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1: 世界@名無史さん 2009/11/20(金) 17:08:35 0
キングダムスレで本当は始皇帝の悪評は後世捏造されたものなんだと聞きました
阿房宮とか兵馬俑で民が疲弊したの言うのも捏造らしいのですが
誰が中心になってどうやってそれを行ったんでしょうか
捏造は歴史学が避けては通れない問題だと思います








2: 世界@名無史さん 2009/11/20(金) 17:13:57 0
兵馬俑が捏造って何

3: 世界@名無史さん 2009/11/20(金) 17:16:49 0
大規模な国政工事で秦の人民が疲弊して反乱に繋がったという説が捏造だという意味です
遺物自体の存在を否定するものではありません

111: 世界@名無史さん 2009/12/28(月) 21:29:38 0
始皇帝再評価というと文化大革命が思い浮かぶ

114: 世界@名無史さん 2009/12/29(火) 20:14:24 0
土木工事じゃなくて趙高の悪政が原因じゃね

119: 世界@名無史さん 2009/12/30(水) 05:12:59 0
ただ歴史書は儒者の立場から捏造された可能性があるからなあ
焚書坑儒を恨まれてるんだよね始皇帝は

121: 世界@名無史さん 2009/12/30(水) 15:54:59 0
>>119
その前に『坑儒』自体が儒者がことさら大きく騒いでるだけで、儒者だけが殺された訳ではない。
実際には儒者で有る無しに関わらず、政策に反対する者は皆殺された。のちに儒家が主流になってからその事件を『坑儒』と呼ぶ事にした。つまり怨んでるのは儒者だけではない。みんなに怨まれてるのに名君か?

122: 世界@名無史さん 2009/12/30(水) 17:18:02 0
>>121
お前は綺麗ごとだけの皇帝が名君だと思ってるのか?
舞妓の子供ながら若くして呂不韋を退ける怪物政治力
六国をアッサリ滅ぼす軍事的判断力
全てが人間離れした怪物
始皇帝の果たした役割は中国史上でもダントツだぞ
そんな綺麗綺麗な善人君主が好きなら劉秀や超教員でも必死に崇拝してろ

127: 世界@名無史さん 2009/12/30(水) 23:16:08 0
>>122
むろん綺麗ごとだけでは済まない。しかし本人が死んだとたんに反乱が頻発して王朝が倒れるなんて名君とは言えないだろ。

130: 世界@名無史さん 2009/12/31(木) 01:57:33 0
>>127
始皇帝本人生きてる間の反乱はほぼ完全に押さえ込んでる

端的に言うと始皇帝は自身が有能で勤勉過ぎたが故に後継者が無能で怠惰である可能性を考慮しなかった
日に30kgの書類を決裁し、統一後も各地を精力的に行幸して治安維持に努めた

本来、秦のシステムはもっと小さい国しか統治できないものだったのに始皇帝個人があまりにも有能だったがために、中華統一なんてしてしまった

だから怠惰で無能な二世皇帝が即位すると統治システム、治安維持システムが即座に破綻する
本人が死んだ途端の反乱続発王朝滅亡ってのは始皇帝の場合、本人の有能さの証明にしかならんのよ

134: 世界@名無史さん 2009/12/31(木) 08:27:34 0
>>130
反乱が頻発する事自体が治世が不安定な事を示している。始皇帝が有能だったのは認めるが、有能と名君は違う。民心を安定させる事は名君・賢帝の必要条件の一つ。

後継者の事を考えなかったと言うが、劉邦のような成り上りならともかく始皇帝は何代も続いてきた秦の王としてお粗末。そういう先例もたくさんあるけど名君とは呼ばれない。

統治システムの件は始皇帝のお気に入りの韓非の理論が救ってくれる筈だったが李斯の献言で殺してしまったのは始皇帝。

136: 世界@名無史さん 2009/12/31(木) 17:50:59 0
>>134
何代も続いてきた秦の王だからこそ「君主ならこのくらい出来て当然」という思いに囚われる
そのように育てられて来たし、後継者と目される息子はそのように躾けて来てる
二世皇帝となった胡亥はともかく、長子嫡男の扶蘇は対北方民族の防衛に当たりミスもせずしっかりこなしてる

