うことが出来て、臨機応変で窮することがありません。これが五つめの謀の勝利です。

468: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)19:32:37 ID:UHI
紹因累世之資、高議揖讓以收名譽、士之好言飾外者多歸之、

袁紹は四世三公の家柄で高尚な議論と謙譲で名誉を収め、士は言葉を飾る者が多く帰しております。

469: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)19:33:43 ID:UHI
公以至心待人、推誠而行、不爲?美、以儉率下、與有功者無所吝、士之忠正遠見而有實者皆願爲用、此德勝六也。

曹操殿は真心をもって人を待遇し、誠実さをもって事を行い、飾った美しさに騙されず、倹約をもって下々を率い、功ある者に惜しみなく、士は忠誠で誠実で遠慮があり、有能なものは皆用いられることを願っております。これが六つめの徳の勝利です。

470: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)19:34:47 ID:UHI
紹見人飢寒、恤念之形于顏色、其所不見、慮或不及也、所謂婦人之仁耳、

袁紹は人が飢えや寒さにあっているのを見ると哀れみの念が顔に現れますが、それが見えないと思慮が及ばず、いわゆる婦人の仁と呼ばれるものです。

※婦人の仁は元は漢の名将、韓信が項羽を評した言葉
 ここでは郭嘉が袁紹を項羽に例えているためこういう表現を用いた

471: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)19:36:04 ID:UHI
公於目前小事、時有所忽、至於大事、與四海接、恩之所加、皆過其望、雖所不見、慮之所周、無不濟也、此仁勝七也。

曹操殿は目の前の小さいことを時におろそかにしますが、大事においては広く天下に接し恩を加え、皆が望むことを超え、見えないといえども思慮を巡らし、救済せぬことがありません。これが七つ目の仁の勝利です。

472: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)19:37:07 ID:UHI
紹大臣爭權、讒言惑亂、公御下以道、浸潤不行、此明勝八也。

袁紹の大臣は権力を争い讒言で乱れておりますが、曹操殿の臣下は道理をもって染み込んでいくような悪い行いはありません。これが八つ目の明の勝利です。

473: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)19:38:21 ID:UHI
紹是非不可知、公所是進之以禮、所不是正之以法、此文勝九也。

袁紹は物事の是非を知らず、曹操殿は礼をもって進み、是でないところは法をもって正します。これが九つ目の文の勝利です。

474: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)19:39:31 ID:UHI
紹好爲虛勢、不知兵要、公以少克衆、用兵如神、軍人恃之、敵人畏之、此武勝十也。」

袁紹は虚勢を好んで兵法の要を知らず、曹操殿は少数の兵で多数の兵に勝ち、兵を用いることは神の如く、軍の人はこれを頼みにし、敵はこれを恐れます。これが十つ目の武の勝利です。」

※郭嘉と同じように賈詡は曹操の四勝を挙げている

475: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)19:40:45 ID:UHI
太祖笑曰「如卿所言、孤何德以堪之也!」

曹操は笑って言った「もし卿(郭嘉のこと)の言う通りなら、私はどのような徳をもって袁紹に堪えようか!」

476: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)19:42:05 ID:UHI
嘉又曰「紹方北擊公孫瓚、可因其遠征、東取呂布。不先取布、若紹爲寇、布爲之援、此深害也。」太祖曰「然。」

郭嘉はまた言った「袁紹は北に公孫瓚を討ちに行きましたが、その遠征のうちに東の呂布を討つのがよろしいでしょう。呂布を先に討たずしてもし袁紹が攻め込めば、呂布が援軍となり、その害は深きものとなりましょう。」曹操は言った「その通りだ。」

※ここまで裴松之の注

479: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)19:46:51 ID:eEK
いつ書かれた書物なんや?
まぁ書き足しとかはされてるやろうけど

481: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)19:49:39 ID:UHI
>>479
『三国志』は西晋に書かれたもので大体3世紀終わりから4世紀初めあたりや
裴松之が注釈を入れたのは南北朝時代で大体五世紀頭くらい

