31DmHylYqcL



1: 岡康 03/05/21 19:35 ID:r8pvQaLE
太平洋戦争に参加したおじい様とおばあ様の体験を語り合い交流しませんか?









359: 名無し三等兵 03/06/17 01:55 ID:gx2XSNta
うちの母方の祖父は徴兵されたのち東部戦線に従軍してソ連軍の捕虜となったがラーゲリから脱走してシベリア鉄道沿いに?ドイツまで歩いて帰ったとか。
(それ以上のことは全く語らずに5年前他界・・・)
49年に母親が生まれたわけだから少なくとも48年中にはひそかに帰還していたことになるが
まあよく捕まらずに帰って来れたものだとしか云いようがない。
昼間どこかに隠れて夜中のうちに移動したのだとは思うけど
食糧調達などはどうしたのだろうかとても疑問。
今となってはその詳細を知ろう由もないのは残念・・・

367: 名無し三等兵 03/06/17 05:06 ID:bBhoLODV
敗戦後に、パチンコがまたたく間に全国に広まっていった時期、「パチンコ玉は、復讐戦に備えて、兵器に使うベアリングのボールを作り溜めしているのだ。」という噂が流れたそうです。

368: 名無し三等兵 03/06/17 06:25 ID:???
ワイの知り合いの爺さんは、陸軍の輸送船に乗っといて、輸送船が魚雷にやられて撃沈されたよ。
そんでその爺さんは、片足が吹っ飛ばされて、めでたく除隊。。
おかげで南方戦線にいながら、戦後も生き延びることが出来た。。
もしあのまま、南方にいたら、十中八九戦没者の列に加わとったやろな。

その爺さんは、前皇后陛下、つまり御隠れになされた皇太后陛下より下賜された義足を見ながら、そんなこと言っとったわ。

369: 名無し三等兵 03/06/17 06:28 ID:???
そういえば、海軍におった爺さんも、ワイの知り合いにおるが。
その爺さんは、駆逐艦に乗っ取ったそうや。
その駆逐艦は撃沈され死にかけたそうやが、その後は本土に戻され。
生きながらえることが出来た。

その爺さんの戦場での思い出話の中に、戦闘があって海で爆発があれば、その後で必ず魚がぎょうさん浮いてくるから。
それを取りに行くのが楽しみだった。そんなことを言うていたな

381: 名無し三等兵 03/06/17 20:54 ID:???
>>369
どっかの戦記ものの小説に、爆雷を訓練で爆発させるときに、新兵を甲板に並べて見せる。
ドゴーン!!とものすごい水柱があがるので、これならば潜水艦でも破壊できるな、いいもの見せてもらったと思ったら、浮いてきた魚をとれと神兵に命令。
その爆雷で気絶した魚を取るための要員として、見学させられたのか?
と書いてありました。けど、その日の夕食は新鮮な魚が腹いっぱい食べられたので、以後の爆雷の訓練は楽しみだったとか。

396: 名無し三等兵 03/06/20 19:29 ID:oq/errPk
亡くなった私の祖父は、白銀重二と言う人の航空部隊の曹長としてノモンハン事件、蘆溝橋事件に従事したそうです。
その後、満州のチチハルという所に駐屯し、終戦前に帰国し千葉県で戦闘機操縦の教官をして、出撃直前で終戦を迎えたそうです。

397: 名無し三等兵 03/06/20 19:54 ID:3tyzOLPY
私の祖父は、得撫島守備隊で少尉だったそうです。
終戦によりソ連軍進駐、局地的停戦条約(?)締結に立ち会ったとか。内容は
「日本軍は武装解除の後本国帰還を許す。ただし一部の捕虜は免れない」とかで、祖父の小隊が
得撫に残された。
貧乏籤を引いたと思ったらしいが、後に知ったところでは帰国したはずの方々は「シベリア送り」だったらしい。。。
祖父は得撫から樺太へ。S23帰国。その後、GHQから呼び出しを受け、何事かと思ったら情報提供を求められたらしい。

398: まりも 03/06/21 13:46 ID:dtJYQlVU
うちの爺さん、満州で股間を撃たれて帰国。 ケツの肉を引っ張ってきて縫い合わせたらしく、凄い傷跡。

402: 名無し三等兵 03/06/21 15:34 ID:???
みんなすごいなぁ。ウチのじいさんはろくな話ないよ。

片方は陸軍士官学校60期かなんかで教官の兼松隊長とか言うのがルソン島に引っ張られちまって逝っちまったっていう話だけだし。


もう片っ方は技術仕官で広島の山でなんか建設作業してたら原爆のきのこ雲が見えたって言うのと。
あとは川にダイナマイト投げて魚を採ってたら(よく意味がわからないが)隊長にばれてボコボコにされたっていう話。

どっちも戦地に言ってないからダメポ。

404: 名無し三等兵 03/06/21 15:37 ID:l44DZG2s
川にダイナマイトってのは多分その音で失神した
魚を手当たりしだい拾うという現在禁止されてる漁の仕方のこと
ではないだろうか?

