51l2zqdHjML



1: 名無し三等兵 2007/08/23(木) 21:35:21 ID:???
1975年から1979年まで続いた、ポル=ポト政権下のカンボジア。
総人口800万足らずのこの小さな国で実に、200万から300万近くの人間が虐殺された。
猟奇的とも言える大虐殺は、いかにして起こったのか?









3: 名無し三等兵 2007/08/23(木) 21:40:13 ID:???
明日は我が身

12: 名無し三等兵 2007/08/24(金) 01:22:25 ID:???
>>3
アジア的やさしなの欠片も無い徹底的な赤狩りが必要だな。

13: 名無し三等兵 2007/08/24(金) 01:48:26 ID:PeYdbPOM
>>1

キリングフィールド観たか?
いい映画だぞ。

19: 名無し三等兵 2007/08/25(土) 15:25:18 ID:???
一ノ瀬泰造

カンボジア入国以後、共産主義勢力クメール・ルージュの支配下に有ったアンコールワット遺跡への一番乗りを目指しており
1973年11月、「地雷を踏んだら“サヨウナラ”だ」と友人に言い残し、単身アンコールワットへ潜入するも、そのまま消息を絶つ。
それから10年たった1982年、一ノ瀬が住んでいたシェムリアップから14km離れた、アンコールワット北東部に位置する、プラダック村にて遺体が発見され、両親によってその死亡が確認された。
その後、ポル・ポト派により、処刑されていたことが判明した。

22: 名無し三等兵 2007/08/25(土) 16:54:51 ID:???
>>19
この前映画見たけど、安っぽい反戦物じゃなくて面白かった。



23: 名無し三等兵 2007/08/25(土) 20:25:41 ID:???
現在、現地には村人が遺族の許可なしに勝手に建てた「墓」があり旅行者から拝観料を巻き上げたり、エイチ・アイ・エスの日本語ガイドが一ノ瀬の写真を模写した絵をTシャツにして販売しているが、これらはもちろん非公認である。


24: 名無し三等兵 2007/08/25(土) 20:46:08 ID:???
カンボジアは北海道の2倍程度の面積の国だ。
首都はプノンペン。カボチャはこの国から伝わったのでその名がついた。
カンボジアの歴史は苦難の一言に尽きる。

25: 名無し三等兵 2007/08/25(土) 21:51:43 ID:???
シアヌーク時代は綱渡りながらなんとか持たせてたんだがな。ニクソンが余分な事やらかしたおかげで何もかも滅茶苦茶だ。

26: 名無し三等兵 2007/08/28(火) 03:34:26 ID:???
ベトナム軍の侵攻に対し、カンボジア軍は木の板に炭で命令を書いて伝令に持たせた

紙やペンや電話といった文明の利器は無くなっていたのである。
字を読める人、複雑な命令を理解できる人も殆ど殺されていたので、命令は幼稚園児でも分かる程度の至極単純なものだった

ベトナム軍は難なくカンボジアの大半を支配下に置いた

27: 名無し三等兵 2007/08/28(火) 03:35:48 ID:???
補足、幼稚園児でもと書いたがカンボジア軍には家族解体政策で親元から強制隔離され入隊させられた幼稚園児~中学生程度の「戦士」も多数いた

34: 名無し三等兵 2007/09/02(日) 16:24:48 ID:oPQ2Ewqu
クメール・ルージュの旗っていかにも”悪”って感じだな



kr

85: 名無し三等兵 2007/09/17(月) 19:27:00 ID:WXFP2uwr
>クメール・ルージュの旗っていかにも”悪”って感じだな

まるで「死ね死ね団」の旗のようだw

95: 名無し三等兵 2007/09/17(月) 23:42:13 ID:???
>>85
服も黒が好きだったらしいぞ。
国旗は赤地にワットの塔一つなので何でも赤と黒の組み合わせだな。

28: 名無し三等兵 2007/08/28(火) 04:14:15 ID:???
ベトナムの侵略がなかったらポルポトのオナヌー政策がずっと続いてたんだろうか
なんつーかどっちに転んでもノーフューチャーだな

29: 名無し三等兵 2007/08/29(水) 00:12:45 ID:???
ポルポトは大嘘をついていた。
彼はフランスに留学していたので民衆の集団決起の強さを知っていた。
よって理想国家を作るためどころか、将来自分に歯向かうかもしれない民衆
その指導者になれそうな教養を持った人間を一掃したかったのだ。
そして民衆を少ない食事で朝から晩まで牛馬のごとく働かせた。

