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1: 世界@名無史さん 2005/05/30(月) 06:44:20 0
すでに50年が過ぎある程度情報も公開され客観的な評価もできる頃ではないかと。
未だに休戦状態で「何も解決できなかった戦争」なのですが、
戦後の米ソ冷戦構造を決定づけた最初の代理戦争。
明確な前線が存在したWW2型最後の戦争。
東アジア、朝鮮半島の今を語る上で欠かせない戦争等。
あくまでアカデミックな歴史としての朝鮮戦争を語ろう。










68: 世界@名無史さん 2005/08/02(火) 06:09:49 0
それにしてもそもそも朝鮮戦争ってどんなきっかけだったんだ?
たしかロシアとアメリカの領土の奪い合いがきっかけ?
そこんとこよくわからん。たしか内乱とかはなかったよな?

70: 国民党員 2005/08/02(火) 08:54:58 0
>>68
金日成の朝鮮戦争での野心があったのだが、当時の韓国の混乱振りも開戦に踏み切った原因である。当時朝鮮人民軍は徴兵制で18万人の兵力と200台弱の戦車を保有してたのに対し韓国は、志願制で兵員は10万人足らず、戦車は1台も保有していなかった。
また各地で、南朝鮮労働党によるパルチザン活動があり、韓国軍は人民軍よりもそちらの対策に手一杯であった。
また国共内戦での、アメリカの不介入を見て南進に踏み切ってもアメリカは動かないという感触を得ていた(この辺はクウエートに侵攻してもアメリカの介入はないと感じたサダム・フセインに通じるものがある。)
以上の点から、朝鮮戦争は3年に及ぶ不毛な戦争が始まったのである。


235: 世界@名無史さん 2006/08/19(土) 00:11:38 0
1945年8月15日に日本がポツダム宣言を受諾し連合国に降伏し、第二次世界
大戦が終結すると、朝鮮半島は日本の統治から脱し、自主独立への道を歩み
だした。
南部では戦後直ちに呂運亨らによって建国準備委員会が設置され、9月6日に
は朝鮮人民共和国の成立を宣言した。
一方、北半部では日本の降伏直前から降伏後にかけ、北満州と沿海地方から
ソ連軍がヤルタ協定に基づいて侵攻、その後も日本軍の武装解除のために駐
留しており、9月2日に日本が降伏文書に調印すると、南からアメリカ合衆国
軍が協定に基づいて進駐、半島を中央に横切る北緯38度線を挟んで南北に分
割し軍政を敷いた事、また建国準備委員会内部においても意見と足並みが揃
わず李承晩が朝鮮人民共和国主席への就任を拒否したため、またアメリカ軍
政も人民共和国を承認しない意思を明らかにした為、人民共和国は空中分解
した。当初は半島南北の往来は自由であったが、軍政と同時に境界線の通行
が管理され北半部では金日成がソ連の後押しで力を強めていた。

236: 世界@名無史さん 2006/08/19(土) 00:15:48 0
モスクワでアメリカ・イギリス・ソ連の外相会議が開かれ(モスクワ三国
外相会議)、日本の統治と朝鮮半島の占領政策が議題に上った。戦時中の
テヘラン会談では、ルーズベルト大統領が「半島全域を40年は、新設する
国際連合による信託統治するべきだ」と提案し、ヤルタ会談でも20年から
30年は信託統治するべきと主張していた。
彼は終戦前に死に、後継のトルーマンはモスクワ会談において、米英ソと
中華民国による5年間の信託統治を提案して決定された(モスクワ協定)。
独立国家の建設を準備するための米ソ共同委員会を設置したが、具体案に
おいて米ソの意見が激しく対立し、信託統治案は座礁した。
1946年2月8日、金日成等が、ソ連の後援を受けた朝鮮臨時人民委員会を設
立、8月には重要産業国有法を施行し、共産主義国家設立への道を歩みだし
た。このような北での共産国家設立の動きに対して、日本統治時代にアメ
リカに亡命し独立運動を繰り広げてきた李承晩は、南半部での早期の国家
設立をアメリカに迫った。
その結果1947年6月には李承晩を中心とした南朝鮮過渡政府が設立され、北
と南半部は別々の道を歩み始めることとなった。

237: 世界@名無史さん 2006/08/19(土) 00:18:11 0
1948年2月8日、朝鮮人民軍が創設され、2月26日には北緯38度線以北に
金日成を主席とする朝鮮民主人民共和国の成立を宣言、アメリカはこ
れを激しく非難した。
金日成は、3月には南半部への送電を停止(当時、南半部は電力を日本
統治時代に山の多い北半部に建設された水豊ダムなどの発電所に頼り
きっていた)して、南北の対立は決定的となった。
李承晩は対抗し、朝鮮労働党を除いた選挙を実施して、国家成立を決
断したが、済州島では南朝鮮労働党のゲリラが武装蜂起し、その鎮圧
の過程で軍部隊の叛乱や島民の虐殺が発生した(済州島四・三事件)

238: 世界@名無史さん 2006/08/19(土) 00:22:57 0
1948年8月13日、李承晩が大韓民国を宣言。金日成はこれに対抗して自ら
も9月9日に朝鮮民主主義人民共和国を成立させた。この結果、北緯38度線
は事実上の国境となった。その後、金日成は李承晩を倒すために、ソ連の
スターリンに武力侵攻の許可を求めていたが、12月にソ連軍は半島から撤
退した。1949年6月に米軍も軍政をとき、司令部は撤収した。
それを受けて北朝鮮は祖国統一民主主義戦線を結成した。

同じころ、地続きの中国大陸では国共内戦の末、毛沢東率いる中国共産党
が勝利し、10月1日、中華人民共和国が成立した。アメリカは蒋介石の国
民党を抗日戦争から国共内戦に至るまで熱心に支援していたが、内戦の後
期になると勝機が見えないと踏んで援助を止めていた。
1950年1月12日、米国務長官ディーン・アチソンが「アメリカが責任をもつ
防衛ラインは、フィリピン~沖縄~日本~アリューシャン列島までである。
それ以外の地域は責任をもたない。」と発言し、韓国のみを含めなかった。

金日成はこれを西側陣営の南半部(韓国)放棄のサインであると一方的に
受け取った。


239: 世界@名無史さん 2006/08/19(土) 00:27:54 0
米国は同月、韓国との間に米韓軍事協定を結んでいた。これは、アメリカに
対して執拗に、日本に対する報復的、敵対的行動(竹島領有宣言・対馬占領要
求)を行い、国家統一、軍の北進を訴える李承晩を押さえ込むもので、韓国の
軍事力の大部分はアメリカが請け負い、韓国軍が重装備して日本や北朝鮮に
攻め込むことを防ぐ為、武器を韓国に与えないというものであった。

3月にソ連訪問し改めて開戦許可を求めた金日成と朴憲永に対し、金日成の
働きかけもあり、スターリンは毛沢東の許可を得ることを条件にの侵攻を
容認。同年5月、中華人民共和国を訪問した金日成は、北朝鮮による南半部
への侵攻を中華人民共和国が援助するという約束を取り付けた。
中華人民共和国が北朝鮮を当初から積極的に支援したという見解があるが、
実際はソ連の軍事支援が小規模な事がわかったことにより、中華人民共和
国内では侵略支援への消極的意見が主流だったという。
また、直前になってから侵略計画を知らされた事に毛沢東は不満であった。

