51Z140726QL



1: 日本@名無史さん 2010/11/27(土) 18:36:31
田沼意次が老中に就いてから松平定信が失脚するまでの治世について議論しよう。

関連記事田沼の時代&白河の時代

 








186: 日本@名無史さん 2011/05/13(金) 14:26:35.56
田沼、失脚したようだけど大名としてはちゃんと生き残ったんだよな。維新後は子爵様だ。

もとは足軽の家なんだから、上出来じゃねえか。

196: 日本@名無史さん 2011/05/13(金) 20:02:15.10
田沼意次は当時としては時代を先取りし過ぎて異端児扱いされてる人物だよな

197: 日本@名無史さん 2011/05/13(金) 21:10:15.26
>>196
そういう面があることは誰も否定しないだろう。問題は、田沼の政策が「地に足のついた」ものだったか。

印旛沼干拓を兼ねた運河計画は当時の土木技術では実現不可能な恐れの大きい物だ(分水嶺付近の印旛放水路は「渓谷」というレベルに切り開かれている。この付近は土質も劣悪で、開削は極めて困難)。
蝦夷地開拓も投下資本の回収に大きな疑問がつく。

つまり「周囲に理解が無いから失敗した」のではなく、「刹那的な見通しで無茶な政治を行った」可能性があるということが指摘されている。

198: 日本@名無史さん 2011/05/13(金) 21:20:32.25
大事なことは経済を回すことだよ。
民間の事業者じゃないんだから資本の回収は二の次三の次。

201: 日本@名無史さん 2011/05/13(金) 21:44:50.65
>>198
おいおい、それは当時も今も通らないぜ。
事業そのもので金が回るのなんか一時の話、長期的に経済効果のある事業でないと後が続かないし、いたずらに財政や民間資本を損傷するだけだろうに。

202: 日本@名無史さん 2011/05/13(金) 21:54:28.93
>>198
もし田沼の本音がそれなら、罷免で済んだのはむしろ温情だろう。
使い物にならない運河や、ランニングコストすら回収出来ない開拓事業を、確たる見通しも無く実施するなんぞ、幕府への忠誠も為政者としての矜持もゼロ。

203: 日本@名無史さん 2011/05/13(金) 22:02:12.33
その後の水野忠邦も印旛沼の開拓に手を付けてるんで
事業そのものが間違いだったわけではないだろ。
というか民間が手を出しづらい事業にこそ国がやらなきゃならないのを
理解してない奴が多すぎ。

206: 日本@名無史さん 2011/05/13(金) 22:14:28.03
>>203
事業の実施には、何の問題も無い。問題は、その事業が全くの失敗に終わったこと。

勿論、失敗自体は田沼の責任とは言えない。問題は「事前に万全の調査を怠らなかったか」にある。
その点、利根川~印旛沼~東京湾ルートの運河建設に挑んだのは、田沼が最初ではない。また、ルート途中に分水嶺があり、しかも極端に崩落しやすい土質だということは、当時の技術でも確認出来たこと。

確かに、この運河に関しては、田沼の側に「万全の調査を怠らなかった」という抗弁成立の余地がある。水野忠邦が同様の失敗を犯したことも、田沼にとって有利な事情であることにも異存は無い。
この点、資料を示せるならよろしくお願いしたい。

207: 日本@名無史さん 2011/05/13(金) 23:29:47.16
大規模な土木工事の正否に関して失敗の可能性が全くないとは誰にも言えないだろ。
それにこの時代は本州はあらかた開拓してしまってるので残されてる土地は難工事が確実な所と蝦夷くらいしかない。

209: 日本@名無史さん 2011/05/14(土) 00:01:21.91
>>207
当時の科学技術で万全の調査をした結果が「行ける」という結論なら、田沼の政策決定に過失は無い。
逆に不十分な調査で軽はずみに断行したとしたら、それは田沼の重大な過失。

この点、印旛沼干拓プロジェクトは「新川の流れを逆転させる計画」「染谷源右衛門も着手したが頓挫」「新川と花見川との間に分水嶺」「その分水嶺付近が開削不可能な化土層」「分水嶺が越えられず頓挫した水戸藩・勘十郎堀の前例」と、成功を危ぶむ根拠が非常に多かった。

何故このプランを実践したのか、田沼の無謀さに疑いが残る。

208: 日本@名無史さん 2011/05/14(土) 00:00:20.94
いや、江戸時代の場合はそれこそ白河藩や那須・郡山の荒野があった。

大河原市の用水路建設は既に藩営の事業として進んでおり、これが明治以降の那須や郡山の開拓事業へと参考にされてゆく。

しかし、松平定信は自藩で農業は振興させず、幕府からの金と他藩の米で賄おうとした。

210: 日本@名無史さん 2011/05/14(土) 00:04:23.76
大田原藩ですね。
あそこの用水開発と白河の停滞を比較する限り、松平定信が農本主義を志向したというのも嘘に聞こえる。
文書だけ読んで幕府の金をくすねることしか頭になかったのではないか?

