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1: 世界@名無史さん 04/09/13 16:27:53
無かったので立てました。








164: 世界@名無史さん 05/02/16 11:15:42 0
李氏が鮮卑だってのは何に拠っているんだろう?
判る事は李氏が非漢族であるってだけで、実際のところ
匈奴かもしれないし丁零かもしれないし高車かもしれないしテイや羌かも判らない。
この時代に関しては余り詳しくないんだけど、そのあたりはどうなっているんだろう?

168: 世界@名無史さん 05/02/16 14:54:23 0
>>164
記録では賜ったことになっている「大野」という鮮卑姓が、実は賜りものじゃ
なくて、本来の姓だったんだよ、李という姓が後付けなんだよという説だね。
でもそれも想像の域を出ない。記録通りに西涼の李嵩の子孫とまではいか
なくても、漢族のその辺の李氏の子孫というのを否定する証拠もなさそう。
正直、よくわかりません、としか言いようがない。武川鎮の連中は、もう完全に
ハイブリッドでしょ。

165: 世界@名無史さん 05/02/16 13:16:40 O
唐=隋の外戚
隋=北ギの外戚

唐=鮮卑
ってことなのかな。

漢族王朝だったら、他文化を蔑視する中華思想が影響して、長安に国際的文化が栄えるとは思えないから
少なくとも漢族王朝ではないよな。

167: 世界@名無史さん 05/02/16 13:51:39 0
唐朝李氏は、鮮卑族というより、鮮卑系と表現したほうが良い。彼らの本来の種族が
漢族に出自するものだったのか、北アジアの遊牧民に繋がるものであったのかは判然としないが、
唐朝初期の皇族らが、多分に鮮卑の文化の影響を受けていたことは事実だろう。
唐朝を鮮卑王朝とか漢族王朝と一概に言い切ることも難しい。唐朝300年の歴史は、
徐々に中国的な王朝に変質していく過程であることは、間違いないと思うので。
ただ、初期唐朝を鮮卑系王朝とみなすことは、従来の中華中心史観によって描かれてきた
中国史を見直すことにつながると思われ。

169: 世界@名無史さん 05/02/18 05:24:26 0
隋は鮮卑名「普六茹氏」、漢名「楊氏」。で元は漢人だが鮮卑化して半漢半鮮卑になっていた。
唐は鮮卑名「拓跋氏」、漢名「李氏」。で元は鮮卑だが漢化して半漢半鮮卑になっていた。
武川鎮の連中はみんな鮮卑とも漢人ともつかぬ混血集団。

平凡社の世界史のシリーズだっけ、緑色の本。あれの中に
なんとかっていう坊さんが、唐の太宗が本当は拓跋ナンタラの子孫なのに
関係のない涼州李氏だと家系を偽ってると非難した話がでている。

170: 世界@名無史さん 05/02/18 10:31:23 0
唐帝室が拓跋氏ってのはちょっと信じられないな。
若しそうなら家系を偽って隴西李氏を名乗る必要ないと思うけど

173: 世界@名無史さん 05/02/18 19:43:31 0
あの時代を考えれば漢人の名家を名乗りたくなる気持ちもわかるよ。

174: 世界@名無史さん 05/02/18 19:46:09 0
太宗はわざわざ『氏族譜』とやらを作って帝室を中華第一の名家にでっちあげた。
元々の隴西李氏でもまだ三位にしかならなかったんで、王氏と謝氏だったか、
上にいる二氏族を押しのけて、だ。
やはりあの人は資料捏造がうまいね。

177: 世界@名無史さん 05/02/18 22:23:47 0
>>174
そういう逸話が残っているから類推すると、起居注を見せろと無理強いしたというあのとき
兄弟殺しの一件を改竄していないと断言できるかどうか怪しいもんで。
玄武門の変

玄武門の変(げんぶもんのへん)は、626年7月2日(武徳9年6月4日)に発生した唐の高祖の後継者争い。これに勝利した李世民が第2代皇帝として即位することになった。

高祖は長男の李建成を立太子するが、隋討伐で戦功を挙げた李世民の名声が高まり、天策上将なる称号を与え、東宮に匹敵する弘義宮を建築するに至り、皇太子の地位に不安を持つようになった。