240: 世界@名無史さん 2006/08/19(土) 00:34:47 0
開戦直前の半島の南北の軍事バランスは、北の有利であった。

韓国軍は全土で8個師団6万5000人、米韓軍事協定によって重装備が全く施されて
いなかった。
朝鮮人民軍は陸軍が歩兵2個軍団10個師団と、第二次世界大戦時最強のソ連製T-3
4/85戦車150両を配した第105戦車旅団で合計兵力18万3000人、海軍は艦艇30隻と
兵力1万4000人、空軍は120機のソ連製戦闘機と兵力2万人で、総計すると約22万
人に及ぶ軍隊がソ連軍事顧問達により構築されていた。

朝鮮人民軍は暗号名「暴風」(ポップン)作戦により、3軍同時に38度線を越境、
南半部への侵攻を開始するのは6/25と定められた。
このことは李承晩はじめ韓国国軍もアメリカを始めとする西側諸国もまったくしら
なかった。
北朝鮮側は当時から現在に至るまで、「韓国側が先制攻撃してきたものに反撃した
のが開戦の理由」だと主張し続けているが・・・

241: 世界@名無史さん 2006/08/19(土) 00:44:19 0
時に1950年6月25日午前4時、北緯38度線にて北朝鮮軍重砲師団による準備砲撃が開始され、30分後には
約10万の歩兵兵力が38度線を突破した。
人民軍情報部は、韓国では前日に陸軍庁舎落成宴会が夜遅くまで行われており、韓国国軍中枢部は機能
していない事を把握していたのだ。韓国軍は幹部の登庁が遅れ指揮系統は混乱し、李承晩への報告は奇
襲後6時間たってからであった。
しかも、T-34戦車を中核にした電撃戦により、対戦車装備をまったく持たない韓国軍は総崩れとなって
おり、国軍兵士は敵前逃亡し、多くの市民は激しい装甲師団の砲火の前に立たされていた。
しかし米軍の連絡系統は俊敏に機能し、連合国軍総司令官ダグラス・マッカーサーが東京で奇襲攻撃を
知ったのは25日午前5時数分過ぎであった。ミズーリ州にいたトルーマン大統領も24日午後10時に報告を
受け、国連安全保障理事会の開会措置をとるように命じてワシントンD.C.に帰還したが、彼の目は常に
欧州へ向いていた為、朝鮮半島の緊迫した情勢を把握していなかった。大統領は米国市民の韓国からの
退去と、マッカーサーに韓国軍への武器弾薬の補給命令、第七艦隊への台湾出動を命じたが、即座の半
島軍事介入には踏み切らなかった。

242: 世界@名無史さん 2006/08/19(土) 00:57:02 0
韓国国軍の敗因は、訓練と武器の不足であった。北朝鮮軍は中国共産党軍やソ連
軍に属していた朝鮮族部隊をそのまま北朝鮮軍師団に改編したものが殆どで練度
が高かったのに対し、韓国軍は建国後に新たに編成された師団ばかりで、将校の
多くは日本軍出身者であったが各部隊毎の訓練が完了していなかった。
また、来るべき戦争に備えて訓練・準備を行っていた北朝鮮軍の装備や戦術がソ
連流だったのに対して、韓国軍の戦術は機械化前の旧日本陸軍流であり、日本の
竹島や対馬への攻撃を主張し、占領統治に障害となるとマッカーサーに判断され
た韓国国軍の装備は米軍から供給された小火器だけで、重火器は不足しており、
特に戦車を1台も装備しておらず、航空機もほとんど装備していなかった。
その結果、貧弱な空軍は緒戦の空襲ですぐに壊滅し、地上戦でも電撃戦により総
崩れとなった。

ところが、韓国軍が総崩れで壊走する中、北朝鮮軍は何故か突然南進をやめ、3
日間の空白の時を作った。この3日間は韓国軍およびアメリカ軍にとって貴重な
時間を作ることになったが、今をもっても、なぜ北朝鮮が3日間も貴重な時間を
無為に過ごしたかは謎となっている。
北朝鮮軍の大勝を知って南側の住民が武装蜂起する事を期待したという説、ソ
連等の外交圧力等もあるが、明確な根拠はない。
マッカーサーは、本国からの回答が届く前に、B-29を日本から発進させ、北朝
鮮が占領した金浦空港を空爆した。これが米軍の反攻の最初となった。

243: 世界@名無史さん 2006/08/19(土) 01:07:09 0
6月27日に安保理が開催され北朝鮮の行動を非難し、軍事行動の停止と軍の撤退を求める
「北朝鮮弾劾決議」を賛成9:反対0で採択した。
拒否権を持つソ連は、この年の1月から中国政府認証問題に抗議し、理事会をボイコット
していた。決議の後、ソ連代表のヤコブ・マリクは国連事務総長のトリグブ・リーに出
席を促されたが、スターリンにボイコットを命じられているマリクは拒否した。

韓国政府はソウルを放棄し首都を水原に遷都、ソウルは6月28日に陥落した。
このソウル陥落の際、命令系統が混乱した韓国国軍は避難民もろとも漢江にかかる橋を
爆破した。これにより漢江以北には多数の残存部隊やソウル市民が取り残され、自力で
脱出以外なくなった。この失敗により韓国国軍は士気もさがり、全滅が現実のものと感
じられる状況になった。

244: 世界@名無史さん 2006/08/19(土) 01:08:14 0
6月29日、マッカーサーは専用機で東京から水原に入り、自動車で前線を視察したが、
壊走する韓国軍兵士と負傷者でひしめいていた。マッカーサーは派兵を韓国国軍に約
束し、その日の午後5時に東京へ戻った。
彼は本国の陸軍参謀総長に在日米軍4個師団の内、2個師団を投入するように進言した。
マッカーサーは、本国からの回答が届く前に、B-29を日本から金浦空港を空襲した。

消極的なトルーマンはマッカーサーに、1個師団のみ派兵を許可した。

当時、米陸軍の総兵力は59万2000人だったが、これは1941年の半分に過ぎず、第二次
世界大戦の参戦兵士はほとんど退役し、多くの兵士は実戦を経験していなかった。

245: 世界@名無史さん 2006/08/19(土) 01:14:44 0
韓国国軍は、7月3日に蔡秉徳(日本陸士49期卒・元日本陸軍少佐)が参謀総長を解任され、丁一権
(日本陸士55期)が新たに参謀総長となり、混乱した軍の建て直しに当たった。

7月5日に京畿道烏山市付近で米軍派遣隊と北朝鮮の地上軍同士が初めて衝突した。
首都ソウルを奪取し更なる北の南下を防ぐため、マッカーサーは日本に駐留して
いた第24師団の第21連隊第1大隊を基幹とするスミス支隊を急遽派遣した。
韓国釜山に到着したスミス支隊は水原南方の烏山に進出し、近くの高地に陣取っ
て北朝鮮軍を待ち受けた。対する北朝鮮第4師団はT-34/85戦車や自走砲などの車
輌を先頭に烏山の突破を目指し、両軍が激突した。
北朝鮮軍を視認したスミス支隊は砲撃の後に無反動砲、バズーカなどで攻撃を加
えたが、T-34/85にはほとんど効果が無かった。北朝鮮軍の戦車と歩兵は各所で戦
線を突破し、スミス支隊は総崩れとなって退却を余儀なくされた。
更に大田の戦いでも大敗した結果、北朝鮮軍の快進撃は続く事となった。
兵力の逐次投入の愚を犯した事をホワイトハウスは始めて気付いた。