211: 日本@名無史さん 2011/05/14(土) 00:20:13.86
この前の地震で崩壊した、南湖公園は作ったんだけどね。
大田原の長大な用水などに比べると、城を潤す程度の役割しか果たしていない。

用水に関しては、松平定信は力不足。

214: 日本@名無史さん 2011/05/14(土) 03:56:02.82
南湖公園は被害を受けたが崩壊はしていないような気がする。
農地利用というにはあまりに小さい、城の溜池の域を出ない工作物というのには変わりはないが。

松平定信は農本主義を掲げるにしては、農業分野ではほとんど実績が見えない。
実績そのものが乏しい松平定信を掲げ、土木工事で結果として失敗した印旛沼干拓で田沼を叩くのは、不正行為ではないか。

225: 日本@名無史さん 2011/05/14(土) 18:49:29.24
>>214
結果として失敗したことだけをもって無能扱いするのは、田沼に酷に過ぎるだろう。何度も言っているが、事前に万全の調査を怠らなかったなら、田沼に落度は無い。むしろ積極的な経済政策が高い評価に値する。

ただ、これが「確たる成算も無しに断行した」となると、話は逆。公金を浪費し民を苦しめた軽率さと無責任ぶりは非難を免れない。

その点、このスレで何度も指摘されているとおり、印旛沼干拓も蝦夷地開拓も、当時の知見でも「無理な事業」という予測がついたのではないかという疑いが禁じ得ない。

だからこそ、田沼を評価する人には「田沼には成算があったのだ」という根拠を示してほしい。歴史を再評価し知識を深める喜びを、私も味わいたいのだから。

226: 日本@名無史さん 2011/05/14(土) 21:05:44.58
民にしてみれば食い扶持にありつけただけでも有難いだろ

227: 日本@名無史さん 2011/05/15(日) 00:14:07.01
田沼がやった政策で一番大きかったのは貿易黒字を叩き出したこと。
この時代に貿易収支の重要性を理解してたのは驚嘆に値する。

217: 日本@名無史さん 2011/05/14(土) 10:35:25.77
定信がアイヌに対する御救貿易をするのは松前藩がアイヌを搾取したからだが、
田沼時代にはどんな対応をしたんだろう。
放置していたのは意次であり、定信によって改善された。

蝦夷地を取り込むなら日本人入植よりアイヌを味方にする方が先で、アイヌの反乱を招いた田沼政権は失政としかいいようがない。定信がやめたのは天明期の探検であって蝦夷地を投げたのではない、投げたのはむしろ松前藩に任せきりだった田沼。

218: 日本@名無史さん 2011/05/14(土) 11:36:00.71
ロシア側の侵入があったなら尚のこと、放置政策など行っているのが禁治産者となる。
現に松平定信の蝦夷地の放置政策は、その後ロシアの樺太開拓へ対抗手段を喪失することとなり、
日本の樺太への領土主張放棄へと至る。
どこにも松平定信を弁護できる部分など無い。

その程度の話も無視し、君は松平定信の蝦夷地放置策が正しいことだったと主張している。
これは松平定信を支持すると無知になるのやら、それとも松平定信を擁護するためには論理を歪めてもよいという主張なのやら。

君は歴史事実を無視し、相手を無知だと罵るが、その実は松平定信の政策がおかしいと語ってしまっているではないか。

220: 日本@名無史さん 2011/05/14(土) 12:15:21.14
定信の蝦夷地放棄というのは探検を中止したのと開拓をしなかったこと、の意味だろうが、それは政策転換であり放棄ではない。事実御救貿易を開始するのだから。
開拓をやめたのは実現不可能だから。
先に述べたように蝦夷地防衛ラインの兵士たちがどうなったかを調べたらいい。