世民の勢力を削減しようとした建成は、世民から礼遇されている謀臣である房玄齢と杜如晦を讒言により排除した。その後建成の幕臣魏徴や弟の李元吉が世民暗殺を建議した。

この計画を事前に察知した世民は、讒言によって遠ざけられていた房玄齢と杜如晦を道士に変装させて自邸に呼び寄せ対策を協議、建成の部下で長安北門である玄武門の守備隊長である常何を買収、武徳9年(626年)6月4日に変を起こした。

当日建成は宮中に参内することになっていた。緊迫した情勢の中警備兵に守られていた建成であるが、宮殿内部は符籍を有した者しか入ることが許されていなかったため、少数の供者を引き連れて中に入ると、世民側に寝返っていた常何らが一斉に切りかかった。その中、建成の幕臣である馮立と、皇太子派の李元吉の幕臣である謝叔方が奮戦、世民の部下である呂衡の首代を上げるなどの抵抗を示したが、結局建成と元吉は殺害されてしまった。


178: 世界@名無史さん 05/02/18 22:25:04 0
つまり、実はもっとまともかつ善良な兄弟を、もっと悪どい方法で消したのか

179: 世界@名無史さん 05/02/18 22:28:12 0
二十歳にもなってない世民が李淵に決起を促したってのも捏造くさい。
李淵は正史では善良なお人好しってイメージだけど、実像はそうでもなかったのかも。

194: 世界@名無史さん 2005/06/11(土) 22:19:06 0
唐時代の官僚制に滅茶苦茶興味あるんだが、
あまりにも現代日本官僚に似すぎているような・・・

195: 世界@名無史さん 2005/06/11(土) 22:23:59 0
「大蔵省」の名は律令制時代にもよく無くならずに存続したもんだよ・・・
それだけにこの名を絶やした大蔵汚吏連中は凌三滅九(ry

196: 世界@名無史さん 2005/06/11(土) 23:00:27 0
中書省=国会、門下省=参議院?、尚書省=内閣
で良いのかな?
後、
戸部=財務省、吏部=人事院、礼部=宮内庁、
兵部=防衛庁、刑部=警察庁、工部=建設省
といった所か。
他に 御史台=会計検査院
といったものもあったとか。
秘書省とか国子監とか九寺とかは何だろう

199: 世界@名無史さん 2005/06/12(日) 02:46:10 0
>>196
中書省=首相官邸、門下省=国会、尚書省=事務次官会議じゃないかな。

六部尚書と九寺のちがいは、六部尚書は文書行政だけ。実務は無し。
九寺が尚書省からおりてくる書類に従って行政実務をおこなう。

秘書省は国会図書館。国子監は東大。

201: 世界@名無史さん 2005/06/12(日) 13:34:08 0
唐朝歴代皇帝で天寿を全うできなかったのは
中宗、憲宗、敬宗、昭宗、哀帝だったっけ。

202: 世界@名無史さん 2005/06/12(日) 14:20:20 0
>>201
文宗と武宗と僖宗もある意味天寿を全うしたとはいえんが。

いずれも20~30代で他界してるし。
特に、文宗は2人の太子に先立たれるしな。
文宗曰く「朕は漢の献帝なりき…」
と自己的に非望してるしな。

207: 世界@名無史さん 2005/06/13(月) 00:03:33 0
>>201
宣宗も全うできなかったなあ。
憲宗もそうだけど、「中興の名君」が皆、金丹中毒で死ぬのが
なんともやるせない。
「朕の力がなくては唐が滅ぶ。どうにかして長寿を…」
とかそういう心境だったんだろうか。
太宗も含めて、なんで唐一代にわたって金丹が流行ったのかな。
道教上位の雰囲気がそうさせたとかそういうことなの?
詳しい方の解説キボンヌ。

そう言えば、北史巻100の李氏の系譜、李悝とか李牧とかの有名人まで
先祖の一人にされてるのが笑える。
そこまでしなくてもいいじゃないかw

214: 世界@名無史さん 2005/06/13(月) 22:49:17 0
>>207
北魏も創始者と華北を統一した皇帝が怪しい薬の所為で死んでいるんだよなぁ

ま、唐と違うのは、北魏の場合薬の飲みすぎで凶暴になって、皇子や宦官に殺されて、なんだけど。

215: 世界@名無史さん 2005/06/14(火) 00:50:03 0
東洋式錬金術というべき外丹術が最もはやったのはいつの時代だろう。
もしかしたら、王朝が保護した唐の時代じゃないか?
後の宋の時代の火薬の発明につながったわけだ。しかし、
洋の東西を問わず、金属こそ不老不死の秘薬と考えられたのはなぜだろう

