1: 世界@名無史さん 04/11/19 23:09:58
アルファベットの歴史でもポエニ戦争でもミイラの製法でも
何でもいいので語っちゃってください
何でもいいので語っちゃってください
フェニキア
フェニキアは、古代の地中海東岸に位置した歴史的地域名。シリアの一角であり、北は現シリアのタルトゥースのあたりから、南はパレスチナのカルメル山に至る海岸沿いの南北に細長い地域であって、およそ現在のレバノンの領域にあたる。であり、北は現シリアのタルトゥースのあたりから、南はパレスチナのカルメル山に至る海岸沿いの南北に細長い地域であって、およそ現在のレバノンの領域にあたる。
フェニキア人は、エジプトやバビロニアなどの古代国家の狭間にあたる地域に居住していたことから、次第にその影響を受けて文明化し、紀元前15世紀頃から都市国家を形成し始めた。紀元前12世紀頃から盛んな海上交易を行って北アフリカからイベリア半島まで進出、地中海全域を舞台に活躍。また、その交易活動にともなってアルファベットなどの古代オリエントで生まれた優れた文明を地中海世界全域に伝えた。
フェニキア人の建設した主な主要都市には、ティルス(現在のスール)、シドン、ビュブロス、アラドゥスなどがあり、海上交易に活躍し、紀元前15世紀頃から紀元前8世紀頃に繁栄を極めた。さらに、カルタゴなどの海外植民市を建設して地中海沿岸の広い地域に広がった。船材にレバノン杉を主に使用した。
しかし紀元前9世紀から紀元前8世紀に、内陸で勃興してきたアッシリアの攻撃を受けて服属を余儀なくされ、フェニキア地方(現在のレバノン)の諸都市は政治的な独立を失っていった。アッシリアの滅亡後は新バビロニア、次いでアケメネス朝(ペルシア帝国)に服属するが、海上交易では繁栄を続けた。しかし、アケメネス朝を滅ぼしたアレクサンドロス大王によってティルスが征服されると、マケドニア系の勢力に取り込まれてヘレニズム世界の一部となった。
一方、紀元前9世紀に北アフリカに建設された植民都市カルタゴは、フェニキア本土の衰退をよそに繁栄を続けていたが、3度にわたるポエニ戦争の結果、共和政ローマに併合されて滅んだ。
フェニキアは、古代の地中海東岸に位置した歴史的地域名。シリアの一角であり、北は現シリアのタルトゥースのあたりから、南はパレスチナのカルメル山に至る海岸沿いの南北に細長い地域であって、およそ現在のレバノンの領域にあたる。であり、北は現シリアのタルトゥースのあたりから、南はパレスチナのカルメル山に至る海岸沿いの南北に細長い地域であって、およそ現在のレバノンの領域にあたる。
フェニキア人は、エジプトやバビロニアなどの古代国家の狭間にあたる地域に居住していたことから、次第にその影響を受けて文明化し、紀元前15世紀頃から都市国家を形成し始めた。紀元前12世紀頃から盛んな海上交易を行って北アフリカからイベリア半島まで進出、地中海全域を舞台に活躍。また、その交易活動にともなってアルファベットなどの古代オリエントで生まれた優れた文明を地中海世界全域に伝えた。
フェニキア人の建設した主な主要都市には、ティルス(現在のスール)、シドン、ビュブロス、アラドゥスなどがあり、海上交易に活躍し、紀元前15世紀頃から紀元前8世紀頃に繁栄を極めた。さらに、カルタゴなどの海外植民市を建設して地中海沿岸の広い地域に広がった。船材にレバノン杉を主に使用した。
しかし紀元前9世紀から紀元前8世紀に、内陸で勃興してきたアッシリアの攻撃を受けて服属を余儀なくされ、フェニキア地方(現在のレバノン)の諸都市は政治的な独立を失っていった。アッシリアの滅亡後は新バビロニア、次いでアケメネス朝(ペルシア帝国)に服属するが、海上交易では繁栄を続けた。しかし、アケメネス朝を滅ぼしたアレクサンドロス大王によってティルスが征服されると、マケドニア系の勢力に取り込まれてヘレニズム世界の一部となった。
一方、紀元前9世紀に北アフリカに建設された植民都市カルタゴは、フェニキア本土の衰退をよそに繁栄を続けていたが、3度にわたるポエニ戦争の結果、共和政ローマに併合されて滅んだ。
112: 世界@名無史さん 2005/06/21(火) 00:02:31 0
最後のポエニ戦争の頃にはカルタゴ(チュニジア部分)以外の領土は既に全て失っていたのでしょうか。他に落ち延びるような領地はなかったのかな。
115: 世界@名無史さん 2005/07/01(金) 00:32:28 0
>>112
第二次の時点で他の領土はローマに奪われてたんじゃなかったっけ。
第二次の時点で他の領土はローマに奪われてたんじゃなかったっけ。
118: 世界@名無史さん 2005/07/01(金) 09:21:01 0
>>115
第二次開始時点では、シチリアやサルディニアはローマに奪われてたはずだけど、スペインとかはまだカルタゴ領だよ。
第二次開始時点では、シチリアやサルディニアはローマに奪われてたはずだけど、スペインとかはまだカルタゴ領だよ。
116: napoles 2005/07/01(金) 01:09:24 0
フェニキア人とカルタゴ人、オリジンは同じなんですか?
118: 世界@名無史さん 2005/07/01(金) 09:21:01 0
>>116
伝承では、フェニキアの都市テュロスからの植民でカルタゴは出来たみたい。
伝承では、フェニキアの都市テュロスからの植民でカルタゴは出来たみたい。
119: 世界@名無史さん 2005/07/25(月) 13:28:20 0
カルタゴの語源はなに?
120: 世界@名無史さん 2005/07/25(月) 15:37:27 0
カルト・ハダシュト(新市)でつ。
121: 世界@名無史さん 2005/07/26(火) 08:23:07 0
フェニキア人といっても、本国のパレスティナ沿岸からカルタゴは除いて、カルタゴ・ノバ(今のスペインのカルタヘナ)などに殖民した人々は結局の所、ローマ帝国に吸収され、土着の民族などと一緒にアイデンティティを消失させていったのではなかろうか?
