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1: 世界@名無史さん 2005/07/22(金) 23:14:42 0
西ローマ帝国滅亡後、ビザンツ、イスラーム、ノルマン、ホーエン
シュタウフェン家、アンジュー家、アラゴン家と支配者の変遷が
いちじるしかった南イタリアの歴史について語ろう。








4: 世界@名無史さん 2005/07/23(土) 19:37:18 0
南イタリアと北イタリアの差異は、南がビザンツやイスラーム支配の時期が長かったことと関係がある?

6: 世界@名無史さん 2005/07/23(土) 22:20:07 0
シチリアがムスリムに支配されることになったのは、ビザンツの海軍提督が反乱を起こし、チュニジアのアグラブ朝に助けを求めたのがきっかけ。
アグラブ朝の将軍アサドが100隻の船団と700の騎兵と1万の歩兵を率いてシチリア島西端のマザラに上陸。その後パレルモ、メッシーナ、シラクサと次々に諸都市を陥落させ、902年にはシチリア全土がムスリムの支配下に入った。

14: 世界@名無史さん 2005/07/30(土) 22:54:48 0
>>6
その海軍提督の名はエウフェミウス。
尼僧院から尼僧を誘拐した咎でビザンツ皇帝から舌を切られそうになったのでアグラブ朝のアミールジヤーダ・アッラーフに援助を求めた。
アグラブ朝はシチリアだけではなくマルタとサルデーニャも征服している。



13: 世界@名無史さん 2005/07/27(水) 22:29:14 0
南イタリアのマテーラにはビザンツ式の岩窟聖堂が残されている。

15: 世界@名無史さん 2005/08/03(水) 16:58:56 0
(冷戦時の)西側ヨーロッパに残された唯一の未開地域という気もする。
アンダルシアとかポルトガルですらあそこまで酷くないし

なぜにこの地域だけは変わらないのか。

16: 世界@名無史さん 2005/08/03(水) 18:42:02 0
>>15
ひょっとして南イタリアは、バルカン半島(例えばギリシャなど)に近いのかなあ?
ビザンツ支配の時期が長かったし、一部の地域ではビザンツ帝国滅亡後も正教系の信仰の灯はともされ、ビザンツ典礼も近代まで守り通されてきた。

18: 世界@名無史さん 2005/08/03(水) 23:15:42 0
>>15
支配階級と被支配階級がここまで乖離していた地域は珍しいから。
地下経済が完全に完成されてしまってて、どうにもならないって感じじゃないか?

19: 世界@名無史さん 2005/08/04(木) 01:11:53 0
ttp://www5a.biglobe.ne.jp/~chizuyo/tanbou 176taria2.htm
※リンク切れ
 
絶えず外来権力の支配下にあったということは、南イタリア社会に深い刻印をしるしています。中央権力に対する不信は、地域的割拠主義と秘密結社の伝統を作りだしました。長い間、ナポリを中心とする集権的政治体制のもとにあったにもかかわらず、南イタリアの各地方の文化の差異が著しいのは、このような伝統と無関係ではなく、また地方権力と結び付いたマフィア、カモラなどの秘密結社も多いのです。

19世紀初めまで封建的土地制度が存続したことは、第二次大戦後の土地改革のときまで土地所有制を残存させることになりました。封建領主の子孫は没落しても、土地を所有しているかぎり社会的身分があるとする精神的風土のもとで、新興の商人階級も土地所有を目指しました。このような寄生地主が、土地改良を伴った灌漑農業や樹木栽培などの集約的農業の発展を妨げたのでした。

22: 世界@名無史さん 2005/08/20(土) 21:34:50 0
>>19

でも、もう農地改革は済んだでしょ?

