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1: 呂布 05/03/05 08:30:49
董卓は本当は善人ではないかと考えるが・・違うか?








7: 無名武将@お腹せっぷく 05/03/05 09:34:16
善人というのはどうかと思うが、別に悪人というほどじゃないんじゃね?
愚帝を廃し賢帝をたててるところを見ると簒奪する気もなかったんじゃね?

後に帝位をとった魏、特に曹操の功績を褒め称えるためには、
その前に朝廷を牛耳っていた董卓を極悪人にする必要あったんだろ。

9: 無名武将@お腹せっぷく 05/03/05 10:22:04
ヤクザの親分で自分の部下はとかく大事にするって感じかな。なんとなく劉備
と通じるとこがあるかもしれん。

10: 無名武将@お腹せっぷく 05/03/05 10:22:14
董卓の失策というか悪行とされてる事に、貨幣経済の政策で混乱・悪化を
招いた点がある。
この部分が、最近じゃ最大の汚点って言われてる気も。

12: 無名武将@お腹せっぷく 05/03/05 10:28:38
>>10
それも書いておられるとおり、失策であって、
暴虐な行為ではない罠。

失脚、暗殺された理由として、暴君だった、
とされるのは、中国ではデフォルト。

13: 無名武将@お腹せっぷく 05/03/05 11:25:13
なんていうか、それなりに漢を改革してやろうみたいな
心意気はあったんじゃないかな、ただ内政が馬鹿みたいに下手だっただけで。
で生来の(?)気質から力で押さえつけちゃうこともしばしばあって
それが悪評を呼ぶとともに涼州人ってことがまわりからの評判を
さらに芳しくないものにしていたかと…

279: 無名武将@お腹せっぷく 05/03/12 02:45:58
董卓は洛陽に入る前から勅命に何度も背いてる。
軍権を手放したくなかったからなんだけど、
元々漢室に対する忠誠はなかったんだろうな。
それに董卓に帝位を伺う野心は無かったっていう人もいるけど、
賓客に向かって「自分の相は貴きことこの上なし」って言ってもいる。
これは自分は天子に相応しいって言ってるようなものらしい。

288: 無名武将@お腹せっぷく 05/03/13 02:51:46
悪人って、どういう定義で悪人と判断するかだよな。
漢王朝に背けば悪人なのか、専横をしたら悪人なのか、
圧政を敷いたら悪人なのか、宮廷内に恐怖政治をしいたら悪人なのか、
民を虐殺したら…まあこれは問答無用で悪人か。

317: 無名武将@お腹せっぷく 05/03/19 05:17:03
連合軍で董卓に戦で勝ったのって孫堅だけなんだよね。

318: 無名武将@お腹せっぷく 05/03/19 07:55:57
そもそも戦ったのが曹操と孫堅だけ。

322: 無名武将@お腹せっぷく 05/03/19 18:37:48
>>318
袁術と王匡の軍も交戦しなかったっけか。
孫権や曹操のように単独で攻め込んだりはしてなかった気もするけど。

319: 無名武将@お腹せっぷく 05/03/19 08:37:45
酸棗寄せ集め連合軍も立派に戦ったぞ!
……もっとも相手は董卓じゃなくて、民衆相手の略奪だが。

325: 無名武将@お腹せっぷく 05/03/20 02:34:13
まあ士大夫と商人敵に回したら
どんな聖人君子でも悪の権化みたいに書かれるから

326: 無名武将@お腹せっぷく 05/03/20 02:36:24
やってることは曹操も董卓もそれほど変わりないのに、
成功者と失敗者というだけでこれほどの差が出るんだなあ。

328: 無名武将@お腹せっぷく 05/03/20 02:51:09
士大夫敵に回すと言っても、
董卓は党錮の禁で失脚した清流派や
その子孫を取り込んでたしなあ。
蔡?なんかが悲しんだぐらいだし、
史書にかき立てられているほど人望がなかったわけでもないかと。

333: 無名武将@お腹せっぷく 2005/03/23(水) 00:20:10
>>328
でも清流派直系の荀攸たちは董卓暗殺たくらんでる。
そこら辺りの解釈は難儀かも。

329: 無名武将@お腹せっぷく 05/03/20 22:12:16
献帝を擁立するまでの自分の部下などには人望があっただろうが
それ以後に取り込んだ士大夫らは恐怖政治による圧力に屈しただけじゃないか?