ローマの寛容な政策?により、ローマ人より有力なイタリア半島のアカイア人やギリシア殖民都市はみんなローマ化してそのアイデンティティを喪失させていったし、(その代わりローマ人と対等なローマ市民権やその他の権利を彼等は取得した)地中海沿岸にあるフェニキア諸植民地も根拠地であったカルタゴはともかく、他の諸都市はみんなローマに飲み込まれてしまった。
ローマの偉大な点は正にそのローマ化にあり、異民族に対して排他的な態度を取らなかったことが最大の勝利要因だったと思う。
しかしそのローマも、文明的な地中海諸都市ならいざ知らず、蛮族(ガリア(ケルト)、ゲルマン諸族)には、通用しなかったのは興味ぶかい。
ローマの寛容な政策?により、ローマ人より有力なイタリア半島のアカイア人やギリシア殖民都市はみんなローマ化してそのアイデンティティを喪失させていったし、(その代わりローマ人と対等なローマ市民権やその他の権利を彼等は取得した)地中海沿岸にあるフェニキア諸植民地も根拠地であったカルタゴはともかく、他の諸都市はみんなローマに飲み込まれてしまった。
ローマの偉大な点は正にそのローマ化にあり、異民族に対して排他的な態度を取らなかったことが最大の勝利要因だったと思う。
しかしそのローマも、文明的な地中海諸都市ならいざ知らず、蛮族(ガリア(ケルト)、ゲルマン諸族)には、通用しなかったのは興味ぶかい。
122: 世界@名無史さん 2005/07/26(火) 08:33:57 0
北シリアやキプロス辺りにも植民市は数多くあったけど
こっちはローマ化以前に東方遠征であぼーん
こっちはローマ化以前に東方遠征であぼーん
125: 世界@名無史さん 2005/09/02(金) 21:49:27 0
武将以外で名が知られたフェニキア人っていたっけ?
学者や商人では思い浮かばない・・・
学者や商人では思い浮かばない・・・
128: 世界@名無史さん 2005/09/07(水) 21:45:25 0
>>125
名が知られた、というのがどの程度を指すのか知らんが王族なんかは結構名前残ってる
墓碑銘とかには精錬工や冶金業者の名前なんかもある
名が知られた、というのがどの程度を指すのか知らんが王族なんかは結構名前残ってる
墓碑銘とかには精錬工や冶金業者の名前なんかもある
130: 世界@名無史さん 2005/09/23(金) 21:33:33 0
>>128
母音が分からんから正確な名前は分からんけどねw
母音が分からんから正確な名前は分からんけどねw
131: 世界@名無史さん 2005/10/03(月) 19:39:01 0
>>130
古典期の末期にはフェニキア語とギリシア語、ラテン語が併記されてる
碑文も多数あるからクロスチェックすることで多少は分かるよ
まあ古典ギリシア語自体発音が正確かどうかなんて分からんし
それ言い出したらきりないけど
古典期の末期にはフェニキア語とギリシア語、ラテン語が併記されてる
碑文も多数あるからクロスチェックすることで多少は分かるよ
まあ古典ギリシア語自体発音が正確かどうかなんて分からんし
それ言い出したらきりないけど
174: 世界@名無史さん 2006/02/21(火) 17:15:50 0
>>125
カルタゴ人だけど農学書で有名なマゴという人がいる。
あと航海術書とかも誰か書いてたかな。
敗北後も残った貴重な文献だったはず。
その後やっぱり散逸したらしいが……
カルタゴ人だけど農学書で有名なマゴという人がいる。
あと航海術書とかも誰か書いてたかな。
敗北後も残った貴重な文献だったはず。
その後やっぱり散逸したらしいが……
126: 世界@名無史さん 2005/09/03(土) 01:55:36 O
コイツら新大陸いってたってほんと?
127: 【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守 2005/09/03(土) 02:02:39 O
>126 ありそうもないですね。 カナリア諸島や西アフリカ沿岸には行っていたようですが、仮にアメリカ大陸に到達したとしても、難波して流されただけで、おそらくインディアン(アメリンディアン)に殺されちゃって、おしまいだったでしょう。
142: 世界@名無史さん 2005/11/30(水) 16:37:44 0
スレタイがあれだけど、ジブラルタルの柱の向こうに出た云々の話は、
色々文献に残っているらしい。ここに登場するフェニキア人の基地となった島は
多分カナリア諸島のどれか。
【アトランティスの謎】イリヤッド入矢堂見聞録
ネカウ2世時代のアフリカ周航の話は、ヘロドトスの歴史に詳しく出ており、確かに航海中の太陽の動きとかは正しく伝わっている。
ヘロドトス本人は、フェニキア人の伝える太陽の運行はありえないとか言って、この航海を否定している。
色々文献に残っているらしい。ここに登場するフェニキア人の基地となった島は
多分カナリア諸島のどれか。
【アトランティスの謎】イリヤッド入矢堂見聞録
ttp://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1125790182/138
138 :世界@名無史さん:2005/11/23(水) 21:14:16 0
図書館でアリストテレス全集の索引を使って一通り調べたけど(一部欠番があって全部は調べられなかった)、プラトンを批判した箇所は何カ所もあった。
でも直接アトランティス話を批判した箇所は結局見つからなかった。
そのかわり、『異聞集』84に面白い話が載っていた。(Arist.Mir.836b30)(副島 民雄訳)
【「ヘラクレスの柱」の外の海で、カルタゴ人によって或る無人の島が発見されたが、そ
こにはいろいろの種類の森林や舟が通える河があり、果物の点でも素晴らしく、数日の航海で戻れるくらいのところにある。その豊かさのゆえに、カルタゴ人達はしばしばその島に行き、或る人々のごときはそこに住みついてしまうので、カルタゴの行政長官は、その島に航行せんとする者には死罪を課するとの布告を出し、さらに住民達を皆殺しにして、住民達が噂を広めたり、大衆が結束して島の行政官たちを襲って支配権を握り、カルタゴ人の繁栄を奪うことなどないようにした。】
アトランティスの説明で、よくカルタゴ人は巨大な島であるアンティラ島を発見したとアリストテレスは報告しているとか書かれているけど、上の文章のどこにもアンティラなんていう固有名は登場しないな。
それとも別の箇所に登場するのかな?
