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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/07(金) 07:22:17 ID:ChO6enm+
雷神と呼ばれた養父・道雪の跡を継いだ男
戦国の鳴り響く雷鳴の如き将軍・立花宗茂を語りましょう。
立花家、高橋家、妻の立花誾千代や九州一帯の諸説など、関係ある話題もおkです。

立花宗茂
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E8%8A%B1%E5%AE%97%E8%8C%82








10: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/08(土) 00:29:27 ID:xq/lO9hs
名将言行録だと宗茂の評価は神クラスだったな。

11: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/08(土) 01:25:07 ID:27NJUJZa
>>10
人となり温純寛厚。徳ありて驕らず。功ありて誇らず。人を用ふる己に由る。
善に従ふ流るるが如し。奸臣を遠ざけ、奢侈を禁じ、民に撫するに恩を以てし、士を励ますに、義を以てす。故に士、皆之が用たるを楽しめり。其兵を用ふるや、奇正天性に出づ、故に攻めれば必ず取り、戦へば必ず勝てり

12: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/08(土) 01:45:05 ID:27NJUJZa


宗茂の人柄は穏やかで広い心で人に謙虚に接し、人徳があって驕ることが無い。
功があっても自慢することが無い。人を使うのも己の意に従い善にしたがうこと、あたかも自然の流れのようである。口先だけの人間を遠ざけ、奢侈を禁じ、民に対しては撫するように恩を与え、士卒を励ますには義をもってした。そのために士卒はみな、宗茂の役に立つことを楽しみにした。その用兵は奇襲といい正攻法といい、いずれも天性の妙を発揮した。ゆえに攻めれば必ず取り、戦えば必ず勝利を得たのである。

15: 魔玉砲 ◆RX/MoGZ9xs 2006/07/08(土) 14:12:13 ID:u08njefB
しかし美味しい役所だよな
大友の双璧である、高橋の息子でさらにもう片方の双璧の戸次の婿養子だもんな
まさに期待の新星だっただろうな

16: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/08(土) 14:34:53 ID:yMnM10kn
いかんせん、生まれた頃はともかく元服する頃には「大友帝国」は斜陽の一途。
まあ皮肉にもそのおかげで孤軍奮闘し戦国史に残る華々しいデビューを飾れたたわけだが。

189: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/16(月) 15:45:29 ID:s/DKGHeu
宗茂が強かったのは、敵前逃亡や未熟な采配をしたらあの世に行った時二人の親父なにをされるか分かったものじゃなかったからだと言ってみる。

もっとも、大友も大名では無くなったとはいえ存続したし、島津とも和解したし、大名としての立花氏を残したしで、あの世で再会した時は道雪も紹運も褒めてくれたんじゃないだろうか。

228: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/30(月) 20:27:04 ID:iImlGFXj
立花氏のネタではないが、弟統増の舅、筑紫広門についての話があった。

29日、佐賀の鳥栖市にある勝尾城(筑紫広門が最後の領主)についてのシンポジウムに行ってきた。
(福岡市天神で開催)
この城の意義は、島津氏に焼払われたにも関わらず、城跡と周りの遺構が、そのまま残っていることだそうだ。これは、福井の一乗谷に匹敵する規模だとのこと。

マイナーな城だけど、九州の縦の道と横の道が交わる交通の要所にあり、興味深いことが今後出てくるかも。

立花、高橋とは戦ったり同盟したりと、因縁のある筑紫広門だが、島井宗室との結びつきとか、マイナーだけどけっこう面白い人物なんだね。

229: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/30(月) 20:35:11 ID:aVLfagP/
鳥栖にあるのか!
知らんかった!
今度行こう

230: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/30(月) 20:54:48 ID:iImlGFXj
>>229
筑紫氏は、その名のまんま筑紫野市の原田を元々根拠地にしていたけど、原田駅周辺を知っている人なら分かるけど、あそこじゃ守れんね。
だから、鳥栖の西の山間部がまだ「まし」と考えて、筑紫氏が移動したと、個人的には思っている。

シンポジウムは終わったけど、城跡周辺の見学は、鳥栖市がこの秋に行うそうです。
しかし、なぜか「城跡そのものには行きません」とのこと。まだ入れんのだろうか。
まあ詳細は、市のHPに載っているんじゃないでしょうか。

231: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/02(木) 08:55:22 ID:PAxFO5Y1
雷切ってまだ立花家に残ってるんだろうか?