332: 無名武将@お腹せっぷく 2005/03/23(水) 00:17:55
>>329
最終結果だけから全てを見ちゃいかんよ
宦官外戚の専横から解放された士大夫達が
董卓の新政治に期待して支持を寄せた可能性は大いにある
もっとも、遠からず失望の時がやってくるわけだが

334: 無名武将@お腹せっぷく 2005/03/23(水) 01:15:05
士大夫層を取り込もうとしたけど失敗したっていう解釈が普通だと思う。

335: 無名武将@お腹せっぷく 2005/03/23(水) 03:24:24
皇帝や年号のすげ替えってのは、清流派には考えられないような荒事だったんだろ

336: 無名武将@お腹せっぷく 2005/03/23(水) 09:09:16
年号ならまだしも、皇帝はねぇ……

337: 無名武将@お腹せっぷく 2005/03/23(水) 11:05:40
おまいら清流派を誤解してますよ
アイツラは権謀術数に長けた連中
廃立なんて屁でもない

むしろ清流派が董卓をコントロールしてたけど、長安あたりから董卓が勝手に振る舞い始めた、ってとこでは

341: 無名武将@お腹せっぷく 2005/03/23(水) 20:26:59
清流派は儒を主体とした知識人って言っても、
結局は豪族及びそのバックアップを受けた儒教官僚の中で
政権の中枢から排除された人達のことだし、ただの反体制勢力でしかない。
それを危険視した政権側が起こしたのが党錮。
つまり清流ってのは、政権側を与党とする野党組とか、
フランス革命での非王政派みたいな人達のこと。
少なくとも後漢代ではな。

345: 無名武将@お腹せっぷく 2005/03/23(水) 22:28:36
>>341
>フランス革命での非王政派みたいな人達のこと。

後漢末期の清流派は漢王朝に対して反体制をとったワケじゃないので
その例は当て嵌まらない。

344: 無名武将@お腹せっぷく 2005/03/23(水) 22:19:11
反体制つっても、宦官の専横に対しての反対勢力だから
そのまま「反体制」という言葉を使うと少し語弊があるな。
もともとは宦官を「濁流」と蔑んでの「清流」だから。

346: 無名武将@お腹せっぷく 2005/03/23(水) 22:53:48
「反体制」はさすがに激しく的をはずしすぎだ。
権力の中枢ではなかったにしても
官僚団として勢力を張ってたわけだから
むしろ保守的といってもいいくらいだろう。
官僚としても豪族としても、一番望んでいたのは「秩序」だったはず

348: 無名武将@お腹せっぷく 2005/03/24(木) 01:16:29
皇帝を中心とする中央集権体制に反抗する勢力ですよ、清流派は
なんせ豪族が基盤だから、上からの支配にはあまりなじまないし反抗的

349: 無名武将@お腹せっぷく 2005/03/24(木) 02:47:53
それで曹操の統一が確定してきたら離反しだしたんだね

350: 無名武将@お腹せっぷく 2005/03/24(木) 03:22:50
清流派ってもともと漢の臣下で名家の連中の事でしょ?
曹操は祖父が成り上がりの濁流派で
だから清流派が反発したんだったと思うが

後漢末で清流派が反発してたのは
政権中枢の外戚とか宦官に対してだった筈だが

清流派の基本思想は
「国がうまく機能すればいい」
だったと思うが
曹操反発は儒者に対しての問題もあったからだし

352: 無名武将@お腹せっぷく 2005/03/24(木) 08:07:20
>>350
曹操が濁流の出身だから反発なんて単純な話なわけがない
儒がどうとか、どこかの漫画真に受け杉

バリバリの清流派が濁流の何進の下で活躍したり、一度は董卓を支持したり、劉表みたいに地方に割拠(中央政府にとっては反逆行為ですよ)したりした事をどう説明するの?

