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1: 名無し三等兵 2007/11/18(日) 17:56:27 ID:???
熊本城の攻略に固執せず北上すれば九州は制圧出来たはず








2: 名無し三等兵 2007/11/18(日) 17:57:55 ID:???
それでも勝利は無いな

8: 名無し三等兵 2007/11/18(日) 19:01:32 ID:???
大体、西郷や薩摩士族の勝利条件ってなによ?

9: 名無し三等兵 2007/11/18(日) 19:22:30 ID:???
>>8
大いに戦って武士らしく死ぬ。

…つまり既に大勝利?

11: 名無し三等兵 2007/11/18(日) 19:45:48 ID:???
明治政府倒して新政府樹立すれば勝ちだろ。
どうやって東京まで攻めるか知らんけど

14: 名無し三等兵 2007/11/19(月) 17:28:48 ID:vWPcghFS
野村忍介が主張してたみたいに熊本城無視して北上してたらどうなってたんだろう?

16: 名無し三等兵 2007/11/20(火) 08:00:36 ID:???
江藤新平も見捨てたわけでしょ他の不平士族と連携する気配もない。九州を渡る手配もしてない。
ホントに明治政府を倒すつもりがあったのか、ということさえ疑わしくなるぐらいアホらしい計画でしかなかったな。

17: 名無し三等兵 2007/11/20(火) 13:13:41 ID:???
西郷は実際やる気なかっただろ。
私学校が暴発して抑え切れなくなったから発ったってだけで

20: 名無し三等兵 2007/11/22(木) 13:57:38 ID:???
奇跡的に明治政府を倒したとして、そのあとどういう国家をつくるわけ?
西郷やその周辺には、近代国家をつくるだけのビジョンや能力をもったやつがいないじゃん
早晩、自壊して最悪の事態になるのがみえみえ
つまり私学校党に勝利など存在しない

22: 名無し三等兵 2007/11/22(木) 15:56:26 ID:???
新政府の近代的な軍隊を試す恰好の餌だったな
ラストサムライは映画だからかっこよかったけど、薩摩士族は戦に乗じて悪いことをしてたかもしれない

28: 名無し三等兵 2007/11/23(金) 04:03:45 ID:CIMjPnuU
37:名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/06 02:18:02 S0xWkMda0
>>34
熊本陥落を鹿児島占領が帳消しにした可能性もある。
また、薩摩と違って他県の士族はほとんど小銃や大砲を所持していない。
政府を支持する士族が多いからこそ、秩禄処分が粛々と行われたという事実もある。
ただ、戦いが長引くと別働旅団を肥大化させ、彼らの待遇が戦後に大きな問題になっただろう。

もし、たらればでいうと、
①1万の兵力で熊本城を落とし、捕虜を兵力に加える。
②これとは別に、貴島清指揮下の日向諸藩の部隊が大分を占拠、中津隊を編入
③立志社有志が決起、船で大阪に上陸
④福岡上陸の政府軍は、①に備えて高瀬に待機、②に備えて一部兵力を広島鎮台とともに小倉に派遣。
⑤大阪鎮台兵の残余および、大阪に集結中の名古屋鎮台兵は③に警戒。
⑥郷士隊は鹿児島を固める
という展開もありえたが、海軍がないのは致命的だろう。
もっとも、鹿児島や延岡と違って、熊本は艦砲が届かない位置にあるが。

29: 名無し三等兵 2007/11/24(土) 09:56:43 ID:???
他の士族の反乱や農民の蜂起を連動できていれば・・・
神風連の乱や萩の乱、秋月の乱で各鎮台がかかりきりになっているところに西郷軍進撃、民衆の蜂起も始まる、と。佐賀の乱と連動できればもっといいけど。

30: 名無し三等兵 2007/11/24(土) 11:34:51 ID:???
そういう工作をやるそぶりすらしていないってことは所詮は薩摩士族の薩摩士族による薩摩士族のための反乱でしかなかったってことさ。
大体、なんのために明治政府を打倒するのかさえよく分からない。

31: 名無し三等兵 2007/11/25(日) 01:35:43 ID:+1HqcZ9h
西郷隆盛の暗殺計画に私学校党が怒ったってのが一番の原因だろ

35: 名無し三等兵 2007/11/30(金) 17:11:00 ID:pLY+GUqK
当時の大砲の砲弾は榴弾だったのですか?