ロシアが樺太を占領するのは幕末だ、定信とは関係ない。
それなら千島にロシアを引っ張り込んだ意次の責任はどうなるのか。

221: 日本@名無史さん 2011/05/14(土) 13:00:32.83
考えたんだが、蝦夷地開拓が有望なプランなら続行したんじゃね>定信?
定信の尊敬するじーさんの吉宗は新田開発ガンガンやったんだから。

222: 日本@名無史さん 2011/05/14(土) 14:02:58.95
当時の日本の技術では、サハリンはおろか蝦夷地でも開拓できなかったのに、定信のせいでサハリンが云々とか馬鹿言ってるんじゃないよ。

寒冷な気候で農業に不向き、あまりの寒さに越冬の警備兵(奥羽諸藩の兵)に死者続出。
そんな土地を江戸時代の技術でどうしろと。

223: 日本@名無史さん 2011/05/14(土) 15:47:15.36
定信以前に田沼意次がサハリン開拓しないのが悪いんでね?

224: 日本@名無史さん 2011/05/14(土) 16:59:03.54
江戸時代の技術では無理。
季節労働者みたいに魚取りに行くのが限界。

242: 日本@名無史さん 2011/05/15(日) 13:19:27.97
人足寄場は犯罪者の更生と職業教育の場として、近代的な行刑のはしりで、浮浪者の増加に対する治安維持としての面もある。

七分積金も、大火で丸焼けになることの多かった江戸には有益な都市政策。

社倉・義倉での備荒貯穀も天明の飢饉の直後なら、当然の政策。

243: 日本@名無史さん 2011/05/15(日) 13:37:46.51
>>242
そういう地味な政策が、最近はあんまり評価されないね。
派手ではないけど、良い点を突いた民政政策だと思うんだけど。

246: 日本@名無史さん 2011/05/15(日) 17:42:47.54
>>242
>人足寄場は犯罪者の更生と職業教育の場として、近代的な行刑のはしりで、
>浮浪者の増加に対する治安維持としての面もある。

さらりとトンでもないことを言っているな。
無宿人というだけでまだ犯罪者ではない者を強制収容したんだぞ。
近代行刑はしりと言うより、アウシュビッツのはしりと言った方が近い。

253: 日本@名無史さん 2011/05/15(日) 22:24:58.20
>>246
刑事政策は専門外だが、18世紀、物乞いや浮浪者を逮捕して入牢させるのは欧州でもごく一般的だったし、イギリスのように19世紀までそれを続けた国もある。
この「牢獄」がどんな代物だったかは言うまでも無い。

無宿人に職業訓練を施し、しかも出所後まで視野に入れ有給だった人足寄場は、比較法制上も相当に先進的な取組だったと記憶しているが、間違いかな。

256: 日本@名無史さん 2011/05/15(日) 22:55:36.56
>>253
それをいうなら田沼の賄賂も正当化されなきゃおかしいだろ。

257: 日本@名無史さん 2011/05/15(日) 23:13:18.98
>>256
つーか、賄賂は江戸時代を通じてあったからな。
田沼だけを批判できないし、田沼の賄賂は政争絡みで宣伝されたという説が有力だ。

258: 日本@名無史さん 2011/05/15(日) 23:23:27.61
>>253
プロイセンあたりは誘拐してまで軍隊をつくってたくらいだからな。
酷い場合には、そうして集めた兵士を南米へ売ったりしていた。
あんな野蛮な連中は参考にすらならんよ。

259: 日本@名無史さん 2011/05/15(日) 23:38:27.88
>>258
その「野蛮」な状況が、普遍的な啓蒙思想・人権思想の故郷ですら見られたわけだ。
そうした時代の状況を踏まえると、人足寄場の先進性が見えてくると私は考えるが、違うかな。

263: 日本@名無史さん 2011/05/16(月) 00:54:16.34
>>259
>そうした時代の状況を踏まえると、人足寄場の先進性が見えてくると私は考えるが、違うかな。

先進性は認めるが、全面的に肯定できるものじゃないと思うがね。
無宿人というだけで強制収容した点で問題なのは変わりないし、これは現代の視点では逆行と言える。
また、無宿人が増えたのは政治の失敗の結果ともいえるわけだが、これを強制収容で対処する点でおかしい。

247: 日本@名無史さん 2011/05/15(日) 18:54:52.91
江戸時代に現代と同じ人権意識を期待する方がまちがってる。
人足寄場は、刑罰といえば死罪か遠島にするか、未決囚として獄死させてた時代において、画期的で十分評価すべきものだ。

