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1: 世界@名無史さん 2010/10/11(月) 21:35:49 0
ダニール・アレクサンドロヴィチがモスクワ大公国に就いたのが1263年
オスマン・ベイがルーム・セルジューク朝から独立を宣言したのが1299年
ともに他民族を支配した大帝国であり、互角の戦いを繰り広げた
永遠のライバルについて語ろう








3: 世界@名無史さん 2010/10/11(月) 21:39:23 0
>ダニール・アレクサンドロヴィチがモスクワ大公国に就いたのが1263年

ダニールって大公の称号得られてたっけ? 重箱の隅ですまんが

8: 世界@名無史さん 2010/10/11(月) 22:40:43 0
>>3
ダニールはモスクワ公だね、イヴァン1世が大公だった

475: 世界@名無史さん 2010/12/11(土) 23:37:45 0
オスマンは近代以降に「歴史に名を残す芸術家や文豪、科学者を輩出することは無かったけど、ロシアは多数輩出している。

ここら辺の違いはやっぱり、イスラム教云々が関わってくるのかな?

476: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2010/12/12(日) 00:23:10 0
>>475
イスラム教による印刷機導入への遅れは多少影響してるかも知れない。
近代オスマン帝国だって文豪や芸術家、科学者はいなくもなかったけど、あまり名が知られてないのはイスラーム云々よりも単に最盛期を過ぎたからだと思うよ。

477: 世界@名無史さん 2010/12/18(土) 17:28:38 0
オスマンがもうちっと頑張ってくれてたら、イスラム世界唯一の先進国とかなって異彩を放ってくれたのに。
むしろ地理や歴史を考えれば日本が先進国になるよりは可能性が有りそうだったのに。

478: 世界@名無史さん 2010/12/18(土) 18:35:20 0
オスマンは他民族融和政策だったとはいえあくまでトルコ人の国であって、もうちっと頑張ったとしてもそこまでイスラムの主流にはなりえなかったんじゃないか

アラブ人主体のエジプトの方が可能性あったんちゃう
アズハル学院だっけ?スンニ派の総本山もあったような

515: 世界@名無史さん 2010/12/23(木) 17:08:37 0
ヨーロッパの病人と見放した発言をしたのチャーチルだったかな。 
実際はチャーチルが生まれる前から病人状態でどうしょうもなかったが。

516: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2010/12/23(木) 17:29:54 0
>>515
あれってチャーチルが言ったんだっけ?てっきりもっと前かと思ってたよ。
でも、そんなチャーチルは第1次世界大戦でのダーダネルス作戦が、大失敗したせいで、一時失脚してしまってたね。「ヨーロッパの病人」と、言ってみくびってたオスマン帝国に負けて失脚したのは何か皮肉だなぁ。

517: 491,493,495,497,500 2010/12/23(木) 17:40:06 0
ケマルは本当の英雄だったな
225px-MustafaKemalAtaturk


ムスタファ・ケマル・アタテュルク

ム スタファ・ケマル・アタテュルク(1881年5月19日 - 1938年11月10日)は、オスマン帝国の将軍、トルコ共和国の元帥、初代大統領(在任1923年10月29日 - 1938年11月10日)。トルコ独立戦争とトルコ革命を僚友たちとともに指導したことで知られる。

518: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2010/12/23(木) 17:48:41 0
>>517
ダーダネルス作戦(=ガリポリの戦い)はケマルが、初めて歴史の表舞台に立った戦いでもあるね。ただ、前にイスラーム史スレでも言ったんだけど、個人的に、トルコ近代化の要因の全てをケマルの、功績にするのは、少し違うんじゃないかと思ってる。
オスマン帝国はそれ以前からいくつもの近代化政策を、行なってたきた訳で、その蓄積がなければケマルの、近代化政策も成功しなかったと思う。今のトルコにおける、 極度なケマル崇拝が、オスマン帝国の近代化政策に、対する評価を曇らせてると思う。まぁ、ケマルの功績を、考えれば、今のトルコ人の多くが彼を極端なまでに、崇拝してしまうのも分からなくはないんだけどね。

