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1: 世界@名無史さん 04/06/02 20:10
古代ローマあたりからでしょうか。
ムガール皇帝が年金もらうだけの存在に転落とかゲルマンの族長が年金もらって都会生活暮らしにあこがれたとか









8: 世界@名無史さん 04/06/03 00:02
【要語事典】社会保険

高齢、障害、病気、失業など、人生で出合う心配事に備えてあらかじめ保険料を納めておき、いざという時に給付を受ける制度。
「鉄血宰相」と呼ばれたドイツのビスマルク(1815―1898)が、世界で初めて立法化したといわれる。ドイツ統一後、労働争議などの社会主義運動を取り締まる一方で、1883年から89年にかけて、疾病保険、労働災害保険、障害・老齢保険を創設。これを受けて、社会保険が欧州で広まったという。

日本では、1922年に、ドイツにならって最初の社会保険である「健康保険法」が制定された。財源を税で賄う方式に比べて受給者の権利性が強く、サービス利用にあたっても心理的抵抗が少ないとされている。

10: 世界@名無史さん 04/06/03 07:55
スイスの傭兵も、退役後は年金生活者だったな。
まぁ金額も半端じゃなく、新たな傭兵団を組織し送り出す都市やラントの指導的な富裕層だったけど。

12: 世界@名無史さん 04/06/03 16:07
ねえねえ、トンチン年金ってどういうモノなの?

15: 世界@名無史さん 04/06/04 00:39
>トンチン年金

17世紀フランスで考案された終身年金。
考案者ロレンツォ・トンティ(Tonti)の名を取ってこう呼ばれる。
原資一定で、年金は加入者団に対して一括して支払われ、さらにそれを生存中の受領者間で頭割りするシステムなので、受領者の内最後まで生き残った者が最大の利益を得ることなる・・・

・・・ので、誰が最後まで生き残るのか? を巡るモラルハザードも極大化。
結局、推理小説作家たちが、トンチン年金の最大の受益者になったと言われている。

27: ハリネズミ ◆qBLXpo7Q9Y 04/06/28 21:03
鹿島茂氏は『職業別 パリ風俗』で、年金生活者(ランチエ)を取り上げている。
19世紀フランスの年金制度は、日本人には理解しづらく、小説などにも登場するがその訳語もその制度を知らないとしっくりこない。
日本で「年金」と訳される言葉は、renteとpensionとがあり、後者は日本の年金に近いが、前者は、利付きの国債でありほぼ償還されることはないので、償還期限はないに等しい。
このrenteによって得られる利息を生活費とするのがランチエで、国債証書や証券取引という近代の発明によって登場し、倹約を第一とし、楽しみはパリの観察、新聞、勝負事も好きだが自分は参加しないで観察者にとどまるという。
しかし、そのパリの観察は、フラヌール(遊歩者)と比較すると
「見物人は事物の外側しか見ずに、なにひとつ考えることはない。社会は彼の目には人間の集合体としか映らず、建物は石の塊でしかない。ようするに、前章で取り上げた年金生活者のようなただの暇人は、この見物人の部類に属するのである」として、フラヌールは、大都会の徘徊者であるとともに、ある種の哲学者に近いが、ランチエはただの観察者にすぎないそうです。

63: 世界@名無史さん 04/09/01 06:30
アメリカの大統領経験者は辞めても国から年金が支給される。

143: 世界@名無史さん 04/09/17 14:20:37
歴史というとフランス辺りの国からの恩給ね

144: 世界@名無史さん 04/09/19 08:54:16
社会保険方式でない年金なら
古代ギリシア・ローマに遡れるのでは。

221: 世界@名無史さん 04/09/20 18:24:28
68歳のハイドンはオラトリオ「四季」を作曲中です(1799~1801)。また、この年ハイドンの妻マリア・アンナが亡くなっていますが、その日付の署名付きのハイドンの遺書が残されています。そこには、彼がもし再婚するとしたら、その相手は現在不倫中の若い歌手(1779年に出会ったときは19歳で、すでにハイドンと同僚のヴァイオリン奏者と結婚していました)しかないこと、自分の死後彼女に年金を与えること等が書かれていました