232: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/02(木) 20:47:15 ID:Td4MDadH
>>231
一般公開はしてないがあるらしいよ

237: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/06(月) 16:42:01 ID:3Eo8XgUs
伊達政宗の独眼流も原因は疱瘡なんだが、矢が目に突き刺さったという伝説があった。
そうしたほうが戦国武将らしいからだろう。
道雪も例えば落馬事故とかなんだろうけど、それじゃ格好つかないから雷斬り伝説が生まれたんだと思うけど。

268: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/11(土) 07:43:36 ID:GLS83nnB
宗茂の大河ドラマは観てみたいな~。
だがしかし、現代人の視聴者にとっては大きな問題が・・・。



改名多すぎだろ・・・・・・。

269: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/11(土) 12:17:39 ID:drwjqpYT
戦国後期の武将は、慶長、文録の役をどうするかだよな。

270: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/11(土) 19:03:07 ID:1xUgOX/O
碧蹄館の戦い・・・明軍との戦いで主力的な活躍をした。

蔚山の戦い・・・危機にあった加藤清正を寡兵で救出した。

露梁津の海戦・・・諸将が帰国しようとする中仇敵島津と共に小西行長の救援に赴く。

非常に英雄的なんだがなあ。
侵略戦争を美化しようとしているとか言い出す馬鹿が出そうだよな。

271: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/11(土) 19:23:23 ID:/8bxJVGz
張本人の秀吉が何度も主役・準主役になってる大河だから、そんなに心配することは無いと思うよ。
渡海した武将には、あっちで酷いことした者もいるけど、宗茂の場合そんな記録も見当たらないし。

273: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/11(土) 19:45:50 ID:/8bxJVGz
大河の伊達政宗では、無益な戦のために大切な家臣を大勢失い、反秀吉色を強めたといった描き方してたな。もっとも政宗はあっちで華々しい活躍はしてないからあれでよかったんだろうけどねw


>>270
>蔚山の戦い・・・危機にあった加藤清正を寡兵で救出した

良質の史料には残念ながらそういう記録は無いよ。

274: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/11(土) 21:07:03 ID:1xUgOX/O
まあ、確かに蔚山の戦いは宗茂厨の俺から見ても講談的だと思うけどね。

しかしあれがないと清正と宗茂の関係に納得できない面が出るんだよなあ。

清正が肥後に来てすぐに加藤家との諍いで一族の立花次郎兵衛が自害に追いやられてるから、加藤家と立花家は仲が悪かった筈なんだよなあ。にも関わらず、宗茂は関ヶ原後に清正からの降伏勧告をすんなり受け入れて、清正も宗茂に過剰なほど懇意に接してるのが、どうにもわからん。

間に蔚山みたいな関係改善のエピソードがあると合点がいくんだが

280: 台湾立花fan 2006/11/12(日) 19:38:33 ID:0VYVxEcK
蔚山の救援は"立齋舊聞記""河村哲夫版立花宗茂""志木澤郁版立花宗茂"以上三冊の本に記載する。

1598年5月4日から5日まで、宗茂は1000の兵を率いて、明軍梅柏5萬の兵を突破し、加藤清正を救援する。この事件は一般人が知っている1597年12月~1598年1月の蔚山の戦いとは違い戦争である。

しかし1598年5月、五奉行と五大老は日本に返し、だからこの宗茂の救援行動は良質の史料はない。

281: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/12(日) 22:34:18 ID:NzG4s3T7
立花宗茂エピソード蔚山の戦い

1、
小早川秀秋に救援に行くことを申し出たら「小勢の立花軍なら失敗しても問題ないからイってよし」と言われる。
 
2、
五月五日早朝5千の明軍を千で奇襲をかけて撃退、さらに追撃すると小野和泉から「小勢での深追いは危険」と進言されるが、「追わねばかえってこちらが小勢であることを見抜かれる」と答え、森陰まで追撃する。

3、
↑の戦いでの捕虜を解放するよう命ずると「先ほどは小勢であることを知られまいと深追いしたのに、捕虜を返したら知られてしまうではないですか」 と家臣達が言ってきたので、「こちらが寡兵であることは、どうせすぐに知られてしまうだろう。今捕虜を返すのは敵方の心を奪うためだ」と答え、その夜捕虜からの情報で攻めてきた明軍1万を伏兵による不意打ちで撃退した。