407: 名無し三等兵 03/06/21 17:05 ID:???
>>402
>あとは川にダイナマイト投げて魚を採ってたら

水中で爆発が起こると、水は振動を伝えて、魚が死んでしまう。
んで、その魚をとると。
しかし、この漁法は404さんの言うとおりに禁止されている。
なぜかと言うと、釣りや漁と違って根こそぎ破壊してしまうから。
だから、上官に地元民もつかっている川で
そんな事をするなと怒られたのかも。

408: 名無し三等兵 03/06/21 17:10 ID:???
>>407
つまり底引き上げ漁業を更に手荒くしたものか・・・・実際対馬海峡なんか、漁獲量がなあ。

そう言えばうちの祖父さんが「軍事教練をまともに受けた最後の世代なので、装備は一通り扱えたからあれやこれや便利に使われたよ」と苦笑していた事があったけど、小中学生に対する軍事教練って、戦争直前は無かったのかな。
それとも軍需物資や人員が前線部隊へ集中され、軍事教練が簡略化されたとか?

409: 眠い人 ◆gQikaJHtf2 03/06/21 17:13 ID:???
>>408
兵士が足りなくなって、工員、農業労働者が足りなくなって、勤労奉仕の方が学業よりもメインになって、そう言う余分な物に時間を掛けていられなくなったとか。

418: 名無し三等兵 03/06/22 01:07 ID:???
おれのジーさん、潜水艦乗りとか言ってたけど陸軍にいたとか言ってたなぁ。
あのときはもうぼけたから海軍と陸軍ごっちゃになってたのか、今になってはもう効くことができないけど、、、

419: 名無し三等兵 03/06/22 01:53 ID:???
>>418
日本陸軍には潜水艦部隊が実在したそうで。

422: 名無し三等兵 03/06/22 04:15 ID:???
おれの爺さん、海兵出の将校。
以前「丸」に手記載せてた。
零戦に乗ってたが、戦闘機を打ち落としたことはないらしい(w
二回か三回撃墜されてそれでも生き残った。同期はほとんどあぼん。
撃墜されてパラシュートで脱出したとき大火傷を負い、落下しながら八百万の神に
「助けてください。おながいします。」とひたすら祈ったそうだ。
その欲張り&小心な爺ちゃんのおかげで今のおれがいる(w

428: 名無し三等兵 03/06/25 11:08 ID:4EfCbeT7
うちのジジイはアメリカ移民の子供。戦争はじまる前に帰ってきて何年か日本で過ごした後、徴兵されて満州へ。

配属先の中隊長が知り合いで、”お前なにがやりたい?”と聞かれて、”
わしゃ、訓練がないところがええの。”と答えたツワモノです。

軍隊ではトラック運転したりご飯作ったりしてたらしい(w

”兵隊が米ばっか喰う、米が足りないと恨まれるから、軍曹が倉庫の番
してる奴と話して、気を引いてる隙に、他所の隊の米まで積んでくる”
とか、
”カレー粉が余って仕方がなかったけど、捨てると怒られるので、隠れて
捨ててた。”
とか、
”戦争には行ったけど、鉄砲一回も撃った事ない。”
とか、勇ましい話は一切無しでした。

アメリカ時代の写真を見る限り、結構な暮らしだったみたいなんで、鬼畜
米英とか言われても、ハァ?とかそんな感じだった見たいでつ。

ちなみに寝たきりになってからは、しきりに”アメリカに行きたいなあ。”
と言いながら、他界。棺おけには合衆国の地図を入れて焼きました。


429: ななし 03/06/25 11:40 ID:UAfdyZh2
>>428さんへ 
え、おじい様は日系米国人だったんですか?
詳細を希望.

