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1: しゃるるまーにゅ 03/02/14 09:06
中国は巨大な統一国家が何度も登場しているのに
ヨーロッパは、その半分も面積がないにもかかわらずローマ帝国以後
なぜに統一されず、いくつかの国に分裂したままだったの?
やっぱりゲルマンの王権相続制に問題があったんですか?








191: 世界@名無史さん 03/02/19 13:37
中国だと黄河長江と国土を東西に走る大河があるから統一への志向が強くなるし実際に統一しやすい、と。
ヨーロッパとの比較だとこの部分は大きそうだ。
地形的要因で一番大きく違うところじゃないか。

192: 世界@名無史さん 03/02/19 13:53
>>191
ヨーロッパで、もっとも早く中央集権国家をつくったフランスは、地形的には中国に似てると思うけど、これは偶然?
国土のほとんどが平坦な土地で、ロワール河のような大河が流れてて。

193: 世界@名無史さん 03/02/19 13:55
漢は南北に分裂し、ローマは東西に分裂した。
この分裂の仕方の違いは地形や民族分布や周辺地域との関係などさまざまな要因の差によるだろう。

この分裂の仕方の違いに
両地域の差異が現れてると思う。


210: 世界@名無史さん 03/02/19 21:14
>>193
そういえば、中国が分裂するときはたいてい南北ですね。東西分裂というのは聞いたことがない。
(もっとも汪兆銘VS蒋介石が東西と言えなくもないか)

196: 世界@名無史さん 03/02/19 14:30
ドナウとかラインとか、ヨ-ロッパの国際河川が統一の役に立ってないってのはどう見る?
ルイ十四世の自然国境説とか、むしろ分断の境目。
平和利用するにしても、統一でなくて流域国家で条約結んで共同利用、という方向に行ってたように思う。

197: 世界@名無史さん 03/02/19 14:40
河だけじゃ交通路としては中途半端であまり役に立たない。
むしろ自然国境になってしまうだろ。やっぱり煬帝の運河の存在が大きいのでは?
自然の河だけで不足するぶんを運河で補えば水路は素晴らしい交通路になる。鉄道も自動車も無い時代には大量の貨物を安価に輸送する方法は水運しか無かったから水路が繋がってることは重要だよ。

そういえばヨーロッパでもフランスは運河で河を結んでるね。
やっぱりフランスはヨーロッパの中の中国だな。

198: 世界@名無史さん 03/02/19 15:28
大規模な治水工事の必要性が、富と労働力の集中を求めたのか・・・
説得力を感じるな。
まさに黄河・長江は巨大な"龍"か・・・

208: 世界@名無史さん 03/02/19 18:17
中国の「天帝の命を受けた天子が天下を治める。」という思想が中国の強い統一指向の元になっていると考えているのだが。

213: 186 03/02/20 00:31
>>208
そいつは各皇帝のこじつけではないですかな?
大義名分を後からとってつけただけでしょう。
「俺が戦争で勝って一番になったのは天の定めである」という感じか。
何せ日本も含めた中国文化圏は見栄えとか名目を重んじる傾向にあるので。

212: 世界@名無史さん 03/02/20 00:08
中国は南北にわかれるのに加え、北半分は比較的強力な統一権力が発生しやすいのに対し南半分はいくつもの言語や文化圏にわかれていて細分化しやすいという違いもミソですね。

ヨーロッパと比較するなら南半分のほうが有効でしょう。
南から生まれた統一権力は歴史上明朝しかないのも興味深いです。

213: 186 03/02/20 00:31
>>212
南側が歴史にあまり出てこないのは南側が発達したのが遅かったせいです。
長江と黄河の流域全体が中国の中心と思われたら困る。
そうなるのはかなり後。

>南半分はいくつもの言語や文化圏にわかれていて細分化しやすいという違いもミソですね

北に主だった国があったのはあくまで黄河流域が中国(当時で言うと中原か)であってそもそも南側は中国ではない、ということ。つまり北方異民族の地方と長江流域は同レベルで田舎で異民族がいるところと漢人が理解していたと解釈してくれい。
ちなみに長江流域に漢人が入るようになると、今度は海岸沿いの区域に田舎のイメージがシフトするのでヨロシク。
最終的に現在その地域が一番発展していて面白いのだが。

