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1: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:02:21 ID:g0J
ワイが淡々と正史三国志・魯粛伝の全文(意)訳と解説をするスレや
暇だったら見ていってクレメンス









3: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:04:06 ID:g0J
魯肅、字子敬、臨淮東城人也。

魯粛は字を子敬といい、臨淮東城の人である。

6: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:05:24 ID:g0J
生而失父、與祖母居。家富於財、性好施與。

生まれてすぐに父を失い、祖母と共に暮らした。家は財産で富み、性格は施しを好んだ。

7: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:05:37 ID:Z8T
魯粛さんがいかに重要人物であるか、ワイは訴えたい!(血涙

9: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:06:51 ID:g0J
爾時天下已亂、肅不治家事、大散財貨、摽賣田地、以賑窮弊、結士爲務、甚得鄉邑歡心。

この時天下は乱れていたが、魯粛は家のことを治めずして、大いに財貨を散財し、田地を売って貧困のものに施して士と結ぶことに務め、甚だ郷邑の歓心を得た。

12: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:08:22 ID:g0J
周瑜、爲居巢長、將數百人、故過、候肅、幷求資糧。

周瑜が居巣長になり数百人を率いて故意に通過して魯粛の機嫌を伺い、併せて資源兵糧を求めた。

13: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:09:30 ID:g0J
肅家有兩囷米、各三千斛。肅乃指一囷與周瑜。瑜、益知其奇也、遂相親結、定僑札之分。

魯粛の家には二つの米蔵があり、各々三千斛の米があった。魯粛は一つの米蔵を指し周瑜に与えた。周瑜は益々その優れていることを知り、遂に親交を結び、公孫僑と季札のような交わりをした。

15: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:09:50 ID:g0J
※斛は単位の一種
 一斛=180ℓ
三千斛=540㎘
※公孫僑と季札は共に春秋時代の政治家で互いに親交があった

14: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:09:37 ID:Z8T
演義や横山三国志のせいで地味な文官イメージが強いが、実は義侠心の塊で超武闘派の魯粛さん

16: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:11:10 ID:g0J
>>14
演義やとパシリのイメージあるけど正史では周瑜に匹敵する大戦略家やからな

17: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:11:25 ID:g0J
袁術聞其名、就署東城長。肅、見術無綱紀、不足與立事、乃攜老弱將輕俠少年百餘人、南到居巢、就瑜。

袁術はその名声を聞き魯粛を東城長に就けた。魯粛は袁術に秩序がなく、共に事を企てるのに不足しており、老人を携え侠を軽んじる少年百余人と南の居巣に到り周瑜に付いた。

35: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:22:43 ID:Wvb
>>17
乃攜老弱將輕俠少年百餘人
「老弱」は老人や子供、「輕俠」の輕は年輕(若い)の意味やから任侠少年(チンピラ)やね

18: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:12:25 ID:g0J
瑜之東渡、因與同行、留家曲阿。會祖母亡、還葬東城。

周瑜の東に渡るのに共に同行し、曲阿に家を留めた。曾祖母が亡くなり、帰って東城に葬った。

19: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:13:17 ID:g0J
劉子揚、與肅友善、遺肅書曰

劉子揚(劉曄)は魯粛と友人であり、魯粛に手紙を送って言った

20: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:14:11 ID:g0J
※魯粛に余り関係ないので手紙の内容は中略
手紙の内容は鄭宝が人を集めているので気を付けよ、東城に留まって何事もしないようにせよとのこと

22: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:14:24 ID:g0J
肅答然其計。

魯粛はその計を然りと答えた。

24: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:16:07 ID:g0J
葬畢、還曲阿、欲北行。會瑜、已徙肅母、到吳。肅、具以狀語瑜。

魯粛は葬儀を終えて曲阿に帰り、北に行こうとした。周瑜と会ったが、その時魯粛の母は移動して呉に到着していた。魯粛はつぶさに現状を周瑜に語った。

25: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:16:53 ID:Qkl
横山三国志での扱いは可哀想やったわ

27: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:18:02 ID:g0J
>>25
諸葛亮にはいいように扱われ周瑜にすら駄目出しされまくっとったもんなぁ

32: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:20:36 ID:Qkl
>>27
個人的には周瑜に「お前は外交の才能0や」とか言われてたのが本当に可哀想やった
初めて横山三国志読んでた時はなら呉の別のやつを使者に使えよって思ってたわ

