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1: 名無し三等兵 2006/11/30(木) 00:23:56 ID:lfS43cxE
ただのハッタリじゃないの?>騎兵軍団
正面からぶつかったら歩兵が勝つような気が











12: 名無し三等兵 2006/11/30(木) 00:52:14 ID:???
映画「ワーテルロー」で騎兵突撃を受けた方陣が本当に壊走したとか

16: 名無し三等兵 2006/11/30(木) 01:13:56 ID:lfS43cxE
>>12
それはエキストラがビビリだったからだと思われる
何も知らない素人なら馬が突進してくるだけで逃げてくれるという例
一番原始的な騎兵の使い方だな
しかしそれが古参兵にも通用するか

21: 名無し三等兵 2006/11/30(木) 02:03:12 ID:???
>>16
ソ連の軍人をつかったんだが?

20: 名無し三等兵 2006/11/30(木) 01:47:31 ID:???
馬と鎧と騎士で体重500キロの物体が時速40キロくらいで突っ込んでくるんだぜ。

轢かれて死ぬだろ。槍衾みたいのがあれば馬が串刺しだけど。

23: 名無し三等兵 2006/11/30(木) 03:38:07 ID:???
槍や火縄銃では騎兵の突撃を止められない
信長が勝ったのは馬に銃撃するヨーロッパじゃ考えられない
卑怯な手を使ったから

25: 名無し三等兵 2006/11/30(木) 03:43:07 ID:qnJBhgw9
>>23
野戦築城の何が卑怯なんだ?

54: 名無し三等兵 2006/11/30(木) 15:10:12 ID:???
>>23
信長は宣教師から欧州の戦術などを学んでいたようだ。
そして軽歩兵が中心の日本と違い、騎兵が主力の欧州には、当然のように騎兵に対応した戦術が存在した
武田の騎馬隊を破った戦術も、鉄砲よりもむしろ、そうした欧州の対騎兵戦術を活用した結果ではないかと最近では言われている

60: 名無し三等兵 2006/11/30(木) 16:16:02 ID:???
>>54
野戦築城の話、チェリニョーラの戦訓が伝わって…とか言うけど、ホントか?
あれ、重騎兵対策だから、そもそも騎兵の衝撃戦術やらない日本で必要ないでしょ
「ゴンサロ公はかかる策にてフランス騎兵を~」とか言われて、戦国武将に判るのか?
長篠以前に馬防柵や空堀がなかったわけでも無いだろうし…

66: 名無し三等兵 2006/11/30(木) 18:47:56 ID:???
>>60
例外的に多数の騎兵の運用に成功していたのが、武田の騎馬隊だったわけですが。
もともと昔、言われていた、鉄砲隊が三段構えで連射を可能としたとの説は、歴史学者が卓上で考えたものであり
実際に当時の火縄銃を使って調べてみたら、思ったような連射が出来なかった。
そもそも、三段構えとの発想は戦史に三段構えの云々と書かれているとこから想定されたものだ
そうなると武田の騎馬隊を破った戦法は、草原に堀や壁を巡らせた欧州型の野戦築城があったのではないかと推測されるようになった。
それを三段構えと書いたのではないかと考えられています

もちろんこれも当時の戦史の記録が余りにも簡略的であったので、推測されるだけで定説というわけではいようですが

26: 名無し三等兵 2006/11/30(木) 03:46:49 ID:???
手段は違っても、歩兵が騎兵の馬の首とか狙うのは普通だよな。

31: 名無し三等兵 2006/11/30(木) 04:48:45 ID:???
ヨーロッパでは騎兵が主力だったが日本は歩兵が多かった
馬に攻撃かけるかどうかの違いからだろうか
それとも馬が高くて買えなかった?

55: 名無し三等兵 2006/11/30(木) 15:13:49 ID:???
>>31
一番の問題は騎兵を活用するのに適した平原が日本には少なかったことが大きいだろう
騎兵の持ち味は、その迅速な速力を生かした突撃力であり。
沼沢地とか森林などの迅速な騎馬の運用が難しい場所ではあまり強みはない

36: 名無し三等兵 2006/11/30(木) 05:21:01 ID:???
日本にいた馬は小さかったし、装甲に関する事情も違うし。
それを言えば、ヨーロッパ人種とは人間の背丈も筋力も違うしなあ。

40: 名無し三等兵 2006/11/30(木) 10:28:24 ID:ijD11Bzu
>>1
騎兵本来の戦い方なら正面からはぶつからん。機動力を生かして側面からだ。
騎兵の本質はとの質問に、窓ガラスを素手で割った話知ってる?
敵の弱点を一気につく、しかし自らも傷付く。

43: 名無し三等兵 2006/11/30(木) 12:19:37 ID:???
機関銃という兵器が騎兵(乗馬戦闘)を駆逐した。

44: 名無し三等兵 2006/11/30(木) 12:39:17 ID:???
>>43
元込めライフル小銃もかに?