221: 186 03/02/20 02:33
ちょっとまとめてみよう。
1)ローマ帝国時代≒黄河流域時代(地中海≒黄河)
この時点ではどっちも中心地域を統一している。

2)辺縁ヨーロッパ諸国も含める時代≒長江流域も含める時代
ここが問題か。
まずヨーロッパ。
この範囲で統一した国がヨーロッパにあったか?
無いと思うが東洋史専門なのであるかもしれぬ。スマソ。
そもそも辺縁ヨーロッパ諸国の地位が上がったのって各国がそれぞれ力をつけたから?
だとすると統一にはあまり向かわない気がするな。このへんのつっこみ頼む。

中国側は、南部に開発が行くようになったのが南北朝頃で、南部が北部と同等かそれ以上になったのは南宋時期として、南に漢人、北に異民族。これは漢人が奪回したくなるわな。
で、その後モンゴルの時代はこのテーマに合わないのでおいておくとして、その後は明清・・・・・・
やっぱり統一されてるなぁ。
ま、突き詰めると漢民族と中華思想のせいなんだろうなぁ。
眠くて頭回らなくなってきたのでこの辺でやめとこう。

223: 世界@名無史さん 03/02/20 02:59
>>221
それだとでかすぎない?

1)はいいとして中国は五胡侵入まで、ヨーロッパ民族大移動まで、
あとは
2)中世(シャルマーニュの戴冠~)
3)ルネサンス・宗教改革~三十年戦争を経て革命期まで
4)近代(ナポレオン以降)

でだいぶ違うと思う。
2)は宗教的権威でゆるやかに統一されていて(でも支配機構はかなりばらばら)、
3)の時期に分裂したと考えるべき。
それぞれの時代の頭でローマが意識されるのも面白い。

224: 世界@名無史さん 03/02/20 03:08
それだと>>221の江南開発が南北朝期というのも重なるな。

ヨーロッパが教皇の権威が堕ちて、それぞれの国で(分裂?)支配機構整備してくのも唐末動乱から五代十国頃の状況ににてる。

ヨーロッパで近世起きた事に近いのは中国ではやっぱりこの頃だよね。
個人的にはなぜ宋が統一という選択肢をとったのかが気になる。
どなたか詳しい方情報きぼん。

227: 世界@名無史さん 03/02/20 08:54
>>224
唐滅亡後、五代十国と呼ばれる分裂の時代に、昔ながらの貴族は没落し、貴族制社会は終わっていった。貴族という大土地所有者はいなくなったが、大土地所有そのものがなくなったわけではない。つまり、昔ながらの貴族ではなく、新たに経済的に成長してきた人々が領地を拡大して大土地所有者となっていった。その人々は、急に金持になった成り上がり者で、形勢戸と呼ばれた。それらの新秩序の担い手として宋は中国を統一した。
皇帝が各地の藩鎮の権限を奪い、軍事・財政・行政のすべてを皇帝が握る皇帝独裁体制は宋の時代に確立された。隋や唐は皇帝の権力はまださほど強くなかったと思う。唐では、三省六部という行政制度が取られていた事など行政制度を見ればすぐ推測できる。
つまり皇帝に天子などという権力をすべて天から授けられたなどという思想は宋からはじまったのだと思う。

 
247: 世界@名無史さん 03/03/12 09:19
>>227
権限を皇帝に集中し、文治主義に走ったおかげで周辺国に蹂躙され放題…
天命 天子の考えは「史記」の五帝本紀にみられるんだが?

226: 世界@名無史さん 03/02/20 03:47
時代ごとに理由があるんじゃないの?