28: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:18:18 ID:g0J
時、孫策已薨、權尚住吳。

その時、孫策は既に死んでおり、孫権はなお呉に住んでいた。

31: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:19:54 ID:g0J
瑜、謂肅曰「昔、馬援答光武云『當今之世、非但君擇臣、臣亦擇君』今主人、親賢貴士、納奇錄異。

周瑜は魯粛に言った「昔馬援が光武帝に答えて言うに『今の世はただ君主が臣下を選ぶのではなく、臣下もまた君主を選ぶのです』今主人(孫権)は賢者に親しみ士を貴び、奇才を受け入れ異才を集めている。

※馬援は光武帝に仕えた漢の功臣
 趙奢を祖先に持ち、その子孫こそが蜀の馬超である

34: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:21:49 ID:g0J
且吾聞、先哲祕論、承運代劉氏者、必興于東南。推步事勢、當其曆數。終搆帝基、以協天符、是烈士攀龍附鳳馳騖之秋。

私が聞くに昔の哲人の秘密の論に天運を受け継ぎ劉氏に代わるものが必ず東南において興るという。私が事の趨勢を推論するにそのことは運命である。しまいには帝王となり天命に適い、烈士は龍にすがり鳳凰に従うように馳せ参じる時である。

38: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:23:58 ID:g0J
吾、方達此。足下、不須以子揚之言介意也」肅從其言。

私もこの域に達した。足下(魯粛のこと)よ、子揚(劉曄)の言葉で意に介さぬように」魯粛はその言葉に従った。

41: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:25:40 ID:g0J
瑜因薦、肅才宜佐時、當廣求其比、以成功業。不可令去也。

周瑜がこのように薦めるのは、魯粛の才が時期の助けを得られ、広くこのような才を求め、これをもって功を成すべきであるからだ。去らすべきではないからだ。

39: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:23:58 ID:0Fz
こいつ見るとsweet三国志思い出す

43: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:26:38 ID:ZGo
no title

46: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:27:15 ID:0Fz
>>43
これw

44: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:27:00 ID:g0J
權卽見肅、與語甚悅之。衆賓罷退、肅亦辭出。乃獨引肅還、合榻對飲。

孫権はすぐに魯粛を引見し、共に語って甚だ喜んだ。賓客の皆が退出して魯粛もまた辞して出た。孫権はただ一人魯粛を引き留めて返させベッドで共に酒を飲んだ。

61: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:34:34 ID:Wvb
>>44
「合榻(HeTa」ってのはこんな感じ
寝るためのベッドいうよりは酒や茶を飲んだり碁を楽しんだりする
no title

45: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:27:03 ID:slV
劉曄と魯粛とか意外な人同士が意外な繋がり有るから正史読むのは楽しい
敵対勢力に使えとるのに連絡取り合ったりしとるし

49: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:28:38 ID:Z8T
>>45
この時代、意外とそのあたり緩いよな
諸葛亮も魏の高官と書簡のやり取りしたりしてるしな

54: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:31:41 ID:slV
>>49
孔明「徐庶とかそっちで元気にしてるかなあ?…」
司馬懿「ええ?…(困惑)」

60: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:34:25 ID:Z8T
>>54
考えてみれば、徐庶に直接手紙送れば良かったんやないか?

47: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:28:16 ID:g0J
因密議曰「今漢室傾危、四方雲擾。孤承父兄餘業、思有桓文之功。君既惠顧、何以佐之」

こうして密かに議論して言った「今漢室は危機にあり、四方は雲の如く入り乱れている。私は父兄の事業を承り桓公、文公のような功を有したいと思っている。君に目をかけたが、どのように補佐してくれるのだろうか」

48: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:28:34 ID:g0J
※桓公、文公は共に春秋時代の君主
 桓公は斉の君主で名宰相管仲を採用し覇を唱え、文公は晋を下し覇権を握った
 「斉桓晋文」は二人を称した言葉で覇者としての引き合いに出されることが多い

50: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:30:16 ID:g0J
肅對曰「昔、高帝區區欲尊事義帝而不獲者、以項羽爲害也。