23: 世界@名無史さん 2005/08/24(水) 21:15:33 0
ttp://www.shiozawa.net/shohyo/keisemi_dokushonikki8.html

同一の言語を話し、同一の国家に所属しながら、イタリアの北と南とでは、社会における協力のあり方に大きな地域差がある。経済的には、これはいわゆる「南部問題」として顕在化しているが、社会的協力のあり方の差が民主主義のあり方や州政府の行政効率の差異にまではっきりと現れていることをロバート・パットナムは約20年間の調査研究から発見した。

たとえば南では、政治家との接触は情実がらみで利益誘導的であるのに対し、北では一般的政策の要求が中心である。南では、行政に対する信頼が薄く、不満は大きく、効率は低い。政治は庇護主義的な色彩を帯びている。北では、行政は効率的であり、州政府に対する満足度も高い。

33: 世界@名無史さん 2005/10/11(火) 18:45:09 0
赤い旅団も、南部じゃほとんど活動していないね。
ギャングの親分衆が怖かったんだろうな。

51: 世界@名無史さん 2005/10/31(月) 07:01:36 O
赤い旅団が南イタリアで活動することが少なかったのは、赤い旅団の学生など支持層が南イタリアには少なかったから。赤い旅団とマフィアらギャングは別に対立してなかったし、70年代のイタリアの刑務所は両者の協力で「管理」される最悪の事態に陥っていた。

37: 世界@名無史さん 2005/10/12(水) 09:11:02 0
カラブリアとシチリア島の間に、大橋建設中。
でも、いつ完成するか不明。

瀬戸大橋を3つも作った日本よりはマシかw

48: 世界@名無史さん 2005/10/31(月) 05:57:32 0
20世紀初頭の、シチリア島の一部地域での漁民と農民の抗争なんて、歴史として扱われないのかな?

中国じゃ日常茶飯事っぽいものな。

58: 世界@名無史さん 2005/11/25(金) 19:56:44 0
アフリカ呼ばわりだったイベリア半島が近代化したというのに、なぜ変われないんだろう

59: 世界@名無史さん 2005/11/25(金) 22:10:58 0
変われないというか変わりたくないというかやる気がないのが問題なんじゃ

63: 世界@名無史さん 2005/12/01(木) 06:07:58 O
俺はシチリア・南イタの犯罪結社の話をもっと聞きたい。
サルディニア島にもあんのかな?マフィア型の犯罪秘密結社。

65: 世界@名無史さん 2005/12/02(金) 21:41:58 0
>>63
サルディーニャはもっと強烈。何しろ所有権の尊重という概念が近代まで無かったから。

67: 63 2005/12/03(土) 06:59:33 O
>>65
なんだか暗黒島って感じ>サルディニヤ

シルベスター・スタローンは父親は南イタリア系、母親がフランス系←確か。
フランク・シナトラは父親はシチリア系2世、母親がジェノバ系2世。

69: 世界@名無史さん 2005/12/03(土) 18:15:02 0
>>65
昔は誘拐犯を輩出したけど、今は刑務所があるだけだよね。

68: 世界@名無史さん 2005/12/03(土) 08:49:45 0
シラクサと呼ばれていた頃は、科学技術先進国だったんだがな。

72: 世界@名無史さん 2005/12/04(日) 14:13:15 0
フリードリヒ2世のころのシチリアは先進国だったとか聞いたが

71: 世界@名無史さん 2005/12/04(日) 00:24:09 0
イタリアの南北格差っていつから始まったんだろう
ハンニバルの侵攻からだなんて言う人もいるけれど

セリエAでも南部出身の選手への差別的なヤジが問題になってたね
日本人が想像する地域対立のレベルでは理解できない問題だな

73: 世界@名無史さん 2005/12/04(日) 16:49:02 O
公然と北部の分離独立を唱える政党があるくらいだからな

74: 世界@名無史さん 2005/12/05(月) 05:26:44 0
南北に細長い半島地形が地域対立の元になってるの?
北と南の気質の違いもそれが原因か?

75: 世界@名無史さん 2005/12/05(月) 17:18:05 0
そういえば、フランク王国も、南イタリアを支配したことないよね。
政治的な歴史からして違いすぎる。千年以上も歴史が違えば、言語が大方同じでも駄目だろう。

チェコがオーストリアで、スロヴァキアがハンガリーというだけで、大して言葉違わないのに分裂したこと考えれば、違う国でも不思議は無い。

76: 世界@名無史さん 2005/12/06(火) 00:53:22 0
南部は、コロンビアとかメキシコあたりと変わらんからな。北部が分離したがるのも無理はない。全てはWW2の米軍のせい。

