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1: 人間七七四年 2010/06/23(水) 12:36:49 ID:QZy705sA
ここでいう兵法とは個人の武芸・武術は除いた大将としての戦のやり方という意味。
戦国大名は子供の頃に兵法の英才教育を受けたりしたの?
体系化された兵法学みたいなものは存在したの?

兵法の英才教育を受けたわけではない秀吉や謙信が戦上手な時点で兵法を学ぶとはどういう意味があるのだろうか?と考えてしまう。









2: 人間七七四年 2010/06/23(水) 12:39:27 ID:bPHtPdK9
江戸時代になるまで存在しなかった。

9: 人間七七四年 2010/06/23(水) 18:10:35 ID:/S4wckAG
>>2
例えば人質時代に家康(竹千代)が大源雪斎に兵法を教わったりしたというのは?

4: 人間七七四年 2010/06/23(水) 13:19:15 ID:KMe1pVIl
日本の国土に中華の兵法は合わない。

39: 人間七七四年 2010/08/17(火) 11:50:06 ID:wXWjmOOV
>>4 
そんなおまいの為に日本最古の兵法書「闘戦経」があるんだお
何百年の後に書かれた戦争論に通じるものがある
闘戦経

『闘戦経』(鬪戰經 とうせんきょう)は、平安時代末期に成立したとみられる日本の兵法書。現存する国内独自の兵法書としては、最古の兵法書である。

一部のみ現存する上、『孫子』の補助的兵書としての役割の為、兵として、将としての思想・精神・理念・心法を主に説き、用兵論を一部で説いているものの、攻城戦や籠城戦といった具体的な戦術論は説かれていない。実質的戦術は『孫子』・『呉子』に任せている形となり、従ってこれらの中国兵法書も熟知していなければならない。また、文は全体的に見て、短く、簡潔にまとめられている為、読者に解釈を求められる形式となっていて、後世、注釈本が書かれたゆえんでもある。

当書における思想の特徴として、物事を二元的に区別して考えるのではなく、一元的に集約して語り、用所ごとに使い分けるべきと論じたもので、「これは一と為(な)し、かれは二と為す。何を以って輪と翼とを諭(さと)らん」の文に表れている。翼は一対であり、区別(二元論)をしても、ものの役には立たないのは事実であり、中国朝廷の制度のように、文官・武官と別けるのではなく、両道に努めるべきだとする大江家兵法の根幹が各所で説かれる。


14: 人間七七四年 2010/07/02(金) 12:21:45 ID:GbDSOfsE
普通に六蹈とか孫子読んでるだろ大名は全員

19: 人間七七四年 2010/07/07(水) 14:58:22 ID:k/pPmgtN
父親とか守役の口伝というか経験談で子供に学ばせていったんじゃないか?

風林火山とか言ってるぐらいだから信玄は孫子読んでるだろうけど

16: 人間七七四年 2010/07/06(火) 06:09:06 ID:iamZWXGi
>>1
寺ってのは、古代から知識の集積、継受をつかさどってたところだった。各種の書籍の収蔵やその知識を授けたりもする場であった。時代を遡るけど、義経さんがえらい破竹の快進撃できたのも、ガキの頃に寺に預けられてたもんだから、一人で兵法書読み漁ってて、やくざの喧嘩みたいなレベルのところに兵法を持ち込んだからでは、とも言われてる。
で、長いこと寺に預けられてた謙信とか、一応寺に入ってる秀吉なんかは、そういう書物に触れる機会が高かったともいえる。もちろん、才能もあるけどね。
秀吉とか、碁がえらく強かったらしいけど、そういう知的ゲームの強さは、ある程度素の頭の良さの指標になるだろうし。

18: 人間七七四年 2010/07/07(水) 14:46:30 ID:694wOPHs
>>16
本願寺はともかく延暦寺の僧は兵法に長けていたとは思わないのだが。
謙信や、いわんや秀吉なんかよりよっぽど寺にいて学ぶ期間が長かったのに。
驕っていて書物読んだりもしていなかったのかな。