ttp://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1125790182/140
140 :世界@名無史さん:2005/11/26(土) 17:15:20 0
ストラボンの『ギリシア・ローマ世界地誌』
(飯尾都人訳)よりStrabo 5.3.11
【カッティテリデス諸島はその数一〇で何れも接近し合い、アルタブリ族の港から見て北の方にあたる外海の島である。そのうちのひとつは無人島だが、残りの島には黒衣を着た人間が住み、かかとまで来る内衣を着て棟のまわりに帯を締め杖を持って歩きまわるところは、悲劇で見る復讐の女神たちに似ている。ほとんどの間を遊牧民のように家畜を飼って暮らしている。また、錫(カッティテロン)と鉛の鉱床を持ち、交易商人との間でこれらの鉱物や毛皮を陶器や塩、銅細工の品と交換する。
以前にはフェニキア人だけがガデイラを発ってこの交易に向い、ほかの人びとには誰に
もこの航海のことを隠していた。しかし、ローマ人がひとりの船長の後をつけて自分たち
も交易を知ろうとした。
そこでその船長は敵意を抱くと船をわざと航路から外して浅瀬に入れた。そして、後を
追っている一行の船をもおなじように破滅へと引きこみながら自分は船の破片を頼ってぶじに助かり、自分が破棄した船荷の代価を公庫から償ってもらった。しかし、ローマ人は何度も努力を重ねた末にこの航路を学びとった。
また、ププリウス・クラッススもこれらの住民の島へ渡って鉱物がわずかな深さのところから掘出されること、住民が平穏な人種だということ、を知った。そこで、この海はブレッタニア族の島を本土から隔てている海よりも大きいものの、その気にさえなればすでに豊かな交易を行うことのできる海域であることを、はっきり示した。】
ここに登場するカッティテリデス諸島は、カナリア諸島のこととされる。
ネカウ2世時代のアフリカ周航の話は、ヘロドトスの歴史に詳しく出ており、確かに航海中の太陽の動きとかは正しく伝わっている。
ヘロドトス本人は、フェニキア人の伝える太陽の運行はありえないとか言って、この航海を否定している。
143: 世界@名無史さん 2005/11/30(水) 16:46:36 O
こいつらの碑文史料読むと結構おもしろい
会計目録に猫ちゃんの餌代が入ってたりw
会計目録に猫ちゃんの餌代が入ってたりw
144: 世界@名無史さん 2005/12/01(木) 21:56:45 0
フェニキア人ってブリテン島とかアメリカにも行ってたんですか?
145: 世界@名無史さん 2005/12/01(木) 22:44:30 0
ブリテンはガチ
新大陸はガセ
新大陸はガセ
146: 世界@名無史さん 2005/12/16(金) 01:55:10 0
ブリテン島へは錫鉱石の採取が主な目的だったらしいな。
151: 世界@名無史さん 2005/12/30(金) 12:50:17 0
アルファベットの並び順はフェニキア起源なのでしょうか?
152: 世界@名無史さん 2005/12/30(金) 14:26:51 0
ギリシア世界に伝わる過程で欠落したり逆に追加されたりした文字もあるけど基本的には同じ
従来は経済的な交流が密になったことで文字技術も伝えられるようになったと考えられることが多かったけど、最近ではロードスやイオニアでみられる
最初期のギリシアアルファベットがどれも同一時期に同様の変化(Θが追加される等)をみせること、前8C頃のアルファベット碑文の殆どがホメロスの詩篇の断片を伝える数行の刻印でしかないことなどから、一人の人物、特定の集団がホメロスのような叙事詩を文字記録として残すためにフェニキア世界からアルファベットをもたらしたのでは、と考える研究者も多い
興味あるならBarry B. PowellのHomer and the Origin of the Greek Alphabetとか比較的手に入りやすいから読んでみるといいよ
従来は経済的な交流が密になったことで文字技術も伝えられるようになったと考えられることが多かったけど、最近ではロードスやイオニアでみられる
最初期のギリシアアルファベットがどれも同一時期に同様の変化(Θが追加される等)をみせること、前8C頃のアルファベット碑文の殆どがホメロスの詩篇の断片を伝える数行の刻印でしかないことなどから、一人の人物、特定の集団がホメロスのような叙事詩を文字記録として残すためにフェニキア世界からアルファベットをもたらしたのでは、と考える研究者も多い
興味あるならBarry B. PowellのHomer and the Origin of the Greek Alphabetとか比較的手に入りやすいから読んでみるといいよ
154: 世界@名無史さん 2006/01/07(土) 04:53:14 0
>>152
おいおい、すげーロマンある話だな!
おいおい、すげーロマンある話だな!
153: 世界@名無史さん 2005/12/30(金) 14:31:13 0
このサイトかなり充実してるから一読をオススメ↓
ttp://phoenicia.org
ttp://phoenicia.org
163: 世界@名無史さん 2006/01/20(金) 11:52:34 0
レバノン杉で作った船を操って 地中化を闊歩
おかげで 今はレバノン杉絶滅寸前
環境破壊の先駆者
おかげで 今はレバノン杉絶滅寸前
環境破壊の先駆者
166: 世界@名無史さん 2006/01/20(金) 16:00:17 0
>>163
古典期あたりからはギリシャも似たようなもんだったけどな
ペロポネソスは禿山化しマケドニアや黒海沿岸部が船材の供給地になった
今も低木しか生えない岩山が其処彼処に広がっとる
古典期あたりからはギリシャも似たようなもんだったけどな
ペロポネソスは禿山化しマケドニアや黒海沿岸部が船材の供給地になった
今も低木しか生えない岩山が其処彼処に広がっとる
167: 世界@名無史さん 2006/01/30(月) 06:52:41 0
レバノン杉の貴重さに比較できないだろ
169: 世界@名無史さん 2006/02/11(土) 20:41:36 0
以前に植林して増やす計画とかあったみたいだけどどうなってんだろね
178: 世界@名無史さん 2006/03/19(日) 00:22:08 0
>>169
植えても植えても放牧してある山羊や羊に若木の芽を食われてしまうので
いいかげん諦めかけたところ内戦が起きて、現在でもそのまま放置されてるそうだw
植えても植えても放牧してある山羊や羊に若木の芽を食われてしまうので
いいかげん諦めかけたところ内戦が起きて、現在でもそのまま放置されてるそうだw
172: 世界@名無史さん 2006/02/19(日) 23:14:36 0
レバノン山中にわずかに残るレバノン杉の森。
ローマ皇帝が「この森伐採厳禁。禁を破りし者に厳罰を」との勅令を刻んだ石碑が今も入口に立っているそうな。
誰の御世の時のなんだろうな。
ローマ皇帝が「この森伐採厳禁。禁を破りし者に厳罰を」との勅令を刻んだ石碑が今も入口に立っているそうな。
誰の御世の時のなんだろうな。
174: 世界@名無史さん 2006/02/21(火) 17:15:50 0
>>172
たしかハドリアヌス帝だったと思う。
たしかハドリアヌス帝だったと思う。
173: 世界@名無史さん 2006/02/20(月) 23:09:17 0
つーか、古代にレッドデータブックがあれば、確実にレバノン杉は記載されてたわけで。
それから2000年以上経っているのに、未だに残っているのは奇跡的だろう。
それから2000年以上経っているのに、未だに残っているのは奇跡的だろう。
175: 世界@名無史さん 2006/03/02(木) 22:51:29 0
前6世紀ごろだったか、タルシシ船団を大西洋に派遣したりサハラの南へ探検隊を送り出したりと、この時期は探検的なことをフェニキア人がたびたび行なっているのだが、交易相手と新ルートの開拓が目的だったんだろうか?
