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1: 安録山 04/12/09 01:17:51
ソグド人の宗教、文化、商業活動について熱く語りましょー







ソグド人

ソグド人は、中央アジアのゼラフシャン(ザラフシャン)川流域地方に住んでいたイラン系(ペルシア系)のオアシス灌漑農耕民族。また、商業を得意とし、あまり定住にこだわらず、シルクロード周辺域で多様な経済活動を行った。近年の研究では、シルクロードを経済的に支配していたと言われている。

居住地であるソグディアナがシルクロードの中間に位置することから、アケメネス朝支配下にあった頃より広く交易に従事し、マケドニアのアレクサンドロス大王の征服、その後のグレコ・バクトリア王国支配下においても、独自のソグド語を守り、ウイグル文字の祖であるソグド文字を利用し、宗教的にはゾロアスター教、のちに一部がマニ教を信奉して、東方のイラン系精神文化を中国にもたらした。その活動範囲は東ローマ帝国から唐の長安にまで及んだが、イスラム勢力の台頭によりイスラム化が進み、12世紀にはその民族的特色は失われた。ソグディアナ地方はのちに、ウズベク人南下によるテュルク化が進んでいった。





5: 世界@名無史さん 04/12/13 00:04:41
ソグドはねぇ、、、、文献がほとんど無いからねぇ、、、
精々中国史料での西域関係の記述くらいかのぉ。
イスラム世界にはまず史料なし。

6: 世界@名無史さん 04/12/13 00:16:12
いやいや,最近は新出の史料,出てきているようでっせ。最近も中国でソグド文字で書かれた墓誌銘発見のニュース,流れまちた

8: 世界@名無史さん 04/12/13 01:48:31
高昌故城ちかくからソグド人貴族の墓を5つほど発掘したとかで
うち一つの墓のレリーフ群について図版が刊行されたんでしたっけ?

11: 世界@名無史さん 04/12/13 14:13:30
ソグド人の本国は、ウズベキスタンのゼラフシャン川の流域にあった。
ゼラフシャン川はアム川(オクサス川、アムダリヤ)とシル川(ヤクサルテス川、シルダリヤ)の間を流れており、その一帯は中央アジアのメソポタミアともいうべき文明発祥の地であった。この川の中流域にはサマルカンドのソグド人が、下流域にはブハラのソグド人が住んでいた。さらに、ソグド人は南方のカシュカ川の流域にも移住した。ソグド人の言語は東イラン語の一種であった。

13: 世界@名無史さん 04/12/14 00:56:29
現在は、タジキスタンの山奥にひっそりと暮らしていて、自称は、「ヤグノブ」に変わっている。
ソグド文字といえば、ウィグル文字、モンゴル文字、満州文字などのもとになったアラム系文字だが、(ソグド人はペルシア系)、いまでは、文字も使っていないそうだ。

14: 世界@名無史さん 04/12/18 05:40:10
ヤグノブ語は辛うじて現代まで残ったようです。

20: 世界@名無史さん 04/12/20 02:38:31
胡がつくものはソグド原産って本当ですか?

胡椒、胡瓜、胡弓……

25: 世界@名無史さん 04/12/21 23:41:39
>>20
原産というよりも、ソグド人がこれらを中国に持ち込んだからソグドを意味する「胡」を付けたようです。胡椒はやっぱりインドじゃないですかね。

26: 世界@名無史さん 04/12/21 23:48:43
>>25
サンスクリットで胡椒は「ピパリ」。
欧州へ渡って英語で「ペッパー」、
華南でも音訳で「畢撥(ひはつ)」、さらに
沖縄も「フィファチ」。

31: 世界@名無史さん 04/12/26 18:22:02
このスレ的には、安禄山=アレクサンドロスでいいですか?
200px-An_Lu_Shan


安 禄山

安 禄山(あん ろくざん)は、唐代の軍人、大燕国皇帝。本姓は康で、康国(サマルカンド)出身のソグド人と突厥系の混血。唐の玄宗に対し安禄山の乱(安史の乱)を起こし、大燕皇帝に即位したが、最後は次子の安慶緒に殺害された。


32: 世界@名無史さん 04/12/26 19:40:10
『隋書』『旧唐書』など漢籍史料によるとソグド人には「昭武姓」と呼ばれる出身国名を姓とする習慣がありました。
(イスラーム世界に一般的な「ニスバ」のようなもの。初期イスラームの大歴史家タバリーは、カスピ海南岸のタバリスターンの出身のような例)

