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1: レオニダス 05/03/16 20:00:19 0
スパルタ教育という言葉だけ残してあまり資料が無いので教えてくれ。


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604: 世界@名無史さん 2007/06/03(日) 23:48:24 0
スリーハンドレッドってどうしてスパルタ軍は、ヘルメットを被っているだけで、小さい黒いパンツ履いているだけの扮装なんだろう。重装歩兵だから鎧も着ていたと思うんだけどね。あれじゃ、白人のネイティブアメリカンかズールー族かタイヤル族だよ。

611: 世界@名無史さん 2007/06/04(月) 00:59:42 0
>>604
古代ギリシャではここぞという見せ場では、全裸が基本。
オリンピアの奉納試合も、民会の演説も、戦争も、全裸。
基本的に、ギリシャ人の市民は出たがりなので、重装歩兵の密集陣でも、盾の防御が最も薄く、最初に攻撃される、最前列右端が大人気。全裸で最前列右端は最も目立つ。

633: 第20軍団兵 2007/06/06(水) 22:41:11 0
>>611
いや、それは違う。彫像等で裸体が許されるのは元来は神々だけであったはずで、オリンピックで選手が裸だったのも女性が紛れ込むのを防ぐためだったし、これは推測でしかないけれども、本音は呪詛や護符の携行を防ぐためでは?

そもそもペリクレス時代の著述家だったと思うけれども、
「異国人が我々が裸で競技することを奇妙に思うものが多いと聞くがそれももっともな話で、我々自体一世代前まではそれを恥ずかしいと思っていた」
という記述をどこかで読んだ記憶がある。

本当に驚くべきは脛当てまで着けたスパルタの重装歩兵が隊列も崩さずティルモピレネーの隘路を
軽装兵よりすばやく走り回ったと思われる、その体力と熟練にあるかと...

643: 世界@名無史さん 2007/06/08(金) 19:35:00 0
>>633
古い時代はそうなんだろう。しかし、ローマが攻めてくるような後期になると裸が常識。
おまぃのような感覚では、たとえば、アルキメデスがシラクサの往来をエウレカと叫びながら裸で駆け抜けて王宮へ駆け込んだ故事についても、粗忽だの、なりふりかまっていないだのと誤解しているだろう。
違うぞ。王様に報告するような大発見をしたことを世に知らしめるため、ここら辺の言葉でいう「おれに注目しる!」な状況だから、裸で往来を駆け抜け、大発見だから裸で謁見なんだぞ。


628: 世界@名無史さん 2007/06/06(水) 20:52:55 0
>古代ギリシャではここぞという見せ場では、全裸が基本

じゃあ、普段は服着てるのが普通なの?スリーハンドレッドに限らず映画じゃ、古代ギリシアやエジプトの男は上半身裸が多いよね。
東南アジアみたく高温多湿な所なら解るけど、高温乾燥地帯じゃ長袖でできるだけ皮膚をさらさないのが本来だと思うけど。レリーフでは裸になってるけど、本当は服着てたんじゃないかなぁ。

643: 世界@名無史さん 2007/06/08(金) 19:35:00 0
>>628
油と白土を混ぜたもの塗っていた。だから平気だ。
アテナイやコリントのような商業都市では市民も日常は着衣だが、常時準戦時体制のスパルタでは裸で暮らすのも訓練の一貫だ。

651: 世界@名無史さん 2007/06/09(土) 00:12:52 0
やっぱ、どうしてもわからないのは、戦闘のときこそ敵の刃から体を守るために丈夫な布とか鎧で体をすきまなく覆う必要があるんでないだろうか。今の機動隊でも防刃服って
あるよね。たとえ、普段の生活は裸に近くても戦闘のときは戦闘服着る必要あると思うのだが。
普段は服着て、戦闘のときは鎧以外はほとんど裸って逆な気がする。

652: 世界@名無史さん 2007/06/09(土) 00:34:52 0
そういう思想のもと作られたのがフルプレート・アーマーというものだけどあれはあまりにも重過ぎて、いろんな制約が生じてしまう難点がある

それにファランクス戦隊列は攻防一体鉄壁の槍衾だからなまじっかの防具などいらない

654: 世界@名無史さん 2007/06/09(土) 04:50:26 0
素早く動くことと

鉄壁にすることが相容れない時代のお話

673: 世界@名無史さん 2007/06/10(日) 23:39:11 0
古代ギリシャの重装歩兵って、一隊の中で装備はみんな揃ってるものなの?
映画なんかでは、近代のチーム戦のスポーツのユニフォームのように、兜も盾も脛当ても同じデザインで一隊の中でとういつしてあるんだけど実際はどうだったの?