ハンノのアフリカ周航は次の世紀だたかな。
ハンノのアフリカ周航は次の世紀だたかな。
航海者ハンノ
航海者ハンノは、紀元前450年頃のカルタゴ出身の人物。地中海を越えてアフリカ大陸西岸部にまでの大航海を遂行した。この功績により後世では他の「ハンノ」たちと区別して『航海者』と名づけられている。
「ハンノ」という意味はフェニキア語で「慈悲深い」という意味である。
航海者ハンノは、紀元前450年頃のカルタゴ出身の人物。地中海を越えてアフリカ大陸西岸部にまでの大航海を遂行した。この功績により後世では他の「ハンノ」たちと区別して『航海者』と名づけられている。
「ハンノ」という意味はフェニキア語で「慈悲深い」という意味である。
176: 世界@名無史さん 2006/03/03(金) 03:43:51 0
アフリカ周航はネカウ2世の時代(前600頃)に一度、ハンノ(前5C初)の時代に一度か
フェニキア人も開拓好きだな
フェニキア人も開拓好きだな
180: 世界@名無史さん 2006/04/03(月) 19:15:40 0
181: 世界@名無史さん 2006/04/11(火) 18:37:44 0
古代フェニキア人の子孫を名乗る人たちは今でも時々でてくるね。
182: 世界@名無史さん 2006/04/17(月) 00:40:49 0
日産のゴーンも取材で言ってたっけ?
183: 世界@名無史さん 2006/04/17(月) 04:16:53 0
ポエニ戦争後に「俺はフェニキア人だ」
なんていったら殺されたんだろうな
なんていったら殺されたんだろうな
185: 世界@名無史さん 2006/04/17(月) 07:38:26 0
>>183
ポゾーリとかカプリ島にはフェニキア人のStatio(公益目的の駐在所)があったけど戦役の最中もそれ以降も戦役に絡んでの取り壊しも無ければ罰金を課された記録も無い
(土地貸借のために課された税金はあったが戦役とは関係なし)
どうもローマ人はカルタゴ人(ポエニ)とそれ以外のフェニキア人を分けて捉えてた節がある
戦役後は地中海の海上覇権はローマに移ったわけだから当然商売はやりにくくなったろうしフェニキア人であることのメリットは無くなっていったから次第にローマの経済システムの中に同化していった(フェニキア人が自ら民族を名乗る必要はなくなった)のだろうけどフェニキア人だからという理由で殺されたりそのために名乗らなかったりってのは無かったと思うよ
ポゾーリとかカプリ島にはフェニキア人のStatio(公益目的の駐在所)があったけど戦役の最中もそれ以降も戦役に絡んでの取り壊しも無ければ罰金を課された記録も無い
(土地貸借のために課された税金はあったが戦役とは関係なし)
どうもローマ人はカルタゴ人(ポエニ)とそれ以外のフェニキア人を分けて捉えてた節がある
戦役後は地中海の海上覇権はローマに移ったわけだから当然商売はやりにくくなったろうしフェニキア人であることのメリットは無くなっていったから次第にローマの経済システムの中に同化していった(フェニキア人が自ら民族を名乗る必要はなくなった)のだろうけどフェニキア人だからという理由で殺されたりそのために名乗らなかったりってのは無かったと思うよ
187: 世界@名無史さん 2006/04/28(金) 23:44:02 0
フェニキア人の交易範囲というのは具体的には何千キロくらいになるのかね???
188: 世界@名無史さん 2006/04/29(土) 18:10:21 0
>>187
単発でなく継続的に交易を行なっていた地域というと・・・
北:ブリテン島南部
南:?(紅海へは行ってたんだろうか)
西:イベリア半島大西洋岸(カナリア諸島へは探検のみか?)
東:地中海東岸(黒海へは足を伸ばしたんだろうか?)
こんな感じだろうか?
単発でなく継続的に交易を行なっていた地域というと・・・
北:ブリテン島南部
南:?(紅海へは行ってたんだろうか)
西:イベリア半島大西洋岸(カナリア諸島へは探検のみか?)
東:地中海東岸(黒海へは足を伸ばしたんだろうか?)
こんな感じだろうか?
189: 世界@名無史さん 2006/05/03(水) 14:49:18 0
タルシシ=タルテッソス、というのはもう確定なの?