360: 無名武将@お腹せっぷく 2005/03/24(木) 21:09:28
宦官を一掃した後で清流派の思考に微妙な食い違いが生じる様になる。
漢王朝の存続より新しい王朝での政治規範を作ろうとした清流派も現れはじめた。
そのキッカッケはなんと言っても董卓の存在だろう。
清流派名士の筆頭だった袁紹や袁術らも漢王朝を廃して新しい王朝を建てようと企てたが
董卓の存在がなければ実力がモノを言う群雄割拠の時代にはならなかったかもしれん。

426: 無名武将@お腹せっぷく 2005/03/27(日) 18:57:45
袁紹の手回しで名士層にボイコットされるまでは
まともに政治をしようとしていたし、洛陽に来る前の評判だって悪くはない。
いい人かそうでないかで言えばいい人だったのだろうが……。
でも、ヒトラーですら初期はまともだという意見もあるしねぇ。

427: 無名武将@お腹せっぷく 2005/03/27(日) 20:42:52
>>426
おいおい、洛陽に来る前の評判はおもいきり悪かっただろw

428: 無名武将@お腹せっぷく 2005/03/27(日) 20:48:27
西方人基準では「いい大将」だったってことだろう。
でもいい大将の基準って、よく掠奪してよくばら撒く人だから。
史書の記述の一部に誇張があるとしても、
部下に慕われたことと、悪臣呼ばわりされたことは、矛盾しない。

430: 無名武将@お腹せっぷく 2005/03/27(日) 21:33:31
馬騰が反董卓連合側だったというのは演義の虚構らしい
正史には、馬騰が反董卓連合に参加したという記述は無い
むしろ、馬騰は董卓寄りだったみたい

442: 無名武将@お腹せっぷく 2005/03/29(火) 03:18:23
>>430
馬騰って李カク・郭汜政権に対して挙兵してなかったか
董卓寄りなんて記述あった?

444: 無名武将@お腹せっぷく 2005/03/29(火) 08:22:13
>>442
馬騰は反乱前日までは李カク政権に従ってました。
ついでに言うと李カク・郭汜政権なんてのは演義の話。
正史では李カクがトップで、郭汜・樊稠が同格。張済は更に下で韓遂と同格。

ただし、あんたの結論は正しい。
馬騰が董卓に従ったのは董卓の晩年。
それまでは漢そのものへの反逆者でもあった。

449: 無名武将@お腹せっぷく 2005/03/29(火) 18:06:46
>>444
馬騰が漢そのものへの反逆者ってのは、ちょっと違わないか?
馬騰は涼州刺史耿鄙が殺されたのを機に、187年に一度韓遂の叛乱に参加してるけど、
初平年間(190年以降)は、反乱を起こした羌族やテイ族を攻撃して戦功たててる。

450: 無名武将@お腹せっぷく 2005/03/29(火) 18:43:02
>>449
すると微妙なことになってくるね、董卓との関係。
初平以降に漢に従い始めたってことは董卓の指導する漢王朝なら従えたってわけか。
意外と初めからかなり仲良かったのかもね。

451: 無名武将@お腹せっぷく 2005/03/29(火) 18:50:22
>>450
うーん、韓遂の叛乱に対しても、最初は漢王朝側の募兵に応じて、
取り仕切る人間が殺されてから韓遂側についただけだから
馬騰の漢王朝に対してのスタンスは、よくわからないかも…

でも、董卓と馬騰の関係だけを考えると、
董卓と韓遂は面識があるみたいだから(董卓の遷都時の発言より)
韓遂経由で繋がり(or信頼)があっても不思議じゃない気はする。

465: 無名武将@お腹せっぷく 2005/03/30(水) 16:12:33
>>451
董卓の遷都時の発言の典拠希望。
面識っていっても討伐した側とされた側のような・・・。

466: 無名武将@お腹せっぷく 2005/03/30(水) 16:54:34
>>465
「漢書」の記載だけど
遷都を反対された董卓が、
「隴西にいる辺章と韓約から手紙が来て、
なんとしてでも朝廷に遷都を決めて欲しいと言ってきている」
って発言してるyo。
ただ、187年の段階で辺章は韓遂に殺されてるから、
微妙にぁゃιぃ発言(記録)ではあるけど。

452: 無名武将@お腹せっぷく 2005/03/29(火) 19:44:09 ID:
無知な俺が参加するのは申し訳ないんだが、
バトウのスタンスってのは涼州の人間だってのを踏まえて考えると、
漢に対する意識ってのが希薄なんじゃないかな。
権力ある勢力、程度に。まあ、それ以上だっただろうけど。
だから、賛同することはしない。反乱があるなら身内のほうに加担。
反乱がないなら、戦功立ててまあそれなりに力つけようかな、とか。