36: 名無し三等兵 2007/12/01(土) 21:35:33 ID:???
やっぱり、榴散弾じゃないだろうな

37: 名無し三等兵 2007/12/01(土) 23:05:35 ID:???
>>35>>36
幕末のフランスから輸入・コピーした四斤野・山砲(薩摩の集成館でもコピー生産)は榴弾という記録があるのでたぶん西南戦役でも榴弾か榴散弾かと。推測ですが西南戦役はほとんどの戦場が陣地争奪戦なので、それに効果的な榴弾を使う場面が多かったと思います。

政府軍の(鹿児島城山)攻城砲隊戦闘報告
http://www.ndl.go.jp/modern/img_t/016/016-001tx.html

42: 名無し三等兵 2007/12/05(水) 04:26:19 ID:7ODSwwcG
警察に鎮圧って一応日本史上最大の内戦かつ日本初の近代戦といわれてる戦争なんだが政府軍の使用した弾薬量は日清、日露、第一次大戦と比べても遜色ない
田原坂の戦いでは一日に30万発以上の弾丸を使用したと言われている。

43: 名無し三等兵 2007/12/05(水) 05:07:24 ID:???
結局は統制がうまくいかない反革命軍は鎮圧されましたとさ

55: 名無し三等兵 2007/12/13(木) 11:26:38 ID:???
連中、東京に行って訴えたかったんだろ。
だったら武装蜂起なんてしないで船を呼んで堂々と行けば良かったのに。

56: 名無し三等兵 2007/12/19(水) 02:10:18 ID:1gud195t
一応そういう案もあったが西郷が危険に晒されるという理由で却下された

61: 名無し三等兵 2007/12/29(土) 14:27:12 ID:a/7nQWWe
今でも植木辺りは当時のままなので戦闘の雰囲気は味わえる

西南戦争の激戦地って狭隘な地形が多いね
それだけ守るのに最適なのだろうが

62: 名無し三等兵 2007/12/29(土) 14:57:28 ID:???
薩摩側が撃った弾と政府側が撃った弾が空中衝突してくっ付いた奴とか薩摩が撃った弾が兵士の身に付けた銃弾の薬莢に突き刺さったのとか観ると当時の銃撃戦の惨烈さが判るな。良く暴発しなかったもんだと感心するよ。

66: 名無し三等兵 2007/12/31(月) 17:11:21 ID:???
>>62
その事実は学研の歴史漫画で読んで知ってたが、小六の時の家族旅行で田原坂の戦い資料館でそれをみてその数に驚いた。

67: 名無し三等兵 2007/12/31(月) 20:16:47 ID:???
かち合い玉って、一般の戦闘でも結構発生してるもんなのかね。
田原坂の銃撃戦は、銃弾の密度的には最高クラスなんじゃないか。

68: 名無し三等兵 2008/01/01(火) 00:37:39 ID:???
ヒストリーチャンネルあたりで検証してくれないかね。どれくらいの密度で撃ち合えばかちあい弾が生じるのか。
田原坂で数万人規模のコスプレサバゲーを……

69: 名無し三等兵 2008/01/01(火) 17:12:36 ID:???
機関銃が無いのに一日何十万発も消費したってんだから前線部隊は撃ちまくったんだろうな。薬莢で埋まった塹壕もあったと言う話も頷ける。

70: 名無し三等兵 2008/01/01(火) 17:44:31 ID:???
どうやってそんなに生産したん?輸入?

71: 名無し三等兵 2008/01/01(火) 18:17:46 ID:???
官軍は出来たばかりの東京と大阪の工廠で作りまくったんだろうけどどうなんだろうね。
専門的な本には載ってんだろうけど。問題は西郷軍の方だよね、自前で武装してただろうし官軍から分捕ったのもあったんだろうけど工場持ってないからいつかは文字通り弾切れになる。
官軍の弾を地元住民に回収させて再利用しようとしたらしいけど、雷管と火薬はどうしてたのか?

72: 名無し三等兵 2008/01/01(火) 21:50:37 ID:???
長岡藩が購入した機関砲は政府軍に捕獲されたのですか?