4、
明軍を退けた後、清正から「貴殿こそ日本軍第一の勇将、この恩は終生忘れまいぞ」と賞賛されて友誼を結び、関ヶ原後に窮地を救われるきっかけとなる。

ま、確かに出来すぎた話なんだが、一番好きなエピソードなんだよなあ。

282: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/13(月) 03:01:08 ID:7eXdEIPQ
史実かどうかは別にして、やはりドラマ中のエピソードとしては是非とも欲しい
あと、小野和泉と清正の家臣との話も

283: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/13(月) 03:03:00 ID:JnrU2Qn4
宗茂は多くの兵を率いた事って無いのね。

そんでもって
多勢は奇襲で撃破。

敵の奇襲は看破。

初陣から戦でのミスってのも聞いたこと無いな。

284: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/14(火) 00:50:16 ID:TzYBE+v3
慶長の役では5千人動員してたらしいけど、自軍のみで行動する時は千人くらいの少数を率いることが多いように見えるね。

286: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/14(火) 21:30:52 ID:TzYBE+v3
人物業書だと慶長の役での立花軍は

宗茂率いる「御馬廻衆」が824名
立花鎮久・立花成家率いる「一番隊」が477名
小野鎮幸率いる「二番隊」が592名
由布惟次率いる「三番隊」が367名
吉弘統幸・矢島重成率いる「四番隊」が347名
の合計が2607名って出てるね。

戦闘員としてはこれだけかな

287: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/15(水) 03:24:01 ID:RZf4LLwN
編成を見てみないと何ともいえない。
あの当時の編成は諸兵科混合部隊。
小荷駄も普通に含まれているし、馬丁や槍持ちなどを戦闘員に数えるかどうかも問題だしな。

288: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/15(水) 05:25:48 ID:zC2nsdgs
豊臣政権下
小野和泉   5000石
由布七右衛門3500石
他不明

再封後(1680)
立花帯刀   13591石
十時摂津   6417石
由布九郎兵衛5680石
米多比七兵衛5298石
矢島千助   4990石
立花三右衛門4440石
小野伊織   4400石
十時太左衛門4220石
岡田清助   4180石
家中知行総高67130石

御手廻・小頭に堀江五右衛門ってのがいた

316: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/19(日) 14:28:30 ID:XGzQUlMB

317: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/19(日) 15:00:50 ID:jFrBvsN5
>>316
し、知らなかった。
あの水野勝成が昔話になってたなんて・・・。

318: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/19(日) 16:50:07 ID:XGzQUlMB
内容がまるっきり宗茂の浪人時代の逸話と同じなんだが・・・

320: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/19(日) 23:45:37 ID:ATNx3SaL
>>318
どっちかがパクリなんだろうな。

321: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/20(月) 00:11:04 ID:gb+YOjPi
フツーに考えて水野の方がパクリ
っていうか、水野って逸話とかかなり色んなコトからパクったと聞いた

331: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/23(木) 02:38:38 ID:bqhqw9T5
知ってる?
江戸時代初期宗茂人気があって
京都、柳川とかでは本当かどうか宗茂の知り合いを名乗る人がいたそうだ
とくに柳川では領地没収の際、宗茂から譲られたと刀とか貰い受けたと
その数がかなりの数に上ったので田中吉政は困り果てたという
宗茂にその後語ったがそのような事実は無いと一蹴した。
江戸末期には立花姓を名乗るものが一地域で続出

真田家同様勝手に一族を名乗る人がたくさんいた

335: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/27(月) 13:46:41 ID:BIFIHqHT
>>331
>とくに柳川では領地没収の際、宗茂から譲られたと刀とか貰い受けたと
>その数がかなりの数に上ったので田中吉政は困り果てたという

河村哲夫の「立花宗茂」によると、改易後の宗茂らに密かに資金援助していた庄屋二人が田中藩にみつかって処刑されたとあるね。
相当慕われていたことがわかる逸話だね。

338: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/28(火) 15:50:47 ID:CO7FUbPM
>>335
実際は宗茂じゃなくて家臣だけどね

341: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/29(水) 19:12:39 ID:iTGzucen
>>338
肥後にいた頃の宗茂や誾千代のとこにも食料届けてなかったけ?

332: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/23(木) 12:43:53 ID:vuBmFi+p
立花宗茂スレがあるのでびっくり!
昔から宗茂好きで、7年前の柳川行ったことあります。
川下り(お堀)でのんびりと御花に行って宗茂の具足見て本館の金甲をちょっとさわってと宗茂好きとしては最高でした。うなぎの蒸籠蒸しも美味しかったな~
今度はぜひ御花で一泊してみたい!