今の日本人の愛国心のなさ、みたいな感じ。
漢を自分たちの祖の国としては捉えてないんではないのかな。

454: 無名武将@お腹せっぷく 2005/03/29(火) 20:08:45 ID:
>>452
どちらかというと董卓のスタンスがそれ。

455: 無名武将@お腹せっぷく 2005/03/29(火) 20:19:43
>>454
たしかに。そんな感じはするな。

逆に馬騰は漢王朝に従う傾向が強い気がする。
・馬援の子孫である
・漢王朝不正な官仕(売官による官仕かな)が切っ掛けの叛乱が興っても、討伐側の募兵に応じた
・鍾ヨウの説得に応じた後は、曹操(漢王朝)側に従順

↑が理由なんだけど、漠然とし過ぎかな。

453: 無名武将@お腹せっぷく 2005/03/29(火) 20:08:36 ID:
それまでの馬騰は一介の民衆だし、韓遂の身内とは考え難い。
叛乱の発端は涼州刺史が不正な官仕を派遣したのが切っ掛けだから、
馬騰が韓遂の叛乱に参加したのは、身内に加担っていうより
そこで韓遂と意気投合したんじゃないか?

456: 無名武将@お腹せっぷく 2005/03/29(火) 20:45:13
>>453
いや、身内ってのはそういう深い関係の意味じゃなくってさ、
アメリカ行って、日本人と出会ったら、なんかそいつの肩持っちゃう、程度の感覚。
同族だから~くらいのね。

あと、カンスイとは敵対してて、それから義兄弟になった、ってのは演義だっけ?
しがらみみたいなものはあったのかな。

457: 無名武将@お腹せっぷく 2005/03/29(火) 21:09:29
>>456
ちょっとスレ違いっぽいけど、馬騰と韓遂の関係年表はこんな感じ↓
187年:韓遂の叛乱討伐軍に参加
187年四月:涼州刺史が死んで、韓遂と結託。義兄弟に
192年:朝廷(何政権か不明)からの招聘を受け、馬騰と韓遂は兵を率いて長安に赴く
194年:李カクと対立、(韓遂は馬騰擁護)
年不明:この頃韓遂と対立。
196年:鍾ヨウの説得で、韓遂と仲直り。
208年:再び韓遂と不仲になって曹操の招聘に応じる


董卓との関連性で言うと
>192年:朝廷(何政権か不明)からの招聘を受け、馬騰と韓遂は兵を率いて長安に赴く
これが気になる所だ。
王允があの時期に涼州人を招聘するとは思えないから、
董卓の招聘って考えていいのかな? 教えて詳しい人。

458: 無名武将@お腹せっぷく 2005/03/30(水) 05:01:49
馬超も一族が都にいるのに反乱起こしたりしてるし、
あの一家は何考えてるのか分かりづらいやつ多いな。

478: 無名武将@お腹せっぷく 黄天当立184/04/02(土) 06:29:27
何で献帝を聡明って信じこんでる連中多いんだろ。
魏からしても献帝は有徳のものに帝位を禅譲した明君でなければならないし、
蜀漢からしても逆臣が献帝から無理やり天下を奪ったから仕方なく自分たちが漢を継承したっていうスタイルなんだから、献帝が「逆臣」に天下を取らせるような愚帝だとしてしまうと都合悪い。
史書では献帝の器が実際以上に水増しされてるのは間違いない。

別に愚鈍だとは言わないけど、特に聡明であるっていうような根拠は乏しい。
ぶっちゃけ協も董卓に殺された弁も大して変わらないんじゃないの。
むしろ董卓が大人に近づいている弁は組しにくいと判断して、幼い献帝を立てたって解釈が自然な気がする。
あと外戚の関係とか、同姓のよしみが云々とかももちろんあるけどね。
少なくともどんなにアホであってもまだ何をしたわけでもないんだから、本当に漢を再興させようと思ってる奴が劉弁を帝位から引きずりおろしてガキんちょを皇帝にするなんて事はするわけが無い。

479: 無名武将@お腹せっぷく 黄天当立184/04/02(土) 07:10:15
>>478
まあ概ね同意だけど、
だからといって献帝が聡明でなかったという記述もないわけだし、
そこまで貶める必要もないと思うけどな。
衰退し果てて形骸化してる上に、独自に軍事力も持ってないんじゃ、
個人として優れていてもお人形でしかないしさ。