221: 世界@名無史さん 2005/07/06(水) 23:59:26 0
>>215
>洋の東西を問わず、金属こそ不老不死の秘薬と考えられたのはなぜだろう

中国の外丹術や西洋の錬金術では特に水銀が重要視された。
水銀は、まず見た目が銀で形状は液体というのが、他の金属とかけ離れているため
神秘的な印象を与える上、
服用すると、一時的とはいえ体が熱くなって精力が増大する効果があるので、
霊薬と考えられた。でも実際は猛毒であり、あまり服用すると死に至る、
と聞いたことがあります。

外丹術にこうした危険性が伴ったことが、自己の気を練って不老長寿に至る
内丹術の発達をうながしたといいます。

222: 世界@名無史さん 2005/07/07(木) 10:04:36 0
最後の皇帝哀帝(昭宣帝)の言葉って残ってないかな。
家族を皆殺しにされての在位4年と禅譲後の殺されるのを待つだけの生活。
悲惨の一語に尽きる。

223: 世界@名無史さん 2005/07/07(木) 10:14:53 0
台湾で作った楊貴妃の映画を見たことがあるが、大唐帝国にふさわしいスケール感が全く欠けた代物だった。
安録山も精悍な痩せぎすの武人で・・・

224: 世界@名無史さん 2005/07/07(木) 22:47:00 0
>>223
安録山は肥えてる印象がある。根拠なんかないけどさ。

225: 世界@名無史さん 2005/07/08(金) 00:24:45 0
>>224
印象…じゃなくて、安禄山は肥えてるよ。あの腹には赤心が詰まってるんだから。

226: 世界@名無史さん 2005/07/08(金) 01:39:07 0
殺された時の描写が激太りだったような

232: 世界@名無史さん 2005/07/11(月) 05:44:50 0
>>226
糖尿病で失明、怒りっぽくなって側近を次々と・・・

233: 世界@名無史さん 2005/07/11(月) 18:45:27 0
>>232
「下郎、そこにいるのは何者かっ! 三人だな!」というのが
アトラクサン皇帝陛下の最期の言葉だったそうな。。

227: 世界@名無史さん 2005/07/08(金) 18:51:39 0
ゆりかごに寝て赤ちゃんプレイしたとかどーとか

230: 世界@名無史さん 2005/07/10(日) 20:09:27 0
>>227
楊貴妃が手ずからおしめをとりかえて、逸物がちらほらするたびに侍女軍団が嬌声

236: 世界@名無史さん 2005/07/12(火) 23:40:40 0
承乾が突厥の習俗を模倣したのって、何か故あってのことなんでしょうか?

237: 世界@名無史さん 2005/07/14(木) 00:08:37 0
隋唐代の漢人(ていうか元胡人)の生活から胡風が抜けきってたわけじゃないし、
胡風がブームとは言わないまでも、ちょっとエキゾチックで格好いいみたいな風は
あったというような記述があったと思うのだが、出所が思い出せない。
李承乾の場合は皇太子だからマズいってのと、多分、李世民に好かれてないっての、
かたわだってのと、それと結果として皇室から追放されるまでになってんので、
ことさら取り上げられてるんだと思う。
直接、どうこういう記述は無かったはず。

249: 世界@名無史さん 2005/09/23(金) 22:12:11 0
李世民によって悪役化された建成・玄吉兄弟の実像と世民の真実の姿について考察しやうではないか。

250: 世界@名無史さん 2005/09/23(金) 22:28:15 0
李世民の政治的粉飾の具にされた『晋書』(そして臧榮緒)テラカワイソス

252: 世界@名無史さん 2005/09/24(土) 02:01:51 0
元吉は普通にDQNじゃないの?