当時ホラーサーンからソグディアナにかけてのソグド人の都市国家群は、サマルカンドを「康国」、ブハーラーを「安国」、タシュケントを「石国」、ケシュを「史国」、マーイムルグを「米国」などと漢字で表記されていました。
そのため、安史の乱の「安禄山」は「『安』国(ブハーラー)出身の『禄山』という人物」「史思明」は「『史』国(ケシュ)出身の『思明』という人物」を意味します。

史思明のほうは忘れましたが、安禄山の「禄山」はペルシア語・ソグド語で「光明」を意味する「ロクシャン」「ロフシャン」のことだそうです。
(現代ペルシア語ではロウシャンroushan)

アレクサンドロスではなく、妃のロクサネーのほうに語源的な関係があります(w

33: 世界@名無史さん 04/12/28 00:21:10
杉山氏の説の受け売りですか?

34: 世界@名無史さん 04/12/28 04:28:11
吉田豊先生の説の受け売りです(苦笑

17: 世界@名無史さん 04/12/19 00:27:53
今のタジクがソグド人の後裔かと思ってたけど違うの?

38: 世界@名無史さん 05/01/26 23:46:40 0
エフタルの後裔のひとつがソグド。
それからタジクとはあまり関係ないと思う。
タジク人に碧眼金髪は少ない彼らはペルシャの系統。
エフタル、ソグドは碧眼金髪の多い印欧語族。
同じ印欧語族でも実はちがう。

39: 世界@名無史さん 05/01/26 23:50:18 0
碧眼といえばヌーリスターン一帯は人種の孤島ですな。
アレクサンドロス軍末裔説は論外として、案外あの辺りの先住民だったりするのだろうか。
まつ毛の濃さ・長さは他の土地に見られない禿しさだが一体あれは・・・?

40: 世界@名無史さん 05/01/27 00:54:54 0
そう。
しかしウズベク人もかなり碧眼金髪率が高いとおもう。
そもそも金髪、碧眼(特に金髪)は劣勢遺伝でなおかつ組み替えが
起こりやすく数世代持続するのが難しいらしいので、彼らの血が
混じっていても表示型とはなりにくい。

それにしてもイラン人やタジク人を地中海人種と記述してる
のが多いけど、これと印欧語族とセム語系とかとの関係を学者さん達は
どう考えているのだろう・・

41: 世界@名無史さん 05/01/27 01:24:58 0
場所柄、ブルシャスキー語の系統が気になるね・・・
メジャー語族に塗りつぶされる以前は孤立語や未知の語族などが
中央アジアには沢山あったのかも知れないね。

42: 世界@名無史さん 05/02/03 13:32:07 0
あの辺はレッドブックに記載されそうな言語が多いと思うし
実際そうだったのであろうか大陸二国家によって長年阻まれて
多く絶滅したんだと思われ

43: 世界@名無史さん 05/02/27 19:53:26 0
最近、経済的活況を博している中国でソグド人の墳墓が多数発掘されてるらしい。
勿論、突厥の時代からソグド人が北方の遊牧政権と密接に関わっていたことは、東ローマの歴史書に突厥の使節団がソグド人だったことや、ブグト碑文のソグド語文面などから容易に想像できる。

しかし、華北、とくに現在の北京周辺にまでソグド人のコミュニティーが作られるようになったのは、例の安史の乱以降であるらしい。結局内部分裂と粛宗、代宗の時代に鎮圧されたが、反乱平定を援助したウイグル自身、ソグド人コミュニティーを内部に抱え、彼らの商業活動を後援していた。
ベゼクリク千仏洞の寄進者の多くが、ウイグル王族、貴族とソグド人商人たちであったことは、発掘された文書類となにより千仏洞の壁画群に描かれた多くの彫りの深い人物たちが雄弁に物語っている。

キョル=テギン碑文やトニュクク碑文で唐王朝のことを「タブガチュ」と言っているように、突厥側は唐王朝を「拓跋」国家とみなしていた。華北「タブガチュ」でのソグド人コミュニティーの実体は今後の発掘と研究に期待したいが、ソグド語文書の多くが安史の乱前後に7~8世紀に集中しているらしいことを考えると興味が尽きない。

44: 世界@名無史さん 05/03/05 10:49:48 0
ソグドの7世紀頃の売買契約文書には銀貨をδrxm、貨幣一般をpnyと書いている。
δrxmはギリシア語から、pnyはサンスクリット語かららしい。

サンスクリット語についてはインド交易の影響も考えられるが、やはり仏典の影響が強いと考えられている。ギリシア語はバクトリア王国の影響だろう。

45: 世界@名無史さん 05/03/12 19:03:06 0

ソグド語って、アルファベット系の文字なんですか?

