51isHraSzqL










5: 世界@名無史さん 2008/08/04(月) 12:35:17 0
オスマントルコのシパーヒーって鎖帷子とかしか着てなかったらしいけど西洋の装甲騎兵と互角に戦えたんですか
Sipahis


スィパーヒー

スィパーヒーとは元々ペルシア語の「兵士、軍人」を意味する سپاهی sipāhī からの借用語であるが、狭義にはオスマン帝国で組織され、中世ヨーロッパにおける封建制度の中での騎士に相当する集団を指す。召集されるにあたり給料として一定の封土での徴税権を帝国から与えられるティマール制がとられていた。


6: 世界@名無史さん 2008/08/04(月) 13:12:53 0
>>5
西洋も14世紀くらいまでは鎖帷子とかしか着てなかったし
その装備で他の文化圏に侵攻しても互角以上に戦えてたよ

騎士っていうとプレートアーマーを想像する人多いけど
そういうのは騎士が消える寸前の非常に短い期間だけだよ
原色ギラギラの奇妙な盾と兜に鎖帷子、ってのが殆ど

8: 世界@名無史さん 2008/08/04(月) 20:35:43 0
>>5
鎖帷子といってもラメラー(小札)や丸盾のような胸当てと組み合わせられたものが多いよ。
特にラメラーはテュルク系にとっては馴染みの深いものだったから。

7: 世界@名無史さん 2008/08/04(月) 14:31:52 0
ニコポリス十字軍(1396年)のブルゴーニュとかの騎士はプレート着てるのもいたかもしれないけど
トルコ軍の本陣に突入してフル凹にされてたような。

10: 世界@名無史さん 2008/08/05(火) 13:57:38 0
メイル・ホウバーク相手なら剣での刺突もけっこう有効だったみたいですね。
ベネヴェントの戦いではドイツの騎士はコート・オブ・プレーツを装備してたけど
フランス側は「剣を振り上げた隙に腋の下を刺す」という戦法で対抗している。

11: 世界@名無史さん 2008/08/05(火) 15:15:44 0
少なくと板金鎧の普及のせいで、従来の剣やフレイルや短弓が圧倒的に不利にはなったんだよな
だからこそ無駄に熟練した長弓兵とか数と一発の威力で勝負するクロスボウ兵とかが活躍したんだし

13: 世界@名無史さん 2008/08/06(水) 05:46:24 0
>>11
うろ覚えだがフレイルはフス戦争の頃にも使ってたような

14: 世界@名無史さん 2008/08/06(水) 06:31:57 0
>>13
頃にもつーか、ヤン・ジシュカ考案って説もあるぐらいのもんだし。
それ以前から一般的に使われてたのはメイスだろう

12: 世界@名無史さん 2008/08/05(火) 22:39:39 0
鎧と武器のシーソーゲームだろ
鎖帷子を打ち抜くクロスボウに対向するために板金鎧が出て板金鎧に対向するためにフレイルや鋼鉄製クロスボウとかが出た

15: 世界@名無史さん 2008/08/06(水) 11:12:14 0
そういやフレイルってなんかヘボいイメージあるんだけど実際はどのくらい威力あんの?やっぱメイスより上なの?

17: 世界@名無史さん 2008/08/07(木) 09:10:29 0
>>15
チェコ人が書いた中世の武器防具の本の英訳では
"A Flail such as this in the hands of the country peasants, who were accustomed to using it,
must have been a terrifying weapon, which could bash the finest helmets and plate armour of the
crusaders to smithereens."
とか書いてたけど、「最高級の兜や板金鎧を粉砕することができた」という部分について具体的な史料を引用しているわけではない。誇張かもしれない。地元の話だし。

21: 世界@名無史さん 2008/08/07(木) 21:32:22 0
>>15
両手持ちのは遠心力で相当破壊力があるらしい
使い方も簡単で、振り上げて振り下ろすだけ
農民は元になった殻竿を使い慣れていただろう

18: 世界@名無史さん 2008/08/07(木) 09:24:35 0
Hodetin Ordinance(詳細不明)の規定では、フス派の戦車一台に配置される人員は御者2名、ハンドガン兵2名、クロスボウ兵6名、フレイル兵14名、ハルバード兵4名、大盾兵2名だそうで、フレイル滅茶苦茶多い。

長柄武器は戦車と戦車の隙間を守るのに役立ったそうですが、そのスペースで一度に戦うのは一部で残りは交代要員みたいな感じ?