魯粛は答えて言った「昔、高帝(劉邦)の勢力が弱かったとき義帝を尊敬し従事しようとしましたがそれが出来ず、義帝は項羽に殺されました。

51: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:30:28 ID:g0J
※高帝は劉備の祖先で項羽を下して漢の創始者となった人物
 義帝は項羽の主君であったが自分こそが天下の主たらんとする項羽に殺された
項羽は覇王を名乗り天下を治めようとしたが暴政で身を亡ぼした

52: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:30:32 ID:Z8T
ワイの私見やけど、孫権が最も信頼したのは周瑜でも張昭でもなく、この魯粛

55: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:32:06 ID:g0J
>>52
ワイは呂蒙やと思う
死ぬ間際の呂蒙に対する気遣いは異常なまでやったわ

58: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:33:28 ID:Z8T
>>55
魯粛が生きてる間は魯粛で、そのあとは呂蒙かもしれんな
ここはどっちがどうともワイには判断できんわ

65: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:36:11 ID:g0J
>>58
魯粛も呂蒙も両方孫権の重臣やから比べられんわな

83: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:49:16 ID:slV
>>52
呂壱「ワイやぞ」

85: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:52:47 ID:g0J
>>83
確かにお前は重用されたけどそのせいで周りがどれくらい損害被ったと思っとるんや

56: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:32:19 ID:g0J
今之曹操、猶昔項羽。將軍何由、得爲桓文乎?

今曹操は昔の項羽のようであります。将軍は何故桓公文公のようになれましょうか?

59: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:34:10 ID:g0J
肅竊料之、漢室不可復興、曹操不可卒除。爲將軍計、惟有鼎足江東、以觀天下之釁。

魯粛が密かに計るに、漢室の復興は出来ず、曹操もまた除くことが出来ないでしょう。将軍が計るべきは、ただ江東を鼎の足のごとく地盤として天下の隙を見ることでしょう。

64: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:36:05 ID:Z8T
>>59
この時期に漢を見限ってるのが、このころの知識人としては凄い

66: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:36:31 ID:g0J
規模如此、亦自無嫌。何者、北方誠多務也。因其多務、剿除黃祖、進伐劉表、竟長江所極、據而有之、然後建號帝王以圖天下、此高帝之業也」

このように規範すれば、自らを嫌悪することはありません。北方の何者も誠に任務が多いのです。その任務の多さに付け込んで黄祖を除き進軍して劉表を討伐し、長江をすべて手に入れこの地に拠り、しかる後帝王を号して天下を計れば、高帝の業となりましょう」

73: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:40:57 ID:Z8T
>>66
亦自無嫌
ここようわからんかったからカンニング
いろいろ思い悩むことはない、みたいな訳になってる
あと「何者」はたぶん「何ぞや」か「何となれば」で、
「なぜかというと」
みたいな意味やと思う

68: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:37:31 ID:g0J
權曰「今盡力一方、冀以輔漢耳。此言、非所及也」

孫権は言った「今、私はただ一方に力を尽くし、漢を補佐することだけを願っている。この言は私が及ぶところではない」

71: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:38:56 ID:g0J
張昭、非肅謙下不足、頗訾毀之、云、肅年少麤疎、未可用。

張昭は魯粛に謙虚さが不足しているとすこぶる毀損し、魯粛は年若く粗忽で用いるべきでないとした。

72: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:39:44 ID:0Fz
>>71
おまゆう

80: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:47:32 ID:Z8T
>>71
これ、完全に若者の考えを理解できん年寄よなw

85: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:52:47 ID:g0J
>>80
張昭は孝廉に選ばれとるし礼節を重んじる人物やからそもそも魯粛とは合わなさそう

95: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:58:05 ID:Wvb
>>71
張昭の魯粛への批判は士大夫としての空気の読めなさへの批判やな
現代で言うたら世界情勢が傾いてるのは皆分かっててそれをどうしようか
頭付き合わせてるトコに、もうどうにもならんからぶっ壊れた後の事考えようやと直言するようなもん

99: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:59:47 ID:0Fz
>>95
ある意味現実主義者

76: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:43:32 ID:g0J
權、不以介意、益貴重之、賜肅母衣服幃帳、居處雜物。富擬其舊。

孫権は意に介さず、益々重用し、魯粛の母は衣服や幃帳(垂れ幕)、住居や雑貨を賜った。富は昔に匹敵した。

87: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:53:15 ID:g0J
劉表死。肅進說曰「夫、荊楚與國隣接、水流順北、外帶江漢、內阻山陵、有金城之固、沃野萬里、士民殷富。若據而有之、此帝王之資也。