446: 名無し三等兵 03/06/26 02:43 ID:???
>>429
パープルハートの話で、映画かな?
こんな話をきいたことがあります。
日本人アメリカ移民って、教育だけは日本で受けさせる人が多くて、兄はアメリカ軍に参加。
弟は、日本に滞在中に戦争がはじまって、日本軍で参加。
兄は日本人を助けるために、色々と苦労して日本人に投降を呼びかける。
その中で、弟を知らないか、知らないかと探し回る話がありました。

449: 名無し三等兵 03/06/26 03:16 ID:???
>>446
山崎豊子の著作で「二つの祖国」というのがそれですね。
NHKの大河ドラマで「山河燃ゆ」と改題されて放映されました。
20年位前の話。

430: 428 03/06/25 11:56 ID:???
曽祖父が移民船でカリフォルニアに渡ったという話。詳しくは俺も良く知らないのです。
ただ、当時の写真がいくつか残ってて、親戚の経営する雑貨店で一族が移ってる奴とか、ピクニックに行ったときにとったらしい自動車を背景にした奴とか、

あと見たことはあるけど、父の実家のどこかに埋もれちゃったらしくて発見できない白人ばっかりのなかに、日本人が2、3人まぎれてる小学校の時の写真とか見る限りかなり不自由のない生活してたっぽい。

意外と資料としては貴重なんだろうか?そういう写真とかって。

ちなみに、満州は一番良いときに行って、帰ってきたあと、再召集は無かった模様です。そのご某財閥系造船に勤務して、それなりの生活してたので困窮するようなことは無かった模様。

婿養子に行った時に、肉を食いたいのに、曾祖母が肉を食うのをえらく嫌うので外で七輪で焼いた話とかしてますた。

443: 名無し三等兵 03/06/25 23:51 ID:???
近衛師団で陸軍軍曹やってたそうです。
で、九段の本部で、新兵の招集やってたもんだから、敗戦後カンペキな
戦犯扱いで、一時は絞首刑も覚悟したって言ってました。
 

452: 東雲 ◆m6tridVkuU 03/06/27 17:37 ID:???
伯父はビルマ戦線でした。
志願兵だったため、早くから戦線に出ていたそうです。
補給が来なくてきつかったと言ってました。

食料を調達するのが命がけだった、と、酒を飲む度によく言います。明け方にジャングルをコソーリ移動して、落ちている果物を拾い集めたそうです。

倒した英兵がいい物食ってるのが皆に解り、嫉妬も絡んで余計に勇猛になったそうです。
戦闘については余り話したがらないので、話題は食べ物ばっかり。
完熟マンゴーはうまかっただの、英兵の非常食はビクーリするほどうまかった、など。

ただ、戦友がいっぱい死んだ、あんな思いはもう勘弁だな、と最後は呟くようにいいます。
今春、春の叙勲の栄誉に輝いた時に靖国神社に一緒に行きました。伯父は今まで戦友に逢わせる顔が無いと、上京しても決して行きませんでした。しかし、もう80を超え、伯父の中で何かが変わったのかもしれません。

戦友の名を探し、見つける度に何かを嬉しそうに呟いていました。一緒に行った漏れはなぜか涙がこぼれました。

長文スマソ

455: 名無し三等兵 03/06/28 00:31 ID:???
よく死ぬ間際には「天皇陛下万歳」ではなくて「おかあさーん」と言って死んでいったと言われますが、祖父の体験ではそうともいえないらしいです。いくら死にそう、死ぬからといってもやはり「天皇陛下万歳」と言って死んでいったそうです。名誉ある戦死だったと伝えてもらうにはそう言いながら死ぬことが必要だったそうです。

456: 名無し三等兵 03/06/28 00:44 ID:yA6KXf4i
ウチはオヤジが超晩婚だったので、オヤジの話。

ウチのオヤジは中国の大連に渡って、専門学校(今の工業大学)を卒業して、製鉄所に勤務していたのだが、昭和18年に招集されて、訓練だけしてその後戻されたそうだ。衛生兵だったんだと。実戦には全く参加していない。

訓練はかなり厳しく、起床ラッパが鳴るたびに鬱になったって言ってた。
衛生兵にされたが、訓練では38式を撃ったとのこと。「かなりよく当たる銃」だったらしい。

オヤジの兄貴はノモンハンに送られて、ソ連軍の銃弾を肩に食らった。
5年前、ウチの実家に来た時、もの凄く怖かったと言ってた。

母方の兄弟も男が三人いて、一人はテニアン島で戦死。他の二人は国内のどこかの師団にいて、双方とも衛生兵だったらしい。

また、オヤジが昔会社やってた時の部長が、陸軍特攻振武隊の少尉だったと・・・。

以上がウチの一族の戦争体験。今年の夏、実家に帰ったらもうちょっと詳しく聞いてみようと思います。

457: 名無し三等兵 03/06/28 00:56 ID:oTYbQwhG
うちの爺ちゃんは終戦の日に徴兵され大阪の訓練施設にいったそうです。到着と同時に爆撃されてお前は通信兵だ、と渡された通信機と司令官が吹っ飛とぶが、一週間訓練し家に帰ったらしい。