20: 人間七七四年 2010/07/26(月) 14:53:56 ID:LIzUAqEi
>>18
僧は信仰が本分だから経典ばっかり読んでたんじゃないの?
そもそも殺生戒がある仏僧が積極的に兵法書を読んでたとも考えにくい

21: 人間七七四年 2010/07/26(月) 16:36:13 ID:IjOvKjp3
>>20
その考えは正しくない
僧侶は漢籍全般における知識階級であり、また戦国の世においては権力者(大名)と繋がることで、乱世を治めるという考えから兵法を教えることも是とされた

22: 人間七七四年 2010/07/26(月) 20:32:39 ID:6pXNKeuQ
今で言う大学教授みたいなものかな?

25: 人間七七四年 2010/07/28(水) 09:27:31 ID:kjZE5Bsj
>>21
で、兵法を教えた僧侶って具体的に誰よ?
雪斎以外の名前を挙げられるのか?

26: 人間七七四年 2010/07/28(水) 13:04:57 ID:xgqrNVRq
例えば、松平家忠は本光寺で兵法も含めた様々な知識を学んでいることが「家忠日記」で伺える

27: 仙台藩百姓 2010/08/03(火) 20:48:09 ID:VgkLSfF/
奥羽永慶軍記に雇われ軍師家業をする流れ者の坊主が割といたという事が書いてあるお( ^ω^)

30: 人間七七四年 2010/08/04(水) 19:37:58 ID:TQgxRsyK
>>27
それは占いを仕事とする軍師だろ?

31: 仙台藩百姓 2010/08/06(金) 01:53:57 ID:HeXy7S84
>>30
兵法家の方みたいだお( ^ω^)
佐竹だか葦名だかでも雇ったら、いざ戦場に出てみると役に立たず逃げ出してしまい
この手の者は使えない、というような事が書いてあったはずだお( ^ω^)

28: 人間七七四年 2010/08/03(火) 21:20:36 ID:8xokIk1V
平家物語や吾妻鏡などで過去の武士たちの戦術は聞きかじってるだろ。
源氏は正面から本体で牽制・拘束しつつ、別働隊を迂回させる戦術で平家や藤原家を圧倒したが、
そういうのは戦国大名や諸豪族には貴重な戦訓として伝わってたんじゃないのかな。

29: 人間七七四年 2010/08/04(水) 04:27:24 ID:GlAoRc1T
源平時代、戦国時代は実戦にはことかかなかっただろうからね。
実地での経験の上に御伽衆や僧から聞いた古今の兵法書(儒書など政治的なものも)を重ね合わせて自分のものとしていたのだろう
まさに文武両道

32: 人間七七四年 2010/08/06(金) 04:18:00 ID:Z9uMueS8
信長にも自称軍師が売り込みにきたのでそんなに戦の事がわかるなら自分でやってみろと無理やり兵士率いさせて城攻めの前線に出したって逸話があったな

33: 人間七七四年 2010/08/06(金) 06:20:40 ID:0lTjUUJ0
兵法っていうのは戦いにおける用兵の大前提。
「敵勢の情報を知ってれば有利」とか、「兵は小出しに投入すべきじゃない」
とかの故事的な物だから学ぼうと思えば其れなりの地位の者は書物をとりよせ学べると思う。
そこから創意工夫融通無碍に応用できた人が軍才のある人物として
後世に残ってると思う。

36: 人間七七四年 2010/08/07(土) 01:00:54 ID:ebGHXIi8
戦国~江戸初期は兵法は剣術とかの意味の方が強いでしょ?