戦争に参加するのは、義務ではなく権利であって、装備を自弁で用意するところから戦争のに参加する権利で、見せ場で目立つのが大好きな古代ギリシャ人のことだから、日本でいうと、源平合戦やら鎌倉武士のようにみんなバラバラの装備での参戦だったような気もするんだよなぁ。

スパルタだと、貧富の差を禁止していたり、デザインが統一されていた方が隊列が美しいとかで、デザインを一つに強制してたような感じもするし。

674: 世界@名無史さん 2007/06/10(日) 23:40:06 0
そもそも量産品というものがないんだから
ああまで綺麗にそっくり統一できるわけはない

669: 世界@名無史さん 2007/06/10(日) 22:28:42 0
教育の一環として「奴隷狩り」を義務付けていた民族なんだってね。
本当の「スパルタ教育」やるとしたら部落の子からカツアゲするまでがスパルタ教育だな。

671: 世界@名無史さん 2007/06/10(日) 22:53:56 O
テルモピレーの戦いではギリシャ側はスパルタの300人以外に3900人参戦しているね
〈テルモピレーの戦い、ギリシャ軍参戦国〉
スパルタ300
テゲア500
マンティネィア500
オルコメノス120
上記以外のアルカディア諸ポリス1000
コリントス400
プレイウス200
ミュケーナイ80
テスピアイ700
テーバイ400
フォキス1000
これは全て重装歩兵の兵力で重装歩兵1人につき7人の従卒が付くため、補助兵
力を含めるともっと多くなる

672: 世界@名無史さん 2007/06/10(日) 23:06:31 O
テルモピレーの戦いから100年足らず後にスパルタにアゲシラオス2世という有能な王が現れ、レオニダス王の仇を討つべくペルシアへ遠征して、小アジアでペルシア軍と戦い、ダスキュレイオンの戦い、パクトロス河の戦い、カウエの戦いと次々、ペルシア軍を破った
しかしペルシアに扇動されたコリントス同盟が反乱を起こし、アゲシラオスは軍を返した
アレクサンドロスの東征に先立つこと60年前

717: 世界@名無史さん 2007/06/15(金) 00:26:04 0
テルモピュライに匹敵するのは項羽の旗本28騎くらいのもんか?

675: 世界@名無史さん 2007/06/11(月) 17:00:15 0
奴隷には兵役義務あったの?

676: 世界@名無史さん 2007/06/11(月) 17:02:44 0
>>675
古今東西奴隷に戦場で戦う「権利」が有る訳がなかろう。
戦場でも所有者の戦士に対する身の回りのお世話するだけ。

679: 世界@名無史さん 2007/06/11(月) 17:50:47 0
ヘイロータイには兵役義務は無かったよ


ヘイロタイ

ヘイロタイは、古代ギリシア・スパルタで、共有財産として国家に所属していた非自由身分の名称。

ヘイロタイは家族を持つことは許された国有奴隷である。代々奴隷身分を引き継ぎ土地に縛られ農業に従事し、主人であるスパルタ人に収穫物の一部を貢納した。

約5万人(市民とその家族)のスパルタ人に対し約10万人のヘイロタイが存在したため、数で劣るスパルタ人は常にヘイロタイによる反乱に神経をとがらせた。

紀元前479年のプラタイアイへの出兵に際しては、スパルタ人1人に対してヘイロタイ7名が従卒ないし輜重兵として参加した。ヘイロタイは危険な分遣作戦に好んで使われ、ほとんどの者が躊躇なく見捨てられたという。


