gutut



1: 名無し三等兵 2009/04/12(日) 20:56:58 ID:???
三国志を軍事分析しよう。









8: 名無し三等兵 2009/04/13(月) 21:29:15 ID:???
人口
魏450万
呉200万
蜀95万

一ついえることは100万の軍勢とか嘘っぱち。
かなり無理に動因しても人口の10分の一が限度か。
官渡の戦いも実際は曹操軍はかなりいたらしい。(正史で裴松之に突っ込まれてる)
そりゃそうだ。青洲兵30万は何処いったんだってなる。
おそらく正統王朝の魏を立てるために少数で大軍に勝ったみたいに書いたんだろう。
徳川が後世必要以上に武田を強敵にして持ち上げたように。

12: 名無し三等兵 2009/04/14(火) 02:23:12 ID:???
曹家の私民も魏の人口に入るの?
後漢期って民屯で豪族の小作になって国の戸籍から外れる(流民扱い)から人口激減したとか…

16: 名無し三等兵 2009/04/14(火) 22:25:11 ID:PtBxXCzx
確か学研の本に(後漢?)

魏2800万
呉1300万
蜀600万
くらいと書いてあったような?

蜀は10万が北伐で4万が居残りだったとかも書いてあった?ので仮に蜀の人口が95万(男は40数万)で14万も動員したら農繁期にいちいち帰らないと駄目ではないでしょうか?1万戦死しただけでも農村は大打撃で、孔明は石橋叩いて渡るくらい損害を気にしながら堅実というか、やばそうだったすぐ漢中に退却・・・

22: 名無し三等兵 2009/04/22(水) 20:44:17 ID:???
しかし正史だと孔明は馬鹿だな。
ケイシュウ留守番してたのに後に関羽が呉に横腹つかれることも予想できないヘタレ軍師だしあれだけ領地返還要求をのらりくらりかわされ馬鹿にされ続けた呉が攻めてくることも予想できないってありえない。
漢中争奪戦も法正の戦略だし北伐じゃ慎重すぎて日本海軍の南雲、栗田みたいだしはっきり言って過大評価されすぎ。むしろ正史だと劉備の方が有能。
バショクが辻、源田みたいな口だけの人間だと見抜いて孔明に重要するなと念をおしてるし徐州時代の頃から曹操に認められてる。
赤壁も軍を率いて戦ってるし劉備は劉邦と違って有能だと思う。
政治しかできなかった孔明は政治戦略外交の張良に負けるし、戦じゃ韓信に遠く及ばない。
補給線無視で蕭何タイプでもない。
日本で言うと石田三成だね。

23: 名無し三等兵 2009/04/23(木) 02:14:02 ID:???
>>22
北伐しまくっても国を全く傾けさせなかっただけでも十分だわ

24: 名無し三等兵 2009/04/23(木) 18:49:58 ID:???
>>23
>北伐しまくっても国を全く傾けさせなかっただけでも十分だわ

そんなの上杉謙信もやってる。
むしろ孔明が疲弊させたから蜀は苦しくなったんだろ。
あと孔明は発言権も権力もあったのに対しキョウイは権力が無かった。
魏が搦め手から攻めてくるって忠告したのに無視されたりね。
もう蜀は後漢末期なみに腐敗してたんだよ。孔明がいても結果は変わんなかったよ。
北伐してる最中に別方面から本国つかれちゃうんだから。

26: 名無し三等兵 2009/04/24(金) 04:20:53 ID:???
>>22 >>24
自身が率いた戦じゃほぼ負けなしだし、補給担当としても入蜀時に仕事してるだろ。
それに打倒魏は先主からの国是であって、「国力的にきついので10年戦わずに富国政策に専念します」とは言えん。
そもそもそんなことやってても人口的に差がありすぎて国力差はむしろ開いていく。