史記では「怒りを買って僻地に飛ばされた」という風にしたいようだが
その時代、そこは秦にとって最大の懸案事項
むしろ後継者だからこそ北方民族対応を任せているわけだ

始皇帝は「後継者が無能」なことは考えていなかったし
始皇帝生前に想定された後継者は「有能だった」

143: 世界@名無史さん 2010/01/01(金) 18:12:16 0
正直趙高も胡亥も始皇帝の生前には楊堅に対する煬帝のようにかなり大人しくしてたから全く警戒されてなかったんじゃないかな?
事実それまで噂程度を除くと主だった行動は起こしていないしまあそれでも李斯の性質の欠点を見抜けなかった不明はあるけど

144: 世界@名無史さん 2010/01/01(金) 23:22:25 0
始皇帝は国内の文字、単位なんかの統一に取り組んでるし国内の安定を図ってたのは事実
さらに南越を平定して南海貿易のための交易路を確保、経済的な安定も齎してる

遺書捏造の対策は大臣
大臣が裏切ったのでしくじっただけ
李斯も趙高も「空前の統一帝国を動かす」という欲望に始皇帝生前とは違う性質がでてもそれは始皇帝のせいじゃないというか、同じ状況に出くわせば大抵の奴はそうなるしそれを生前に見抜けってのも無茶
始皇帝は上でも書いたように「秦王国」の統治システムで「秦帝国」を運営しているわけで帝国の運営に不向きだった事に気付けなかったというのはトライアンドエラーの繰り返しだった人類史の中では普通のこと
とりたてて咎める点ではないし、この始皇帝の失敗があったからこそ漢高祖が次代に成功できたとも言える

146: 世界@名無史さん 2010/01/02(土) 21:12:21 0
>>144
道徳で統治してないから始皇帝が死んだあとは李斯に限らず裏切りが多発してるね
国が危うい時は命をかけて奉公するのが忠臣だが儒教を否定したツケが回ってきた感じ

147: 世界@名無史さん 2010/01/02(土) 21:18:24 0
>>146
そもそも儒教が前漢の武帝前後から一般化したってのに
それを軽視するとかマジ意味わからん

秦の時代の儒教って帝政ローマ初期のキリスト教同様、物凄いマイノリティだよ
その後にマジョリティになって、マイノリティ時代に弾圧した人が悪く書かれるのはお約束

149: 世界@名無史さん 2010/01/02(土) 21:45:08 0
胡亥には後に漢朝の礼儀を大成する
叔孫通が仕えているけど、儒学を軽んじた秦の朝廷で一体どういう役回りを演じていたんだろう?

152: 138 2010/01/04(月) 08:10:46 0
扶蘇の件。どう考えても扶蘇の死に方はあっさりし過ぎだ。扶蘇が生きていれば胡亥に対抗する事も出来た可能性も有るけど、あんなあっさり死んでしまっては誰にもどうする事も出来ない。蒙恬がちゃんと止めるべきだったのにホント役立たず。

趙高の悪巧みがうまく行ってしまった一因は公子たちを封建して一定の武力を持たせておかなかった事だな。その点、漢はちゃんと学習してる。(呉楚七国の乱も起きてるけど。)

一般に『天下統一したから始皇帝スゲー』って事になってるけど、即位した時点で既に一強六弱の状態で、余程のボンクラでなければ統一できる状態だった。統一後の反乱の鎮圧には始皇帝のカリスマが必要だったと思うけど。
その後の文字や度量衡の統一などの政策は李斯の発案であろう。郡県制もそうだし。始皇帝の発案は『皇帝』の号くらい?

以前、焚書について読んだ時に「愚民政策じゃね?」って思った事が有った。韓非子にも老子の思想を換骨奪胎して愚民政策として読み解いて利用してる箇所が有る。当時の法家に共通の思考なのか?