458: 名無し三等兵 03/06/28 01:07 ID:???
>>457
なんかワラタw

459: 名無し三等兵 03/06/28 01:23 ID:???
俺のじいさん穴堀りしかしてないって・゚・(ノД`)・゚・。

460: 名無し三等兵 03/06/28 01:33 ID:???
>>459
それでいいんですよ。
生きているのがなにより。

464: 名無し三等兵 03/06/28 14:09 ID:???
うちの大伯父は、徴兵で末次信正連合艦隊司令長官の従兵やってたそーだ。
訓練など随分無茶やった長官だったが、従兵には非常に優しく、海軍の古きよき時代を満喫した兵隊時代だったらしい。

465: 名無し三等兵 03/06/28 16:11 ID:PC+vxbLF
うちの爺さんは、満州の重砲連隊にいたそうです。よく三角法の話を交えながら、大砲の打ち方を聞かされます。
 
この間聞いた話は、大砲を馬ではなく13トンの牽引車で引っ張っていったとのことで、当時としては珍しいことだったといっています。

466: 名無し三等兵 03/06/28 16:56 ID:hN2bk0sm
大学病院で隣のベッドにいたお爺さんから聞いた話。徴兵されたとき、海軍でロシア近くの海を守る部隊に配属されたそうだ。ご存知のように、あのあたりの海は落ちたら心臓麻痺で死んでしまう。
南方みたいに物につかまって何時間も漂流できない。
死ぬことを覚悟したそうだ。ところが実際には運良く(?)南方へ送られた人は皆、アメリカ軍に"ボカチン"(沈没?)され生きて帰ってこなかったそうだ。


467: 名無し三等兵 03/06/28 17:15 ID:???
中国戦線に出てたらしい。
んで、終戦の報告が来たら「日本が勝った」と思ったらしい。
・・・中国では勝ち戦が続いていたんだなあ、と思った。

475: 名無し三等兵 03/06/28 22:41 ID:KtLxOqO/
うちは父方、母方とも実家は北海道です。
うちの母方の祖父は大戦末期に徴兵され、陸路で函館まで移動しました。
しかし輸送船の手配がつかないため本州に渡れず、仕方なくそこで援農作業に従事しているうちに終戦を迎えました。あのままあと3ヶ月ほど戦争が長引いたら多分南方戦線に送られ戦死していただろうと言っていました。

うちの父の一番上の兄は、釧路で高射砲部隊に所属していました。B-29との交戦経験もあるそうで、正月に親戚が集まった時など、1機撃墜したぞとよく自慢していました。しかし当時の高射砲の性能を考えると、いまいちエンジントラブルとかで落ちた可能性の方が高いような気がするのですが。そもそも飛行時間や建造物密集度の都合上、北海道はB-29の戦略爆撃ではなく、もっぱら艦載機主体によるピンポイント攻撃だったということを後日知りました。しかしそれを言うと伯父が気を悪くするので撃墜したことにしています。

父の2番目の兄は少年兵だったとか。たまたま南方戦線志願者を募った時、伯父は志願しなかったのですが(ヘタレとか言うな)、その時志願した連中は全員戦死したそうです。

しかし今考えてみると、ウチって父方母方ともあの戦争で誰も死んでいないな。戦死者はもとより空襲で死んだ人もいないし。

476: 名無し三等兵 03/06/28 22:47 ID:Raem8loj
おれのじいちゃん、内地で終戦を迎えた上等兵だったんだが、何か軍需物資を持って帰るのが当り前だったのに、何にも持って帰らなかったため、ばあちゃんにさんざコケにされたそうな。

「嫁は選ばにゃいかんぞ」と、孫のおれにしみじみ・・・。

477: 名無し三等兵 03/06/28 23:03 ID:???
母方の親戚
終戦後、近所の谷田部航空隊に手ぶらで出かけていき碇のマークつきっぱなしの軍用トラックに、物資山ほど積んで帰ってきた中には拳銃・機関銃や弾薬、飛行機の部品まで混じってたそうな