45: 名無し三等兵 2006/11/30(木) 12:39:19 ID:???
先込め式の銃の時代なら(状況にもよるが)有効
機関銃なんかが登場すると完全に時代遅れ
でFAでしょうよ

50: 名無し三等兵 2006/11/30(木) 13:26:22 ID:???
野戦築城と長弓を始めとする防御火力(火力?)の発達が段々と騎兵の使い道を限定したとも言えるな。

51: 名無し三等兵 2006/11/30(木) 13:52:02 ID:???
つーか騎兵の使い道なんて最初から限定されとりますが。
高価な決戦兵力だから、普通は敵側面を突くか、歩兵で崩した後の追撃が仕事。

がちがちに方陣組んだ歩兵以外なら、まあ正面から突けないことはないが、損害が出ると財布が非常に痛いので、なるべくなら避けたい。とはいえ、騎兵がいないと敵の騎兵がやりたい放題なので、やはり戦場には要る

機関銃が出てきたらどうせ歩兵も密集隊形では突撃できない
火力が騎兵を絶滅に、というのは何か違うような…

52: 名無し三等兵 2006/11/30(木) 14:39:24 ID:???
騎兵は今も健在。アフガンとかで大活躍。

53: 名無し三等兵 2006/11/30(木) 14:54:20 ID:???
スーダンではラクダに乗ってAK乱射する集団が大暴れだしな。

56: 名無し三等兵 2006/11/30(木) 15:15:59 ID:???
アラビアのロレンスは、ライフル片手に駱駝に乗って活躍したな。
その姿には映画で見て惚れ惚れしたものだが。。


57: 名無し三等兵 2006/11/30(木) 15:19:48 ID:???
世界史的に見れば、騎兵が役立たずに貶められたのは、アメリカの南北戦争からだった。
南北戦争初期には騎兵の突撃があったものの、後期になれば塹壕や蛸壺などの、言ってみれば現在の歩兵戦術が主流となっていた。
それはもちろん重火器の登場により、騎兵の突撃力が封じられたからだ。
さらにその流れを決定付けたのが日露戦争であった。
最新の装備の機関銃の登場で、歩兵による銃剣を用いた突撃が難しくなったからな。
それを突破したのが、第一次大戦に登場した戦車だが、これは戦闘教義で言えば、騎兵と同じ突撃力を求めたものであり戦術的な運用から言って、現在の騎兵と言って過言ではない

59: 名無し三等兵 2006/11/30(木) 16:12:09 ID:???
>>57
重火器のせいではないんじゃないか?
テルシオだって騎兵の衝力をかなりよく防御する。

むしろ槍兵と銃兵の理想比とは?という問題が銃剣と銃の発射速度の改良で解決(昇華?)されたことの方が大きい気がする。

もちろん機関銃の存在も大きいけど。側面でもなんでも機関銃が一丁あるだけで防御火力がアホみたいに向上するわけで。

61: 名無し三等兵 2006/11/30(木) 16:30:34 ID:???
>>59
スイス槍兵やテルシオでいっぺん騎兵が不利になって、銃剣で槍兵が不要になって、横隊戦術になって、騎兵の衝撃戦術がまた有効になって(ホントかよ)20世紀に機関銃で突撃がまた不利になった、という動き?

南北戦争は全般に騎兵が活発に動いた印象があるけどなあ

62: 名無し三等兵 2006/11/30(木) 17:02:07 ID:???
ちゅーか、いつも思うんだが方陣組んだときに、槍兵も長弓持たせて(当然槍は、足元に放置)接近するまで弾幕を張り→騎兵の突撃があったら槍衾を形成とかの戦法って有効だよね。 

火器が無い時代なら、馬止めの柵+足止め用の穴と組み合わせれば無敵のような気がするんだが?
俺が知らないだけかも知れないが史実では、このような戦法を取った軍隊は無かったのかな?