680: 世界@名無史さん 2007/06/11(月) 20:30:04 0
完全な名前を持つ権利
家を持つ権利
武装する権利
政治に参与うる権利
生産手段を所有する権利
だいたいこういうものを持つのが、古今東西、自由民の定義だな。
東洋では、家を持つ権利と名前を持つ権利とがゴチャ混ぜになっている。
幕末に輸入された政治や歴史についての洋書の訳注では「市民」にあたる部分が、「士」と訳されているのはこういうことの反映だし、アメリカ人が銃の保有にこだわるのも、これまた、自由民の定義の上からなんだな。

武装するのは権利だし、武装してやることは戦争だ。
古代ギリシャでは戦争もある種の娯楽なので、戦争に参加し、その結果得られるものについての分配を受けることは、市民にとって非常に大きな楽しみだったのだ。

683: 世界@名無史さん 2007/06/11(月) 23:26:47 0
スパルタ市民は戦争訓練だけで生産労働は一切せず。

686: 世界@名無史さん 2007/06/11(月) 23:40:55 0
スパルタ都市国家はいつ滅んだの?

690: 世界@名無史さん 2007/06/12(火) 00:01:52 0
>>686
テーバイに敗れて勢力を失った後、他のギリシア諸都市国家ともどもマケドニアの支配下に置かれ、最終的にローマに併呑されたのでは。

698: 世界@名無史さん 2007/06/12(火) 11:04:21 0
スパルタという国家が無くなってももともとの気風は無くなってないはず。
マケドニアやローマに併呑されたあとはどうなったんだろ?

706: 世界@名無史さん 2007/06/12(火) 22:25:41 O
>>698
スパルタはアレクサンドロスの東征中にアギス王がマケドニアに対し挙兵するが破られている
ディアドコイ(後継者)戦争中にアンティゴノスの息子でマケドニア王のデメトリオス・ポリオルケテスにも破られ、ふがいないがBC272年に有名なエピロス王ピュロスの大軍(歩兵24000、騎兵2000、戦象24頭)の侵攻をわずか4000の重装歩兵のみで撃破し、ピュロス王を戦死させた
半世紀後、スパルタ王クレオメネス3世が登場しアカイア同盟を次々戦いで破ったが、セッラシオでマケドニアのアンティゴノス3世に大敗し、それ以降、スパルタは軍事的には振るわなくなった
それ以前にクレオメネスはスパルタの国制の骨幹であるリュクルゴス法を変革してしまった(奴隷の新市民編入)のでもうスパルタはスパルタでなくなったに等しいが

699: 世界@名無史さん 2007/06/12(火) 11:17:13 O
スパルタはヘレニズム時代のマケドニアに無視されてねぇ?

706: 世界@名無史さん 2007/06/12(火) 22:25:41 O
>>699
無視されたのでなく、フィリッポス2世時代のマケドニアに対し反マケドニアのギリシアの全ポリスがヘレネス同盟が結成されたが、唯一スパルタのみが参加しなかった

709: 世界@名無史さん 2007/06/13(水) 14:38:25 0
つーか馬鹿にしていた哲学オタクのエパミノンダス率いる弱兵集団テーバイにフルボッコにされたのがケチの付き始め。

710: 世界@名無史さん 2007/06/13(水) 19:31:14 O
>>709
テーバイの兵は弱兵ではないよ
特に騎兵の練度はかなり高い、逆にスパルタは重装歩兵の極めて高い練度に対し騎兵はろくすっぽ訓練をしない貴族の烏合の集団古代ギリシア、特にスパルタは戦列右翼に最精鋭部隊を集結し、敵の左翼を突破し敵の残存部隊の左翼を側面攻撃するのが伝統的戦術だった
エパミノンダスはそれに反し、自軍戦列左翼に精鋭を集結、中央より右翼を敵との接触を遅らせるため、戦列ごと後方にずらしたのが斜形陣形です
つまりエパミノンダスは敵右翼のスパルタの強兵を打ち破れば敵中央より右に位置するスパルタの同盟都市群は瓦解すると考えたからだ
テーバイにとってラッキーだったのはこれまでペルシア軍やコリントス同盟に対し連戦連勝しギリシアの伝統的戦術にとらわれずに臨機応変な戦術を取る常勝のスパルタ王アゲシラオス2世が病身のため参戦せず、もう一人の王クレオンブロトスがスパルタ軍の指揮を取ったことだ