302: 世界@名無史さん 2005/12/09(金) 23:34:09 0
>>252
いや、なにげに世民が一番ドキュンだったりする。
だいぶ美化されてるけど、冷静見てみれば兄弟殺して甘い汁吸っただけだし。
こいつの手柄で唐ができたってのもうそ臭い。

253: 世界@名無史さん 2005/09/24(土) 02:19:57 0
晋書に限らず南北朝時代の諸正史(除魏書、宋書)はフィルターかかっているんじゃないかなぁ

254: 世界@名無史さん 2005/09/24(土) 16:54:58 0
何せ李世民自身が手を加えているからな。
王義之伝なんか皇帝直筆だし。

256: 世界@名無史さん 2005/09/24(土) 22:54:44 0
李世民も仙薬で死んだってどっかで読んだ。マジ?

259: 世界@名無史さん 2005/09/24(土) 23:40:41 0
>王義之伝なんか皇帝直筆だし。
 
いや、それ違うと思う。李世民が書いたのは論賛の部分かと。
他の部分は「論曰」だけど、晋武帝・王羲之ら三名は「制曰」、
つまり「制=皇帝のお言葉」になってるわけで。


>李世民も仙薬で死んだってどっかで読んだ。マジ?

これは新旧両唐書の「西域伝 天竺」の所に載ってる話ですね。
王玄策が連れ帰った怪しげな天竺人に作らせた仙薬を飲んで、
太宗は逝っちゃった…ということのようですが。

255: 世界@名無史さん 2005/09/24(土) 22:37:55 0
唐が夷狄の出だという事実を必死に隠蔽する李世民の努力哀れ(プ

257: 世界@名無史さん 2005/09/24(土) 22:56:47 0
李世民が必死だなってのは、どうかと思うけど。夷狄の出の隠蔽なんて隋も同じだしな。
つうか出自に触れられるのがそんなに嫌なら、長孫無忌に権力なんて与えないんじゃねえ?
兄貴と弟の記録を葬った件に関しても組織レベルの防衛だしな。
李世民個人が気にする質だとはいっても、常軌を逸するほどとも思わん。

それよりも兄貴と弟を「暗殺した」っていう方が胡散臭いと思うが。
宮城内を渡り廊下で繋いでたって記録にあるのに、何で玄武門を通るんだ? とか
相手が二人になった時を狙ってるのに、何で指揮官クラスの将校や幕僚まで連れてきて
るんだ? とか。ジャンプの漫画かよって。そいつら他に制圧するところとかあるだろ。

258: 世界@名無史さん 2005/09/24(土) 23:19:36 0
実際には皇城周辺で戦闘状態になったとか?

260: 世界@名無史さん 2005/09/27(火) 20:36:35 0
唐も漢同様、一時的に断絶したので
前唐、後唐と呼ぶべきだろう。

262: あやめ ◆C0.O2CxIMg 2005/09/27(火) 22:07:01 ID:0
>>260
確かにその通りなんですが漢の場合は天子の血統が甚だ疎遠な移動を示しているのに、
唐の場合は復辟した皇帝は易姓された当人の重祚であり、簒奪者は唐室の皇后の位置に
戻された扱いなので、王朝の断絶は無かったことに認識されてしまったのです。

261: 世界@名無史さん 2005/09/27(火) 21:20:00 0
唐代最高の名君はあえて武則天と言って見る。

264: 世界@名無史さん 2005/09/27(火) 23:11:58 0
見方によっては逆に隋唐がひとつの王朝。
つか代国から唐まで全部「拓跋帝国」でもよかろう。

265: 世界@名無史さん 2005/09/27(火) 23:58:03 0
宇文・高・楊・李ともに鮮卑系であろうとは思われるが
拓跋部の構成氏族かどうかはわからんだろうに

266: 世界@名無史さん 2005/09/28(水) 00:38:34 0
楊、李なんて鮮卑って言えるだけの材料ないでしょ。
武川鎮で鮮卑匈奴高車勅ロク漢人入り混じったごった煮社会出身ってだけじゃない?