47: 世界@名無史さん 05/03/12 20:14:31 0
ソグド語は主にソグド文字、マニ教文字などで書かれた。
吐蕃王国のころにチベット文字で書かれた断片などもあるがこれは例外。

アルファベットは後世の発展から見てフェニキア文字から分派した
アラム文字系とギリシア文字系などに分類される。
ギリシア文字系からは西欧で使われるラテン文字系、ロシアなどのキリル文字系が派生し、
アラム文字系からは現行のヘブライ文字、アラビア文字、ソグド文字、マニ教文字などが派生した。

・ソグド文字の字母表があるサイト
ttp://www1.u-netsurf.ne.jp/~sirakawa/C014.htm
※リンク切れ

49: 世界@名無史さん 05/03/13 05:54:40 0
宗教はマニ教?

50: 世界@名無史さん 2005/03/23(水) 09:22:38 0
>>49
現在発見されているソグド語の資料などをみると地域にもよるが
土着の多神教的(ナナ女神など)なゾロアスター教、ネストリウス派キリスト教、
仏教、マニ教などが信仰されていた。唐代に流行した示天孝攵(けんきょう)や
景教、摩尼教、密教などは早い話ソグド人が自分たちが信仰していた宗教を持ち込んだもの。

51: 世界@名無史さん 2005/03/23(水) 16:15:15 0
インド・イラン的な宗教、インド・ヨーロッパ的な宗教の痕跡はあまり残ってなさそうだね

61: なな 2005/08/02(火) 23:43:39 0
仏教の書物の漢訳にもソグド人は活躍してます。
東西の言葉のエキスパートが多かったからです。

62: 世界@名無史さん 2005/08/09(火) 20:00:20 0
算数に強い文字だったそうだね

63: 世界@名無史さん 2005/08/10(水) 23:19:06 0
いわゆるソグディアナとトランスオクシアナは同じ場所と考えていいのか?

250px-Sogdiana-300BCE


ソグディアナ

ソグディアナは、中央アジアのアムダリヤ川とシルダリヤ川の中間に位置し、サマルカンドを中心的な都市とするザラフシャン川流域地方の古名。バクトリアの北、ホラズムの東、康居の南東に位置する地方。現在のウズベキスタンのサマルカンド州とブハラ州、タジキスタンのソグド州に相当する。イラン系の言語を話すソグド人と呼ばれる民族が居住したことからつけられたギリシャ語・ラテン語の名称で、西からみてオクサス川(アムダリヤ川)の向こう側にあることから、トランスオクシアナとも呼ばれる。中国の歴史書では粟特と記されている。


64: 世界@名無史さん 2005/08/11(木) 00:10:06 0
トランスオクシアナは「(オクサス=アム)河の向こう側」の意味で有力都市のひとつブハーラーがソグド人の地域としては西隅にあるがアム河の東側にある。

だいたい「ソグディアナ=トランスオクシアナ」と見て良さそうだが、アム河とイラン高原のちょうど中間にあるマルヴも確かソグド人の都市だったような・・・

建設当時のニーシャープールは現在と違ってトゥースの東側にあったとかでそこが「イランの東部国境(フワラーサーン)」の際とされてたそうだが。

65: 世界@名無史さん 2005/08/11(木) 00:49:55 0
>>64
ニーシャープール(ネイシャプール)ってオマル・ハイヤームの詩にも出てくるけど、イラン人にとって郷愁を誘う地名なんですかね?

67: 世界@名無史さん 2005/08/11(木) 04:23:51 0
>>65
>イラン人にとって郷愁を誘う地名なんですかね?

うーん、「イラン人の」というよりも、「彼の故郷」がニーシャープールだったからだと思われ。

彼の名前はウマル・ブン・イブラーヒーム・ニーシャープーリーで、父親のイブラーヒームが「天幕作りの職人(ハイヤーム)」だったため「ウマル・ハイヤーム」とあだ名されたんだとか。

ちなみに、彼の生前も以後も世間ではもっぱら数学者=占星術師として有名で、彼と知己を得ていた『四講話』の作者ニザーミー・アルーズィーも「占星術師」の章で彼にまつわる逸話を上げている。若くに故郷を出てからカラハン朝やセルジューク朝に仕えて特にマリクシャーの時代にジャラーリー暦を制定したことで有名で、マリクシャーの宮廷に仕えた高名な8人の天文学者の1人に数えられていた。

宮廷とともに各地を転々としたらしくて郷里のニーシャープールに落ち着いたのは齢80を超すくらいになった晩年だったそうな。現在でもニーシャープールにウマル・ハイヤーム廟がある。

77: 世界@名無史さん 2005/12/30(金) 15:40:43 0
北魏が滅んだときに捕虜の中にソグド人が大勢居たそうですが、
中国にも相当数移住していたんでしょうかね。

79: 世界@名無史さん 2006/01/02(月) 01:25:18 0
>>77
北涼じゃなくて?