229: 世界@名無史さん 03/02/20 13:30
>昔ながらの貴族ではなく、新たに経済的に成長してきた人々が領地を拡大して大土地所有者となっていった。その人々は、急に金持になった成り上がり者で、形勢戸と呼ばれた。

こういうところは西欧におけるブルジョワの台頭を思わせますね。
実質上、ブルジョワに担がれていた七月王政のルイ=フィリップとか。

235: 世界@名無史さん 03/03/03 01:14
ヨーロッパ、という概念は歴史の段階ごとに変化していることに注目している談義が進んでいたんだが、いつの間にか比較が中心となっているので元に戻してみる。

古代ギリシアからアテネ黄金期を経て、ローマに併合されるまで、ギリシア人は自分たちがヨーロッパ人である、という自覚はなかった。しかしながら、その時代、東地中海があの時代の中心であった。個々のポリスをこえて、「ギリシア人」としての自覚に目覚めていたギリシア文明をして、ヨーロッパの起源とすることに間違いはないと思う。

236: 世界@名無史さん 03/03/03 01:16
その後、ギリシアを積極的に模倣したローマが地理的にもギリシアを飲み込んで、「ローマ人」という概念を生み出した。「ローマ人」は市民の起源とも言うべきもので、国民意識とも微妙に違うことに留意。

「ヨーロッパ」の中心は、ギリシア→ローマ と変遷していった。

237: 世界@名無史さん 03/03/03 01:20
その後、ローマは東と西に分裂し、東はローマの伝統を守った。西は小規模ながらもカールの帝国が誕生した。このときのヨーロッパにおいて、世界帝国たろうとしていた国を、「ヨーロッパ」の代表者として差し支えはないと思う。

で、ここで注目すべきが、東ローマ(ビザンツ)の国民(首都偏重だが)は相変わらず自らを「ローマ人」だと考えていたのに対し、カールの国の国民が自らを「ローマ人」とは恐らく考えていなかっただろうし、国民意識が芽生えていないことは明白。
支配者(カール)の、概念上のローマ帝国であったことと考えられる。

238: 世界@名無史さん 03/03/03 01:22
そしてビザンツが滅びると、ローマ(文明)の後継者は死滅する。
ここで、ローマの伝統はイスラムに吸収され、西ヨーロッパがルネサンスに至るまで、ローマの伝統は修道院の内部のみに伝わるに過ぎなかった。ご存知の通り、この時代、誰もヨーロッパ統一をなしとげていない。(概念上のカールの後継者、神聖ローマ帝国があるのみ)
また、イギリスをもヨーロッパに含めるとしても、イギリスが完全にキリスト教化したのは10~11世紀以降であることにも注目。

239: 世界@名無史さん 03/03/03 01:24
ルネサンスに至って、ようやく西欧人が「ヨーロッパ人」としての意識に目覚める。
それまでは「キリスト教徒」としての緩やかな団結はあったにせよ、「ヨーロッパ文明」という概念は生まれていなかったように思える。

つまり、時代によって「ヨーロッパ」の概念は変化しているということ。

240: 世界@名無史さん 03/03/03 01:31
そういう意味では、なぜヨーロッパが統一されなかった、という問いに対し、
1)ローマ帝国はヨーロッパ史上、唯一統一を果たした
2)キリスト教の分裂が東西ローマの完全な分裂を促進し、そのために統一がさまたげられた
(この場合の西ローマは、西ローマの後継者である神聖ローマも含むものとする)
3)東ローマの滅亡後、イスラムの脅威によってヨーロッパそのものの存続が危ぶまれた
4)ルネサンス・大航海時代後は、国民意識の勃興により、統一事業が困難となった
(この区分はルネサンス~ナポレオンを経て、ドイツ第三帝国、大戦後の時代も含まれる)
5)現在、EUという新しい「ヨーロッパ」の概念を作り出そうとしているが、4)の時代と、
それ以前の民族問題を引きずっているため、政治的な統一は非常に困難

と言えると思う。

241: 世界@名無史さん 03/03/03 01:31
と、いうわけで、地理的な問題よりもむしろ、意識や概念の問題のほうが、統一をはばむと考えるわけですが、どうでしょうか?
(長々とすいません)

373: 世界@名無史さん 03/09/20 23:23
>>241の意見に同意。

中国は天子という、象徴と権力が一つに纏まったものを継承する流れがあった事が再統一の助けになったと思う。

一方、ローマ帝国は、皇帝という権力と、教皇という象徴に分裂した点が統一の際の問題点になったと思われる。更に、西と東で、宗教が分裂した事がそれに拍車をかけたのでは?
東ローマによる地中海世界の再統一と維持、または東ローマの早期の崩壊があれば歴史は変わったかも?