劉表が死んだ。魯粛は進言して説いた「そもそも荊州と楚は隣接した国で、水流は北に順じ、外は長江と漢川を帯び、内は山と丘を険阻とし、金城の堅さがあり、肥沃な土地は万里あり、士と民は豊富におります。もし、この地に拠れば、帝王の資本となります。

88: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:54:40 ID:g0J
今表新亡、二子素不輯睦、軍中諸將各有彼此。加、劉備天下梟雄、與操有隙、寄寓於表。

今劉表が新たに亡くなり、その二子は元より親睦せず、軍中の諸将は各々が分かれております。加えて劉備は天下の梟雄で曹操に隙があると劉表に身を寄せました。

89: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:55:12 ID:Z8T
さあ、ここからが魯粛の見せ所

90: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:55:24 ID:g0J
表、惡其能而不能用也。若備與彼協心上下齊同、則宜撫安與結盟好。如有離違、宜別圖之、以濟大事。

劉表は劉備の才能を憎み、用いませんでした。もし劉備と彼ら(劉表の二子)が心を同じくして協力すれば慰撫して同盟を結ぶのがよいでしょう。もし心を違えていれば、別に計って大事を成すのがよろしいでしょう。

91: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:56:08 ID:g0J
肅請、得奉命弔表二子、幷慰勞其軍中用事者、及說備使撫表衆、同心一意、共治曹操、備必喜而從命。

魯粛がお願い申し上げます、命を奉じて劉表の二子の弔問をして、併せて軍中の重要人物を慰問し、劉備に説いて劉表の兵を慰撫させ、心を同じくし、意を一つにし、共に曹操を治めさせましょう。劉備は必ず喜んで命に従います。

92: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:57:18 ID:g0J
如其克諧、天下可定也。今不速往、恐爲操所先」權卽遣肅行。

そのように調和できれば天下は平定出来ましょう。今速やかに行かなければ、恐らく曹操に先を越されましょう」孫権はすぐに魯粛を行かせた。

97: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:58:46 ID:g0J
到夏口、聞曹公已向荊州、晨夜兼道。比至南郡、而表子琮已降曹公、備惶遽奔走、欲南渡江。

夏口に到着し、曹操が既に荊州に向かっていると聞き、朝夜兼行した。南郡に到った時には、劉表の子劉琮が既に曹操に降伏し、劉備は恐れ慌て奔走し、南に長江を渡ろうとしていた。

100: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)19:59:53 ID:g0J
肅徑迎之、到當陽長阪、與備會、宣騰權旨、及陳江東彊固、勸備與權併力。備甚歡悅。

魯粛はこれを迎えに行き、当陽の長坂に到着して劉備と会い、孫権の心のうち、及び江東が強いことを述べ、劉備に孫権と力を合わせることを勧めた。劉備は甚だ歓喜した。

103: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)20:01:39 ID:g0J
時諸葛亮與備相隨、肅謂亮曰「我、子瑜友也」卽共定交。備遂到夏口、遣亮使權、肅亦反命。

時に諸葛亮は劉備に随行しており、魯粛は諸葛亮に言った「私は子瑜(諸葛瑾)の友である」すぐに交流を結んだ。劉備は遂に夏口に到着し、諸葛亮を使者として孫権に遣わし、魯粛もまた復命しに行った。

※諸葛瑾は諸葛亮の兄

104: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)20:03:15 ID:g0J
會、權得曹公欲東之問、與諸將議。皆勸權迎之、而肅獨不言。

孫権に会うと、孫権は曹操が東征しようとの情報を得て諸将が議論していた。皆孫権に降伏を勧め、魯粛は一人言を出さなかった。

106: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)20:04:35 ID:g0J
權起更衣、肅追於宇下、權知其意、執肅手曰「卿、欲何言?」

孫権は衣を直しに立つと魯粛はその下を追い、孫権はその意を知っていたので、魯粛の手を取って言った「卿(魯粛のこと)よ、何を言わんとするのだ?」

108: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)20:06:38 ID:g0J
肅對曰「向察衆人之議、專欲誤將軍、不足與圖大事。今、肅可迎操耳。如將軍、不可也。