19: 世界@名無史さん 2008/08/07(木) 16:15:00 0
>>18
フレイル兵=農兵じゃないか?
矢面に立たせる使い捨て交代要員かと

21: 世界@名無史さん 2008/08/07(木) 21:32:22 0
>>18
フス軍の戦術は戦車で敵を押さえ、ハンドカノンやクロスボウの火力で撃退
敵が退却し始めたら戦車の連結を解き、歩兵が追撃というものだったらしい

最後は敵騎士がフェイントで退却したのに乗せられ、追撃したところを逆襲され崩壊した

22: 世界@名無史さん 2008/08/08(金) 00:29:53 0
ハンドカノンってどんなの?銃の祖先ってやつ?解説してるサイトとか書籍ない?

23: 世界@名無史さん 2008/08/08(金) 01:09:01 0

24: 世界@名無史さん 2008/08/08(金) 02:58:12 0
>>23
手筒花火みたいなもんか?

26: 世界@名無史さん 2008/08/08(金) 08:24:22 0
>>24
小型化した大砲
もののけ姫の石火矢みたいなかんじ
ただしあれと違って前装式だけど

25: 世界@名無史さん 2008/08/08(金) 06:17:46 0
薔薇戦争って、ほぼ完成形の板金鎧を装備した騎士参加の戦争の割には、貴族とかの犠牲者が多い。
むしろ、鎖帷子とかで戦っていた時代の方がマシだった感じ。
結局、戦局を左右するのはその他大勢の雑兵たちで、劣勢になってそういう連中が大挙逃亡してしまえば、板金鎧を装備した騎士などは逃げ遅れてフルボッコにされるだけということか?

29: 世界@名無史さん 2008/08/08(金) 14:37:29 0
>>25
一番大きいのは、「相手の貴族を捕虜にせず、容赦なく殺した」事じゃね?
王室の争いにかこつけて、英国じゅうの貴族が政敵や仇敵を殺そうとしたのが薔薇戦争だから大抵の高名な貴族は捕虜にされる事も無く(たぶん格好いいセリフと共に)ぶち殺されてた筈。
で、一人殺すとその息子が「復讐」して、復讐された家の息子がまた復讐、っていう無限ループ

あと、騎士が下馬して戦うようになったのに「相変わらず指揮官(貴族)は前線で勇敢に戦うのが通例」だった事と「百年戦争以降の農民兵が長弓兵ばっかりになってた事」も大きいかも

30: 世界@名無史さん 2008/08/08(金) 19:11:20 0
薔薇戦争は酷かったらしいな。確かタウトンだっけ?雪解けで戦場が沼地になってたせいで21世紀の現在に至るまで英国本土で1日に出た死者の最高記録として君臨し続けてるのって

32: 世界@名無史さん 2008/08/09(土) 16:31:24 0
>>30
数値の誇張とかは知らんけど、とある資料によれば
ランカスター軍が114名の騎士達が率いる60000超(Wikipediaだと42000)
ヨーク軍96名の騎士達が率い48660(同36000)っていう馬鹿みたいな軍勢で
ランカスター軍の戦死者が名士44名を含む20000人、ヨーク軍が8000人(騎士1人)
軍勢の数と戦死者と、どっちも諸説あるわけだろうけど異常な数(英国一)である事は確か。

雪が降ってるせいで地面が泥になってて、
長弓による無駄な死者を出さないために白兵戦が必要で、
勝敗を決したのが側面からの攻撃なせいで軍が混乱してて、
下馬して戦ってたせいで効率的に逃げる事が出来なくて
あげく追撃する貴族も歩兵も相手をぶち殺す気マンマンで、
しかも逃げる途中で橋が落ちた、っていう最悪の状況が原因だろうな

33: 世界@名無史さん 2008/08/10(日) 15:30:45 0
ばら戦争はイギリス版の三十年戦争みたいなもんだしな
他国の介入が最小限だったから被害は比較的軽微に済んだが
フランスや神聖ローマが介入してたら三十年戦争みたいになってたかも知れん

