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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/04/16(木) 17:20:16 ID:ke1IX2Rv0
劉表死後に荊州乗っ取らなかったから

関連記事劉備が天下統一できなかった最大の原因








358: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/03/07(月) 19:58:11.43 ID:oj6GF0ouO
地の利でチャンスだった時は人がおらず、次に地の利を得て人も来たのに既に時期を逸していた。
ならば劉備にとって天の時とは何時だったんだろか。

361: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/03/09(水) 15:18:56.28 ID:fmRfEur20
陳群の劉備への指摘は正しいけど
じゃあ陳群に従っていれば劉備は飛躍できたのかといわれると大いに怪しいな
回りまわって袁家に天下が転がり込んでいただけという気もする

362: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/03/10(木) 01:21:56.75 ID:5qwBF9B10
正しいかね。
一年どころか数ヶ月で状況が変転した190年代に、
二年間外からの大規模な攻撃がなく地盤固めに専念できた徐州は
かなり恵まれた戦略条件にあったはずだが。
194年徐州というのは周囲が不慮の損害や別の敵に手一杯という幸運の時機だった。

ただ、196年に「不慮の損害」が劉備に巡ってきただけで。

363: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/03/10(木) 02:29:05.87 ID:f+w5I14Q0
そこだよなー
何で受け入れちゃったんだろ

某小説のように、王朝の守護者という評判に
劉備か徐州士大夫層が骨抜きにされてしまったのか?

364: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/03/10(木) 06:38:08.90 ID:Ga721o26O
呂布で失敗したのがトラウマになって、劉表の元で自分が呂布と同じような立場になったときに「絶対裏切ったりしない」と言い張ってまた失敗したのかな

365: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/03/10(木) 22:44:32.08 ID:6y2GEj1V0
劉備が五湖十六国時代の劉裕のような性質だったら、何とかなったのかもしれません

372: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/03/21(月) 10:33:44.20 ID:jVapWuKf0
黄巾後に起家っていうのが相当の後発組なんだよ。
他の群雄の殆どは、
・黄巾以前からの朝廷高官または世に知られた名士
・動乱後に地盤を築いた群雄の跡を継いだ子弟
・董卓一派の部曲などで朝廷の実権を者
だから。
無位無官から始めて、黄巾の乱から5年ほどで県令まで昇って、
動乱の中を渡り歩きながらさらに5年で国相、刺史、牧。
さらに2年で正式に鎮東将軍を拝命っていうんだから。
これを支えた「武勇と信望」という評価は並大抵のものじゃない。

373: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/03/21(月) 16:39:38.16 ID:CPdjCTj00
鎮東将軍に上奏したのは曹操だけどな

375: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/04/08(金) 15:37:48.81 ID:zcCjAE/n0
考えてみると劉備に公的権威与えちゃったのって曹操なんだよな。
県尉(県令じゃなかったと主)はとりあえず朝廷からの任命だけど、微官だし、
平原国の相は公孫瓚の勝手な任命だし、徐州の牧も現任が勅許も受けずに官を私物化して
譲り渡したもの。でも豫洲牧と左将軍は正真正銘の任命だからね。

懐柔しようとしてわざわざ将来の敵に箔つけちゃったわけだ。
関羽の寿亭候もそうだけど、曹操って結構迂闊な人?

376: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/04/08(金) 16:53:30.50 ID:pdZff8YD0
曹操は張繍の件をみても分かるようにかなり迂闊な所があるが、その件は大して迂闊じゃない。
当時の情勢がそう簡単に漢朝廷に従う状況なら別だったが、
実際はどこも軍事力の方を見て日和見してるからな。