80: 世界@名無史さん 2006/01/02(月) 22:17:59 0
439年に北魏が北涼を滅ぼしたときの捕虜だね。
ソグド兵が多数いたらしい。

81: 世界@名無史さん 2006/01/02(月) 23:57:17 0
なんだか、ソグド人は渤海国にも入り込んでいて、日本に遣使された事もあるとか無いとか、本当かな?

82: 世界@名無史さん 2006/01/19(木) 14:34:08 0
奈良時代末期の史都蒙のことかな。
松本清張が「斉明天皇の時代にゾロアスター教徒が来日した」とか唱えていた記憶が。

88: 世界@名無史さん 2006/03/11(土) 16:18:09 0
>>82
「火の回路」という新聞小説で書いてたと記憶。
例によっていい加減な説なんだが、有名人だし一時は日本古代史ブームに乗って、
ちょっとした史学界のボス気分になってたみたい。
がんらいは無学な人物だった。

87: 世界@名無史さん 2006/03/11(土) 15:27:37 0
>>81-82
史都蒙は777年に渤海大使として来日しているね。
橘清友のもてなしを受けた席で清友の風貌を観じて
「骨相から見るに、あなたの子孫は繁栄するが、あなた本人は32歳で厄があるでしょう」と告げたそうな。
786年(延暦5年)に内舎人となったが、
3年後の789年(延暦8年)に・・・史都蒙に予言された通り32歳で没した。

ソグドには人相占いが発達していたのか?

109: 世界@名無史さん 2006/04/21(金) 01:19:04 0
ソグド人は何世紀くらいからいたの?

114: 世界@名無史さん 2006/04/21(金) 05:20:29 0
>>109
ビーソトゥーンなどのダレイオス王碑文に帝国の支配・帰順地域のリストが載るけど
それらに出てくる「Suguda」がおそらくソグド人についての初出。
だから紀元前六世紀末にはすでにトランスオクシアナ方面のソグド人がいたことになる。
ちなみに「ホラズム」「バクトリア」の名も同じ箇所に出ている。

アレクサンドロス大王が東方遠征でトランスオクシアナのソグド人の反抗に大苦戦したのは有名で、
彼の妻ロクサネー(ロクシャナク)はソグディアナ太守アクシュアルテス(オクシュアルト)の娘
だというのも史上名高い。

パルティアやバクトリア王国、クシャン朝のころはどうだったか良く分らないが、漢籍だと
『史記』には「大宛(フェルガーナ)」や「大夏(バクトリア)」、「康居(ホラズム?)」
「大月氏」の名前はでてくるけど、「ソグド」に類する名称が出てくるのは『後漢書』「西域伝」
に出てくる「粟弋」が最初みたい。

ストラボンやプリニウスも見ないと何ともだけど、『後漢書』では「粟弋國は康居に屬す」と
述べているから、ソグディアナの諸都市はその時々でサカとかホラズムとかバクトリア王国などに
服属していたんじゃないかと思う。突厥時代もソグディアナは突厥の傘下にあったけど都市支配
自体はその地域のソグド人貴族たちが掌握していたみたいだから、紀元前後でも同じだった
のではないか。よくわからないけど。

110: 世界@名無史さん 2006/04/21(金) 02:12:08 O
アケメネス朝3代キュロス2世はソグド人の土地を征服した云われていますね
漢の武帝の西域征服によりソグド商人が漢まで来訪するようになったと云われています

112: 世界@名無史さん 2006/04/21(金) 03:58:41 0
ソグド人って唐代のイメージがあるのだが・・・
唐代にはエフタルやら突厥やら色々混ざって一言に
ソグド人なんて言うのは大変だと思うんだが?