153: 世界@名無史さん 2010/01/04(月) 15:15:43 0
>>152
「秦」という国が統一できたとしても「秦王政」が統一できたかはわからない
そういう意味で、始皇帝ってのは稀有な統率能力で秦をガッチリと纏め上げてたし
ボンクラじゃチンコ芸人とビッチ太后にぶっ殺されてただろうさ

それに、一強皆弱でも信陵君の時のように連合組まれたらどうしようもないわけで
ちゃんと配下を使って謀略戦で勝ってるから実戦でも勝てる

始皇帝の統一事業はそんな楽な道のりじゃないよ

154: 世界@名無史さん 2010/01/04(月) 17:00:47 0
春秋五覇だって過去にいたけど天下取れなかった
実際李牧や項燕や春申君に苦戦しており、その道は容易ではない
漢の封建制はむしろ失敗ではないか
結局内戦や緊張関係のもとになってるだけ

155: 世界@名無史さん 2010/01/04(月) 17:43:08 0
でも漢は呂氏が専横しても劉邦が言った通り陳平や周勃の活躍によって倒れなかった
呉楚七国の乱が起こっても逆にフルボッコにして、結局漢は倒れなかった
武帝の時代には匈奴をゴビ砂漠へと追い返した

一方秦は農民が反乱を起こしただけでガタガタになり、たった一人の奸臣により内部は崩壊
あっさり倒れた

しかも劉邦は戦場を駆け回り矢が刺さっても逆に兵士を心配させないよう平気なふり
一方始皇帝は荊軻にビビッて逃げ回り、法律のせいで誰も助けてくれず、医者の機転に救われる始末
しかも戦咸陽でぬくぬくしてただけで、老臣の意見を聞かずに李信に20万だけ持たせて惨敗
そしたら「秦が滅んじゃうよー」とビビりまくり、頭を下げて将軍に復帰するよう頼む始末
しかも信用されてないから、「褒美の催促しとけばいいんじゃね?」、と舐められてる

王者ではあっても為政者ではなかったのさ

156: 世界@名無史さん 2010/01/04(月) 17:46:27 0
>>155
20万だけ持たせて惨敗しても全然気にせず60万出せる秦の国力にびびるところだろ、そこ

157: 世界@名無史さん 2010/01/04(月) 18:00:01 0
>>156
60万はほぼ秦の全兵力だよ
むしろめっちゃ国力を気にしてたから出せなかった
兵士百万戦車千両と言われる楚を相手に
いかに精鋭とはいえ20万でいけると思ったところはろくに戦場に出てない軍事の素人でしかない

174: 世界@名無史さん 2010/01/04(月) 23:07:10 0
始皇帝の隠れた業績を広めよう

・戦国時代に各国が河川を操って敵国を苦しめようとしていた堤防を
始皇帝が壊し、そのことを石碑に刻ませた
・世界最古ともいわれる運河霊渠を築いた
・琅邪の港町に12年間の免税を提示して3万戸移住させた
・始皇帝が即位してから死ぬまで内戦がなかった(劉邦と大違い)
・王家や蒙家などの功臣を粛清せず重用した(劉邦と大違い)

175: 世界@名無史さん 2010/01/04(月) 23:21:11 0
>>174
>・始皇帝が即位してから死ぬまで内戦がなかった
その分次の世代で荒れ放題。

>・王家や蒙家などの功臣を粛清せず重用した
その分次の世代で粛清し放題。

懸案を先送りしただけ。じぶんでやれ!!

176: 世界@名無史さん 2010/01/04(月) 23:52:08 0
>>175
内戦つーか反乱討伐は始皇帝の間もずっとやってたよ
次の世代に荒れたのは討伐できなかうなったから
懸案を先送りにしたんじゃなくて二世皇帝が無能で統治機構が機能しなかった

二世皇帝の粛清祭りは完全に内訌で狂ったから
判ってる範囲の秦のシステムだと別段、処刑する必要なかった

178: 世界@名無史さん 2010/01/06(水) 00:31:56 0
反乱や謀反というか、越族討伐とか言って南方の山岳地帯に遠征軍送ってたな。
相手は国家じゃねーのに、勝利条件がはっきりしないなかうだうだ戦いが続いていた
ような。アフガンに遠征かました旧ソ連みたいだな。
蒙恬とともに北方へ送った30万の軍勢も、始皇帝が死ぬまで帰ってこれんかったろ。
多分、匈奴相手にダラダラと戦争し続けてたんだろう。

「兵は拙速を聞くも、未だ巧久を見ざるなり」の孫子から見れば、延々と長期戦やってた
始皇帝は失格皇帝。

179: 世界@名無史さん 2010/01/06(水) 00:37:18 0
>>178
いや短期戦で異民族を追いやるとか無理だし
先にガツンと叩いといてあと地道にコツコツって手段じゃん