63: 名無し三等兵 2006/11/30(木) 17:14:45 ID:???
>>62
まず長弓兵も方陣組める槍兵も特殊技能。兼ねるのは無理だろう。
弓兵と槍兵で組めばいいわけで、これは基本。
馬防柵は基本戦術なので、古代から普通にやる。
但し、迂回されたら終わりなので、他の障害地形や部隊と組み合わせて使う。これも基本。

だいたい、騎兵は正面から突っ込まない
側面を突くか、砲なり歩兵なりで敵の隊列崩してから突っ込む。
つまり、正面の柵とか壕だけでは騎兵は防げない(当たり前か)

67: 名無し三等兵 2006/11/30(木) 18:51:43 ID:???
>>63
騎兵と言っても、時代によって運用方法が異なるが、基本的には密集による敵への突撃が役割です。
特に戦場を迅速に動いたのは、防御が軽量な軽騎兵であり、彼らは防御が弱い代わりに槍として動いたわけです

93: 名無し三等兵 2006/12/01(金) 01:07:23 ID:???
>>67
だから突撃しない、とは言ってないでしょ。
正面からの突撃はなるべく避けていた、と言ってるわけで

クレシーでもいいから、騎兵が正面から突っ込んだ戦闘の地図見てくださいよ
防御側はちゃんと部隊の両側を騎兵が侵入できない障害地形に置いてるでしょ
だから、敵騎兵はやむなく正面から突っ込むしかなかったわけで
それは、フィリップ王も判ってたとおり、非常にハイリスクな行為なんですよ

81: 名無し三等兵 2006/11/30(木) 22:22:46 ID:???
アカデミー賞映画「ガンジー」で、インド独立運動のデモ隊の列に、騎馬警官の群れが突っ込み、皆で体を丸めて地面に伏せてやり過ごす…という場面があったのだが、原版では殆ど無言だったこのシーンが、TV放送吹き替え版では、
「みんな伏せろ!馬は人を踏まない!伏せるんだ!」
…というセリフが挿入されていた。
確かに、普通の乗用馬なら、人を踏まない調教を施しているのかもしれないが、この場合は、さて…?

83: 名無し三等兵 2006/11/30(木) 22:37:29 ID:???
五輪クラスの重量挙げ選手で瞬間0.8馬力だそうな
馬は1馬力(w)だから、蹴られたら、そら重傷以上だわな

95: 名無し三等兵 2006/12/01(金) 03:59:41 ID:???
おかんが少女時代、転んですべって、馬橇の下敷きになりそうになった。
御者はおかんに気が付かなかったが、馬は人を踏むのが嫌で勝手に止まったので助かった、という話があってなあ。

普通の状態の馬は、人を踏みたくないだろうが、そういう訓練とかすれば踏むのか?
でも、頭蓋骨とか踏んだら、角度によっては馬が危険な気がする。


102: 名無し三等兵 2006/12/01(金) 22:26:24 ID:???
騎兵は唯でさえ金と育成時間がかかるうえに、戦場では飼料輸送が必要だし消耗してもすぐに補充が利かない等運用の融通もきかないので費用対効果でみるなら兵役義務でタダ同然の歩兵をそろえた方が効率よいだろうな。

ただし戦略的に威力偵察や後方の補給線攪乱に投入したり戦術的価値の高い局面で活躍するのは騎兵集団ならではだよ

103: 名無し三等兵 2006/12/02(土) 01:00:16 ID:???
そこで遊牧民ですよ。
モンゴル最強

104: 名無し三等兵 2006/12/02(土) 08:23:05 ID:???
騎兵と言っても、亀のように倒れたら身動きが取れなくなるまでの重武装の騎兵も実際に存在した
そのような防御に徹した重騎兵が敵を押し止める間に、軽装備の軽騎兵が敵の側面を突いて攻撃を続ける
そのような戦法が重騎兵と軽騎兵をミックスした戦い方だった。
モンゴル軍の場合は、特殊で騎兵は軽騎兵のみと統一性が取れ。
敵が大軍と見れば、その俊足を生かしてかく乱し、敵が少数と見れば一機に踏みにじるのが戦法だった。
欧州や中東の国家も、それに一方的に叩かれたのだし、確かに強力だったと言うしかないな

106: 名無し三等兵 2006/12/02(土) 09:37:42 ID:???
>>104
モンゴルの騎兵にも重装騎兵はいるよ

132: 名無し三等兵 2006/12/03(日) 16:45:42 ID:???
モンゴル騎兵については、以前パンツァー誌で読んだ記事だと、
軽騎兵:弓などの射撃装備。
重騎兵:革主体のよろい装備で白兵用。

会戦の場合、軽騎兵がかく乱射撃を行った後に、重騎兵が突撃して止めという、わかりやすい流れ。

133: 名無し三等兵 2006/12/03(日) 18:25:25 ID:???
モンゴル騎兵と同じ遊牧民であるサファビー朝のキジルバシや遊牧民出身のマムルーク軍団も強かった。が、オスマンの火器には勝てず。

ところが17世紀にもなってヌルハチの満州騎兵は火器を大量に装備した明軍に
勝っちまった。
なんで?