246: 世界@名無史さん 2006/08/19(土) 01:23:25 0
6月27日に国連安保理は韓国を防衛するため、必要な援助を韓国に与えるよう加盟国
に勧告し、7月7日にはアメリカ軍25万人を中心としてイギリス、オーストラリアなど
も加わった国連軍を結成していた。朝鮮戦争において国連は、国連軍司令部の設置や
国連旗の使用を許可している。しかし、国連憲章第7章に規定された手順とは異なる
派兵のため、厳密には国連軍ではなく、多国籍軍であり、指揮系統も複雑で急造はい
なめなかった。
米軍が大田攻防戦で歴史的大敗を喫すると、派遣上陸したばかりの国連軍は、いきな
り最後の砦洛東江円陣にまで追い詰められた。

韓国国軍は保導連盟員や政治犯等の多数殺害した保導連盟事件を起こし、住民との確
執もおき始めていた。
北朝鮮軍は、不足し始めた兵力を現地で徴集し兵力で補い、後の離散家族発生の一因
となったが、再三に渡り大攻勢を行った。
金日成は解放記念日の8月15日までに統一するつもりであったのだ。

しかしアメリカ機動艦隊と日本からのB-29の空爆支援を受け、ようやく国連軍は徹底
抗戦の構えを釜山橋頭堡で示した、北朝鮮軍の進撃はここで止まった。北の兵站が伸
びきり、武器・弾薬・燃料が滞っていた。

247: 世界@名無史さん 2006/08/19(土) 01:30:03 0
マッカーサーは戦線建て直しに全力を注ぎ、数度にわたる牽制の後の9月15日、
仁川に国連軍を上陸させる事に成功した。度重なる攻勢によって兵站の限界に
達していた北朝鮮軍は敗走を続け、9月28日に国連軍がソウルを奪回した。
この時敗走した北朝鮮兵の残党が韓国内でゲリラ化し、国連軍は悩まされた。
10月1日、韓国軍は祖国統一の好機と踏み、国連軍の承認を受けて、単独で38
度線を突破した。10月2日、韓国軍の進撃に対し北朝鮮は中国に参戦を要請。
中国の国務院総理(首相)周恩来は「国連軍が38度線を越境すれば参戦する」
と警告。だが10月9日には国連軍も38度線を超えて進撃した。
これまで参戦には消極的だった中国も、遂に開戦前の北朝鮮との約束に従っ
て人民解放軍を「志願兵」として派遣することを決定。彭徳懐を司令官とする
20万人、後方待機も含めると100万人規模という大軍だった。
10月20日、国連軍は北朝鮮の臨時首都・平壌を制圧、敗走する北朝鮮軍を追
い、中国軍の派遣に気付かずになおも進撃を続けた。先行していた韓国軍は
一時中朝国境の鴨緑江に達し、統一間近とまで騒がれたが、10月から朝鮮へ
の進入を開始した中国軍は山間部を移動し、神出鬼没な攻撃と人海戦術によ
り国連軍を圧倒、韓国第二軍を撃滅すると黄海側、日本海側を進む国連軍も
包囲され、MiG-15の導入による制空権奪還で勢いづいた中朝軍は12月5日に平
壌を奪回し、1951年1月4日にはソウルを再度奪回した。
韓国軍・国連軍の戦線はもはや壊滅し、2月までに忠清道まで退却した。

248: 世界@名無史さん 2006/08/19(土) 01:33:28 0
国連軍はようやく態勢を立て直して反撃を開始した。
3月14日にはソウルを再奪回したものの、戦況は38度線付近で膠着状態となる。
戦況にいらだったマッカーサーは、第二次世界大戦以前に日本が一大工業地帯
として築いた中国東北部(満州)をB-29とB-50からなる戦略空軍で爆撃し、中
国軍の物資補給を絶とうとする(原子爆弾も使おうとしたとされる)が、ソ連
を刺激することを恐れたトルーマン大統領は、4月11日にマッカーサーを解任
し帰国させた。
ソ連の提案により停戦が模索され、1951年7月から休戦会談が断続的に繰り返
されたが、双方が少しでも有利な条件での停戦を要求するため交渉は難航した。
1953年に入ると、米国では1月にアイゼンハワー大統領が就任、ソ連では3月に
スターリンが死に、両陣営の指導者が交代して状況が変化した。

7月27日、板門店で北朝鮮・中国と国連軍の間で休戦協定が結ばれ、3年間続い
た戦争は終結した。(調印者:金日成・朝鮮人民軍最高司令官、彭徳懐・中国
人民志願軍司令官、M.W.クラーク・国際連合軍司令部総司令官。李承晩はこの
停戦協定を不服として調印式に参加しなかった。)
板門店がソウルと開城の中間であったことから、38度線以南の大都市である開
城を奪回できなかったのは韓国軍の限界であった。

249: 世界@名無史さん 2006/08/19(土) 01:37:57 0
ソウルの統治が二転三転する激しい戦闘の結果、韓国軍は約20万人、米軍は約14万人、
国連軍全体では36万人が死傷した。一方、米国の推定では、北朝鮮軍が約52万人、中
国義勇軍は約90万人が死傷したとされており、毛沢東国家主席の二人の息子も戦死し
た。一般市民の犠牲者は100万人とも200万人とも言われ、一説には全体で400万人の
犠牲者が出たとされる。

夫が兵士として戦っている間に郷里が占領された、というような離散家族が多数生
まれた。また釜山の包囲の際に、多くの難民が日本に移住した。
南北の両国は、現在も戦争状態で38度線上で対峙し、その後双方の政権(李承晩、
金日成)が独裁政権として安定することとなったのである。

262: 世界@名無史さん 2006/08/20(日) 12:33:28 0
>>249
国連軍で36万人もやられたのか。すごい規模だったんだな。
これでよく日本に火の粉が降らなかったものだ。
シナとのキルレシオが4:1程度なのを見ると、当時はアメリカとソ連の装備は大差なかったのだな。
ベトナム以降は広がりっぱなしだが。

251: 世界@名無史さん 2006/08/19(土) 09:11:51 0
終戦直後、韓国軍って竹島と対馬へ攻め込もうとしていた。現に竹島には上陸した。しかし後ろから北鮮が攻めてくるとは毛ほども考えてなかったから、無様に撤退を繰り返したというのが朝鮮戦争の本質か。
日本を基点としたアメリカと国連軍の圧倒的な物量と支援がなければ、韓国は今はなかったわけだ。

6: 世界@名無史さん 2005/06/09(木) 00:27:34 0
釜山橋頭堡で日本刀を振るって戦った、韓国第三師団長 金錫源将軍(陸士二十七期卒)に萌え。
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金 錫源