252: 日本@名無史さん 2011/05/15(日) 22:10:57.77
職業訓練の場でもあるからな。
ブラブラさせて犯罪予備軍やゴロツキの仲間にさせるくらいなら、強制収容して、手に職つけさせた方がいいってことだろ。
江戸の治安対策にもなり、一石二鳥。

まあ、いまのような人権意識のない封建時代のことだから、
いまの基準で考えてはいかん。

269: 日本@名無史さん 2011/05/16(月) 10:46:46.46
人足寄場は献策した長谷川平蔵に丸投げしてるね
寄場のための金も五百両しか出さず、足りない分を平蔵が銭相場を使って捻出した際に田沼みたいなことしやがってと不興を買ってる
定信は有能かもしれないけど生真面目すぎて好悪の念が激しすぎる

吉宗の孫とは言え自身が権力を握るためには賄賂も惜しまない程度のバランス感覚はあるけど
自分に会いに来た相手からの付け届け(あえて賄賂とは言いません)を拒否してるけど
その相手にもちゃんと接待はしないといけないわけで入りがなくて出だけなので二ヶ月で二千両を超える出費で
江戸藩邸から金送ってくれと言われた国家老が藩邸での不正を疑ったほど
ちょっとちぐはぐなとこがあるね

285: 日本@名無史さん 2011/07/27(水) 10:56:41.16
突き詰めると、"バブルの終わらせ方"の巧拙に行き着くと思う。
田沼時代はバブル時代だった。賄賂が横行するのは見返りがあるからだ。
しかしバブルは物価の上昇を伴うので、江戸で打ちこわしが頻発した。
つまり庶民は田沼政治に辟易したからこそ、定信の登場に喝采した。

やはり田沼がもう一歩考えを進めて、商人から税金を取ればよかったと思う。
国庫に入るカネが個人の懐に入ったのが残念だ。いつの時代もバブルははじけてから
国民は苦労する。

286: 日本@名無史さん 2011/07/28(木) 00:12:08.08
当時の状況では流通を精査して商人からちゃんと税金を取るのは不可能でしょ
だからこその座を作らせての運上金だったと思うのだが

287: 日本@名無史さん 2011/07/30(土) 17:57:16.48
田沼の場合物価とかじゃなくて本人に何の責任も無い天災が失脚原因だろ

291: 日本@名無史さん 2011/08/01(月) 22:24:37.13
法人税が取れなかったのが、唯一の問題。
これは徳川宗春にも共通する。

株仲間と運上金ではまだ足りなかった。
印旛沼開発は魅力的だったが、当時の技術が足りなかった。

あとは、五街道の大型車交通の容認と架橋事業
大型船の容認と港湾整備、河川整備と洪水抑止、すべき事はいくらでもあったのだが。

299: 日本@名無史さん 2011/11/14(月) 19:55:47.31
「貴穀賤金」「士農工商」「商は詐なり」

熱心な儒教の徒は経済がまるで理解できないからどうしようもない
そもそも儒教を統治のための公式哲学にしたのが間違いの元


300: 日本@名無史さん 2011/11/18(金) 02:00:51.66
>>299
統治哲学として儒教を選んだだけで、上に忠実なら拝金主義でも良かった。
田沼政治は資本主義の先取りだったと言える。それから僅か200年で、
金持ちが上すら買収してしまう事態になったけど。

302: 日本@名無史さん 2011/11/28(月) 19:14:20.01
>>300
金持ち中心の政治は多くの悲劇を生むからなあ。

306: 日本@名無史さん 2012/10/12(金) 15:52:02.83
>>302
金持ち中心って言うか、それ以前もほぼ野放し状態だったわけで
吉宗の晩年なんか大坂商人を抑えるのに苦労してるんですけどね
商業に効率的に課税するのが難しかった時代だから、ある程度は仕方ないけど

311: 日本@名無史さん 2012/10/27(土) 09:12:05.45
>>306
そういう意味では株仲間の公認は先進的だな。
江戸という大消費地には全国から様々な製品が入ってくるから
それらに課税をしたようなもん。また独占権を認めることで
必然的に商人の力が強くなるんでインフレを抑えることも可能だし。