タルシシュ
タルシシュは聖書に登場する地名である。本来の語義は「精錬所」を意味するといわれている。現在のトルコ地中海岸のタルススとする説とスペイン南部のタルテッソスとする二つの説がある。
タルシシュは聖書に登場する地名である。本来の語義は「精錬所」を意味するといわれている。現在のトルコ地中海岸のタルススとする説とスペイン南部のタルテッソスとする二つの説がある。
191: 世界@名無史さん 2006/05/04(木) 22:20:55 0
>>189
確証をもって異論を唱える研究者は今いないと思う
前9世紀ころまでしか遡れないとはいえタルテッソスは暗黒時代以降のイベリアではかなり早くに興っていた大規模都市だったしGuadalquiver下流からはカディスほかフェニキアのエンポリオンとの交流を示す精錬所跡・冶金工芸なんかも見つかってる
まだ都市勃興の最初期や550年の都市放棄については未解明な部分が多いけど文書的にはこれ以上の新解釈望めないし更なる考古学調査を待ちながら状況証拠上「タルシシ=タルテッソス(?)」ってので落ち着いてるはず
M.E.Aubet(ed.)『Tartessos』, Sabadell, 1989が詳しいよ
確証をもって異論を唱える研究者は今いないと思う
前9世紀ころまでしか遡れないとはいえタルテッソスは暗黒時代以降のイベリアではかなり早くに興っていた大規模都市だったしGuadalquiver下流からはカディスほかフェニキアのエンポリオンとの交流を示す精錬所跡・冶金工芸なんかも見つかってる
まだ都市勃興の最初期や550年の都市放棄については未解明な部分が多いけど文書的にはこれ以上の新解釈望めないし更なる考古学調査を待ちながら状況証拠上「タルシシ=タルテッソス(?)」ってので落ち着いてるはず
M.E.Aubet(ed.)『Tartessos』, Sabadell, 1989が詳しいよ
190: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/05/04(木) 19:57:52 0
フェニキア人って白人(地中海人種)のことですよね?
191: 世界@名無史さん 2006/05/04(木) 22:20:55 0
>>190
今の北シリアからイスラエルくらいの沿岸部で北西セムの一派が細かく散らばっていた遊牧民(ベドウィンみたいなのか)とかクレタから移住してきたフィリスティみたいなのと混ざりまくってできた集団だから地中海系とかアナトリア系とか明確に区別できるのかは分からないけどコーカソイドの仲間ではある
間違っても黒人ではない
(エチオピアあたりの美術様式は結構吸収してたみたいだから文化的混交はあったけど)
今の北シリアからイスラエルくらいの沿岸部で北西セムの一派が細かく散らばっていた遊牧民(ベドウィンみたいなのか)とかクレタから移住してきたフィリスティみたいなのと混ざりまくってできた集団だから地中海系とかアナトリア系とか明確に区別できるのかは分からないけどコーカソイドの仲間ではある
間違っても黒人ではない
(エチオピアあたりの美術様式は結構吸収してたみたいだから文化的混交はあったけど)
204: 世界@名無史さん 2006/05/07(日) 13:53:28 0
ウティカはカルタゴ陥落後も引き続き残ったそうですが、ローマに投降して生きながらえたフェニキア都市って結構あったんでしょうか?
殺されもせず、奴隷にもされずにカルタゴ滅亡前と同じ待遇を受けられたってことかな。
殺されもせず、奴隷にもされずにカルタゴ滅亡前と同じ待遇を受けられたってことかな。
205: 世界@名無史さん 2006/05/09(火) 17:19:39 0
逆に、カルタゴ以外の都市は先に降伏したんで攻撃対象外だったんでしょ。
カルタゴ陥落時に、他の都市には何万人くらいいたんだろう。
カルタゴの攻防の最中、どう思って傍観していたのか知りたいところ。
カルタゴ陥落時に、他の都市には何万人くらいいたんだろう。
カルタゴの攻防の最中、どう思って傍観していたのか知りたいところ。
207: 世界@名無史さん 2006/05/09(火) 19:27:11 0
>>204-205
ポエニ戦争後西地中海の制海権も交易ネットワークもなくなった他のフェニキア都市に数万なんて単位で居住してたのだろうか?
最盛期のギリシャポリスでも10万弱もいればほぼ最大規模だったし戦中戦後のカディスやウティカにはどう見てもそれだけの人口支えるだけの都市プランもネクロポリスもない
他の都市は相次ぐ戦役のなかで次第に地方都市化してカルタゴが孤軍奮闘しているところで一応の交易中継地として作用する以外はほとんど意味を成さなくなっていたんじゃないかな
ポエニ戦争後西地中海の制海権も交易ネットワークもなくなった他のフェニキア都市に数万なんて単位で居住してたのだろうか?
最盛期のギリシャポリスでも10万弱もいればほぼ最大規模だったし戦中戦後のカディスやウティカにはどう見てもそれだけの人口支えるだけの都市プランもネクロポリスもない
他の都市は相次ぐ戦役のなかで次第に地方都市化してカルタゴが孤軍奮闘しているところで一応の交易中継地として作用する以外はほとんど意味を成さなくなっていたんじゃないかな
211: 世界@名無史さん 2006/05/10(水) 02:13:04 0
>>205
カルタゴへの物資輸送を手伝った都市もあったそうだが。
ヌミディアにも一部協力者がいたらしいね。
カルタゴへの物資輸送を手伝った都市もあったそうだが。
ヌミディアにも一部協力者がいたらしいね。
208: 世界@名無史さん 2006/05/09(火) 20:24:43 0
紀元前400年頃の各都市人口
32万人: 下都(燕)
20万人: 洛陽(東周)・臨し(齊)・バビュロン(アケメネス朝)・カルタゴ
15万人: ローマ
13万人: 商丘(宋)
12万人: シュラクサイ
10万人: 邯鄲(趙)・呉(越)・曲阜(魯)・安邑・大梁(魏)・新鄭(鄭)・雍城(秦)・宜陽(韓)・
ヴァイシャリ・パータリプトラ(マガダ)・メンフィス(エジプト第28王朝)・
エクバタナ・マラカンダ(アケメンス朝)・アテナイ