378: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/04/08(金) 21:07:06.86 ID:omG2uGrF0
>>376
献帝を擁した直後、袁紹へも含めて官位をばら撒きまくってるからね。
献帝=曹操を同一勢力とアピールする誇示でもあり、切実な懐柔策でもあり。
そのうちの一人を取り込み損ねて大敵になってしまった、ってだけで、
196年当時の劉備への待遇自体は、そんなに特筆すべきものでもない。
その後、対呂布・袁術戦線で劉備の価値がさらに上がっていって、
地位と箔を与え続けるはめになってしまったことが仇になったが、
他に有力者がいなければどうしようもないわけだし。

384: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/09(日) 11:49:54.14 ID:fAeonDCV0
いくら過疎スレとはいえスレタイとはずれてるのでちと個人的見解を
劉備が天下統一できなかった原因・・・やっぱり年齢と領土かなぁ

①かなり難があるが徐州をなんとか守り抜いて曹操の台頭を防いでいれば
②劉表死亡後に荊州を奪っていれば
③孫権ばりに長生きして魏延の北伐案をやってみる

でも天下統一を劉備がしても、なんか劉邦の晩年をなぞりそうだと思うのは俺だけ?

389: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/09(日) 19:04:18.02 ID:7nlB0KTq0
>>384
その中じゃ、徐州堅守以外は手遅れでどうにもならない

袁曹戦争は、いわば天下分け目の関ヶ原
曹操が袁家を滅ぼし、河北を制覇した時点で、
他の勢力では曹操の天下統一を阻めても、曹操の天下を奪うことは不可能
それほどに勢力差がひらく

391: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/09(日) 21:15:38.93 ID:PXmkSwXP0
④荊益を完全に保全した上で、魏を防ぎつつ交州を固め揚州を制圧し、然るのち北伐する

ってのがあるが、劉備にとっては完全に時間切れだな。
劉備生前ならやはり>>384の①

同時期は曹操の人生最大の苦境の時代で、袁紹・袁術も全盛期を迎えていない。
徐州を押さえつつ当面の主敵の袁術を撃退してから、
袁紹と組んで曹操に成り代わり河・江間を独占するもよし、
公孫サンを支援して東西対決に持ち込むこともできる。
楽な道とは言えないにしても選択肢が豊富にある。

392: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/09(日) 22:30:15.60 ID:AuuMgBNE0
私も現実的なセンでは>>384の①しかないと思う。
徐州失った直接的な原因って袁術でも曹操でもなく呂布だから
呂布を迎え入れず、自力で袁術を撃退できれば官途に徐州太守として
介入できたかもしれないね。

385: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/09(日) 14:12:40.06 ID:AuuMgBNE0
④周瑜の劉備奉戴策に劉備・孫権共に乗る
ってのはどうかな?実現性が低いのはわかってるけど
戦力的には他のifより可能性があるのでは・・・

386: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/09(日) 14:37:36.87 ID:PXmkSwXP0
いや周瑜の策は呉の奥深くで飼い殺しってもので、奉戴しようってものじゃない。
良くて、呉帝孫権の下で一兵も持たない驃騎か車騎将軍ってところだろう。

387: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/09(日) 16:47:09.07 ID:AuuMgBNE0
周瑜の策は献帝と曹操の関係のように
劉備を祭り上げて実権は孫権が執るって
ものじゃないか?
確か「宮殿を築き、美女を与え・・・」みたいな事が
書いてあったと思ったが。

394: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/10(月) 18:37:33.17 ID:xqf2cFR20
曹袁が決定的に対立するのは199年。
史実の劉備は徐州牧になった直後に袁紹と誼を結び、
曹操=献帝からは正式に官位を貰うわけだから、三者は小康状態でいける。

199年までに袁術を破って淮北から青州の河水南岸までを制圧すれば
曹操と同格以上の兵力を有することになる。
まあ、そこから天下を狙うには、どちらかに従属しているのでは駄目で、
袁紹と組みつつも手薄な許都を単独襲撃して献帝を掻っ攫うとか、
曹操と組んで袁紹を撃退した直後に疲弊した曹操を襲撃して
献帝を掻っ攫うとかしないと駄目だけど。

