800px-Kakizaki_Kageie



1:   2006/07/14(金) 00:08:52 ID:KHxkBJQm
上杉の先鋒大将というくらいだから強そうですが、どうだったんですか?
逸話・情報の類求む。








2: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/14(金) 00:25:06 ID:4Z+8JTqC
「天と地と」を100回読めばいいと思うよ

3: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/14(金) 00:38:23 ID:4rcEX9bp
>>2
「天と地と」は地元で忌み嫌われてる小説だよ。
景家を女狂いの粗野な武将に描いた偽書、謙信公への忠節をねじ曲げた江戸時代の軍記書に依拠したトンデモ本だと。
じっさいは、上杉謙信の奉行人として治世にも尽力した文武両道の人。

6:   2006/07/14(金) 00:47:40 ID:KHxkBJQm
>>3
ありがとうございます。

でも、最後は信長に馬を送られたことを黙っていて謙信に処刑されたともいわれていますが史実は・・・?

7: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/14(金) 00:53:34 ID:4rcEX9bp
>>6
「北越軍記」や「北越軍談」など江戸時代の小説に「謙信に処刑された」と書かれてますが、晴家が謙信末期の「苗字尽くし」にあることから、史学界では否定されてます。ついでに↓柿崎氏の系譜など。

http://www2.harimaya.com/sengoku/html/kakizaki.html

9: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/14(金) 10:55:08 ID:x0REMVHk
>>6
史実だと1573年に普通に病死しています。1571年に処刑されたのは江戸時代のデマですね。
夫婦仲がとても良く、地元民には今でも夫婦揃って愛されてます。
薬の調合に長け、民が病気になると自ら山に薬を取りに行って煎じて飲ませたなんて逸話もあります。
今でも柿崎公単体で祭りがあるぐらいで、悪く言う人はまずいないんじゃないかと。
8月には柿崎町で柿崎祭りがあるので是非行くといいですよ!

138: 人間七七四年 2007/11/29(木) 17:56:15 ID:ur5xcPm1
>>9 
景家が処刑/切腹されたと伝わったのは、御館の乱で景虎側に付いた子の晴家の誤伝かな?

10: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/14(金) 11:15:34 ID:xekfC7+e
吉良みたく講談の犠牲者なんですねえ

11: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/14(金) 12:01:40 ID:2uIMaxM1
>>10さんの言われるとおりで、信長の知略を飾る講談の材料にされたのですね。
歴史本なんかには今も堂々と誅殺説が史実の如く載せられています。
上杉の家臣団て歴史的にあまり興味のない対象なんですかね。

17: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/14(金) 15:41:29 ID:KWNj/8k4
景家祐家父子が討たれて晴家病死説、景家は病死で晴家が討たれた説、みーんな病死説、みーんな討たれた説。
死んだ年も3人で天正2年から天正6年の間でバラバラ。
最終的に家督を嗣いだ憲家の系図上の位置すら怪しい。
親子2代を混同しちゃったのかワザと誤魔化してるのか。

23: 中条藤資 2006/07/14(金) 21:44:40 ID:kc6Z4VlI
御館の乱の時に猿毛城で柿崎の遺臣同士がお家の再興をかけて戦ったという。
結果、憲家を立てて柿崎家は再興されたわけだが、そうなると何らかの騒動があり、それによって柿崎家は取り潰されたと推測できる。
こうなってくると>>17さんの指摘の通り、取り潰しの対象人物が誰なのかということになる。年もたいへん曖昧で不自然であるが、「北越軍記」等より信憑性の高い「上杉家軍役帳」や、「上杉家中名字尽手本」には晴家の名がみられるということは、景家没後、家督を継いだ晴家時代に起こったとみるのが近いのではないだろうか。

24: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/14(金) 22:03:08 ID:4rcEX9bp
>>23
晴家の動向をしめす天正5年末~6年3月の史料がないので、柿崎氏に何かあったことを想像させる(これが軍記書のモチーフ)
「定本・上杉謙信」では「謙信と柿崎氏が争ったという史料も残されていない。この柿崎氏の近世史流にいう改易が平和裡に行われたとすれば、謙信の家臣団統制の向上ぶりを見ることができる」
(西澤睦郎)となっている。景勝における直江家の改易みたいな?