520: 世界@名無史さん 2010/12/23(木) 18:31:29 0
>>518
オスマン帝国もハプスブルク帝国も、前近代的な帝国であり続けるために小手先の近代化改革を図ったものの、近代主義の理念と矛盾しないような思い切った改革ができなかったためにバラバラになって解体したようなところがあるので、(両帝国の復古を求めるようなオスマン・ナショナリズムもハプスブルク・ナショナリズムも、オスマン帝国領下のアラブ人やハプスブルク帝国領下のスラブ人には根付かなかった…)主張するところは尤もだと思うんだけれどもケマルが出てこなければ、いずれ前近代と近代の矛盾に耐え切れなかったオスマン帝国が、ロシア帝国のように社会主義革命で滅亡してオスマン・ソビエト共和国連邦として再編されてたifがあったかもしれないと考えれば、トルコのナショナリストとしては尤もなのかもと俺は思ったよ。
私見なので、軽く流しておいておくれ。

522: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2010/12/23(木) 18:47:19 0
>>520
トルコが社会主義化しなかったのは確かにケマルの力が大きいね。
地理的に考えて、社会主義体制に移行してた可能性は充分にあったしね。

524: 世界@名無史さん 2010/12/23(木) 20:05:53 0
ケマルってスターリンと同じ民族主義者だろ
そんな現実の見れない夢想家以下のifなんてあるわけない

526: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2010/12/23(木) 20:12:12 0
>>524
ケマルは民族主義者ではあったけど、エンヴェルのような、極端な民族主義(=汎トルコ主義)は否定してたよ。政策も、意外と現実主義的だし、悪い意味での夢想家ではないでしょ。

527: 491,493,495,497,500 2010/12/23(木) 20:26:26 0
意外とっつーか、むしろ徹底した現実主義者だった気がする。
あくまで現実があって、それに対する目標があって、施策があると言う感じ。
じゃなきゃ一党独裁という禁断の果実を手にしながら、世俗主義、民族主義、共和主義などのケマル主義を貫けなかったと思う。
シャリーア廃止とか諸外国との外交的妥協とかも無理でしょ。

528: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2010/12/23(木) 20:32:10 0
>>527
確かにね。世俗主義への移行なんかはその現実主義的姿勢からか、かなり慎重に行なってたしね。民族主義も上手くバランス調整して、あまり極端にはならないそれなりの程度に高揚させる事に成功してるし。

529: 世界@名無史さん 2010/12/23(木) 22:42:02 0
コンスタンティノープルを死守したのが凄いな
コンスタンティノープルがキリスト教勢力に奪還されたとしたら歴史的にも凄く象徴的な出来事になっていただろうに

530: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2010/12/23(木) 22:48:50 0
>>529
そこら辺は、完全にケマルの軍才のおかげだね。独立戦争において、アナトリアに侵入してきたギリシャ軍を塹壕線を駆使して追い払った。

535: 世界@名無史さん 2010/12/24(金) 20:15:13 O
露土戦争がコンスタンティノープルをキリスト教世界が奪回する最大のチャンスだったな
アドリアノープルを二度も占領したのに惜しいことだ

536: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2010/12/24(金) 20:49:34 0
>>535
露土戦争の時はかなりイスタンブルの近くまで接近してたからね。
確かに、後一歩でロシアに奪われてた可能性は充分に有り得た。

537: 世界@名無史さん 2010/12/24(金) 21:05:27 0
そもそもロシアの目的はイスタンブルの奪回じゃないからな

538: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2010/12/24(金) 21:21:45 0
>>537
まぁ、確かにそうだね。でも、ロシアがオスマンに戦争しかけたのって、基本的には黒海及び地中海への進出(=南下政策)が目的だから、イスタンブルの奪取も、別にそんなに目的から外れてた訳でもないよ。
まぁ、確かに無理にイスタンブルを奪ってもあまり意味はなかっただろうけど。

