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1: 日本@名無史さん 02/06/02 07:27
古墳時代の豪族達、奈良時代、平安時代の貴族、役人達はくつを履いていた。しかし武士はクツをはかなかった。武士の世になり、クツ履く人口はますます少なくなった。江戸時代、クツを履いていたのは、京のお公家さん数百人くらいだと思われる。奈良時代なら、貴族、官人と地方役人で、少なくとも2-3万人の日本人はクツを履いていたはず。
坂上田村麻呂の軍隊だってみんなクツを履いていたかもしれない。官軍だから。
しかし秀吉の朝鮮出兵軍はみんなわらじだった。そりゃ、みっともないって。朝鮮軍や明軍にバカにされるわ。そりゃ、寒いって、氷点下20度のところでわらじじゃあ。

なぜ、時代がさかのぼるにつれ日本に限ってクツをはかなくなったのか。どう考えたって、ぞうりやわらじよりクツのほうがいいじゃん。

この疑問に答えられる人募集!








5:   02/06/02 08:17
高温多湿の日本では靴は不適。東南アジアのどこかの国のように、大統領自らが儀式以外はサンダルというのが気候に適した望ましい姿。しかし日本では職場で草履はご法度。
裸足に下駄・草履でも構わないとならないかな。その方が自然なんだけど。

7: 日本@名無史さん 02/06/02 08:51
俺は職場にぞうりで行ったら上司にとがめられた。
どうして日本人は職場へクツをはいていくようになったのか。
どう考えたって、クツよりぞうりのほうが春から秋にかけてはいいじゃん。

8: 日本@名無史さん 02/06/02 09:02
>>7
カラカラと笑って、その上司に
「あなたも結局それだけの人か」と言い放ち、
「所詮茨の枝の中は鳳の住む場所ではなかった」
という意味の漢詩を壁に書き付けて去っていったらどうだらう?

15: 日本@名無史さん 02/06/02 11:23
>>8
かっこよすぎるw

338: 日本@名無史さん 03/09/17 05:26
真夏に背広、革靴なのは異常だとそろそろ気が付いても
いいのではないだろうか(苦笑)

360: 日本@名無史さん 04/01/17 14:03
>>338
だね
正装を和服にすればいいのに。
民族衣装が正装の国っていくらでもあるのに。
国際的な会議も和服で参加してさあ、誇りを持って。

352: 山羊 04/01/15 00:04
靴は基本的に袋。木靴は箱。
草履は紐。要するに紐靴のようなもん。
足にしかっりフィットするのは紐でしょ。湿地や山の多い国なんだから実用的なものが使われたのでしょう。

確かに、冬は寒いけれど、冬用の草鞋(名前は忘れた・・)も郷土の歴史館なんかにある。
おそらく坂上田村麻呂も革靴の上に冬用の草鞋を履いていただろう。それなしで東北の冬は無理だ。

それに仏教の影響で草鞋を履くようになったといっていますが、一番最初に仏教に接していた貴族達が靴を愛用していたんですよ。
草鞋のような実用的なものは武士とか、農民とかが作ったのだと思います。その農民が仏教と本格的に接するようになったのは一向宗あたりです。
とても、草鞋に仏教が影響しているとは考えられませんね。

381: 日本@名無史さん 04/04/07 16:13
話は変わるが、

平安時代の貴族は、結婚初夜に娘の親が婿殿の沓を抱いて寝る風習があったらしい。(栄華物語だったと思う)
何でも、「婿殿の足が他所へ行ってしまわないように」という呪いだったとかで。
相手によっちゃ、すげー臭い沓もあったろうにねー。
親ってのは有難いもんだなー、と思わずほのぼのしちゃったよ。

383: 山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM 04/04/10 09:05
>>381
靴は木か革製。抱いていたのは母親でしたか。

403: 日本@名無史さん 04/08/09 12:29
環境的問題もさることながら皮革と藁じゃどっちが手に入り易いよ?
安く大量に原材料が入手出来る商品が主流になるのは(ry