個人的には張良、韓信、蕭何を足して四で割ったくらいの能力は持っていたと思う。
その三人の仕事を一人でやらねばならなかったことが彼の不幸。

劉備が有能というのには同意。夷陵以外の負け戦は全て圧倒的な戦力差があった場合のみで、指揮官としても優秀だし。

31: 名無し三等兵 2009/05/06(水) 01:45:17 ID:???
兵力もそうだけど距離もアレだよな。日本の戦国の感覚で言うと中原での戦いですら遠征レベルなのに、蜀から出るとなると消耗も凄いんじゃないか。あの時代ロクに道整備されてないだろ。

48:   2009/06/28(日) 20:54:48 ID:oDxhu7wP
魏延の長安攻略が万一成功してしまったら蜀内で魏延の権力が大きくなりすぎるから孔明は絶対に反対だったんだろうな

50: 名無し三等兵 2009/06/28(日) 21:33:27 ID:???
>>48
魏延の作戦案はほとんど賭博じゃん。
歩兵5千に輜重兵5千で食料は手持ち分だけ。
歩兵が各人穀物を20Kg、輜重兵が各人40Kg携行し、一日一人3000カロリー=0.9Kg供給とすると33日分。
漢中から長安まで片道10日とすると長安攻略のタイムリミットは2週間足らずしかない。
魏延が長安を首尾良く陥落できてもそれ以降の補給は長安に備蓄されている食糧頼みで、もしも魏が撤退時に焼却したら作戦失敗は決定的。
その時点で魏延軍は敗退を余儀なくされる。
そうなったら涼州を制圧途上にある本軍は包囲殲滅を避けるために急遽、出撃拠点の漢中に撤退しなければならない。

余程、魏がアホでも無い限り魏延の作戦は失敗するもので諸葛亮が却下するのは当然だろう。

53: 名無し三等兵 2009/06/29(月) 00:22:33 ID:???
>>50
後詰も、魏延の予想より早かったからね
補給抜きにしても、そのとおり作戦時間が2週間程度しかなく、しかもその片道10日の強行軍も時間的にあやしい、と。

54:   2009/06/29(月) 00:23:24 ID:gxuQyYRA
馬超&韓遂ですら成功してるんだから長安攻略はありえるよ

57: 名無し三等兵 2009/06/29(月) 09:47:33 ID:??? BE:1371351247-2BP(0)
>>54
攻め込むルート、それに状況が違う
魏延の場合は子午谷という険しい道を10日で踏破して、20日で長安を落とし
その後に長安を敵からの攻撃を守りぬく、食料は僅か
それに対して馬超は…ねえ?

魏延が何でこんな作戦を立案したのかがまったく持ってわからん

64: 名無し三等兵 2009/07/15(水) 18:04:04 ID:???
>>57
私見としては・・・
当時諸葛亮は蜀の史官を廃してるんだよね。
つまり国外の情報を自身しか把握できない形にしてしまった。
しかし魏延は前線指揮官として長安の情報を何かしら握っていたようなので
その情報を元に作戦を立案し提案したのでは?
それに対し、全体の情報を把握していた諸葛亮が却下。
魏延のある意味博打ともいえる作戦は(諸葛亮の)意図的な情報不足によって
起きてしまったのでは?と思っている。

51: 名無し三等兵 2009/06/28(日) 22:10:38 ID:XgmF4awJ
蜀漢は軍事面でみても魏には遠く及ばない、人口も激減した時代だったので下手に出て大敗すれば取り返しのつかないことになる、それ故諸葛亮は慎重な姿勢を守り続けた、戦術的には敵地を攻める際にも自らが守りの陣を敷くという特殊なものであったので敗れても国が崩壊するほどの損害は受けなかった
その地味さ故か現代の人は諸葛亮のことを戦下手と言う、確かに上手とはいえないけれど小国が大国に当たる際に慎重になるのは当たり前だよ、後に姜維が鄧艾に大敗したのは痛手だっただろう

58: 名無し三等兵 2009/07/01(水) 09:26:21 ID:???
漢中から長安まで直線距離約220Km。
そしてその間には日本アルプス級の山岳地帯が横たわる。
10日で行軍は無謀だろーな。