そういえば日本も、将軍と天皇の二つですね。
明治以後の大躍進は象徴と権力の統一があったからとか言ってみるテスト。

248: 歴史学専攻 03/03/12 09:34
王朝の広さと関係が深いのが交通の利便性。黄河・揚子江があった中国は、統一され大帝国を築きやすい環境にあった、と思われる。

さらには中華思想。周辺諸国を従えるという思想・文化がどこから来たのか…

わたくしは「交通」と「中華思想」によって中国に大帝国をつくりえたと主張します

249: 世界@名無史さん 03/03/12 11:34
>>248
中華思想と密接に関係しているのがいわゆる「徳」といわれるもの。
尭・舜に代表されるように、有徳の天子が世を治める考え、、、
大帝国を作りえたのは周辺に比肩するような国家が存在しなかった事も大きな理由。

261: 世界@名無史さん 03/03/17 17:09
ヨーロッパが1つの共同体みたいに認識されたのって十字軍くらいからじゃないのかな・・
理念的にだけどまれに隣の城を訪れるくらいだったあの時代で、十字軍に参加しることで多くの外国を見聞できたんだし、イギリス フランス ドイツあたりの事とか・・
あ・・こいつら同じキリスト教やんか、、みたいな

262: 世界@名無史さん 03/03/17 17:14
ヨーロッパの君主って、神聖ローマ皇帝になることが憧れなの?

264: 世界@名無史さん 03/03/17 17:29
>>262
フランス国王フランソワ1世は、神聖ローマ皇帝選挙に立候補したことがあるけど。
ライバルであるカール5世(ハプスブルク家)の足を引っ張るため。

263: 世界@名無史さん 03/03/17 17:25
そもそも「神聖ローマ帝国」とは、かつてのローマ帝国がヨーロッパ全土を支配していた、という認識のもとに、そのローマ帝国を再建し全ヨーロッパの「皇帝」が治めるという「建前」の上に成立している「概念」です。それをローマ教皇が「皇帝位」を授けることによって「帝国」と「皇帝」が存在していることにする、というもので、実態はほとんどありません。

265: 世界@名無史さん 03/03/17 18:21
>>263
じゃあ概念的にはヨーロッパ統一されてたのね

266: 世界@名無史さん 03/03/18 03:53
ウェストファリア条約でフランスとスウェーデンが帝国議会の議席を得たが、これは一種のステータスらしい。

269: 世界@名無史さん 03/04/03 03:41
ヨーロッパで日本の豊臣秀吉や中国の劉邦・朱元璋みたいに農民出身で天下とるとか歴史上ないし、東洋より西洋のが既存の社会的背景が複雑で強固なものがあったのかも
それか思想概念が違うのかも
東洋より西洋のが統一が難しい社会そして文明だったのだろうが

270: 世界@名無史さん 03/04/03 04:43
ビザンツとロシアの冬がヨーロッパを異文明から守ってくれたから、ゴチャゴチャ内輪もめしていられたんだよ。外部に強大な敵がいないと内部はまとまらない。

274: 世界@名無史さん 03/04/05 01:23
>>270
イスラムはマルセイユあたりまで来ましたが

275: 世界@名無史さん 03/04/06 13:37
オスマントルコもきたべ<ヨーロッパ

278: 世界@名無史さん 03/04/06 16:38
モンゴルとかイスラム帝国とかオスマンとかが攻めてきても、国境沿いの国が一人で頑張って食い止めるだけで、他国が加勢してやることはあまりなかったね。
しかも何度もそれで撃退して済んでしまっているから結局対外危機意識も沸かなかった。