134: 名無し三等兵 2006/12/03(日) 18:56:53 ID:???
鋼鉄製の甲冑で馬まで覆い、鉄騎兵と呼ばれる重装甲を採用したからじゃね?

135: 名無し三等兵 2006/12/03(日) 21:48:03 ID:???
>>134
いくら装甲を固めても火器に耐えるのは難しいと思われ

136: 名無し三等兵 2006/12/03(日) 22:05:44 ID:???
野戦築城能力が低かったのかな?

137: 名無し三等兵 2006/12/03(日) 22:13:42 ID:???
>>136
後金軍の戦術勝ち
サルフの戦いでは明軍はちゃんと火器も揃えてたし、野戦築城もしていたが、後金軍は下馬騎兵による障害除去と重騎兵による突撃で勝利している。

でもまあ、袁崇煥や孫承宗みたいに火器で後金軍を破っている明将もいるし、結局は使い方次第かと。

138: 名無し三等兵 2006/12/04(月) 03:33:47 ID:???
後金軍と明軍の場合は、騎馬がつよかったとか以前に。
賄賂を渡しすぎが原因だな。
国庫が払底したのが原因で起きた李自成の乱とそれに続いた呉三桂の裏切りが破滅を招いただけ。
107: 名無し三等兵 2006/12/02(土) 09:53:11 ID:???
モンゴル軍は男子全てが生まれつきの騎兵という特殊な民族の集団なので 戦力としては平原最強だが、東南アジアの密林や海を越えて元寇なんてのは苦手


109: 名無し三等兵 2006/12/02(土) 13:09:51 ID:???
>>107
ジャングルで苦戦するのはモンゴルに限らず、どこの軍隊でもそうだと思う

逆に、地元の人間でもないのに密林戦がやたら得意だった軍隊なんか
あったら面白いんだが

111: 名無し三等兵 2006/12/02(土) 17:26:23 ID:45ot6fIE
>>109 
インドネシアのあたりでオランダの東インド会社の商館の傭兵などはどうしてたんでしょうね。ジャングルの場合、河川交通を制すればよいような気がしますが。

騎兵はどうなんだろうな。人間の担送が主体になるんではないかな。


123: 名無し三等兵 2006/12/03(日) 00:55:05 ID:???
昔、さんまの何でもダービーってテレビ番組があってさ。
そこでナリタブラリアンって名付けられた、いかにもニブそうなポニーがプロ騎手(たしか武弟だったと思う)に調教されて、立派な競争馬のように成長してたな。

あの後、日本のポニーは貧弱で鎧武者を乗せて戦争なんかできないなんて説が流行ったんだけど、絶対に嘘だと俺は思ったよ。

128: 名無し三等兵 2006/12/03(日) 09:53:09 ID:OfhcicLz
>>123
ポニーっつっても種類があってデカイ部類のポニーだから、日本の馬はポニー並ってのは嘘じゃないだけで、悪意のあるミスリードなんだがな

124: 名無し三等兵 2006/12/03(日) 01:44:06 ID:???
騎馬武者の存在も否定してる奴っているの?

125: 名無し三等兵 2006/12/03(日) 08:06:41 ID:ly9SoArd
鈴木氏の影響で、馬上戦闘をしなかったと思ってるやつは多いんじゃないか。

126: 名無し三等兵 2006/12/03(日) 08:26:46 ID:???
 源平の頃はやってたんだろうけど、室町・戦国と降るにほとんど無くなったんじゃないか。馬は武将のシンボル、大将の証拠みたいな扱いになっていったような気がする。


142: 名無し三等兵 2006/12/04(月) 13:58:47 ID:???
当時の博多周辺で騎馬が有効に活用できるかな?