猿毛城で争った柿崎遺臣って、誰々?

27: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/15(土) 20:41:27 ID:Xa6mmO0/
晴家は小田原北条と関わりがあったから、その縁でか三郎景虎擁立の動きがあって、それを察した景勝派に暗殺されたんじゃないか。

30: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/18(火) 10:44:46 ID:dqABQyne
第1次・4次川中島での先鋒としての奮闘ぶりは、どれほどだったのでしょうか?

31: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/18(火) 12:42:13 ID:SSrCDj1d
諸説はあるけど、諸角、信繁、勘助を討ち取っている。

32: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/18(火) 15:32:27 ID:ZozRKDF/
信繁は村上義清に討ち取られたんだと思ってた。
まぁ、書く側の立場でほんといろいろと諸説あるんだろうね

33: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/19(水) 01:12:48 ID:fqOx4R4x
史料自体があまりないな。信憑性に疑問多々あるが「上杉年譜」「甲陽軍鑑」(両書とも江戸時代に編集されたもの)あたりからうかがうしかない。


34: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/19(水) 15:21:45 ID:gi4h2fCV
第四次だと、柿崎隊っていちど突き崩されかけてなかった?

37: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/19(水) 21:47:34 ID:h6Ao/NUQ
>>34
諸角討ち取り信繁討ち取り、深追いして飯富と馬場に阻まれた。
色部の援護があってなんとか一時退却。ホントかどうか分らないけどね。

38: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/20(木) 13:11:38 ID:iZBnCTsf
「川中島五戦記」では諸角豊後守を討ち取ったの新発田長敦隊だったと、これ又、諸説あり。

39: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/20(木) 13:37:08 ID:j3OvcyNy
佐竹義重に謙信が贈った典厩割りという太刀が現存するそうで、その太刀で典厩(信繁)を殺したのだとか。

40: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/20(木) 13:56:28 ID:iZBnCTsf
典厩割国宗って謙信所有?=謙信が信繁を討ち取ったってことになってるの?

41: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/20(木) 14:09:07 ID:9OYjOJEo
典厩割国宗太刀拵 だね

京都・中村甲刀修史館所蔵だね
ある本によると、謙信が友好の証として、義重に贈った
典厩とは川中島で戦死した信繁のこと、とだけ書いてあった

42: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/20(木) 14:20:39 ID:iZBnCTsf
>>41 サクス
他でも謙信から送られたとなっている。
誰の手によって信繁を討ち取ったまでは解らないみたいですね。

47: 公孫参 2006/07/25(火) 16:49:49 ID:NZLyEYWC
信繁の首、取り返されてるんだよね。

「典厩割り」で討ったってのはガセっぽいよねえ…。

48: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/26(水) 11:48:20 ID:60yFfIRl
>>47
どういう経緯で取り返されたのですか?
信繁自体、誰が討ち取ったのか定かでありません。
「典厩割り」についても所有者がはっきりしません。
激しく同意。

49: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/26(水) 16:43:42 ID:WCpTPejf
武川衆山高信親が取り返したと「軍鑑」にある>>48

50: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/27(木) 01:02:13 ID:g7lpCDzR
「軍鑑」とは甲陽軍艦のことですね。
ということは首実検はできなかったということか・・・

51: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/27(木) 02:12:59 ID:Au05aGjn
越後勢は討ち取った大将首を抱えていたので、武田勢の追撃を許したという説もあるね。
しかも、撤退中を追撃されてとか。もとどり山の首実検・勝ち鬨も信頼できる史料にはないし。
信玄が信繁の首と胴体を接がせたというのは、どうなんだろ?