魯粛は答えて言った「群臣の議論から察するに、専ら将軍を誤らせ、大事を計るのに不足しております。今、魯粛は曹操に降伏出来ます。将軍は出来ないでしょう。

111: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)20:08:12 ID:g0J
何以言之、今肅迎操、操當以肅還付鄉黨、品其名位、猶不失下曹從事、乘犢車、從吏卒、交游士林、累官、故、不失州郡也。

何をもってこれを言うかというと、今魯粛が曹操を迎えれば曹操は私を郷里に帰し、その位を品評し、なお曹操の下で従事を失わず、牛車に乗り、吏卒を従え、士と交遊し、様々な官職を受けられ、州郡を失いません。

114: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)20:09:47 ID:g0J
將軍迎操、欲安所歸。願、早定大計、莫用衆人之議也」

将軍が曹操を迎えれば安全な場所に帰ることを欲することになるでしょう(安全ではいられない)。願わくば早めに大計を定め、群臣の議論を用いることのなきよう」

119: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)20:12:08 ID:g0J
權歎息曰「此諸人持議、甚失孤望。今卿廓開大計、正與孤同、此天以卿賜我也。」

孫権は嘆息して言った「群臣の議論は甚だ私を失望させた。今、卿は大計を開示し、正に私と同じであった。これは天が卿を私に賜ったのだろう。」

126: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)20:17:08 ID:Z8T
>>119
周瑜はこの場におらんから、魯粛がおらんかったら、三国志は三国志になる前にここで終わってたと思う
天下三分の計も含めて、ワイが異様に魯粛を高評価する理由や

125: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)20:16:27 ID:g0J
時周瑜、受使至鄱陽。肅、勸追召瑜還。遂、任瑜以行事、以肅爲贊軍校尉、助畫方略。

時に周瑜は命を受け鄱陽に到っていた。魯粛は追って孫権に周瑜を召して帰るようにさせた。遂に周瑜は事を行わせる(曹操と戦う)任を受け、魯粛を賛軍校尉にしてそのはかりごとを助けさせた。

128: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)20:17:54 ID:g0J
曹公破走、肅卽先還、權大請諸將迎肅。

曹操を破り敗走させると、魯粛はすぐに帰還し、孫権は諸将に魯粛を迎えさせた。

129: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)20:18:21 ID:0Fz
>>128
短いwww

132: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)20:20:40 ID:g0J
>>129
これで赤壁終了や
他の伝でもそうやけど赤壁って実際は何やったかよくわからんのやで

133: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)20:21:03 ID:g0J
肅將入閤拜、權起禮之、因謂曰「子敬、孤持鞍下馬相迎、足以顯卿未?」肅趨進曰「未也」衆人聞之、無不愕然。

魯粛は御殿に入り礼拝しようとしたが、孫権は立って礼を尽くし言った「子敬(魯粛)よ、私が鞍を持って下馬させ迎えれば、卿(魯粛)を顕彰するに足りるだろうか?」魯粛は小走りに進み出て言った「足りません」諸将はこれを聞き、愕然としない者はなかった。

138: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)20:24:09 ID:g0J
就坐、徐舉鞭、言曰「願至尊、威德加乎四海、總括九州、克成帝業。更以安車輭輪、徵肅、始當顯耳」權撫掌歡笑。

座に着き、おもむろに鞭を挙げて言った「願わくば貴き人(孫権)よ、威徳を天下に広め、全土を統括し、帝業を成してくだされ。更に賢者への礼をもって魯粛を取り立てて下されば初めて顕彰となりましょう」孫権は手のひらを撫でて笑った。

※安車輭輪=賢者をもてなすこと

140: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)20:26:17 ID:Z8T
ここのやり取り好き

143: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)20:26:51 ID:g0J
※後漢末は幽州・青州・冀州・并州・徐州・兗州・豫州・司隷・涼州・荊州・揚州・交州・益州の合わせて十三州(魏が成立すると雍州が設置され十四州となる)である
 しかし、魯粛が全土を九州と表現したのは漢代より前に中国大陸が九州に分けられており、それが全国を指す言葉として定着していたためである

147: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)20:29:16 ID:g0J
後、備詣京見權、求都督荊州。惟肅、勸權借之、共拒曹公。曹公、聞權以土地業備、方作書、落筆於地。

この後、劉備が京城に詣でて孫権に見え、荊州を都督することを求めた。ただ魯粛が孫権にこれを貸し、共に曹操を拒むことを勧めた。曹操は孫権が土地を劉備に与えたと聞き、書を作っている途中であったが、地面に筆を落とした。