77: 世界@名無史さん 2005/12/06(火) 21:12:09 0
マフィアの人間を市長に任命したり、米軍の物資を横流ししたり。

83: 世界@名無史さん 2005/12/29(木) 09:46:49 0
遺跡とみすぼらしい町並み、荒廃した団地

110: 世界@名無史さん 2006/05/04(木) 23:01:11 0
イスラム支配下の時が、一番先進時代だったのかな??
当時は相対的にイスラム>>西欧で、宗教的にもイスラムの方が寛容。イベリア半島とか、シチリアとか、イスラム支配地域で学問・文化が栄えたらしい。教会の締め付けもなかったし。

フリードリヒ2世はその遺産を受け継いだ感じか。キリスト教皇帝がイスラム教徒部隊を率いて教皇と戦ったってのは、面白いね。

111: 世界@名無史さん 2006/05/05(金) 01:14:14 O
そうとは思わない
ノルマン支配下、フリードリヒ2世支配下で後のルネサンスのきっかけを作っている
いわゆる12世紀のルネサンス
それにノルマンのルッジェーロ2世は現在のチュニジア、西リビアのアミール達から信頼を受けていたため、その宗主権をルッジェーロ2世に委ねていた
宗教的に寛容ならそれでいいかと言われればそれも違う
キプチャク・ハン国の支配下にあったルーシ(ロシア)では宗教に関しては寛容だったが、毎年若い男女を奴隷として供出させ、高い税を取られ、ルーシの君主は参勤交代のようにご機嫌伺いのため、ハンのもとに行き、ハンの機嫌を損なえばその場で斬られた
イスラムにもいろいろある

113: 世界@名無史さん 2006/05/05(金) 02:13:00 0
>>111
まあ、いろいろ見方あると思うけど、
キリスト教徒支配下のスペイン・イタリアで異教徒追放・抹殺されたけど、
イスラム支配下では共存OKだったよね。

ノルマンのシチリア王国も、イスラム時代の遺産引き継いだのでは。
フリードリヒ2世も、教皇とは戦ったけど、イスラムとは話し合いで、
エルサレム入城している。

112: 世界@名無史さん 2006/05/05(金) 01:35:19 0
12世紀のシチリアの先進的な政治体制や文化は、ムスリムだけでなく、
ギリシア系の住民も担い手だったぞ。

115: 世界@名無史さん 2006/05/05(金) 14:11:07 0
イスラーム勢力がシチリア全土を征服するのには70年以上かかっているし、征服後もカルブ朝の支配は安定せず、1044年には滅亡し群雄割拠の時代に入る。パレルモの繁栄を見るとそれなりに経済は発展していた様子が窺えるが、黄金時代と見なしていいかどうかは疑問が残るな。

116: 世界@名無史さん 2006/05/05(金) 14:23:04 0
また、キリスト教勢力が支配下においたムスリムを追放・虐殺し始めるのは早くて12世紀に十字軍精神なんかが盛り上がってきてから、本格的には13世紀に入ってから。それ以前は、シチリアはもちろんイベリア半島でも、キリスト教君主はおおむねムスリムに寛容だった。
1085年にトレドを征服したアルフォンソ6世はムスリム市民の生命と財産を保障し、金曜モスクの使用も認め、希望者が財産を持って移住することも許した。

118: 世界@名無史さん 2006/05/05(金) 20:09:55 0
>>116
キリスト教徒がイスラムに対して南伊から駆逐していった事実には代わりはない
はい次の話題いこう。

119: 世界@名無史さん 2006/05/05(金) 21:49:08 O
ノルマン~ホーエンシュタウフェン家支配下の南伊ではイスラム教徒は駆逐していない
アラゴン支配下のシチリアにはほとんどイスラム教徒は居住していない
フリードリヒ2世支配下でイスラム教徒はシチリアから南伊のルチェーラに集団移住したため

121: 世界@名無史さん 2006/05/06(土) 04:31:15 0
>>119はとんでもない嘘つきだな。
何が移住だよw

122: 世界@名無史さん 2006/05/06(土) 08:55:34 0
まあ強制移住だな。>>ルチェーラやノチェーラへのムスリム移住

123: 世界@名無史さん 2006/05/06(土) 10:40:44 O
はあ?
そりゃ王の命令だからな
勝手に移動するわけないだろ
低レベルなあげあしとるな
シチリアにいるより本土にいた方がイスラム傭兵を動かしやすいし、教皇らの扇動が入りにくいからだよ
別に土地が貧弱になったわけでもないし、生活レベルも落ちていない
実際、イスラム傭兵たちの忠誠心も揺るがなかったのも事実だ

124: ルチェーラ在住のムスリマ 2006/05/06(土) 12:09:26 0
喧嘩をやめて!私のために争わないで!