180: 世界@名無史さん 2010/01/06(水) 00:53:04 0
>>179
で、長期戦により国は確実に衰退していくと。
人類の歴史上最強国家であるアメリカ様ですら長期戦には耐えられないのだが。
ベトナムではどうなったか。

181: 世界@名無史さん 2010/01/06(水) 00:59:25 0
>>180
そういう長期戦ができなくなった時、中華王朝が終わってくわけだから間違っちゃいないが
漢武とかもそうだけど対異民族で色々やると一気に左前になったしな

ただ始皇帝の場合、だらだらやって国家が疲弊したと言う話は聞かない
むしろ南海貿易を確立させてプラスだったぽいよ

184: 世界@名無史さん 2010/01/06(水) 12:38:35 0
南越は始皇帝死後に派遣官吏が独立したぐらいだから
蛮族の力は弱かったんじゃね
蒙恬がオルドスを平定してから大きな戦いは起きていない

186: 世界@名無史さん 2010/01/06(水) 22:26:38 0
>>184
オルドスを平定したというか、常時30万の軍勢を張り付けておかねばならなかったんだから平定ではないような。イラクやアフガンを一応は統治してはいるが、いつまでたっても撤兵できない今のアメリカ状態だったんではあるまいか。
そもそもオルドスまで遠征する必要はなかったと思われる。農業経営が当時の技術ではまず無理な土地柄なんだから。

187: 世界@名無史さん 2010/01/06(水) 22:54:47 0
>>186
叩いておかないと常に略奪に来る連中だから、遠征の是非は是でいいと思うよ
領土的な遠征じゃないから領土確保のためにマンパワー取られて国力が磨り減るってわけでもないしね

189: 世界@名無史さん 2010/01/08(金) 21:02:48 0
>>187
始皇帝は、月氏や丁零らと同盟して、匈奴の退路を断つべきだったのでは?包囲しなかったので、匈奴を捕捉出来ず取り逃がす事となってしまった。かのペルシアのダレイオス1世のスキタイ遠征と類似の状況だった思われる。ダレイオス1世は、サウロマタイらと同盟したのならば、東西からの挟撃で、スキタイを捕捉出来たであろう。
いわゆる遠交近攻であり、この時代の常識だったはずなのだが、始皇帝は何故単独で仕掛けたのだろうか?おそらく、丁零はばらばらの部族だったと想像されるが、月氏は王国であったとされかなり有効な戦力になりえたと思われる。

201: 世界@名無史さん 2010/01/10(日) 03:02:05 0
>>186
始皇帝は、単なる領土拡大ではなく、国土を建築のように考えていた点で、ローマのアウグストゥスに共通しており、また先んじていたとされる。
始皇帝とアウグストゥスは、敢て寒冷なオルドスやゲルマニアを併合したが、それは国境線の短縮して防衛し易い国土の建設する為であったとされる。さらに、共に早過ぎた征服であった事もまた共通であったようである。オルドス併合は、始皇帝の治世より後、匈奴が陰山の辺に定住した頃ならば、以後永続したであろう。

ローマ場合、アウグストゥスの治世当時、まだガリアも人口希薄であり、ゲルマニアを併合してもかの地を開拓する人的資源に欠いていたとされる。人口増大の五賢帝時代ならば、ゲルマニア開拓も現実的であったとされる。残念ながら、アウグストゥスの後継者の多くは、国防よりもペルシャの富に幻惑されていたようである。第二のカエサルとなるよりも第二のアレクサンドロス大王となる事が皇帝らのステータスとなり、ローマは自滅したとされる。アウグストゥスの意図は、実に800年後のフランクのカール1世により、ようやく実現したとされる。

始皇帝とアウグストゥス、ともに意図した事は最終的に正しかったのだろうが、両者ともタイミングが最悪であった・・・

198: 世界@名無史さん 2010/01/09(土) 19:01:19 0
まあ、儒者に恨みを買ったのは痛かったってことだろうな
ネロと同じ
特に中国史は捏造の度合いが世界でもトップだから酷いことになってる
暴君ネタが捏造されすぎw

203: 世界@名無史さん 2010/01/10(日) 09:05:39 0
民を富ませば王の国となり、武人を富ませば覇者の国となる。
官僚を富ませば存続するだけの国、王を富ませれば滅亡の国となる。