34: 世界@名無史さん 2008/08/11(月) 21:22:39 0
三十年戦争と違って王権は強化されたけどな
外国の傭兵とかも入ってこなかったから民衆の被害は少なめだし

40: 世界@名無史さん 2009/01/15(木) 11:59:30 0
チェコのフス派がグルンヴァルドの戦いでポーランドへ義勇兵として行って活躍した話はどう?
ドイツ騎士団を相手にチェコ人歩兵がどういう活躍をしたかがいまいちわからないんだが

44: 世界@名無史さん 2009/01/29(木) 11:03:19 0
>>40
フス派は動きが鈍いからグルンヴァルドでは後方に控えていただろ
その直後のマルボルクの城攻めのときに大砲や投石器を持ち出した

45: 世界@名無史さん 2009/02/05(木) 11:06:10 0
http://www.youtube.com/watch?v=t1dD530tAsY


・当時の鉄砲はこんなに射程距離はない
・こんなには鉄砲玉は当たらない
・ポーランド騎兵のランスの長さが実際の3分の1ぐらいしかない

46: 世界@名無史さん 2009/02/07(土) 11:10:53 0
>>45
むしろ当たってなさすぎ。というか一度に撃つ量が少なすぎ。

スウェーデン軍はその映画みたいにマウリッツ風のカウンターマーチを使わず6列の銃兵に一斉射撃させたりと凄まじいことをやっていた。

49: 世界@名無史さん 2009/02/08(日) 01:17:42 0
>>46
いや実際全くといっていいほど当たらないよ。50m程度の距離までは。同君連合国軍重装騎兵はそこから約5秒でス軍銃兵のラインに到達してしまう。その5秒間にいかに弾を当てるか、だが実際そんな場面で冷静に銃を撃つのは無理すぎる。散り散りになって左右方向へ逃げるしかない。
フッサール重装騎兵の突撃はまず砲兵部隊が砲弾やロケット弾で相手の隊列を混乱させ、頃合を見計らって開始されるから、敵軍は銃兵の隊列を整えるのも困難。この重装騎兵を持つ同君連合軍に対抗する場合、いろいろ戦術を工夫してとにかく突撃をさせないこと、これに尽きる。
突撃されたら、自軍がどれだけ銃を持ってようとその時点でおわり。

50: 世界@名無史さん 2009/02/10(火) 14:21:25 0
>いや実際全くといっていいほど当たらないよ。50m程度の距離までは。
>同君連合国軍重装騎兵はそこから約5秒でス軍銃兵のラインに到達してしまう。
>その5秒間にいかに弾を当てるか、だが実際そんな場面で冷静に銃を撃つのは無理すぎる。
>散り散りになって左右方向へ逃げるしかない。


当時の西欧のマスケット銃兵は狙って撃ったりはしないよ。
西欧ではマスケットの不正確さを「敵戦列に一度に飛ばす鉛玉の密度を濃くする」もっと平たく言えば「数撃ちゃ中る」という方法でカバーした。だから一斉発射するわけ。

17世紀のスウェーデン軍に従軍したロバート・モンローは帰国後体験談を出版しているが敵騎兵が突撃してきたとき、通常縦深6列の銃兵隊が3列にまとまり(前3列の兵士と兵士の隙間に後3列の兵士を入れて超密集隊形をとった)、1列目が膝射、2列目が前かがみ、3列目が立射の体勢をとって一斉に発射した。
ロバートによると「彼らは一瞬でそれほど大量の鉛玉を敵騎に浴びせたので、敵の隊列は大きく破壊された」。また3列ずつ斉射するという方法もとられた。グスタフ・アドルフは漸進斉射てのもやってたけど、これは多分歩兵相手の戦術だと思う。
斉射戦術においては、充分な密度の銃兵が位置について銃口を前に向けていれば、狙いを定めたりする必要はなかった。敵騎兵が有効射程に入った後で銃兵がやるべきことといえば極端にいうと合図と共にトリガーを引くだけだった。