480: 名無し三等兵 03/06/29 00:19 ID:IZQTkS6G
亡くなった祖母の話
終戦の前の年の夏、製鉄所を狙いに来たB29に日本の飛行機が体当たり、おまけに後のB29にも当たって、2機共墜落したのを見て地上で大騒ぎ、防空壕の上で隣組の人達と万歳・万歳の連呼したそう。銀色のはねがキラキラ舞い落ちてすごく綺麗だったそうです。
うちのばあちゃん、奇しくも飛行第4戦隊野辺軍曹機・折尾上空体当たりの目撃者。しかし、万歳って・・20人程の命が失われた瞬間なんだぞ・・まぁ・・当時はそんなもんかな・・・

482: 名無し三等兵 03/06/29 01:55 ID:???
>>480
万歳連呼ってのは人命が失われたことを考えれば不謹慎に思えるけども、もしそのパイロットがそうしなければそれ以上の人間が死んでいたかもしれない、しかもそれは自分だったかもしれない、ってことを考えれば、一命と引き換えに助けてくれた相手に対し、とにかく何かの行動をしたかった、という気持はうなずけるものがある。

485: 03/06/29 02:58 ID:0lBTB7wr
おっさんなので、父の話。
父は鉄道省の学生だったが、卒業を一年繰り上げされて召集された。
よく、モウ一年若ければ学徒動員だったな、と言っていた。
出兵先はニューギニア。 学卒だが下士官は辞退したと言っていたので、えらくは無かったと思います。 なぜ辞退?と聞いたら「兵隊になる為に高専出たわけじゃない」といっていました。
 
そのニューギニアでの話。 あんまり腹が減ったので、仲間2人と共謀して現地人の畑から芋を盗み出して食べちゃったのです。 すると翌日、現地の村長が隊長さんに抗議にやってきて、怒られてしまったそうです。
 
父曰く、「しかし不思議だ。なぜ俺たちが盗んだとばれたのだろう? あいつら夜目がきくのか?」すると母が、「あなた、芋を煮て食べたのでしょう? そりゃあ、匂いでばれますわよ」40年ぶりに謎がとけた、と当時の父は喜んでおりました。
 
しかし、40年も悩む問題じゃないぜ、おとうさん。

495: 名無し三等兵 03/06/30 22:16 ID:xEAwUPxu
私の祖父は造船工でね。
木造船を作っていた。
戦時中は物資の輸送手段が船しかなかったからな
(ほとんどがアメリカに撃沈されたけど)
その関係で徴兵は免除されたよ。

498: 名無し三等兵 03/07/01 11:47 ID:???
うちの爺さんは瑞鶴のゼロ戦の整備兵で珊瑚海海戦のときのはしを小さいころ聞いたことがある

翔鶴隊の飛行機もきたために収容しきれずほんの少しの破損があるだけの飛行機でも「すてろーー!」って叫びながら海中投棄したてみたい

当時はふーんと思っていたが歴史的な珊瑚海海戦に自分の祖父が参加していたと思うだけで興奮する・・・

501: 名無し三等兵 03/07/01 20:14 ID:2AgeyNcg
うちの死んだ爺さん。横鎮に兵隊にとられました。訓練後に鴻に信号兵で配属。揚子江で頑張ってたらしい。あっちの戦闘機、太陽の中から逆落としに突っ込んできて機銃掃射をするので怖かった、という話をききました。

その後、駆逐艦に乗ってミッドウェイへ。大負けして帰ってきて体を壊して静養。復帰後、水雷学校?の教官だったらしい。

駆逐艦時代は、信号兵の分際で駆逐隊指令と仕事の上のことで散々やりあってたそうで。それでも殴られたことは一度もなかったとか。ほんとかねぇ。

502: 名無し三等兵 03/07/01 21:58 ID:K2KVAvZr
>>501
駆逐艦は所帯が狭いからのんびりしていて殴られることもあんまりなかったと聞いたことがある
すぐ沈むから一心同体という気がするし


鬼の山城蛇の長門いっそ赤木で首をくくろうかというようなのが呉佐世保横須賀ごとに別の艦であったらしいからね

509: 名無し三等兵 03/07/01 23:40 ID:???
>>502
>すぐ沈むから一心同体という気がするし

この理由が泣けます・・・・。

505: 名無し三等兵 03/07/01 22:32 ID:UwsLBDaP
うちの爺さまは遺品の写真や手帳を見ると輜重兵だったらしい。
輜重兵って評価が低いと聞いたことがあるけどどうだったの?