金 錫源(キム・ソグォン、김석원、1893年9月29日 – 1978年8月6日)は、大日本帝国陸軍及び大韓民国陸軍の軍人、教育家、政治家。日本統治下の朝鮮出身の日本陸軍軍人としては、王公族軍人を除き、洪思翊中将(陸軍大学校卒業者)に次ぐ高い階級であった。現在の韓国では親日反民族行為者に認定されている。

朝鮮戦争が勃発すると、軍部の要請で、7月6日に首都師団長として現役に復帰し、金の下には元日本兵である韓国人が全国から集結した。北朝鮮軍は金錫源を最も恐れていたと言われ、鎮川で交戦した第2師団長の崔賢は「ああ、いかん。やつとぶつかった」と嘆いたという。

8月8日、釜山橋頭堡の戦いの最中に第3師団に着任する。第3師団は7月17日以来、盈徳をめぐり北朝鮮軍第5師団との戦闘が続いていた。ところが10日に敵が興海に侵入し、師団の退路が遮断された。この時の師団の態勢は南北11キロの長蛇の陣になっており砲兵と艦砲の猛射によって戦線を維持した。第8軍は海上撤退を決心し、戦車揚陸艦を派遣した。8月16日夜から17日朝にかけて将兵9000人(負傷者125人)、警察隊1200人、地方公務員や労務者、避難民等の1000人余、及び一切の車両や需品を積み終え、仔牛までも乗船させて離岸した(長沙洞撤収作戦)。金は一兵も残すことなく、困難な海上撤退を成功させた。


9: 世界@名無史さん 2005/06/11(土) 12:20:37 0
>>6
その日本刀はどこで手に入れたもの?
日本将校だった時の軍刀?

12: 世界@名無史さん 2005/06/12(日) 00:20:57 0
>>9
金錫源は太平洋戦争終了時「大佐」だったからたぶん自分のでしょう。
もっとも韓国では李氏朝鮮時代から日本刀を輸入していたから珍しい物ではない。
ちなみ金錫源は北支事変の英雄で、彼のせいで日本軍への朝鮮人志願兵が殺到したとか。

朝鮮戦争当時の韓国軍の士官は元抗日パルチザン、元日本軍・満州国軍、アメリカ軍に教育を受けた者の
ごちゃ混ぜだったが、元パルチザンは軍隊のことはシロウト同然、アメリカ帰りは、まだ若いため
最も活躍、中心になったのは元日本軍・満州国軍の人間だった。上の名将・白善燁も元満州国軍中尉。

7: 国民党員 2005/06/10(金) 14:11:16 0
白善燁将軍の回顧録「若き将軍の朝鮮戦争」(草思社刊・2600円)を読んだが感動した。
もしスターリンが金日成の南進計画にNOを出したら。
仁川上陸作戦が成功し、38度線で停戦を勧告したら。
抗美援朝義勇軍が、同じく38度線で停止したら。
これ程までにIFのつく現代戦争はないだろう。

18: 世界@名無史さん 2005/07/21(木) 19:33:30 0
どっかで聞いた話。
朝鮮戦争のとき少林寺の僧達が参戦して米兵をばったばった(?)と、拳法で倒したとか。

眉唾だけれども、むちゃオモロイ。

19: 世界@名無史さん 2005/07/21(木) 23:02:34 0
>>18
義和団事件の時の八卦掌の程廷華の話に似ているね。

325 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/24 18:27:51 ID:zTJnjF1t
20世紀初頭、中国北京に程廷華という武人がいた。
眼鏡屋を営みながら、清朝皇族に八卦掌という功夫を教えていた。
ひどい近眼ながら冗談好きで、非常に義に熱い男であったという。
義和団には批判的だったが、義和団崩壊後に英米仏と共に進駐した
ドイツ軍が北京市民を虐殺しまくることに義憤を感じ、
一人で戦いを挑んだ。ドイツ将兵の銃弾をかいくぐり二十数人を
殴り殺したが、増援部隊到着時に民家の塀の上を走ってるところを
一斉射撃に遭い息絶えた。享年57才。こんな漢が東亜にはいた。

21: 世界@名無史さん 2005/07/23(土) 20:25:26 0
平壌は朝鮮戦争で徹底的な爆撃を受けた。
太平洋戦争で日本全土に降り注いだのより多い爆弾が、本州の半分より狭い北朝鮮に落とされたんだから。

これでは米国憎むのも当たり前。

23: 世界@名無史さん 2005/07/23(土) 23:37:02 0
考えてみれば、大都市の大半を焼け野原にされた挙句ピカドンまで食らった日本にはまるで反米感情がない。

これもある意味異常だな。

24: 世界@名無史さん 2005/07/23(土) 23:44:54 0
ベトナムは「勝った」から、優越感があって寛大になれるともいえる。

しかし朝鮮戦争は「休戦」で、勝ち負けは決定していない。

25: 世界@名無史さん 2005/07/24(日) 00:58:30 0
それにしても不思議なのは、韓国や日本の一部に、半島が分断されたのは「日本のせいだ」と主張する人が結構いることだな。歴史的に見れば、「最後に」戦争介入した「中国」に一番責任がある、と考えるのが普通だと思うのだが。それはタブーなの ?

そお言えば、中国は最初は「義勇軍」が勝手に参戦している、という立場を取っていたけど、最終的には正式に参戦したんだよね ?

26: 国民党員 2005/07/24(日) 12:00:13 0
>>25
歴史的には、朝鮮分断について日本の責任はない。アメリカとソ連、それに追従した李承晩や金日成に責任がある。
 
金九を始め、統一朝鮮を主張する政治家は、李や金の放った刺客に殺され分断が固定化された。
しかし、朝鮮人にとっては、侵略戦争を行った日本が分断を免れ、更に朝鮮戦争で特需に潤ったのに侵略戦争をしてない朝鮮が分断され、同胞同士で血なまぐさい戦争を行った事に憤りを感じる気持ちは理解してあげましょう。

30: 世界@名無史さん 2005/07/24(日) 20:49:59 0
>>25-26
「日本のせいで、国民党は共産党に負けた」レベルの言いがかりだね。
正確にいえば、ソ連相手に関特演やって、日ソ中立条約の趣旨を御前会議決定で否定した国が、なぜかスターリンの対日批判演説の後でも、ソ連仲介の平和を夢見てしまい、降伏のタイミングを見誤って、日韓共有の利害を損ねたという所なのでせう。
ソ連や共産主義者がいったん居座ったら、南北合同選挙による統一など不可能になる。
日本も北海道取られるかもしれなかったが、日本の領土を守り、天皇の政治責任論議も回避してくれたマッカーサー元帥に敬礼!