呂布は事故みたいなもんなんで、これは「上手くしのいだ」とするしかない。
それから田豫はもういないし、当時は若いので有力者ってほどでもない。

395: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/11(火) 23:32:25.61 ID:lznfMtJm0
>>394
いろいろキビシイけど人材的なものが一番きついな・・・

397: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/12(水) 00:58:06.45 ID:S34et2SG0
>>395
将に関張、軍師に内は陳羣、外に陳登がいる
駒不足ではあるが、当時の曹操も駒は不足がちだから隔絶たる差ではないよ

396: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/12(水) 00:05:16.71 ID:vaONGZPH0
曹魏で中核を占める有力者の多くが曹操に仕えたのは
実は196年の皇帝奉戴以降だから、
対応が早ければ人材は挽回できるんだろうけどね。

それは同時に、袁氏のような人脈名望がない劉備が中原で
天下を狙うには皇帝を担ぐことが必須条件ってことでもある。

399: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/16(日) 00:14:59.62 ID:PQBdqXJ90
たとえもし劉備が徐州を維持できたとして曹操の拡大を抑えられても天下は無理だろ

まず曹操が拡大できなかったのなら袁紹や袁術がはびこってるだろうし大小含め曹操に掃除されるはずの雑魚勢力が中原にうようよしてる

そんな状態で劉備が天下とれるわけない

曹操みたいに斬新な作戦も能力もないから袁紹の天下に順調に進むなか一人「漢室復興()」を唱えて史実のように消え去る

400: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/16(日) 00:57:35.93 ID:3JZQ4d2O0
曹操って何か斬新な作戦とってたっけか。
民屯も背景に「豪族の私兵と墾田の構造」があるから斬新と言う程ではないし、部下の発案だしな。
劉備の徐州時代まで行っちゃうと雑魚はほとんど残ってないような。

402: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/16(日) 08:44:01.18 ID:oR/NL52H0
徐州を得た時に,豫州をそのまま維持できなかったのだろうか?
その上で,陳羣のような潁川、汝南の人材をかき集めれば,
曹操や袁紹にも人材面では負けないだろう。

当時の兵力じゃ難しいか。

403: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/16(日) 14:33:06.67 ID:OcfUSvyP0
>>402
「できた」「できなかった」のはなしなら「できなかった」
当時、徐州の将兵の掌握をままならぬまま、領土欲から袁術に挑み
留守の隙を突かれて呂布の台頭を許す結果となった。

劉備は、陳羣の諌めに従って、まずは徐州の将兵の掌握と人民の慰撫に勤めるべきだったと思う

何かとネタにされる曹豹だが、徐州時代の劉備にとって重要人物
彼から忠誠をえられなかった事が最大の失策であり、ターニングポイントといえる

405: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/16(日) 16:15:52.76 ID:pzs5hFMo0
>>403
それと同等以上の失敗をしたのが、エン州を失ったときの曹操だけどね。
なにせ何進に招聘されたこともある地元有力名士の辺譲をないがしろに扱って
同じく地元有力名士の張バクの乱を呼び込んだわけだから。

劉備と曹操の差は、(結果から見れば)曹操には驚異的な軍事的粘り強さがあり、
当時の劉備には無かったことだろう。
それ以上の中原情勢として、
曹操がエン州を回復する二年という長期間、外にはエン州に本格侵攻する大勢力が無く、
不利な横槍がほとんど入らなかったことがある。
しかし、劉備が徐州を失った196年は袁術の最盛期近くに辺り、
曹操も献帝を抑えてエン州・豫州西部・司隷東部に支配を伸ばす大勢力になりつつあった。
この二者の影響を劉備(と、それから勿論呂布も)受けざるを得なく、
徐州が独立的に安定する機会は結局二度と訪れなかった。

