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1: 日本@名無史さん 2010/09/20(月) 17:46:16
維新の志士を育てた吉田松蔭。
みんなの評価は?









11: 日本@名無史さん 2010/09/23(木) 21:46:13
この人ほど「頭の良い脳筋」は珍しいと思う。
身近にいたらさぞかし鬱陶しかっただろうな。

朱子学は「天皇万歳」
陽明学は「知行合一」
で良いんじゃないか。

17: 日本@名無史さん 2010/10/09(土) 13:25:23
先生の名言で一番好きなのは?

18: 日本@名無史さん 2010/10/09(土) 14:06:16
「君子素餐するなかれ」
2ちゃんねらーの耳には痛い一言だが

19: 日本@名無史さん 2010/10/09(土) 17:00:15
松陰先生から門弟山田顕義(市之允)に送った扇面の中にその1節がありましたね。

「100年は一瞬のみ君子素餐するなかれ」

33: 日本@名無史さん 2010/11/23(火) 00:31:29
松陰先生は恐ろしく頭の良い(柔らかい)体育会系

34: 日本@名無史さん 2010/12/06(月) 17:22:53
運動得意だったのか?

35: 日本@名無史さん 2010/12/06(月) 19:29:18
全然
すぐ風邪を引くような人だった

しかし学問では誰も勝てなかった
論争ではどこにも隙がなかった
妥協を全く行わない人だった
個人的な役得を一切無視し、思う真理を追及する人だった

ゆえに、井伊直弼が彼を処刑した後には、無垢の義人を殺害した幕府は倒される必要がある、という門人らにとっての大義名分が残った

40: 日本@名無史さん 2010/12/07(火) 17:53:29
叔父の玉木文之進の私塾ではあの乃木希典も松陰と机を並べ
例の有名なスパルタ教育を受けていた。
この苛酷な迄にストイックな精神性を重んじるDNAは、後の日本軍に受け継がれていく。

46: 日本@名無史さん 2010/12/09(木) 21:42:24
>>40
吉田松陰は玉木文之進のスパルタ教育は受け継いでいない。
松蔭は基本的に穏やかで優しい人。
高杉晋作や久坂玄瑞のような才気迸る弟子には厳しく接することもあったらしい。

43: 日本@名無史さん 2010/12/08(水) 21:48:23
スゴいスゴいと言われる割に
深く語れる人は少ないイメージ

44: 日本@名無史さん 2010/12/09(木) 17:12:44
梅田雲浜に関わったばかりにとばっちりくらった可哀想な人
幕末の長州がたどった数奇な運命をお先に体現しちゃった感じ

45: 日本@名無史さん 2010/12/09(木) 19:57:30
いや松陰のキチガイ行動(誉め言葉)の数々見てると早逝は時間の問題だったねw

49: 日本@名無史さん 2010/12/10(金) 00:04:02
王陽明と吉田松陰

ともに病弱で優しい人柄だけど、いざとなると誰よりも豪傑になれる。
吉田松陰も、
「一言する時は必ず温然和気婦人好女の如し。是れが気迫の源なり」
(言葉を発する時は温かい婦人や優しい女性のようにする。普段の謙虚な態度が、いざという時の気迫の源なのだ。)
と言葉を残している。

50: 日本@名無史さん 2010/12/10(金) 00:20:50
理想の世界に生きててちょっと現実見えてない人

51: 日本@名無史さん 2010/12/10(金) 00:52:27
>>50
その理想主義者を慕った高杉晋作、伊藤博文が現実を動かした。
というより吉田松陰はあの時代にかなり早い段階で現実と向き合った人だろ。

52: 日本@名無史さん 2010/12/10(金) 01:58:21
松陰がやった事って何?