スパルタ敗退後、アゲシラオス王はペルシアの一太守アリオバルザネスの反乱を支援したり、母国の財政難を立て直すため、自らエジプト王タコスの傭兵隊長となり母国に送金した

713: 世界@名無史さん 2007/06/14(木) 10:22:07 0
>>710
王様自ら出稼ぎに行ったのか。泣けてくるよなあ。

711: 世界@名無史さん 2007/06/13(水) 19:59:24 0
スパルタの将軍リュサンドロスは生前から神格化されたが、前4世紀になるとギリシア人の宗教観もかなり変化していたのかね。

それまでは神々と半神(英雄)と人間ははっきり区別されていたんだが。

703: 世界@名無史さん 2007/06/12(火) 16:06:39 0
ここのスレ見て初めてスパルタでは女も体を鍛えてたって知った。
で、素朴な疑問。
世界一の美女ヘレネってめちゃめちゃマッチョな女ってこと?

Helene_Paris_David


ヘレネー

ヘレネーは、ギリシア神話に登場する女性である。

表向きはスパルタ王テュンダレオースと王妃レーダーの娘であるが、実父はゼウスであり、実母はネメシスともされる。兄にディオスクーロイ(カストールとポリュデウケース)兄弟、姉にクリュタイムネーストラーがいる。メネラーオスの妻となったが、イーリオス(トロイア)の王子パリスにさらわれ、トロイア戦争の原因となった。


704: 世界@名無史さん 2007/06/12(火) 16:13:27 0
神話のスパルタにスパルタ市民とかペリオイコイとかの体制が反映されてないようだからヘレネに反映させるのも違う気が。

ただギリシアの美的感覚では適度に鍛えれた健康的な肉体美は高く評価されたかもしれない
それに鍛えてるといってもステロイドや鍛練器具が発達してたり、自然との調和を忘れてひたすら
鍛練に耽るような時代性じゃないわけで、めちゃめちゃマッチョな女なんて当時実在しなかっただろうから神話の登場人物にも反映されないだろう。

732: 世界@名無史さん 2007/06/19(火) 20:14:12 O
スパルタは人口がヘイロタイの7分の1しかないから軍事国家になったと言われるが、ではなぜBC706年にタラスに植民したのだろうかただでさえ人手が必要なのに実際、その20年後にアルゴス王フェイドンの抬頭や約50年後の第2次メッセニア戦争でスパルタは大苦戦するのだが

739: 世界@名無史さん 2007/06/20(水) 21:28:38 0
>>732
出自が問われる社会で、不倫やら婚外出生やらで生まれた子に完全な市民権なんかあたえないじゃん。
植民地というよりは、邪魔者を追い出した感じだな。

751: 世界@名無史さん 2007/06/24(日) 16:08:37 O
>>739
完全に国家統制された国では婚外子の出現するケースは少ないのではもっとも、子種のない男の妻は夫の承認のもとに他の男と性交渉させ、生まれた男児は夫の子として育てなければならないが

755: 世界@名無史さん 2007/06/24(日) 22:58:32 0
>>751
でも、戦争の為に正丁の大半が出払ってる間に、何故か、子供が一杯できているという不思議な現象があったんだよ。
完全に統制なんちゃあ、土台無理だよ。
経営学とかでも、たった2~3時間、会議をやるだけで、全員を会議に集中させるには最大で25人、効率的にやるなら7人以下でないと無理だと言われている。組織で同じ目的を持った人間をたかだか3時間統制するのは25人で一杯一杯なのに、二等格以下の人格しかみとめられていない古代ギリシャの女、数をざっくり見積もって約8000、期間は半年、どうやってきっちり統制するよ?