270: 世界@名無史さん 2005/10/29(土) 19:05:35 0
唐代に「離婚状」あった=感情不一致、妻に配慮も-中国

 【北京29日時事】中国甘粛省の敦煌で唐代(618~907年)の「放妻状」(離婚状)が発見された。
「2人の心が擦れ違い、元に戻るのは難しい」とし、両家の父母や親族を呼んだ上で別れようと提案。
きれいに着飾って「高官」と再婚してほしいなどと記されていた。
中国紙・北京科技報(電子版)などがこのほど報じた。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051029-00000062-jij-int
リンク切れ

271: 世界@名無史さん 2005/10/29(土) 20:29:25 0
>中国では長い間、女性は圧迫され、離婚の自由がないとされてきた。
>しかし、見つかった放妻状では妻の再婚を願う配慮まで言及。
>「唐代には男尊女卑の風潮はなく、逆に『男女平等』であり、
>男性が寛容であれば、女性にも選択自由の権利があった」(北京科技報)との見方もできそうだ。 

それはちとホメ過ぎのような。
そんなら三行半の離縁状とか駆け込み寺のあった日本の江戸時代だって
「男尊女卑の風潮はなく、逆に『男女平等』であり、
男性が寛容であれば、女性にも選択自由の権利があった」
ということになっちゃうぞw

272: 世界@名無史さん 2005/10/30(日) 11:40:55 0
岡田英弘の本では中国人が恐妻家になったのは
鮮卑などの北方民族の文化の影響だとか書いてたけど

536: 世界@名無史さん 2006/03/29(水) 22:41:07 0
>>272
岡田英弘はそんなこと書いてない
「中国人が恐妻家」ともいってるし
「鮮卑などの北方民族の文化の影響」もある
とは言ってるが両者に因果関係があるとは書いてない

273: 世界@名無史さん 2005/10/30(日) 12:16:37 0
気賀沢先生の『中国の歴史』隋唐時代の巻でも、女性の活躍に一章を割いているよね。

275: 世界@名無史さん 2005/10/30(日) 18:16:33 0
隋唐時代は女性の力が強かったからな。
隋の文帝の独孤皇后や唐の武則天はいわずもがな。

286: 世界@名無史さん 2005/11/16(水) 23:33:29 0
意見求む:李建成を通鑑の片言隻句をもって寛仁温厚なやしとしてイメージしちまっていいのか?どうよ?

287: 世界@名無史さん 2005/11/17(木) 01:33:31 0
その手の性格描写は一切、気にしないことにしている。
むしろ「何をやったか」「何をできたか」「誰と繋がってたか」を重視したいのでね。
と言いたいとこだが、彼の場合、記録が残ってないのであまりわからんわな
特別、誰かに寛仁温厚だったエピソードも無いし

292: 世界@名無史さん 2005/12/08(木) 23:27:20 0
武則天と呼ぶべきか則天武后と呼ぶべきかについての議論求む↓

293: 世界@名無史さん 2005/12/08(木) 23:45:42 0
隋の恭帝にせよ唐の昭宣帝にせよ最期の時の様子とか全然記録に無いね。
二人とも殺されたのだろうがやはり唐や後梁が史料を完全に抹殺したのかな。

なお武照は宗室を虐殺して帝位を簒奪した女なので
則天武后で十分。

318: 世界@名無史さん 2005/12/12(月) 23:28:15 0
妻を恐れる余り実子や忠臣を殺した惰弱な李治と
己が腹を痛めて生んだ女児を絞め殺した残虐無道の武照

この二人の眠る乾陵を暴き、徹底的に調査しましょう!
棺から頭蓋骨を取り出しCGで顔を再現しましょう!
副葬品は全て博物館に納めましょう!

319: 世界@名無史さん 2005/12/12(月) 23:46:52 0
唐王朝は何気に子殺ししている皇帝が多いな。
太宗、高宗、則天武后、中宗、玄宗・・・

自分の子より寵臣の讒言の方が信用できるのかねえ。

320: 世界@名無史さん 2005/12/12(月) 23:53:50 0
>>319
まあ皇室なんて普通の世界じゃないしな。
中国の歴史を通して皇帝と子供の殺し合いなんて普遍的だし(((( ;゜Д゜)))ガクガクブルブル

324: 世界@名無史さん 2005/12/13(火) 00:44:21 0
日本王白壁は我が大唐の使節に平伏叩頭したアル!
日本は卑劣にも『続日本紀』ではこの事を隠しているアル!