59: 名無し三等兵 2009/07/03(金) 07:27:21 ID:???
「補給戦」によると徒歩で行軍する軍は、1日24Kmが上限らしい。
この数値は訓練が行き届いた正規軍が、脱落者や疲労で戦闘力が喪失しない範囲内で、平地の良道を歩くという条件。

魏延の長安強襲案は行軍ルートの難易度からすると10日で走破すれば落伍者が大量に発生(特に輜重兵)し、到達した兵も疲労で戦闘力を大幅に減退するというのは想像に難くない。

60: 名無し三等兵 2009/07/05(日) 19:11:32 ID:??? BE:1371350674-2BP(0)
この頃の補給ってどんなのだったの?
略奪したり、苦労して前線に運んだり、袁紹みたいに燃やされたり
いろいろあるけど実際どんなものだったの?

61: 名無し三等兵 2009/07/05(日) 20:33:29 ID:???
侵攻軍の補給と防衛軍の補給だと大分違うんじゃね?
取り敢えず巨視的に観ると城塞都市ごとに食料を備蓄しておいてそこから最寄の部隊に運ぶというパターンが王道っぽい。
自国内を自軍が行軍する場合は街道沿いにある都市の貯蔵食料を食いながら歩けばいいのだからシステムが整っていれば輜重隊による行軍中の再補給は余り重要でなくなる。
魏はそんな感じ。呉は輸送力の高い舟艇が主力なのでちょっと概念が違う気がする。

問題は侵攻軍の補給だなぁ。
孫子や補給戦から考えるとマーケットを開いて商人や近隣の農家から買ったり、行軍ルート上にある都市に使者を送って知事を脅迫して収奪するか買うというのが楽チンだろうな。
そうわけで防御側の対抗戦術も中国では編み出されていて”堅壁清野”という焦土戦術が確立されたわけで。

62: 名無し三等兵 2009/07/11(土) 22:28:18 ID:???
水運を利用できるか否かが重要だな。
曹操は袁紹軍を撃破した後、華北制圧の準備として運河の整備に励み、運河が完成してから袁家殲滅戦に乗り出したぐらいだ。

67: 名無し三等兵 2009/07/17(金) 18:43:29 ID:???
今チンギスハーンにはまってるけどモンゴル軍、1季節でロシア、ハンガリー荒らしまくってるぞ。
しかもロシア戦なんて真冬だってよ。
魏延は間違っていない。
圧倒的国力差があるんだから一か八かの賭けは必要。
時間が経てば経つほど巨大な国の方が国力上になる。
ガイテイなんて大敗するよりよっぽど実行してみた方がよかった。
孔明みたいのが一番だめ。
孔明みたいな慎重な男ではアルデンヌ、シンガポール快進撃はできなかったね。
孔明って石田三成、井上成実タイプの実戦むきじゃないデスクワークの人間だろ。
軍事は法正、魏延にまかせとけばよかったんだ。
孔明は才能無いから政治だけやっててください。
法正が生きてたらぎえんの策採用してたよたぶん。
孔明の指揮で漢中とれただろうか?
たぶん無理だね。
モタモタしてるうちに魏の大軍やってきて引き返すよ。

69: 名無し三等兵 2009/07/18(土) 00:34:53 ID:???
>>67
では、どうやったら魏延の作戦が成功するか聞かせてくださいな

70: 名無し三等兵 2009/07/18(土) 00:54:28 ID:???
>>69
>では、どうやったら孔明の作戦が成功するか聞かせてくださいな

魏延のなんて素晴らしい策じゃん。
孔明たち主力部隊が魏軍をひきつけてる間に裏道を通って強襲。
蜀だってこれやられて滅亡したんですけど。

72: 名無し三等兵 2009/07/18(土) 09:04:21 ID:???
>>70
>孔明たち主力部隊が魏軍をひきつけてる間に裏道を通って強襲

これは言わなくてもわかってるから、これがどうやったら成功するか説明してもらわんことには
どうしようもない。まさか、魏が同じやりかたで成功したから蜀も成功する、と言いたいの?