34: 国民党員 2005/07/25(月) 05:35:44 0
>>30
「言いがかり」と言えば「言いがかり」でしょうね。
 
そもそも1946年のモスクワ協定に基づいて5年間の国連信託統治と朝鮮人が容認すれば良かった、そうすればオーストリアの様に、永世中立国として統一朝鮮が完成出来たかもしれない。

李承晩や金日成こそ、朝鮮分断の張本人に違いは無い。

37: 世界@名無史さん 2005/07/28(木) 17:09:16 0
東国(トングック)大学姜禎求(カン・ジョング)教授が27日「韓国戦争は統一戦争であるとともに同時に内戦だった」と主張した。

姜教授は、あるインターネットメディアに寄稿した「マッカーサーをご存知か?」というコラムで「当時、外国軍がいなかったので身内の戦いであり、すなわち後三国時代の甄萱(キョンフォン)と弓裔(クンイェ)、王建(太祖、ワン・コン)らがすべて三韓統一の大義のために互いに戦争をしたように、北朝鮮の指導部が試みた統一戦争だ」と主張した。

続いて「韓国の歴史の本のどれを見ても王建や甄萱を侵略者として誹謗することはなく、むしろ王建を統一大業を成し遂げた偉大な王として推仰している」とした。

教授は「身内の戦いの統一内戦に外勢の米国が3日介入しなかったならば、戦争は1カ月以内で終わったはずであり、もちろんわれわれが実際に体験したそのような殺傷や破壊という悲劇はなかっただろう」とし「まさに米国という存在は、報恩論とは正反対で、われわれに悲劇と束縛、戦争、6月戦争危機説とともに現在まで続く韓半島戦争危機を作り出した主犯だ」とした。
 
また「ごく少数の人名殺傷に終わった6.25拡大内戦で、あれだけの殺傷と破壊が米国のせいで起きたことを考えると米国は生命の恩人でなく、生命を奪っていった敵」と付け加えた。

姜教授は2001年「8.15平壌(ピョンヤン)統一祝典」に参加したが、万景台(マンギョンデ、金日成生家)芳名録に「万景台精神を受け継いで統一を成し遂げよう」という内容の文を書いて拘束されたことがある。

※中央日報 
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=66054&servcode=400


韓国人教授がとてつもない馬鹿げた発言を・・・。

38: 世界@名無史さん 2005/07/28(木) 17:36:18 0
金大中大統領以前にはありえない発言だな。

40: 世界@名無史さん 2005/07/28(木) 19:47:45 0
いや、俺も1000年くらい経てば朝鮮戦争も(失敗した)民族統一戦争と評価されるようになると思うよ。
でもね、今更民族主義もないんだよね。かかる価値観が存在したことは認めざるを得ないけど、21世紀においてはもはや支持するできんわな。
姜禎求教授が批判されるべきは、民族統一戦争という一面があったことを指摘した点においてではなく、そのような戦争を肯定的に評価した点おいて。

42: 世界@名無史さん 2005/07/28(木) 20:01:21 0
開戦直後、ソウルが攻め込まれた際、大統領や高官はさっさと逃げ出して漢江にかかる橋爆破してしまったんだよな。だから多数のソウル市民が逃げ遅れ、市街戦に巻き込まれてしまった。

43: 世界@名無史さん 2005/07/28(木) 23:08:07 0
開戦一ヵ月後から、保導連盟の大虐殺ははじまっている。
主に警察、軍も一部手伝ったといわれ、最終的には30万人以上殺されたといわれる。


保導連盟事件

保導連盟事件(ほどうれんめいじけん)とは、1950年6月25日の朝鮮戦争勃発を受けて、李承晩大統領の命令によって韓国国軍や韓国警察が共産主義からの転向者やその家族を再教育するための統制組織「国民保導連盟」の加盟者や収監中の政治犯や民間人などを大量虐殺した事件。被害者は少なくとも20万人から120万人とする主張もある。
韓国では近年まで事件に触れることもタブー視されており、「虐殺は共産主義者によっておこなわれた」としていた。

日本の敗戦時、朝鮮の抗日勢力においては民族主義者の潮流が衰退し、共産主義者が各地で主流を占めていた。李承晩率いる大韓民国政府は、ストライキや武装闘争を挑む南朝鮮労働党(南労党)を中心とする共産勢力に対して弾圧を行い、1948年12月1日、国家保安法を制定。1949年6月5日、要監視対象者の教化と統制をおこなう思想保護観察団体「国民保導連盟」を組織し、翌年にかけて末端組織を全国に拡大した。

「大韓民国絶対支持」「北傀儡政権絶対反対」「共産主義排撃粉砕」「南北労党暴露粉砕」を綱領に掲げるこの組織には、転向した党員が登録されたほか、抵抗を続ける党員の家族や単なる同調者に対しても登録すれば共産主義者として処罰しないとして加盟が勧められた。

1950年6月25日、朝鮮戦争が勃発。朝鮮人民軍が南進しソウルに迫った。6月27日、李承晩大統領は保導連盟員や南朝鮮労働党関係者を処刑するよう命令を発し、同日中にソウルを脱出した。韓国軍、警察は釜山にまで後退する一方、保導連盟に登録していた人民を危険分子と見なして大田刑務所などで大虐殺を行った。


44: 世界@名無史さん 2005/07/29(金) 00:38:46 0
朝鮮戦争以来、ソウル市のうち北部、つまり「北」に近い地域は恐怖心からすっかり地価が下がってしまった。
対して南側、とりわけ漢江南岸は高級住宅地として開発された。


89: 世界@名無史さん 2005/08/03(水) 02:23:53 0
ちょっと前に NewsWeek で読んだが、いつの間にか北朝鮮は北進してきた国連軍を「自力」で押し戻したという教育をしていて、中国の軍関係者は憤慨しているらしい。
恩義や友好関係よりメンツの方が大切なのかな、やっぱり。

まぁ中国も中国で独力で大日本帝国を敗北させたと教えているんだから似たりよったり
ではあるけど。

90: 世界@名無史さん 2005/08/03(水) 02:40:14 0
大戦末期に続々と連合国に加わった国が戦勝国面するようなものか。
つくづく戦争は戦力の多寡で決まるものでないと思い知らされる。
どんな弱い国だって勝ち組につけば戦勝国だもんなー

93: 世界@名無史さん 2005/08/03(水) 12:18:46 0
スレ主です。いくつかの問題提起を。
まずこの戦争の損得勘定で、一番利益を得たのはどこかと考えると中国ではないかと思われます。
消滅寸前だった北朝鮮から国連軍(アメリカ軍)を駆逐し一時はソウルの南まで前線を押し下げました。
これは新生中共にとって望外の大勝利と言えるでしょう。
共産圏内での威信(国際社会でも?)が大いに上がり、新国家建設の絶好の景気付けとなったことでしょう。
日本も大きな利益を得ました。
経済的な面もそうですが、この戦争により国際社会の中の日本の居場所が確定しました。

ではアメリカは?ソ連は?
そして一番損したのは?

97: 世界@名無史さん 2005/08/03(水) 13:29:52 0
>>93
間違いなく中国です。
もう要らなくなった内戦時の膨大な兵士をあの戦争で大量に始末したんですよ。

98: 国民党員 2005/08/03(水) 16:24:27 0
>>93
私は中国が一番得したとは思わない。中国が朝鮮半島に介入したことで、中国は風前の灯火であった中華民国・台湾に軍事侵攻かけることが不可能になり、今の台湾問題の禍根を残した。
また、建国まもない中国の経済力を徒に消耗した事も事実である。
この朝鮮戦争で一番得したのは、大陸から追い払われ米国からも見捨てられた中華民国・台湾
の蒋介石政権だろう。
一番損したのは、やはり朝鮮両国かな。

94: 世界@名無史さん 2005/08/03(水) 12:22:19 0
>そして一番損したのは?
 