150: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)20:32:44 ID:Z8T
>>147
ここも周瑜だとおそらく認めず自力でやろうとする

148: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)20:30:39 ID:g0J
※荊州領土問題について
孫権が劉備に譲渡したのは荊州全土ではない
赤壁の戦いの後、劉備は武陵、長沙、零陵、桂陽の四郡を、孫権は南郡のみを切り取った
正史には南郡を譲ったという記載はないが劉備は麋芳を南郡太守としており、どの時期かは不明であるが南郡を借りたのは明白
劉備は「涼州をとった後に荊州を返す」と述べており荊州(南郡)借用を認めている
孫権は後に荊州返還を求めたがその土地は長沙、零陵、桂陽で劉備が借りた土地ではない
孫権は荊州を攻め、劉備と争ったが最終的に和睦した
結果南郡、武陵、零陵を劉備の所属とし、長沙、桂陽を孫権の所属とした

要約するに荊州領土問題は南郡を返還しなかった劉備と南郡以外の土地まで返還を求めた孫権によって生じた問題であるといえる

149: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)20:32:18 ID:g0J
※荊州の正当性について
正当性でいえば劉表の後を継いだ劉琮が降伏した曹操が一番である
次いで劉琦を擁立した劉備に正当性があるが劉琦の荊州牧は自称と変わらない
孫権に至っては劉表と対立しており正当性など全くない

151: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)20:33:34 ID:g0J
※ここで何故か周瑜の上奏(ほぼ遺言)が入るが魯粛に関係ないので前半を省略

152: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)20:34:37 ID:g0J
魯肅、智略足任、乞以代瑜。瑜、隕踣之日、所懷盡矣」卽拜肅、奮武校尉、代瑜領兵。

魯粛の知略は任をこなすことに足り、私(周瑜)の代わりにすることを請います。周瑜は死ぬ日が来ても、思うところを尽くせます」すぐさま魯粛に奮武校尉を拝命させ、周瑜の領土と兵を代わりに統率させた。

155: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)20:36:23 ID:g0J
瑜士衆四千餘人、奉邑四縣、皆屬焉。

周瑜の兵士四千余りと封土四県を皆魯粛に属させた。

156: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)20:37:34 ID:g0J
令程普、領南郡太守。肅、初住江陵、後下屯陸口。威恩大行、衆增萬餘人、拜漢昌太守、偏將軍。

程普に命令して南郡太守を領させた。魯粛は江陵に住まい、後に下って陸口に駐屯した。威と恩は大いに行われ、兵は一万余人まで増え、漢昌太守、偏将軍を拝命した。

157: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)20:38:57 ID:g0J
十九年、從權破皖城、轉橫江將軍。

建安十九年(214年)孫権が皖城を破るのに従い、横江将軍となった。

159: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)20:40:53 ID:slV
春秋戦国時代から貴族階級は国が違っても横の繋がり在ったからこの頃も士大夫は独自のネットワークで情報のやり取りや交換しとったんだろな
んで時には偽情報掴ませて騙したり騙されたりとか…

162: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)20:45:29 ID:g0J
>>159
勢力間を超えた人物の繋がりってなんかロマンあるよな

164: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)20:46:06 ID:g0J
※魯粛に関係ないので省略
簡潔に述べると孫権が蜀を狙ったが劉備はこれを騙して先に益州を攻めたという内容

166: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)20:47:56 ID:g0J
權曰「猾虜、乃敢挾詐」及羽與肅隣界、數生狐疑、疆埸紛錯、肅常以歡好、撫之。

孫権は言った「狡猾な奴め、騙したな」こうして関羽と魯粛は隣合わせとなり、何度も疑いを生み、その境では紛争が起こり、魯粛は慈しみをもって撫安した。

167: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)20:49:20 ID:g0J
備既定益州、權求長沙、零、桂。備不承旨、權遣呂蒙率衆進取。備聞、自還公安、遣羽爭三郡。肅住益陽、與羽相拒。

劉備が益州を平定すると孫権は長沙、零陵、桂陽の返還を求めた。劉備は承知せず、孫権は呂蒙を遣わして兵を率いて奪取させた。劉備はこれを聞き、自ら(荊州の)公安に帰り、関羽を遣わして三郡を争った。魯粛は益陽に駐屯し、関羽を拒んだ。