30: 名無し三等兵 2007/09/02(日) 13:53:11 ID:ynSpiOHU
ポルポト派は坊さんを殺したり、寺を破壊したけど、その一方でちゃんと自分達ようの寺や坊さんを残して参拝していたらしい。

うちに「この目で見たカンボジア」って中越戦争のころに出版された本があるけど、ポルポト派と中国の顧問団がプノンペンを放棄した直後にレポがあって興味深い。
書いてる人は左な人が多く、「中国は侵略国家になった幻滅した」って記述が多くて笑える。

32: 名無し三等兵 2007/09/02(日) 13:56:53 ID:???
中国が全ての元凶だろ。

33: 名無し三等兵 2007/09/02(日) 14:35:16 ID:???
アメもグルだろ
ニクソンが訪中してるし

38: 名無し三等兵 2007/09/05(水) 01:47:23 ID:/979dHYC
カンボジアが地獄に落ちたのは、ニクソンのカンボジア侵攻、国務省、CIAの反対を押し切っての作戦でペンタゴンの特殊部隊の司令官たちがジョンソン政権時代から考えていた。
しかしLBJは南ベトナム国内のべトコン鎮圧だけに集中していた。後にテト攻勢でLBJがダメになった後のニクソンはべトコン補給基地がカンボジアに多数存在している事を理由にカンボジアに侵攻。
その後シアヌークが中国の仲介でポルポト派と手を組み、農村部で青年層のポルポト派への加入を促進させた。おかげで5000人のチッポケなゲリラ組織から7万人の殺し屋集団へ変貌。ポルポト派内の親ベトナム派幹部は内戦中から暗殺されておりべトコンとポルポト派の中の悪さは有名。
べトコン幹部いわく「シアヌーク時代の方が良かった。無理な革命をする理由があったのか?」とのこと。

47: 名無し三等兵 2007/09/11(火) 23:39:55 ID:???
元クメールルージュ兵でアキラ(Aki Ra)っていう日本人の名前の様な人がいたらしい。

48: 名無し三等兵 2007/09/12(水) 00:21:27 ID:???
>>47
罪滅ぼしの為、地雷除去名人になってシェムリアップで博物館開いてます。

http://www.akira-landminefree.org/about-him/

52: 名無し三等兵 2007/09/13(木) 19:27:34 ID:???
カンボジアでは~
なんとォ~
お金が無いのよ~

とウルウル目で語りだす先生がいたなあ。

53: 名無し三等兵 2007/09/13(木) 19:30:28 ID:???
その後、本カツがカンボジア本書いたらシンパから総スカンで批判浴びたりもしていた。

本とのことを書くと嘘だろといわれ、「聞き書き」です(最近の言)って予防線張っているほうは信じられているというのがわが国サヨクの平均的リテラシー!

56: 名無し三等兵 2007/09/15(土) 04:29:39 ID:w8OT7jrY
>>52
確かにポルポト政権は通貨を廃止し物々交換を国の政策として実施したが・・・

さすがに中国もあきれ果て国内経済の壊滅状態は如何ともしがたく結局、農民が作った作物の“革命市場”とそれを買うための“革命通貨”をポルポト主導で復活を決定。
それを実施しようとした矢先にベトナムが侵攻。このポルポト版ネップは歴史の闇に・・・

ちなみに市場は農民のみが自分で作ったものだけを売れる市場専門の小売業・卸売り業の復活までは認めていない。

トホホ><

57: 名無し三等兵 2007/09/15(土) 09:08:14 ID:???
こんな政権を支持してたカンボジア人w
日本の近くじゃなくてよかった

62: 名無し三等兵 2007/09/15(土) 16:59:33 ID:???
>>57 
支持してないよ!! 平壌政府と同じく、国家ハイジャッカーだ!!
59: 名無し三等兵 2007/09/15(土) 11:22:03 ID:???
>>57
日本人の一部だって支持していた。
その後のベトナムの侵攻に目を丸くしていたけど。
中越戦争で言葉を失っていたときには、失礼ながら笑わせていただいた。
彼らは夢見がちな人たちで心のシャングリラが謎めいた国に投影されるんだ。

朝日縮刷版社説をよめば彼らの足跡をたどることができるよ!