当時は、恋愛結婚ではないので、こういう関係もあったということで。

248: 世界@名無史さん 04/09/20 21:32:30
ヴェネチアの画家ティッツィアーノは、1548年神聖ローマ皇帝カール5世から、終身年金500スクードの権利を授与された。
だが、注文の仕事の代金の支払いが遅れると、皇帝に無心の手紙を必ず送った。
「老齢の身で貧しい暮らしを強いられている」と書いたものまである。
実際には、当時の画家の中で最も裕福な1人だった。

301: 世界@名無史さん 04/09/26 18:34:17
Rembrandt H. van Rijn 1606-1669 レンブラント・ファン・レイン
53歳の時に破産宣告をうけ、それまでに制作した79点の版画の原版が競売にかけらた。
その後、これらの原版をもとに18世紀にはパリの版画商バサン親子が刷ったいわゆる「バサン刷り」や20世紀初頭の「ベルナール版」などが刷られる。
世の中に流通する大多数の版画はこうした後世の後刷りである


デューラー
アーヘンで〈マテス〉に2グルデン相当の作品を贈った。多分版画だったのであろう。
この〈マテス〉なる人物が誰であったかは確定し難いが、あるいはマテス・ピュヒラーかも知れない。
このピュヒラーは、(マクシミリアン1世の書記官で)...100グルデンの年金を終身にわたり市税よりデューラーに給付するというニュルンベルク市あての命令を認めたのも彼である。
当時の1グルデンが現在の幾らに相当するか、200グルデンで家が買えたということで、仮に家が2000万円とすると1グルデンが10万円ほどということになる。

オランダでは、終身年金など認めていなかったな(;´д`)ノ
ニュルベルクには、何故あったのかな?
http://www.print-collection.info/kohanga/cafe/cafe.htm


368: 世界@名無史さん 04/10/08 20:15:33
俺も画家デューラーやティツィアーノのように、王侯から、年金せしめたいよゥワァァ-。゚゚(ノ□`。)°゚。-ァァン!!!
世界史と年金というと、そんなネタばっかり!ヽ(`Д´)ノ

でも、詩人ポーの叔母さんは、何処から年金受け取っていたんだろう?(´・ω・`)

369: 世界@名無史さん 04/10/09 00:47:21
>>368
まず、考えられるのは、結婚のときに持参金として年金の権利を持ってきた。
これは、19世紀のフランスの中流以上の家庭では常識だったので、アメリカでもないことはなかろう。
両親や祖父母などの遺産を年金でもらっていた、ということもある。
ブロンテ姉妹の母親が亡くなった後、同居してくれた独身の伯母さんは50ポンドの年金を持っていて、死後は、姉妹に分け与えてくれた。これが、「ジェーン・エア」や「嵐が丘」の自費出版の元手になった。

372: 世界@名無史さん 04/10/09 06:41:00
>>369
フランスの場合は、国庫負担。
大革命前の権利が、証券化したようなものか・・・

370: 世界@名無史さん 04/10/09 06:20:58
>>369
その年金の支払い義務者は、州=国家?保険会社や投資信託といった民間企業?

アメリカの富豪一族なら、遺産を財団化して、理事報酬などの名目で受け取るよね?

371: 世界@名無史さん 04/10/09 06:28:11
>>370
戦前の日本では、資産を預けて、投資信託からの利益配当で、暮らしていけたんだよな?

373: 世界@名無史さん 04/10/09 09:01:17
>>370
銀行や信託会社だったようだ。民間企業であることは確実。

>>371

戦前はね。でも、中産階級は家賃収入などで稼ぐ方が一般的だった。
戦後のインフレ考えると賃貸収入の方が賢明だった。
バブル以前は、預けた場合の金利は5%が常識だったが(近代からずっと)
今は0.03%とかで、これはもう貯金の利息に頼ろうなんて誰も思っていないだろう。

378: 世界@名無史さん 04/10/11 13:49:37
ヴィヨンの詩集読んでたら、こんなのを見つけた。
青春は行ってしまって俺だけ残る(中略)年貢も取らず 年金も受けず 財産とてもない