73: 名無し三等兵 2008/01/01(火) 22:05:42 ID:P1MEcgJR
残念ながら政府軍に捕獲されたという記録はなく恐らく撤退中に長岡藩に廃棄された可能性が高い

75: 名無し三等兵 2008/01/02(水) 00:13:43 ID:???
太平洋戦争中の激戦地では、かち合い玉は田原坂以上に普通に発生したのだろうか?
弾薬消費量では太平洋戦争のほうが、断然上のように思うが、聞いたことがない。

面積あたりで、弾が飛び交う密度は田原坂のほうが上なのかな?

78: 名無し三等兵 2008/01/02(水) 22:44:06 ID:???
>>75 
99式小銃は7.7mm。西南戦争主力のエンフィールドM1853は約15mm。タマのサイズ自体が違うよ。

77: 名無し三等兵 2008/01/02(水) 01:52:59 ID:???
銃弾は現地で生産されていたぜ

製法は簡単、和同開珎と同じ造りだ
個別に切り離されていない「銭木」状態の銃弾が発掘されている。

81: 名無し三等兵 2008/01/04(金) 11:24:33 ID:dSHZ35De
戊辰~西南戦争の小銃の口径は14~15ミリ。反動が大きいので命中率は低そうだけど、被弾したら戦死確実だな。対物狙撃銃なみたいだ。
そう考えると20年ほどあとに採用された30年式小銃の6.5ミリは実にいい着眼点だ。反動が小さいから命中精度が格段に向上するし、体格の小さい日本人にも扱いやすい、携行弾数も増える、敵兵士も戦死ではなくて負傷の確率のほうが高まるから、負傷者搬送に人手をとられるから兵力大幅ダウン。

109: 名無し三等兵 2008/01/17(木) 10:22:03 ID:???
田原坂で官軍が1日で消費した銃弾の最大数は21万発。幅8キロ、奥行き4キロ程度で機関銃の無かった時代であった事考えればすごい数だな。一人で1000発以上撃った兵士もいたらしい。
それにしても西南戦争の頃には田原坂にはすでに電柱まであったんだな。

112: 名無し三等兵 2008/01/17(木) 17:06:37 ID:???
>>109
ラストサムライでは政府軍がガトリング銃使ってたけど、実際に使ってたのかな?

118: 名無し三等兵 2008/01/21(月) 16:57:37 ID:???
>>112
明治7年の台湾征伐(琉球島民が漂着して殺された報復)で、西郷従道がガトリング砲持参で高砂族を殺しまくったそうてつね。
74: 名無し三等兵 2008/01/01(火) 22:19:02 ID:???
残念ながら安全地帯と支援の無いゲリラは戦略的には敗北以外有りませんから


九州が制圧されても外国勢力は債権的に明治政府を切り捨てられません
仮に他国からの承認を得られても、この時点での九州の工業力では何も出来ません
時間をかけて反攻されたら擦り潰されるだけ


奇襲して優位な時点で有利な講話に持ち込むことの出きる対外戦と比較出来ない


薩摩には勝ち目無し
政策への影響は与えられるけど戦略的に勝利は絶対に出来ない

82: 名無し三等兵 2008/01/04(金) 17:27:56 ID:???
西郷にやる気があれば勝てたよ
西郷が積極的に全国の士族に決起を呼びかけてれば土佐の板垣や東北の士族達も味方についただろうし、明治政府内にも西郷の親戚や西郷を慕う者が少なからずいたからそいつら使って政府を内部から切り崩す事も可能だった

83: 名無し三等兵 2008/01/04(金) 17:39:18 ID:T0P69JLK
板垣なんて西郷を尊敬しているわけでもないし

薩摩に散々痛い目に遭っている東北人が薩摩に味方?

84: 名無し三等兵 2008/01/04(金) 18:11:33 ID:???
明治初期の政府高官の多くが薩摩閥なんですが・・・

85: 名無し三等兵 2008/01/04(金) 18:59:27 ID:T0P69JLK
大久保などに代表されるように、薩摩出身者全員が西郷に心酔しているわけではない


所詮新政府についていけないあぶれ者がヤケクソの暴発をしただけ

篠原や桐野が軍事的に才能がなかったのは、西南戦争をみるだけでも明らか
ただの剣客にすぎない

86: 名無し三等兵 2008/01/04(金) 19:21:05 ID:tcwStPLi
いや、初めからその気なら連れて帰った連中そのまま政府に置いといて鹿児島で決起した少し後に東京で決起。山県ほかぬっころして西郷は分取った軍艦で東京入。てのが妥当だろ。