113: 世界@名無史さん 2006/04/21(金) 04:11:44 0
要するに、どんな人種であろうとソグド語を使うようになった
人々がソグド人になったんだよ。もちろん中核はコーカソイドの
形質が強い人々。

115: 世界@名無史さん 2006/04/21(金) 05:56:49 0
とりあえず、
ソグディアナ本土のソグド人と、北魏あたりに華北地域までコロニーを展開していた東方のソグド人の状況はある程度分けて考えるべきだろう。

確かに突厥時代にソグディアナ方面まで西突厥の可汗たちが現地のソグド人たちと積極的にコンタクトをとっていたけど、だからといって突厥のテュルク系の諸部族が即ソグド人化したかのような意見はさすがに勇み足が過ぎる。

両者の言語も風俗も(ある程度の影響はお互いあるにしろ)異なり截然とした区別があったことは、7~8世紀に描かれたサマルカンドのアフラシアーブの壁画などを見れば容易に判明する。統葉護可汗などの軍団がソグディアナに駐屯するにしても、当時、西方のテュルク系部民が都市部に定住したような話はあまり聞かないので、多分都市圏郊外の草原地域にいるかして、基本的に都市部を中心としたソグド人は生活圏の違いから住み分けを行っていたのではないか。
(ザーブリスターンのリトベールとかはいるけど)

116: 世界@名無史さん 2006/04/21(金) 06:20:38 O
康居はシル・ダリア流域にあった国家で都はチムケント(張騫派遣時)
張騫が派遣されたときはソグディアナは大月氏の支配下にあったと思われます

117: 世界@名無史さん 2006/04/21(金) 06:26:06 O
後に康国という地名が出てくるけどこれはサマルカンドのソグド人都市国家

118: 世界@名無史さん 2006/04/21(金) 16:24:25 0
ソグド語なんてのは古代のアラム語みたいな商人の共通語みたいなもんじゃないの?
アラム語を共通語にしてたヤツらは全部アラム人じゃないのと同じくソグド人という呼称はナンセンス。

119: 世界@名無史さん 2006/04/21(金) 17:18:49 0
紀元後に限って言えば、ユダヤ系やアラブ系の人々、ハトラなどのイラン系政権の当局がアラム語を使っていたのは、碑文や文書資料から発令者の肩書き、人名などから分かっている。
旧約聖書の一部とかミシュナといったユダヤ教文献も当時のかれらの口語だったアラム語で書かれているのは周知の通り。

ただ、ソグド語の場合、碑文にしろ書簡にしろ、文面に記載されている人名から判断すると実際にソグド文字の文章を書いているのは殆どの場合高い確率でネイティヴのソグド人であった可能性が高い。ウイグル王国の中期頃に書かれたソグド語文書だと言い回しがウイグル語っぽい妙な文章が出て来て、この頃だとソグド語はもう文章語のみの状態になっていたのではないかと思われている。しかし、これは10世紀とか11世紀とかの話なのでそれ以前はその限りでは無い。

120: 世界@名無史さん 2006/04/21(金) 17:52:51 0
ネイティブのソグド人って表現自体、ソグディアナ住民は突厥やらエフタルやらインド系までごちゃ混ぜなんだから意味ないと思うのだが・・・

121: 世界@名無史さん 2006/04/21(金) 18:26:14 O
上層支配階級はともかく遊牧民はあまり都市には住みたがらないし、双方の住民数がかなりの違いがない限り文化言語の違いはそう簡単には埋まらない
フィンランド、エストニア、ハンガリーのウラル・アルタイ語族のモンゴイロドがコーカソイド化したのにも長い年月が必要だったし、トルキスタンのテュルク化もかなり長い時間を要した

123: 世界@名無史さん 2006/04/21(金) 19:05:39 0
多分5~8世紀頃のことを言ってるんだろうけど、エフタルは微妙だけど、突厥系やインド系は名前で分る。

ソグディアナ全体で見れば混在しているように見えるだろうが、彼らソグド人はソグド人なりに彼ら自身の土着のゾロアスター教の習俗を守っていたり、外部のコロニーであれば、サマルカンドやタシュケントなどの名族であることを意識して婚姻や約定、コロニーの形成を行い、彼らの生国との関係も重要な意味をもっていたことは、発掘された文書資料とか墓碑銘、墓石のレリーフといった図象資料などに現れている。

特にこれらの墓碑に記載されている人名も多くは純粋にソグド語で解析可能な者が殆どだと聞いている。当時のソグド人自身に「生っ粋のソグド人」的な意識があったとみてまず間違い無いと思う。少なくとも都市社会の内部では、交易や政治絡みとか他の宗教関係の事柄で無いと、突厥系やインド系の人名は出てこない。そういう意味を踏まえて「ネイティヴの~」という表現を使った。