312: 日本@名無史さん 2012/10/28(日) 04:57:38.44
だが株仲間も一度に作りすぎると正直ウザいわけ。何にでも課税でうんざりすることになる。
(課税しないと税収が上がらないから、幕府にとっては必要なことのはずなのだけど。)

だから田沼の治世では、市民は全然田沼のことをよく思っていなかったと思う。
しかしなんでも禁止の松平定信がやってきたなら、途端に田沼の有難味を感じることとなった。

313: 日本@名無史さん 2012/10/28(日) 23:03:05.84
>>312
勘違いしてるぞ。株仲間の公認ってのは現代風に言うと
大店法の規制緩和みたいなもの。
今で言うと某大手小売が圧倒的な力をもって
製造業者にPBを作らせるのと同じ構図。

314: 日本@名無史さん 2012/10/29(月) 12:59:16.64
>>313
君の主張内容が見当外れなのは明らかだが、間違いが大きすぎてどう返して良いのかわからないのだ。

1.座及び株仲間は特権的に物品を扱う免許を得ていた
2.その代わりに大岡忠相・田沼意次らは課税を行い、幕府に税収をもたらした
3.松平定信・水野忠邦は「楽市楽座」の立場から解消を行ったが、結果は商品の価格乱高下で市民はかえって困った

319: 日本@名無史さん 2012/11/29(木) 20:27:40.28
>>314
株仲間は商売の独占権を得る代わりに出来るだけ
安価に商品を供給するって役割も担わされていたんだよ。

320: 日本@名無史さん 2012/11/29(木) 23:18:48.05
安価かどうかは知らないが、松平定信や水野忠邦の規制撤廃策は
期待した競争低価格化はちっとも起こさず、商品相場の投機化しかもたらさなかったわけ。

324: 日本@名無史さん 2012/12/01(土) 09:31:02.81
>>320
商売をやれない人間にとって、商品相場に手を出すメリットはあまりないからねえ。
株仲間解散で誰でも商売をやれるようになったら
投機マネーが市況に流入するのは誰の目にも明らか。

327: 日本@名無史さん 2012/12/01(土) 17:19:09.42
株仲間の場合、構成員としては主に都市の問丸から転じたような問屋、流通関係者が多かったから、これを解散すると代わりに出てくるのは、農村の豪農系生産業者だろう。

自分で生産しているから考えることは、まずは生産者利益確保だ。
フェアトレード製品が収奪生産品より高いのは当たり前。値上がりしないと考えていたとしたならよっぽど考えが甘い。

329: 日本@名無史さん 2012/12/01(土) 17:45:12.17
>>327
天保期あたりでは木綿や菜種あたりが典型だけど、上方では国訴が盛んに起こってる。
幕府は金肥の値上がりで悲鳴を上げる生産者の声を無視できないが、江戸では油は灯油や食用油として生活必需品になっているから値上がりすれば世情不安に直結する。
問屋も経費削減が限界に来ていたから、何をやっても無駄ってな状況まで至っていた。
早い話、江戸の贅沢が飛びぬけて行き過ぎていたとも言える。国の消費に寄生している格好の今の東京と同じだ。

大坂の問屋を介さない尾張藩の内海船などが多少の安値で売っていたけど、江戸の必要量が安定的に確保されるためには問屋による統制が必要だったから、問屋のシェアが下がることで逆に江戸での小売値が上がってしまった。商人は顧客のことより自分の利益を優先させるし、幕府による統制は問屋を介してしか影響を発揮できなかったからな。

そんなことを矢部定謙が藤田東湖に語ってるよ。当時の状況を今の感覚で語ると見当外れの結論が導き出されがちだ。

339: 日本@名無史さん 2012/12/02(日) 19:40:13.44
松平定信の治世は、彼の見解では正道を行くものだった筈なのだが、成果が見られない。

彼は農民保護のため、貸付制度や非常備蓄米制度を整備したとされるが、この時期以降も北関東及び東北地域の人口減少は止まらず、関東地域の人口回復も、現実には南関東地域が回復増加に転じたのみ。

これには、松平定信以降もこれらの地域で稲作偏重及び他作物への抑制が止まらなかったことと、米増産の結果、北関東及び東北地域は却って収入減に直面していたことが挙げられる。
幕府の米確保政策のために、より高価な作物への切り替えを抑制されていたこれらの地域は、貧困から抜けることが出来なかった。