405: 日本@名無史さん 04/09/08 22:43
足袋が登場した頃から、「靴は要らない。靴底さえあればいい」という事になったのだよ。

406: 日本@名無史さん 04/09/08 23:26
はっきり言って、これと言う決定的な原因はないんじゃないでしょうか?
つーか、日本の気候とか、湿った風土とか、そういうものが複合的に絡んで自然と淘汰されていったが正しいんだと思います。

でも使用してるところでは使用してましたよね。
例えば、東北では藁で編んだ藁沓はいてますよね。(昔話で、よくでてくるし)

407: 406 04/09/08 23:30
他にも靴一つに対する生産性とか、靴の概念自体が日本人にとっては消耗品と位置づけられて、結果、ワラジの方が費用対効果が高いとか。。。。

408: 日本@名無史さん 04/09/09 06:40
やっぱり湿度でしょ。
清潔好きな日本人にムレムレ靴は似合わないって。

412: 日本@名無史さん 04/10/10 17:13:02
欧米では、まだよちよち歩きの幼児の頃から、紐つきの靴をはかせます。足先は恥部として人前にさらすものではないという感覚があるらしい。

416: 日本@名無史さん 04/11/06 22:40:35
仏教の殺生タブーの所為で、十分な量の皮革が供給されなくなったためです。歴史における宗教・呪術的側面を軽視してはいけません。

417: 日本@名無史さん 04/11/07 02:17:38
江戸時代でも武士は皮足袋を履いていたようだけどね。皮製だからそれ自体が靴のようなものだから、草鞋や草履は滑り止めみたいなものだろう。吉原の遊女は武士の皮足袋を脱いだ足がクサーと言っていたそうだから。」

428: 日本@名無史さん 05/02/03 11:17:10
草履だけで-20℃の半島に攻め込んだら、数分間で凍傷・壊死が始まり、数時間後には、誰も立っていないと思う。

431: 山野野衾 ◆a/lHDs2vKA 05/03/14 13:51:50
一応、雪が降れば中世から藁沓を履いていましたが、いざ用意出来たのかは分りませんね。

442: 日本@名無史さん 2005/06/30(木) 22:41:29
ところで草履やワラジに比べると、量的に少ないと思われる下駄ですが、何時頃からどのような層に普及したのですか?


444: 日本@名無史さん 2005/07/01(金) 17:16:01
>>442
田下駄なら弥生時代から
普通の下駄は古墳遺跡から出てくる、下駄は権威の象徴だったようだ。
中世から庶民に広まって行った

447: 日本@名無史さん 2005/07/02(土) 21:50:34
世界に目を向けると靴を履くのが一般的。奈良時代も板張りフローリングの上、椅子、机やベットも使われており、現代の生活に近かった。

451: 日本@名無史さん 2005/07/03(日) 09:53:13
蒔絵に見られる平安時代に発展した、畳文化が靴の風習を廃止させたのでしょう。

452: 日本@名無史さん 2005/07/04(月) 09:56:07
というか高貴な人間ではない一般人には、もともとクツなんか関係ない。
あんなつくるのが面倒なものを庶民がはいているわけがない。はだし。
時代が下って登場した草履などの履物のほうがよほど浸透している。

460: 日本@名無史さん 2005/09/27(火) 01:05:12
大河
「雲と風と虹と」 平将門
「炎立つ」    藤原三代
映画 「空海」   

なんか見てみな。みんなクツはいてるぜ。
炎立つは面白いぞ。ビデオ借りてみな。
前編の経清、清衡の時代は、俘囚の安倍一族含めてみんなクツなのに、後編の秀衡、泰衡の平安末期は、わらじになってる。ここに注目してみるだけで面白いぞ。経清がクツで、泰衡がわらじなんだよ。

461: 日本@名無史さん 2005/09/27(火) 01:12:09
ついでにいうと、炎立つでは
前編の源頼義、義家親子がクツで、
後編の源頼朝、義経兄弟がわらじ
なんだな。前編は平安中期、後編は平安末期だ。

464: 日本@名無史さん 2005/10/07(金) 09:51:40
クツ「沓」は元々、朝廷の儀式用に用いて木でできている。
朝廷に直接使えるわけではない武士には不要。
秀吉も参内の時は沓を履いている。


473: 日本@名無史さん 2005/10/27(木) 00:31:49
即出だろうけど一応>>1
動物の皮を素材に使うよね。肉食の国なら手に入るけど、日本は牛などはじめ全体的に獣を食べる量が少ない
だから、日本の靴の素材は木や草などの植物がメイン
武士など動かなきゃいけない者は、木だと不便
軟らかく動きやすい草で編んだ物が動きやすいのでそれを使用するのが自然の流れ
そして、草だと下の部分がすぐに擦り切れてしまう。
ならば、擦り切れる部分を手に入りやすい物で作ればいい→草鞋が便利ってことじゃないかな?