124: 世界@名無史さん 2006/04/21(金) 19:18:02 0
モンゴルの場合、大元朝時代に雲南などに派遣された部隊が村落をつくるようになって
定住化するということもあったようだが、これは遊牧できるような広大な平原が華中華南には
あまりなかったから起きた現象。華北では明代でも都市部以外の地域では遊牧生活を行い、
近代になるまでこれをずっと続けていた。

勿論、オルドバリクやカラコルムのように遊牧政権も都市を建設することは盛んだったが、
遊牧部民が都市を住居としていたかというと、必ずしもそういうことでは無いだろう。
遊牧政権の都市建設と遊牧民の定住化は多分別個の問題だろうけども、これはこれで
両者の関係はかなり重要な問題だとは思う。

125: 世界@名無史さん 2006/04/21(金) 19:50:17 0
エフタル・突厥・インド系それぞれ何十万単位でいたと思うんだがなあ。
それらとの混血もあっただろうし、大体ソグド人なんて被支配民でしょ?
宗教だ血筋だってそんな己を貫き通せたとは思えないが・・・

126: 世界@名無史さん 2006/04/21(金) 20:43:44 O
例えばソクドと突厥は単なる政治的支配・被支配の関係でない
お互いの長所(ソクドの経済・文化力、突厥の軍事力)を利用しあう相互依存の共存関係にあった
そのため経済的繁栄した
その共存の象徴が突厥の官称号(シャト、ヤブク)と突厥文字、いずれもソクドのそれの強い影響を受けている
突厥はこのようにソクドに対し終始友好的であったが、意外にも中国人はソクド人に対しては守銭奴的見方をしていたらしい
ちなみに後の安史の乱の安禄山はソクド人の血を引いているらしい
禄山(ソクド語のロフシャン=明るい)
〈豆知識〉ソクド語は現在も生き残っている
ザラフシャーン川上流でわずか3000人にしか話されていないヤグノーブ語である

127: 世界@名無史さん 2006/04/21(金) 20:44:52 0
ソグド文化に打撃だったのはトルコ人の支配よりイスラムの侵略では?
あっちは最初から改宗させるつもりで戦ってるから。

146: 世界@名無史さん 2006/05/26(金) 05:50:03 0
いまソグド語使用者っているの?

147: 世界@名無史さん 2006/05/30(火) 22:48:24 0
>>146
「一応は」まだ居る。このスレでも何度か話題になっている、現在のタジキスタン共和国内のザラフシャン河上流に位置するヤグノーブ渓谷の人々が話すヤグノーブ語。これがソグド語の一派の最後の生残りだそうだ。1966年の統計で2,500人程度だったそうだけど今現在はどのくらいいるんだろうか。

ただ、このヤグノーブ語は8世紀のクタイバ・イブン・ムスリムによる征服までのサマルカンド方言やブハーラー方言といったソグディアナで主流だったソグド語とはやや毛色が違う、飽くまでもザラフシャン河上流方面のソグド語方言の子孫らしい。

例えて言うなら、日本に中央アジアのテュルク系の住民が押寄せて、日本人の殆どがテュルク語話者なってしまったけど、唯一、青森県津軽地方に津軽方言の日本語のみが残っているとかそんな状況とか。


159: 世界@名無史さん 2006/10/06(金) 00:11:55 0
ソグディアナは
アケメネス朝の属州→アレキサンダーによる征服→セレウコス朝の支配
→バクトリアの独立→サカ族による征服→東から康居がサカ族を駆逐
→クシャナ朝の支配→ササン朝の支配→イスラム教徒により征服

こんな感じ?

160: 世界@名無史さん 2006/10/06(金) 00:46:45 0
>>159
5、6世紀頃からアラブ征服までソグディアナは、サーサーン朝ではなくて
突厥の宗主権下にあったらしい。8世紀頃のサマルカンドだったかブハーラーには
突厥の「ハトゥン」が滞在していたようで、アラブ軍側と戦ったり講和を結んでいたりしている。

161: 世界@名無史さん 2006/10/06(金) 01:16:52 0
>>159
>.160
当時のソグディアナは独立した都市国家の集合で、突厥の宗主権といっても
名前だけのゆるいものだったのでは。
ササン朝に支配されてないことは確か。

162: 世界@名無史さん 2006/10/06(金) 01:50:47 0
>東から康居がサカ族を駆逐

月氏じゃないの?
でそこで大月氏になったとか

163: 世界@名無史さん 2006/10/06(金) 22:49:17 0
張騫が月氏に赴いた時、康居がソグディアナを支配していたのは確か。
康居=サカでないなら、康居がサカを駆逐したと考えるべきでは?