480: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)19:48:34 ID:FTw
魏は郭嘉のころが一番夢があると感じる

482: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)19:50:44 ID:UHI
>>480
曹操が領土拡大していく時期やからな

483: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)19:51:11 ID:UHI
征呂布、三戰破之。布退固守。時士卒疲倦、太祖欲引軍還。嘉說太祖急攻之、遂禽布。語在荀攸傳。

曹操は呂布を征伐し、三回戦ってこれを破った。呂布は陣を退き(下邳にて)固守した。時に兵士は疲労しており、曹操は軍を引き返して帰還しようとした。郭嘉は曹操に激しく攻めるよう説き、遂に呂布を生け捕った。話は荀攸伝にある。

※正史では基本的に他の伝で話が被らないようにしているためこのような配慮がとられる

484: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)19:51:45 ID:PIP
裴松之の注は彩を加えてはいるけど、話半分ぐらいに見た方がええで
明らかにおかしな話もあるからな
裴松之と言うより、注にひかれた書物やけども

523: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)20:32:17 ID:EZN
>>484
西晋永嘉の乱を区切りとしてそれ以前は世間が
曹操や司馬懿(特に後者)を賞賛していたのがそれ以後は批判する流れに変わったんやね
裴松之の注はそういう世の中の空気を反映しとるんやで

526: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)20:35:53 ID:UHI
>>523
裴松之はかなり蜀寄りの人物やと思うわ

485: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)19:52:50 ID:UHI
孫策、轉鬭千里、盡有江東。聞太祖與袁紹相持於官渡、將渡江北襲許。

孫策は千里を転戦して江東を尽く有した。曹操が官渡において袁紹と対峙していることを聞くと、長江を渡り北の許昌を襲わんとした。

486: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)19:53:57 ID:UHI
衆聞皆懼、嘉料之曰「策新幷江東、所誅皆英豪雄傑。能得人死力者也、然策輕而無備。雖有百萬之衆、無異於獨行中原也。

人々はこれを聞くと皆恐れたが、郭嘉はこれを計り言った「孫策は新たに江東を併合し、誅殺したのは英雄豪傑ばかりである。人の死力を得られる者であるが、孫策は軽んじて無防備である。百万の兵が居るといえども、中原を一人で行くのと異なりません。
488: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)19:55:24 ID:UHI
若刺客伏起、一人之敵耳。以吾觀之、必死於匹夫之手」策臨江未濟、果爲許貢客所殺。

もし伏せている刺客が起てば、一人を敵にするのみである。私がこれを見るに、必ず匹夫の手にかかって死ぬでしょう」孫策は長江に臨んで未だ渡らぬうちに、果たして許貢の客人に殺されることとなった。

487: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)19:55:13 ID:PIP
>>486
ここ、裏から手をまわしてないと言えんことやと思うわ

490: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)19:57:47 ID:UHI
>>487
裴松之は偶然って言ってるけどワイもそう思うわ
そもそも孫策は人殺しすぎていつ暗殺されるかわからん状態やったし

491: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)19:58:12 ID:UHI
從破袁紹、紹死。又從討譚尚于黎陽、連戰數克。

郭嘉は袁紹を破るのに従い、袁紹は死んだ。また黎陽において袁譚、袁尚を討つのに従い、連戦して勝った。

492: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)19:59:05 ID:UHI
諸將欲乘勝遂攻之、嘉曰「袁紹愛此二子。莫適立也。有郭圖逢紀、爲之謀臣。必交鬭其間還相離也。

諸将は勝ちに乗じて攻めようと欲したが、郭嘉は言った「袁紹はこの二子を愛していた。後継者を立てなかった。二人には郭図、逢紀らが居り、この人物は謀臣である。必ずその間で交戦しお互いに離れることになりましょう。

※隔岸観火の計である

493: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)20:00:21 ID:UHI
急之則相持、緩之而後爭心生。不如南向荊州若征劉表者、以待其變。變成而後?之、可一舉定也」太祖曰「善」乃南征。