73: 名無し三等兵 2009/07/18(土) 20:20:23 ID:???
成都落としたら戦争終結する公算高いから特攻ありだけど
長安落としても洛陽とかからがんがん後続が奪回しにくるし、蜀の生産力で維持するの無理だろ

75: 名無し三等兵 2009/07/25(土) 21:53:43 ID:???
>>73
むしろ荊州の奪回に専念した方が、
蜀にとって現実的のような。

78: 名無し三等兵 2009/07/26(日) 11:13:12 ID:???
>>75
いや、それやったらニ正面で終了でしょ。
あくまでも蜀・呉で連携するのを前提としないと。
まぁ荊州を維持していれば呉の対応が違っただろうけどね。

79: 名無し三等兵 2009/07/26(日) 14:25:29 ID:???
>>78
蜀から見て、穀倉地帯を押さえないと致命的だよ。
ジリ貧になること必至だし。

80: 名無し三等兵 2009/07/26(日) 14:52:41 ID:???
>>79
食糧の自給って面では同意するけど。
その「穀倉地帯を押さえる」行動自体で終了するって事。
魏が黙ってみてるんならいいけどね。

74: 名無し三等兵 2009/07/18(土) 21:20:58 ID:???
トウガイの成都強襲みたいな特攻作戦は、仮に強襲部隊が全滅しても優位性が維持できなければ採用されんよ。
魏と蜀の国力・人材層を考えたら一緒くたにするなんて普通の人はしない。

93: 名無し三等兵 2009/07/28(火) 13:39:53 ID:???
この時代の装備は青銅製?
鉄器への過渡期だったとすれば個人的武勇もあったのかもと思うのだが・・・

94: 名無し三等兵 2009/07/28(火) 17:41:54 ID:???
>>93
鉄器だったはず

95: 名無し三等兵 2009/07/29(水) 04:24:28 ID:???
青銅製武器は前漢までじゃろ
後漢になると百錬鋼のような高性能鍛造鋼が出てくる。

そう言えば諸葛亮は武具用鋼材の鍛える回数も規格化してたんだっけ。

137: 名無し三等兵 2009/09/07(月) 00:59:38 ID:???
>>93>>95
青銅製の武器等は後漢時代に鋳潰されて貨幣になったものが多い
鉄のほうが安上がりになっている為青銅製の戟→鉄製の戟→鉄製の槍(青銅、鉄製造共に燃料は木炭だったので森林の荒廃はひどかったらしい)
霊帝も宮殿を飾るのに青銅製品を強制徴収して余った青銅は貨幣にしてる

96: 名無し三等兵 2009/07/30(木) 17:40:32 ID:???
鉄器にしてもピンキリだろうから
一般兵卒→1号戦車
将軍クラス→5号戦車
ぐらいか?差がありすぎかな?

98: 名無し三等兵 2009/07/31(金) 11:09:01 ID:???
装甲厚と攻撃力の比較って事?
雑兵の装備なんて鉄使った防具はなかなか行き渡らなかっただろうし、武器も鈍らだとすれば、鉄をふんだんに使用した防具と鍛えられた鉄製武器、更に馬という機動力相手にはパンターに対するチハとたとえても・・・

99: 名無し三等兵 2009/08/01(土) 02:57:00 ID:???
鎧の素材は革が主流。丈夫で加工しやすく入手しやすい。
中国で革と言っても色々あるが最高級品が犀の革で、春秋戦国時代の著作物である「呉子」に、犀の革を大量につかって装甲を造った話が載っている。漢の軍制だと、鎧も規定数があって常に維持されていたので三国時代も常備軍兵士は鎧があるのが建前だろうな。きっと。

蜀が滅亡した時に蜀の残存戦力帯甲十万、みたいな記述があったと思ったが、帯甲は言うまでもなく鎧を装備した兵士であって、それは訓練が行き届いた正規軍兵士という意味も兼ねているわけで。