475: 日本@名無史さん 2005/10/27(木) 16:58:54
オランダは木靴で有名だったが、木の靴では歩けても走れないだろうな。

アイヌ人は鮭の皮靴だったらしい。

476: 日本@名無史さん 2005/10/27(木) 19:12:47
東海道中膝栗毛なんかみると、宿についたらまず足を洗う

やっぱ靴だと臭いがきついんじゃないのw

479: 日本@名無史さん 2005/10/30(日) 00:59:59
歩くにのは靴は不要でも、寒い国では防寒のために靴は必要。
日本では、靴の代わりに足袋が普及したんだな。

足袋+草履=着脱可能は靴底付きの靴

480: 日本@名無史さん 2005/10/30(日) 01:04:38
屋内に上がるのに履物を脱ぐのも日本特有ですね。

481: 日本@名無史さん 2005/10/30(日) 17:48:36
>>480
日本の座敷に敷き詰められている畳は、本来ベッドのマットレス。
ここで履物を脱ぐのは当然。日本でも土間では履物を履いたままである。

484: 日本@名無史さん 2005/10/30(日) 20:20:25
>>481
板間でも履物脱ぐよ。

485: 日本@名無史さん 2005/10/30(日) 22:12:31
>>484
高床式の住居の特徴だろう。

486: 日本@名無史さん 2005/10/31(月) 00:51:22
>>485
なんで高床式だと脱ぐのよ。

487: 日本@名無史さん 2005/10/31(月) 23:54:30
だいたい、東南アジアの高床式住居の民族は、屋内では履物を脱ぐ。

高床式の住居は、床が地面とはなれていて清潔だから、裸足が相応しいのだよ。

489: 日本@名無史さん 2005/11/02(水) 00:00:55
床板のでも裸足の方が居易いよ。
特に西欧や大陸内部に比べて湿度高いし。

518: 日本@名無史さん 2005/12/11(日) 23:20:51
アラブ諸国の都市やイランやトルコの内陸でも民家の室内に入る時は靴を脱ぐ。
モスクでの礼拝は基本的に所定の作法で足や顔を洗い、モスク内に入る時、靴を脱いでから礼拝を行う。ちなみにイランやトルコの内陸では冬場に掘り炬燵を使用していて、日本のメーカーの電気炬燵が使われてるとか。
もちろん靴を脱いで炬燵に入る。

530: 日本@名無史さん 2006/01/15(日) 17:54:03
律令時代は平均気温が低かったけど後の時代は暑くなったからじゃ?

542: 日本@名無史さん 2006/01/18(水) 23:11:15
>>530
律令時代も役人は靴を履いていたけど庶民は下駄や草鞋履いてた人もいたらしい。
都の市なんかでも売られていたらしいし。といっても履いてるのは少数で大半は裸足だったらしいけど。

531: 日本@名無史さん 2006/01/16(月) 12:39:13
推測だが
庶民が手に入れるには金と手間がかかり サイズを合わせるのも面倒な靴よりも藁とかの素材で自作も可能でサイズも適当でいい草鞋や草履が普及したのでは?