143: 名無し三等兵 2006/12/04(月) 14:48:24 ID:???
>>142 
詞の図からみると騎兵は用いていたようだ。主に日本側がだが。

馬の腹から出血する場面があるが、あれは乗ってた御家人にとって痛恨の一撃だったでしょうね。

146: 名無し三等兵 2006/12/04(月) 18:20:16 ID:???
>>142
モンゴル騎兵の機動力を発揮するのは無理だろうね
博多湾を守る日本軍を突破して、大宰府も抜いて筑紫平野まで進出すれば可能かもしれないけど、今度は水田が(笑

158: 名無し三等兵 2006/12/06(水) 07:58:32 ID:???
>>142
文永の役で、騎兵を主戦力とする日本軍は水際撃退作戦を採用せず、わざわざ騎兵運用に適した地形を選んでモンゴル軍を迎え撃っている。モンゴル軍が進軍してきたところを、足場のしっかりとした場所で、鎌倉武士が得意とする騎兵の集団戦法を用いて撃破するというのが、総大将の少弐景資の作戦だった。
そのためモンゴル軍は、副将の劉復享が射倒されるなど大打撃を受け、わずか1日で日本から逃げ帰ってしまう。
当時の日本人の日記である金剛仏子叡尊感身学正記では、文永の役の記述は、『十月五日に蒙古人が対馬に着き、二十日、博多に着き、すぐ退散した』。

147: 名無し三等兵 2006/12/04(月) 18:42:34 ID:???
モンゴル軍の主力は殆どが船酔いで使い物にならんかったと思われる。

152: 名無し三等兵 2006/12/05(火) 08:39:07 ID:???
>>147
モンゴル軍の主力は殆どが、文永の役の前年の済州島への侵攻で、渡航作戦を経験済みだ。

148: 名無し三等兵 2006/12/04(月) 19:07:56 ID:???
秣の準備と健康管理で馬を海上輸送するのはww1まで大変な難作業だった。
自動車化万歳。

152: 名無し三等兵 2006/12/05(火) 08:39:07 ID:???
>>148
馬の海上輸送なんか大昔から普通に行なわれてるぞ。
元寇より200以上年も前にウィリアム1世が騎兵を伴ってイングランドに侵攻し、勝利してるじゃん。

154: 名無し三等兵 2006/12/05(火) 09:13:10 ID:???
>>152
>馬の海上輸送なんか大昔から普通に行なわれてるぞ。
可能不可能で言えばもちろん可能だよ。
ただ、馬には1日5~6kgくらいは秣が必要なわけで、陸上にいる内はこれをその辺の草地でまかなえるけど
いっぺんフネに積み込むと、いちいちどっかから刈って持ってこなければならないのが
面倒だという話。

155: 名無し三等兵 2006/12/05(火) 14:46:27 ID:???
距離もさることながら、波浪や風雨という点でも英仏海峡を渡るよりは難儀だと思うがな。
それに、モンゴル軍の方が戦闘員1人当たりの馬の数が多いのではないか?

157: 名無し三等兵 2006/12/06(水) 07:35:11 ID:???
>>155
波浪や風雨という点では英仏海峡を渡る方が対馬海峡よりも難儀だろ。
1066年のイングランド征服の際、ウィリアム1世は8月初頭に艦隊を集結させながら悪天候のため出港することができず、9月11日にようやく出港したものの、今度は風に流されてサン・ヴァレリーに漂着イングランドに上陸したのは9月28日になってからだった。それと比較すれば、元寇の際の元軍のほうが、遥かに順調な航海の末に博多湾に到着している。

165: 名無し三等兵 2006/12/06(水) 22:53:57 ID:???
鎌倉時代のサムライが「戦法」「戦術」なんてもんを知ってたとは思えんのだが。ましてや「騎兵戦術」なんぞを。
「やあやあわれこそは」とか那須の与一が扇撃ったりみたいなことしてた時代に

167: 名無し三等兵 2006/12/06(水) 23:59:05 ID:???
>>165
その手の一騎打ちは軍記物の影響で作られたイメージ
まあ、長篠三段撃ちと同じだな
現在では源平合戦時の武士は、歩騎混交の集団戦法をとっていたのが研究者の見方
とりあえず、ここらを読んでみてはどうか

近藤好和『騎兵と歩兵の中世史』、『『弓矢と刀剣―中世合戦の実像』(吉川弘文館)
川合康『源平合戦の虚像を剥ぐ』(講談社選書メチエ)

168: 名無し三等兵 2006/12/07(木) 00:40:19 ID:???
そう言われてみれば、源平合戦で「やあやあ我こそは~」で始まった合戦ってないよね?
軍記物のイメージだったのかよ!