406: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/16(日) 16:37:12.47 ID:OcfUSvyP0
>>405
同等の失敗には違いないが、本拠地を失陥して徐州を失った劉備軍と異なり
たった3城まで追い込まれても、本拠地を死守した曹操軍との差は大きい

また、困難な状況において、死力を尽くして抗った曹操と
あきらめて軍門に降った劉備の差も大きい

劉備を粘り強い人と考えている人も多いようだが
その事績から見ると自分の命以外のものは、割とあきらめのよい人と見受けられる

この点が天下争奪戦において、
曹操に対して十歩も百歩も後塵を拝する結果になったと考える

413: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/16(日) 21:20:24.83 ID:pzs5hFMo0
積極的な天下狙いとは言えないが、
徐州一州を以って袁紹に附いて曹操を潰し、
そのあと袁紹が死んで、縁故のある袁譚に与して上手く立ち回れば、
結構機会があるかもね。
なにしろ袁譚に附くだろう人間としては、将軍・州牧クラスというのは
抜きん出た格を持つ。

414: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/16(日) 22:45:48.20 ID:vY9YzM6M0
呂布を利用して対袁術の共同戦線でも張れればな・・・・
袁術に手一杯の所を呂布にやられたので、呂布をどうするかが大きな課題だと思う
袁紹は遠いし、曹操も劉備に援軍送るだけの余裕は無し

415: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/17(月) 19:08:54.61 ID:PfMd+4ME0
でも呂布の謀臣の陳宮が、もう曹操に下るくらいなら死ぬって覚悟でいるからなあ。
そもそも袁紹・曹操に反して、交戦中に袁術と結ぼうとしていた勢力の残党だから、
袁術に傾斜するのは避けられないんじゃないか。
庇護したこと自体が失敗。

で、なんでわざわざ劉備が呂布を迎えたかというと、
朝廷(献帝)を守護した者という触れ込みがあったからだと思うんだよね。
だから袁紹・袁術・張バクと転々としつつも歓待されたし、
朝廷も東帰の際に呂布に助けを求めている。

めんどくさい状況だわな。

416: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/17(月) 21:46:35.92 ID:NwlYRXXjO
いっそ呂布に袁術攻めを任せてみたらどうだろう?
元々袁術から追い出された身だし、案外気張って上手くやってくれるんじゃね?

417: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/18(火) 00:28:27.23 ID:24WP2SmW0
>>416
呂布の勢力だけで対等に戦える相手かと言えば、そうでも無い気がする
戦場は徐州になるわけで、劉備だけ高みの見物とは行かない
呂布に劉備の盾となるメリットも少ないし、戦争のドサクサで呂布に徐州を
乗っ取られる気がするぜ・・・・

418: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/18(火) 00:36:40.31 ID:+3GcMstu0
本拠地に危険人物を置くわけにはいかないから前線に出すというのは割と常套手段。
しかし、呂布の手勢だけで袁術と戦えるはずがないので、
少数で放り出せば、そのまま袁術に駆け込まれる危険があり、
十分な戦力を与えれば、やっぱりそれを手土産に袁術に駆け込まれる危険があるという。
陳宮辺りは徐州を獲れないのならそれを薦めそうだしね。

440: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/26(水) 10:02:23.52 ID:+0ati/QCO
劉備が天下を取れなかったのは明らかに自立が遅過ぎたからだと思うんだけど、それ以前に劉備が最初から天下を望んでたように見えない。
少なくとも孔明と出会い荊州から追い出されるまでは、一武将として生涯を終えるつもりだったように見える。

446: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/28(金) 01:17:16.30 ID:ktLfC5p10
>>440
徐州の自立は遅いと云うほどでもない
天下を望んでいた訳ではないとは、陳寿の記述からも読み取れるが
一武将として生涯を終えようとしていたとするには、若い頃から野心が強過ぎるように思う