でも鉄製鎧は高価なのでやっぱり身分が高くないと厳しいだろうな。


104: 名無し三等兵 2009/08/02(日) 10:02:13 ID:???
三国時代の人口1500万だっていうのに明の時代より動因数多いのはどういうことだ。
明の時代でさえ20万で精一杯で補給に苦しんで略奪に走ってるのに。
三国志やっぱり嘘だらけか。
長平の戦いなんてどうやって趙が50万も集めたんだろ。
あの国桁1つ増やすのすきだよな。

106: 名無し三等兵 2009/08/03(月) 02:15:21 ID:???
三国時代の動員方法

*屯田兵によるもの

魏の場合は後漢末期に大量発生した飢餓状態になった経済難民を収容し、これに土地と資材を貸与させて屯田兵に仕立てた。
ちなみに、一度屯田兵にされちゃうと末代まで屯田兵。世襲制度でござる。
収穫はゴリゴリに徴税されたうえで、危険でキツイ軍役を退役するまで続けさせるという酷い話で、要するに兵奴。

この他に曹操は武装新興宗教団体を勢力下(兵力30万)に入れていたが、曹操の死後はこの大軍事組織は解体されたので、
厳密には三国時代には余り当てはまらない。


*異民族を傭兵として雇う

魏は北方遊牧民族を部族ごと雇って、強力な騎兵戦力を維持していた。
蜀は山岳民族を平地に移住させて、彼ら精鋭歩兵部隊 無当 を編成した。
呉も似たような事をやっていた。

*通常の兵役

と言うわけで、三国時代の動員率が高くできたのは、兵奴と異民族のおかげ。


戦国時代については知らん。

107: 名無し三等兵 2009/08/03(月) 08:03:39 ID:???
そもそも、「人口が少ないのでない、戸籍についているものが少ないのだ」と当時の政治家も言っている

126: 名無し三等兵 2009/08/23(日) 00:18:56 ID:???
三国時代の軍隊は隊列を保ったままゆっくり接近して最初は弩を遠距離から撃ちまくり、続いて矛?を持った歩兵が突き合い、さらに接近すると盾と剣や戟を持った歩兵が接近戦をやって、そして騎兵が絡む・・・というイメージなんでしょうか?

兵馬俑の配置や最近の古代中国の映画を見るとそう思いますが?装備ごとに明確に役割が決まっており完全に機械のように戦闘を行って、後退はもちろん命令無く勝手に動いたりする兵は即効殺されますか?

映画のように大将が先頭で突撃したり、雄たけびあげて全軍突撃はほとんどなかったのでしょうか?ロマンが無いですが・・・・


127: 名無し三等兵 2009/08/23(日) 12:34:19 ID:???
三国時代というより後漢末期の袁ショウvs公孫サンの戦争になるが公孫サンが率いる主力の騎兵軍団を、袁ショウの部下の麹義が撃破した戦例だと中央に障害物を盾にした歩兵を置き、左右に弩部隊を配置して、騎兵軍を弩の集中射撃で勝った。

(なんだか、現在の突撃粉砕射撃みたいだな。)

この戦術は対騎兵戦術として馬援あたりが確立したと思った。

128: 名無し三等兵 2009/08/23(日) 12:42:47 ID:???
いや、攻守・兵数・地勢等々ありそれに応じての戦術があるわけですんでね・・・
だだっ広い平原で同数・同編成で殴り合いするわけじゃないんですから。

>装備ごとに明確に役割が決まっており完全に機械のように戦闘を行って、後退はもちろん
命令無く勝手に動いたりする兵は即効殺されますか?

罰を与えられるのは当然でしょう。速攻殺されることはよほどの場合でないとないかと。

>映画のように大将が先頭で突撃したり、雄たけびあげて全軍突撃は
ほとんどなかったのでしょうか?