沖縄。この戦争とその後の東アジア緊張のため米軍駐留が固定化した。

103: 世界@名無史さん 2005/08/04(木) 03:30:42 0
アヘンアロー戦争、清仏戦争、義和団事件、日清戦争、 満州事変、山東出兵、済南事件日中戦争と近代史の中国はボコられまくりだったのにこの時の活躍ぶりは凄かったね。

眠れる豚とか言われていたらしいけど、日本軍を打ち負かした米軍を後退させた中国軍は凄いよ。
彭徳懐は中国近代史の武将の中でも、個人的に認めている人物の一人。

105: 世界@名無史さん 2005/08/04(木) 03:39:16 0
>>103
確かに。何で前の年まで内戦に明け暮れてた国があんないきなり強くなったんだ?
ソ連の援助か?

106: 世界@名無史さん 2005/08/04(木) 03:51:41 0
>>105

北上する米国連軍の油断の方が大きいでしょう。
ソ連の援助、支援もあると思いますけど。

120: 世界@名無史さん 2005/08/11(木) 04:01:18 0
北朝鮮側の「名将」っていねーの?プロパガンダレベルでも聞いたことないんだよね
なんか口で機関銃の引き金をひいた「英雄」の銅像が北の朝鮮戦争記念館にあるってのは知ってるけど、それは兵隊だし。
やっぱメインで戦ったのは完全に中共とソ連なのかな

121: 国民党員 2005/08/11(木) 06:17:12 0
>>120
姜健がおるぞ!6月25日に電撃的な奇襲と韓国軍を釜山一帯までに追い詰める、偉大な働きをなした。
しかし仁川上陸作戦の時に戦死してしまった、北朝鮮の軍事学校は「姜健軍事大学」となってる事からも名将軍をといえるでしょう。

222: 世界@名無史さん 2006/06/11(日) 22:47:47 0
>>120 
亀だが、方虎山将軍。

優秀すぎて、戦後亡命を余儀なくされたんでいまのプロパガンダには出てこないけど。
방호산


方虎山

方 虎山(パン・ホサン、1916年 - 没年不詳)は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の軍人。中国名は李天夫。

延安派の重鎮の一人であり、金日成らの満州派(パルチザン派)とは競合関係にあり恒常的な監視を受ける立場にあったが、優秀な野戦指揮官であった方虎山は、朝鮮半島統一のために創設され戦力増強を急ぐ北朝鮮軍内にあって高い作戦指導力と組織力が評価された。

朝鮮戦争休戦後は軍事科学委員長、軍事大学総長など閑職に追いやられ、1955年に英雄称号も党籍も剥奪で粛清の手が及ぶと、病気療養を名目に中国に逃亡した。


141: 世界@名無史さん 2005/08/13(土) 11:24:45 0
金日成てどれくらい作戦全体に関わっていたの?
後ろのボスの許可なしに動けたわけ?

142: 世界@名無史さん 2005/08/13(土) 12:16:32 0
スターリンに開戦の勅許を得に行った。
「毛が承諾すれば許可する」

そして成立したばかりの中共が「いざとなれば参戦する」と約束したので安心して南を攻め始めた。

144: 世界@名無史さん 2005/08/15(月) 00:40:24 0
アメリカの軍人って今のも昔のもイマイチ興味がわかないんだよね
みんな有能で

147: 世界@名無史さん 2005/09/16(金) 16:39:52 O
>>144
確かに、何故か無能な人間が少ないな。
エリート育成の特殊なノウハウでも持ってるのかな。

152: 世界@名無史さん 2005/10/20(木) 06:28:26 O
>>147
そんなの理由は簡単だ。
無能な奴が将軍になれないだけだ。

153: 世界@名無史さん 2005/10/20(木) 09:28:56 0
どういう勤務評定になっているのかな?

154: 世界@名無史さん 2005/10/20(木) 09:47:42 0
実績。
だからしょっちゅう戦争をやったり仕掛けたりしている。

155: 世界@名無史さん 2005/10/30(日) 14:23:22 0
>>152
無能有能よりも、後方支援体制の充実&兵力の集中運用という
戦略の基本をしっかりと押さえてるからだろう。
部隊環境さえ整っていれば、指揮官の能力に多少の問題があってもカバー出来る。

162: 高知中将ジーモン土佐守ジョーカー ◆.5DV4fMpf6 2005/11/27(日) 22:20:56 O
俺の祖父は朝鮮戦争で戦死した。マッカーサーの提案通り、

原水爆を大量に使用すべきだったのだ。トルーマンは糞。

163: 世界@名無史さん 2005/11/27(日) 23:02:25 0
そうなると、ホントに第三次大戦が起きる可能性があった…。
今の若いヤツは知らないかも知れないが、核戦争がおきて全世界の都市が一つ一つ破壊されていく…
で、放射能による影響から生存者にも悪影響が…ってのは本当に「リアル」な危機感としてあったんだよ。

ソ連崩壊から、その危機もあまり叫ばれなくなったんだけど、危機が無くなっているかというと、そんなこともなく…。

164: 高知中将ジーモン土佐守ジョーカー ◆.5DV4fMpf6 2005/11/27(日) 23:24:57 O
俺はキューバ危機よりずっと後の196x年生まれだから、

核戦争への危機意識はなかった。ソ連への恐怖心はあったが、

米ソ中もまず核兵器は使わんと考えていたし。

166: 世界@名無史さん 2005/11/27(日) 23:35:32 0
>>164
196x年生まれなら、恐怖心あるとおもうがなあw
核戦争になったら、いったいどんな世界になるかSFやNHKのドキュメンタリーで結構やって
たと思うが?アメリカ・ソ連の核基地の様子を含めてさ。
子どもの時に民放ばっかり見てて、そういったモノを見なかったとしても…アメリカ一般人が
そういうのを始めて知った映画「ザ・デイ・アフター」(1983)は知っているのでは?

SF物でも核戦争の恐怖を描いた物は定番だったしね。

核戦争後もモヒカンになって人々は生き延びるってのを印象づけたのが「北斗の拳」かw
まあ「マッドマックス」もそうだったけどね。

165: 高知中将ジーモン土佐守ジョーカー ◆.5DV4fMpf6 2005/11/27(日) 23:32:44 O
キューバ危機は俺が生まれる3、4年前だから「ずっと後」とは言えんか。

お袋は二十歳近かったからキューバ危機に戦々恐々したらしい。

170: 世界@名無史さん 2005/12/01(木) 21:44:41 0
もしあのまま北朝鮮軍が釜山まで落としてたらいったいどうなってたの?
韓国軍は日本まで撤退?難民も九州に流れてくるのかな?