539: 世界@名無史さん 2010/12/24(金) 21:48:34 0
ロシアがイスタンブル占領したら列強に対して刺激強すぎるでしょ
特にイギリス

540: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2010/12/24(金) 22:20:59 0
>>539
ブルガリアの独立だけでもあんなに神経尖らせて、ベルリン会議まで開いたっていうのに、もしロシアが、イスタンブルを取ったら、絶対黙っちゃいないだろうね。>イギリス

541: 世界@名無史さん 2010/12/25(土) 11:08:45 0
コンスタンチノープルを奪還して正教会のコンスタンチノープル、イスラム教のイスタンブールと分割するのが一番良かったと思う。ボスポラス・ダーダネルス海峡がキリスト教圏とイスラム教圏の境目みたいな感じで。

542: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2010/12/25(土) 11:50:41 0
>>541
史実ではトルコ・ギリシャ共にそんな妥協は、許せなかったみたいだけどね。結局、現在の、状態のままで、特に問題はない気がするけど。

544: 世界@名無史さん 2010/12/26(日) 16:21:16 0
>>541
エディルネとかコンスタンティノープルより西だからな
トルコ人が納得するわけない

545: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2010/12/27(月) 00:27:39 0
>>544
別に、エディルネってそんなに重要かな?テッサロニキや、イズミルのほうが奪われると痛いと思う。まぁ、前者はとられたけど。

546: 世界@名無史さん 2010/12/27(月) 00:38:02 0
エディルネはオスマン帝国の昔の実質的な首都だったところだからな
アナトリア以東だけがトルコ領ってのはちょっとおかしいわけだよ

547: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2010/12/27(月) 00:47:30 0
>>546
いや、まぁそれは知ってるけど、近代になるとイズミルとかの、ほうが経済的に発展して、エディルネの重要度も下がってなかった?
あぁ、でも確かに近代のエディルネはロシアとの戦争において、イスタンブル進軍の前の防波堤となる役割ならあったか。現在の、エディルネは戦争関係の遺跡が結構多いし。それなりに重要ではあるか。

548: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2010/12/27(月) 00:50:22 0
>>547に付けたし。
まぁ、アナトリアだけがトルコ領っていうのがおかしいのには同意。
アナトリア以外にもトルコ人が多くいたからこそ、住民交換した訳だし。

549: 世界@名無史さん 2010/12/27(月) 00:59:53 0
青年トルコ人の拠点はテッサロニキだったんだな
本拠地はギリシアに奪われたままってのも変な感じだな

青年トルコ人

青年トルコ人とは、19世紀末から20世紀初頭のオスマン帝国において、アブデュルハミト2世の専制政治を打倒し、オスマン帝国憲法(ミドハト憲法)に基づく憲政の復活を目指して運動した活動家たちのことをいう総称である。

彼らの多くはオスマン帝国の近代化改革によって誕生し、アブデュルハミト2世期の国策によって拡充されていた西洋式の近代学校で学んだり、官僚、将校、医師など近代化によって誕生した新しい階層に属した青年たちであった。また、1923年にトルコ共和国が成立した後も、初代大統領ケマル・アタテュルクを初めとしてトルコの政治を主導したエリートの多くはかつての青年トルコ人活動家であった。


550: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2010/12/27(月) 01:05:58 0
>>549
青年トルコ人の拠点でもあるし、ケマルの生地でもある。
ギリシャ人にとられたのは結構痛かったんじゃないかな。

551: 世界@名無史さん 2010/12/30(木) 22:19:14 0
どうにかこうにか、今のトルコとギリシャが合わさったギリシャ正教とイスラム教の複合国家が誕生したら面白かったのにな。
そうすればEU加盟も楽だし、人口の面でもドイツと同規模の国家になる。

