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1: 世界@名無史さん 2005/03/22(火) 19:56:15 0
好きなんですが

関連記事ルイ16世万歳!!








263: 世界@名無史さん 2005/12/07(水) 18:06:11 0
「ルイ16世幽囚記」の本で、面白い内容があったら、教えて下さい。

264: 世界@名無史さん 2005/12/08(木) 22:26:44 0
1793年1月17日朝、弁護人マルゼルブ氏が公会での死刑判決結果を携え来訪、
が、自らの死刑判決を聞いても動じないルイ。しかしその後髭剃りのため
洗面器を差し出した従僕クレリーが泣いているのを見た時、やにわに自分
の死に思い至ったらしく、見る間に彼の鼻と耳から血の気が引いた。
それを見たクレリーもまたヘナヘナと足から力が抜けたが、ルイは彼の手を
握って逆に「元気を出して!」と小声で励まし、落ち着いて髭を剃った…。
しかもその間、ずっとコミューンの役人の厳しい監視下にあった(自殺を恐れた)。
「ナポレオン」のマンガではルイはいかにも鈍感そうに描かれていたが、
実際には自分の感情を悟られないようにと注意していた結果なのだと思う。
上記の話は本では生前のルイ16世の声など聞こえてきそうなうまい叙述だった。

266: 世界@名無史さん 2005/12/09(金) 17:04:19 0
>>264
ますます「幽囚記」読みたくなった!

他の本からだけど、ルイ16世が幼い息子に、「決して復讐などはしないように」といい聞かせるあたり、やっぱり立派な王様たったような気がする。
自分だったら、ああ言えただろうか?ってね。

270: 世界@名無史さん 2005/12/11(日) 00:17:59 0
王様になって嬉しかったのはこのシェルブール行きとランスでの戴冠式だけだったと後日述懐。衣装に極力金をかけなかった彼が珍しく特別に作らせた真紅に金の縁取りの晴れ着…。のちのヴァレンヌ事件の折りも荷物に入れていたという。忘れられなかったんだよなぁ~。あの時の人民の歓呼。栄光の日!アンシャン・レジームの最後の輝きだ!

272: 世界@名無史さん 2005/12/11(日) 14:02:08 0
あのー、初心者的質問なんですが、シェルブール視察のこと教えて下さい。
何年に、どういった目的で行われたのですか?

273: 世界@名無史さん 2005/12/11(日) 22:57:25 0
1786年6月、イギリス海軍への警戒のためフランス海軍はシェルブール軍港に9基の巨大な木製のなんというか、富士山みたいな形の浮き台を建造(オーク材で作り中に石を詰めたもの、一基あたりの総トン数48000トン)。当時の土木技術の粋をあつめた?ものだが、ルイは海軍関係にも土木工学にも造詣が深く、自らその竣工式(進水式)を行うべく行幸。(王妃は連れて行かなかったやだ!といわれたのか…)しかし以後の工事は赤字のため頓挫。結局役立たず。
オーク材はフナクイムシに食い尽くされるも王制なきあとの1800年、王が乗った浮き台の残骸はなおもシェルブール港にプカプカうかんでいた、という。

274: 世界@名無史さん 2005/12/11(日) 23:04:51 0
サイモン・シャーマ著「臣民から市民へ」上(中公刊)にくわしい。
(手元になくうろ覚えでスマソ)シャーマはこの大イベントを冷笑的に描いているが。

276: ハリネズミ ◆qBLXpo7Q9Y 2005/12/11(日) 23:14:09 0
イギリスの目先に牽制のために軍港を建設。シェルブール沖合に円錐台を設け、停泊地を確保しようとした。円錐台の上や停泊地の両翼に大砲を設置して、侵入する敵艦を狙い撃ちする目的だった。多額の費用がかかり、1783年に作業が開始され、84年6月6日に最初の円錐台が設置されるが、1789年12月に中止。この時点で2800万リーヴルに達したと言われる。

278: 世界@名無史さん 2005/12/11(日) 23:39:36 0
この計画のため大砲の射程入りの細かい地図を自ら描き上げたルイ。
几帳面な技術者的一面がうかがえる。