170: 名無し三等兵 2006/12/07(木) 02:45:55 ID:???
当時の合戦は、大抵の場合は両軍が楯を並べてバリケードを築き、その後ろから弓騎兵が矢を射合う「楯突戦」から始まる。
「楯突戦」でタイミングを計ってから、決着をつけるために騎兵が楯の外に出て、馬を馳せ合いながら矢を射合うのが「馳組戦」。この際、逃げる敵を前方に射ながら突進するのが「追物射」で、『蒙古襲来絵詞』にも元軍に対して集団で「追物射」を行なう白石道泰指揮下の武士団が描かれている。
一方、劣勢の側は後方の要衝に再び楯を並べ、防衛ラインを築いて応戦。

171: 名無し三等兵 2006/12/07(木) 09:37:43 ID:???
戦国時代になると、常に戦争状態だから、だれてきて「矢戦にて帰りけり」と、矢だけ適当打って日が暮れたから帰るなんてチンタラした戦争もやるが、決戦レベルの合戦だと馬も使うのだな。

172: 名無し三等兵 2006/12/07(木) 10:18:39 ID:???
>>171
中世前期でも、楯突戦は何度もやったが馳組戦は一度も経験してないとかいう武士が居たみたいだから、似たようなものかも知れない。
中世前期の合戦では、敵の殲滅や掃討が目的だったため騎兵の機動力が重視されたが、合戦の目的が領地の争奪に変化するにつれて築城能力などが向上し、歩兵が戦闘の中心になっていったという流れらしい。

178: 名無し三等兵 2006/12/08(金) 03:21:34 ID:???
>>172
>敵の殲滅や掃討

あのころの戦というと、死者はほとんど出ないような気がしたけど、そうでもないの?

182: 名無し三等兵 2006/12/12(火) 03:22:28 ID:???
>>178
日本の戦は首が手柄だから追撃戦は厳しいぞ

183: 名無し三等兵 2006/12/12(火) 04:48:27 ID:???
>>182
源平時代に弓術が一種の専門技能と化したからってのもあるのかな
例えとして相応しいかはわからんが、西洋で騎士が白兵専門に特化していったようにもっとも、これ言い出すと律令制の騎兵との比較まで必要になるか・・・

173: もはや日本史板いきかもしれないが 2006/12/08(金) 01:32:19 ID:???
素朴な疑問

盾でバリケード作って撃ち合いって、別に弓騎兵なんか使わずに普通の弓兵を使った方が良くない?
騎兵を使う意味が無いと思うんだけど。

突撃用の騎兵なら盾と弓兵の後方に待機させておけばいいじゃない。
当時の支配階級の武士も一応戦闘に参加しておかないと格好がつかないから、非効率を承知でやっているのかな?

174: 名無し三等兵 2006/12/08(金) 02:10:08 ID:???
源平時代の大鎧の重量は約30キロ
戦場ではこれに鉄兜、刀、弓の重量が加わり、40キロ近くになる
これだけの重量だと徒歩で移動するのは一仕事だし、戦闘はもちろんきつい
要するに源平時代の武士にとって馬は足代わりだったわけだ

これが室町頃の腹巻や胴丸だとせいぜい10キロから15キロ程度になる
当然、動きも身軽になるわけで、白兵戦闘が増えたのも当然かなと思う

それと、もちろん歩兵の弓兵も楯突戦には参加する
家之子、郎党なんかがこれに当たり、騎兵が出撃する際にも随伴して馳組戦を支援する
敵を馬から引き摺り下ろしたり、大将が首とりやすいように押さえつけたりね

175: 名無し三等兵 2006/12/08(金) 02:35:05 ID:???
うーむ。
楯突戦なら弓騎兵1騎より弓を持った軽装歩兵を10人揃えた方が安上がりで効果的のような
気もするが。どうせ騎兵の機動力を生かせない状況なんだし。

182: 名無し三等兵 2006/12/12(火) 03:22:28 ID:???
>>175
弓を撃つにはかなりの訓練がいるからじゃないか?
筋力のない奴は戦力として当てにならんかもしれん
常備軍を持って常日頃訓練させてないと主戦力にするにはきつかろう

純軍事じゃなくて社会的背景も大きいだろうからややこしいな

183: 名無し三等兵 2006/12/12(火) 04:48:27 ID:???
>>182
源平時代に弓術が一種の専門技能と化したからってのもあるのかな
例えとして相応しいかはわからんが、西洋で騎士が白兵専門に特化していったように
もっとも、これ言い出すと律令制の騎兵との比較まで必要になるか・・・

176: 名無し三等兵 2006/12/08(金) 02:41:51 ID:???
昔の戦争の話題で盛り上がってる所悪いがWW2~現代までの一部の軍隊にはヘリボン部隊や偵察部隊に~騎兵という名を持つ部隊が有るがこの呼称はどうして流行らなかったんだぜ?