三国志正史には戦場で「個人的・直接的に」将が将を斬ったりしていますし
(関羽の顔良斬りとかね)
攻城戦でも曹操は最前線に出たりしています。

全軍突撃はあったんじゃないですか?正史ではそうとれる文章はあります。
劣勢挽回の為、戦局が決定して戦果を拡大させる為等ですが、こういう場合は
将が先頭(先陣)に立つって言うのは立つだけの理由はありますね。
それを考えたら結構前線に出る将はいたと思います。

129: 名無し三等兵 2009/08/23(日) 22:53:57 ID:???
三国時代では魏の騎兵戦に対抗するために蜀では歩兵の武器、特に弩の配備に力を入れた。
政府直轄の工房では高度に規格化、分業化され、威力(石)、製造年、製造工房、製造責任者など
が刻まれていた当時の最先端の兵器だった。

蜀が魏に対抗できた理由のひとつに独自で鉄鉱山を抑えていたことが大きく、これは鉄製の武器や
防具の製造以外にも、鍬や鋤など農具にも使われ、灌漑などの土木工事でも威力を発揮した。

160: 名無し三等兵 2009/10/26(月) 10:55:18 ID:???
鉱山が蜀地域に集中、呉にも多少はあったが魏の中原は当時の技術で掘れる鉱山は枯れていた
改鋳しようにも燃料である木材が不足(当時は寒冷化の為暖房用に大規模な森林伐採で禿山状態。蜀は人口が少ない為木炭が無事入手可能)
結果金銀も蜀に集中していった(金や銀は国家間の貿易で主に使用。王侯以下の所有は原則禁止)

161: 名無し三等兵 2009/10/26(月) 15:31:18 ID:???
ちなみに魏、晋は銭が発行できず絹、麻(絹の約30分の1の価値)、穀物を通貨として主に使用
で、絹だが蜀錦が高級品なんだなこれがw

162: 名無し三等兵 2009/10/26(月) 15:36:10 ID:???
絹、麻は糸じゃなくて布。40尺で1匹(幅は53センチくらいだったとか・・・異説もあり)
魏、晋は尺、寸単位に切ってでも使用したらしい

163: 名無し三等兵 2009/10/26(月) 18:02:42 ID:???
魏、晋は漢の時代税は銭と穀物だったのを絹布と穀物、繭綿(木綿は当時の中国にはなく綿といえば繭綿)に変えている
董卓が大量に乱造した董卓銭が銭の流通のほとんどになってしまった為銭の価値が大きく低下した為。
蜀では董卓銭100枚の価値を持つ貨幣が鋳造され魏、呉でも流通した。
(董卓銭は円形で穴があいてるだけで文字なしの粗悪銭。それでも鉄銭より価値が高いがそれ以前流通していた通貨の数十分の一の価値)



164: 名無し三等兵 2009/10/27(火) 08:38:08 ID:???
>>163
>それ以前流通していた通貨の数十分の一の価値

つまり董卓は数十倍のハイパーインフレを起こしたのか・・・
正史を読むだけじゃわからんよなぁ、董卓の悪行。陳寿しっかりしろ!

171: 名無し三等兵 2009/10/28(水) 08:44:33 ID:???
>>164
晋の時代になっても通貨の鋳造ができず(燃料が足りないから)董卓銭が鋳潰され新貨になったのは隋を待たないと・・・という事情があるので
晋の臣下である陳寿には多分書けない

166: 名無し三等兵 2009/10/27(火) 17:48:09 ID:???
ちなみに呉は国家成立前は豪族割拠で漢にも服してない地域が多かったので金銀はそこそこあったが
会稽や特定の街でしか貨幣流通は基本的ではなく豪族に収められるのも物税だったので長江流域で貨幣経済があったくらい
孫権が董卓銭500枚にあたる貨幣をつくってみたりしたが本格流通にいたらず、魏に準じた税体系になったと思われる
当時の魏地域で近年大規模な出土貨幣(貯蓄されていたものがそのまま埋まったもの)があり数万枚に及ぶ銭の種類を類別した記事があったが
内訳は董卓銭96%、後漢末期以前の良貨3%、蜀直百銭(前述の蜀で鋳造された貨幣)1%
蜀だけ貨幣がまともに税としても使えていたようだが蜀でも絹が貨幣のかわりに税で納められる地域もあったようだ