279: 世界@名無史さん 2005/12/12(月) 00:17:11 0
行幸中かれが王妃に書き送った手紙では、帰途、シェルブールで圧倒的だった民衆の歓呼が徐々に減り、「パリに近づいているのがわかった」のだそうだ。

280: 272 2005/12/12(月) 08:32:37 0
>>273-279
マジレスありがとうございます。
日頃、アントワネット関連の本を読みあさっていた私にとって、シェルブールの視察は初耳でした。
ギロチンの発明に貢献していたのは知っていましたが、ほんとあらゆるものに興味を持っていたのですねー
大砲の射程入りの細かい地図とありましたが、たしかナポレオンも得意だったはず。
二人とも頭脳の面ではヒケをとらないのに、かたや英雄 かたや…
やっぱりルイ16世の最大の欠点は、覇気が無さ過ぎ!
どういう環境であったなら、この人の実力は十二分に発揮できたのかしら?
でも、一つ救いがあるとすれば、後世の人々に再評価されつつあるということかな。
今ふと思ったのですが、当時の王様って旅行しないのですか?
あまり記述がないような…

281: 世界@名無史さん 2005/12/12(月) 10:50:02 0
ルイ16世の自信のなさ、他人に合わせようと自分の意見を封じてしまう癖は幼い頃、乳母や父王太子が兄と弟2人を偏愛して、かれをバカな子として疎んじ、あげく兄、父は次々と結核で死亡、いきなり王位継承者となった(母も失う)ためでしょう。しかもそのあとの帝王教育は「君主は他人に内心を悟られないように」とか宗教のため命をささげろ、とか、現実離れしたものだった。
旅行に関していえば、王は旅行をしないということだったようです。なぜなら用事があるものの方がヴェルサイユに来るから。ルイ16世はコンピエーニュ(結婚のとき)、ランス、シェルブール、ヴァレンヌしか旅行しておりません。王妃もオーストリアから来た時以来、同じ。あとは年に数回、マルリー、フォンテーヌブロー、ランブイエなど近郊の離宮に長期滞在以外はヴェルサイユ、革命以降はパリ。
地理学が何より得意だった王はラ・ペルーズの間宮海峡発見の航海にも助言している。
本当は自分で船に乗って日本なんかに来てみたかったのでは??

282: 世界@名無史さん 2005/12/12(月) 19:25:23 0
もっと財政に余裕があればなあ。
ルイ14世・15世が盛大に吐き出しやがったから。

もう少し国力があったらどんな施策を取っただろうか。
オーストリア、スペインとの友好関係につとめつつ、海外進出を支援して“仏領オーストラリア”とかを作って、ルイ航海王とか呼ばれたりするとか。

283: 世界@名無史さん 2005/12/13(火) 13:13:16 0
「名士会(アサンブレ・ノタ~ブル)」でも三部会でもなくイギリスにならった
「議会(アサンブレ・ナシオナ~ル)」を、1787年の時点で王権みずからの手で
創設していたらね~。
(王は閣議で大臣に解説してみせるほど英国議会についての知識も豊富だった)
そこで課税を合法的に議論し、国家財政を立て直して改めて立憲君主制国家
として出直す。そうすりゃあ、コルシカの士官も王国軍元帥どまり…。

284: 世界@名無史さん 2005/12/13(火) 16:47:49 0
>>283
英国議会の説明をした時、大臣たちの反応はどうだったんだろう。
実現していないという事は、ルイ16世には強力にサポートしてくれる側近もいなかった?