171: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)20:51:02 ID:g0J
肅邀羽相見、各駐兵馬百步上、但請將軍單刀、俱會。

魯粛は関羽を迎え相見え、各々の兵馬を百歩の上に駐屯させ、ただ将軍が刀のみを持って共に会うことを要請した。

173: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)20:52:58 ID:g0J
肅、因責數羽曰「國家區區、本以土地借卿家者、卿家軍敗遠來、無以爲資故也。

魯粛は関羽を叱責して言った「国家は弱くなり、土地を卿(関羽)の家の者(劉備)に貸したのは、卿の家の軍が敗れて遠くから来たからであり、資本とするものが無かったからである。

174: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)20:54:46 ID:g0J
今已得益州、既無奉還之意、但求三郡、又不從命」

今既に益州を得たのに、奉還の意が無く、ただ三郡を求めただけでも、命に従わぬのか」

※魯粛の言い分だと荊州全土を劉備に貸与されていることになっているがそもそも孫権が荊州南部四郡に兵を出した記録も無ければ四郡を切り取ったという記録も無い

178: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)20:56:36 ID:Z8T
>>174
多分やけど、兵や兵站を劉備に融通したんじゃないかな?
それがなければ劉備は荊州四郡を取れんかったとか

184: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)21:00:00 ID:g0J
>>178
そういう考え方もあるのか
実際のところ記録ないからわからんけどそういう推測も出来るな

177: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)20:56:02 ID:g0J
語未究竟、坐有一人曰「夫、土地者、惟德所在耳。何常之有」肅厲聲呵之、辭色甚切。

語り終わらぬうちに、座っていた一人の者が言った「そもそも土地というものは徳のある人の元にあるだけだ。どうして常たるものであるのか」魯粛は声を激しくして叱咤し、言葉と顔色は甚だ切迫であった。

181: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)20:57:41 ID:g0J
羽、操刀起、謂曰「此、自國家事、是人何知」目使之去。備、遂割湘水、爲界。於是罷軍。

関羽は刀を使って立ち上がり言った「これは国家のことで、お前に何がわかる」目配せしてさらせた。劉備は遂に湘水を境として土地を割譲した。これにおいて軍を治めた。

185: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)21:00:13 ID:g0J
※私見ではあるがこれは作り話であろう
そもそも土地のことについて交渉するのにその相手が劉備ではなく関羽というところがおかしい
また魯粛の言い分だと荊州全土を劉備に貸与したことになっているが実際は南郡のみしか借り受けていない
傲慢で孫権すら見下している関羽がこのことについて反論しないのはありえない
この三点から作り話と言えないだろうか

186: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)21:00:24 ID:atD
正史の豪快な魯粛すき
演義の孔明の引き立て役魯粛きらい

190: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)21:02:05 ID:g0J
>>186
演義は諸葛亮の主人公化に伴って魯粛は伝書鳩みたいな役割になっとるからな

191: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)21:02:22 ID:g0J
肅、年四十六、建安二十二年卒。權、爲舉哀、又臨其葬。諸葛亮、亦爲發哀。

魯粛は四十六歳にして、建安二十二年(217年)に没した。孫権は悲哀を挙げ、その葬儀に臨んだ。諸葛亮もまた哀悼した。

192: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)21:03:45 ID:g0J
權稱尊號、臨壇、顧謂公卿曰「昔魯子敬、嘗道此。可謂明於事勢矣。」

孫権が皇帝を称すると、壇に臨んで公卿を顧みて言った「昔魯子敬(魯粛)はこの道(皇帝になること)をさししめした。事の趨勢に明るかったと言えよう。」

193: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)21:05:31 ID:g0J
肅遺腹子淑、既壯、濡須督張承、謂終當到至。永安中、爲昭武將軍、都亭侯、武昌督。

魯粛の遺児魯淑が壮齢になると濡須督張承は私の地位に到達するだろうと言った。永安中、昭武将軍、都亭侯、武昌督となった。

194: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)21:06:41 ID:g0J
建衡中、假節、遷夏口督。所在嚴整、有方幹。鳳皇三年卒。子睦、襲爵、領兵馬。