532: 日本@名無史さん 2006/01/16(月) 13:09:41
靴を履かなくなったのは農耕の為ではないか?
武士は農民上がりだから、靴を履かない。

534: 日本@名無史さん 2006/01/16(月) 17:18:07
津軽為信は大光寺城を奇襲した際かんじきを用いて攻めたって聞くな

546: 日本@名無史さん 2006/01/25(水) 17:23:50
藁靴、草鞋は俵や筵の様な藁製品の技術で自作できる。
荒縄に藁を編み込むだけでいい。当時の農家なら誰でも作れた。
藁材としてリサイクルできるし馬にも履かせられる。

現代と違い当時の日本のほとんどの道路は山岳と急流と泥沼をぬって歩いた。
へたなボロ靴を履いていたら逆に危険だし不経済。
防寒に必要な地方は靴が残ったと考えれば自然では。

548: 日本@名無史さん 2006/01/31(火) 22:20:42
>>546
>現代と違い当時の日本のほとんどの道路は山岳と急流と泥沼をぬって歩いた。

北海道はそうかもしれないが、本州以南ではそうとは思えません。
「当時」というのがいつごろのことかにもよりますが、律令以降の時代であれば、基本的に日本人は平地に住み、稲作等をして暮らしていた訳で、水田以外は、乾いた平地を歩くことがホトンドですね。

>防寒に必要な地方は靴が残ったと考えれば自然では。

それはそんな感じと思いますが、「残った」というところがどうも。
始めに靴を履いていたような言い方ですが、そうでしょうか。

549: 日本@名無史さん 2006/02/03(金) 09:36:57
>「当時」というのがいつごろのことかにもよりますが

60年以上前の日本全土。乾いた平地は高台の一部市街地だけ。
現代っ子には想像できないかもしれないが一昔前は東京ですら道は坂道だらけで雨が降ったら何日も泥水だらけ。荒れ地湿地が結構残ってた。

555: 日本@名無史さん 2006/02/04(土) 09:47:32
そういえば昔は牛に草履を履かせてたみたいね

556: 日本@名無史さん 2006/02/04(土) 16:49:31
滑りやすい所では馬に草鞋とか履かせたみたい。まだ蹄鉄は無かったはず。
雪国では馬に草鞋や脚絆も付けた。
田舎の郷土館なんか行けば見れるかも。

557: 日本@名無史さん 2006/02/10(金) 22:50:17
江戸時代以前には蹄鉄はありませんね。蹄鉄は明治以降です。
浮世絵にも、馬に草鞋を履かせた絵がありますよ。

563: 日本@名無史さん 2006/04/05(水) 13:35:24
わらじは痛んだらすぐ取替えができる、というか新品の調達が靴に比べて限りなく容易

570: 日本@名無史さん 2006/04/13(木) 06:18:45
オレの死んだばーちゃんが、よく草鞋作ってたよ
じーちゃんが趣味で、鮎の友釣りとか行くとき、地下足袋に草鞋をはいてた。
そうすると、ゴム底の靴とかより、グリップが効いて川苔のはえた岩とかでも滑らなかったそうです。

そのばーちゃんが、草鞋つくるのにおよそ20分もあれば一足出来上がってたから、昔の慣れた人なら短時間で、作れたんだね。

だから、痛むと修理の大変な靴より、消耗してもすぐ替わりを調達(作成)できる草鞋のほうが日本の気候風土に合ってて、靴が廃れたんだと思う。

578: 日本@名無史さん 2006/07/04(火) 22:13:16
ところでブラジルではビーチサンダルが日常的な履物として普及しているらしい。
その起源はじつは日系移民が履いていた草履だったという。

583: 日本@名無史さん 2006/07/14(金) 19:07:25
明治5年3月に兵部省は弾直樹に年間12万足の軍用靴を10年間製作する様に命令した。
前年2月にアメリカ人のチアレンス・ヘニンゲルって職人かマイスターを月160$で一年間の契約で靴製造のノウハウを研修している・

前年に施行された賤民開放令に伴い、タダで牛革を集めることが困難だったし斃牛馬の捨て場も閉鎖され復活及び諸獣皮取扱会社の設立を嘆願。

渋ってた東京府は軍部の圧力もあったのだろう、明治6年9月2日付けで郊外に皮取剥ぎ場を40ヶ所開設した。

同じ時期に政府が必死になって牛肉食を民間に奨励、天皇も明治5年1月24日に喰ってアピールする。要するに牛革取得と脚気でトロい国民じゃ兵隊に不向きだから改善目的だろう。

明治政府が必死になって軍装を一新させたことを考慮すれば使い捨ての兵隊なら草鞋で問題ないだろうが、熟練兵を整備して軍隊として機能させるには軍用靴が必須と悟ったか、軍事顧問から指導されたんだろう。