東京日和と言う映画で柳川と御花が出てくるよね?
竹中直人と中山美穂が主演の映画だったけど、ちょっと記憶がおぼろげなので、覚えている人教えて!

333: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/25(土) 14:48:40 ID:nvXEKGGl
大友家が改易された後吉統の正妻で宗茂の叔母の菊姫が大阪から放逐され、供も無く子供達と豊後で放浪してたところを宗茂に助けられて柳川に保護されるんだけど、その甲斐なく程なく病死しちゃったらしいが


336: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/27(月) 22:45:36 ID:ahCLhbR2
柳川ってなんで田中吉政の像があって、立花宗茂の像が無いんだろう?

343: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/30(木) 00:47:30 ID:pxcbe+MK
道雪のイメージってみんなどうみてる?
俺は頑固で小汚い(少々の汚れを気にしない)濁声で目元が力強く白髪まじりの濃い顔立ちの猛将ってイメージだけど。
緒形拳も悪くはないけど、過去の役から知将のイメージが・・・
個人的に故・丹波さん、サニー千葉、原田あたりだと思うのだが。
あと、ぶらっとさんともあろうお方が筑紫の小鼠を原田だといったのは驚いた。
芸人枠を使うならコイツかなって思ってたから。

347: 奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 2006/11/30(木) 22:34:42 ID:kyYmI1LN
>>343
最後まで賭けない才覚、と評した学者がいたのが印象的でね。
スイッチキャラとしては大物だし。

344: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/30(木) 02:34:42 ID:hozvld5i
過大評価のイメージがある
家康や島津より戦上手って言われたときは吹いたw
行った戦闘の規模を考えろとw

350: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/02(土) 10:40:47 ID:NumkkZTI
ノブヤボの天下創世スレで立花道雪がえらく話題になっている。
なんせ10倍位の敵を瞬殺したりする事もある、化け物的な強さに設定されてるらしい。
コーエーには道雪ファンがいるようだな。

351: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/03(日) 04:23:36 ID:4eJO+Veh
シリーズ通して道雪公は軍神様に次ぐ化け物
革新では島津の鉄砲隊が凶悪過ぎるが

356: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/09(土) 20:22:37 ID:W6iA8tqL
宗茂の妹って
大友能乗の室
立花成家の室
小田部統房の室
立花織部助の室、(後に細川興元の室)
の4人いるみたいだけど、名前とか全然ワカランね。

357: 台灣立花FANS 2006/12/09(土) 22:17:38 ID:4R2aiDpS
小田部統房の室の名前は

於千代です

358: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/09(土) 23:48:53 ID:W6iA8tqL
>>357
おお、ありがとうございます。
あと疑問なのは義乗と成家だと確か成家が1568年頃の生まれで義乗は1577年生まれだから、長女のほうが成家に嫁いだとみるべきでしょうか?

371: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/24(日) 13:58:01 ID:AR/W55iZ
戦国乱世を暴れまわった男が江戸時代最後の動乱(幕末除く)島原の乱にも参戦し、天下泰平となり戦国は遠い昔のものとなった家光の治世まで生きたというのが何ともロマンがあっていいじゃないか。

384: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2007/01/10(水) 13:39:43 ID:sAGdyM16
立花宗茂は真田信繁、伊達政宗と同い年なんだな
あと武田信勝も一緒
1567年だったかな

385: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2007/01/10(水) 19:33:25 ID:Gag4EVc6
他の67年生まれ
小早川秀包、塙団右衛門、有馬晴信、山崎家盛
秋月種長、伊東義賢、大友親盛、香川親和、森長氏

あと淀君も67年か69年(こっちだとギン千代と同い年)
の生まれらしい。

386: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2007/01/10(水) 23:51:24 ID:9iNOhj/C
60年代生まれ一覧
           生           没
舞兵庫     1560年     1600年10月21日
後藤又兵衛  1560年5月5日  1615年6月2日
直江兼続   1560年     1620年1月23日
石田三成   1560年     1600年11月6日
井伊直政   1561年3月4日  1602年3月24日
鈴木重朝   1561年     1623年
福島正則   1561年     1624年8月26日
東郷重位   1561年     1643年8月11日
加藤清正   1562年7月25日  1611年8月2日
前田利長   1562年2月15日  1614年6月27日
ガラシャ    1563年     1600年8月25日
細川忠興   1563年11月28日 1646年1月18日
水野勝成   1564年9月30日  1651年5月4日
池田輝政   1565年1月31日  1613年3月16日
森蘭丸     1565年     1582年6月21日
真田信行   1566年     1658年11月12日
明石全登   1566年     1618年
秋月種長   1567年3月17日     1614年7月19日
伊達政宗   1567年9月5日  1636年6月27日
立花宗茂   1567年12月18日 1643年1月15日
真田信繁   1567年     1615年
毛利秀包   1567年     1601年4月24日
有馬晴信   1567年     1612年6月5日
豊臣秀次   1568年     1595年8月20日
愛姫      1568年     1653年2月21日
黒田長政   1568年12月21日 1623年8月29日
立花誾千代  1569年9月23日  1602年11月30日
茶々      1569年     1615年6月4日
大野治長   1569年     1615年6月4日