60: 名無し三等兵 2007/09/15(土) 11:37:00 ID:???
タイもポルポトを支持してたしな
タイ国内に逃げ込んでも放置してたんだろ

63: 名無し三等兵 2007/09/15(土) 22:15:56 ID:6MeZthps
そもそも“クメール・ルージュ”とはシアヌークが、フランスに留学したカンボジア学生が、帰国後左翼運動に傾倒し反シアヌークの政治運動に参加した為、名づけたあだ名みたいな物

その中にポルポトがいた。かれもフランス留学組でフランス共産党の集会に出席している。
1963年にシアヌークが左翼の大弾圧に乗り出しプノンペンでカンボジア人民革命党の事実上の党首として活躍していたポルポトは逮捕されそうになり田舎のジャングルに逃げ込みべトコンの支援を受けながらゲリラ活動をしていた。
この頃のカンボジア王国は、事実上シアヌークの独裁であり、また農村部では、シアヌークは神格化され反シアヌークの大きな勢力は育たなかった。

このカンボジア農村部は3毛作で大した人手や灌漑施設も要らないのに大量の米が収穫出来る為、階級分化が起こりえず地主制もはびこらず20世紀になっても農民は独立した自作農ばかりで保守的な政治風土が維持されシアヌークの独裁制の基盤であった。シアヌーク神格化が定着したのはこの為である。

125: 名無し三等兵 2007/09/22(土) 12:10:13 ID:EIwOSxOk
>>63
日本の農業技術者がカンボジアに行って教えてそれで3毛作が始まった。
それまでは1毛作だけだった。しかし・・・
カンボジアは3毛作をやって大豊作だったけど、翌年にカンボジア農民達が
「昨年は何年分もお米が取れたので今年は遊んでで暮らす」
と言い農作業をしなかったw
それであまり3毛作は広まらなかったらしい。

一応シアヌークは農業の増産と農作物の輸出振興策を考えたらしいがあまりにも自然環境が良すぎてカンボジア農民の勤労意欲が長続きしなかったらしい。

カンボジア農村部は最も共産主義革命に程遠い地域である。
第一にプロレタリアートが居ない。

64: 名無し三等兵 2007/09/15(土) 22:16:57 ID:6MeZthps
クメールルージュを支持するのは、普段カンボジア農民から差別されている小数山岳民族のみで兵士も少数民族のみ、そのため人数も5000人程度のゲリラにしかならず、シアヌーク指揮下のカンボジア王国陸軍35000人やカンボジア警察2万人と対決したが完全に押さえ込まれた。1部で数百人程度の農民暴動を指揮したクメールルージュだがそれ以上の支持は広がらずむしろ農民の非協力からクメールルージュは農村部にも居られなくなりベトコンの招きでベトナム国境近くの山岳部に本拠地を移した。

この事によりべトコンはポルポト派支援よりシアヌークと協定を結んだ方が得と判断しカンボジア王国とべトコン・北ベトナムは秘密協定を結びシアヌークはメコン川から東側でのべトコンの活動を黙認した。

プノンペンの都市部インテリ層や華僑がアメリカ・フランス・中国の共和政に刺激され、またシアヌークの滑稽なキャラクターに嫌気をさし始めており、こちらの方が反シアヌークの勢力が強かった。

しかし、国内では左翼を弾圧し右翼の軍人をカンボジア王国軍や警察の首脳部に任命した。経済政策でも米の増産と輸出を振興しシアヌークは右寄りの国内政策を推進し国内では左翼の出番はなかった。

73: 名無し三等兵 2007/09/16(日) 21:43:22 ID:???
ポルポトがいらん事をしなければカンボジア王国こそ地上の楽園ではないかという気がしてきた。だって3毛作なんて日本の農業ではありえないでしょ。日本の農家の苦労を知ってる俺は、年間で3回も米が取れる国なんてそれだけでサイコーだと思う。


「装甲騎兵ボトムズ」というアニメで「ポル・ポタリア」というキャラクターが出てきたが、名前の元ネタはやっぱポルポトなんだろうな。ベトナム戦争っぽかったし。

いや、アニメのポタリアは番組中トップクラスの人格者だったのだが。

74: 名無し三等兵 2007/09/16(日) 22:29:43 ID:???
いらんことしたのはロンノルとアメリカだろ。
それまでのポト派なんて一部の山岳民族にしか支持されずプノンペンで動員かけても数百人しか集まらない程度の弱小勢力だぞ。