525: 名無し三等兵 03/07/02 23:12 ID:QOHPiBOn
>>505
有名な歌で
輜重兵が兵隊ならば蝶々蜻蛉も鳥のうち

推してしるべし

527: 名無し三等兵 03/07/03 00:01 ID:rBgo9mW6
>>525
結局その考えが国の命取りになった。


506: 名無し三等兵 03/07/01 22:39 ID:???
うちの祖父は昭和20年5月頃、ルソン島サンタフェで戦死したらしいです。
祖母によるとそういう知らせだけで、遺骨は戻らなかったとのこと。
墓碑には「陸軍伍長」とありますが、戦死後に特進したものなのでしょうか。

508: 名無し三等兵 03/07/01 23:30 ID:UwsLBDaP
親戚の爺さん、朝鮮鉄道で機関助士してた。
軍用の貨物列車は、馬賊に狙われて危険だったらしい。
半島の荒野は広く3、4時間走っても景色が変わらなかったそうだ。
俺が私鉄の運転士になったとき当時使ってた点検ハンマーをくれたよ。

514: 名無し三等兵 03/07/02 13:16 ID:???
怖くて苦手だったマイジーちゃん。
死後、親(満州生まれ)からジーさんの満州でやっていたことを聞いた。

満鉄の職員で、整備などをやっていたらしい。
戦後帰国の混乱の中で、馬賊狩りをしたり、されたり。
なんて話も聞いた。

戦中は、兄弟で近所のロシア人の家にボルシチの作り方習ったり、中国人の家で餃子の作り方習ったり。なんてほのぼのとした生活をしてたそうで、ギャップが激しいなぁと思ったのを覚えてる。

もっと話しきいときゃよかったなぁと、いまは後悔している。

523: 名無し三等兵 03/07/02 22:45 ID:???
>>514
自分の父方も満州帰りですが、話ではほのぼのに聞こえるかもしれないが、当時も結構大変だったみたいだよ。確かに、父の話す、ロシア人の子供と石のなげっこしていたと言う話や、ロシアの女の子はそこらへんで小便する話などを聞くとほのぼのした感じだけど、ばあさんが腸チブスで死にかかって、死ぬのを待っていた話や、(腸チブスは死病で、かかったらほぼ助からない)じいさんは3回ロシア人の強盗に入られた話などを聞くと、やはり死と隣合わせと言う部分があったと思う。

515: 名無し三等兵 03/07/02 19:09 ID:???
うちの爺ちゃんも満鉄職員だったよ。
でも、爺ちゃんはあんまり戦争中のことは話そうとしないので、婆ちゃんに聞いた話。

満州から引き揚げるときの話。
満鉄職員とその家族が優先的に乗車できる引き揚げ用列車があるということで、住んでいるところから遠い町にある駅まで行くことになった。

まだ若かった婆ちゃんは髪を切り、男装をして爺ちゃんと一緒に歩いていったそうだ。
ソ連兵は女と見るや……と言われていたからね。

で、駅に向かう途中、二人は運が悪いことに、「ダワイ!」と、二人組みのソ連兵に呼び止められてしまった。

「ああ、乱暴される」と婆ちゃんは思ったそうだが、なんと、そのソ連兵たちは婆ちゃんには見向きもせず、爺ちゃんを連行していってしまった。「もうこれで今生の別れ」と思ったが、どうしようもない。婆ちゃんは駅へと向かった。

駅へついたが、列車はまだ来ていない。仕方なく、そこで夜を明かし、そして翌日。

なんと爺ちゃんが両手にバケツを提げて、生きて駅へとやってきた!

話を聞いたところ、ソ連兵の兵舎へ連れて行かれ、彼らの服の『洗濯』をさせられたのだという。
しかも、それが終わると二つの大きなバケツに一杯のバターを入れたものを貰って、
釈放されたのだと言うことです。