741: 世界@名無史さん 2007/06/22(金) 16:24:24 0
若者の訓練に、市中から出て農奴集落で略奪して生き延びて来い、とやったらしいけれど、農奴から恐れられたのではなくて、実際には、すごく歓待されたんではないかな。
叛意を見せると村ごと焼き討ちにされたりするから、すくなくとも恭順のフリでもしておいた方が得策なので、ラコニア人の若いのが来たとなったら、村で、下にも置かない接待をしたんではないかな?
しかも、農奴階層ったって部族は違うがギリシャ人だから、少年大好きだから、みんななでケツ差し出して歓迎したことだろうよ。

744: 世界@名無史さん 2007/06/23(土) 02:33:00 0
>>741
叛意はともかく

その訓練生に関しては農奴側も反撃フリー、殺してもお咎めなしだった(でなきゃ訓練にならんが)

なんという殺伐

743: 世界@名無史さん 2007/06/22(金) 17:39:25 0
若者を鍛えるキャンプみたいのがあって、常に食糧は少なめにしか与えられず、
狡猾さを鍛えるためキャンプの食糧庫からバレないようにうまく盗むことが
求められてたんじゃないの。

784: 世界@名無史さん 2007/07/09(月) 00:18:09 0
スパルタを語るって難しいよな。
兵士とスパルタ式という言葉しか残さなかったって某書で言われるくらいだし。
単独では最強だっただろうけど。

787: 世界@名無史さん 2007/07/09(月) 14:02:04 0
戦史と歴史とプルターク読むだけでもスパルタ話は沢山あるよ

789: 世界@名無史さん 2007/07/15(日) 10:37:01 0
スパルタって生まれたばかりの赤ちゃんを、体が弱いと判断されると洞窟に捨てたんだよね。
スパルタ式教育は、アテナイに勝って富が流れ込んだ途端崩れ、無様にテーバイに敗れた。
いいことは1つもないね。

793: 世界@名無史さん 2007/07/18(水) 02:20:34 0
前近代において、新生児の選別はわりかし広く行われていたよ。
本邦でも、生後八日目の命名・お七夜や、三十一日目のお宮参りは、それぞれ、家族が養育放棄をできる期限、地域社会が選別を行う期限だった。明治時代に近代法が導入されて、単純にお祝いになったけれども。

794: 世界@名無史さん 2007/07/18(水) 04:44:17 0
スパルタのは新生児段階で終わらないけどな
試験に合格しないと死亡

799: 世界@名無史さん 2007/07/23(月) 00:52:10 0
アテナイですと、父親が子供を捨てるかどうか決定していましたね。 
それに比べればスパルタはましな方。。。と誰かが言っていたような。。。誰かわすれた。。。 

804: 世界@名無史さん 2007/07/24(火) 17:04:40 0
1944年に出版された原随園先生の著作に面白い論文があります。

『大地の力』
簡単にまとめると、スパルタの子捨て伝説は、子供を地面の上に置き無病息災を願う儀式を伝えたものをプルタルコスが勘違いして伝えたと言う内容です。

現在ではこの説を支持する方はいないようですが、着眼点が面白いです。

「ゲーは穀物を実らせる。それゆえあなたがたは女神を母なる大地と呼ぶ。」
パウサニアス 『ドドナの巫女が謳った詩』

この子捨てと思われた儀式は子供の健康を祈る儀式だそうです。
大地の力で子供を健康にしようと言うことですね。
子捨てが行われた場所の名前アポテタイの語源アポティテーミには『側に置く』と言う意味があるそうです。
先生の説にはありませんが補足するとアポティテーミには『捨てる』という意味もあります。
障害者なのにスパルタで名声を博した人物の例としてテュルタイオスが上がっています。
テュルタイオスは生まれつき足に障害がありましたが、将軍として、詩人として名声を博してます。
ここでも補足すると、スパルタ史上最高の王と評されるアゲシラオス王も生まれつき足に障害がありました。検討項目は大地と人との結びつきを中心に多岐に及んでいて面白い内容になっています。
たとえば、遺灰を海にまき散らすことが死者に対する最高の刑罰として成り立つのはなぜかとか。
アテナイの子捨てに関してとか。

今となっては面白いね、で終わってしまう論文ではありますが。。。

807: 名無しさん@そうだ選挙に行こう 2007/07/29(日) 10:14:50 0
>>804
では虚弱者を間引き殺したというのはウソ?
それともチムールのようなのだけは「英雄の相」として特別あつかいだった、ということなのですか?