51: 世界@名無史さん 2009/02/10(火) 14:22:05 0
スウェーデン兵はシュヴァインフェダーという対騎兵装備も使っていた。

「ポーランド軍の工兵シルドクネヒトは、自らが書いた教範『ハルモニア・フォルタリティス』
<Harmonia Fortalitiis>のなかで、つぎのように克明に描写している。
『(16)26年、スウェーデン軍のマスケット銃兵はわれわれポーランド軍に対して、銃架のかわりに、長くて頑丈なパイクで立ち向かった・・・・・・各先端には長さ2スパン(1スパンは約23cm)のスパイク、さらにその後ろに鉄の逆鉤が取り付けてあり、「スワインフェザー」と称されていた。 突撃に際して、マスケット銃兵は地面にしっかりとこの「スワインフェザー」を突き刺し、わがポーランド軍騎兵に向かってスパイクの先端が真っすぐ馬の胸部に向くよう斜めに傾けた。
それからやや後方に引き下がり、スワインフェザー越しに銃を発射した・・・・・・この作戦がスウェーデン側で使われたのは2年足らずにすぎなかった。中止の理由はわからない。おそらく持ち運びに不便だったことや、戦闘相手が常に騎兵とは限らなかったことなどによるものであろう・・・・・・騎兵との戦闘でそれほど有効な作戦がかえりみられなくなったことは、その当時の私にとっても大きな驚きだった・・・・・・』」
(リチャード・ブレジンスキ 『グスタフ・アドルフの歩兵』 pp22-23)

52: 世界@名無史さん 2009/02/10(火) 14:22:38 0
でもやはり槍騎兵の突撃に有効なのはパイク兵の方陣だっただろう。
フサールのランスは歩兵のパイクより長かったのでパイク兵の戦列に突撃できたという説があるが
一見説得力のある話だけど、パイク兵の縦深が1列や2列じゃないってことを忘れてる。
パイク兵の方陣てのはスペインのテルシオだと縦深20~30列、オランダ式だと10列、スウェーデン軍でも6列はあった。そのうえ個々の横隊も>>45の映画でやってるよりも密集して並んでいた。
それがハリネズミのようにパイクを突き出して槍衾をつくって待ち構えてるわけだ。
フサールが可能な限り密集して突撃したとしても(馬の幅があるからパイク兵と同じ位密集するのは無理だが)ランスで先頭から一人か二人は倒せても、次の瞬間にランスが敵に当たるのと同じぐらいの衝撃力で自分と乗馬が槍衾に当たることになる。
というか馬だって鋭く尖った物体が無数に突き出したところへ突っ込んでいくほど馬鹿な生き物ではない。

53: 世界@名無史さん 2009/02/10(火) 14:23:34 0
>フッサール重装騎兵の突撃はまず砲兵部隊が砲弾やロケット弾で相手の隊列を混乱させ、
>頃合を見計らって開始されるから、敵軍は銃兵の隊列を整えるのも困難。

フサールは足の遅い砲兵隊が射程距離に達するまでいちいち攻撃を待ってたりしないよ。
当時の会戦では騎兵は普通左右両翼に配置され、まず敵の左翼か右翼の騎兵を撃破してそれから中央の歩兵部隊の側背を突いて崩す(ポーランドだと中央まで騎兵ということもあるが)。例えばクルシノの戦いではフサールがさんざん波状攻撃をかけてモスクワ軍の左翼と中央が壊走したあとでやっと歩兵と大砲が追いついてきているし、コーケンハウゼンの戦いではフサールがスウェーデン軍の左翼と右翼を撃破した後、中央の歩兵を攻撃したが崩れなかったのでそこで仕方なく大砲を前進させている。キルヒホルムの戦いでは突撃前に砲撃しているがこれは偽装退却につられて中央の歩兵部隊がポーランドの砲の射程内まで前進してきたからだった。
ちなみにこの戦いでも最初に行われたのは敵左翼への突撃。

69: 世界@名無史さん 2009/02/13(金) 09:38:03 0
クルシノの戦いの解説希望

70: 世界@名無史さん 2009/02/13(金) 22:38:28 0
クルシノ(Kluszno)の戦い(1610年7月4日)概略

<ポーランド軍>
司令官:スタニスワフ・ジュウキェフスキ(階級:大冠ヘトマン、他国の大元帥に相当)
兵力:6800人(うち約5600人がポーリッシュ・ウイングド・フッサール重装騎兵)+予備12300人=総計19100人
    野砲2門