後に建衡中、仮節、夏口督となった。所在は厳整で、地方を幹する才能があった。鳳皇三年(274年)に亡くなった。子の魯睦が爵位を継ぎ、兵馬を領した。

195: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)21:08:15 ID:g0J
評曰。曹公乘漢相之資、挾天子而掃羣桀、新盪荊城、仗威東夏。于時議者、莫不疑貳。周瑜、魯肅、建獨斷之明、出衆人之表、實奇才也。

評曰く。曹操は漢の丞相たる資質に乗じて天子を擁して群雄を掃討し、新たに荊城を揺り動かし、東方に威を帯びていた。この時議論した人に疑念を抱かぬ者など居なかった。周瑜、魯粛は独断の聡明さで人々の表に出て、実に奇才であった。

197: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)21:11:47 ID:Z8T
ワイは魯粛がおらんかったら、三国鼎立はなかったと思うわ
もし、魯粛が長生きしてたら、呉が蜀を裏切るのも全力で止めてると思うわ

203: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)21:15:11 ID:g0J
>>197
魯粛の方針はあくまで劉備に力を持たせて三分を維持しつつ勢力拡大やからな
呂蒙みたく蜀を狙わんだろう

210: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)21:19:48 ID:Z8T
>>203
やから、呉は魯粛までが天下を目指してたと思うんや
あそこで蜀を裏切ったら、呉の天下なんてほぼなくなるからな

214: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)21:24:45 ID:g0J
>>210
荊州は揚州の川上で所謂玄関みたいなもんや
そこを敵対する勢力に握られるのは盗賊に門を貸し与えるようなもんで呂蒙の方針も間違いやないいんやけどな
呉が天下を取るためには荊州で争わず北進すべきだというのは同意するで

198: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)21:12:00 ID:g0J
以上で魯粛伝は終わりや
見てくれた人サンガツ
質問があれば答えるんで何でも聞いてクレメンス

それと明日からちょっと忙しくなるんで次の全文訳はしばらく出来そうにないわ、スマンな
やる気はあるんで時間があいたらまた再開するわ

199: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)21:12:34 ID:0Fz
乙やでー

213: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)21:22:11 ID:0Fz
呉という連合国

214: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)21:24:45 ID:g0J
>>213
豪族の集合体みたいなもんやからな

215: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)21:24:57 ID:ftN
>>213
二宮の変もそれが一因やしなぁ

220: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)21:32:22 ID:g0J
>>215
二宮の変って後継者問題に豪族が絡んで結果両成敗やからな

249: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)21:59:06 ID:rSB
魯粛っておっさんイメージあるけど結構若手なんやな

253: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)22:03:20 ID:V9K
>>249
魯粛 172年生
周瑜 175年生
呂蒙 178年生
陸遜 183年生

呉の都督連中って実は歳が大差なかったりする

257: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)22:10:01 ID:V9K
周瑜 赤壁で曹操の強打を加えた
呂蒙 関羽殺して荊州奪還
陸遜 夷陵で蜀軍を叩きのめす

魯粛の印象の低さってインパクトの強い功績が無いのが原因なのかも

258: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)22:12:37 ID:g0J
>>257
確かに他の三人は大戦で勝ってるから魯粛は見劣りするわな

259: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)22:13:28 ID:Z8T
>>258
魯粛の時は丁度、大きな戦が無かったからな…
何かあれば違ったんやろうけど

262: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)22:17:52 ID:Om6
魯粛がいても関羽殺しはやるんやろうか

もうちょい蜀大きくして魏を弱体化させれば呉の天下もあったんやないか?

265: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)22:19:17 ID:Z8T
>>262
ワイはやらんと思うで
魯粛は誰よりも呉蜀同盟を重要視してたと思うで
蜀を裏切れば、天下への道が閉ざされることもわかってたんやないかな

267: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)22:21:00 ID:g0J
>>262
魯粛の場合蜀を保たせながら魏を叩いて魏が弱体化したら蜀を叩くと思う
関羽は利用価値があるまでは生かしておくんやない?

266: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)22:19:29 ID:V9K
魯粛は劉備が隙を見せたらキレない程度にちょっかいかける方針
呂蒙は隙を見せたら殺しにかかる姿勢だからなあ

332: 名無しさん@おーぷん 2017/02/28(火)23:16:27 ID:Z8T
イッチ、乙
楽しかったわ
ありがとうやで


引用元: ・正史三国志・魯粛伝の全文(意)訳と解説をするで

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