173: 世界@名無史さん 2005/12/06(火) 03:59:20 0
>>170
よく評論家が北朝鮮が崩壊したら、また朝鮮戦争が起きたら難民が大量に日本に押し寄せるとか、言うが
そもそも陸続きではないのだから「大量」は無理な気がする。

174: 世界@名無史さん 2005/12/06(火) 05:58:20 0
大量に呼び込む人たちがいるでしょ。
脱北した元在日の受け入れ態勢が整ってないと、日本政府を批判したニュースキャスターがいるくらいだしさ。

175: 世界@名無史さん 2005/12/06(火) 09:59:05 0
普通に考えれば陸続きで、同族が多くいる韓国・中国東北部・極東ロシアに流れ込むだろうが

176: 世界@名無史さん 2005/12/06(火) 10:55:00 0
朝鮮半島に送り込まれた中国軍って、あくまでも義勇軍扱いなんだよね
実態は中央直轄の精鋭が主体だったのに
日中戦争時、アメリカが機材パイロットごと部隊を義勇軍として国民党軍に送り込んだ手
本来は完全な中立国義務違反なんだが、大国が背後にいるから面と向っていえないという姑息な手
米国もまさか中国にやられるとは思わなかっただろうな

181: 世界@名無史さん 2005/12/07(水) 16:16:34 0
>>176
てっゆうか、そもそも「中国軍」じゃなくって「人民解放軍」だしぃ。

183: 世界@名無史さん 2005/12/09(金) 02:27:33 0
>>181
中国に限らず共産国は国軍を持たないことが一応建前
存在が許されるのは、世界革命を目的とする「党の軍隊」
ソ連国軍というのも厳密には間違いで
正確には、ソ連共産党の軍隊なのだ

まあ実質は国軍とイコールでいいんだけどね

212: 世界@名無史さん 2006/04/18(火) 21:26:20 0
>>176
>朝鮮半島に送り込まれた中国軍って、あくまでも義勇軍扱いなんだよね
>実態は中央直轄の精鋭が主体だったのに

 
介入は前から警告されていたのを、軽視していただけ。
「義勇軍」は、どっちにとっても好都合だろうに。あくまでも戦場を半島に限定しよう、というメッセージなんだから。アメリカにしても、欧州でソ連と緊張関係がある状態で、中国との泥沼の戦争にはまりたくはないし、ソ連も中国も、アメリカとの戦争には及び腰。
 
そういう意味もあり、わざわざ祖国を泥沼に引きずり込もうとしたマッカーサーの愚かさ加減が批判されているんだと思うけどね。

219: 世界@名無史さん 2006/05/24(水) 03:45:37 0
>>212
ベトナム戦争に突っ込んだケネディと言い、アイルランド人としてはその性格からか
少数民族としての不可避的な傾向からか、強硬になり易いんだよ。
個人的な能力だけでもないと思うよ。

KKKが当初平然と抹殺したのも黒人よりもアイルランド人だ。
1950-60年代はアイルランド系米国人の復権の時代とも言える時代だよ。
だから反共が特に強くなりカトリックと言うこともあってかマッカーシーのような
極端な人物も出てくる。これも当初はケネディが支援していた人物だ。
黒人もウォーレン判事以来市民権が認められる時代だ。
これらは共産主義の反射的効果とも言えるものかもしれないけどね。
そこにアイルランド系カトリックの信念が生きていたのもまだ事実だ。

但し、解任したトルーマンも最初はマッカーサーの中国国境付近での空爆は
支持したらしいけどな。核兵器まで言い出したからアカンかったのよねww
本気でないにしてもマッカーサーは政治的発言や行動が多過ぎたんだよ。
ある意味シビリアンコントロールを逸脱していた。そこがまた魅力だったらしいけどなw
ええかっこしいの典型だよ。チャーチルとやや似ているかもしれない。

178: 世界@名無史さん 2005/12/06(火) 13:08:10 0
ひょっとしてアメリカが中国と戦争したのってこの朝鮮戦争が史上初?

179: 世界@名無史さん 2005/12/06(火) 13:52:59 0
義和団のときの8ヶ国に一応入っていた。

180: 世界@名無史さん 2005/12/07(水) 08:08:22 0
>>179
あれは戦争なのか?
どう見ても暴動だろう。その暴動を日和見の清政府が追認しちゃったからとんでもない事態になったわけで

189: 世界@名無史さん 2005/12/12(月) 22:57:24 0
旧帝国海軍の掃海部隊が活躍して戦死者まで出したのは
本当だがナイショだ。


252: 世界@名無史さん 2006/08/19(土) 10:27:49 0
朝鮮戦争中、南北とも日本が後ろから攻めてくることは考えなかったんかな?

253: 世界@名無史さん 2006/08/19(土) 11:25:03 0
だって、マッカーサーの占領統治中だし、関東軍の多くはシベリア送り・・・
警察予備隊は、朝鮮戦争が起きてからできたんだから・・・

米軍が日本から空爆する事は考えていただろう。ただ、トルーマンは一貫して弱腰だったし、1950年の国務長官ディーン・アチソンが示した「アチソンライン」は、フィリピン~沖縄~日本~アリューシャン列島としている。つまり島嶼部はアメリカが取るが、大陸はソ連にやるということだ。
「それ以外の地域は責任をもたない。」という発言に、韓国はそれ以外の地域としてアメリカに見捨てられていたのだ。東アジアの赤化に対して太平洋の防波堤は必要という程度の認識だったんだろな。

279: 世界@名無史さん 2006/08/22(火) 04:24:17 0
>>253
ダレスは国連創設以来ソ連に警戒心を強めた。対日政策でもそれは現われていて
1949年にはソ連除外しての対日講和を英米間で決定、1950年4月国務省長官特別顧問、
51年大統領特使となった。後に民主党では手緩いとして共和党で巻き返し政策をとる。

つーことで多分ダレスに代表される強硬派が実際はハンドリングしていたと思うよ。
GHQにしても1947年頃から民主化優先の民生局より反共的な幕僚第2部が優遇され
冷戦基地としての日本の経済安定、早期独立が企画されていた。
朝鮮戦争は1950年6月だから、米国が甘く考えていたと言うことはないだろうな。
準備していた、と言うのが正確なところだろうな。当初の劣勢を跳ね返せたのは
潤沢な生産基地としての日本が兵站を補給し続けられたからだよ。

306: 世界@名無史さん 2006/08/26(土) 15:04:02 0
アメリカはWWⅡで日本本土を直撃する事で日本を降伏されたが、朝鮮戦争では関東軍の拓いた旧満州の重工業地帯の補給を受ける中国共産党軍の前に大苦戦している。
これは歴史的な皮肉だと思うね。

307: 世界@名無史さん 2006/08/26(土) 15:23:33 0
朝鮮戦争勃発に際し、日本政府は、日本人が義勇兵として朝鮮戦争に参加することは憲法の建前から許されないという見解を公式に表明した。
しかし、岡崎官房長官(朝鮮戦争当時)の「米軍の出動が国連の讐察措置である以上、一部の人が占領軍の命令によつて戦闘行為その他に従事することは当然であるという一九五〇年七月一日の記者会見での言明し、日本政府は「国連軍」の名の米軍の命令による日本人の朝鮮戦争参加は公然とみとめた。
こうしてアメリカは朝鮮戦争開始より、日本の領土、全産業を朝鮮戦争のために利用しただけでなく、多数の日本人を朝鮮戦争に動員した。その主なものは直接の戦闘員としてより輸送その他の戦争要員としてであった。
 