391: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2007/01/20(土) 20:11:40 ID:xhHbbJ/f
黒田長政との賭けで弓で鉄砲に勝ったらしいが、どういう勝負をしたんだろうね?

392: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2007/01/20(土) 22:28:29 ID:k+3rt5I8
普通に考えたら的当てじゃねーの?

393: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2007/01/21(日) 21:19:01 ID:bZ5HdxMR
弓か鉄砲で的当てなら弓の方が有利じゃね?
あの時代の鉄砲の命中精度なんてかなりアレだろうし

395: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2007/01/22(月) 23:48:05 ID:bziTxUjG
>>393
長政の自慢の銃は「墨縄」といって、名の元になった大工道具のように真っ直ぐに飛んだらしい。
で、賭けに負けてその墨縄を宗茂に持って行かれたんだとさ。

403: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2007/02/06(火) 04:03:35 ID:C4YOVDGt
伊予札縫延栗色革包仏丸胴具足
胴高39.9cm 重さ(胴・草摺)6.0kg
胴回りが大きく、着用者が偉丈夫であったと想像される。兜後立の鳥毛は
唐丸(現在天然記念物に指定されている長鳴鶏の一種)の尾羽を植えた
見事なものである。藩祖立花宗茂の着領として伝わるもので、関ヶ原合戦
以前に制作されたと思われる。

月輪文皺革包最上胴具足
胴高37.0cm 重さ(胴・草摺)12.0kg
地金を厚くした入念な仕立で、大変に重量のある甲冑である。戦場で鉄炮
から身を守るためであったことが想像できる。胴にみられる意匠は、兜の
脇立とデザインを揃える意図があったのかもしれない。

月輪の方が防御力は高そうだが、機動力では伊予札か

404: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2007/02/09(金) 23:59:16 ID:PBaW75q4
月輪具足の兜の輪貫は武器にもつかえそうに見える。

416: 人間七七四年 2007/02/23(金) 13:36:47 ID:S4ydsqXo
いいね宗茂。

ジジイになってもバリバリ現役で合戦(島原の乱)に参加するたぁ~

大した者だな。

まさに(生きてた当時)生ける伝説だったのだろう。

417: 人間七七四年 2007/02/25(日) 00:47:40 ID:mKAbv5mg
『筑後川物語』を読んで筑紫広門のファンになった
当時としては武将らしくない人だったんだな
だが、それがいい

419: 人間七七四年 2007/03/03(土) 17:16:07 ID:10Jupyoy
立花家には筑紫広門のDNAが受け継がれてる♪

422: 人間七七四年 2007/03/04(日) 21:24:57 ID:gNZ2BROD
>>419
伊達政宗のもな

432: 人間七七四年 2007/03/16(金) 12:16:58 ID:9dxwXYvx
筑紫広門の娘 加袮姫(?)は、弟直次の妻になるんだけど、その後離縁されたという
説がある。本当のところはどうなんだろう?

418: 人間七七四年 2007/03/03(土) 09:31:37 ID:c5Ubg8a3
立花宗茂に呼ばれて正室の誾千代の菩提寺の良清寺を開いたのは瀬高の来迎寺の応誉という浄土宗の僧侶だが、この応誉は、戦国時代の柳川領主だった蒲池鑑盛の孫で、そういう経緯から宗茂から呼ばれたらしい。応誉の子孫は代々の良清寺の住職を出すと共に、柳川落城の時に討ち死にした応誉の兄の蒲池家を再興し、立花家の家老格となった。
上に小野ヨーコのことが出ていたが、立花家の家老格だった良清寺の蒲池家の子孫が松田聖子で、良清寺は彼女の家の菩提寺でもある。

437: 人間七七四年 2007/03/20(火) 14:05:08 ID:tPS90uRG
立花誾千代の菩提寺の柳川・良清寺の住職は、立花宗茂の頃から柳川藩家老格の蒲池家で、現在の住職は、松田聖子(蒲池法子)の伯父さん。
聖子の父親は次男で、厚生事務官という公務員になり久留米に新居を構えた。
良清寺の立花誾千代と松田聖子という歴史を越えた関係も面白い。

466: 人間七七四年 2007/05/19(土) 15:02:53 ID:RHKSGVyI
吉弘、高橋、戸次、立花
の4姓を名乗ったのかな?
結構な名家だよね

467: 人間七七四年 2007/05/21(月) 00:11:00 ID:MLoqxohk
戸次時代はあったっけ?