166: 世界@名無史さん 2006/11/23(木) 05:05:31 0
クタイバ・ブン・ムスリムなどのアラブ征服軍に制圧され、8世紀にはソグディアナ本土は
完全にイスラム帝国の手に落ちた。その後のソグディアナはアラブ人やサ-サ-ン朝系の
入植者の流入によって、社会構造の変化と地域的な言語の変化を徐々に受けていったようだ。

この時代の変化が、後の中央アジアにおける近世ペルシア語の成立に関わっていく訳だが、
同時に現地の住民にソグド語の死語化も進行していったらしい。イブン・スィーナーや
ビールーニーの活躍した10世紀には都市部ではソグド文字はもはや判読すら出来ず、
都市部はペルシア語に置き換わっていた。当時の記録ですら、わずかに都市郊外の村落の
言葉としてソグドの言葉が生きていたらしいことを伺わせる伝聞のみが知られるに過ぎない。

アラブ征服を免れ、ソグド系やサ-サ-ン朝系の住民の避難先となった東方のいわゆる西域、
東トルキスタンなどと呼ばれる地域でも、ソグド語の変化は訪れていた。

トルファンのベゼクリク千仏洞で発見されたマニ教徒の書いたソグド語の手紙が残されているが、
属性を表す関係詞を用いずに定動詞を連体形として使う妙なソグド語が一部使われていた。
ちょうど日本語やトルコ語が「兄弟であったフワル・ザーダグが…」という文章が文法的に
何ら問題ないが、本来のソグド語では、英語などのように名詞を修飾する動詞句がthatのような
関係詞で結ばれるはずがそれが無かったりする。書き手がウイグル語化の激しいソグド語話者
なのかソグド語に未熟なウイグル人によるものなのかは分らないそうだ。

10世紀ころにはこの地域のソグド語もウイグル語の影響が色濃く表れるようになり、ソグド語文と
ウイグル語文が特別理由も無く入り乱れる不可思議な文書も見られる。

168: 世界@名無史さん 2006/12/29(金) 20:16:51 0
ソグド商人ってアケメネス朝の時代から活躍してたの?

169: 世界@名無史さん 2007/01/10(水) 00:30:28 0
国際商人のソグド人ならば、イスラムの侵攻を逃れて他の土地に移住することも
容易だったろうに、と思うのだけど。
ツテもコネも広かったろうから、唐なり新疆あたりなりならば受け入れてもらえたようにも思えるが・・・

170: 世界@名無史さん 2007/01/10(水) 02:29:19 0
唐では安史の乱の事後処理で胡面排斥令が出されてガイジン風な風貌していると
殺されてしまっていたから無理。

171: 世界@名無史さん 2007/01/20(土) 00:52:59 0
ササン朝の王子や側近は長安に逃れてきましたが?

185: 世界@名無史さん 2007/07/14(土) 13:59:49 0
中央アジア諸国は、政情や治安の関係で考古学調査がまだ及んでいない地域も
数多いんでしょうかね。
部族社会や軍事上の制約により立ち入れない地域が多いのは世界各地にまだ多いですけど。

186: 世界@名無史さん 2007/08/18(土) 18:01:47 0
砂漠だと遺跡の風化とかどうなんでしょうね

188: 世界@名無史さん 2007/10/06(土) 23:07:23 0
>>186
ほとんど埋まってる遺跡しか残らないから大丈夫。
調査後は埋め戻す。でないとモエンジョダロみたいな
悲惨なことになる。

195: 世界@名無史さん 2007/12/29(土) 07:42:31 0
バグダッドに近いクルドがペルシャ化していないのに、遠く離れたソグドが
ほぼペルシャ化してしまった事は、いささか不可解でありますな。
クルドがペルシャ化あるいはアラブ化せずに、一方ソグドがアフガンの様に
現存していないのは何故だろうか。
ソグドが都市化していたからなのであろうか?

196: 世界@名無史さん 2007/12/29(土) 22:43:25 O
ただ単純にテュルク化したからじゃないの?