<ロシア・スウェーデン連合軍>
司令官:ドミトリー・シュイスキー(ヴァシーリー4世の弟)
     ジャコブ・ド・ラ・ギャルディ(スウェーデン将軍)
兵力:35000-40000人(ロシア人、スウェーデン人、フィンランド人、フランス人、ドイツ人、イギリス人)
    +予備48000人=総計83000-88000人
    野砲11門

<結果>
・ポーランドの圧勝(露・端連合軍は包囲され降伏)
・死傷者:ポーランド軍400人、ロシア・スウェーデン連合軍5000人

<戦闘後>
・ポーランド軍は、スウェーデン軍が二度とロシア方につかないことを条件に安全な帰国を許可
・スウェーデン側将兵数百人はポーランド軍に入隊

62: 世界@名無史さん 2009/02/12(木) 01:55:09 0
この頃の軽騎兵の近接武器ってどうやって使うの?
基本的には、重めの武器を持って加速して引っ掛けるような使い方と想定して良い?

63: 世界@名無史さん 2009/02/12(木) 09:18:13 0
ヨーロッパ式軽騎兵の戦術はメレーだろ
短銃とサーベル
馬上でめんどくさくなると降りて戦う

上のポーランド・スウェーデン戦争では当初スウェーデン騎兵はほぼ軽騎兵のみだった
次第に重装騎兵のフッサールを真似してくるようにもなった
下手糞で大して強くなかったけどな

タタール・コサック式軽騎兵は遊撃からメレーまでオールラウンダー
持っている武器も短銃、サーベル、弓、槍、なんでもあり

94: 世界@名無史さん 2009/03/11(水) 09:32:26 0
イタリアの戦争で有名なコンドッチェリ(傭兵)も初期は百年戦争の小休止で流れてきたフランス人とかイングランド人、あとドイツ人も多かったみたいね。
ジョヴァンニ・ド・メディチとかチェーザレ・ボルジアの頃になるとたしかイタリア人兵が大勢だったと思うけど。

96: 世界@名無史さん 2009/03/11(水) 11:51:43 0
>>94
ヨーロッパ各国の傭兵はオランダ人も多い

101: 世界@名無史さん 2009/03/12(木) 01:08:45 0
>>96
オランダ人傭兵は三十年戦争とかぐらいしか聞かないような

103: 世界@名無史さん 2009/03/12(木) 11:11:29 0
>>101
傭兵ではないが、そのころのポーランド軍の主力銃歩兵はオランダ人移民のポーランド市民。
突撃歩兵や砲兵はポーランド系平民にくわえ、チェコ人移民とドイツ人移民とスコットランド人移民のポーランド市民。

121: 世界@名無史さん 2009/03/21(土) 09:15:07 0
ポーランド騎兵ウイング・フッサールが突撃戦法で200年間も欧州に覇を唱えたのは一つには甲冑の進化のおかげとも言える

124: 世界@名無史さん 2009/03/21(土) 22:53:06 0
>>121
東の騎馬民族との戦いを想定していたからね。

125: 世界@名無史さん 2009/03/21(土) 23:15:26 O
つまり機動性を重視してたわけか

126: 世界@名無史さん 2009/03/22(日) 00:17:27 0
スウェーデンやロシアとの戦いにも投入され成功している
対トルコ戦争とは違う戦い方になるのは当然として、いずれにせよフッサールは成功


128: 世界@名無史さん 2009/03/22(日) 23:41:01 0
北のスウェーデン、西のプロイセン、東のロシア&タタール、南のオスマン帝国

それぞれに違った対応をしなければならなかった。

129: 世界@名無史さん 2009/03/23(月) 00:09:51 0
>>128
プロイセン公国はポーランドの西じゃなくて北東あるいは東

130: 世界@名無史さん 2009/03/23(月) 00:10:56 0
当時のポーランドの真西隣はザクセンでポーランドの友邦

131: 世界@名無史さん 2009/03/23(月) 00:28:33 0
ポーランド貴族は、目上の者や知事・代官に対しては謙虚で愛想がいい。
同僚ともうまく付き合う。しかし目下の者に対しては傲慢で手に負えない。
…彼らは勇敢で武器の使用に巧みである。なぜならポーランド人にとって戦争でない時はないからだ。
彼らはほとんど絶えず、トルコ・タタール・モスクワ・スウェーデン・ドイツなどの君主たちと、
しかも同時に数カ国と戦争をしているからだ。