280: 278 03/04/06 21:14
×国境沿いの国→○欧州圏の辺境の国

バルカン半島はオスマンに取られてるけど正教はカトリックにとっては異端扱いだからまあグレーゾーンが黒になった、くらいの感覚だろう。

276: 世界@名無史さん 03/04/06 13:51
んー実際に自分が中世ヨーロッパの国王もしくは皇帝になったと仮定して統一できる可能性があるのか考えると無理だと思ってしまう、何故なら軍隊も人数が圧倒的に少ない・・兵糧も満足にない・・
他国に侵攻しるには圧倒的軍事力による裏付けがないとできる賭けじゃないし・・城はあちこちに建ちすぎてるわ、攻略は攻城器がいるし、めんどくさい事だらけ
とにかく城がうざいと思っちゃうね

281: 世界@名無史さん 03/04/07 01:28
ローマ帝国と秦・漢帝国の成立の仕方を比較しても、まるで違う。
ローマは建国から700年近くもかかって西洋の統一をしたが、秦・漢はそれに比べると一瞬に等しい統一過程だ。さらにローマは王政・共和制・帝政と統治形態も複雑に入り組んでいるし市民権や元老院まであり日本や中国のように天下統一という概念そのものがないのではないのだろうか。
つまりそれまでの王朝を滅ぼして自らが新しい王朝を開くという概念がない。


283: 世界@名無史さん 03/04/07 04:31
>>281
散々言われているが中国とヨーロッパの違い
◎国家としての意識を持つ民族の数 (中国<ヨーロッパ)
◎長江と黄河による水運
◎森、山脈などの地勢
◎豊かさ

これに加えて、ローマ帝国の時代は
◎未開拓な北ヨーロッパを統一する利益がない
◎現代のような「ヨーロッパ」という概念に欠けている
◎小アジア、エジプト経営の方がウマー

今でさえEUは内部意見の調整も出来ずに苦しんでいるのに古代の人間がヨーロッパを統一するなんて
夢物語ですよ。

284: 世界@名無史さん 03/04/07 09:46
>>283
>◎国家としての意識を持つ民族の数 (中国<ヨーロッパ)

これなんだけどさ、中世のヨーロッパに、国家としての意識ってどれだけあったの?
皇帝権はドイツの外には及ばなかったけど、教皇・皇帝を頂点とするヒエラルキーが作られていて、
カトリック世界として一体性を保ってたんじゃない?
それは今から見れば「分裂」かも知れないけど、当時から見れば十分「統一」だったのかも知れない。

293: 世界@名無史さん 03/04/07 22:45
>>284
現在、ブリュッセルに集まっているEUの官僚は、ある意味むかしの王侯貴族みたいなもんかな。

286: 雲長 03/04/07 12:11
ヨーロッパ史の源流にあるのはギリシア文明の遺産 民主主義と自由主義 合理主義であり、これらが西洋文明の元になった。
中世に入りこれらが一旦キリスト教により抑制されるも、その精神は脈々と受け継がれてきたのではないか・・その理由に最終的には中世後期それらが復興し近代化をもたらしたのであるから。
欧州統一を妨げてきたのは、そういった根本的なヨーロッパ史を貫く精神だったのではないだろうか。

287: 世界@名無史さん 03/04/07 14:28
確かに中国と比較するのは正しいと思うんだけど、最近イスラムにも同じ事が言えると思った。(8世紀は統一してたけど)
ヨーロッパもダルアールイスラムも基本的にインターナショナルで平時には国境に行政区分以上のたいした意味は無い。

「カトリックはいざというとき大統領と教皇のどっちにつくか?」って議論がアメリカにあったらしいけど、イギリスやアメリカはヨーロッパと違って独自の国家の枠組みを作れたんだよね。
大陸はそういうインターナショナルな国家の作り方をしてきた傾向がある。
むしろ中国21世紀まで帝国形態を維持してるほうが不自然のような。

307: 世界@名無史さん 03/04/20 13:20
ローマ帝国は地中海帝国でそのおまけとしてヨーロッパがあった。
これが東西に分裂し,再統一を思考したユスティニアヌスの死後,東地中海という概念は残ったものの,西地中海は消えてしまい,アフリカ部分は東に組み込まれ,残りがヨーロッパに組み込まれた感じがする。