しかしながら、今日なおその全容は明らかにされていないが、多数の日本人が戦闘員としても朝鮮戦争に参加した。米軍と日本政府はこれを否定しつづけたが、この事実は朝・中人民軍側がしばしば指摘し、抗議したところである。
朝鮮戦争開始直後の一九五〇年七月六日、朝鮮民主主義人民共和国人民軍総司令部はつぎのような発表をおこなった。
「人民軍部隊の進撃に狼狽した敵は日本軍国主義者共を参加させている。水原東方で殲滅された敵屍体の中から三十余名の日本人将校が発見された」と。
十月十四日には、朝鮮民主主義人民共和国外桐が、国連総会議長およぴ国連安保理事会議長に対し、「朝鮮動乱に数百名の日本兵が参加している」と通告、国際法、国連憲章違反だと非雑した。二十五年十一月二日の極東委員会でソ連代表ウラジミル・バズイキン氏は、日本軍が朝鮮戦線で米軍に使われていると非難した声明をよみあげ、「朝鮮の軍事行動で日本軍が米軍に使用されていることはポツダム宣言および一九四七年六月十九日と同四八年二月十二日の極東委員会の決定に違反する」と抗議した。
小山内宏「朝鮮戦争とヴェトナム戦争」によれば「驚くことは国連軍の損害中、日本人の戦死四十八名、捕虜三名さえあったことである」とある。アメリカは日本人を戦争にかり出し重用したが、戦死した後は、犯罪人扱いしている。

314: 番犬ポチ 2006/08/27(日) 08:08:18 0
>>307
>米軍の出動が国連の讐察措置で ある以上、

これは多分警察予備隊設立のための布石だろ。GHQが7月8日に指令、
8月10日に政令で公布だな。7万5千人の予備隊募集だな。
在日米軍の朝鮮半島投下を補填するためものだな。
日本の再軍備はやはり共産側は恐かったんだよ。
ポツダム宣言で許された20万の警察力のうち実際の警察官12万5千を除いた範囲内だな。
事実上は軍隊だからやはり朝鮮戦争における最後の手段として
温存していた節があるね。そのために日本を独立させたわけだろ。
敢えて言うのなら、「家の番犬の首輪放つけど、いい?」
と米国は共産側に恫喝したわけだよ。かなり効いたはずだよ、これはw
朝鮮と中国が早く停戦したかった最大の理由だろうな。
51年9月講和調印、52年4月発効、10月保安隊と改称、53年7月停戦。
53年6月MSA協定による日米軍事援助交渉開始。スターリンは3月に死亡、アイゼンハワー
は1月に就任だから停戦の決定打は米軍兵器による日本の本格的な再軍備かもしれんね。
単純に考えれば日本軍投入のためのお膳立てを米国は着々と準備していたと言うことだろうな。
少なくとも外観はそう見えただろ。戦時中の国が隣国の再軍備支援するわけだから、
まさか暇つぶしではあるまいww


310: 世界@名無史さん 2006/08/27(日) 01:30:23 0
国連軍捕虜のなかに日本人がいたことはたとえば一九五一年十二月十八日、朝・中人民軍と国連軍との捕虜交換合同委員会で人民軍側の示した国連軍捕虜名簿中に日本人がふくまれていることでも明らかである。
タニヤマ・ヨシオ(米第二十四師)
ツツイ・キョヒト(同)
ヤスイ・タツクニ(同)
の三名の日本人の名前があげられている。

国連軍捕虜の日本人捕虜、虜筒井清人(山口県下関市出身、当年二十三歳)と安井
竜文(大阪府布施市出身、当年二十五歳)に面会した記者はアメリカ軍に参加して
朝鮮戦争に出動してから捕虜になるまでの経過について語っている。
安井は一九四九年末、アメリカ軍第二十四師団六十三部隊に編入されて朝鮮戦争が
はじまった直後、自分の所属していた六十三部隊とともに朝鮮戦線に派遣されたが、
彼が所属していた部隊だけでも数十人の日本人がいたという。日本人を米軍に編入
させる徴集事業は各府県または市の行政機関を通じておこなわれ、府県、市、行政
機関の推薦者のみが米軍に雇傭され、月給は日本の貨幣で三千円であった。
米軍は日本人の容姿・顔が朝鮮人とよく似ているので、"韓国国防軍〃の服を着せ
て偵察隊に使用し、捜索隊として雇傭していた。

311: 世界@名無史さん 2006/08/27(日) 06:04:06 0
そりゃいてもおかしくはないだろ。
当時日本は米国(連合国)の統治下だよ。1952年4月まで
国際法上は日本国民なるものは存在しない。

317: 世界@名無史さん 2006/08/27(日) 09:57:10 0
安井は、白分がアメリカ軍に参加した経過について次のように語った。

『わたくしは朝鮮戦争がはじまったのち、すなわち一九五〇年九月二十三日、
大阪府でアメリカ軍に参加し、アメリカ軍第一師団第十一連隊第二大阪捜索
隊に配属されて朝鮮戦線に派遣された後、偵察任務にあたるようになった。
アメリカ軍は日本人の容姿と顔が朝鮮人とよく似ているので、われわれに"
国防軍〃の服を着せて偵察隊にし、私の属していた第十一連隊だけでも数十
名の日本人が捜索隊に雇傭されていた。
わたくしが一九五一年九月四日に捕虜になるその時まですなわち朝鮮に派遣
されてから一年間に第二大隊捜索隊に所属されていた七名の日本人の内、私
だけが生き残ってあとはみんな犬死にした。われわれを捜索隊に利用しなが
らもアメリカ軍はわれわれを人種差別待遇をした。捕虜になった後、我々は
アメリカ軍捕虜たちは同じ収容所内にいながら、我々に差別的態度であたっ
た。捕虜になってから二年近くの生活は、他国である朝鮮にきて日本人がな
んのために犠牲になる必要があるかということをあらためて考えざるをえな
かった。アメリカ帝国主義と吉田一味にだまされて朝鮮にまでひきずられて
きたことを後悔したし、わたくしをだました連中をうらんだ』


318: 世界@名無史さん 2006/08/27(日) 09:57:57 0
日本政府は戦闘員・義勇兵の参加については、国策としてこれを禁ずる立場を一貫して
取っていたが、朝鮮海域において勤務する船員や特殊港湾荷役等に従事する者に対して
は、勤務の特殊性・危険性にてらして、SPAは連合国軍関係船員給与規程の外に新た
に連合国関係特殊港湾荷役者等給与規定を制定し、昭和二十五年七月二日以降従来の給
与のほかに特別の手当を支給した。この中には朝鮮にまで出動して米軍の作戦に直接参
加したものも多数あった。しかも、調達庁の発表によっても三百八十一名の死傷者が出
ている。
調達庁の公表によるこれらの「特殊作業に従事した者のうち、二十六年一月までに、死
亡、負傷、業務上羅病した者」は以下のものであった。

A.特殊港湾荷役者=業務上死亡‐一名、業務上疾病-七十九名、その他-二十一名(うち死亡者三名を含む)。計-百一名。
B.特殊船員=業務上死亡-二十二名、業務上疾病-二十名、私傷死-四名、私傷病-二百八名。計-二百五十四名。
C.その他朝鮮海域等において特殊輸送業務に従事中死亡した者-二十六名(港湾荷役-四名、船員-二十二名)

わずか半年間の公表されたものだけで邦人五十数名の戦死があったのだから、朝鮮戦争全期間に戦死あるい
は負傷した日本人の数はかなり大きい数にのぼったであろう。しかし日本政府はこの事実について現在も公
表を避けている。

引用元: ・歴史としての朝鮮戦争


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