54: 48 2010/12/10(金) 08:21:53
>>52
幕末、長州萩で若者を教える私塾の先生をやっていた。
その生徒が幕末に活躍したので、先生も偉かったとなった。
ttp://www.yoshida-shoin.com/

生徒に偉いのが出ると先生も偉いとなる例は多い。
手足が不自由でも教えることはできる。手足が自由ならやって見せることもできる。

比叡山の円仁も「大師」になったが、その繋がりで祖師の最澄も「大師」になった。

55: 日本@名無史さん 2010/12/10(金) 23:44:55
あとは黒船来航の現場まで行って、藩に情況報告したり、事としては目立たないけど、かなり重要なことをしている。しかも藩命じゃなく、個人で。

それを平和な時代からの感覚で、独りよがりな男とするのは了見が浅い。
乱世はルール守っているだけでは対処できないから、乱世なのだから。

57: 日本@名無史さん 2010/12/11(土) 12:28:30
ふしみよーが策は現実見えてないとしか思えないが…

61: 日本@名無史さん 2010/12/15(水) 02:04:03
事を成した人間なら日本史上に数多いるけれど、吉田松陰ほどの純粋さを成した人間は数少ないのではないか

62: 日本@名無史さん 2010/12/19(日) 09:45:59
純粋さってより「行動力」と「好奇心」が共に突出している、稀有で異様な人物
本当に「自力」での異様な「行動力」・異様な「好奇心」、どちらかの一方持ってるだけでも稀有だとは思う
今なら政治家兼研究者兼教職者兼テロ主導者兼、思想家って所だし

変人には違いない

66: 日本@名無史さん 2011/02/09(水) 08:37:42
聞かれても無い、いらんことをペラペラ喋ってしまう人だからなぁ

木戸孝允や久坂玄瑞らはこのおっさんが何か勝手なことを
やらかさないかいつもヒヤヒヤしてたと思うぞ

67: 日本@名無史さん 2011/02/09(水) 11:50:20
松陰は20代

76: 日本@名無史さん 2011/03/03(木) 21:42:12.44
松陰って過大評価されすぎというか、変というか。

吉田松陰密航ってどうみても 松陰側が悪いというか、先方に狙撃されて 海の藻屑とならなくて良かったねとしかいえんのだが。。。

深夜2時にごろに密航(?)の為刀を持った二人組の男が近づいてきたら当然のごとく警戒するだろうし、夜襲と思われても仕方がないし。

その後の松陰の逆恨み的な倒幕思想を見るかぎりそうとう狂っているとは思うのだが。

77: 日本@名無史さん 2011/03/05(土) 02:36:00.36
>>76
確か密航する前に関係者に手紙渡してたみたいです。
あと、ペリー自身もその時のことを語った記録があるらしいです。
好奇心旺盛な民族が生まれたこの国の前途はなんと有望なことかって。

むしろ過小評価と僕は思うけどな、一つの宗教となって世界中に信者がいてもおかしくないと思う。

79: 日本@名無史さん 2011/03/05(土) 08:14:24.67
松陰先生に同行した従者の方が悲惨だろ・・・
金子 重之輔

金子 重之輔(かねこ しげのすけ、天保2年2月13日(1831年3月26日) - 安政2年1月11日(1855年2月27日))は幕末の長州藩士である。

嘉永7年(1854年)、アメリカ合衆国の東インド艦隊再来に際して松陰と共に渡米を計画して藩邸を脱走。鳥山確斎の私塾に寄宿して、世界地誌を学びながら機会を窺った。日米和親条約が締結されると松陰と共に下田へ赴いて米艦に乗り込もうとするがアメリカ側に拒否されたためにやむなく計画を中止、自首した。伝馬町牢屋敷に収容後、国許に蟄居の判決を受け、幕吏によって萩へ檻送され安政2年(1855年)、士分以下の者が入る岩倉獄で病没した。


81: 日本@名無史さん 2011/03/05(土) 18:35:42.66
周りの迷惑を考えない人ではある
もう少し長生きすればテロリストになってたかも

88: 日本@名無史さん 2011/04/09(土) 00:51:37.01
吉田松陰の辞世の句と土方歳三の辞世の句って似てるよね

89: 日本@名無史さん 2011/04/09(土) 06:02:45.08
どれのこと? 松蔭の辞世は多すぎて

90: 日本@名無史さん 2011/04/09(土) 07:54:39.29
身はたとえ・・・のことを言っているんじゃない?