167: 名無し三等兵 2009/10/27(火) 17:53:55 ID:???
96%に及ぶ董卓銭が当時の貨幣価値に換算すると残りの4%の半分かそれ以下の価値しかなかったのは笑うところなのか個人的には悩みどころであったり

168: 名無し三等兵 2009/10/27(火) 21:39:23 ID:???
蜀(益州)って国力が小さかったって言うけれども太平洋戦争の日本vsアメリカほど酷いという感じでも

169: 名無し三等兵 2009/10/27(火) 21:56:38 ID:???
人口、兵数、人材は負けてるが、金があるから装備は三国最高
魏、呉、蜀ともに利点と弱点があって統一した晋は弱点だけになり更に弱体化
蜀の鉄や銅は蜀だけで使うには足りたが全土にまわす余裕はなく晋の皇帝にそうした認識はなかった
三国分裂してたほうが外敵に抵抗できただろうに

173: 名無し三等兵 2009/10/28(水) 13:57:18 ID:???
当時って米は暖かい南の呉くらいでしか作れなかったというのは嘘ですか?
他はひえきび麦を食っていたとか

177: 名無し三等兵 2009/10/28(水) 23:30:25 ID:???
>>173
南のほうだけは本当。呉くらいは嘘。蜀南部でも作ってた。魏は呉や蜀から買うしか手に入れる方法は無かった。

178: 名無し三等兵 2009/11/03(火) 11:33:54 ID:???
中原は粟が主食じゃねーの?

179: 名無し三等兵 2009/11/07(土) 11:20:48 ID:???
前漢時代に小麦が伝来し三国時代にはむしろ小麦やキビ、地域によってはヒエが主食。
またこの時代はオオアワとコアワが栽培されており現在も栽培されているオオアワには別の字が当てられている為注意が必要。
米が伝来していない頃は粟に米の字を当てることもあった。
粟は収穫量は多い為前漢では主食だが地力が落ちることから後漢の華北ではキビ、小麦の混作になっており収量は大幅に減少していた。
後漢末期の凶作時にはススキの実ですら主要穀物とされたが戦場では人肉食すら頻繁だったので当然か。
三国時代には小麦や南方での米の栽培が増加した。

181: 名無し三等兵 2009/11/08(日) 01:10:58 ID:???
主要穀物には五穀、六穀、八穀と色々分類の仕方があるが漢末は「百穀」
小麦かキビか粟20?(当時の一石=10斗)に50万董卓銭の買値がついたのが劉備が徐州牧を譲られた190年。
税は免除せざるを得ず、糧食はほぼ皆無。その状況で曹操、袁術、最後に呂布が敵対・・・
兵の食い物は想像するまでもなく食えればなんであろうとまし(曹操軍も人肉を混ぜたと言われ、呂布にも糧食はない)
この辺から演義での「妻を殺して劉備に食べさせた」が善い事のように描かれて違和感があるんじゃないかと。
漢末は人肉食が奨励されてはいないが「暗黙の了解」だった可能性は高い。

184: 名無し三等兵 2009/11/08(日) 11:07:06 ID:???
文字化けして単位が?になっているぞ。
ショウのことか?

185: 名無し三等兵 2009/11/08(日) 12:26:06 ID:???
漢代、魏、晋のころの1升は202cc~198cc
中国の1升は日本の1升に近づいたことがない。現在は1000ccぴったり

186: 名無し三等兵 2009/11/08(日) 16:08:51 ID:???
というか日本の升は中国の現在を除き最も1升が多い唐升(700cc越える程度)を元にだんだん増えていき
地域ごとにばらついたりしたが信長、秀吉が統一升(秀吉のが旧京升。1,74リットル)を設定した。
1669年に江戸幕府が作った升が新京升で1,8039リットル。現在もこの量。