紀元前300年頃の各都市人口
50万人: カルタゴ
40万人: パータリプトラ(マウリヤ朝)
35万人: 臨し(齊)
32万人: 下都(燕)
30万人: アレクサンドリア(プトレマイオス朝)
25万人: 洛陽(東周)・ローマ
20万人: 大梁(魏)・宜陽(韓)・ヴァイシャリ(マウリヤ朝)・シュラクサイ
18万人: 曲阜(魯)
12万人: 新鄭(韓)
10万人: 呉(楚)・安邑(魏)・商丘(宋)・咸陽(秦)・タクシャシラ(マウリヤ朝)・
バビュロン・マラカンダ・セレウケイア(セレウコス朝)
メンフィス・イェルサレム(プトレマイオス朝)・カプア
32万人: 下都(燕)
20万人: 洛陽(東周)・臨し(齊)・バビュロン(アケメネス朝)・カルタゴ
15万人: ローマ
13万人: 商丘(宋)
12万人: シュラクサイ
10万人: 邯鄲(趙)・呉(越)・曲阜(魯)・安邑・大梁(魏)・新鄭(鄭)・雍城(秦)・宜陽(韓)・
ヴァイシャリ・パータリプトラ(マガダ)・メンフィス(エジプト第28王朝)・
エクバタナ・マラカンダ(アケメンス朝)・アテナイ
紀元前300年頃の各都市人口
50万人: カルタゴ
40万人: パータリプトラ(マウリヤ朝)
35万人: 臨し(齊)
32万人: 下都(燕)
30万人: アレクサンドリア(プトレマイオス朝)
25万人: 洛陽(東周)・ローマ
20万人: 大梁(魏)・宜陽(韓)・ヴァイシャリ(マウリヤ朝)・シュラクサイ
18万人: 曲阜(魯)
12万人: 新鄭(韓)
10万人: 呉(楚)・安邑(魏)・商丘(宋)・咸陽(秦)・タクシャシラ(マウリヤ朝)・
バビュロン・マラカンダ・セレウケイア(セレウコス朝)
メンフィス・イェルサレム(プトレマイオス朝)・カプア
209: 世界@名無史さん 2006/05/09(火) 20:25:43 0
紀元前200年頃の各都市人口
60万人 アレクサンドリア (プトレマイオス朝)
35万人 パータリプトラ (マウリヤ朝)
21万人 ローマ
20万人 洛陽(漢)・ペルガモン(アッタロス朝)・セレウケイア(セレウコス朝)・カルタゴ
15万人 タクシャシラ(マウリヤ朝)
10万人 臨し・咸陽・長安(漢)・ヴァイシャリ(マウリヤ朝)
イェルサレム・エフェソス(プトレマイオス朝)・アンティオケイア (セレウコス朝)
紀元前100年頃の各都市人口
100万人 アレクサンドリア(プトレマイオス朝)
40万人 長安(漢)・ローマ(ローマ)
30万人 セレウケイア(アルサケス朝)
20万人 洛陽(漢)・パータリプトラ(シュンガ朝)
15万人 タクシャシラ(バクトリア)
12.5万人 アンティオケイア(セレウコス朝)
10万人 臨し・魯・茂陵(漢)・ヴァイシャリ(シュンガ朝)・アヌラダプラ(スリランカ)・
エフェソス・ベルガモン・アパメア(ローマ)・イェルサレム(ハスモン朝)・キビュラ
60万人 アレクサンドリア (プトレマイオス朝)
35万人 パータリプトラ (マウリヤ朝)
21万人 ローマ
20万人 洛陽(漢)・ペルガモン(アッタロス朝)・セレウケイア(セレウコス朝)・カルタゴ
15万人 タクシャシラ(マウリヤ朝)
10万人 臨し・咸陽・長安(漢)・ヴァイシャリ(マウリヤ朝)
イェルサレム・エフェソス(プトレマイオス朝)・アンティオケイア (セレウコス朝)
紀元前100年頃の各都市人口
100万人 アレクサンドリア(プトレマイオス朝)
40万人 長安(漢)・ローマ(ローマ)
30万人 セレウケイア(アルサケス朝)
20万人 洛陽(漢)・パータリプトラ(シュンガ朝)
15万人 タクシャシラ(バクトリア)
12.5万人 アンティオケイア(セレウコス朝)
10万人 臨し・魯・茂陵(漢)・ヴァイシャリ(シュンガ朝)・アヌラダプラ(スリランカ)・
エフェソス・ベルガモン・アパメア(ローマ)・イェルサレム(ハスモン朝)・キビュラ
215: 世界@名無史さん 2006/05/21(日) 17:22:14 0
前近代の人口なんて、どうやったら判るの?
216: 世界@名無史さん 2006/05/21(日) 18:21:54 0
・住居址
・ネクロポリス
・その他の生活遺物
・近現代地方村落の数量モデル化
よく利用されるのはこのあたりじゃね
・ネクロポリス
・その他の生活遺物
・近現代地方村落の数量モデル化
よく利用されるのはこのあたりじゃね
217: 世界@名無史さん 2006/05/21(日) 21:40:41 0
・住居跡
部屋に何人住んでいるかとかは、どうやって判るの?
日本人の住居なら、高度成長期まで、1部屋に複数人数住んでいたし、夜具は家族の
数よりも2つや3つ多く持っているのは普通だった。
が、そこから30年後の今は、1部屋に1人、夜具は1戸の人数と同数が普通だ。
・ネクロポリス
墓と同義とみていいか?
同時性がどうやったら判別できるの?
出身地で埋葬する習慣は日本の近代以降特有のもので、死亡地で埋葬するのが
世界的には通常。戦争を頻繁にやっている政治圏では、墓からそのコミュニティーの
死者の数、ひいては人口は推定するのが難しいのではないか?
・その他の生活遺物 ・近現代地方村落の数量モデル化
日本では、人数に拘らず食器は5個ずつ買う習慣がある。住居のところで述べたように、
布団の数はこの30年で大きく変動した。
衣類は、生活習慣や美意識で保有数・消費数が大きく変動する。
日本だけでも大きく変わるのに、数千年前の滅んだ文化圏の遺跡から出てきた品物から
人数が類推できるか疑問。
部屋に何人住んでいるかとかは、どうやって判るの?
日本人の住居なら、高度成長期まで、1部屋に複数人数住んでいたし、夜具は家族の
数よりも2つや3つ多く持っているのは普通だった。
が、そこから30年後の今は、1部屋に1人、夜具は1戸の人数と同数が普通だ。
・ネクロポリス
墓と同義とみていいか?
同時性がどうやったら判別できるの?
出身地で埋葬する習慣は日本の近代以降特有のもので、死亡地で埋葬するのが
世界的には通常。戦争を頻繁にやっている政治圏では、墓からそのコミュニティーの
死者の数、ひいては人口は推定するのが難しいのではないか?