447: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/28(金) 02:39:55.39 ID:L2zTmang0
結果的に漢が滅びているからと言って、野心家の誰しもが漢氏に取って代わることを狙っていたわけでもないだろうからね。
漢を再生させてその中で最大の栄達を図るのだって十分大それた野心だ。
朝廷を牛耳る宰相とまで行かずとも、第二位、三位の驃騎・車騎将軍とか。
官渡前に袁紹に与した頃の劉備は、勝てばそのくらいは狙える距離にいた。

448: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/28(金) 23:13:26.28 ID:HushaORbO
能力や野心や仁徳がホントはどんだけあるのか、ホントは何がしたかったのか、調べれば調べるほど解らなくなる。
劉備って三国志でもダントツに面白い人物だと思うわ。

493: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/11/06(日) 01:13:55.31 ID:C/KpF3oB0
原因は性格だな
大人の風ありとはいうが、肝心なところで我を通すのが失敗の要因
あと追い込まれるとこらえ性がない

あくまで曹操との比較でそう思うだけで、まぁ陳寿の評のとおりじゃなかろうか

497: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/11/07(月) 22:11:37.15 ID:cOA+5Lai0
官渡の戦いで大勢は決してたんだよね
帝も確保してるんだから諸侯が曹操に敵対する=朝敵なわけで
劉備のいう正義って何?

499: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/11/07(月) 23:40:58.50 ID:pZXdJbKw0
劉備の正義っていうか、曹操に組したくない奴らに大義名分与えたのが劉備じゃないのか
諸葛孔明が仕掛け人とされることも多いが

502: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/11/08(火) 08:06:26.97 ID:a8xSiKuuO
そもそも正義なんて自分の主張を個人的に正当化したものであって絶対的なものじゃない。
朝敵という見方でさえ放伐や君側のカン(漢字出ねー)という正義が主張出来るんだから。
後はその主張にどれだけの賛同者がいてくれるかだ。そういう意味では後年劉備は正義として多くの人に認められているな。

503: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/11/08(火) 13:11:06.55 ID:JrIYVd9D0
劉備末期の呉侵攻に反対した武将や文官は少なくとも劉備の大義名分をよく理解していた
劉備をそそのかしたり積極的に付き従った武将や文官は利を求めて劉備についただけの奸臣

ここまで言うと言い過ぎかもしれないが概ねの色分けはできそう

504: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/11/08(火) 22:09:00.53 ID:V8F2GbAr0
劉備の大義名分=漢による天下奪回 のためには荊州奪還こそが必須だったという方が、よく言われる話だけど。

505: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/11/09(水) 01:23:07.40 ID:CQ4Z8QxA0
>>504
劉備の大義名分=漢朝の再興、かもしれないが
劉備≠漢、だ
献帝健在の内に漢から独立しておいて、漢を名乗るはおこがましい

506: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/11/09(水) 01:40:17.75 ID:DhhfwUHl0
>>505
残念ながらそれは当たらんな。
後漢は成立の過程の問題から、有力な皇族が独立して漢を名乗ることを正統性論争だけでは抑止できない。
実力と前漢皇族であること以外に前漢を継いだことの正統性がない系統だから。

507: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/11/09(水) 09:41:59.95 ID:9QE+VPtPO
>>506
あー成る程、劉備は(自称?)劉勝の子孫なんだもんな。引き継ぐなら当然前漢か。

508: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/11/09(水) 10:27:19.78 ID:DhhfwUHl0
>>507
違う違う。
後漢が前漢を継いだ論理と、蜀が前漢を継いだ論理は全く同じだから、
後漢は蜀を責めることは出来ないし、後漢を継いだ魏も蜀を越える正統性がある訳ではない。

何しろ光武帝は前漢最後の皇帝である孺子嬰も、旧主である更始帝も健在のうちに即位し、
王族クラスで自分より遥かに大きな勢力を持つ劉永も敗死させて、自勢力のパトロンの劉楊を暗殺している。