483: 無名武将@お腹せっぷく 黄天当立184/04/02(土) 13:07:13
とどのつまりだ、トウタクには帝位に就くという
野心があったのかどうかだと思うな
何かしら天望がなければ献帝を奉じる理由が解らない
帝位を奪うなら協より弁の方が沢山理由づけ出来るからなぁ

トウタク、謎多き傑よなぁ

485: 無名武将@お腹せっぷく 黄天当立184年,2005/04/02(土) 20:07:57
>>483
自分には貴人(天子)の相があると言ってたことが
史書にも残ってるし(まあ悪く書くために入れられたのかもだけど)、
一応帝位への野心はあったということでいいんジャマイカ。

486: 無名武将@お腹せっぷく 黄天当立184年,2005/04/02(土) 21:19:57
董卓は権力握ってからわずか三年で死んでるからなぁ、
仮に野心があったとしても簒奪するには時間が足りないと思う。

492: 無名武将@お腹せっぷく 黄天当立184年,2005/04/03(日) 21:27:07
まあ、董卓が死んだあとの処遇や後の話からすると、
あんま名君ではなかったわな。

510: 無名武将@お腹せっぷく 黄天当立184年,2005/04/04(月) 13:10:33
で、結局董卓そこまでは悪人ではなかったという意見が多いけど誰か結論出して

512: 無名武将@お腹せっぷく 黄天当立184年,2005/04/04(月) 13:21:27
洛陽破壊と墓暴きで悪人でいいよ

513: 無名武将@お腹せっぷく 黄天当立184年,2005/04/04(月) 17:50:51
善人か悪人かは他者からの評価でしかないため、結局悪人

518: 無名武将@お腹せっぷく 黄天当立184年,2005/04/04(月) 20:15:34
とりあえず当初の董卓に腐った国をたたき直す気があったのかはわからんが
まだ完全に権力を掌握してないうちに皇帝すげ替えはやりすぎたね
まあ権力を掌握できたかは疑問だが

519: 無名武将@お腹せっぷく 黄天当立184年,2005/04/04(月) 22:24:56
トウタクは新しい秩序の形を模索し、あえて漢の根本である何かを
ブッ壊そうとしたのかも
しかし性急すぎたため反感を買ったのか?
トウタクって信長チックだナァと思う

520: 無名武将@お腹せっぷく 黄天当立184年,2005/04/04(月) 22:25:23
そもそも董卓に基本的な統治能力がないのがまずい
悪銭発行しちゃまずいだろさすがに

董卓五銖銭

後漢末の董卓の乱では董卓五銖銭と称される粗悪銅銭が発行された。
これは各種銅銭を打ち抜いて使用し、外側は削り小型化させたものであり(磨辺銭、剪輪銭)、これにより私鋳銭が広く流通し五銖銭は貨幣としての価値を失い、それ以降は100枚や1000枚を紐で束ねたものが流通するようになった。


521: 無名武将@お腹せっぷく 黄天当立184年,2005/04/04(月) 22:26:21
悪銭の話とかを考えるとただたんにがむしゃらに突っ走って気がついたら一番偉かったってパターンだと思う

524: 無名武将@お腹せっぷく 黄天当立184年,2005/04/05(火) 00:49:58
単に董卓が後漢のスケープゴートにされたと妄想
奴一人に悪役を背負ってもらう事で、袁詔達の
後漢を潰す言い分が立ちやすかった






(´・∀・`)ママーリ

527: 無名武将@お腹せっぷく 2005/04/05(火) 19:36:38
>>524
本当は、案外そんなとこだったかもしれない・・・

531: 無名武将@お腹せっぷく 2005/04/06(水) 08:12:03
>>527
ありえん。当時の文化と史書というものの成り立ちを考えると絶対にありえん。
過剰な擁護は逆に董卓を貶めてるぞ。

533: 無名武将@お腹せっぷく 2005/04/06(水) 09:51:19
王允がなぜサイヨウを殺さなければならなかったのか

これが全てを物語っているよ
王允ほどの奴なら史家を殺した場合の悪評は承知のはず
それでもなお歴史から消しておきたいような後ろ暗い秘密が王允にはあったんだよ

534: 無名武将@お腹せっぷく 2005/04/06(水) 10:25:06
王允が司徒で録尚書事だったことを考えれば、簡単に解ると思うけどな。
王允は演義での印象からは硬骨の士で通ってるけど、どう見ても専横型の人間だろ。
李カクがカクの言うこと聞いてなかったら、董卓の代わりに王允が取って代わっただけ。
まあ董卓以前から権勢あったし、ああいう暴政は敷かないだろうけども。