・・・はさておき、「寛容さ」に対する議論は、どこまでが「寛容」でどこまでが「不寛容」かという基準が曖昧な以上、なかなかうまくまとまらないような気がするな。
フリードリヒ2世によるムスリムの強制移住も、彼の即位後に起こったムスリムによる反乱に対する懲罰的な意味合いを含む。
一方で、シチリアのキリスト教徒民衆との対立関係(グリエルモ2世の治世から顕在化していた。十字軍スレ参照)の中で暮らしてたムスリムにとっては、案外この移住は渡りに舟だったのかもしれない。いろんな事情があるんだよ。

125: 世界@名無史さん 2006/05/08(月) 04:03:59 0
まあ、シチリアの一時的な「先進性」は、ギリシャ・イスラム・ノルマンの「文明の十字路」に
よるものだったということで。
東方との関係・遺産が無くなったシチリアは、単なる西欧の片田舎でしょ。

126: 世界@名無史さん 2006/05/08(月) 15:02:08 O
結局、アンジュー家のナポリ王国はフィレンツェの事実上の金融支配下に陥り、シチリア王国はアラゴンの植民地になってしまった
フリードリヒ2世のメルフィ法も忘れられ、治安も悪化し、整備された公道も荒れ果てた
今の南部イタリアはシビィック・コミュニティがうまく機能しないイタリアのお荷物になってしまった

158: 世界@名無史さん 2006/09/08(金) 19:00:50 0
>>126
ミラノのあるロンバルディアも、アラゴン家、スペインの支配下にあった時期があるけどね。
18世紀にオーストリア領に編入されたのが、良かったのかな

127: 世界@名無史さん 2006/05/08(月) 21:04:18 0
>>メルフィ法
ぐぐっても分からなかった。kwsk

131: 世界@名無史さん 2006/05/24(水) 22:13:46 O
メルフィ法詳しく知りたいのなら
「騎士の時代 ドイツ中世の王室の興亡」
フリードリヒ・フォン・ラウマー著
法政大学出版局
にある程度書いてあります

130: 世界@名無史さん 2006/05/24(水) 21:31:38 0
ガリバルティが南部統一して国王に献上しなければ北部は今頃急成長していた。
あるいはガリバルティが自立して独自に南部イタリアで独立国家としてまとめていたら、第2次世界大戦なんか大きく歴史変わったかも。

132: 世界@名無史さん 2006/05/24(水) 22:26:24 O
南イタリアがガリバルディによって共和国として独立していたなら
ガリバルディら民主主義勢力と大土地所有者ら反動保守勢力のどちらが勝つかによって方向性と先進性が左右されると思う

133: 世界@名無史さん 2006/05/25(木) 02:07:24 0
ガリバルディって若い頃に米大陸にでかけて独立戦争に参加したりしているからねぇ。
権力者なんか相当嫌いだと思うんだけど、なんでイタリアでは自立しなかったのかわかんね。

134: 世界@名無史さん 2006/05/25(木) 03:00:44 0
>>133
そう言うルネサンスの頃みたいな「国取り物語」の時代ではなくなっていた、ってことなんじゃないの?
少なくとも「統一イタリア」が錦の御旗だったわけだし。

135: 世界@名無史さん 2006/05/25(木) 03:24:00 0
ニューヨーク滞在時に北軍に参加しないかと南米での経験をかわれて打診されたそうだけど、断ったんだよな。
北米にそのままいたら、やっぱり歴史が(略

136: 世界@名無史さん 2006/05/25(木) 14:40:44 O
ガリバルディは普仏戦争のフランス側に従軍して戦っているよ

428: 世界@名無史さん 2008/12/17(水) 17:45:25 0
>>136
昨日と今日で敵味方入れ替えてるな

137: 世界@名無史さん 2006/05/25(木) 22:49:07 0
スペイン継承戦争でハプスブルク領になってから
どうやってブルボン王家に変わったんでしたっけ?