後漢や後漢を継いだ魏は、血統の正統性によって劉備を責めることは出来ないし、
勢力の趨勢によっても劉備の不当を訴える事は出来ない(劉永の件が即位後なので抵触する)。
訴えたら後漢やそれを継いだ魏の正統性が揺らいでしまう。
光武帝がやったように、実力で敵をねじ伏せる以外にない。
もちろん逆に、蜀も「簒奪」疑惑以外で魏を責めることは出来ない。

むしろこういった理由で、三国が正統性論争から自由だからこそ、三国で文通が行われたりしたんだろう。
正統性論争があれば、名士や人材評論の盛んだった後漢末の空気を知ってる各国知識人は、
交流を絶たざるを得なかっただろうね。

509: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/11/09(水) 10:33:04.00 ID:DhhfwUHl0
肝腎な所を誤記してしまった。
× 蜀が前漢を継いだ論理
○ 蜀が後漢を継いだ論理

後漢の正統性がごらんの通り皇族内での血統の皇帝への近さによるものではない為、
劉備は大手を振って後漢を継ぐと主張出来る訳よ。

510: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/11/09(水) 15:12:15.70 ID:EZZXr9lQO
皇帝位云々はおいといて劉一族として見ればいい

本流の家が力を失ったから力を持ってる庶流の家が
本流に変わって劉氏の棟梁となっただけ

袁昭は嫡出ではないが袁家の棟梁となり
陸遜も庶流だが陸氏の棟梁となった
当時は一族の誰かが栄達すれば一門皆栄える時代だから
優れていれば血縁の近さなんてのはあまり関係ない
劉備がむしろ織りするほど貧しいのに学問することが出来たのは
本家の棟梁が目を掛けて学費を出したからだしね


話がずれたけど、そういう事は当時は普通に行われていることで
劉氏に限っては400年も皇帝として君臨していたので庶流の数が馬鹿みたいに多いだけ

512: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/11/09(水) 20:17:32.21 ID:DhhfwUHl0
>>510
悪いけど皇帝位についてはそんな宗族内の出来事と同列視できない事情がある。
秦漢の皇帝位の扱いの違いとして、秦では皇帝を「天そのもの」としていたものを
前漢では「天から与えられた爵位の一つ」として祭祀上取り扱っている。
皇帝位の継承は当然爵位継承の手順に準ずることになり、本来であれば嫡男など
正統性の順番で継承され、自分より正統な後継者が全て死没している場合のみ継承が許される。
皇帝や皇后の意見が「太子」選定に影響することはあり得るが、臣下たる皇族が自発でそれを正すのは無理。
子がなければ本来は断絶することになる。
もちろんそうなると臣下が宙ぶらりんになるので、皇后など内朝の意見を参考に継承者を捜すことになるが。

あとあなたが挙げている例も誤謬が多い。
陸遜が陸氏の宗族を率いたのは本筋の陸績があまりにも年少だったため。
若年時は陸績の方が名声を博している。
袁昭が袁紹の事なら、一族の根拠地で割拠した袁術の方を宗族の長と見る場合が多い。
劉備の例はそもそも宗族の長の「就任の」話とは全く関係がない。
タク郡劉氏は魏内で劉備とは別個に存続している。

515: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/12/23(金) 00:25:13.56 ID:4jvl4GcHO
曹操、孫権、劉璋に囲まれてる荊州じゃ最初から詰みだろ

518: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/12/25(日) 05:22:21.73 ID:uZG5bCsR0
>>515
曹操が南下する以前に劉表を謀殺して荊州を上手いこと奪い取れたのならやりようはあるさ
荊州を奪えず仕舞いでも何とかなったのだから

519: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/12/27(火) 06:48:52.50 ID:bxPi1s9X0
>>518
まあ荊州を奪うことだけ考えればそれでもいいけど,
本当に乗っ取ってしまったら,その後劉璋には警戒されるから,
益州奪取は逆に難しくなるのでは。