197: 世界@名無史さん 2007/12/30(日) 06:05:39 0
>>196
西トルキスタンの成立は、モンゴルの虐殺で都市住民が激減した一方、逃げ回る事が
可能であった遊牧民の方が生きのびられたからなのだそうだ。

199: 世界@名無史さん 2007/12/30(日) 09:21:36 O
>>197
中央アジア史ではパミール以東のオアシス地帯でのテュルク化したのは12~1
3世紀のウイグルの西遷とカラ・ハーン朝成立とされ
パミール以西のオアシス地帯でのテュルク化は16世紀のウズベクの進出とされ
ているみたい
もっともパミール以西ではイラン系は若干ながら生き長らえたらしいけど
間野教授の説では国家形成期のウイグルでの都市的宗教であるマニ教の伝播など
が遊牧生活から都市文明への憧憬を増大させたと言っているね

200: 世界@名無史さん 2007/12/31(月) 09:28:06 0
>>199
チムールの頃は、おそらくテュルク化がまだ完了していなかったでしょうな。
サマルカンドを大都市にする為に、チムールは、ダマスカス、バグダッド、
デリー等遠征地各地から住民を、サマルカンドへ強制移住させたそうですな。

202: 世界@名無史さん 2008/02/17(日) 20:25:59 0
ソグドといえばゾロアスターというイメージですが、ゾロアスター教は鳥葬ですよね?
でもソグドがいた土地の墓所からミイラが大量に出たりしてる。
なぜでしょう?

203: 世界@名無史さん 2008/02/17(日) 20:53:30 0
>>202
ゾロアスターと言うのはアフラマズタ信仰の一宗派でしか無い。
ソグドはアフラマズタ信仰をしていたからと言って、それがゾロアスターであったかどうかってのは別。

205: 世界@名無史さん 2008/02/18(月) 03:11:20 0
>>203
ということはアフラマズダの方が古いわけですね?

206: 世界@名無史さん 2008/02/18(月) 11:28:11 0
>>205
そのとおり
アフラ信仰の起源は原アーリア人種にまで遡り、
ヒンドゥー教の悪神アスラや仏教の阿修羅も同じ流れを汲む

214: 世界@名無史さん 2008/05/11(日) 18:35:10 0
>>206
そのアフラマズタ信仰の原型宗教が何であるかは分かっていないのですか?

215: 世界@名無史さん 2008/05/11(日) 20:36:13 0
>>214
古イラン人の民族宗教。それがペルシア帝国の形成とともに体系付けられ、主神であるとされたアフラマズタが
その象徴である、とされアフラマズタ信仰と呼ばれるようになった。

アフラマズタ信仰から派生した宗教はゾロアスターの他にもたくさんある。ローマ帝国で一時期キリスト教と
勢力を二分したとも言われるミトラ教もそう。

216: 世界@名無史さん 2008/05/11(日) 22:18:22 0
>>215
ゾロアスターはユダヤ教などにも影響を与えたそうですが、
アフラマズタ信仰というのは相当大きな影響力があったのですね。

217: 世界@名無史さん 2008/05/11(日) 22:55:24 0
>>216
そりゃあペルシア帝国、特にアケメネス朝は、当時の文明世界の最大最強最先端の国家ですもの。
その国家の国家思想。あの辺の地域全ての民族が、大きな影響を受けていますわな。

209: 世界@名無史さん 2008/02/27(水) 21:56:47 O
ソグド文字をもとにウイグル文字が作られたんだっけ

210: 世界@名無史さん 2008/02/29(金) 16:04:37 0
ソグド人マニ教徒が使っていた、ソグド文字の草書体から派生したらしい。
> ウイグル文字

ソグド文字にも「楷書」「草書」みたいな区別があって、楷書体は東方系の
アラム文字の影響がまだ強く残っていて、しかも文字同士の続け書きが
あまりされていない。

ソグド文字や初期のウイグル文字は、まだちゃんとアラム文字としての
「アルファベット」が保たれていて、トルファンなどで発掘された文字の練習に
使われたらしい木片や布切れなどには、アレフaから始まってベートb、ギメルg…と
続いて、タウtと続いてラメドl(バクトリア語などの中央アジアの中期イラン語では
l ~ d という音韻変化の影響のためか、ソグド文字では本来アラム文字のlの文字に
d,tの音価を与えて使用していた。これはウイグル文字やモンゴル文字に受継がれる)
で終わる、アラム文字やヘブライ文字と同じアルファベット順に書かれた
「アルファベット表」が良くあるそうだ。


引用元: ・ソグド人について語りましょう


ソグド人と東ユーラシアの文化交渉 (アジア遊学 175)

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