553: 世界@名無史さん 2010/12/31(金) 19:29:16 0
>>551
アルメニア人大虐殺があるから無理だろ。
ドイツのように認めるのか?、いまさら無理無理

552: 世界@名無史さん 2010/12/31(金) 01:08:41 0
ユーゴスラビアのようにちょっとしたきっかけで酷い内戦がおこって破滅的な国家解体迎えるだけだろ。

553: 世界@名無史さん 2010/12/31(金) 19:29:16 0
>>552
だね、バルカンがひどい状態なのも、オスマンの過酷な支配が原因だしな
ロシアのほうがよっぽどいい統治している、ソ連はダメだが

556: 世界@名無史さん 2011/01/02(日) 08:40:45 0
オスマンって過酷な支配していたってどこのソース?

559: 世界@名無史さん 2011/01/02(日) 10:44:57 0
>>556
アルメニア人大虐殺、ブルガリア人大虐殺
セルビア、ギリシアへの過酷な虐殺などかなり強圧的支配
特にアルメニア人は過酷に扱われたから、トルコにいい顔はしないよ

562: 世界@名無史さん 2011/01/02(日) 10:57:50 0
とりあえず、前近代のオスマンと、西欧化に努める一方、ナショナリズムの噴出におおわらわした近代のオスマンとは分けて考えような。
鈴木薫も林佳代子もその辺はきっちり分けてる。

564: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/01/02(日) 18:43:29 0
>>562
うん。オスマン帝国の支配が過酷かどうかで言い争ってるみたいだけど、そもそも、近代オスマン帝国とそれ以前のオスマン帝国を分ける必要が、あると思う。柔らかい専制とか言っても専制は専制だし、オスマン帝国の、支配を極端に正当化するのも、逆に極端に過酷さを強調するのも変でしょ。
アルメニア人虐殺なんかは近代ナショナリズムの高揚によるところがかなり、大きいしね。(「だから前近代は過酷な面が全くなかった」という訳でもないけど)

563: 世界@名無史さん 2011/01/02(日) 11:21:26 0
しかしオスマンのハンガリー支配で人口が減少したそうだが、都市は衰退して牧畜化したとか、鈴木薫だと思うけどあの人、ジェノバやベネチアやアラゴンが地中海支配してた事実無視してイスラム勃興からオスマンまで地中海はイスラムの海とか書いちゃってるしな
盲信せずにちょっと距離おいて読んだ方がいいよ

567: 世界@名無史さん 2011/01/05(水) 20:36:19 0
イスラム世界でのユダヤ人の扱いって、イスラム教徒と遭遇したら頭を下げてろとか
むしゃくしゃしたら殴ってOKとかそんなんだろ。
オスマン帝国時代でも、偶に優しい権力者や有識者が出てきて人頭税支払い時の扱いを優しくするなど、無用の侮辱を加えるなと提言してくれただけ。
今の基準で言うと共生でも共存でも何でもない。単なる隷従。

569: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/01/08(土) 08:17:32 0
>>567
>イスラム教徒と遭遇したら頭を下げてろとか
>むしゃくしゃしたら殴ってOKとかそんなんだろ。


こんなこと、クルアーンのどこにも書いてなかったと思うんだけど。
まぁ確かに人頭税なんかの支払い義務があった訳だし、平等とは、決して言えないけど、圧政という訳でもなかったでしょ。もしそうだったら、スペインの異端審問を逃れて大量のユダヤ人がオスマン帝国に移住しないよ。

570: 世界@名無史さん 2011/01/08(土) 08:26:02 0
クルアーンにかいていようがいまいが施政者がかってに決めるからなあ。

http://sankei.jp.msn.com/world/asia/110105/asi1101052352003-n1.htm
※リンク切れ

犯行の動機になったとされる冒涜罪は、1980年代、政治のイスラム化を図ったハク政権下で改正され、イスラム教預言者ムハンマドを冒涜した者には死刑を下すと定められた。以降、同罪は多数のイスラム教少数派のシーア派信者やキリスト教徒などに適用されてきた。だが、昨年11月、パンジャブ州地裁で、キリスト教の女性が、女性としては初めて死刑宣告を受けたことで、国内外で改めて冒涜罪見直しの声が一気に高まった。
 