それに,乗っ取りの最中に孫権に攻め込まれそうな気がするけど。

528: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/12/30(金) 11:18:28.52 ID:sDdqiEJCO
重臣でもない単なる一食客に過ぎない劉備が
劉表が死んだ直後に荊州乗っ取りなんて話にならんだろう。

536: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/01/02(月) 07:41:35.35 ID:cix86F630
劉備がいなければ孫権は荊州勢力と繋がることができないから、
赤壁まで到達すらできない。揚州に封じ込められて手詰まり。

益州を曹操から防いだのも劉備。

537: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/01/02(月) 15:05:07.84 ID:ljAvDW8o0
>>536
魯粛が劉琦を取り込めば江夏郡を抑えられるから,迎撃することはできる。
劉琦を利用すれば,劉備と同様に荊州中南部を得ることも不可能じゃない。
ただ劉璋側が迎えに来てくれないから,そこから益州を奪うのは困難だろうけど。

539: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/01/02(月) 21:50:13.48 ID:cix86F630
>>537
取り込めれば、ね。
劉表と孫権は長年の仇敵同士。
だから魯粛は因縁の薄い客将の劉備と交渉した。

なにより劉琦に劉備と同等の武勇と信望は無い。
史実で荊州人士を取り込みながら並行して行われた
一年以上の荊州・汝南戦役を、劉琦をパートナーとして完遂できるか?
という課題はまずクリアできない。

勿論、荊州人が曹操の下から南へ逃れてきた現象には、
劉琦の存在は大きな影響があっただろうが、
あくまで副であって主にはなれない。

541: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/01/03(火) 09:11:45.81 ID:7eyMbqh00
>>539
劉表側にとっての孫権は東方の敵勢力であって仇ではないから,
孫権側から劉琦、劉琮と連絡を取ることに支障はない。
実際に魯粛は劉表の弔問目的で荊州に向かっている。

劉備がいないとして,劉琮が降伏して劉琦が浮いた状態なら,
魯粛は劉琦と交渉するだろうし,劉琦にも他に頼る相手はいない。

もちろん,劉備抜きではその後が厳しいのは貴説のとおりだけど。

540: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/01/03(火) 02:12:10.58 ID:rNVSFYqT0
今更間違いに気づいたw

×荊州・汝南戦役
○荊州・淮南戦役

542: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/01/03(火) 14:50:30.99 ID:rNVSFYqT0
劉琦にとっては降伏するのが最有力選択肢。
劉備無し、江夏戦力のみでは、孫権支配下に完全に組み込まれることになる。
戦歴や野心の有無、孫堅の死の事情から見て、
屈従の危険を踏んでまで曹操に抵抗する理由は無い。

543: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/01/03(火) 18:47:48.89 ID:D1trlroY0
>>542
当時の劉琦にとって最大の敵は劉琮とその一派であって,孫権ではない。
事実上劉備の傀儡に甘んじた劉琦が,孫権には従えないとも考えにくい。
(年長の劉備はともかく若造の孫権には…という可能性はあるけど。)
孫権側だって,黄祖ならともかく劉琦を仇扱いすることはないだろう。

というより,劉琦が貴説のとおりに判断するのなら,
劉備が長坂で蹴散らされた時点で曹操に降伏するのではないか。
揚州6郡を支配していた孫権側でさえ降伏論が主流だったのだから。

544: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/01/03(火) 21:17:37.76 ID:rNVSFYqT0
地盤の無い劉備は劉琦を必要とする。彼と組めば、荊州での一定の権力・権威の分与が期待できる。
地盤と人材のある孫権が劉琦を必要とするのは江夏の通過時だけ。あとは邪魔な存在でしかない。
将としての価値も無い劉琦は、荊州での地位を貰えず、揚州に引っ込まされる可能性が高い。
しかも、曹操と対立する孫権政権が長続きする保証は無い。