辞世の句ってなんかパターンがある気がしないでもない。
どっちが先かは調べてないが、

大内義隆
討つ人も討たるる人ももろともに如露亦如電応作如是観

三浦義同(道寸)
うつものもうたれるものもかわらけよ くだけてあとはもとのつちくれ

大内義隆の方の下の句の漢文は原作があって、蓮如のご文章にも趣旨が
引用されている(と見たことがある)。

91: 90 2011/04/09(土) 10:46:23.50
ちょいと気になったのでぐぐってみたら、更にあった。

後醍醐天皇
身はたとえ南山の苔に埋るとも、魂魄は常に北闕の天を望まんと思う

103: 日本@名無史さん 2011/07/18(月) 03:26:50.63
松陰は女のように優しく、反面情熱的な人間だった。彼は30年という短い生涯の中で多くの人間をその情熱で突き動かした。幼いころ彼は神童と呼ばれており、10歳で藩校明倫館の兵学師範として教壇に立った。その賢さを支えたのは、読書の量だと言われている。松陰は、密航の罪で投獄されている間も読書をしており、投獄期間の1年でおよそ600冊の本を読んだと言われている。
 
松陰の開いた塾として、松下村塾が有名なのは言うまでもない。その門徒は90名程度と、私塾の中では門徒が少ない方であった。松下村塾の特徴は、学費がないこと、入門の身分が定められていないこと、教科書や時間割がないことなどが挙げられる。

104: 日本@名無史さん 2011/07/18(月) 05:24:02.68
しかも生徒全員が思想家になったわけでもないんだよね。
特に塾を開いた当初はその辺の子に手習いを教えてただけだったし。

そのうち、元々国事に関心のある若いのが集まってきて、思想家の養成所みたいになっちゃったわけだけど。

「その辺の子が松蔭に啓発されて志士になった」的な解説は間違いだと思う。少なくとも、何かをしなければいけない、と思ってる連中が、脱藩したり、黒船に密航しようとしたりした、先輩活動家の松蔭の元に集まった、って事だと思う。

114: 日本@名無史さん 2011/10/28(金) 04:03:36.00
29歳で死去って…
60~70代の爺ちゃんと思いこんでたww

115: 日本@名無史さん 2011/10/28(金) 08:25:58.69
しかし今の29の人が「講孟余話」を読んでも理解できんだろう。

120: 日本@名無史さん 2012/01/07(土) 15:18:05.93
志を立てるためには人と異なることを恐れてはならない
世俗の意見に惑わされてもいけない
死んだ後の業苦を思い煩うな
目先の安楽は一時しのぎと知れ
百年の時は一瞬にすぎない
君たちはどうかいたずらに時を過ごすことなかれ

http://www.youtube.com/watch?v=x3nGVfymDgk



123: 日本@名無史さん 2012/07/16(月) 21:07:45.81
吉田松陰から門下生への手紙

著名な名文を読むことが出来る。

http://www.yoshida-shoin.com/message/shoin-tegami.html


125: 日本@名無史さん 2012/07/17(火) 18:23:21.32
大塩平八郎の『洗心洞箚記』は乱によって禁書になったはずなのに、松蔭はどこで入手して呼んだんだろう。
知ってる人はいる?

あと、この本を褒める感想を残してるけど、出典はどうなってる?

139: 日本@名無史さん 2013/04/17(水) 08:54:54.02
.
吉田松陰先生
遊郭で女を買っていたらしい ↓

松陰先生よもやま話
http://yicin.web.fc2.com/kyoiku/shoin/koi.htm

吉田松陰 資料室(直筆書など)
http://www.yoshida-shoin.com/shiryo/shiryoshitu.html

嘉永6年(1853年)松陰は佐久間象山に別れ、ロシア艦に乗るべく東海道から長崎にむけて旅をしておりました。その途中、箱根八里の起終点三島の宿に泊まります。
 
この時松陰の日記に、「初め国を出るとき先生(恩師山だ宇右衛門)贈るに、四条の戒(偸盗・邪淫・妄語・飲酒)をもってせらるる。今即ちその二つに背く、感慨に堪ゆるなし・・・」とあります。松陰が背いた二つとは、盗みはまず考えられず、松陰の性格からして妄語も無理があると思われます。そうすると残るは、「感慨に堪ゆるなし・・・・。」という言葉からも考えて淫と酒とするのが妥当ではないでしょうか。何事も実学を重んじる松陰が、旅の途中三島にて女と遊んだ・・・。と考えるのは、この程度のことで松陰の権威が傷つくこともないとと思いますが、いかがなものでしょうか。