55: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/28(金) 23:56:22 ID:wYLJ1zWM
「もし柿崎に思慮分別があれば、越後七郡で柿崎に及ぶ者はあるまい」
謙信がそう言っていたらしいけど、やっぱどっか軽はずみなとこは否めなかったのだろうな。
信長に接触したのも、次の天下人が信長であることを予測していた・・・いや、どうせ何も無いに決まっている。

60: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/23(水) 21:10:28 ID:4j46S188
完全に槍一筋の猪だけどね

64: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/21(木) 11:42:09 ID:TntO16PJ
槍一本?景家って数百数千の大将だとおもた。
可児とかと同じか。

65: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/21(木) 15:38:03 ID:pln7oygZ
上杉家軍役帳によると200人強だったような

82: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/21(木) 16:26:15 ID:dwNRxGOP
謙信裏切って処刑されてるし、評判悪いよね。
地元でも嫌われてる。

84: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/21(木) 17:10:44 ID:2m5IdNvB
>>82
「天と地と」の小説が嫌われている。
処刑説もどうも怪しい。
最初からスレ読んでみ

85: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/21(木) 20:43:41 ID:pvJIQSzr
>>82
地元じゃ好かれてるよ。単発で祭りあるのなんて柿崎公と謙信公ぐらいじゃない?
嫌われているのは「天と地と」だよ

86: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/21(木) 20:47:45 ID:W8EgD8DR
俺はあの小説の柿崎が大好きだがなあ。
ちょっと狂ったぐらいの猪突猛進さがよく描かれてて、本当に強そう。

87: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/21(木) 22:37:41 ID:9sLfMKyv
映画のほうで
「ぐおおおおおおおおおおお」
って地鳴りみたいな雄叫びあげて武田軍に突っ込んでくの見て惚れた。

88: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/21(木) 23:46:24 ID:soWK8Xp5
スレ違いになるが、「天と地と」の映画は、ツッコミ所満載だが、進軍シーンの地響きや鎧が発する音等、リアルさもあったね。
娯楽として見るにはいいよ。色彩的にもきれいだしね。
柿崎はgood!

90: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/22(金) 23:44:40 ID:dy0jixAx
「天と地と」はディレクターズカットの方を観て激しく後悔した

信繁を討ち取った直後に無数の弓を喰らってハリネズミ…
大熊朝秀もたしか直江景綱に討ち取られるし、酷い蛇足

93: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/25(月) 11:55:16 ID:T2ca+JzU
「天と地と」の柿崎はある意味キャラ立ちしまくって滅茶苦茶オイシイと思うけどなあ

97: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/26(火) 14:00:09 ID:CclR7ghl
映画の「天と地と」柿崎が騎馬軍団率いてでかい旗はためかせて、前に片鎌槍突き出しながら唸り声あげながら突撃するシーンとかかっこよかったねぃ

「柿崎、武田典厩が首、貴様にくれてやる」
「心得ました、柿崎たーいまえーーーっ」
うぉぉぉぉぉ

このシーンも好き

笑い所は装甲鉄砲隊と、諏訪神軍。
ちゃんとみこしを丁寧に置いてから倒れる

98: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/26(火) 15:17:21 ID:LWW4TYLa
上杉家に謀反の疑いで謀殺された上家を一度潰されたのは景家の息子の代という説も
しかし、「分別があれば」とあの謙信に言われたらお仕舞いのような気もするw

99: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/27(水) 09:59:58 ID:wfIDv7+j
>「分別があれば」とあの謙信に言われたら

これが既に嘘臭ぇ

101: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/29(金) 01:15:01 ID:33riclex
最近の書籍では、「政戦両略の智将」で謙信への忠誠心も厚かったらしいな。遠征に帯同すれば先陣を賜り、留守居役のときは国元仕置の最高責任者。「腹心」というのが実態に近い。直江あたりよりも信頼できる人材だったのでは。

粛清されたのは、殿様が暗愚だったからで。

102: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/29(金) 01:38:54 ID:6LduFNae
あれは、書状一枚で上杉の先鋒大将を始末したぞという、信長サイドのエピソード。
実際は普通に病死。

103: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/29(金) 01:53:29 ID:Lq6W7yQL
謙信も景家も実際は戦だけが強い無辺者ではなく相当な名政治家だったことが最近やっと認められ出したのが嬉しいね

105: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/29(金) 18:41:29 ID:4IseWesm
どうしても世間じゃ猪武者のイメージ
キャラが立ってて、ある意味じゃいいのかもしれないけど