あと戦車部隊や機械化歩兵に騎兵と付けた例は有るんだろうか?

177: 名無し三等兵 2006/12/08(金) 03:17:59 ID:???
第二次大戦以降ならごろごろしてるね。
WW2列強の「騎兵」は、機械化部隊に変わりつつも名前を残してるケースが多い。
例えば、英軍の近衛騎兵連隊なんかも、軽戦車部隊になってたと思う。
米軍の騎兵師団のうちヨーロッパ戦線に行ったほうも機械化歩兵。
でも太平洋に来た師団はただの歩兵だったか? 米軍だから自動車化されてるだろうけど。

日本の師団騎兵は、「捜索」連隊(乗車歩兵と軽装甲車)に変わったものが多いけど、
中身は捜索連隊同様に機動化されつつも、名前だけはそのまま騎兵連隊だった例もあったような。
本当の乗馬部隊も多数残ってるけどね。

204: 名無し三等兵 2006/12/19(火) 01:44:44 ID:???
そういえば、二次大戦時に赤軍がモンゴル騎兵師団に突撃させて、ドイツの歩兵師団に二時間程度で全滅させられてたな。

205: 名無し三等兵 2006/12/19(火) 01:58:16 ID:???
それは800年前に負けた仕返しですか?

206: 名無し三等兵 2006/12/19(火) 02:13:44 ID:???
>>205
地雷除去の任務と思われ

207: 名無し三等兵 2006/12/19(火) 03:42:44 ID:???
ただ単に、時間稼ぎと武器弾薬の消費を狙った、赤軍では至ってポピュラーな戦術。

210: 名無し三等兵 2006/12/21(木) 22:55:38 ID:???
このスレの諸兄なら周知のことかと思うが、保守代わりに。
世界戦史上、最終期の騎兵突撃例。

(1)1939年ポーランド戦での波軍騎兵。
 森林地帯を巧妙に機動して、独軍の歩兵縦列を奇襲。1個大隊を潰走させたことも。
 なお、突撃せずに、乗馬歩兵や騎砲兵として威力を発揮したケースももちろんある。

(2)1942年夏、東部戦線での伊軍騎兵。
 サヴォイア竜騎兵連隊の600騎が、ソ連軍背側よりサーベル突撃を敢行。
 手始めに1個大隊を潰走させ、続けて反撃を受けつつもさらに1個大隊を撃破。
 火砲十数門・機銃50を鹵獲、捕虜600を得た。損害も大きかったようだが。

(3)1945年春、中国戦線での日本騎兵。
 老河口作戦に参加した騎兵第四旅団が、老河口飛行場に乗馬突入。

211: 名無し三等兵 2006/12/22(金) 13:24:12 ID:wDLFcQPp
騎兵4旅だけが帝国陸軍最後の騎兵? あとは全部 戦車や偵察に改編されたのかな?

212: 名無し三等兵 2006/12/22(金) 16:34:18 ID:???
騎兵旅団を構成していた戦略騎兵は、戦前の最盛期には4個旅団ありましたが、
第四旅団を除き開戦前後に改編・消滅しています。
戦車第三師団系の部隊になったものが多いです。(機動歩兵連隊と師団捜索隊)
なお、消滅前にすでに乗車歩兵化が進んでいたものもありました。

師団騎兵の場合、捜索連隊や捜索隊と名を変えたものは、基本的に車両編制です。
乗車or自転車化歩兵中隊2、軽装甲車中隊1~2くらい。但し、乗馬中隊を1個残している場合もあります。
また、南方侵攻時には、オートバイ中隊が増設されたものがあります。
大戦後半には解体されたり、積荷の関係で残置されたり、徒歩歩兵に縮小編制になったり。

騎兵連隊や騎兵大隊の名が残っている場合、基本的には乗馬兵でした。
乗馬中隊2~4程度に、重機中隊(駄載)が付いたり付かなかったり。
大戦時の部隊数は捜索連隊に比べても少なく、せいぜい一桁だったはず。
南方進出した部隊は、ほとんどが徒歩歩兵か、臨時に自動車を配属された乗車部隊に改編。
例えば、ブーゲンビルへ行った騎兵第六連隊は徒歩部隊。
それでも終戦時に2個か3個は乗馬騎兵連隊が残っていたかと。(近衛と朝鮮あたり、支那にも?)