それにしても「ルイ航海王」じつにいい響きだ…

286: 世界@名無史さん 2005/12/14(水) 09:39:48 0
閣議中、英国議会の話題が出ると、皆、王に詳細を尋ねたそうです。
毎月出る英国議会議事録やロンドンの新聞を取り寄せていたから。
実際のやりとりは不明。
ヴァレンヌのときは、王一家を捕捉すべく馬車に乗り込んできたバルナーヴ
に向かって英国議会の論評をはじめたものの、相手に「ほう、それで?」
と突っ込まれるや「あ~いや、あの、その…」とたちまち赤面、黙ってしまっ
た…。

英語、ラテン語、イタリア語が自由に読めたそうです。

287: 世界@名無史さん 2005/12/14(水) 10:56:09 0
「バルナーヴ」でぐぐったら
“ヴァレンヌ逃亡の際、議会代表として国王をパリに連れ戻した人。
その後、ジャコバン派と決別し、ラファイエット一派と共にフイヤン派を結成し
立憲王制を打ち立てようとした。”とありました。
起死回生のチャンスもあったわけですよね~
なのに、なのに、あー無情…orz

288: 世界@名無史さん 2005/12/14(水) 17:36:51 0
あ~いや、バルナーヴ氏、ルイのことは「彼は無感覚な肉塊である」などと結論付けてしまったのですが、奥さんのマリー・アントワネットのほうはいたく気に入ってしまい、以後、ひそかに王一家を救うべく(ミラボーの後釜という感じで)彼女と手紙のやりとりなどして動いた。(しかしのち失脚…)

289: 世界@名無史さん 2005/12/14(水) 18:49:45 0
えっ~~~!!アントワネットの方かいっorz
まったくもってバルナーヴ、見る目無し!!
ミラボーの時みたいに、ばれて失脚しちゃったの?

290: 世界@名無史さん 2005/12/15(木) 12:22:10 0
あ~いいえ、ミラボーは死亡後、王家と通じていたことが露見したんですね。
バルナーヴはヴァレンヌ以降、立憲王制を目指しジャコバン派から分離し穏健派(フイヤン派)として憲法制定にこぎつけるものの、肝心の王家がこの立憲君主という役を内心拒絶していたから、結局彼のほうが王家に裏切られたような感じもありますね。王妃に至ってはオーストリアとの戦争を回避しようとするバルナーヴらに同調するふりをしつつ、実は時間稼ぎに利用した(そのうち実家が助けに来るはずだからそれまで議会をコントロールして王権だけキープしておいてもらおう…)ということのようです。
バルナーヴは王の刑死後も亡命せず、恐怖政治の裁判で死刑。
当時実家を頼る王妃の存在は、民衆の愛国心を煽る材料として大きかったと思う。



291: 世界@名無史さん 2005/12/15(木) 17:39:02 0
フランス革命が必然だったとしたら、ルイ16世は時代に選ばれてしまった王だったのかな~
「死ぬ」ことにも意味があり、使命だったのかな~
などと、考えてしまいました。
ごめんなさい、今日は思いっきり欝です。
また、出直してきます。

292: 世界@名無史さん 2005/12/16(金) 18:50:57 0
いえいえ、彼自身、最後のほうでは何しろ「自分が王になったのは死ぬためだった」と思い定めたようですから。そしてそれは、多分父から「なぜ兄が死んでお前が生きているのだ?」といわんばかりに責められた引け目が生涯つきまとったからなのだと思います。それと、やはり父のごひいきだったイエズス会シンパの人たち(デヴォ=信心党)の貴族・聖職者の影響から殉教者としての役を引き受ける、という刷り込みが最後の最後に彼に命を諦めさせたようにも思います。(死刑判決後も公会での上告断念)「生きたい」と思っていいのだよ、と言ってくれる人がいたのなら…。
そのあたりのけなげさが王妃の気持ちも動かしたのだと思う。幽閉中、家族に会えた間は本当に幸せだったかも知れません。

293: 世界@名無史さん 2005/12/16(金) 19:00:09 0
憲法への内心の拒否も、おそらくこの亡き父が重視していた宗教(教会)に忠実であろう、という意志から発したものだと思います。
新しい世が必要なことを理解しているのに、父の遺志から宗教や旧制度にこだわり続けたことが、彼の悲劇でしょうか??