タシール氏は収監中の女性を訪問したほか、同氏に近いザルダリ大統領も女性の釈放に向けて動くなど注目を集めた。その一方で冒涜罪の見直しに反対する宗教指導者らは、各地で抗議デモを行うなどした。
 
地元メディアなどによると、冒涜罪で死刑に処された人はいない。だが、大抵は収監中や釈放後に殺害されるという。今回の女性についても、釈放された場合に彼女を殺害すれば6千ドルの報償を出すとのファトワ(宗教令)が、ある宗教指導者から出されている。

571: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/01/08(土) 08:32:14 0
>>570
>クルアーンにかいていようがいまいが施政者がかってに決めるからなあ。

まぁ、確かにそうなんだけどオスマン帝国の為政者が>>567で書かれてるような事を決めたって聞いた事ないよ。

572: 世界@名無史さん 2011/01/08(土) 08:40:09 0
施政者とは限らないぜ。
>>567とは別人だが、そういう話は俺も聞いたことあるしな。大体オスマン帝国といっても全部上意下達とは限らない。そんなの絶対王政時のフランスでも出来ていない。
ある程度は権限委譲している道理で現地の部族長や宗教指導者が好き放題やってるんだよ。聖職者じゃなくて俗人がやっているものだから個人の資質にムラがある。

いわゆる慣習法が勝手にできるという奴だな。
かつてオスマン支配下だったところに名誉殺人が未だに残っている地域があるが、オスマンから独立後に急にできたと思うか?そうじゃないだろう。
オツガイは若いせいかその辺の想像力や市井の経験がまだ足りないと思う。人の社会の営みや慣習ってのはクルアーンや文物だけで運用されているわけではない、むしろ禄に教育うけていない族長が自分の差配で勝手に慣習を決めて大体の祖法としているケースなんか珍しくない。

預言者ムハンマドは部族制度を解体し、イスラム教をコスモポリタンな宗教を目指した面があるが、運用は難しいということだ、そんなもんキリストでも仏教でもよくある話だろ。

573: 世界@名無史さん 2011/01/08(土) 08:44:55 0
それとオスマンの「知事」というのもいろいろいるわけよ。
アリーのエジプトや海賊兄弟が支配していたチュニジアみたいな半独立政権だった地域も多いしな。オスマン帝国と一口にいうが、三大陸にまだがる政権でスルタンがどこまで掌握できていたか?
市井の隅々までやれてたというのはちょっとないな。

574: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/01/08(土) 09:00:19 0
>>572-573
いや、まぁ僕だってその手の迫害が全くないとは思ってないけどね。
現代だって、完全に国内の隅々まで、国家権力を及ばせる事は、ほとんど不可能なのに、前近代だと余計に難しいだろうしね。たとえ、オスマン帝国が中央集権的な国家制度だったとしても。ただ、程度の、問題はあるでしょ。ユダヤ人に対して全くの圧政だったらオスマン帝国に、スペインなどから多くのユダヤ人が亡命してきた理由が説明つかないし。

575: 世界@名無史さん 2011/01/08(土) 09:58:43 0
ま、ある地方がヤバかったらマシな地方へ逃げ出すというのもよくある話
苛政猛虎とかそんな感じで

577: 世界@名無史さん 2011/01/08(土) 10:29:51 0
確かにオスマン的な寛容が比較的いきわたってたのは中核部のバルカンとアナトリアくらいかもね
キリスト教の多かったシリア・パレスチナ地域も比較的寛容だったかもな
ただその寛容も前近代レベルの寛容ってことだね