138: カラジチ ◆mWYugocC.c 2006/05/25(木) 23:44:41 0
1735年にポーランド継承戦争で、スペインの王子カルロ(のちのスペイン王カルロス3世)が両シチリア王に。カルロは1759年にスペイン王となるとき、両シチリア王位を息子のフェルディナンドに譲渡。

140: 137 2006/05/26(金) 20:03:19 0
蟻が㌧
結構重要な史実なのに高校世界史だとポーランド継承戦争なんてスルーだから困る

167: 世界@名無史さん 2006/10/17(火) 22:18:28 0
シチリア紳士は、自らシェフ役をして、料理を客にもてなすのが流儀らしい。

ナポリに居を定めた元アメリカ・ギャングのボス、ラッキー・ルチアーノも、死ぬ数日前に、自分を取材したジャーナリストに、同様のやり方で、鰯のパスタとナポリ風仔牛の挽肉料理を振舞っている。

個人として見ると、器用な人間が多いようです。
どうして、社会組織となると、あれなんだろうね。


168: 世界@名無史さん 2006/10/17(火) 22:49:17 O
人妻のケツ触ったセクハラがもとでシチリアのフランス人皆殺し
アンジュー家の旗は引きずり降ろされ燃やされ、家々には滅んだホーエンシュタウフェン家の旗を掲げた
シチリアらしいエピソードだ

169: 世界@名無史さん 2006/10/20(金) 21:30:52 O
近世~近代のブルボン朝両シチリア王国の評価は二つに別れるが、やはり腐敗してたんだろうな
ガリバルディのわずかな部隊であっという間に崩壊したし

196: 世界@名無史さん 2007/02/06(火) 01:12:34 O
全伊の失業率 12.5%
南伊の失業率 23.1%
イタリアの全失業者の56%が南伊に集中
しかしながら失業者=非就労者ではない
失業者のうち500万人はヤミ労働市場に吸収されている
ILOの多くの法規を批准していない日本と違い
イタリアは派遣労働者やパートタイマーにも手厚い保護を施している
しかし日本と同様に中小企業の多く
各種の保険等の支払いに応じられずヤミ労働者に頼る中小企業も少なくない

198: 世界@名無史さん 2007/02/27(火) 17:26:05 0
>>196
無認可の露店営業とかもナポリでは多い
正規のパン屋以外に、無認可の安いパン屋もあって、暴力団(カモッラ)の資金源にもなっている

278: 世界@名無史さん 2007/11/09(金) 19:56:13 O
昔、南伊に旅行したとき、ガゼルダ王宮と途方もない巨大庭園はすごいと思った
しかし建築費は膨大だと思うが両シチリア王国にそんな財政的余裕あったのか?

283: 世界@名無史さん 2007/11/15(木) 00:34:59 O
ナポレオン時代にナポリ国王になったのはスケコマシだけが取り柄のナポレオン
軍中最低のダメ将軍ミュラ
せめてベルナドットクラスならフィレンツェに経済を牛耳られ、フィレンツェの
傭兵と化したアンジュー家支配以来の凋落現象に歯止めを掛けられたかも知れな
いのに

284: 世界@名無史さん 2007/11/16(金) 02:05:47 0
いやベルナドットもミュラ並みに微妙だろう。

285: 世界@名無史さん 2007/11/19(月) 19:49:04 O
確かにどちらもしょーもないけど
少なくともベルナドットはKYではない
ミュラは国王や将軍より俳優や芸人の方が適役だろ
将校になれたのも兵から人気があったから(革命前期の将校登用は兵の選挙)

292: 世界@名無史さん 2007/11/23(金) 19:57:30 0
ベルナドットってスウェーデンでは評価高いんだっけ?

293: 世界@名無史さん 2007/11/24(土) 11:37:54 O
>>292
高いかどうかは分からんけど
スウェーデン人でもなく、貴族でもないフランス人の平民を国王にしてナポレオ
ン没落後もその地位から退けられなかったしね
一応、諸国民の戦いでは皇太子としてスウェーデン軍を率いてナポレオン軍と戦
ってるし

318: 世界@名無史さん 2008/01/20(日) 22:02:34 0
シチリア州旗
no title


319: 世界@名無史さん 2008/01/23(水) 21:01:56 0
( ^ω^)恥ずかしい旗だお 

引用元: ・【ノルマン】南イタリアの歴史【アラゴン】

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