ソ連兵よ、洗濯ぐらい自分で出来なかったのかね?
以来、爺ちゃんは自分で洗濯したことが無いそうです。

526: 名無し三等兵 03/07/02 23:51 ID:sp1SuCnB
俺の親父、所沢で戦闘機の整備兵をやってた。
あまりに腹が減るので近くの畑から芋を盗んで、航空燃料で炊いて食べたとか。
落花生は畑に手を突っ込んで、生のまま食べたそうだ。皆は下痢をしたが自分は平気だったとか。お百姓さんにはよく軍に怒鳴りこまれたそうだ。それでも腹が減ったときは、農家の前にただ立ってたら、芋とかをめぐんでくれたそうだ。
東京大空襲の時は地平線が真っ赤だったそうだ。これで戦争も終わると思ってほっとしたそうだ。おばあさんは、近くの町が綺麗にひかったので綺麗な花火だと思ったそうだ。お爺さんに"たわけ あれは空襲じゃ"と諭されたとか。
今も昔も米軍は強すぎる。イラクの人々も当時の日本人と同じ気持ちであったに違いない。ただ日本人はすぐにアメリカ万歳だったけど、あそこは"目には目を"の国だからなあ・・・

530: 名無し三等兵 03/07/03 00:34 ID:rBgo9mW6
うちの親戚は兵庫県で歯科医だった。
戦時中(まだ初期のころ)、兵隊さんご苦労さん、と言うことで無料で治療してあげたら船に呼んでカレーご馳走してくれたそうだ。

543: 名無し三等兵 03/07/10 00:26 ID:???
うちの爺さん、海軍信号兵。
国からの支給品である紋付き時計を持って、主に時間を知らせる役割。他にも色々。
で、その時計は紋が付いてるおかげで、何があっても上官から時間について文句を言われる事がなかった。そこで、爺さんのした事。
○気に入らない上官の休み時間を減らす。
○気に入らない奴の起床時間を30分遅く知らせる(遅刻で上官から大目玉)
○仲間の休み時間を増やす。

せこい。下らない上に、せこすぎる…・゚・(ノД`)・゚・
ってか、お前は本当に戦争に行ったのかと疑いたくなるような馬鹿話まで何時間にも及び話してくれた。全てにおいて…呆れた…

そんな爺さん、とりあえずビックリした事は一緒の船に乗った高知の兵士。
「酒を呑む量が凄いんだよ…ついていけない。宴会の夜は見張り台に逃げた。」

549: 名無し三等兵 03/07/10 23:43 ID:???
普通に憲兵隊で憲兵してた。憲兵とは名ばかりで、外見はよわっちいのでいつも小突かれたりしてバカにされてたらしい。ある日、お前は背が低いなw
と、言われ大激怒。軍刀振り回しながら追っかけたらしい。他では、死ぬか生きるかの戦場でギリギリの状態で生きてるのに、こんな事してたんだな・・・。当時の精工舎の懐中時計を今でも使ってるが、「俺が死んだらお前にやる。ただし、売ったりするなよ!」時計、いらないからもっと長生きしてくれよじいちゃん!!

553: 名無し三等兵 03/07/11 21:11 ID:P3MeTEgA
祖父ではないのですが、祖父の弟さんの話。
何でも千葉のほうの部隊にいたのだが、敗戦の当日、休暇?をもらって実家に帰っていた。
そこに玉音放送があり、慌てて原隊に帰ったら、部隊の将兵たちは勝手に帰郷してしまい、兵舎はもぬけの殻。部隊の倉庫には、新品の毛布その他多数の資材があったのだが、それらは先に帰った兵隊たちがみな持ち帰ってしまい、全く無し。仕方なく、僅かに残ったヨレヨレの毛布を手土産に家路に着いたそうだ。私の親父は子供の頃、その星のマークのついた毛布を使って寝たと教えてくれた。

562: 名無し三等兵 03/07/12 23:53 ID:qNgdEfQw
うちのじいさまは,満州でかなり羽振りがよかったそうです。
でも,徴兵で穴掘る仕事(工兵?)やらされてました。
終戦の時,ソ連に連行される途中,逃げたそうです,後ろから機関銃で撃ちまくられたそうですが何とか逃げました。
でも,捜索が執拗だったらしいです。
そのときかくまってくれたのが羽振りのよかった頃に雇ってた従業員の中国の方々。
うちのばあさまが面倒見がよくてそれに恩を感じていた人たちがかくまってくれて無事逃れました。
終戦の時に中国人が日本人に対して・・・なんてのはよく聞きますがそれだけじゃないと思いました。
普段,ちゃんとした関係をもっとけば中国の人もしっかりとわかってくれると言うことだと思います。
じいさまは,7年前の終戦の日に大往生しました。

579: 名無し三等兵 03/07/14 21:38 ID:aVpTwFaA
うちの爺さんは中国戦線に出征。戦争末期食うものに困って連隊長だか大隊長の馬を仲間と食ってしまったらしい。でも上の人も理解していてくれたらしくばれてもなにも言われなかったらしい。