87: 名無し三等兵 2008/01/04(金) 19:28:44 ID:T0P69JLK
そんな計画性など全くないし

彼ら西郷軍には政府にもの申すために東京に行くのであって国家転覆する気など何処まであったか疑問である

彼らは何の政策もないのだから

95: 名無し三等兵 2008/01/05(土) 19:25:49 ID:zKuq1fGv
非常に小人物的な意見だけど、熊本城を焼かないで欲しかった

まぁ、もともと対島津の城なので志を全うしたのかもだけどやっぱり九州人としては哀しい……
残っていれば日本一の名城なハズなのに

96: 名無し三等兵 2008/01/05(土) 22:09:11 ID:???
そう?
見た目は今の天守閣と同じなんだろ。
大したことないじゃん。

97: 名無し三等兵 2008/01/05(土) 22:25:24 ID:???
歴史的価値とかあるだろう。木造と鉄筋コンでは趣も違うだろうしね。
西郷が勝つにはテロで政府要人を暗殺するしかなかったろう。、でも明治要人達も警備はかなりガラ空きなんだよね、当時の情勢とか考えればいつ暗殺とかされてもおかしくないのに。

98: 名無し三等兵 2008/01/05(土) 22:52:33 ID:???
そもそも「当時の政府要人」というのは、テロ合戦のど真ん中を潜り抜けてきたサバイバルの達人でなければなれないからな。
そうでない奴は皆殺された。いまの軟弱な政治家と一緒にするなよ。

100: 名無し三等兵 2008/01/06(日) 00:59:46 ID:???
明治の高官は確かにサバイバルを勝ち抜いてきたが、別に剣の達人でも超人でもないぞ。大久保は馬車1台で出仕するとこ襲われてるし。森有礼は一人でいるとこあっさり刺殺されてる。西郷さんも東京に居た一時期は旗本屋敷に住んで一人でのこのこ歩いて出仕してた時もあった。当時の感覚で言えば明治の顕官と言えば大名と同じで出仕の時も大名行列の様にぞろぞろと部下を連れててもおかしくないのにそういう事した人は誰もいない。やっぱそこには明治人なりのプライドがあったんだろうか。

101: 名無し三等兵 2008/01/06(日) 07:47:26 ID:???
佐川の抜刀隊は強かったのですか?薩軍相手に互角とか?

103: 名無し三等兵 2008/01/07(月) 15:50:04 ID:???
抜刀隊自体数少ない。死傷率も異常に高い、力戦敢闘したと思うけど戦局に大きな影響与えたもんじゃないな。戦略的な面で言えば戦闘ではないが、2月末に官軍の勅使が鹿児島に上陸した方が大きい。

104: ウーゴ ◆eaYqa3SeLE 2008/01/08(火) 17:50:12 ID:???
近代化の影で切り捨てられていた民衆による抵抗という点で、アルゼンチンのフェリペ・バレーラは西郷隆盛や不平士族と目的を同じにしている。
そのようにして切り捨てる側が、フロック・コートに身を包んだ都市のインテリや欧化主義者だったのは日本もラテンアメリカも一緒だが、切り捨てられる側は、日本の場合は侍で、アルゼンチンの場合はガウチョだった
ヨーロッパ以外の近代化の過程はどこも似たようなもんだね


134: 名無し三等兵 2008/02/11(月) 10:13:10 ID:ZmWuUT3f
熊本城さえ落としたらだいぶ状況が違っていたと思う。
あと一週間かで飢餓から降伏したはず。

135: 名無し三等兵 2008/02/11(月) 17:46:35 ID:???
飢餓状態で人肉に手を出したら、それだけで一月は生き延びるよ。

それに、運よく熊本城を落せても、その後にやってくる他の鎮台軍を熊本城で迎え撃てば、今度は西郷軍が飢餓に苛まれてたかも...