311: 世界@名無史さん 03/06/05 20:46
ローマ帝国が地中海帝国だったっていうのには賛成できるな。
しかし分裂後なぜ東は千年以上も存続したのに西は百年足らずで滅亡しちゃったんだろう。
やっぱ西はゲルマン野郎が暴れまわってたからなのか?
考えてみたらゲルマン人が人類史上果たした功績ってめちゃめちゃでかくない?
他民族に比べてさ。


320: 世界@名無史さん 03/06/07 02:12
秦帝国の誕生が後世の統一国家のモデルケースになったのかな。
始皇帝がいなければ統一されることもなく、幾つかの国の分立状態が続いたのか、それともいずれは英雄現れて一つにまとまったのか?
毛沢東は統一を成し遂げたことで始皇帝を高く評価していたっけ。

321: 世界@名無史さん 03/06/07 11:11
>>320
幾つかの国の分立状態が続いたと思うが、毛沢東が統一を成し遂げたと思う

328: 世界@名無史さん 03/06/07 12:00
やはり始皇帝の存在につきるだろう。
道路規格、度量衡、文字、法制の統一、思想の弾圧が大だったということ。

しかし秦は他の六国を滅ぼしてからわずか17年後に楚の項羽にほろぼされているわけだよな。
秦王政は秦王の血族でない説もあるし、彼が即位しなければ秦は統一策に出ただろうか。
白起の再来とまで言われた王翦、客卿であったが宰相にまで上りつめた李斯。こういう覇王と充実したスタッフと天然の要害による国力の充実があってはじめて秦が他国を圧倒出来たことを考えると欧州はドンクリの背比べが良いところなんだよな。

ある意味、呂不偉の存在が世界史の転換期だったのだろう。

329: 世界@名無史さん 03/06/07 12:55
もし始皇帝が統一目前で死んでいたら、以後の展開はどうなったと思う?

332: 世界@名無史さん 03/06/07 13:47
>>329
始皇帝が即位した時にはすでに秦の優位は確定してたから始皇帝が居なくてもやはり秦が統一してたであろう。


346: 世界@名無史さん 03/06/28 12:32
このスレのテーマって中国はなぜ統一されたのか?と表裏一体だな。

358: 世界@名無史さん 03/08/17 16:50
イギリスの役割が大きい罠。
もし台湾が日本くらいの大きさだったら中国も統一されずに済んだかも知れん.

361: 世界@名無史さん 03/09/12 14:47
ローマ帝国は、地中海の水運の利があったからシリアエジプトまで版図にいれることができたし、ブリタニアの間にあるガリアは早いうちに平定しててローマ化してた

365: 名無しさん@お腹いっぱい。 03/09/17 09:55
一言でいうと、漢字がなかったから。ラテン語が漢字的な役割を果たしていたようだが、やはりそれでは限度があった。文化的一体性が生じない。正確にいうと「一体感」だね。
英語もフランス語もドイツ語も、話し言葉の方言になってしまう。漢字で書けば一緒。

398: 世界@名無史さん 03/10/07 22:19
欧州統一に迫った国家

○ローマ帝国
版図:○スペイン○フランス○イタリア×ドイツ○オーストリア
備考:当時のゲルマニアは未開の蛮地で版図に加える意味がなかった。事実上の統一?

○フランク王国
版図:×スペイン○フランス○イタリア○ドイツ×オーストリア
背景:ゲルマン大移動後
転機:分裂?
敗因:?

○ハプスブルク家
版図:○スペイン×フランス○イタリア△ドイツ○オーストリア
背景:宗教分裂
転機:30年戦争でフランスに敗れる。
敗因:?
戦術家:ワレンシュタイン、グスタフ


399: 世界@名無史さん 03/10/07 22:19
○フランス帝国(ナポレオン)
版図:△スペイン○フランス○イタリア△ドイツ○オーストリア
背景:国民戦争
転機:ロシアに敗れる。
敗因:勝利の定義不測。
戦術家:ナポレオン、シャルンホルスト

○ドイツ帝国(ヒトラー)
版図:○スペイン○フランス△イタリア○ドイツ○オーストリア
背景:民族戦争
転機:ソ連に敗れる。
敗因:必要の無い米英仏を敵にしてしまった。
戦術家:グデーリアン、ジューコフ