578: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/01/08(土) 11:25:18 0
>>577
まぁ、そうだろうね。北アフリカなんかはほとんど、オスマン帝国の直接支配が及んでなかったからね。

584: 世界@名無史さん 2011/01/11(火) 17:08:53 0
ロシア帝国>>>>>>>>>オスマン

で決定だな
オスマンは野蛮で過大評価

587: 世界@名無史さん 2011/01/13(木) 20:17:10 0
>>584
ピョートル以後はほぼロシア>>オスマンだね
とはいえ、ピョートル時代に獲得した領土なんてほんとチョビットだけど

588: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/01/13(木) 20:21:27 0
>>587
でも、ピョートル1世はオスマン帝国に負けて捕虜になったりしてるんだけどね。
この頃じゃまだロシアとは互角でしょ。西欧諸国に対しては既に劣勢だったけど。
個人的に、ロシアのほうが強くなるのはエカチェリーナ2世の時代からだと思うよ。

591: 世界@名無史さん 2011/01/13(木) 22:00:30 0
最終的に北方戦争で勝ったことがでかすぎる

592: 世界@名無史さん 2011/01/14(金) 10:59:43 0
>>591 
北方戦争の勝敗が逆だったら、どうなってたかな?
オスマントルコの弱体化も無く、ウクライナも独立してたかも?
ロシアが強大化することも無く、ポーランドが分割されることも無く、グレートゲームも起きず、日英同盟も日露戦争も無かったかも?

595: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/01/14(金) 17:02:48 0
>>592
オスマン帝国は大北方戦争でこれといって損も得もなかったので、オスマン帝国の、衰退と大北方戦争はあまり関係ないんじゃないの?アゾフの奪還ができた程度。
まぁ、でもロシアの強大化がなかった可能性があるから、そのおかげでオスマン帝国の、弱体化がある程度まで食い止められるということはあったかも知れない。ポーランド分割は、何とも言えないなぁ。ウクライナ独立は確かにあったかも知れないけどどっちみちいずれは、ロシアに取り込まれてるような気がする。
個人的にスウェーデン・バルト帝国の弱体化は、なかったとは思うけど、それ以外は何とでも言える気がする。影響の大きさは確実だけど。

593: 世界@名無史さん 2011/01/14(金) 11:10:09 0
ロシアは北方戦争のころですら後背地が半端ではなくデカイからな。
オスマンとの戦争も皇帝が捕虜になろうが、国家崩壊状態にならねえしロシアはいろんな意味でタフ。
ナポレオンだろうがヒトラーなんだろうが全部ロシアの大地が飲み込んでしまう。
西側が熱い戦争にせず、冷戦でソ連を攻略したのは大正解だと思う。

594: 世界@名無史さん 2011/01/14(金) 16:28:40 0
>>593
ピョートルは捕虜にはなっていない。自分自身が指揮していた軍をオスマン側に包囲されただけ。しかもその時ロシア軍の別動隊がオスマン軍の後方を脅かしていたのでオスマン側としてもほどほどの条件で和平をする必要があったらしい。

596: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/01/14(金) 17:32:38 0
>>594
あれ?そうだったっけ?思い違いしたてのか。まぁ、とはいえオスマン帝国は、大北方戦争においては普通にロシアに対して勝ってるんだよね。この頃は、まだロシア帝国とオスマン帝国の軍事力は互角だったということになるのかな。

601: 世界@名無史さん 2011/01/15(土) 00:58:41 0
>>596
1736-1739年のオスマンとオーストリアの戦争ではオスマン側が勝っているんだからね。この時点ではまだ互角だったんだろう。

602: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/01/15(土) 01:00:24 0
>>601
そうだね。「ヨーロッパの重病人」と明確に言われるほどになるのは、19世紀に入ってからだしね。衰退の兆し自体は既にあっただろうけど。