296: 世界@名無史さん 2005/12/17(土) 10:29:13 0
ルイ15世って、たしか料理好きだったよね?
大食漢のルイ16世にも、たまには作ってあげてたんだろうか?
だとしたら、ほほえましいのう

298: 世界@名無史さん 2005/12/17(土) 13:12:55 0
ルイ15世は朝、娘たちにコーヒーを淹れてあげたそうです。
娘とか息子や孫の嫁は大好き。息子と奥さんは無視。孫(ルイ16世)のことは、ものすごく不仲だった息子の死後、罪滅ぼしのようにちょっとは 可愛がって狩りなどに同行させたが、料理はふるまったかどうか知りません。
ルイ16世は幼少時に足りなかった愛情(結婚後は嫁の愛情も)の穴埋めと、食べれば健康になるという侍医の進言から青年期に過食に陥ったんじゃないでしょうか?革命期にはしかし、さほどの大食いではなかったと思う(酒量は進んだか?)
ルイ18世は、やはり幼い頃、父のえこひいきで兄より優れていると思い込まされ慢心したんですね。陰険で腹黒い厭な奴だ!この人がいなかったらルイ16世ももう少し自信をもって王国を治められたのではと思いますね。語学、文学の才能は相当あったらしいけれど、理数系も運動も全然だめ。ナポレオンいわく、「ルイ16世から誠実さを引いて機転を足したような男」

300: 世界@名無史さん 2005/12/17(土) 16:29:57 0
アルトワだっけ?アントワネットの遊び相手でイケメンだった人?

しかし、ナポちゃんうまいこと言うね。座布団一枚あげたいところだw

301: 世界@名無史さん 2005/12/17(土) 17:01:29 0
う~ん、単細胞でわかりやすい強硬派ですが、意外に小ずるい。バスチーユの3日後
家族とともに亡命するチキンぶり。(ムッシュゥ=のちのルイ18世はヴァレンヌ事件の夜にブリュッセル
に亡命するまで、王一家とともにパリにとどまっていた)亡命後はコブレンツなんかで遠
吠えするものだから国内に取り残された国王一家は一層窮地に立たされたわけです。
王政復古後の反動政治ぶりもひどい。

302: 世界@名無史さん 2005/12/17(土) 17:20:53 0
ルイ18世がしばらくパリに残ってたのは、あわよくば王位が転がり込むとでも思ってたからかな。
まあ、この人は兄貴や弟に比べたら、一番、政治的センスはあったみたいだね。

303: 世界@名無史さん 2005/12/18(日) 08:57:26 0
政治的センスというか、自己保身に長けていただけですね。
わが敬愛するルイ16世はすくなくとも自分を犠牲にして神に国民救済を願い、それこそ旧制度的祭司的王権の役割を(あの意志薄弱と揶揄された彼が)渾身の力を振り絞って果たした、
といえると思います。その一方そうした宗教的役割が時代遅れというのも自覚していたと思う。(裁判中はずっと無神論者マルゼルブと対話しているわけだし)
そのへんの複雑さがかれの不幸をわかりにくくしているような…。

314: 世界@名無史さん 2005/12/22(木) 19:50:00 0
名君である曽祖父には足元にも及ばないな

315: 世界@名無史さん 2005/12/23(金) 01:46:29 0
曽祖父って、ブルゴーニュ公ルイか?
どこが名君なんだ。

316: 世界@名無史さん 2005/12/23(金) 10:52:27 O
ルイ15世
ルイ16世の祖父

ルイ14世
ルイ15世の曾祖父

この二人、特にルイ14世が国費を疲弊。そのツケが溜まりに溜まってルイ16世に。16世が14世のような性格だったら特権階級を廃止できたのかな。

317: 世界@名無史さん 2005/12/23(金) 12:52:41 0
国費を疲弊→国費を浪費、または制度が疲弊…。
しかし、何ですね。国家財政の破綻と新興富裕層の政治的上昇。どっちが真の革命の原動力だったのでしょう。特権階級といっても当時すでに富裕層の核心は第三身分=市民層だったわけです。貴族・聖職者はいわば現代日本の公務員のごとく叩かれ役として無産階級の恨みを買っていたような気がしますね。