42: 人間七七四年 2010/11/05(金) 09:24:08 ID:k95o1/A/
>>36
どうも創作のせいでそう勘違いされてる節があるんだよね。
事実は全く異なる。
兵法者というのは軍事(実技も含む)を専門にやってますという人間のこと。
剣だけじゃない。馬に乗れるのは当たり前として、弓・槍・柔術も当然扱える。

43: 人間七七四年 2010/11/07(日) 00:10:56 ID:feKAn5re
>>42
剣術だけでなく武芸を差すってのを言葉足らずで上手い事伝えられなくてすまんが
兵法を軍略・采配のみと捉えている人が圧倒的に多そうだからさ。

37: 人間七七四年 2010/08/07(土) 01:41:39 ID:/ZiGMc+W
平家物語以外にも、太平記で学ぶこともあったみたいだね。
勉強って意識はなくても、ベテランに戦の話を聞くみたいに、平家や太平記を聞いて学んでた。その後、実戦にどう生かすかはそいつ次第だろ。

38: 人間七七四年 2010/08/07(土) 19:18:33 ID:sQoAq2zk
儒学、道学、兵法など漢籍は僧侶寺院が伝えたり研究したりしていた。いわゆる学僧が大名や上級武士の師弟に教えていたらしいな。

48: 人間七七四年 2011/01/04(火) 12:40:17 ID:k7LqBQ06
マジレスすると足利学校で教えてた。
山勘も足利学校の生徒。
500円本の信玄特集で、山勘が来たときに足利学校出身なら信用できる云々と言ったとか。


49: 人間七七四年 2011/01/04(火) 12:43:45 ID:k7LqBQ06
毛利家は大江の流れで楠正成も学んだ日本の軍学書・闘戦経を伝えている。

50: 人間七七四年 2011/01/08(土) 08:15:13 ID:nu1c5Ase
伝えているとか、習ったと言うのはよく耳にするけど、その兵法がどんなものだったかまでは載ってないよなぁ。

52: 人間七七四年 2011/05/28(土) 16:27:10.58 ID:14+JSQ+A
「孫子」は奈良時代、吉備真備によって唐から持ち帰った
ただしあくまで数多くの教養・学問書の中の一部として持ち帰られたものでありまた戦乱の時代でもなかった故にさほど広まるものでもなかったが

54: 人間七七四年 2012/03/13(火) 23:33:55.41 ID:5r6cXuzS
兵書の類は大名や、その子なら読まされてただろう
じゃなけりゃ陣構えすら分らないじゃないか

信玄の旗印が孫子四如の旗である事からも分るだろ

57: 人間七七四年 2012/09/21(金) 16:57:19.75 ID:MHus+mKZ
応仁の乱あたりから京の五山等禅宗の大寺院で、武士向けに平家物語や太平記をテキストとした
軍事学講座を行なっていたフシがある(一休がそのことを批判している)

59: 人間七七四年 2012/11/18(日) 16:21:46.58 ID:KQMsl+P8
京都には兵学を教える一派があったんだろ。

61: 人間七七四年 2013/02/09(土) 18:46:09.01 ID:hMApaoaV
鶴翼の陣とか魚鱗の陣とかそういうのはのちに文学上で創作されたもの?

62: 人間七七四年 2013/02/10(日) 03:07:55.12 ID:Y/QUKb67
でっち上げは車懸かりの陣でしょ。
理論では回転するらしいが、足軽の運動量じゃ無理
机上の空論戦法

64: 人間七七四年 2013/08/17(土) NY:AN:NY.AN ID:4SRfQbou
普通は学校だよな(足利学校は有名)
あと源義経は鬼一という陰陽師から六韜を得たとか。
鬼一とうい陰陽師は剣術の鞍馬流の開祖とも言われているから、兵法と剣術は別物とはされていないみたいだな。六韜を日本に持ち帰ったとされる吉備真備は陰陽道の開祖といわれていて、朝廷が大宰府にいた吉備真備の下へ役人を派遣して学ばせたりもしているので、陰陽道、剣術、六韜、孫子は一纏めにされて、陰陽師が教えたのだろう。


引用元: ・兵法ってどうやって学んだの?


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