劉琮一派が曹操陣営で大きな地位を占めるなら、そちらへの降伏は劉琦にとって危険だが、
現実にはそうではない。
劉琮に及ばないにしてもそれなりに厚遇されて、離れたところで後漢の臣として安楽な人生を送れる。
仮になんらかの事故で曹操が滅んでも、権力争いに首を突っ込まなければ安定度は高い。

>劉備が長坂で蹴散らされた時点で
しかし、その時には関羽が夏口に到着しており、劉備もすぐに続いて到着したわけだ。
孫権との同盟の見込み大という土産を持って。
降伏に傾く時間は無かった。

547: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/01/04(水) 07:28:27.73 ID:WsLTZFVn0
>>544
孫堅が元長沙太守だったとはいえ,ずっと劉表と争っていた孫権側にとって,
劉琦は荊州の人心を集めるための神輿として必要だろう。
その意味では,劉備と孫権にとっての劉琦の価値に違いはない。

劉琮一派は曹操から刺史、九卿以下の大官を与えられている。
丞相府の官属でないから実権はなかったとしても,扱いは決して悪くない。

549: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/01/04(水) 23:40:47.32 ID:zXErRuVm0
>>547
>劉琦は荊州の人心を集めるための神輿として必要だろう。

この前提がおかしいって
そんなものなくても孫呉は赤壁直後に荊州東部を支配下に置いている
劉備がいなければ、南部も支配下に治めていただろう事は疑う余地もない
なにしろ荊州に孫呉の侵攻を食い止めるだけのまとまった勢力がないのだから

また、関羽を討ち取った後も、特に荊州の大物と連携した様子もなく荊州をキッチリ支配している

551: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/01/05(木) 20:00:37.44 ID:nrNdDnNL0
>>549
孫権側が劉備側に全く頼らずに奪ったのは長沙郡北部だけ。
これは長沙にいた黄忠が劉備に従った以上動かしようがない。
長沙郡南部、桂陽郡、零陵郡、武陵郡は劉備側が独自に奪って,
江夏郡南部、南郡、臨江(宜都)郡は劉備側と協力して奪ったということだろう。

劉備側抜きでは赤壁はともかく,江陵まで奪えるとは限らない。
江陵を抑えないと荊州南部は孤立しないから,奪うのにも苦労することになる。

594: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/02/15(水) 05:58:29.14 ID:8uY6TUxe0
>>551
>孫権側が劉備側に全く頼らずに奪ったのは長沙郡北部だけ。
>これは長沙にいた黄忠が劉備に従った以上動かしようがない。
>長沙郡南部、桂陽郡、零陵郡、武陵郡は劉備側が独自に奪って,
>江夏郡南部、南郡、臨江(宜都)郡は劉備側と協力して奪ったということだろう。


これは違うな。長沙郡南部、桂陽郡、零陵郡、武陵郡は劉備側が呉に兵を借りて奪った。
呉も南郡方面は劉備から関羽張飛を借りたからお互い様だが。

しかし荊南があっさり落とせたのは周瑜が南郡で曹仁相手にがっぷり四つで戦ってた為
荊南の親魏派の太守達にとっては後詰めが全く期待できなかったから。
その点含めて赤壁の頃から劉備は呉に大きな借りを作っているから
劉備が完全に荊州を呉に返さない限りは、蜀は常に呉に負い目がある立場。

522: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/12/29(木) 01:14:56.79 ID:Fas3Oh0M0
「劉備が天下統一できなかった最大の原因」は同時代に曹操がいたことだな。

533: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/01/01(日) 21:48:00.81 ID:Lp3PpytE0
>>522
曹操が天下統一できなかった最大の原因もまた、同時代に劉備がいたためなんだよな。

引用元: ・劉備が天下統一できなかった最大の原因

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