76: 名無し三等兵 2007/09/16(日) 23:44:31 ID:R3XziwW/
シアヌーク統治時代のカンボジア王国は、経済的には農業国だけど飢えや飢饉はなく、食料輸出でそれなりに外貨を稼ぎ第3世界の中では安定した生活は出来たようです。

米作だけではなく漁業もしていたようですが、シアヌーク自身が日本や韓国のような高度成長を企画しないため第2次・第3次産業があまり発達しない経済体制でブルジョアジーやらプロレタリアートやらの階級分化が起きない農民と仏教界主体ののんびりした体制だったようです。

シアヌーク体制は独裁制だったのですが、農村部の支持が物凄くシハヌークは政権与党「サンクム」を結成し、その総裁として政治へ取り組みを表明しサンクムは総選挙で圧勝して国会の全議席を制し、野党民主党を弾圧し「シアヌーク翼賛体制」が完成します。父王の死亡後シハヌークは新設の「国家元首」に就任して政治指導にあたります。

シハヌークの政策は「王制社会主義」と称されたもので、仏教の保護と王制による指導のもと、部分的な社会主義的な政策を打ち出していったようです。63年に銀行や貿易の国営化は実行、しかし同じ年左翼への大弾圧も行います。

また、外交面では厳正な中立政策を守り、冷戦の続く中、東西両陣営から援助を引き出すことに成功するなど、隣国ベトナムやラオスが戦火に巻き込まれる中、国内は平和を維持していたのはシアヌークの功績といえる。

しかし次第に政界では左派・右派の対立が始まり、シハヌークが必要に応じて左派の重用と弾圧を繰り返したため、ポル・ポトやイエン・サリ、キュー・サムファンといった左派の指導者はジャングルに逃れ、武力闘争に走ることとなった。

しかしポルポト派はクメール人農民には支持されず少数山岳民族のチャム族や一部中共寄りの華僑の支持だけに留まり独力でのシアヌーク体制打倒はとても無理な状況でした。


77: 名無し三等兵 2007/09/17(月) 00:19:31 ID:???
>国内は平和を維持していたのはシアヌークの功績といえる。

ベトコン連れてきたのはシハヌークじゃないか。
あとキューやフーニム・フーユオンとポト派は地下に潜る時代が大分違うから一緒くたにするのはどうなんだ。


>華僑

ポト派の左翼の部分には資本家と言う点で右翼の部分には華僑という点で引っかかり、肝心の祖国には無視されかなり悲惨だったみたいだね。

78: 名無し三等兵 2007/09/17(月) 01:33:39 ID:???
>>77 
ジム・モリス「グリーン・ベレー」P318

「私はシアヌークの外交手腕を、たかく評価していた。彼の力だけで、この地域で、完全にではないにせよ、独立を保っていられるのは、彼がまぶしいばかりの外交手腕をしめしているからにほかならない。たしかに彼は、その国のなかをベトコンに自由に通行させていて、しかもそれを全面的に否定していた。それ以外にどんな方法があるというのだろうか。また彼は、たしかに南ベトナム軍やアメリカ軍が自分の国に入るのをこばんでいた。彼はベトナムを観察し、そこのアメリカ軍が何をするか知っていた。と同時に、この二百年間、ベトナムの軍隊はカンボジアに入り込んでおり、それを追い出せないでいた。ある男は、カンボジア側から撃たれたと文句を言っていたが、私にはどうしても。外国の政策がわれわれに都合よく動くとは思えなかったのである」
 
どうすることも出来ない外力に翻弄される小国の指導者の観察として当を得ていると思うがどうよ? 

82: 名無し三等兵 2007/09/17(月) 18:32:25 ID:ZgsGh1KQ
1963年にポルポトは、反シアヌークのゲリラ活動に入ったが、農村部での支持が得られずに捗々しい成果は得られなかった。60年代のポルポト派ゲリラの勢力は小数山岳民族のチャム族がメインの5000人程度であり肝心のクメール人農民はポルポト派の活動に背を向けていた。
67年に農民の暴動があったが、これはシアヌーク政府が米を安く強制的に買い集める政策を実行した為自然発生的に起きた農民暴動でありポルポト派とは関係ない事であった。