松陰先生よもやま話
http://yicin.web.fc2.com/kyoiku/shoin/koi.htm


140: 日本@名無史さん 2013/04/19(金) 04:43:41.04
松陰先生でもやることやったことあるかもしれないのに、お前らときたら

147: 日本@名無史さん 2013/08/22(木) NY:AN:NY.AN
教育者としては申し分ないがのに、なぜあんな無鉄砲だったんだろう

148: 日本@名無史さん 2013/08/27(火) NY:AN:NY.AN
だから陽明学の徒はアカンのよ。
松陰しかり、西郷隆盛に三島由紀夫しかり。
高杉はあれでいてちょっと違うからね。

167: 日本@名無史さん 2014/01/03(金) 08:22:10.35
明治になって松陰先生の妹さんにインタビューした話が出版されていて
ネットでも出てくるが、それを見ると女はもとより、酒やたばこにも手
を出したことはないみたい。ひたすら公に身を挺するのみ。公の概念が
今とは違うが。

168: 日本@名無史さん 2014/01/10(金) 12:55:34.70
獄中で出会った高須久子という12歳年上の未亡人との
ラブロマンスがあった?とも言うけどねえ
獄中で久子と松陰が詠みあった相聞歌が残ってるんだよね
肉体関係はなかったと思うけど

170: 日本@名無史さん 2014/01/24(金) 06:39:12.37
吉田松陰の辞世の歌新たに1通
幕末の志士に大きな影響を与えた思想家の吉田松陰が、処刑される前に書いた辞世の歌が新たに1通、見つかったと京都市の美術館が発表しました。

吉田松陰は、高杉晋作や伊藤博文など、多くの幕末の志士を育てた思想家です。
「安政の大獄」で29歳の若さで処刑される直前、「此程(このほど)に思(おもい)定めし出立(いでたち)はけふ(きょう)きく古曽(こそ)嬉(うれ)しかりける」と、
死の覚悟を詠んだ辞世の歌を残しています。
これまで、家族に宛てた1通が見つかっていましたが、京都市東山区の井伊美術館が、同じ歌が書かれたもう1通が見つかったと発表しました。
井伊美術館の井伊達夫館長が、競売に出されていた巻物に同じ歌を書いた紙が貼られているのを見つけ、複数の専門家が調べた結果、
直筆とみられることが分かったということです。
この巻物は、安政の大獄を行った井伊直弼の家臣、長野主膳の手紙を集めたもので、歌の裏には、松陰の辞世の歌であると主膳が書いたとみられる
文字も残されているということです。
辞世の歌を複数の紙に書くことは珍しくないということで、井伊館長は、「政敵だった主膳も松陰の資質を認めていたからこそ残したのではないか」と話しています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140124/k10014727511000.html
※リンク切れ

191: 日本@名無史さん 2015/01/17(土) 16:12:38.43
尊王攘夷って現在から見れば結局時流が読めていなかった奴らでしょ
松陰についてもその識見は評価しないかな

196: 日本@名無史さん 2015/01/21(水) 03:40:01.03
>>191
建前としては尊王攘夷って通用したかも知れないけど、基本、知識階級は海外留学したがった時代
本気でぶっ放した奴は松陰弟子くらいだな
下手に身分の低い足軽とか集めちゃったからそいつらが出世欲で暴走したんだよね
だから高杉みたいに世子側近で良い家柄の子は途中で付いてけなくなってる面もある

192: 日本@名無史さん 2015/01/17(土) 16:58:28.83
まったくだ。

幕府側で考えつかなかった独自の外交案を思いついたわけでもないし、幕府側で把握できてない独自情報を入手できたわけでもないし、識見に関しては大した人物じゃないな。

カリスマ性とか説得能力みたいなのが圧倒的だった点ぐらいじゃないか?