106: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/29(金) 19:10:34 ID:hOmyg7Zp
まあ、柿崎公なら笑って許しそうだな。領民に優しくおしどり夫婦だったそうだし、
温厚な人だったと思う。

108: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/31(日) 11:13:09 ID:7syHOwE1
それでも猛将という部分を否定するような評価が無いだけ、まだいい方だよ柿崎公は。

114: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2007/02/07(水) 00:37:17 ID:oLTIzDr+
四回川中島では色部勝長に助けられたね。

116: 人間七七四年 2007/02/27(火) 09:55:22 ID:ry3pUcND
>>114
この時の奮戦で謙信から世に言う「血染めの感状」をもらったらしいが中条藤資ももらってますよね。中条も柿崎救出に加わっていたのでしょうか?
このへんの合戦の経緯詳しい人教えてください。

117: 人間七七四年 2007/03/11(日) 02:29:14 ID:TcLvUBX5
越後勢は、柿崎和泉を先鋒に村上ら信濃勢、河田対馬、荒川伊豆、安田掃部、大関阿波らの譜代衆を先陣隊として入れ替わり投入された。
甲州勢の鶴翼の備えに次々に襲いかかった。先鋒の山県勢も早々突き崩され、左右備えの典厩、諸角は討ち死に、典厩信繁は柿崎勢に討ち取られたといわれている。
しかし、甲州勢もしぶとく、開戦よりの奮戦で消耗しきった柿崎勢は体制を整え直した山県勢らに包囲された。
先陣隊の苦戦を見るや、謙信は色部、新発田、中条、本庄、加地、新津ら外様で構成された遊軍をすかさず投入。
このときの色部、中条の奮戦に柿崎勢は窮地を救われた。

141: 人間七七四年 2007/11/30(金) 17:05:14 ID:NTI+j9uV
なぜ日本最低の裏切り者のスレが

142: 人間七七四年 2007/11/30(金) 23:18:11 ID:WydIHevY
柿崎が裏切りをやったのは三分一ヶ原の合戦だけじゃない?
あとはだいたい死ぬまで長尾上杉家に尽くしたと思うが。

146: 人間七七四年 2007/12/10(月) 12:37:53 ID:6kSZ0kaP
越後の諸将って反骨心と謀反心が常にあるのがいいね。
なんか誰にも従わない自立的プライドみたいなもん。
謙信はそーいう喰えないヤツらの頭領みたいな感じ。
もー面白くないとすぐやってられない!不平どころか謀反しちゃうぜ!とかで武田や北条や織田に越後情報垂れ流して金までもらうみたいなw
だがいざ戦闘になると「サイキョー武田?ワッハッハ俺が撃破してやんよ」みたいな命知らずのツワモノども。特に揚北衆がタチが悪いとよく言うが、そいつらと常に戦ってたヤツらもみんなタチ悪い。上田長尾もタチ悪い。
こんな集団を抑えて率いる謙信はさらにすげぇーよ。

152: 人間七七四年 2007/12/12(水) 21:01:06 ID:8CmWnPor
後北條との外交折衝役を担当。
領民や寺社を重んじて地元民に慕われる。
七手組筆頭として常に先陣を受け持ち、鉄をも貫くほどの突撃ぶりを示す、越後七郡にかなうものなき猛将。

史実だと非の打ち所がない名将中の名将だな。

でも小説「天と地と」の猪突猛進型の柿崎最高w

153: 人間七七四年 2007/12/12(水) 21:48:36 ID:wNdMDdTw
まーでも所詮は裏切り者だしー。

156: 人間七七四年 2007/12/12(水) 23:00:42 ID:8CmWnPor
柿崎が謙信を裏切ったことは一度もない。
三分一ヶ原で上条方を裏切って為景についた事以外、忠実に働いている。

169: 人間七七四年 2007/12/31(月) 01:41:38 ID:md150nRi
あの当時、謙信、晴信、氏康公を見てきた景家公が信長公程度に つこうと思うわけない。
はやく景家公の名誉回復の資料でてきてほしい。