 ギョーム・ル・ヴァスール・ド・ポープラン著『ウクライナ誌』(1660年)より

135: 世界@名無史さん 2009/03/23(月) 22:30:07 0
タタール西征のとき、リーグニッツでは負けたけど
結局、クラクフを守り抜いたんだっけ?
ハンガリーのべーラ4世は負けてどこか逃亡したよね。

137: 世界@名無史さん 2009/03/23(月) 22:53:28 O
>>135
いや、確かポーランドのデカい街2つが蹂躙されたはず。
クラクフだったかどうかは忘れたが。

140: 世界@名無史さん 2009/03/23(月) 23:06:22 0
>>137
陥落したのはクラクフとサンドミェシュ
この2都市の古いポーランド人諸侯はほとんど絶滅し、街は皆殺しで無人になった
モンゴルはすぐに撤退した
ヘンリク2世の普段暮らしていたヴロツワフ(ブレスラウ)は先手を打って焦土作戦を取り
全市民が避難、モンゴル人はすぐに撤退した
ヘンリク2世の遺体は今もヴロツワフのフランシスコ会教会に埋葬されている
彼は左足の指が6本あると当時の記録にあり、
1832年に発掘調査が行われ本当に6本の指がある左足を持った彼の遺体が確認された
彼の五男は後にザルツブルクの大司教になっている

139: 世界@名無史さん 2009/03/23(月) 23:03:25 0
ハンガリーでは何故か英雄に祀り上げられてるベーラ4世

142: 世界@名無史さん 2009/03/23(月) 23:22:32 0
>>139
ベーラ4世の場合、
決戦の戦場からとっとと逃げ出したのを「腰抜け」だとして非難する向きと、モンゴル撤退後の復興政策を賞賛する向きと、二種類の評価がある

ハンガリーでこういう正反対の評価があるのは、近代以降のハンガリー人が比較的国粋主義の強い国民性を持っているからだろう

145: 世界@名無史さん 2009/03/23(月) 23:52:36 O
>>142
なんか日本で北条時宗が「たまたま自然災害に救われただけのただのラッキーボーイ」か「元軍を退け国難を切り抜けた若き名執権」かで評価が分かれてるの思い出すなw

そういやポーランドだとヘンリク二世ってモンゴルに勇敢に立ち向かった人として結構人気あるんだっけ?

148: 世界@名無史さん 2009/03/24(火) 00:17:37 0
>>145
愛されてるようだね
男は負けるとわかっていても戦わなければならないときがあるということか

実際はそれだけではなく、ピャスト家の復興を望まないクラクフやシレジアの諸侯やポーランドの再統一と強大化を警戒するドイツ人やチェコ人の諸公が、戦場で無気力に戦って逃げた

144: 世界@名無史さん 2009/03/23(月) 23:43:54 0
ちょっと調べてみたんだけど、
アンリ・ボグダン著「東欧の歴史」P57 に1241~1242年のタタール侵入について、

>「ポーランドの首府クラクフはその攻撃によく耐えてタタール軍を撃退した。」

と書いてあるが、これは通説とは違うトンデモ説か?
ネットで調べても、やっぱクラクフは破壊されたと書いてあるサイトが多いな。
破壊されたが陥落はしてないとか。

146: 世界@名無史さん 2009/03/24(火) 00:10:44 0
>>144
クラクフは陥落している
それまでのクラクフの諸侯はみな勇敢に戦いほとんど戦死した
クラクフの土着有力貴族が少なくなったため後にヴワディスワフ1世に
よるポーランド再統一が実現した
モンゴル撤退後にクラクフ諸侯が自分たちの利権のために呼んできた
チェコ人の外様の王(ヴァーツラフ3世)を暗殺しプシェミスル朝を絶滅したのは
まちがいなく彼だろう
プシェミスル家に恨みがあったわけではないが、クラクフの諸侯を抑えてピャスト家の
ポーランドを復興させるためにやったこと