327: 世界@名無史さん 2006/01/03(火) 17:21:49 0
>>317
>貴族・聖職者はいわば現代日本の公務員のごとく 叩かれ役として
>無産階級の恨みを買っていたような気がしますね。

聖職者が恨みを買っていたケースもあるでしょうが、宣誓拒否司祭を匿ったりしていたのは農民。ナントの虐殺で生き延びた人を、自分自身の身を危険にしてまで匿ったりしている。

328: 世界@名無史さん 2006/01/03(火) 17:47:57 0
そうだとするとなぜあの1792年9月の大虐殺で高位聖職者が惨殺されていったのでしょう?
パリなど都市の無産者層でも全てが反カトリックだったのではないとは思いますがなぜあんなに怒りをかったのかなぁと。

331: 世界@名無史さん 2006/01/03(火) 18:05:56 0
高位聖職者はほとんどが貴族だし、裕福な生活をしていた。
おまけに、庶民との接点はほとんどない。

332: 世界@名無史さん 2006/01/03(火) 21:25:40 0
修道院の修道士とか修道女も僧院から引きずり出されてまとめて惨殺。今思ったんですが、革命の過激派にはもと司祭というのが結構多い。
ドサクサに紛れて上司を殺しまくり、自分がその地位につく、てな野郎が多かったんですな、きっと(フィリップ・ル・ボンとか)。 パリの自治委員会(コミューヌ)の委員などもそんな奴が多かったんでしょう。(もとビール醸造業サンテールとか)フーキェ・タンヴィルなども裁判所の平吏員から裁判長へ。せこい私怨やけちな物欲、ねたみ、やっかみからやった。
これが恐怖政治の正体かも知れませんね。そして殺される側の従順さ。やりきれない。

333: 世界@名無史さん 2006/01/03(火) 21:37:23 0
フーキェ・タンヴィルは刑死者たちの最後の遺書すら遺族に届けずに自分のファイルに保管していた極悪人。

334: 世界@名無史さん 2006/01/04(水) 10:46:05 0
フーキェ・タンヴィルやフィリップ・ル・ボンは死刑判決濫発の冷酷無比な人でなしだが、家庭ではよき父、夫であったという。
アウシュヴィッツ所長ルドルフ・ヘスも同じような評が残る。
彼らは職務に忠実たらんとして、何の罪悪感もなく人を殺し続けたのだろうか?
最悪の犯罪は狂気ではなく理性で行われるということか…。

340: 世界@名無史さん 2006/01/27(金) 23:32:38 0
ルイ16世は、奴隷の扱いが過酷で酷いものであることを知り、
黒人法を修正した。

341: 世界@名無史さん 2006/01/29(日) 23:09:33 O
どのように修正したのでしょうか?

342: 世界@名無史さん 2006/01/29(日) 23:25:36 0
王は、砂糖プランテーションの奴隷の扱いが、酷いものであるとの報告を受け、勅令を発し、過酷にならないように制限を加える。

344: 世界@名無史さん 2006/03/04(土) 18:17:52 0
最近では王がフランス国内で逃亡した奴隷をつかまえろ、という法令を発したとして人種差別主義者だ、と非難されているらしいですな。確かにメルシエの「タブロオ・ド・パリ」にもそんな記事が見受けられますな。おフランス人の白い肌を守るための法発令云々と。
まあ18世紀人たる王に現代並みの人道主義的センスを持てといわれてもねぇ。

345: 世界@名無史さん 2006/03/09(木) 19:16:26 0
フランス革命がなかったら、ハイチの反乱をルイ自ら鎮圧するはめになっていただろう。
トゥサンvsルイの戦いも見てみたいが。


362: 世界@名無史さん 2006/05/02(火) 11:29:48 O
ルイ16世好きだ。
王として生まれてなかったら、もっと幸せに生きれたんじゃないかと思ってしまう。

363: 世界@名無史さん 2006/05/02(火) 17:49:21 0
浪費・愛人が常識なブルボン一族でも稀有な質素な人格だったな。
立憲王政時代なら国民に慕われて天寿を全う出来ただろうに。
よりによって末期癌状態のフランスの国王にされたのが運の尽き。

364: 世界@名無史さん 2006/05/02(火) 22:45:45 0
アンシャンレジームは時代遅れだったけれど税収さえ確保できていれば何とかなったと思う。
それからルイ16世治下のフランス海軍はナポレオンが出来なかったイギリス撃破に成功。
それから間宮海峡探検もかれがラ・ペルーズに指示したことだったし…。
まあ一番ふさわしいのは海軍の提督なんかでしょうか??