808: 名無しさん@そうだ選挙に行こう 2007/07/29(日) 15:01:50 0
>>807 >>804でも書きましたが、現在この説を支持する方はわたしの知る限りいないのですよ。
スパルタの子捨ては実際にあったとするのが主流のようですね。

テュルタイオスはスパルタ人説とアテナイ人説の二つあり、それにスパルタの教育制度が作られたのはテュルタイオスが活躍した時期より後という説もありますので、例としてあげてよいのかどうか。。。

王族は特別扱いを受けたようです。例えば、通常の教育は受けなくてよいとか。
ですから、王族の子供はよほどのことがない限り捨てられずにすんだのかもしれません。
ちなみにアゲシラオス王は王族なのに教育を受け、足の障害に苦しまれたようですが。。。

プルタルコスの描くようなスパルタ教育などなかったとするケネル先生の説もありますね。
この説に従えばレスケーでの子供の検査などなかったことになります。
しっかりした論文に見えたのですが、これも支持する研究者が少ない説のようです。


806: 世界@名無史さん 2007/07/26(木) 21:33:05 0
シンデレラの靴が片方脱げるのを古代ギリシャの片足の英雄に結び付けて論じてる本があったのを思い出した。たしかヨーロッパ人の書いた本だったような。

808: 名無しさん@そうだ選挙に行こう 2007/07/29(日) 15:01:50 0
>>806 
文学系の論文ですと神話や文学を比較して何かを論じるものが多いですね。
子捨てに纏わる伝説を検討しながら子捨てとは何かを論じる方法ですね。

重要なのは子殺しではなく、子捨てだという点でして、誰かが拾って育るとの期待が込められているとあります。 捨てられた子が立派に育つストーリーとしてギリシア・ローマ、アッカドの話が例として出ていました。

811: 世界@名無史さん 2007/07/31(火) 18:50:11 0
アルカディアなんかの習俗もスパルタに似ていたの?

812: 世界@名無史さん 2007/07/31(火) 23:08:55 0
似てるようで似てなかったり生まれた頃から戦士の教育があるのは古代ギリシアのポリスの中でもスパルタぐらいじゃなかったかなぁ
と、勝手にのたまってみる

823: 世界@名無史さん 2007/08/03(金) 17:15:15 0
>スパルタ最後の王

BC何年?
その後、スパルタはどうなったの?マケドニアにあぼーんされたとき?

824: 世界@名無史さん 2007/08/03(金) 19:32:19 0
ナビスが死んだのは紀元前192年です。
マケドニアとローマの戦争でマケドニア側について、ローマに降伏しました。
その後はアイトリアとアカイア同盟との戦いに参加し、味方のアイトリアに裏切られて謀殺されました。

ナビスの死後、スパルタはアカイア同盟に併合され、スパルタ教育を含む、全ての制度を失ったそうです。 後にローマの支配下に入り、観光地として栄えました。
この観光地化の過程でスパルタ教育を含む様々な制度が復活したと考えられています。
プルタルコスやキケロなどは観光地スパルタの見世物を、古来のスパルタの制度をそのまま再現したものだと考え、スパルタを讃美したようですね。
ほんとうに古来の制度を復活できたのかはわかりませんが。。。

825: 世界@名無史さん 2007/08/03(金) 21:36:50 0
>観光地スパルタの見世物

剣闘士?