166: 世界@名無史さん 2009/03/24(火) 21:47:17 0
ポーランドとハンガリーは歴史的な対立がないから今でも仲が良いんだってな

168: 世界@名無史さん 2009/03/24(火) 21:57:51 O
対立というか歴史的に接点あった?
なんか近い割にはあまり互いに干渉してないような。

173: 世界@名無史さん 2009/03/25(水) 00:07:42 0
>>168
その当時スロバキアが存在してたとでも思ってるとか?
ポーランドとハンガリーはいつも隣国だった
隣国なのに仲が良かったというのは珍しいと思われるかもしれないが、 ポーランドはリトアニアとも仲が良かったし後のザクセンとも仲が良かった

169: 世界@名無史さん 2009/03/24(火) 22:03:40 O
双方ともチュートン騎士団の被害者。

てかチュートン騎士団の鎧兜がカッコ良すぎるんだが。
何あのバッファローマンみたいな角。マジ燃える

170: 世界@名無史さん 2009/03/24(火) 22:43:19 0
中世後期~近世には、ハンガリー王・ポーランド王・ボヘミア王を兼ねてたこともあるやんか
ヴワディスワフ3世とかヴァルナの戦いで戦死してるし

174: 世界@名無史さん 2009/03/25(水) 00:09:35 0
ボヘミアとの仲はあんまりよくないけどな

176: 世界@名無史さん 2009/03/25(水) 00:20:19 0
>>174
ボヘミアは他人の窮地に付け込む悪い癖があるから
ある事件でポーランドのピャストの当主がとうとうブチ切れて
ボヘミアのプシェミスル朝を絶滅している

ボヘミアは自分たちが追い出してポーランドを頼って行ってしまった聖職者が
後に異教徒への布教で殉教して聖人になると
その聖遺物を「ボヘミアのものだから返せ」と迫るとか
どこかの国によく似た精神構造を持っている

184: 世界@名無史さん 2009/03/25(水) 13:23:54 0
日本と西洋で中世末期までエリート重装騎兵を中核とした軍制だったのが
なぜか両者とも14世紀になると歩兵の重要性が増して
近世には傭兵・雑兵足軽の時代になる(しかも鉄砲長鑓がメイン)
というのは何か意味があるのだろうか?

195: 世界@名無史さん 2009/03/26(木) 01:01:52 0
>>184
>なぜか両者とも14世紀になると歩兵の重要性が増して

飛び道具の性能向上、てのが14世紀に共通して見られるような気がする。
ヨーロッパではクロスボウの威力が増加して特殊な器具を使わないと
引けないようなものまでその頃になると現れてくるけど
日本でも太平記の頃には徒歩の弓兵に遠距離から大鎧が
ぶち抜かれるような例が軍記物語に見られるようになるそうで
弓の性能の向上を反映してるのだとか。

262: 世界@名無史さん 2009/05/22(金) 13:32:57 0
>>184
しかもなぜか両者とも近世になると両手剣術が流行する

279: 世界@名無史さん 2009/12/26(土) 10:31:21 0
>>262
両手剣の発生は、やはり甲冑の発達によって、手持ち盾の必然性が薄れたからだろうか?

280: 世界@名無史さん 2009/12/27(日) 19:43:57 0
>>279
ずばりそうでしょう。鎧で防御を補える分、両手持ちで攻撃力を上げたのだろうね。
でも、安心しきれず飾り程度の小さな盾を持つ人も居たという。

185: 世界@名無史さん 2009/03/25(水) 17:20:50 O
どうだろう?日本の場合は徐々に山城での攻防戦が増えたからってのが主な原因だと思う。
あと武士を重装騎兵とするのはちょっと違くね?
武士の場合、平安鎌倉期ですらケースバイケースで大幅に戦い方が変わってるし。
それ言うとヨーロッパも勿論そうなんだが、日本は
ヨーロッパ以上に歩兵・騎馬・弓兵のカテゴライズが曖昧だし。