197: 日本@名無史さん 2015/01/21(水) 03:49:29.93
>>192
カリスマ性って、魔法使いになりかけてたことくらいだろ
長州藩の党派抗争か何か知らんけど庇護者がいて松陰に甘かったんだよ
あんなの薩摩や土佐なら藩父の一言で上意討ちだわ

200: 日本@名無史さん 2015/01/21(水) 16:48:21.42
>>197
カリスマ性はあったと思うよ。
開祖自らが「狂者」と自称した極端な学派・陽明学の体現者だからな。

性善説を盲信し、どんな状況でも理想論を説くある種の狂人。

師やマスコットとして見れば、魅力的だったと思う。
家族や友人には絶対したくないが。

199: 日本@名無史さん 2015/01/21(水) 14:28:31.83
いや、樟蔭が一対一で説得した相手ってかなりの頻度で樟蔭に心酔してるだろ

カリスマ性っていう言い方はおかしいかもしれんけど。

201: 日本@名無史さん 2015/01/23(金) 06:38:33.22
松陰はカリスマというか、青少年に悪影響与えてるマルクス主義哲学者みたいな感じだな。
家柄の良い高杉家とかあの先生の所へは行っちゃいけませんって言われて、息子も素直に従ってるからな。

ただし、貧乏で上に行けない足軽クラスの奴らにとっては東大の元准教授くらいの奴がオラたち草莽に教えてくれてるだ
みたいな感激があって、そういう貧民どもが尊攘激派的な心酔者になっちゃった感じだな。

204: 日本@名無史さん 2015/02/02(月) 15:51:30.76
>>201
> 家柄の良い高杉家とかあの先生の所へは行っちゃいけませんって言われて、息子も素直に従ってるからな。

従ってないだろ
夜中にこっそり家を抜け出して通ってたんだよ

203: 日本@名無史さん 2015/01/26(月) 23:29:54.80
松陰って最後はただの観念論者というかテロリズム煽動者になってしまったからな
自身の処刑も信念に従った自爆テロみたいなもんだから

あとこの人の書簡読んでると評価がクルクル変わったり相手の立場とか全然考えてなくて、
人格とか脳に欠損があったんじゃないかなとすら思える

195: 日本@名無史さん 2015/01/17(土) 19:51:11.63
同期とか試行錯誤、失敗談は面白いけど、具体的な成果物は何も作ってないよね
多数の弟子たちが大成したという点が唯一の(しかし絶大な)成果だ。

214: 日本@名無史さん 2015/04/11(土) 04:58:26.40
世古格太郎(延世)って密勅事件で安政の大獄に連座した尊攘派の同囚だから松陰を悪く言う必然性って特にないよね。唱義聞見録でも他の箇所は特に悪く言ってないし。
だから「吉田もこの死刑に処せられるべしとは思わざりしにや…実に無念の顔色なりき」という記述も信用に値する。松陰はこの10日前まで死刑どころか遠島になるとも思ってなかったんだし、どうやら死罪だと悟ってからは騙された、騙されたと手紙で怒ってるし

216: 日本@名無史さん 2015/04/11(土) 13:45:12.25
>>214
元々、安政の大獄って、十四代将軍の座を巡る政争の報復人事であって、思想統制とかじゃなかったよな

217: 日本@名無史さん 2015/04/11(土) 14:19:28.70
>>216
当初はそうでも途中から報復人事の粋を越えとるよな

218: 日本@名無史さん 2015/04/11(土) 17:26:47.10
>>217
連座の範囲が広がりすぎたしな

221: 日本@名無史さん 2015/04/12(日) 00:56:34.95
松陰が罪状を軽くしようとして進んで自白したという説は絶対におかしい
だって松陰は法廷を「建白」の場として捕えてるんだから
もし自白が失敗だと気づいたなら第2回、第3回の取調で撤回の言動を見せてるはず
しかし松陰は撤回どころか意気軒昂そのもの

そこまでするなら死罪を覚悟していてもおかしくなさそうだが
手紙を見る限り遠島すら考えておらず、お預けか国元で謹慎だろうと思ってた

219: 日本@名無史さん 2015/04/11(土) 22:20:53.81
いずれにしても松陰は自分から老中殺害を建白した馬鹿

220: 日本@名無史さん 2015/04/11(土) 22:38:14.71
>>219
そもそも、開国業務担当で日本の将来を担うはずの要人だった間部を殺害しようとか、鎖国続行派、反動派の活動じゃん
それの提言に関与とか、松陰の頭がおかしくなってたとしか思えん
それか、松陰の開国提言がポーズだったか。

222: 日本@名無史さん 2015/04/12(日) 01:29:16.64
>>220
従来「密航」とされてきたのは「墨夷膺懲」つまりペリー殺害のためだったという川口説なら出てる
それだと久坂玄瑞と交わした手紙の内容も納得できたりするし、思想にも一貫性が出てくる
たださすがにそこまでは納得できないものもある