1456年と明記しているから、いっぱしの人間は領地か年金か財産があったんだろう。
この場合の年金はおそらく封建領主がくれるものと思われる。

381: 世界@名無史さん 04/10/12 08:17:50
>>378
詩人の大半は、権力者に媚びてたわけね?(;^_^A

382: 世界@名無史さん 04/10/12 16:12:11
>>381
詩人の中には媚びるどころか、アレッツィーノみたいに脅すのもいた。
金をくれないと悪く書くぞ、といって。ミケランジェロもゆすられた。
贅沢な暮らしをしていたから、あっちこっちから年金せしめていただろう。
悲惨な死に方をしますように、とみんな願っていたが、宴会の最中に大笑いしてそのはずみで脳卒中で即死したそうだ。

397: 世界@名無史さん 04/10/28 13:07:05
バルザックによると(何度も破産しただけあって金の話はリアル)
田舎の学生がパリの大学に行って、中流の住宅街で下宿生活をして(部屋は屋根裏)一ヶ月100フランの仕送りがあれば暮らしていけたそうだ。年収5万フランあればお大名暮らし。馬車も持てるし召使もワンセットそろう。年収1万フランでどうにか中流生活。女のコックとメイド雇えるくらい。
職人はよほど特殊な仕事でで高度の技術を持っていても、日給18フランどまり。若い女工の日給は大体2フラン。美人は金持ちの御妾さんになるのも無理はない。いいパトロン(貴族も大商人も中小企業の旦那衆も物色していたそうだ)つくと年金1万フランの権利書をくれる。


398: 世界@名無史さん 04/10/28 13:08:35
レ・ミゼラブルでは、母親が娘の養育費で宿屋に一ヵ月の仕送りが7フラン。
綺麗なブロンドの髪の毛を売って10フラン、真珠のような前歯が一本20フラン桶一杯の水が1リアールなんだよね
宿屋の普通部屋、夕食付きで20リアール
上等なドレス一枚100フラン
ジャン・バルジャンが19年の刑から出たときに貰った金が102フラン

399: 世界@名無史さん 04/10/28 19:29:49
女のまともな仕事はせいぜい日給3フランだが、爪に火を燈すような生活をすれば、13くらいから60近くまで働いてなんとか終身年金を積み立てられたらしい。
こちらの出典はゾラ。調査には定評があるから本当だろう。

400: 世界@名無史さん 04/10/28 19:53:02
(´∀`) ナルホド!!
当時の庶民は、衣類は継ぎはぎして新しいものなんか買わなかったし、食い物もたらふくは食わなかったからな。

403: 世界@名無史さん 04/10/29 08:44:41
>>400
庶民は主に古着屋で服を買うもので、新しく仕立てることはまずなかったようだ。
裕福な親戚がいればお下がりをもらって仕立て直す。
朝食はパンと牛乳で2スー、労働者用の定食屋6スーでパンの持込ができたらいしい。
夕食はキャベツや玉葱のスープとパン。
1フラン=20スー 1スーは5サンチームで100サンチーム=1フラン

404: 世界@名無史さん 04/10/29 09:11:02
>>403
寒いパリでよく生きられたよな、そんな食生活で(;^_^A
炭鉱労働や土木作業員なんて、それじゃ死んでしまいそうだ。

406: 世界@名無史さん 04/10/29 09:17:19
>>404
炭鉱労働者は20世紀になって、公的年金で生活保障されるようになったが年金がもらえるようになっても2,3年で死ぬものが多かったそうだ。
これは、サマセット・モームの「作家の手帳」。モームは元医者。

405: 世界@名無史さん 04/10/29 09:11:20
パリでは1日1フランで食事ができたとバルザックが書いている。
3フラン稼いで食費1フラン家賃や衣服や雑費で1フランとすれば1フラン残る。
年間300日働けば1年で300フランの貯金。40年で1万2千フラン。
5%で年間240フラン(終身年金だと元金取り崩すからもっと高くなる)の利子。
確かに独身女性でも可能な金額ではある。