ところでどっかで、徴兵されたら特技は「算盤」若しくは「書道」と答えろというのを聞いたことがある。

582: 名無し三等兵 03/07/14 22:33 ID:???
>>579
>ところでどっかで、徴兵されたら特技は「算盤」若しくは「書道」と答えろとい

これって、会計係りになれるから、前線に出なくて済むと言う事では?
うーん、醤油一リットル飲めば徴兵検査に落ちるとかそういう類のものでしょう。
やはり、戦争に行きたいやつなんていないと言う事ですか。

585: 名無し三等兵 03/07/15 21:25 ID:???
>>582
うちの祖父の兄は前線から早く帰りたくて醤油はガブ飲みするわベッドの下の埃は吸うわありとあらゆる手段を使ったが全く病気にならずに終戦まで南方にいた

それに対し祖父は戦争で生き残る気は全くなかった生粋の職業軍人で陸軍の戦闘機パイロットだったけど南方に進出したと同時にあっさり病気になって内地送還

人の運命はわからんもんだね

586: 名無し三等兵 03/07/16 02:06 ID:2Y+38hU4
うちのお爺さんはたしか30人くらいの部隊で軍曹だったらしい。
フィリピンの山で作戦活動中アメリカ軍の迫撃砲の破片が太ももに刺さった。
週週間すると太ももの傷が膿んできて歩けなくなった。
戦友に肩かしてもらいながら命からがらさまよっていたが、
ある日、数百人をいうアメリカ兵にばったり遭遇
そして捕虜になった。でもアメリカの軍医が太ももの傷の手術してくれた。
アメリカ兵の日本捕虜の扱いは日本兵のアメリカ兵捕虜の扱いより良かったらしい。

でもノルマンディーなどで降伏したドイツ兵捕虜は数十万人に対しては
機関銃で殺し処分した・・・なぜだろう?



588: 名無し三等兵 03/07/16 05:06 ID:???
>>586
それは運が良かったね。

>機関銃で殺し処分した・・・なぜだろう?

その話の真偽はしりませんが、戦争ってそういうものですよ。
日本人が殺されたケースもあれますし、日本がアメリカ人を殺したケースもあります。

589: 名無し三等兵 03/07/16 12:31 ID:???
祖父さんじゃないけど、親父の知り合いの爺さんが敗戦後満州から逃げてきた時に、母ちゃんがロシア兵に連れて行かれて、妹と2人きりになって、そのまま妹を中国人に売り渡して自分だけ日本に逃げて来たって人がいる。 
その爺さんTVで残留孤児の話題が出る度にいたたまれなくて、TV消して布団に潜り込んじゃうらしい・・・・ 

592: 名無し三等兵 03/07/17 01:40 ID:???
>>589
今聞くと、ひでえ姉だと思えるけど、
当時はそれが一番生き残る確率の大きかった事かも知れませんね。

ちなみに親父はハルピンで、
ばあさんがチブスで死にかかっていて、
じいさんは仕事中でいなくてどこかをフラフラ歩いていたら、
親切なロシア人の家に孤児と間違えられて泊められたそうです。
じいさんが迎えに行って、中国残留孤児にならずに済んだそうです。
そのときに、映画で見るようなバスタブに入れられた事を
うっすら覚えているそうです。
が、じいさんの手記には、ロシア人の家にいたのは叔父だと書いてありました。
どちらの記憶が間違っているかは解りません。

ちなみに、ばあさんは今も元気です。

591: 名無し三等兵 03/07/16 16:02 ID:???
父方のじい様は、中国出兵。
通信部隊でケーブル張ってたそうな。
後方部隊なんで、安全かと思ったらしいが、
主力が移動した後の空白地域で周囲を囲まれて一晩動けず。
翌朝移動してきた戦車隊に救われた。
南京にも入って、写真を撮ったらしいが、曾爺さまが燃しちゃったらしい。
その後帰国。
南方に行く事になってたらしいが、病気で行けんかったらしい。
じい様曰く、一緒に行くはずだった部隊は、南方で全滅。
「俺は運が良かった」と親父に言ってたとそうな。

引用元: ・あなたのおじい様の戦争体験を教えて

時には昔の話を
時には昔の話を
posted with amazlet at 17.05.09
宮崎 駿 加藤 登紀子
徳間書店
売り上げランキング: 168,070