明治6年の相益社って取扱会社は半年で全国から牛革7183枚を確保、ただし324円の赤字だそうだ。翌年は年間29503枚確保して2684円の黒字になった。一枚平均60-70銭前後とのこと。
同社の秋田支部は明治7年の記録によると7ヶ月で牛400枚、馬5100枚とか
587: 日本@名無史さん 2006/07/14(金) 21:50:00
>>583
牛肉を食べても脚気はあまり良くならないよ。豚肉ならば劇的に改善されるがw
牛肉食の推奨に日本人の体格向上という意図があったことは事実だけど。
欧米白人がデカイのは獣肉を食うからだという推測で、あながち間違いでも無い。

脚気に関しては皮肉なことに、帝国軍隊(特に帝国陸軍)は、故郷では雑穀食いで脚気と無縁だった農民兵に白米食を供することにより軒並み脚気に至らしめることになってしまったという皮肉な話がある。(森鴎外などは死ぬまで脚気は伝染病だと信じていたくらいで、
脚気が食物に起因することは明治初期には全く知られていなかった)

588: 日本@名無史さん 2006/07/22(土) 16:45:16
軍用品としてならば草履なんて足の指や爪を傷め、負傷兵が続出する。

坂上田村麿の頃は朝鮮帰化兵が主体だったから革靴、消耗してもその後
補充兵が来なくて年老いて自然消滅。平将門の頃は現地応集兵になる、指揮官は輸入品か帰化人が製作した靴、兵隊は草鞋。

将門が反乱起こしたので元々革嫌いの朝廷激怒、迅速な行動力を発揮する靴の製作か革剥ぎを禁止、武士の指揮官のみ革で足を包むのを承認。

こんなところじゃないか?記録なんてないし推測だが、現地人武装勢力の行動を阻止したい意向を朝廷は持ってただろうし、国民が肉食してなけりゃ全兵力に行き渡る程の革は斃牛馬からの剥ぎ取りでは困難だろう。

明治政府になって慌ただしく軍靴の製産を督促したのは何も軍事顧問団から遅れてるってプゲラされたからでもないだろう。

接近して銃剣付銃で一斉射撃、即座に突撃する当時の最新戦術では突っ込む最中に剥き出しに近い足の指・爪を傷めたら脱落するし、当時の朝鮮派兵が予想される時期に糞尿垂れ流しの悪路に草鞋じゃ兵隊も嫌がる。

従って水虫とか蒸れるとかではなく、当時の貴重な革の製産&製作に国内能力が追い付かなかったか、朝廷の仏教理念から革関係を毛嫌いしていた事情だと解釈するのが妥当。

589: 日本@名無史さん 2006/07/23(日) 09:50:01
江戸末期に書かれた守貞謾稿には沓(革製)として足袋沓・綱貫沓・朝鮮沓があり、底の踵を補強してあって朝鮮沓のみ前も補強。

常用していたのは下賤民とか、足袋・朝鮮沓は1分2朱(1両6万と考えたら2万3千円)、かなり高価だし耐久性に難があったとか、1年程度しか使えなかったらしい。
綱貫は2朱、8千円くらいだろう。

当時の草鞋は10~36文程度で、1文20円計算すると200-720円。海軍操連所の講習生の中には洋靴を履いていたのもいたらしい。

591: 日本@名無史さん 2006/08/09(水) 22:46:15
ワラジは、2足セットを3文で売っていた。
タダみたいに安いものの例えで、「にそくさんもん」という訳だな。

601: 日本@名無史さん 2006/11/06(月) 07:58:37
田んぼやってる限り、靴はだめだよなあ。

602: 日本@名無史さん 2006/11/06(月) 09:33:40
田んぼでは田下駄というものを履いていたそうだが。

 下駄は一種の木靴と言えないか。

647: 日本@名無史さん 2007/09/27(木) 18:31:51
昔の足袋は革で出来てたり、布足袋でも底を強化してたのが多く
足袋はだしで歩くのも普通だったから
薄っぺらな靴みたいなもんなんじゃない。

引用元: ・なぜ日本人はクツを捨てたのか



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