340: 日本@名無史さん 2012/12/03(月) 21:14:21.98
貨幣経済が農村にまで浸透してたのに米本位にこだわり過ぎて幕府の弱体化と明治維新に繋がっていったからなぁ。田沼路線を継承してたらまた歴史は違っていたかもしれん。

342: 日本@名無史さん 2012/12/05(水) 01:05:10.71
田沼も色々失敗はしているんだけどね。
米の買取による価格高値安定(必要予算が多すぎて放棄、後の天明飢饉の際はこの教訓が災いとなって対応が遅れた)とか、大阪から江戸への米売却代金としての銀輸送計画(為替のもっと良い時期に両替しようとしたら、銀通貨が払拭して頓挫)とか。

だが松平定信の米依存はよくなかった。
他の業種と複合させながら地域を安定させてゆくはずが、モノカルチャー推進で通常は豊作貧乏、飢饉時は打つ手なしだった。

江戸幕府は、座・株仲間を通じた統制と安売り強要によって、米以外の諸品の値段を押さえ込んでいたわけで、これを楽市楽座の原則を通用させれば更に値下がりが期待できるとした松平定信や水野忠邦は、物を見る目がなかった。

だいたい、常に増産が図られた米は享保以降は年度内に販売できない古米を生むようになっており、これと、日々需要が増していた米以外の各種製品との価格差は日々開いてゆく一方だった。

自由化すれば米価が下がりその他の値段が上がる。江戸時代の状況を彼らは考慮していなかった。

343: 日本@名無史さん 2012/12/05(水) 02:55:45.93
米の値段を上げたければ東北で米作りなんか止めちゃえば良かったのに、なぜそんなに他の産品を禁止してまで米作りにこだわったんだろう。

348: 日本@名無史さん 2012/12/05(水) 20:31:00.31
>>343
そんな減反政策みたいな真似を大名たちにやらせられるわけないだろ。
基本的に幕府が藩政に干渉するのはNGなんだから。

351: 日本@名無史さん 2012/12/05(水) 21:14:32.48
江戸時代の北関東から東北に広がる、妙な稲作偏重主義の正体がつかめない。
藩による強要とするには、現在のこの地域の住民の稲作への思い入れを考えると少し違うような気がする。

それとも自発的なもの、現在この地域にある、農業や住む土地への思い入れと同種と思って良いのだろうか。
それにしては江戸時代の東北は稲作に向いていないのに。

本当に、江戸時代を通じ米はいくら余っても増産が図られ、更に米価は低迷してゆくことになる。
経営感覚があったら他の作物への転換を模索するのだが、東北は米へますます集中してゆく。
その結果東北は幕末にはすっかり疲弊していた。

田沼意次の時期が米以外に目を向ける機会だったように思う。それを元の米依存の方向に全て戻してしまったのが松平定信だったのだろう。


それと、江戸中期以降の人口横ばい説は「西日本も含めたら」という語を抜いた欺瞞です。西日本の人口増で東日本の減少を隠しているわけです。
関東東北では人口の減少が止まらず、ようやく幕末近くに関東が回復しているように見えるのは、実は南関東のみの回復です。

390: 日本@名無史さん 2012/12/06(木) 00:28:01.14
西日本では享保の大飢饉と呼び習わされているのに一貫して人口増加
東日本は天明の大飢饉でがっくり落ち込み、その後南関東では持ち直すが北関東では更に低下、東北も低調
(更に天保の大飢饉があったにしてはよく保った松平定信様のおかげ、と評するには成果を全く感じない。)

これまでの歴史を語る上で、農家保護の良治とされる松平定信の農業政策には、実際のところ有効性があったのか、
人口の面からはあまり効果が無いように見える。

それとも南関東を避けて他の東日本にくまなく飢饉が襲い続けたのか、その他の人減らしの論理があったのか。
(だが、幼児の人減らしは松平定信が激しく禁止している。効果の無い禁制だったのか。)

稲作偏重がこれらの農村から奪っていたとするなら、松平定信は、各種の政策で保護を与えたような振りをして、
実際は稲作への偏愛から農家を死に追いやっていたということになる。

395: 日本@名無史さん 2012/12/06(木) 10:46:15.99
稲作重視の東北の人口減少と、他作物への開発を進めた西日本の増大。
やはり稲作偏重が悪いとするしかないが、
松平定信の責任か、少し分からない部分がある。
だが松平定信が田沼の商品開発を差し止め、稲作偏重を進めたのは失政だった。