401: 世界@名無史さん 03/10/07 23:20
フン王アッティラこそ欧州統一に最も近かった人物だった。

402: 世界@名無史さん 03/10/07 23:34
フン王アッティラ程度を言うなら、ナポレオンやヒトラーの方がまだ近いのでは。

#人間性云々ではなく、統治システムの完成度として。

ヒトラーはともかく、ナポレオンは「国民国家」概念の勃興と同期しなければ長続きしたかも。

407: 世界@名無史さん 03/10/08 00:45
ローマの場合は地中海世界の制海権を握れたのと・やはりローマ流の(サビーナみたいな)同化戦略と相対的に高い文明の恩恵かな。
それにローマは内陸部のゲルマニアは価値のない地としてたし実際戦に負けたりしてるし、なによりローマはヨーロッパというより古代地中海世界の集大成といったほうがいいんでないかな?
欧州という概念はその後誕生したものだし・・
というか欧州って概念って何だろ?それが一番の問題だろう。

420: 世界@名無史さん 03/10/20 11:53
中世は教皇権威でゆるやかに統一してたんじゃなかった?

ヨーロッパって日本の戦国時代がずっと続いてたみたいなもんで(1648以前は)統一されてないといえばされてないが、分裂してたといっても違うような。

421: 世界@名無史さん 03/10/22 21:19
>>420
教皇なんて、皇帝の飾りの役割だけ。
あれで統一したと言うのなら、孔子一族は覇王を名乗れる。

422: 世界@名無史さん 03/10/22 21:26
>>421
ある一時期に限れば、教皇の権威は皇帝を凌駕していた、というのは浅はかですか?
というのに、10カノッサ。

424: 世界@名無史さん 03/10/22 21:43
つーか、軍隊も無い、警備組織も無いんだから、
昔の教皇も、今の教皇も権威は似たようなモノ。統一とは程遠い。

429: 世界@名無史さん 03/10/23 00:41
>>424
当時の「破門」の社会的なインパクトを過小評価してはいまへんか。

436: 世界@名無史さん 03/10/23 18:07
>>429
西欧でも、最初は教皇権よりも皇帝権のほうが強かった。
ローマ教皇は、新たに選出された場合、その受任前に直ちに皇帝に対して忠誠を誓わなければならないと、「確認協約」(オットー大帝の特権状)に記されている。
実際、オットー大帝以後の100年間で、21人が皇帝によってローマ教皇に任命され、そのうち5人が皇帝によって罷免されている。これが大きく変わるのは、聖職叙任権闘争が始まってから。

426: 世界@名無史さん 03/10/22 22:49
ローマ教皇=戦国時代の天皇としてみて
ようは形式的な権威や時の権力者の体裁のための官位授与とか仲裁に役には立つが実権は乏しいってやつか?

429: 世界@名無史さん 03/10/23 00:41
>>426
単純な置き換え比較はどうかと思われますが。

427: 世界@名無史さん 03/10/23 00:37
ヨーロッパも中国もそれぞれ、面白い歴史的展開をしてきた地域。

中国の場合、ローマ帝国が2000年間続いたような大帝国が続いてきた。
こんな地域は中国だけ。原因は漢字と大河と強力な騎馬民族の存在。
漢字と大河は一般的に認知されているが、騎馬民族の存在についてはこのスレではあまり論じられていない。
中国の北には世界で最も強力な騎馬民族が存在する。
豊かな農耕民族である漢民族は強力な戦闘力を持つ遊牧民に対抗するために強大な統一国家を作る必要があった。
分裂していては世界最強の騎馬民族に太刀打ちできない。金、元、清のように征服されてしまう。
騎馬民族に対抗しても征服されても強大な帝国が出来る。
同じように大河と騎馬民族によって帝国が作られたのが北インド。
トルコ系騎馬民族がインダス川とガンジス川流域を支配し、長期にわたる大帝国を作り出した。
中央アジアや西アジアも騎馬民族によって巨大な帝国がいくつも作られた。
逆に騎馬民族の影響を受けにくかったヨーロッパや日本で諸侯分立の封建制度が発展した。
中国や中央アジアでは弱小な政治勢力は強大な騎馬民族に圧倒され生き残る余地がなかった。
中国で統一帝国が続き、ヨーロッパが封建制のもとで統一されなかったのは騎馬民族の影響が大きい。