365: 世界@名無史さん 2006/05/02(火) 22:52:30 0
>>364
この人に責任を取らせる仕事は無理じゃないでしょうか。学者とか参謀とか人の下で助言する仕事がいいと思います。

366: 世界@名無史さん 2006/05/02(火) 22:58:28 O
人の上に立つのは合わないんじゃないかな
周りに言いくるめられて、利用されたりしてそうだ‥

373: 世界@名無史さん 2006/05/07(日) 16:02:56 O
クレリーの日記だっけ?昔読んだなあ。
最期まで立派な王様だよ。

374: 世界@名無史さん 2006/05/07(日) 16:28:09 0
>>373
王党派復帰後に出版された話なら相当脚色が入っていると思いますが、それでも
ルイ16世は今まで不当に低く評価されていたと思う。

375: 世界@名無史さん 2006/05/07(日) 21:35:14 O
ルイ16世よりもアントワネットの方が注目されがちだしね。
一般的には駄目な王様ってイメージが強いのかな・・

376: 世界@名無史さん 2006/05/10(水) 19:38:17 O
最近フランス革命を習った。もともとルイ16世好きだったけど、ここのスレ見てさらに好きになった!
すごく優しい人なんだね。

377: 世界@名無史さん 2006/05/10(水) 23:57:08 0
それが不幸の元だけどな。

378: 世界@名無史さん 2006/05/11(木) 22:17:12 O
フランス革命関連の本を読んでいると、本当にマスコミや中傷は恐いと感じるよ。
その当時のフランス人は我慢が積み重なっていたとはいえ、一丸となった民衆って恐ろしい。

379: 世界@名無史さん 2006/05/12(金) 09:05:45 0
マスコミの煽動により燃え上がるというポピュリズムの最初の事例だと思う。
非合法マスコミ取り締まりを甘くしたおかげで百科全書も日の目を見たわけですが。
ルイ15世、16世の寛容な政治が逆にアンシャンレジームへの不満を盛り上げてしまった。
とくにルイ16世の諸改革は、まちがいなくあのナポレオンの帝国の骨格を作ったものだ。
手柄はすべてあのコルシカ人に持っていかれたんだよ~!くやしい!

381: 世界@名無史さん 2006/05/23(火) 11:28:43 O
ルイ16世の残した功績ってなんだろう?

384: 世界@名無史さん 2006/05/24(水) 17:50:08 0
>>381
ルイ16世の治世下、特に産業面でフランスはより近代化されたことはまちがいない。かれにとって常に手本はライバルのイギリスだった。のちの革命とナポレオン戦争のおかげでフランスの経済的成長はイギリスに比べて相当遅れてしまったのだった。また農産物の改良育成にも熱心だった。
(じゃがいもの栽培奨励ね!)三部会とそれにつづく大革命は、かれの手によるアンシャンレジーム改革の道半ばで起こった不幸。そもそもイギリス同様の議会が必要と考え名士会を各地に開こうとしたたのもルイ16世なんだから!抵抗勢力=高等法院の連中のおかげで改革は挫折したんだよ~

382: 世界@名無史さん 2006/05/23(火) 12:16:02 0
ギロチンの刃の角度

394: 世界@名無史さん 2006/06/09(金) 00:12:21 0
有能とは言えないけれど、暗君じゃないと思うんだけどなぁ。
時代に流された悲運な王。ただ、良心的で偉大な王でも無い。

ただ人間的にちょっと癖がある性格だったから、
そのせいでさらに歴史的評価を落としたんだろうな。

395: 世界@名無史さん 2006/06/16(金) 21:04:02 O
ルイ16世って本当に浮気とかしなかったのかな?好みの女を選び放題だっただろうに。
あまりに先代の王達と違い過ぎ。
それとも性格の問題?