224: 日本@名無史さん 2015/04/12(日) 08:26:19.57
松陰はアメリカにいって何をすべきかを箇条書きで書物の枠外に書いてたりするから
それはないと思うよ
しかしドラマを合わせて新史料発見みたいなの多すぎる・・・

226: 日本@名無史さん 2015/04/12(日) 09:03:31.04
墨夷膺懲説はペリー暗殺のほかに密航後の要人暗殺説とかもあるんだよ
で根も葉もない俗説かと言えば肥後勤王党との交流や後年の松陰の回想から見て、
平和的な密航を考えてたとは言えない状態なので扱いに困ってる状態

234: 日本@名無史さん 2015/04/25(土) 23:25:19.92
尊皇攘夷、間部暗殺、倒幕、明治帝政…
結局、基地外のように見えて物事の本質を判っていた松陰は凄い。
勝安房、佐久間象山、そして松陰寅次郎。この3人が傑物だべ。

236: 日本@名無史さん 2015/04/26(日) 11:35:08.87
>>234
明治~昭和前期にかけて今じゃ想像もつかないほど大きな影響を与えた志士
とは言えるだろうけど、傑物かどうかと言われるとウーンだね。

236: 日本@名無史さん 2015/04/26(日) 11:35:08.87
むしろ>>233に見るように明治要人の対外侵略政策を規定したというほうが注目されるかも。
対ロシア・満州への内陸進出、対朝鮮強硬論は少なくとも幕府の熟練した外交官たちにはあまりなかった。
この点は佐久間象山とも関連してくるが

まず松陰の思想が変遷したのか、それとも一貫してたのかによって膨大な言動の解釈が変わってくる。

237: 日本@名無史さん 2015/04/26(日) 12:00:31.59
松陰が学んだ佐久間象山は物凄い国際情勢に通じてたし洞察力もあったけど、
きわめて猜疑心に富んだパワーポリティクスの信奉者って面もあるんだよね。
だからインド大反乱や太平天国の乱に強く注目し、イギリス艦隊の来航は遅れるはずだと考え
(結果的には的中するけど、ハリスの情報は必ずしも嘘ではない)、アメリカに対して全く心を許してない

彼が献策した岩瀬・井上・川路ら外国事務者は相手と直接会ってるから、
そこまで強い猜疑心は見られないんだけど、象山の冷酷な国際情勢認識が松陰に影響を与えた可能性もある。

238: 日本@名無史さん 2015/04/26(日) 13:24:13.72
>>237
幕府側だって、アメリカの使節が正直一辺倒で来るとは思ってないから入念に下調べして、
ペリーの外交発言にあった嘘や誇張をいちいち指摘してたじゃん

241: 日本@名無史さん 2015/04/26(日) 18:13:52.46
>>238
だから幕府外交はあれでいいんだよ。ハリスの言う情報が全部ウソだとか決めつけずに裏取ったでしょ
象山は基本ハリス情報に裏があると思ってて結果的には当たったけどはっきり言って疑いすぎてたわけだし。
そして、そのリアリズムから来る警戒意識が松陰みたいな純朴な理念主義者に移植されるとえらいことになる

274: 日本@名無史さん 2015/05/08(金) 01:20:53.82
松陰と山県太華との論争(と言える程かとも思えるが)、あの意味するところをしっかり理解できるかどうかが、
現代に生きる人間として、歴史観・文明観を正しく持ち得ているかどうかの分かれ目ですな。

松陰の方が滅茶苦茶、感情論、空理空論のように見えて(太華の解釈。そして少なくない現代の凡人歴史学者の見方)、
現実-欧米列強が日本を植民地化しようとしている。その現実の中でどう対応するのか。-を直視し、具体の対応策を探しているわけだ。

276: 日本@名無史さん 2015/05/08(金) 14:08:13.62
>>274
あれは普通に山県太華のほうが正しい
というか松陰が厨二病こじらせてるから論争になってない
そもそも「欧米列強が日本を植民地化しようとしている」という前提が間違ってる
大槻盤渓の具申とか読んでみ。

引用元: ・【松下村塾】吉田松陰を語れ【幕末】


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