・その他の生活遺物 ・近現代地方村落の数量モデル化
日本では、人数に拘らず食器は5個ずつ買う習慣がある。住居のところで述べたように、
布団の数はこの30年で大きく変動した。
衣類は、生活習慣や美意識で保有数・消費数が大きく変動する。
日本だけでも大きく変わるのに、数千年前の滅んだ文化圏の遺跡から出てきた品物から
人数が類推できるか疑問。
218: 世界@名無史さん 2006/05/21(日) 22:47:09 0
グレコローマン社会は通常核家族といわれる
(一部屋に複数人ではなく一家に親子+奴隷の計数人がいいとこ)
こうした家族形態は古典史料や碑文(墓碑)からはっきりしている
墓地に関しても同様で市民と奴隷、少数のメトイコイが一定期間に埋葬された場所がある
(アテネならケラメイコスとかを見ればわかるが古典期の墓碑というのは
30~50年単位でどの時期のものか判別可能)
ちなみに戦場で死亡した場合その場で火葬にしてその場に埋めるか別途塚を作るのが普通で
都市近郊の墓地に改めて埋葬するということは稀
埋葬数=総人口とストレートに推定するのは論理的に無理があるが
ギリシャローマの地方農村社会の場合古代も中世も近現代もほぼ居住分布と人口密度に
変わりはなかったろうとの推測から数量モデルを作って住居址・墓碑・墓地の推定数を補完する形で
算出したのが>>208-209だろう
まあ考古史料や碑文史料の数量化は古代史研究では珍しいアプローチではないよね
中国やインドのケースはよく知らね
(一部屋に複数人ではなく一家に親子+奴隷の計数人がいいとこ)
こうした家族形態は古典史料や碑文(墓碑)からはっきりしている
墓地に関しても同様で市民と奴隷、少数のメトイコイが一定期間に埋葬された場所がある
(アテネならケラメイコスとかを見ればわかるが古典期の墓碑というのは
30~50年単位でどの時期のものか判別可能)
ちなみに戦場で死亡した場合その場で火葬にしてその場に埋めるか別途塚を作るのが普通で
都市近郊の墓地に改めて埋葬するということは稀
埋葬数=総人口とストレートに推定するのは論理的に無理があるが
ギリシャローマの地方農村社会の場合古代も中世も近現代もほぼ居住分布と人口密度に
変わりはなかったろうとの推測から数量モデルを作って住居址・墓碑・墓地の推定数を補完する形で
算出したのが>>208-209だろう
まあ考古史料や碑文史料の数量化は古代史研究では珍しいアプローチではないよね
中国やインドのケースはよく知らね
219: 世界@名無史さん 2006/05/22(月) 01:44:17 0
ギリシャなんかは土地は基本的に均等配分だから
都市内の家屋のサイズも様式もほとんど同じだしね
郊外出て農場主みたいのになると酒宴場が着いたりまた大きくなってたみたいだが
住居跡の総数さえ分かれば住人数はほぼ割り出せそう
都市内の家屋のサイズも様式もほとんど同じだしね
郊外出て農場主みたいのになると酒宴場が着いたりまた大きくなってたみたいだが
住居跡の総数さえ分かれば住人数はほぼ割り出せそう
220: 世界@名無史さん 2006/05/22(月) 03:10:49 0
一応カルタゴの人口は、ストラボンの『地誌』(18.3.15)によると、紀元前264年より前は70万人(実際よりも誇張があると考えられる)。
ディオドロスの『歴史叢書』(20.10)、および『地誌』(17.88.3, 17.52.6)によると、紀元前310年には戦士が4万人、紀元前146年には3万人いた。兵舎には常時2万4千人がいた。200艘の五橈漕には300人の漕ぎ手と120人の戦士が乗っていたとして、海軍には約6万人の男子が所属と推定。
この辺までが文献値の限界。
遺跡からだと、滅亡時のカルタゴの城壁は海岸部を含めて37 km、城壁内面積は114 haであり、当時の非常に高い都市人口密度(10万人/km2)で多くても15万人程度。
但し全盛期のカルタゴはこれの数倍広かった。
ローマ時代になると再びカルタゴは町として栄え、城壁の無い320 haの市街地で30~40万人の人口を抱えた。城壁が復活するのは425年。
まあ研究者によって数字は桁すら変わるし。
ディオドロスの『歴史叢書』(20.10)、および『地誌』(17.88.3, 17.52.6)によると、紀元前310年には戦士が4万人、紀元前146年には3万人いた。兵舎には常時2万4千人がいた。200艘の五橈漕には300人の漕ぎ手と120人の戦士が乗っていたとして、海軍には約6万人の男子が所属と推定。
この辺までが文献値の限界。
遺跡からだと、滅亡時のカルタゴの城壁は海岸部を含めて37 km、城壁内面積は114 haであり、当時の非常に高い都市人口密度(10万人/km2)で多くても15万人程度。
但し全盛期のカルタゴはこれの数倍広かった。
ローマ時代になると再びカルタゴは町として栄え、城壁の無い320 haの市街地で30~40万人の人口を抱えた。城壁が復活するのは425年。
まあ研究者によって数字は桁すら変わるし。
222: 220 2006/05/23(火) 01:18:11 0
すまん。
>>220は一部本からの丸写しなんだが、城壁の長さが37 kmもありながら、城内面積が114 haは変だな。多分1140 haの誤植だと思う。
そして、ローマ時代のカルタゴの面積も3,200 haの誤植だろう。
>.220で、不自然に思いつつも10万人/km2などと書いてしまったが、Bairochの推定によると、人口密度に関しては、古代オリエント世界では、1.5万人/km2が相場らしい。
ギリシアローマ世界で、1.0~1.15万人/km2
イスラム世界で2.5万人/km2
近世西欧で、1.75~1.9万人/km2程度。
10万人/km2なんて高い人口密度は下水の完備した現代のマンション街でなければ不可能。
>>220は一部本からの丸写しなんだが、城壁の長さが37 kmもありながら、城内面積が114 haは変だな。多分1140 haの誤植だと思う。
そして、ローマ時代のカルタゴの面積も3,200 haの誤植だろう。
>.220で、不自然に思いつつも10万人/km2などと書いてしまったが、Bairochの推定によると、人口密度に関しては、古代オリエント世界では、1.5万人/km2が相場らしい。
ギリシアローマ世界で、1.0~1.15万人/km2
イスラム世界で2.5万人/km2
近世西欧で、1.75~1.9万人/km2程度。
10万人/km2なんて高い人口密度は下水の完備した現代のマンション街でなければ不可能。
227: 世界@名無史さん 2006/07/02(日) 19:27:26 0
大航海は何度かあっても沿岸航海がほとんどだよね?