急げばお互い保持し、手を緩めれば後に争いの心が生じるでしょう。南に向かい荊州の劉表を征伐するように見せかけ、変が起こるのを待ちましょう。変が成った後これを討てば一挙に平定出来ましょう。」曹操は「良し」と言い軟征した。

494: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)20:01:24 ID:UHI
軍至西平、譚尚果爭冀州。譚爲尚軍所敗、走保平原、遣辛毗乞降。太祖還救之、遂從定鄴。

軍が西平に至ると、袁譚と袁尚は冀州を争った。袁譚は袁尚の軍に敗れ、平原に走り、辛毗を遣わして降伏を願った。曹操は戻って袁譚を救出し、遂に鄴を平定することとなった。

495: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)20:02:18 ID:UHI
又從攻譚於南皮、冀州平。封嘉洧陽亭侯。

また南皮において袁譚を攻め、冀州を平定した。郭嘉は洧陽亭侯に封じられた。

496: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)20:03:15 ID:UHI
太祖將征袁尚及三郡烏丸、諸下多懼劉表使劉備襲許以討太祖。

曹操が袁尚及び三郡烏丸を征伐しようとしたとき、配下たちの多くは劉表が劉備を遣わして許昌を襲い曹操を討たせるのではないかと恐れた。

497: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)20:04:18 ID:UHI
嘉曰「公雖威震天下、胡恃其遠、必不設備。因其無備、卒然擊之、可破滅也。

郭嘉は言った「曹操殿は天下を震撼させておりますが、胡(烏丸)は遠方なのを頼みとして必ず備えをしないでしょう。その備えがないことに乗じて卒然とこれを討てば破滅させられるでしょう。

498: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)20:05:31 ID:UHI
且袁紹有恩于民夷、而尚兄弟生存。今四州之民徒以威附、德施未加。舍而南征、尚因烏丸之資、招其死主之臣。

袁紹は異民族にも恩をかけ、袁尚の兄弟は生存しております。今四州の民は威に帰服しているだけで徳は施されておりません。これを無視して南征するならば烏丸のもとに主を失った臣が集まりましょう。

499: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)20:06:31 ID:UHI
胡人一動、民夷俱應、以生蹋頓之心、成覬覦之計。恐青冀非己之有也。

烏丸が一度動けば烏丸の民は呼応し、蹋頓は野心を生じ、身分不相応なことをうかがい望むでしょう。おそらく青、冀州は我らの有するところではなくなります。

502: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)20:07:46 ID:UHI
表、坐談客耳、自知才不足以御備。重任之則恐不能制、輕任之則備不爲用。雖?國遠征、公無憂矣」太祖遂行。

劉表は座って客と論じるだけであり、自らの才知が劉備を制御できないことを知っているでしょう。重任すると制御できないのを恐れ、軽く用いれば劉備は活躍しません。国を空けての遠征といえども曹操殿は憂いることはありません」曹操は出陣した。

503: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)20:07:52 ID:FTw
これぞ軍師って感じ

504: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)20:08:51 ID:UHI
至易、嘉言曰「兵貴神速。今千里襲人、輜重多、難以趣利。且彼聞之必爲備。不如留輜重、輕兵兼道以出、掩其不意」

易に至り、郭嘉は言った「兵は神速を貴ぶものです。今千里先の人を襲うに、輜重が多く勝利するのは困難です。かつ彼らがこれを聞けば必ず備えをするでしょう。輜重を留め軽い兵で兼行して出でれば、不意をつくことが出来ましょう」

※輜重は後方の支援部隊

505: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)20:10:00 ID:UHI
太祖乃密出盧龍塞、直指單于庭。虜卒聞太祖至、惶怖合戰。大破之、斬?頓及名王已下。尚及兄熙走遼東。

曹操は密かに盧龍塞を出て、単于庭を直接目指した。烏丸の兵は曹操がやってきたと聞き、恐れおののきながら合戦した。これを大破し、?頓及び各王を下した。袁尚及び兄の袁熙は遼東に逃亡した。