588: 無名武将@お腹せっぷく 2005/04/11(月) 10:36:24
少なくとも長安遷都以前の董卓は旧勢力と折り合いと付ける為に名士層を色々懐柔しようとしている
袁紹は特に目をかけられた
それを裏切って逃亡してもまだ董卓は袁紹を大事にして勃海郡の太守に任命までしている
これだけ見ても董卓が名士層を懐柔しようとしてた事が読み取れるだろうが

違うってんならどう違うのか教えてくれ

590: 無名武将@お腹せっぷく 2005/04/11(月) 11:31:30
旧勢力と折り合いをつけたら滅ぶんか?という気がしてくる。
理由はそれだけじゃなくいくらでもあるだろに。
微妙に話の軸がずれている様に思えるしな。

591: 無名武将@お腹せっぷく 2005/04/11(月) 13:34:20
旧勢力と折り合いをつけようとしたから滅んだっていうか
董卓の立場は旧勢力に受け入れられるには、
出自的にも(辺境出身)、行う事にも(皇帝挿げ替え)異端な面が強いのに
そういったものに反感や嫌悪感を抱く名士層を取り立ててたから
内部から崩壊してったり、与えた権力を保持したまま離反されたり、
したんじゃないか?

羌胡の出とまで言われてるし、
これが本当だったら(本当じゃなかったとしても、他者からそう思われていたとしたら)、
中央の士大夫には、そうあっても嫌悪されると思う。
仮に皇帝の挿げ替えやなんかを行わなくても、身を滅ぼす結果になってたと思う。

594: 無名武将@お腹せっぷく 2005/04/11(月) 15:44:07
袁紹にしてみれば、宦官ぶった切って、
これから俺様の時代と言う時に乗り込んで来た董卓になんか従えないだろ
何もしてないくせに美味しいとこだけ持っていきやがってと

596: 無名武将@お腹せっぷく 2005/04/11(月) 15:47:55
にも関わらず袁紹を厚遇しちゃうところが董卓のかわいいところ

597: 無名武将@お腹せっぷく 2005/04/11(月) 15:57:59
っつーか冷遇できるほど力なかったし

644: 無名武将@お腹せっぷく 2005/05/01(日) 09:49:10
つーか、洛陽を壊滅させたメリットってなんだったんだ?
それとも、そうせざるを得なかったのか

646: 無名武将@お腹せっぷく 2005/05/01(日) 12:16:21
洛陽を自分で抑えているには支配域が広すぎて厳しい
相手に取らせれば今度は相手が支配領域が広くなり過ぎてつらい
何も財産残さなければ尚つらいだろう
戦線を広げさせるだけ広げさせるイヤな一手だな
事実それで連合軍は崩壊してるし

653: 無名武将@お腹せっぷく 2005/05/02(月) 19:20:40
董卓は
初期 洛陽に入って権力を握るまでは 部下に信用されてる
相国になるまでは
いちおうまともな事いってる だけど 事あるごとにいわゆる清流派の人たちに(袁紹系の人)猛反発くらってる

遷都した後からおかしくなった

だから善人→悪人でいいんじゃない?

654: 無名武将@お腹せっぷく 2005/05/02(月) 19:24:24
善人、悪人という括りがおかしいんだろ
ただの野心家が権力に溺れたでいいじゃん

655: 無名武将@お腹せっぷく 2005/05/02(月) 20:29:21
長安遷都の時に悪貨乱発して経済混乱させてたりもする
やっぱり遷都前後から何か歯車がずれてるんだろうな

667: 無名武将@お腹せっぷく 2005/05/23(月) 23:15:57
董卓が項羽の刀発掘したってマジ?

688: 無名武将@お腹せっぷく 2005/06/04(土) 10:59:21
>>667
董卓が農作業をしているとき一本の刀剣を発見した。
銘はなく、四面がでこぼこして山や雲の模様になっており、欠けた玉(の断面)は泥のようであった。
董卓が天下を取った後それを見た蔡ヨウが項羽の剣だと告げた。

古今刀剣録より


引用元: ・三国志/董卓は本当に悪人だったのか?


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