438: 世界@名無史さん 04/12/21 02:28:51
>>399-405
パリを現在の日本に置き換えると

東京では1日1000円食事ができたと私が書いている。
5000円稼いで食費1000円家賃や衣服や雑費で3000円とすれば1000円残る。
年間250日働けば1年で25万円の貯金。40年で1000万円。
2%で年間50万円(終身年金だと元金取り崩すからもっと高くなる)の利子。

18世紀並みの質素な暮らししても、
利率上がるか居住費下がらないと無理だな。

451: 世界@名無史さん 05/02/10 21:16:01 0
>>438
パリ市民でも、老後は物価の安い田舎で暮らす、という考えはあったようです。
ゾラの登場人物はしょっちゅうそんなこと言ってますし。
「モンテ・クリスト伯爵」でも、検事総長(名前忘れたけど、事件もみ消した奴)と銀行家(元の会計係でエドモン・ダンテス密告した奴)の妻が密通して出来た子が、事情を知っているオッサンに「商人の隠居のふれこみで小奇麗な暮らしがしたい」と口止め料払わされてますね。月に100フランと200フランの攻防だったような・・・

410: 世界@名無史さん 04/10/31 00:37:09
マリー・アントワネットがお気に入りにばら撒いていた年金のリストがどこかにあるはずだけど、今見つかりません。
見つかったら書きますね。たしか、ポリニャック夫人は80万リーブルだったという記憶がありますが。

461: 世界@名無史さん 05/02/16 20:12:32 0
フランソワ1世は晩年に生まれた庶子ニコラ(通称ヴィルコナン)の母に懇願されて、一生を保障するため年金の原資として20万エキューを銀行に預けたとのことです。
成人する頃には、利子が利子を生み、銀行の投資の成功もあって、使い放題だったようです。
早死にして子孫を残さなかったので、遺産は没収されました。

501: 世界@名無史さん 2005/06/01(水) 14:03:20 0
バルザックの『ウージェニー・グランデ』読んだので、年金の話を書いておきます。
ドケチの大地主であるグランデ家の女中「のっぽのナノン」の給料が年間60フラン。
その60フランを少しも使わず、30年以上(1789年以前から)貯金して、公証人に預けたのが4000フラン。終身年金600フランになって、これで老後の心配は不要。
跡取り娘のウージェニーが、長年の奉公に感謝してさらに1200フランの年金を追加。
「のっぽのナノン」は1800フランの年金で、「金持ち」とよばれ、グランデ家の地所の番人と結婚して、夫婦で主家の管理をして「ブルジョワ」の仲間入り。
ゾラの『居酒屋』『ナナ』に出てくる「マダム・ルラ」は、独身の造花職人で終身年金600フランだから、19世紀のフランスの労働者だと4000フランためて600フラン貰うのが、老後のたくわえの目安のようです。

502: 世界@名無史さん 2005/06/01(水) 16:31:19 0
同じく、バルザックの『従妹ベット』の主人公も600フランの年金持ち。
終身年金ではなく、公債1万5000フラン(うち、4500万は貯金、1万500フランは援助)
の利息。

505: 世界@名無史さん 2005/06/18(土) 00:41:07 0
王侯貴族から巻き上げる方の年金の話がありました。
ブルクハルトの「イタリア・ルネサンスの文化」の中の記述にあり、出典は書簡や記録です。
悪名高い強請り詩人のアレティーノが王侯貴族や芸術家に「悪口言われたくなければ金を出せ」というやり方で、ナポリ王からは晩年160デゥッカートの年金をもらっていたとのことです。
書記官などの年俸と同じくらいの金額です。あちこちから取り立てていたようだから真面目な書記官の何倍もの収入でしょう。

506: 世界@名無史さん 2005/06/18(土) 01:06:06 0
真面目な大学生がパリに出た時の仕送りは月100フラン、年間1200フランで勉強だけするのなら十分だった用です。
年金600フラン、月50フランは相当につつましい生活だったのでしょう。
マダム・ルラが自宅にナナの息子を預かる約束をして、養育費が月100フランといわれたので、夢中になって喜んでいます。