ヨーロッパの場合は、むしろ徐々に封建制度が崩壊していく過程に注目したらいいかも。

188: 世界@名無史さん 2009/03/25(水) 17:56:49 0
第一次世界大戦の前半ぐらいまで、騎兵は欧州戦の花形であり続けた。

189: 世界@名無史さん 2009/03/25(水) 18:24:34 O
第一次大戦どころかポーランドじゃ1940年ぐらいまで
槍騎兵がいたらしいね。あくまでも偵察兵の役割だったけど。

192: 世界@名無史さん 2009/03/26(木) 00:14:05 0
>>189
アメリカやポーランドにはいまでも槍騎兵はいる
現在は儀仗用だが
たしかポーランド人の若い将軍が槍騎兵戦法をアメリカに伝えたのでルーツは同じ

204: 世界@名無史さん 2009/03/26(木) 23:40:46 0
>>192
カシミール・プワスキだろ。ワシントンDCのフリーダム・プラザで
大群衆を相手にマーティン・ルーサー・キングがI Have A Dreamの演説を
したときの映像で背景に映る騎馬銅像がプワスキ像だよ。

193: 世界@名無史さん 2009/03/26(木) 00:35:27 0
ポーランドの槍騎兵戦法ってフランスの騎士がやってたのと
何か違うの?

202: 世界@名無史さん 2009/03/26(木) 15:16:43 0
>>193
・中世騎兵のランスが相対した敵の騎兵を馬上から突き落すのに使われたのに対し、
 ポーランド騎兵は主に陣を構えた敵歩兵に対して使用(しばしば敵歩兵のパイクよりも長い)
・攻撃した後も再度隊列を整えて攻撃し、それを繰り返す
・甲冑が鉄砲に対応していて、致命傷を受けづらい
・全身をくまなく覆う重い甲冑のため混戦時のために常に従者を必要とした中世の騎兵と異なり
 身軽なので混戦になっても騎乗のまま槍を捨ててサーベルや短銃を使って戦える

こんなところじゃないか?

196: 世界@名無史さん 2009/03/26(木) 01:03:52 0
あと銃が実戦に投入されるのも14世紀だな。
最初はクロスボウのほうが威力があったとか何かで読んだようなw

203: 世界@名無史さん 2009/03/26(木) 16:54:06 O
>>196
スペインがテルシオを初めて組織した時はマッチロック式火繩銃とクロスボウの混成部隊とパイク部隊との組み合わせだったから
まだ出来て間もない火繩銃だと信頼性がなかったのかも知れない
ともあれスペインはこの火繩銃でフランスの重騎兵とパイクの混成部隊を破り欧州最強国にのし上がったことになるね

このスペインのテルシオを破るのはマウリッツ指導下のオランダであり、ヴァサ朝のスウェーデンであるわけだが
この時期は17世紀以降だからルネサンスは終わっているのでこのスレとは関係ないな

197: 世界@名無史さん 2009/03/26(木) 09:37:25 0
百年戦争で騎士が下馬して戦うのが画期的だったみたいに言われるけど
実際にはけっこう昔から行われてたのだとか

198: 世界@名無史さん 2009/03/26(木) 11:24:17 O
ローマが崩壊してガリアにフランクが覇権を確立したころには純粋な騎乗戦闘専業の騎兵は衰退し始めた
もともとフランク自体が歩兵主体であったから騎乗戦闘専業の騎兵は征服したブルターニュのケルト人や南仏の西ゴート人から召集した
フランク自身も騎馬部隊を編制したが、あくまで騎乗歩兵

騎乗戦闘専業の騎兵、騎士が復活させたのは10世紀頃ノルマンディーに居住したフランス化したノルマン人

ギョーム公率いるノルマン人がイングランドのハロルド王を圧倒したのも
ハロルド王率いる軍が旧態依然な騎乗歩兵で重装騎兵であるノルマン騎士に勝てなかった
この戦の直前ハロルド王の軍はスタンフォードブリッジで最後のヴァイキングといわれたノルウェー王ハラルド3世を破っているが
このノルウェー軍には騎乗戦闘専業の騎兵はいなかった

これ以降、騎士は西欧諸国で広まり、南伊ではノルマン騎士によりムスリムからシチリアを奪還した
それとほぼ同時期ビザンティンのタグマ(中央機動軍)重装騎兵化しバルカンと小アジアでの覇権を回復した


引用元: ・中世~ルネサンス期ヨーロッパの戦争のリアリティ


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