506: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)20:11:12 ID:UHI
嘉、深通有算略達於事情。太祖曰「唯奉孝、爲能知孤意」

郭嘉は算略に深く通じ、物事に精通していた。曹操は言った「ただ奉孝(郭嘉の字)だけが私の意を知ることが出来た」

507: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)20:12:08 ID:UHI
年三十八、自柳城還、疾篤。太祖問疾者、交錯。

三十八歳のとき、柳城に帰還し、病が篤くなった。曹操からの病状を問う者が何度も行き交った。

508: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)20:13:11 ID:UHI
及薨、臨其喪哀甚、謂荀攸等曰「諸君、年皆孤輩也。唯奉孝最少。天下事竟、欲以後事屬之。而中年夭折、命也夫」

郭嘉が死亡するに及び曹操は喪に臨んで悲哀すること甚だしく、荀攸らに言った「諸君の年齢は皆私と同じである。ただ奉孝が最年少であった。天下のことを終えたなら後事を託そうとしていた。中年で夭折するとは、天命であろうか」

509: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)20:14:12 ID:UHI
乃表曰「軍祭酒郭嘉、自從征伐十有一年。?有大議臨敵制變。臣策未決、嘉輒成之。

こうして曹操は上表して言った「軍祭酒郭嘉は私の征伐に十一年従ってきました。大きなことが起こるたび敵に臨み変を制してきました。私の策が決まらぬうちに郭嘉はこれを成してきました。

510: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)20:15:14 ID:UHI
平定天下謀功爲高。不幸短命事業未終。追思嘉勳、實不可忘。可增邑八百戶、幷前千戶」諡曰貞侯。子奕嗣。

天下が平定されるにははかりごとの功を高く評価するものです。郭嘉は不幸にも短命で大事を成す前に終わりました。郭嘉の勲功を追慕するに、まことに忘れられません。邑を百戸増やし合わせて千戸とされますよう」貞侯と諡された。子の郭奕が後を継いだ。

511: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)20:16:12 ID:UHI
後太祖征荊州還、於巴丘遇疾疫燒船。歎曰「郭奉孝在、不使孤至此」

後に曹操は荊州征伐から帰り巴丘において疫病にあい船を焼いた。嘆いて言った「郭奉孝がおれば私をこのようにしなかったであろう」

※俗にいう赤壁の戦いのこと

512: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)20:17:22 ID:UHI
初、陳羣非嘉不治行檢、數廷訴嘉。嘉、意自若。太祖愈益重之、然以羣能持正亦悅焉。

かつて陳羣が郭嘉の品行が悪いことを非難し、数回朝廷で郭嘉を訴えた。郭嘉は自若としていた。曹操は郭嘉を益々重んじたが、陳羣が正しさを持つとしてまた喜んだ。

513: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)20:18:35 ID:UHI
奕、爲太子文學。早薨。子深嗣。深薨、子獵嗣。

郭奕は太子文学となったが早死にした。郭深が後を継いだ。郭深が死ぬと子の郭猟が後を継いだ。

515: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)20:21:27 ID:UHI
郭嘉伝は以上で終わりや
例のごとく質問や訳して欲しい人物おったら受け付けるんでよろしくやで

518: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)20:24:55 ID:PIP
荀彧は最終的に曹操と決裂したけど、郭嘉が長生きしてたらどうやったんやろうな?
儒教的価値を重視してないから、最後までうまくいきそうではあったけど

520: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)20:26:47 ID:UHI
>>518
郭嘉伝での惜しみっぷりから最後まで重用しそうではあるがどうなんやろなぁ
曹操も天下統一したら高祖のように粛清しまくるんやろか?

519: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)20:25:22 ID:FTw
郭嘉はええなあ
ほんとええなあ
イッチありがとうやで

558: 名無しさん@おーぷん 2017/02/24(金)21:30:40 ID:PIP
乙やで


引用元: ・正史三国志・張飛伝の全文(意)訳と解説をするで

正史 三国志〈3〉魏書 3 (ちくま学芸文庫)
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