始皇帝の政治、軍事の師といわれる尉遼子の一節。

206: 世界@名無史さん 2010/01/11(月) 18:24:32 0
>>203
建前としてはいつの時代の、どこの、何国の人であろうと同じこと言ってるよ。
珍しくもないし、陳腐と言っていい。
中国はもちろん、インドでも、中近東でも、地中海でも同じことを言ってる。
王様ぜいたくしまくりでもいいぜ!イェー、なんて前衛思想家は見たことないな。

言うだけなら誰でも同じことを言うが、現実にできるかどうかが政治。
大抵のやつは現実にできない。
始皇帝は民を使いまくりだったイメージがあるが。

207: 世界@名無史さん 2010/01/11(月) 20:01:08 0
そのイメージが捏造だったんじゃないの?
使いまくりと言っても工事は戦争に参加してた兵士たちの雇用対策という前衛的行為だし
太平の世ではそれぐらいしないと国内が荒れるという状態

208: 世界@名無史さん 2010/01/11(月) 23:35:48 0
いや確か刑徒を動員してる。文献にもそう書いてるし、始皇帝陵の近くで労務者の墓が発掘されているが、足枷とかされたまま埋められてたり、刑徒が使われていたことが証明されてる。

それにね、始皇帝に関わる遺跡だけ異様に規模がでかすぎると思わんか?
始皇帝以後に匹敵する規模の遺跡を残せた皇帝は一人もいないと思うぞ。
おかげで海外では始皇帝だけが異様に有名になってる。張り合えるのはチンギス・ハンだけ

214: 世界@名無史さん 2010/01/12(火) 04:40:16 0
>>208
刑徒だけじゃないだろさすがにw

216: 世界@名無史さん 2010/01/12(火) 06:23:14 0
>>214
刑徒だけじゃないにしろ、『戦争に参加してた兵士たちの雇用対策という前衛的行為だし』
ではないだろ。

211: 世界@名無史さん 2010/01/12(火) 01:00:26 0
不老不死もバカにされちゃうけど
あの張良も漢の武帝もやってるんだよね

217: 世界@名無史さん 2010/01/12(火) 18:47:17 0
ふつう徐福みたいな詐欺師を簡単に信用するか?しかも二回も。馬鹿だろ。

218: 世界@名無史さん 2010/01/12(火) 20:48:05 0
>>217
いやー、中国で錬金術に凝った皇帝は山ほどいるので、それだけは始皇帝だけを責められない。唐代末期の皇帝なんてほとんどが丹薬の飲み過ぎで健康不良だったというから。漢の武帝も錬金術に凝って呪術に凝って太子反乱事件まで起こした。
始皇帝はあれでもましな方かも。

270: 世界@名無史さん 2010/01/22(金) 04:50:29 0
始皇帝って一代で六国も滅ぼしたけど
この侵攻がもうちょっと緩やかなら統一期間は長かっただろうか
まあ、その場合は始皇帝という名前も無いんだろうが

271: 世界@名無史さん 2010/01/22(金) 08:40:15 0
>>270
始皇帝の3代くらい前から既にもう緩やかな統一前状態だったもんで
1代で~という言い方はどうかと

戦国七雄の六国だけでなく周とかも含めるともうちょい幾つか滅ぼしてる

381: 世界@名無史さん 2010/05/10(月) 18:13:46 0
秦帝国って唐帝国やモンゴル帝国になんかそっくりだよな。
広大な領土を持って、国内には様々な民族が住む。
それでもって実力主義で能力や才能があれば自国民だろうと
異民族であろうと官僚や軍司令官へと昇格できる
(モンゴルの場合、例外もあったが。)
隋唐もモンゴル同様騎馬民族国家とされているが
秦も何らかのかかわりがあるのかな?

404: 世界@名無史さん 2010/08/03(火) 00:12:05 0
始皇帝が悪人にされたという説が本当なら、その理由は・・・
1 死後すぐに秦が崩壊してしまったこと
2 漢の天下を正当化するため、前王朝が悪である必要があること
3 急激な改革に人民がついて行けなかったこと

このくらい?

始皇帝でなくても先祖の備蓄のおかげで誰が王でも全国制覇は出来たでしょう。
とするなら、先祖の遺産を僅か1代で食いつぶしたところに悪評の原因がありそうです。
長く国を保てなかったから。

引用元: ・始皇帝の本当の姿 ――後世に捏造された悪評

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