しかし石上宅嗣の「我小彼大、宜用○○之礼」
の言葉で日本王がどう振舞ったかは明らかアル!
日本は大唐に臣従朝貢していた、これが歴史の真実アル!

325: 世界@名無史さん 2005/12/13(火) 01:31:54 0
いや、実際に属国だったし。

16世紀以降ならともかく、唐とその時代の日本とを比べる
なんて、今の東京と青森を比べるくらいおこがましいよ。

青森には青森の文化と気概と魂がある、というのとは
全く別次元の話の、単純に国力・文化力の比較でね。

326: 世界@名無史さん 2005/12/13(火) 10:54:57 0
属国とは違うんじゃ?
とりあえず唐の宗主権を認めた形になったっつーことで。

327: 世界@名無史さん 2005/12/13(火) 12:27:07 0
属国なんていう近代西欧の国際秩序から生まれた概念を前近代東アジアに当てはめるのは無意味

334: 世界@名無史さん 2005/12/13(火) 21:46:33 0
ぐぐってたら偶然見つけた

唐から日本にあてた国書としては、唐・開元23年(735)玄宗皇帝の与えたものが、
中国側文献に残っています。
玄宗の側近の張九齢が日本にあてて起草した国書は
「日本国王主明楽美御徳に勅す、(第九次遣唐使の帰国にあたり与えられた) 」
で完全な臣下あての形式をとる勅書です。

張九齢が起草した諸外国の君主宛の国書によると、
諸外国のランク付けは次のようであった。

吐蕃-突厥・突騎施-新羅-奚・契丹-渤海・南詔-護密・識匿・勃律・けい賓・日本

当時外国に対して発せられる皇帝の命令には二種類の書式があったが、「勅」で始まるのは
最下等の書式であった。(東野治之氏)

当時の国書には一般に、「皇帝敬問」「皇帝問」「勅」の三形式があり、「勅」は君臣関係がある
場合に用いられた。(金子修一氏)

聖徳太子以降日本は中国と対等に外交関係を持ったとかいうのは
完全な謬説だな。

338: 世界@名無史さん 2005/12/13(火) 23:18:42 0
>>334
その順位だと、むしろ順位が高いほど中国への属国度が強かったと言える。
中国からどれくらい気に入られているか、そういう順位だな。
チベット・突厥は唐の一部だったし、新羅も属国で年号は中国のものを使っていた。

339: 世界@名無史さん 2005/12/13(火) 23:54:40 0
日本側が唐の国書を
「これは我が皇帝陛下(皇帝、華夷に称する所、と律令にある)
に対して無礼であります」
と突き返さない限り日本が唐の宗主権を
認めたと言っても過言ではないよ。
無論そんな事をすれば大騒ぎだが
実際は遣唐使は行く度に礼遇されているし
紛糾も起きていない。これは日本側が唐の態度を受け入れてた証拠になる。

340: 世界@名無史さん 2005/12/14(水) 00:02:47 0
>>339
かといって、「属国」だったと言うのはあまりにも知性に欠けた意見だと思う。
属国と言うのはそもそも植民地のことだろ。
朝貢国だが属国ではない。

341: 世界@名無史さん 2005/12/14(水) 00:05:04 0
新羅が唐の年号を用いざるを得なかったのは
陸続きで常に情報が唐に伝わっていたからだろう。
独自の年号なんか使えばその時点で「征討」されかねない。

日本は海に隔てられているから国内でいくら皇帝を称しようが
独自の年号を使おうがすぐさま国際問題にはならない。

日本は地理的に有利な点を利用して
「唐と対等の国家」であると国内で装っていただけというのが実情ではないか。

343: 世界@名無史さん 2005/12/14(水) 00:52:17 0
朝貢国と属国は違うだろ。
中国に朝貢したことがある国なんて山ほどあるんだが。
足利義満の時は日本も中国の属国だったのか?
吐蕃=チベットなんて何度も唐の奥深く侵攻してきた強敵だぞ。あれが属国か?