170: 人間七七四年 2007/12/31(月) 11:17:00 ID:5u8xpzay
>>169
景家が建てた柿崎氏の菩提寺
楞厳寺の寺伝に天正2年11月22日に病死と伝わってるから
天正2年は信長と手切れする前だろ
長篠がきっかけになって両者の関係が冷え込むんだし

175: 人間七七四年 2008/01/01(火) 18:28:53 ID:ISimyLvb
景家が謙信を裏切って織田に内通し処刑・改易されてたって説は、楞厳寺の件もあるし、史料的な矛盾は明らかだからむしろ信じてる人のが少ないのでは。
天正5年以後に仮にその可能性があるとしたら晴家の方だよな。

208: 人間七七四年 2008/07/08(火) 22:32:04 ID:5slHo/u8
山本道鬼の首を取ったのは柿崎家臣
坂木磯八

209: 人間七七四年 2008/07/10(木) 00:06:51 ID:yLR9Hcxy
>>208
ソースは何ですか?
非常に興味深いです。

210: 人間七七四年 2008/07/10(木) 00:12:20 ID:yujlQdBX
北越軍談か川中島五回合戦記あたりだったかなと。
柿崎が山本を討ち取ったとする文献自体、実はこういう軍記ものなんです。
一応上杉氏の「正史」ではありますが。

211: 人間七七四年 2008/07/10(木) 08:36:01 ID:riOAMdOj
>>208-210
甲陽軍鑑および甲越信戦録。
景家は自ら太刀を持って勘助に挑み、首は坂木が得たという。

212: 人間七七四年 2008/07/10(木) 09:22:10 ID:H9m5K29W
>>211
ありがとうございます。
典厩信繁を討ち取ったというのは、よく聞きますが
今度読んでみます。

213: 人間七七四年 2008/07/10(木) 10:14:48 ID:riOAMdOj
そうでしたか。柿崎の動きは──だけでなく両軍全体の動きは──
史書によって異なりますね。
当初柿崎は信繁部隊に突撃をしたとするもの、飯富部隊に突撃したとするものに分かれるみたいです。
飯富を攻めたところ猛反撃で一時押されて色部が横入れして救援したとするのが一般的なようですが、どの書でも柿崎の武勇を特筆していますから彼が武田軍にそれだけの打撃を与えたのは確かでしょう。

214: 人間七七四年 2008/07/10(木) 15:30:31 ID:H9m5K29W
川中島の戦い自体が有名な割に兵数・移動・布陣・合戦・勝敗と謎や矛盾点が多く、はっきりしませんね。
これほど大規模な軍事活動がぼやけるのはどうしてでしょう?

215: 人間七七四年 2008/07/10(木) 15:54:26 ID:nnySWK5+
それだけ現場が大変だったんでしょう

216: 人間七七四年 2008/07/27(日) 01:39:32 ID:zOxgV4Pn
俗に血染めの感状と呼ばれる川中島での奮闘に対する感状を色部勝長・安田長秀・垂水源二郎・本田右近允・中条藤資・松本忠繁・岡田但馬の七名がもらっているわけだが、景家は活躍したのにどうしてもらえなかったの?

222: 人間七七四年 2008/07/27(日) 19:55:31 ID:k2vDaPTD
>>216
そういう事なら甘粕景持も貰っていない事には疑問を感じなかった?

217: 人間七七四年 2008/07/27(日) 08:21:33 ID:/Zwwmn+m
犠牲が少なかったからじゃない?

218: 人間七七四年 2008/07/27(日) 16:14:26 ID:r3Fotz9p
同意、恩賞というより、労いという意図の物と思われ。

223: 人間七七四年 2008/07/27(日) 20:42:05 ID:Lo2/nawD
旗本や普代だからかな。
アガキタみたいな外様みたいな人ばかり労ってもらっている。
甘粕についてはこのあとしばらく動向が不明になるから、
何か川中島で悶着あって失脚していた可能性がありそう。

225: 人間七七四年 2008/08/06(水) 00:07:45 ID:FE+21yMv
>>223
血染めの感状は阿賀北衆など大豪族に気を使った結果だされたようなものだからなあ。
ミネルヴァの『上杉謙信』のサブタイトルにもなっている

引用元: ・柿崎景家



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