469: 人間七七四年 2007/05/22(火) 19:23:56 ID:pIL/MmH9
>>467
あるよ。
天正九年の感状で父麟白軒との連名で「戸次弥七郎」の署名がある。
翌年の天正十年に立花を名乗ってるから一年ほどしか名乗らなかったみたいだけど。
知っての通り、父親は生前立花を名乗らなかったから
道雪が死ぬまでの三年は親子で別々の苗字を名乗ってたんだね。

470: 人間七七四年 2007/05/22(火) 21:35:13 ID:1jeY5vyh
道雪って、ずっと戸次姓を名乗ってたの?

471: 人間七七四年 2007/05/22(火) 23:14:10 ID:pIL/MmH9
永禄十一年に謀反を起こした立花鑑載を討ち、元亀元年に立花城を攻略、
元亀二年に道雪が「立花城家督」となっているからこの時点で実質的には立花家を継いでいるんだけど、宗麟は道雪が謀反を起こした鑑載と同じ姓を名乗る事を渋った為、道雪一代の間は立花姓の使用を遠慮したらしい。

473: 人間七七四年 2007/05/24(木) 14:33:24 ID:f982dmO+
ホントに!?
てことは戸次道雪が正式か。
しかし立花道雪として世に広く知られているのはなぜ?やはり宗茂からの江戸期の書物か。

474: 人間七七四年 2007/05/25(金) 01:08:11 ID:LKeyGlhr
>>473
宗茂が「立花左近」を名乗ってからも
道雪は署名に「戸丹入」(戸次丹後入道)と書いていて、立花と書いた物は無い。
だから正確には「戸次鑑連」か「戸次道雪」になる筈。

ただ、立花姓を使用しなかったというだけで、、立花家の家督を継承したのは道雪。
だから、後世の人間が呼ぶ分には「立花道雪」でも問題無いと思う。

478: 人間七七四年 2007/05/27(日) 23:30:14 ID:YiFx1M5v
立花さんのホームページでも戸次道雪としてるんだね。
子孫の方には敬意を込めて「立花道雪」と呼んで欲しい気もするけど・・・。

496: 人間七七四年 2007/06/11(月) 15:25:23 ID:lqUbgNzM
宗茂と闇千代って仲悪かったんかな?
闇千代って病気になったから離れに引っ込んだだけなんちゃうん?
あの二人はぎゃーぎゃーやりあいながらも、大事なところは黙っていても理解し合ってる、究極の大人カップルだと思うのだが。

497: 人間七七四年 2007/06/12(火) 18:50:45 ID:z7j+Sl37
彼女はツンデレだと思う。
宗茂にはその素晴らしさが理解できなかっただけ。
まぁ、俺にも何がいいのかわからんが

499: 人間七七四年 2007/06/14(木) 02:15:35 ID:yJrI43mi
ツンデレ解釈が物語としてはおもしろいんで
大抵の小説その他だと実は心は繋がってるみたいな描かれかたをしてるが
実際はギスギスした仲の悪い夫婦だろ。幻想を見るな
大体、リアルツンデレなんて良いもんじゃない
ありゃ第三者(神)視点で見るから可愛く見えるだけで

501: 人間七七四年 2007/06/14(木) 16:19:18 ID:x9jWlhCF
>>499
性格の不一致というだけじゃなくて
立花家をどうするかという政治的なスタンスも違ったようだしね
戦国大名に婿養子のケースはいろいろあるが
この夫婦の場合は当主(誾千代)に宗茂が婿入り、という前代未聞の話だし。

秀吉が九州征伐してから後
大名にとりたてられたはいいが、柳川に転封させられるというのに誾千代は憤慨していたしね。
(柳川は道雪が死んだ曰く付きの土地)


引用元: ・【戦国の雷音】立花宗茂総合スレ【妻・誾千代】

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