136: 名無し三等兵 2008/02/11(月) 17:57:50 ID:ZmWuUT3f
でも、その間に各地で不平分子が蜂起しないかな。

137: 名無し三等兵 2008/02/11(月) 20:47:25 ID:???
萩の不平士族は田原坂での戦闘の帰趨を見て、薩軍有利なら決起する予定だったらしいが、各地でバラバラに決起しても連携が取れず各個撃破されて終わりだろう。

138: 名無し三等兵 2008/02/11(月) 21:52:13 ID:ZmWuUT3f
全国的にほかも期待できなかったのかな。
新聞報道は駆け巡るだろうから。

141: 名無し三等兵 2008/02/12(火) 15:29:41 ID:???
新聞報道でかなり迅速に西南戦争の実相は伝わっていたみたいだが、武器も無いし、禄も取り上げられて資金力もないし、農民や町人にすればまた内戦になって自分達の負担がまた増えるだけだから支持も得られないだろうし。

まあ無理だろうね。

142: 名無し三等兵 2008/02/12(火) 16:08:36 ID:???
熊本の阿蘇で数万規模の農民一揆が同時に起きてたが「西郷軍が勝てば租税なし」という流言が飛び交ってたらしい
西郷軍が農民と組む気がなかったから後に政府に鎮圧されたが

143: 名無し三等兵 2008/02/12(火) 21:18:49 ID:???
農民とは折り合わないからな士族軍団は。
ただ、まだ全国的に士族不満分子は残っていたんじゃないかと。

144: 名無し三等兵 2008/02/12(火) 22:02:54 ID:???
士族不満分子と連携するなら江藤新平と組んでるでしょ。
薩摩が他の士族蜂起を全て見捨てた挙句の最後の蜂起だ。連携すべき相手が残ってない。

146: 名無し三等兵 2008/02/12(火) 23:08:56 ID:???
誰かが言っていたような気がするけれど、熊本城が陥落=鎮台兵の負け→なんだ鎮台兵弱いじゃん。西郷さんにつづいて
いっちょやったるか→日本各地で騒動

にはならないの?

147: 名無し三等兵 2008/02/12(火) 23:54:24 ID:???
“日本各地で騒動”ってのは無理だよ。
士族の手許に銃砲があった長州、佐賀、薩摩でしか大規模な反乱が起きていないのを見ればわかるけど、戊辰戦争で敗北した東北諸藩は、近代装備を武装解除されていて蜂起するにも火縄銃と槍くらいしか蜂起する武器が無い。
既に戦闘の帰趨が銃砲で決せられる時代である事は、日本中の士族が悟っていたから、=自殺行為とは皆理解していた。
(なので廃刀令にも大人しく従った)

それに、薩摩に呼応する勢力がどこにもいない。
薩摩は維新の勝ち組だから、負け組や恭順組にとっては薩摩を討って功名を挙げる心理はあっても、味方しようなんて酔狂はほとんどいなかった。
一部は薩軍に合流してるけど、あれが最大数だったと見て良いんでない?

152: 名無し三等兵 2008/02/13(水) 22:38:14 ID:???
奥羽越列藩同盟のときでもそうだったが、日本の反乱ってどうも戦略性とか合理性とか計画性がみんな不足してる。目的も相手を殲滅するというより何かぶち切れて自分たちの怒りをとりあえず訴えるために蜂起したって感じがするのが多い。
これじゃ、どんなにうまく事が運んでも勝てねーよ。

156: 名無し三等兵 2008/02/14(木) 21:02:33 ID:???
切れて暴発っていうよりは、政略的なものというか
具体的な数字に出来ない精神的なものに価値を置く傾向がある
西南戦争にしたって、薩軍幹部連中は西郷が兵を起こすってだけで
政府軍や士族連中が、雪崩式に薩軍に転んでくるように錯覚していたような節もあるし
戦国中期~大坂の陣までも、事前の政略や調略が勝負の決め手だったしね
こういう特徴は、近代まで歴史的に国内戦で終始してたってのが大きいんじゃないか

157: 名無し三等兵 2008/02/15(金) 19:01:42 ID:+9AwaBwL
熊本城焼失についてはどう考えたらいいんだろう?城兵がびびって失火というのが妥当な気がする。

158: 名無し三等兵 2008/02/15(金) 19:08:38 ID:???
この前、九州の地方紙で発掘調査したら兵糧が焼けた痕跡がないかまたは少ないから
やはり自焼ではないかという記事が出てた

引用元: ・西南戦争薩摩軍勝利の可能性


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