609: 世界@名無史さん 2011/01/16(日) 13:36:20 0
>>602
18世紀後半からかなりの重病人だが。
改革に成功したロシアやプロシアに比較して、遅々として改革が進まず衰退が止まらない。
カピチュレーションはすでに18世紀前半から重荷になっていたし

611: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/01/16(日) 13:46:43 0
>>609
18世紀前半もロシアに対しては互角だったけど、オーストリアや他の、東欧諸国に対しては劣勢だったしね。17世紀前半は互角だったろうけど。やはり第2次ウィーン包囲が境目かな。衰退自体は18世紀後半からだけど、「重病人」と呼ばれるまでに落ちぶれたのは18世紀末から19世紀にかけて。
具体的にはナポレオン戦争やギリシャ独立戦争ぐらいの時期からかな。まぁ、確かに改革運動はその前から行なわれてたし、その改革も遅々としてたけど。

603: 世界@名無史さん 2011/01/15(土) 10:03:01 0
いや互角とはいえないだろ
その時はロシアには負けてロシアに領土を割譲してる
逆にピョートルに勝利した時にはオーストリアに負けてるし
当時のオスマンは勝率が低いしやや劣勢といえる

604: 世界@名無史さん 2011/01/15(土) 10:39:24 0
領土は割譲してないか勘違い
アゾフで港を作るのを許可されただけか 

605: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/01/15(土) 17:22:09 0
>>603-604
そのアゾフは大北方戦争の時にオスマン帝国が奪還してる。
ピョートル1世がアゾフ奪えたのだってオーストリアの協力が、大きかったし。確かにオーストリアには負けてたけど、それでも、1739年にはベオグラードの奪還も出来てる。とは言え、西欧や、オーストリアに対していささか劣勢だったのは否めないね。でも、ロシアに対してはまだ勝ったり負けたりを繰り返してて互角だよ。
ロシアとの力関係が逆転するのはエカチェリーナ2世からだと思う。

610: 世界@名無史さん 2011/01/16(日) 13:37:43 0
>>605
エカテリーナ以後は完全にオスマンはダメだな
ロシアの国力が伸びたのか、それともオスマンが絶望的状態になったのか

611: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/01/16(日) 13:46:43 0
>>610
どっちもあるね。個人的には前者の理由のほうが大きいと思うけど。

612: 世界@名無史さん 2011/01/16(日) 22:53:51 0
18世紀のトルコはヨーロッパに押されて、既にこの世紀の後半にはヨーロッパ諸国から「病人」扱いされていた。18世紀末にセリム3世が改革事業を始めて失敗しているが、そのような改革が試みられたということ自体がトルコの衰退ぶりを示している。
オスマン・トルコも常にヨーロッパと交流していた。カルロヴィッツ条約後は軍事面でかなりの改革もおこなわれている。しかし大勢を動かすことは出来なかった。
18世紀前半にトルコの砲兵隊がかなり強化されたのは事実だがそれもボンヌヴァルというフランスの軍人に依存していたという所にトルコとヨーロッパの力関係の変化が象徴されていると思う。

ロシアもピョートル以前の17世紀から、西欧から技師を招いて大砲や小銃の国産化を始めていた。しかしそれだけだは西欧に対抗できず西欧に匹敵する強国になるためにはピョートル大帝による政治体制から社会、文化の面にまで及ぶ大改革が必要だった。


613: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/01/16(日) 23:09:29 0
>>612
まぁ、カルロヴィッツ条約以後のオスマン帝国は明らかにヨーロッパに対して、劣勢だったのは否めないね。ロシア帝国はピョートル1世からの西欧化改革が、発展の源になったと言われてるけど(まぁ、その前から西欧化政策はやってたけど)、オスマン帝国は西欧化改革を行なったこと自体が衰退の証だと言われてる。
まぁ、決してオスマン帝国の西欧化改革が失敗だったという訳でもないんだけどね。

引用元: ・ロシア帝国vsオスマン帝国




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