449: 世界@名無史さん 03/11/09 04:42
>>427
ヨーロッパでもスキタイ、フン、アヴァール、ペチェネッグ、マジャール、オノグル、モンゴルとウクライナ経由で進入した遊牧民には事欠かないと思うのですが・・・。

それに統一しようとした、或いはしかけた勢力、つまりローマ帝国、フランク王国、フランス帝国、ナチスドイツはいずれもその動機に遊牧民の存在は無いように思えます。遊牧民原因論には大きく疑問ありです。

なんとなく思うのですがバビロニアでもペルシアでも秦漢でも、一度巨大帝国が成立すると似たような領域の国家が再び作られる事が多くないでしょうか?

ルガルザゲシの王国→アッカド帝国→古バビロニア→カッシート朝→(アッシリア時代)→新バビロニア

アケメネス朝→アレクサンドロス時代→アルサケス朝→セレウコス朝→ササン朝

秦→漢→晋→隋→唐

のように。つまり一度でも偉大な勢力によって統合されると住民の方でもその時代に対する一種の信仰が生まれ統合されている状態が自然だと思うようになるんじゃないでしょうか?


483:   03/11/10 23:35
>>449
>ヨーロッパでも進入した遊牧民には事欠かない

そうです。ハンガリーの平野は遊牧民の居住に適している。そこを拠点に西欧への進入を行った遊牧民は多い。

ただしハンガリーの平原はモンゴル高原やウクライナ平原、中央アジアの平原と規模を比較した場合、遙かに小さかった。
だからアヴァールもマジャールも西欧の貧弱な農耕民族国家に敗れた
結局マジャール人はアヴァール人と同じ運命にならないように定住生活とキリスト教を受け入れた。マジャールが定住しハンガリーを建国して以後、西欧に進入してきた遊牧民はモンゴルだけ。しかも一瞬で終わった。
西欧は本格的な遊牧民の進入を受けていない。
逆に絶えず強大な遊牧民の進入を受け続けた地域は巨大な帝国が出現している。
インド、ペルシャ、ロシア、中国。
ロシアが帝国化した原因も強大なモンゴルに対抗するために強力な中央集権国家を作る必要があったからだろう。後は中国と同じく大河の存在があった。大河と遊牧民が帝国を作る上で非常に重要な要素になったと思われる。

428: 世界@名無史さん 03/10/23 00:40
強大な統一国家を作る必要は対北方もあるだろうが
それ以上に治水のためというのが通説だね。

431: 世界@名無史さん 03/10/23 02:56
ローマがもちょっと頑張ってゲルマニアまで支配し、 ローマ人を入植させてゲルマニアをラテン化させていたら、あるいは、後にガリアに入り込んだゲルマン人がゲルマン語を捨てなかったら、フランスとドイツとの間に民族的境界線が引かれることはなく、ヨーロッパの「中原」として機能する地域的まとまりが出来たんじゃないのかな。

438: 世界@名無史さん 03/10/24 12:13
>>431
フランス、イタリア、スペイン、ルーマニアのラテン圏だけでも統一はされてないしな。

むしろ旧ローマ帝国領内のほうが中世以降はばらばらだったから
あんま意味ないかも。

476: 世界@名無史さん 03/11/10 21:23
ユスティニアヌス帝が旧ローマ帝国領をほとんど回復したにも
かかわらず、それが長続きしなかったのはなぜかを探ってみるのが
いいかも。

478: 世界@名無史さん 03/11/10 21:39
ゲルマン人が勃興したあとじゃ、海路でイタリア半島やイベリア半島を維持するのは無理だろ。兵員の輸送が追いつかない。旧帝国時代は、東方と北方の国境が比較的安定していたので、その余力を地中海の覇権維持に使えた。

479: 世界@名無史さん 03/11/10 21:55
>>478
つーことは、
ゲルマン人が移動して各地に王国を建てた時点で、 旧ローマ帝国領の回復は無理であったと・・・

引用元: ・ヨーロッパが1つに統一されなかったのは何故

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