396: 世界@名無史さん 2006/06/22(木) 01:18:06 0
>>395
性格じゃないですか?何しろアントワネットとフェルセンが浮気をしていても文句を言わない人ですよ。

399: 世界@名無史さん 2006/07/05(水) 00:34:58 0
>>395
じつは、1人別の女性に産ませた子供があったという説があります。
びっくりして、検索するんだけど、画像はでませんが、どうもいた事は事実みたいで、驚きました。
先日、テレジアとアントワネット展に行きましたが、やはり公には出てませんフェルセンだって、たくさん愛人がいたわけで、ヴァレンヌ逃亡の際、王妃の旅券とか、馬車を発注するのには、愛人の名前を使ったわけだから、ベルバラとかだけのイメージでは、革命を間違えて理解してしまいます。

403: 世界@名無史さん 2006/07/26(水) 09:15:30 0
>>399
それは王女付きの奉仕者の遺児で後に王女の遊び相手として共に育ったエルネスティーヌ・ランブリケの事だと思います。
可憐な王女マリー・テレーズが20年後、アングレーム公夫人としてルイ18世とともに亡命から戻ったとき、あまりにこわもてに変貌していたため(でもルイ16世には似ていた)
替え玉ではないかと囁かれた、その替え玉が彼女だという説。
王太子ルイ・シャルルの謎が決着したら今度はマリー・テレーズ替え玉説ということなのでしょう。しかも例の手術の直後にルイ16世が王女の侍女を…などという困難な前提を必要とする。チェコの教会にあるというマリー・テレーズ=アングレーム公夫人のご遺体を調べればすぐ決着すると思います。ルイ16世は亡き父(ルイ・フェルディナンド)のキリスト教道徳にがんじがらめの人だったんです。(ルイ15世の家庭破壊がその原因)

404: 世界@名無史さん 2006/07/27(木) 12:39:35 0
愛人に夢中で家庭を破壊したルイ15世に批判的なルイ16世の父(王太子ルイ・フェルディナンド)は、母とともに「ドヴォ(信心)派」=宮廷内のイエズス会シンパに属していた。この父や父の死後教育を担当したイエズス会聖職者やシンパの貴族によって(ルイ15世批判を込めた)ルイ16世への道徳的教育が行われた。ルイ16世の子ども時代は本当に悲惨。父に似て傲慢な兄ブルゴーニュ侯がカリエスで寝たきりとなり、毎日病床につき遊び相手(実はいじめられていた)。兄の悲惨な死。愛する長男(ブルゴーニュ侯)の死後、自身も結核で死期を悟った父王太子はルイ16世(当時はベリー公)を理不尽にいじめたが、けなげな彼は必死で父の期待に応えようとしたのだった…。

410: 世界@名無史さん 2006/08/22(火) 23:13:11 0
>>404
享楽的だった父王ルイ15世よりも、真面目なポーランドの元・国王の娘の王妃マリー・レグザンスカにルイ・フェルディナンドは似たようです。
王妃マリーはポーランドという小国のしかも廃位された国王の娘で亡命生活を送り財産もなく、おまけにルイ15世より7歳も年上。華やかなヴェルサイユの宮廷で「葦笛ひとつで興しいれの王妃」と揶揄され華やかな夫の愛人たちと争うよりも信仰に生きることに活路を見出した王妃でした。
そんな母親を見て育った王太子ルイは父の愛人たちが大嫌いで自分は愛人を持たず、先妻に先立たれてルイ16世の母と再婚した時も「先妻に悪いから」と最初はセッ〇スを拒否したほどです。
こういう堅い真面目な父親に育てられたので、ルイ16世も愛人を持つなど考えられなかったんでしょう。