しかしこの事で農民層にも食い込めると思ったポルポト派は、68年に南ベトナムでのテト攻勢と合わせて軍事的な一斉蜂起を行った。この蜂起はポルポト派総力を挙げた蜂起で5つの州にまたがる大規模なもので、シアヌークも「全面戦争だ!」と驚かせたものだった。
しかし、カンボジア王国陸軍の反撃が功を奏し、またポルポト派への弾圧は容赦なく、捕まえたゲリラ指導者は家族もろとも惨殺されるなど残酷な処刑が繰り返されポルポト派は鎮圧されてしまった。

この時点ではポルポト派はまだまだ力不足でありべトコンもテト攻勢を優先させたりシアヌークとの関係を重視したりでポルポト派支援にはそれほど乗り気ではなかった。中共についても同じである。69年にはポルポトは、レ・ズアン北ベトナム労働党第一書記から「ベトナムで勝利を得るまでカンボジアでの武力闘争はやめるべきだ!」と厳命されカンボジアでの武力闘争も下火になる。

このようにシアヌーク統治下でのポルポト派のゲリラ活動は成果を上げられず、べトコンや北ベトナムからも厄介者扱いで先の展望が開けてはいなかった。しかし70年にDIAの要請とされる反シアヌークのクーデターにより局面が異なってくる。ポルポト派にとっては棚ボタ式の展開である。

83: 名無し三等兵 2007/09/17(月) 18:41:22 ID:???
ベトナムが介入しなかったら果てしなく虐殺が続いて、「楽園」ができたのかな?

84: 名無し三等兵 2007/09/17(月) 18:44:59 ID:???
別の国が占領するだけだろうな。

86: 名無し三等兵 2007/09/17(月) 19:42:10 ID:???
ポルポトの功績って何かあるの?
フセインや金日成でも探せばあるけど

87: 名無し三等兵 2007/09/17(月) 20:42:21 ID:???
赤化学生が理想と青臭い野望だけで国を作っても現実には通用しないことを大量の血と共に示した理想の反面教師ということだな

89: 名無し三等兵 2007/09/17(月) 21:44:31 ID:???
>>87
毛沢東とスターリンとフランス人の思想合成・焼き直しという世界に類を見ないとんでもねー実験」、ともいえる

88: 名無し三等兵 2007/09/17(月) 20:49:58 ID:???
シアヌーク政権下で割りと農民ぬくぬくしてたみたいだしいい迷惑だったな。

90: 名無し三等兵 2007/09/17(月) 22:21:05 ID:???
メガネしてたら死刑とかすごいな

92: 名無し三等兵 2007/09/17(月) 22:28:41 ID:???
病人の前に飯をおいて食ったら連行とかもイカシテルゼ!

93: 名無し三等兵 2007/09/17(月) 22:29:47 ID:???
ああいう時代だと
真っ先にオンカーの幹部に袖の下渡す奴だけが生き延びるんだろうな

99: 名無し三等兵 2007/09/18(火) 00:18:51 ID:???
恐怖政治を行なったクメールルージュは決して一枚岩の団体ではなく内部には様々な党派があったらしい。しかし大きな権力を持っていたのは「アンカ」と呼ばれるグループでその中で中心的だったのは10代半ばの少年少女であったという。

そんな子どもたちが、「カンボジアをダメにした大人たち」を粛清しまくった。

110: 名無し三等兵 2007/09/19(水) 12:52:17 ID:???
オンカーという組織が全く謎な所が怖いな
一国を支配し、国民に命令を下し、自らの名のもとに大量処刑を下す民衆はおろか党幹部からも恐れられていた絶対的な支配組織
なのに具体的な組織の実態は実は全くなかったというトコロがなんか人間の相互不信と疑心暗鬼が生み出した共同幻想みたいで

112: 名無し三等兵 2007/09/19(水) 21:13:28 ID:???
子供医者とかいたんだろ?
お医者さんごっこそのままだな

113: 名無し三等兵 2007/09/19(水) 23:16:23 ID:???
病に伏せると幼女がドリンク剤の瓶に入った薬剤を注射してくれるそうな。

135: 名無し三等兵 2007/09/22(土) 21:59:15 ID:???
何がやりたかったのかさっぱり分からんな
カンボジアを内部から破壊したかっただけなのか?