全く陸地が見えない海を航海する技術はまだなかったのかな。
全く陸地が見えない海を航海する技術はまだなかったのかな。
228: 世界@名無史さん 2006/07/03(月) 03:44:47 0
岸伝いじゃない航海も無くは無いが一般的じゃない
季節風に乗ればペロポネソス⇔エジプト・リビアが行き来できるってくらいの経験則的なもの
時期とおおよその発着地を限定したいくつかの航路以外は難しいだろうね
季節風に乗ればペロポネソス⇔エジプト・リビアが行き来できるってくらいの経験則的なもの
時期とおおよその発着地を限定したいくつかの航路以外は難しいだろうね
230: 世界@名無史さん 2006/07/08(土) 06:22:18 0
フェニキア人の航海技術は秘密にされた技術が多かったそうだから
不明な点も多いらしいね。
不明な点も多いらしいね。
231: 世界@名無史さん 2006/07/08(土) 11:11:56 0
海運立国だからそうたやすくは教えてくれなかったろうな。
内輪だけの海図なんか作ってたのかもな。
内輪だけの海図なんか作ってたのかもな。
232: 世界@名無史さん 2006/07/08(土) 23:41:18 0
ぶっちゃけ、幼児供犠ってまだ結論出てないの?
233: 世界@名無史さん 2006/07/09(日) 00:55:14 0
>>232
モロクの像の内部に火を焚いて投げ込んだとかいう話ですか?
モロクの像の内部に火を焚いて投げ込んだとかいう話ですか?
234: 世界@名無史さん 2006/07/17(月) 08:39:05 0
ローマやギリシア側の記録があるが、誇張や歪曲が多そうだしなあ・・・
出土物だけじゃなんとも判断つかないのだろうか。
出土物だけじゃなんとも判断つかないのだろうか。
235: 世界@名無史さん 2006/07/17(月) 14:45:58 O
トフェトやモロクに関連した記述(それらの単語)のあるポエニ語碑文も多少あるけど
どれも祭儀の内容は直接には書かれてないからなぁ
でもフェニキア全体で見れば人身供犠するより犠牲獣の奉納やテラコッタ像焼くほうが一般的だし
幼児犠牲が全く無かったとは言えないけど
古代オリエントの宗教観に批判的だったフロベール以降の習慣的祭儀説は
話半分に受け止めるほうがいいかと
どれも祭儀の内容は直接には書かれてないからなぁ
でもフェニキア全体で見れば人身供犠するより犠牲獣の奉納やテラコッタ像焼くほうが一般的だし
幼児犠牲が全く無かったとは言えないけど
古代オリエントの宗教観に批判的だったフロベール以降の習慣的祭儀説は
話半分に受け止めるほうがいいかと
236: 世界@名無史さん 2006/07/22(土) 22:57:12 0
そうなのか・・・
ローマがカルタゴを占領した際に、住民に幼児供犠を禁じたというくだりを読んだことがあったんで。
しかしフェニキアの神々の崇拝自体は引き続き許容されてるんだよね。
はてはローマ人の信者まで現れるし。
ローマがカルタゴを占領した際に、住民に幼児供犠を禁じたというくだりを読んだことがあったんで。
しかしフェニキアの神々の崇拝自体は引き続き許容されてるんだよね。
はてはローマ人の信者まで現れるし。
241: 世界@名無史さん 2006/08/19(土) 00:01:15 0
ttp://www.asyura.com/sora/nihon1/msg/147.html
>カルタゴは第三次ポエニ戦争で滅亡しましたが、「マゴ家」を始めとする国際金融家=国際商人たちは、
>厖大な資産を伴って脱出しています
と書いてありますが初耳。徹底抗戦の末に全滅の印象があるカルタゴ上層部ですが、実際にこんなことがあったんでしょうか?
>カルタゴは第三次ポエニ戦争で滅亡しましたが、「マゴ家」を始めとする国際金融家=国際商人たちは、
>厖大な資産を伴って脱出しています
と書いてありますが初耳。徹底抗戦の末に全滅の印象があるカルタゴ上層部ですが、実際にこんなことがあったんでしょうか?
242: 世界@名無史さん 2006/08/24(木) 15:37:15 0
しかし当時、かくまってくれる地域なんてあったろうか?
ローマの版図外でもないと難しそう。
ローマの版図外でもないと難しそう。
244: 世界@名無史さん 2006/09/10(日) 14:16:03 0
ウティカのような、先にローマへ帰順した他のフェニキア系都市はどう?
270: 世界@名無史さん 2006/10/14(土) 12:22:47 0
個々の有名な都市国家は滅んでも、他の都市国家は、名より実を取って生き延びたようだな
271: 世界@名無史さん 2006/10/14(土) 12:24:54 0
>名より実を取って生き延びた
ローマに降伏・帰順したってことですかね。
ローマに降伏・帰順したってことですかね。
272: 世界@名無史さん 2006/10/14(土) 17:31:24 0
西方都市でポエニ戦争後も残ってたフェニキア都市は取るに足らない規模に成り下がってる
後背地の土着経済同士を港湾通して結びつける仲介業みたいな役割を果たしてたフェニキアの地方都市はカルタゴの交易網が崩壊しローマに制海権を奪われてまで独自に生計立てれるほどのものではないから意地になってポエニ文化を継承するよりはさっさとローマ化したみたい
(にもかかわらずエシュムンやらタニットやらフェニキアの神はローマ文化に根付いたけどw)
東方都市なんかだとアレクサンドロスの遠征以降さっさとディアドコイの諸王国に帰順してちゃっかり将軍職に修まってる連中もいたし転身上手い連中だw
後背地の土着経済同士を港湾通して結びつける仲介業みたいな役割を果たしてたフェニキアの地方都市はカルタゴの交易網が崩壊しローマに制海権を奪われてまで独自に生計立てれるほどのものではないから意地になってポエニ文化を継承するよりはさっさとローマ化したみたい
(にもかかわらずエシュムンやらタニットやらフェニキアの神はローマ文化に根付いたけどw)
東方都市なんかだとアレクサンドロスの遠征以降さっさとディアドコイの諸王国に帰順してちゃっかり将軍職に修まってる連中もいたし転身上手い連中だw
引用元: ・■■■ フェニキア人を語るスッドレ ■■■
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