507: 世界@名無史さん 2005/07/06(水) 20:32:38 0
生活必需品の価格いかんですよね。

フランスパンやミルクは新鮮でないといけない。
衣類は、古着屋で安く購入したのだろうけど。

508: 世界@名無史さん 2005/07/07(木) 22:06:21 0
ヴィクトル・ユーゴーの奥さんが家計簿をずっとつけていて、19世紀の物価の資料になっていると、昔、読んだ記憶がありますが、ユーゴー夫人の家計簿は見た事がありません。バルザックやゾラの作品中に現れる物の値段は大体信用してよいと思います。朝食1回分のパンが1スー、牛乳が2スー合計3スーあれば十分らしい。
『従妹ベット』で、ベットが食い詰めたポーランド貴族のヴェンツェツラスに「パリでは25スーあれば夕飯が食べられます」といいますが、実際に1日の食費は倹約すれば10スーから30スーくらいでまかなえたようです。20スーで1フラン。
実在した学生向き料理屋(大衆食堂ではなく金のないブルジョワ階級の青年が客)「フリコトー」は葡萄酒の小瓶付で18スー、大瓶付で22スーでたっぷりした料理2皿が出て、パンは食べ放題というのが、語り草になっています。常連だったバルザックによると、フリコトーの経営者が金持ちになれなかったのは、パンが食べ放題だったためだそうで。

509: 世界@名無史さん 2005/07/09(土) 13:00:13 0
単純に比較するわけにはいきませんが、牛乳の200mlパックが100円くらい、スランスパンのバゲットが1本150円くらいだから、3分の1食べると50円分。
1スーは5サンチームで低く見積もって1スー200円、1フラン=100サンチームを1000円と仮定すると、600フランの年金は年収60万円、月5万円でなら何とか生活できるでしょう。着る物は繕い繕いして新調しない。

575: 世界@名無史さん 2005/10/12(水) 22:15:58 0
江戸川乱歩の三角館の恐怖は、資産の信託の配当で暮らしている富豪の家族の話。
アメリカの金持ちの子孫は、財団の理事だ。

俺もこういう境遇に産まれたかったよ。

576: 世界@名無史さん 2005/10/15(土) 22:50:39 0
戦前の日本の年金は、軍人と官吏の恩給から出発したそうですね。
次は船員。
一般の給料生活者に年金制度を課したのは、昭和15年。戦費調達が目的。
要は、お上の搾取の口実だった。今と変わらない。

597: 世界@名無史さん 2005/10/22(土) 23:57:06 0
敵国の捕虜になっても軍人恩給はもらえるものなの?

598: 世界@名無史さん 2005/10/23(日) 09:07:40 0
もらえるよ。
戦犯は駄目みたいだけど。

608: 世界@名無史さん 2005/11/05(土) 13:39:22 0
第二次大戦後のアメリカでも、軍人恩給で、ぶらぶらしてる奴は、結構いたそうだ。

743: 世界@名無史さん 2006/09/08(金) 21:59:59 0
古代末期のローマ帝国が、東ゴートの王に支給した年金は、今日で言えばODAか補助金みたいなものだな。

819: 世界@名無史さん 2006/10/14(土) 17:17:03 0
古代ローマの軍閥支配の時代には、退役した兵士に対して、農地を供給していた。
年金は、将校しかもらえなかったようだね。
749: 世界@名無史さん 2006/09/09(土) 22:14:40 0
当時ベートーヴェンに住居を提供していたアンナ・マリー・エルデディ伯爵夫人は、
彼の豊かな才能を生計上の苦労によって妨げないために終身高額な年金の支給を
3人の貴族たち(ルドルフ大公、ロプコヴィッツ侯爵、キンスキー侯爵)が支払う
という契約を結び、彼はウィーンに留まることになったのである。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~ohfreude/ben/208.htm
※リンク切れ

「強権政治への批判から、メッテルニヒから年金をもらえなかった。」
というのは、与太話ですか?