138: 名無し三等兵 2007/09/22(土) 23:27:38 ID:???
>>135 
地獄への道は善意で敷き詰められている、てね…無能な働き者は銃殺にしろともいうな。
本人主観的には、あくまでも善意で自分は間違っていないと思ってるから始末に終えんのよ。

139: 名無し三等兵 2007/09/22(土) 23:41:20 ID:???
もともとが農民にすら支持されない圧倒的少数集団のボスということを自覚してるから過剰に民衆に殺されるのが怖かっただけのような肝

142: 名無し三等兵 2007/09/25(火) 14:38:45 ID:WWYNRa/p
>>139
それがポルポト派の大虐殺の背景でしょうね。
それとポルポト派の背後には中国の文革派居ますから、彼らのイデオロギーもその虐殺に拍車をかけたのでしょう。

シアヌーク統治時代の60年代のカンボジアの米の収穫高は年間300万トンです。自国民の消費量は150万トンで家畜用が100万トン、輸出用が50万トンという具合。耕作可能地帯も35%から40%ぐらいしか作付けしていないし、1毛作しかしないのに食量自給率は100%超えてます。

従って3毛作をやり政府の米増産政策に従えば米の年間生産高は600万トンから900万トンの生産は可能という意見は農業技術者には多かった。もし年間600万トンの米の生産量があれば、シアヌーク時代のカンボジアは米の輸出に350万トン回せるわけで国際収支や税収入の面でも政府には多大な貢献だったであろう。

他にも香辛料や果物の生産・輸出が盛んで味もよく値段も南ベトナムの半分から3分の1程度とされていた為、アジア向けでも欧州向けでも良く売れていた。それらの香辛料や果物の木々や畑も全てポルポト時代に破壊してしまった。

143: 名無し三等兵 2007/09/25(火) 14:39:52 ID:WWYNRa/p
>>142の続き

それに当時のIMFや世界銀行の観測でもカンボジアは農業部門の発展は可能であるが、第2次産業・第3次産業は無理だしその必要もないとの見通しを立てていたようだ。

しかし、搾取は一応あり華僑の米の集荷や農耕器具の販売では中間搾取が激しく問題になりクメール人農民と華僑の間には感情的な対立はあったようだ。ベトナム人もお米の卸売業に参入し華僑と熾烈な競争があったし、これらのクメール人農民への搾取を辞させる為、親方シアヌークで農協型の米の卸売り会社や国営の貿易会社ができた。その為、一部の華僑はシアヌークに反発し中共に接近するなどの動きを見せた。67年にプノンペンで中共シンパの華僑が大規模な反シアヌークデモを実行し警官隊と衝突した。

その後、中共シンパの華僑はポルポト派に接近し武器や食料の供与を始めた。しかしその事がかえってクメール人農民の華僑やポルポト派への反感をもたらしポルポト派ゲリラへの非協力とそれに伴うポルポト派ゲリラの農民への虐殺がシアヌーク時代のカンボジア農村部でも起きた。

ポルポト派が政権獲得する以前の60年代の話である。

140: 名無し三等兵 2007/09/23(日) 01:21:18 ID:???
独裁者の共通点だよね、異常に強い猜疑心

144: 名無し三等兵 2007/09/25(火) 14:57:12 ID:???
ポルポト政権下にも何人かの日本人が生活していたらしいけど、彼らも毎日農業をやらされていたんだろうか?

151: 名無し三等兵 2007/09/26(水) 17:08:45 ID:???
>>144
前にどっかのサイトで見た感じでは、現地人と結婚していた5人(だったかな?)の日本人女性がポル・ポト派に捕まり、過酷な強制労働や虐殺をされて3人が死亡したと思いました

詳しい数は不明だけれども、被害にあった日本人は確実に存在してるっぽいです

153: 名無し三等兵 2007/09/27(木) 20:05:39 ID:???
クメール・ルージュ支配下のカンボジアに残留した日本人は7名。
そのうち5名は死亡または行方不明。内藤泰子(歌手の内藤やす子とは無関係の別人。夫と2人の子は死亡)と、細川美智子(夫は死亡。2人の子とともに日本へ)の2名は生き残り、1979年にベトナム経由で帰国。


145: 名無し三等兵 2007/09/25(火) 20:25:07 ID:???
ポル・ポトの考えは、400年前のやり方ですべての者が畑に出て働く農業制度を作ること。
クメール・ルージュはこの制度を実施しながら、職業、家族、財産に関する国勢調査を行い、社会を再編しようと試み、暦までゼロ年となってしまった。
教育を受けた人は敵とみなされ、情け容赦なく拷問を受け、カンボジアにいくつもある「キリング・フィールド」(殺戮の野原の意)で処刑された。