827: 世界@名無史さん 2007/08/03(金) 22:21:18 0
プルタルコスの描く、乙女の裸の行進とか、少年の鞭打ちの儀式、レスケーでの子供の検査などは
プルタルコスが実際にスパルタで見て書いたもののようでして、これら全てが観光客に公開されていたようです。
その中でも鞭打ちの儀式は目玉商品で、キケロもこの儀式のことを感動を交えて描いています。
プロペルティウスなどは裸の乙女達にばかり目がいっていたようですね。

829: 世界@名無史さん 2007/08/04(土) 04:27:06 0
>>827
糞、行ってみてえw

832: 世界@名無史さん 2007/08/04(土) 23:14:05 0
>>829 
スパルタ観光においでの際は、スパルタ娘を男の子と思って接するようにお願いします。


アカデメイアのハグノンが言っているように、スパルタでは結婚前の娘たちは美少年のように見られるのが習いだった。

紀元3世紀の著述家 アテナイオス『食卓の賢人たち』

836: 世界@名無史さん 2007/08/05(日) 23:44:47 0
ドーリア系が南下して、先住組ギリシャ人を征服という説は本当?
だったら別の民族のはず。

840: 世界@名無史さん 2007/08/07(火) 00:16:38 0
民族ですか。。。難しい問題ですね。
特に現代の民族問題に引き寄せて議論される方が多いのでやっかいです。

民族の定義は難しいところですけど、古代ギリシア人は基本的に、ギリシア語を日常言語として、ギリシアの神々を崇めている人々をギリシア人と考えていたようです。簡単に言うと言葉が通じ、同じ信仰を持っていればギリシア人です。そのギリシア人の中にドーリア系、イオニア系、アルカディア系などの多くのグループがあります。各グループは起源に纏わる神話が異なりますし、言語も僅かに異なっています。違いといっても方言ていどですね。

ドーリア人南下説はヘラクレイダイの帰還の伝説を根拠に出てきた説で、古代ギリシア人はヘラクレイダイの帰還の伝説を信じていました。

伝説の内容をまとめるとこのような感じです。元々ペロポネソス半島はヘラクレスが支配していましたが、ヘラクレスの死後、ヘラクレスの子供達はペロポネソス半島を逐われます。それから数世代後にヘラクレスの子孫達はドーリア人の助力でペロポネソス半島を再征服します。この時に建国されたのがドーリア系ポリス、スパルタです。
ちなみにドーリア人はギリシア内を移動し続けていた遊牧民のような人々だそうです。
元々スパルタに住んでいた人々が一度追い出されて、再び帰ってきただけとの認識ですね。。。

新たな異民族がギリシアに侵入した事件を形を変えて記録したものがこの伝説だとして、南下説が現れました。ただし、別の形の南下説もあります。
ドーリア人は少しづつギリシアへ移住し、紀元前1200年頃に突如各地で蜂起し、現住ギリシア人を制圧してドーリア系ポリスを建国したという説です。

しかし、近年の考古学調査によると、この様な民族大移動の形跡は見つからないそうです。ドーリア人の南下に結びつけられて語られる海の民説の方も信憑性を疑われていますから、ドーリア人の南下を信じていいのかどうかはわかりません。

842: 世界@名無史さん 2007/08/07(火) 11:41:44 0
スパルタ自体はペロポネソス半島に覇を唱えたいだけの矮小な国家であって帝国主義的領土拡大せず。

843: 世界@名無史さん 2007/08/08(水) 11:16:31 0
>>842 
トインビー先生が似たような主張をしていましたね。
スパルタは成長を止めた文明だと。。。

スパルタ史研究では紀元前5世紀末のペロポネソス戦争後のスパルタをスパルタ帝国(Spartan Empire)と呼び慣わす慣習があります。ペロポネソス戦争でアテナイに勝利した後、ギリシア全域に強い影響力を行使してペルシアにも攻め込んでいます。
ペルシア侵攻を実現できるほどの影響力を評しての名称ですね。

紀元前6世紀頃にもサモス、ミレトス、ナクソスなどのエーゲ海の島々や、アテナイなどを攻撃し、傀儡政権を立てようとしています。

ペロポネソス半島に籠もっていられるようなポリスではなかったようです。


同志社大学の中井先生がこれまでに発表した論文をまとめた本を出しています。
この中にもスパルタ帝国についての章がありますよ。
 


引用元: ・古代ギリシアスパルタについて語るスレ


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