江戸時代中期から東北と関東の人口は減少を続けてしまったのだから。

412: 日本@名無史さん 2012/12/06(木) 13:31:51.31
松平定信が幼児間引きを堅く禁じたという話は、松平定信の伝記などで強く主張されているのだが、
それにしては松平定信以降も人口が増えないのが不思議。

413: 日本@名無史さん 2012/12/06(木) 14:21:35.46
>>412
それは鎖国下では食糧の国内で賄える総量と人口の釣り合いがそこで取れたからだろ。
だから飢饉で食糧生産が減れば人口は減る。
単純化できない部分もあるが順調に石高が伸びた西日本の国では人口が増えたんでしょ。

414: 日本@名無史さん 2012/12/06(木) 19:03:05.10
>>413
全く通じてないね。
口減らしを禁じたのに人口が増えない理由はいくつか考えられるが、

例「大家族制で長男しか妻をもてなかったので一家で5人ほどが精一杯なのである」

・反証:天明の飢饉の際、相模の農村の記録では数軒空所(空き農家)が生じているが、その後他家から次男などが移り住み人口も回復してゆく。
     然るに東北や北関東の場合、天明飢饉で激減後江戸時代の間全く人口が増えないということは、農地が放棄されたか空き農家が埋まっていない。

例「元々その程度しか人口を支える余力がなかったのである」

・反証:江戸と明治の農業はやり方の点では差はない。稲作収量も近畿などでは現在と大差がない。
     明治になって県庁所在地などで都市化が進行し鉄道道路が整備されても、
     農村の近代化は第二次世界大戦後の農地改革と、その後の原動機械化が起こるまでは激変する要素は無い。
     なのに、明治になってから近年まで人口は増加し続けた。つまり余力云々ではなく江戸時代に人口抑制要素があった。

わたしは、北関東や東北の人口が江戸中期以降、飢饉で減少し以後回復しなかったことについては、荒廃から回復できなかったのだと結論付ける。

415: 日本@名無史さん 2012/12/06(木) 19:16:35.77
安全確実な避妊方法なんて無い時代なのだから、
収量に見合った水準で人口平準化とか、5人で精一杯とか、どちらにせよ結局は間引きで人口を押さえ込んでるわけで
松平定信の幼児愛護美談は、言っただけで農村社会では守られなかったということ

416: 日本@名無史さん 2012/12/07(金) 19:04:38.98
だが社会保障的な政策はあの時代としては画期的。
素直に経済政策は田沼路線を受け継いでたら
また後世の評価も変わっただろう。

417: 日本@名無史さん 2012/12/08(土) 20:48:49.31
田沼意次は、社会保障などはまるで考えていない。
幕府の税収を増大させることが全てであり、そのためには貨幣経済(商業)の発達とそこから得られる税収の確保が重要だった。
そのための株仲間(専売免許を持つ企業団体)の公認であり、運上金(定時課税)・冥加金(臨時課税)の取得であった。

米価については、徳川吉宗と同様の買い支えによる高値安定を狙ったが、費用がかかりすぎて早期に撤退している。
諸色(「その他のもの」の意。この場合は米以外の商品)高は、株仲間を通じた安値販売統制が徳川吉宗(大岡忠相)の頃からあり、これを続行した。
貿易品としては、当時中国で払拭していた銅が有力だったが、これの流出も都合が悪いので、中華料理用の海産物干物を開発輸出する戦略をとった。

この過程で蝦夷地開発が俎上に登ってくる。

418: 日本@名無史さん 2012/12/12(水) 21:34:39.17
だけど田沼が進めた資本主義や近代化の雛型を
後に倒幕を成し遂げた薩摩と長州が受け継いだのは皮肉な話し。

420: 日本@名無史さん 2013/01/30(水) 22:42:26.45
実際タイムマシンとかタイムスリップで昔に飛ばされるなら田沼の時代と定信の時代、どっちがいい?

422: 日本@名無史さん 2013/02/24(日) 09:04:20.81
>>420
助郷ブローカーや商品作物を買いたたける専売制度を請け負う商人なら
田沼時代は天国だろうが地方の農民に生まれたなら待っているのは小作農に転落か
江戸に流れて日雇い労働者になるだけだよ。


引用元: ・田沼の時代&白河の時代

田沼意次と松平定信
田沼意次と松平定信
posted with amazlet at 17.03.07
童門 冬二
時事通信社
売り上げランキング: 854,585