148: 名無し三等兵 2007/09/25(火) 20:54:25 ID:WWYNRa/p
ポルポトを初めとするカンボジアの左翼勢力は、すべて都市部つまりプノンペンで生まれた。このプノンペンという都市は、人口の半分は華僑かその混血であり他にベトナム人やフランス人とその混血、インド人、中東系などを含めると6割が外国人系の住民といういわば世界市民コスモポリタニズムの世界観を持つ場所。完全にカンボジア全体の人の90%占めるクメール人農民の世界観とは異なる人間が住んでいるのがプノンペンだった。

当然浮世場ばれした思想が流行り易いし農村部と断絶した思想になりガチ。シアヌーク時代にポルポトを支持したのは中共系の華僑と少数民族だけというのもうなずけるし実は意外とプノンペン市内ではシアヌークの支持率は高くなかった。彼の支持基盤は農村部だった。
そのためシアヌークは都市部の不人気はあまり気にしていないところもあった。そこにアメリカとロンノル将軍に付け込まれたともいえる。

156: 名無し三等兵 2007/09/29(土) 08:38:29 ID:???
昭和54年の新聞の圧縮版見たけどあまり虐殺について触れられてないな
ベトナムが一方的に進行した論調になってた

157: 名無し三等兵 2007/09/29(土) 09:14:57 ID:???
ポルポト政権時代のカンボジアは、今の北朝鮮以上に閉鎖的で、他国と交流のない国だったので、
国内で大虐殺が行われていることも知られていなかった。
日本でも、朝日に限らずどのマスコミも大虐殺は知らなかったので、ベトナムの侵略を批判する論調が一般的だった。
「ベトナムのガセ情報乙、そんな国が破綻するような自滅的な虐殺なんてする分けないだろ常考」みたいな感じ

158: 名無し三等兵 2007/09/29(土) 14:02:57 ID:???
早い時期から虐殺説を説いていた本多勝一が異端扱いされたんだっけ

159: 名無し三等兵 2007/09/30(日) 09:11:32 ID:???
本田勝一は当初虐殺に懐疑的で途中から変更してるでしょ。
最初に報道した記者を批判してるし。

160: 名無し三等兵 2007/09/30(日) 18:28:00 ID:???
>>159
> 最初に報道した記者

これがキリングフィールドの主人公シドニー・シャンバーグ
ポルポト政権誕生直後の1975年から虐殺を肯定してたのは彼くらい

その後カンボジア国外から逃れた難民達の話からぽつぽつ大虐殺の話が出てきたのが政権崩壊前の1978~9年あたり
本多勝一が虐殺肯定になったのもこのころ
でもこの頃でも、「虐殺話はベトナムのプロパガンダ」との意見の人が多かった

171: 名無し三等兵 2007/10/03(水) 00:49:12 ID:???
>>160
まあ、プロパガンダとしか思えないくらいありえねぇ話だしな

163: 名無し三等兵 2007/09/30(日) 21:15:23 ID:???
国際社会の影響力を強めるために第三世界への武器売買や外交を行っていた当時の北朝鮮と比べると
ポルポト政権の対外交流の無さは以上。
ポルポトは西側諸国は愚か、ソ連やベトナム、後ろ盾の中国すら敵国と考えていたらしい。

174: 名無し三等兵 2007/10/03(水) 03:31:40 ID:???
民衆の支持がただの一度もない独裁者なんて
どこの国でもみんな同じ思考だろ

177: 名無し三等兵 2007/10/03(水) 19:26:08 ID:???
ポル・ポト体制の途方もない残酷さのひとつは、子供たちを支配体制の先兵として使い
多くの子どもたちを殺戮や虐待の加害者にしてしまったこと。
子どもたちは親から引き離され、子どもの集団の中で育てられた。
ポル・ポトは子どもや若者たちに革命の先兵を担うように焚きつけ
大人の中の反ポル・ポト分子をみつけ出すスパイの役割を演じさせさえした。

178: 名無し三等兵 2007/10/03(水) 19:44:02 ID:???
子供はいろんな意味で「純粋」だからなあ

183: 名無し三等兵 2007/10/04(木) 05:32:31 ID:???
子供を機関銃で追い立てて地雷原を啓開したイランとどっちが鬼畜だろうか・・・

185: 名無し三等兵 2007/10/04(木) 14:03:24 ID:???
子供を地雷よけにしたのはカンボジアもナムも同じ
密林少年の話はリアルすぎてよかった

引用元: ・クメール・ルージュの支配

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