187: 名無し三等兵 2009/11/08(日) 21:53:49 ID:???
漢の税制は耕作地あたりの収穫の一部(1割程度~以下。1畝あたり4升収量にかかわらず一定)と人頭税(1人あたり90銭程度。こちらのほうが主)が主体
魏、晋では人頭税の部分が絹布に代わる。
日本は基本的に穀物のみ4割とか5割(戦国時代には収量にあわせて前後、江戸時代には収量にかかわらず一定)だった為升を大きくしていく傾向があった。
新京升は形状を変えることで大きくなってないようにみせる好例という人も居る。

189: 名無し三等兵 2009/12/12(土) 05:45:59 ID:???
低い農業生産性、戦乱で滞る物流、董卓銭という悪貨の流通
……つまりは、三国時代ってーのは、全体的に見れば、恐るべきスタグフレーション時代だったわけやね。

204: 名無し三等兵 2010/01/06(水) 02:25:45 ID:???
李厳ってなんで補給担当なんてやらされたんでしょうね。
軍事の才能もズバ抜けてて劉備が後を頼むって言って死んだ一人で劉備も才能見抜いてたのに。
孔明は人を見る目がありませんね。
逆に劉備は人を見る目が凄いですね。
馬謖が口だけなのも見抜いてますし。
陸遜に匹敵すると言わしめた李厳を使わない孔明はほんとに有能だったのか疑問ですね。
それとも活躍されると自分の地位が危ういから重用しなかったのか。
蜀からの補給はそれこそ第15軍が経験したぐらいの苦労だったろうに
自分の戦略失敗の責任は取らないんですよね孔明。

206: 名無し三等兵 2010/01/06(水) 12:03:21 ID:???
蜀は攻勢に出る場合兵站は大変だったから兵站担当官は大勢いたけど?
筆頭の李厳が責任取らされたわけで
孔明無能論は数倍の軍勢率いてて守勢に終始した魏軍の立場がなくなるからやめたら?

244: 名無し三等兵 2010/01/12(火) 00:31:39 ID:???
兵站から見れば諸葛亮の軍才は普通に高いじゃん。
桟道を補給線にしなければならないハンデと外征地での野営の不利をしょっていてもそれを最後には克服し長期持久戦を可能にした力量、強力な魏の騎兵軍団を殲滅できるだけのハードと組織と戦術の構築、どれも驚異的じゃねーか。

246: 名無し三等兵 2010/01/12(火) 04:12:26 ID:???
北伐の戦略目標は最終的には中原の恢復(出資の表より)とりあえずは長安占拠、そのための前提条件として長安駐留軍の撃破、増援の魏本国軍の撃破、涼州の確保
が必須、そして、自軍は補給のため活動時間が制限されてる

第一次こそこういった条件を理解して戦略を立てているようだが、以後は、魏本国軍の撃破は無理。長安駐留軍を撃破して点数稼ぎみたいな戦略なき出兵ばかり
戦術面で優秀でも、勝利条件が厳しい戦を自ら企画して失敗続きじゃあ国家の最高軍事指導者としてどうなの?
結局、非戦派との政争の材料だったんだろうね
弟子の姜維により一層顕著に顕れてる

247: 連投 2010/01/12(火) 04:32:06 ID:???
そういった視点で観ると魏延の長安急襲案は興味深い
ともかく長安占拠して目標達成
策源地を失った長安駐留軍の弱体化(うまくいけば自壊する)
喧伝効果による涼州の鎮撫効果増(馬超が生きていれば完璧だった)
長安蔵の穀物による活動時間の延長(その間に涼州を確保すれば∞に)
拠点を得れば、魏増援軍との戦いも(史実より)有利

不確定要素が多いことも確かだが
勝利条件と自軍の弱点とをちゃんと見極めてる
無謀とか言われるけど、現地の最高責任者が無茶な立案はしないと思うんだけど

249: 名無し三等兵 2010/01/12(火) 19:09:16 ID:???
>>247
孔明が一般的に戦下手だと言われているのは
魏延の長安奇襲案を採用しなかったから、という理由が挙げられる場合も多い

引用元: ・【正史】三国志を軍事分析【演義】

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