750: 世界@名無史さん 2006/09/12(火) 00:16:28 0
真の芸術家には年金なぞ無用。

759: 世界@名無史さん 2006/09/13(水) 19:13:30 0
>>751
年金に拘り続けた作曲家

ジョアッキーノ・ロッシーニ1792~1868

1825年、フランス国王シャルル10世の即位に際して、記念オペラ・カンタータ《ランスへの旅》を作曲、国王に献呈し、「フランス国王の第一作曲家」の称号と終身年金を得る。

37歳で《ウィリアム・テル》発表後、オペラ界から引退を表明。
以後は『スターバト・マーテル』などの小品のみを作曲し、年金生活に入る。

1830年の7月革命に際しても新政府と交渉し、前国王政府から給付された年金を確保する。
一方で料理の道を志し、フランス料理によくある「○○のロッシーニ風」とは、 彼の名前から取られた料理の名前である。
あまりにも料理が好きだったのか、料理の名前を付けたピアノ曲も作っている。

http://www3.cty-net.ne.jp/~kato543/r/index.htm
※リンク切れ

なかなか世渡り上手

760: 世界@名無史さん 2006/09/14(木) 06:32:44 0
1802年7月24日に同名のトマ=アレクサンドル・デュマ将軍の子として北フランスの
ヴィレール・コトレに生まれる。
ナポレオンがデュマ将軍の死後、遺族に終身年金を下付しなかったため、
幼少期は貧しい生活を余儀なくされ、
まともな学校教育を受けることが出来なかった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/アレクサンドル・デュマ・ペール

ナポレオンもセコイわ

761: 世界@名無史さん 2006/09/14(木) 20:03:41 0
●所得比例型年金の起源(1889年ドイツ)
ドイツのビスマルクが労働者を対象として実施した社会保険制度。年金を受給する以前の生活水準の保証を意図した制度で、拠出も給付も所得に比例して行う。

●均一型年金(1946年イギリス)
1946年にイギリスでベバリッジ報告にもとづいて実施された年金で、搬出も給付も所得とは独立に行い国民的最低限の所得保証が意図された年金。

ベバリッジは、チャーチル内閣時の社会保険および関連サービス各省連絡委員会の委員長で、
もともとは失業問題に取り組み「自由社会」の実現を目指した人物。
報告は、
「ゆりかごから墓場まで」の言葉に象徴される社会保障と福祉国家創設の青写真をしめしたもの
http://www.rui.jp/message/09/81/36_77e1.html


832: 世界@名無史さん 2006/10/26(木) 22:30:04 O
世界初の近代的な国民福祉年金導入は
1891年デンマーク
次いで
1908年イギリス
1913年スウェーデン

社会保険制度ではドイツが他の追随を許さなかったが1889年に制定された老齢年金制度は対象が工業労働者のみであった
デンマーク、イギリス、スウェーデンは対象が全国民であり、ドイツとの違いは税財源によ均一拠出で均一給付
ビスマルクは当初この方法による国民福祉年金制度を考えていたが、議会での反対、税源のための煙草専売化が拒否されたため断念した
自由主義的なイギリスは社会民主主義的なデンマーク、スウェーデンと国民福祉年金制度では同様に税を財源としていた
(但しイギリスは最低限所得保障、国民扶助給付では自由主義的に資力調査を行う)
一方、ドイツは財源が企業・労働者が折半し国が援助する社会保険料であるネオ・コーポラティズム的制度である

834: 世界@名無史さん 2006/11/03(金) 19:14:33 0
>>832
>社会保険制度ではドイツが他の追随を許さなかったが1889年に制定された老齢年金制度は対象が工業労働者のみであった

小作人の方は、地主が面倒みていたのかな

835: 世界@名無史さん 2006/11/04(土) 16:03:55 0
>>834
イギリスでも、囲い込み以前はそうだったよな

899: 世界@名無史さん 2007/01/21(日) 20:54:53 0
フラゴナール
http://ja.wikipedia.org/wiki/ジャン・オノレ・フラゴナール

この人は、晩年ルーブル宮殿の整理係していたけど、終いには年金も打ち切られたんだ。
政情の波を被った結果だが、亡命もせず投獄されなかったんだから、当時としちゃマシな方だったろ。
昔も今も芸術家やアートの人たちの運命なんぞ、大多数の人間にとっちゃ知ったことじゃなかったろうけどね。

引用元: ・年金の歴史

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