414: 世界@名無史さん 2006/08/24(木) 15:55:02 0
ベルサイユ宮殿内の礼拝堂で行われるミサではいつも大きな声で聖歌を歌い腹黒の弟2人から「間抜け」「馬鹿」と嘲笑されてたんですね。アントワネット大嫌い、のパリのおかみさんたちも実は国王のことは好きで ベルサイユへの行進後、王一家をパリに連れてきた時も「彼女たちは王様がパリに来たのだから、自分たちはもう飢えないと安心していた。
悪妻や自堕落な貴族しか回りいなかったこの善良な王様には自分たちパリの女たちがいる
これでフランス王国は安泰だと喜んだ」by歴史家ミシュレ
「彼女たちは依然として、王を敬う王党派だった」by作家スタンダール
スタンダールはパレ・ロワイヤルに出入りしていて、ベルサイユへの行進に
ドレスを着て女装して銃を持ち、オルレアン公の私兵と共に参加したと述懐してます。

415: 世界@名無史さん 2006/08/24(木) 22:39:10 0
ルイ16世についてはおっしゃるとおりだと思いますが…。
1783年グルノーブル生まれのスタンダールが1789年の10月のヴェルサイユ
行進に参加したとは???

416: 世界@名無史さん 2006/08/24(木) 22:53:25 0
>>415
スタンダールは故郷の(確かグルノーブル)の市民大会に
連れて行ってもらったんでしょ
オルレアン公のところに居候してたのは「下水のルソー」じゃなかったかな

417: 世界@名無史さん 2006/08/27(日) 16:55:57 0
10歳のスタンダールは国王処刑の報を聞き、にもかかわらず何の災厄も
起きなかったということに生まれて以来最高の喜びを感じたそうですが、
それにしてもパリには行ってないでしょう。

419: 世界@名無史さん 2006/08/29(火) 11:52:56 0
両親である王太子夫妻は聖王ルイ(9世)の誕生日の生誕をねらって毎年のように
8月末~9月初旬にかけて計画出産。一番近い日に生まれ名前も聖王にちなんでつけられた
ルイ=オーギュスト。かれは生まれたときから殉教者の運命を背負わされ、それに
最期まで逆らうことなく生涯を終えたのだった。悲しすぎますね。
ウァァァァァ~ン\(`Д´)ノ


421: 世界@名無史さん 2006/08/31(木) 16:12:08 0
>>419
繋がりで思い出したけど
同じ境遇のニコライ2世がロシア正教から聖人に認定されたけど
我らがルイ16世もローマ教皇庁から列聖されないかね?

422: 世界@名無史さん 2006/08/31(木) 19:25:49 0

聖人になるために必要な要件。ルイ16世が殉教者と認められるか、死後奇跡を起こしたかのどちらかが必要です。


423: 世界@名無史さん 2006/08/31(木) 19:48:39 0
そういえばフランス革命後、キリスト教信仰が否定されたけど
ロシア革命後のソビエト連邦もロシア正教を否定したんだよね。
政府により処刑になった司祭もいたし
文化遺産でもあるイコンも持ち去られたり破壊されたり。
共産主義って信仰とは相容れないのかなあ。

429: 世界@名無史さん 2006/10/03(火) 16:10:10 0
マリー・アントワネットの贅沢は捏造だったとかいうニュースあり。
ルイ16世が愚鈍で肥満体というのも捏造なんですよぉ~!!

430: 世界@名無史さん 2006/10/03(火) 17:31:19 0
贅沢が捏造なんじゃなくて、彼女一人の贅沢のせいで国家経済が傾いたという
のが捏造だった、って意味に読んだが

432: 世界@名無史さん 2006/10/09(月) 21:23:29 0
最大の原因は、独立戦争の支援や、以前からの戦費による出費。

あとは、貴族の年金。

433: 世界@名無史さん 2006/10/09(月) 21:29:37 0
フランス(ブルボン王朝)の慢性的な財政赤字は既に初代のアンリ4世から
始まっているから、仮に16世にシャルル5世並の内政能力があっても
解決は不可能だったと思う。

引用元: ・ルイ16世万歳!!


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