中国側は見栄を張って朝貢させてきたけど、周辺国はうまく唐を利用してきたんだよ。
おだててやりゃ、有利な条件で交易ができる。それが朝貢国の狙いだったのだと思う。

344: 世界@名無史さん 2005/12/14(水) 03:44:49 0
朝貢については岡田英弘『倭国の時代』第七章にわかりやすい説明があるよ。

盆暮れにわれわれがお中元やお歳暮の贈り物を、上役や取引先、子どもの学校の先生、
親戚や友人の家に届けさせたり、自分で持っていったりするのは、「服属関係」の表現でもなく、
「特殊な形態」の商取引でもなく、日頃のご厚情に対する寸志、つまり個人的な親善の保障である。

(中略)

中国の皇帝にとってもこれは同じことで、世界最大の人口を持つ、世界でもっとも富んだ帝国の経営者としては、
他の中小企業の外国から贈り物が来れば、そのランクに応じて恥ずかしくない程度の返礼をしないことには、
社員たる臣民に対してしめしがつくまい。(中略)そういったわけで、朝貢と貿易は全然別のことである。

……ということらしい。

345: 世界@名無史さん 2005/12/14(水) 04:57:45 0
>>344
朝貢への返礼が多額すぎて財政を圧迫したため、
「朝貢の回数を減らすように」と朝貢国に通達したことがあったらしいな。

346: 世界@名無史さん 2005/12/14(水) 08:57:16 0
もし本当に属国だったんなら
遣唐使の廃止なんてやらかす筈も無い罠。


関係無いがそれに比べるとやはり半万年(文字通りの)属国だったかの邦はw

359: 山野野衾 ◆CXSSL1llHI 2005/12/14(水) 22:07:34 0
>>346
いえ、ですから、完全な廃止では無かった様ですよ。とりあえず取り止め。
当時の唐に、抗議する実力も、もてなす余裕も無かったでしょうが。

・『隋書』には、煬帝が怒ったという有名な逸話が出ていますが、この頃に
突厥も天子と自称して咎められており、東アジアの国際秩序が整備される
以前に、外交に不慣れな国が犯した「失敗」だったのではないかという論文
が、数年前の『日本歴史』に掲載されていました。
・『日本書紀』にはこの顛末は記されておらず、隋からの国書も小野妹子が紛
失してしまっていたとされています。おそらく、天皇の権威に関る様な内容
であった為に、憚られたのでしょう。煬帝を怒らせたという自慢は無し。
少なくとも、独立を誇った事件であったとは、考えにくいですね。
・裴世清からの国書には、「倭皇」とあったとされているが、これは元の国書
には、「倭王」とあったとする説が有力。日本側の都合の良い捏造では。
→10世紀に成立した『聖徳太子伝略』において、この話が「書式は臣下に賜
うものですが、「皇」の字が使われています」という太子の一言によって収ま
ったものとされていますが、『日本書紀』に無い後付けです。
10世紀には、自国の立場を高めようという意識が高まっていたのでしょう。
それ以前は、表記を改竄してスルーするのがせいぜい。
・『日本書紀』では、隋への返書は「天皇」から「皇帝」へのものとされていま
すが、「天皇」号が使用され始めたのは、実は天武朝頃からとする説が有力。

『日本書紀』などの国内向けの記録では准皇帝といった態度で外交を行ってい
たかの様に記されていますが、実際には、終始「倭王」として「皇帝」に向かっ
ていたものの様です。
少なくとも、聖徳太子の時代から対等な「外交を」云々は嘘でしょう。
実力から言っても、国内向け宣伝が関の山です。
夜郎自大が出来ないというぐらいの、バランス感覚はありました。今日日、
被害も考えずに日中開戦とか言っている自称愛国者よりマシな思考です。

361: 世界@名無史さん 2005/12/14(水) 23:57:47 0
>>359
有名な「日出る国の天子、書を日没するところの天子に致すつ つがなきや」云々は
「天子」を名乗る政権が乱立していた魏晋南北朝、六朝時代に国書の贈答で流行った
文体で、当時の大和朝廷としてはその慣例を踏襲しただけだったという話を以前に
何かの本で書かれてあったような記憶がありますが、そんな感じでしょうか?

突厥の「天子」の話は突厥と隋朝との北・中央アジアを巡る覇権闘争の感じがして
倭国からの親書とではやはり重大性が段違いな気もしますね。


引用元: ・【李氏】☆☆唐帝国の歴史総合スレッド☆☆【天命】


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