213: 名無し三等兵 2006/12/22(金) 16:58:38 ID:???
このほか、歩兵団レベルで、小隊~中隊規模の乗馬兵を持っていた師団があるようです。
伝令と司令部直衛を兼ねたものと思われます。

基本的に、前述したように捜索連隊含めた騎兵系部隊は、大戦中は衰退傾向にあります。
本土決戦期の新設師団には捜索連隊などはなく、連隊本部に乗馬小隊を有するだけです。
上に挙げた歩兵団などが持っていた伝令と一緒でしょう。歩兵団が省略されたので最初から分属と。

例外的に、ある程度の積極戦闘を期待されたのが、各師団管区単位で編成された乗馬中隊。
本土決戦時に、空挺降下した敵に対して、機動反撃するのが任務の一つだったようです。
空挺に対して装甲部隊を急行させるのは良くありますが、最後の騎兵はその代用極貧部隊でした。

217: 名無し三等兵 2006/12/24(日) 00:22:25 ID:???
旧軍最後の正統騎兵である騎兵第四旅団の乗馬は、平均馬齢15歳に達していたそうな。

224: 名無し三等兵 2006/12/24(日) 17:18:24 ID:gYSwMwHt
ローマ帝国軍は初期は重装歩兵が有名だったけど
ローマ帝国末期になると重装騎兵中心の軍制にかわる
装備も中世みたいだ。

歩兵の重要さが復活するまで大分かかったのはなんで?

228: 名無し三等兵 2006/12/24(日) 17:26:09 ID:???
>>224
ローマ帝国末期では軍団が小型化して、大規模な会戦ではなく
小規模な対蛮族戦に特化していったことで歩兵戦列が組みにくくなったこと
現地の服属蛮族中心の支援軍の役割が大きくなったこと
ローマ市民権がカラカラ帝によって、総ての属州民に与えられ
兵役を勤めなくてもローマ市民になれるため、軍団兵が傭兵化したこと。
などなど
あと、時代の軍事トレンドが騎兵化してったてのも大きい。

231: 名無し三等兵 2006/12/24(日) 17:47:27 ID:gYSwMwHt
>>228
スイスの槍歩兵やランツクネヒトも傭兵だよねえ。
やっぱ騎兵より歩兵の方が強いのでは

232: 名無し三等兵 2006/12/24(日) 17:53:56 ID:???
>>231
どちらが強いということはない、よく訓練された歩兵の戦列は重騎兵の突撃を跳ね返すが
寄せ集めの歩兵では簡単に壊走する。

共和制後期のローマ軍団は無敵に近く、東方の諸王国を簡単に撃破していったが
騎兵中心のパルティア王国だけはそうはいかず
機動力を生かして接近戦を避け、騎射で悩ませながら偽装後退によって誘き出し
隊列が崩れたローマ軍団を殲滅した例もある。

だが、そのパルティア軍も防御に撤したローマ軍には手こずっている。

233: 名無し三等兵 2006/12/24(日) 18:58:50 ID:gYSwMwHt
>>232
山がちで密集陣形取れないところでも話だろ
会戦方式でローマはほとんど負けてない


234: 名無し三等兵 2006/12/24(日) 19:14:41 ID:???
>>233
パルティア軍とローマ軍は会戦形式で戦ったのか?
会戦形式で挑むローマ軍に対して、パルティア軍は遊牧民族的な戦術で挑み勝ったわけで
そりゃローマ軍と同じく腰を据えて激突すればパルティア軍の負けでしょ。

230: 名無し三等兵 2006/12/24(日) 17:30:38 ID:???
重騎兵ってのは、少数の戦力で蛮族を蹴散らすのには向いているんだが
維持コストがかかる欠点を持つ。

後期の小型のローマ軍団は、共和制後期や帝政前期と比べてそれほど戦闘力が低下したわけではないのだが
大規模な会戦には向かない傾向にあった。

共和制後期のローマ軍団は、至近距離から投槍を投げつけるまで敵前でも沈黙を守り
敵に大きな精神的ショックを与えることができたが
後期のローマ軍団は、ゲルマン風の雄叫びをあげながら敵に前進していったという。

240: 名無し三等兵 2006/12/24(日) 23:19:00 ID:???
>>230
羅馬帝国の東西分裂後、生き残った東羅馬の騎兵は
カタフラクトで、重装甲で敵陣になだれ込んで兵を押し潰すのに
使ったが、ウマにも装甲を施したので高価な代物だったさうな。


引用元: ・騎兵を集団で使うと本当に効果があるのか?

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