51-E8a5rXIL



1: 世界@名無史さん 2006/09/18(月) 20:17:50 0
「白馬の騎士」、「白馬の王子」という言葉がありますが、その言葉が最も似合う世界史上の実在の人物というと、誰になるでしょうか。








5: 世界@名無史さん 2006/09/18(月) 21:37:20 0
乾隆帝の肖像画があったな。
Qianlong-Südreise

7: 世界@名無史さん 2006/09/18(月) 22:18:57 O
クラッスス(笑)

8: 世界@名無史さん 2006/09/18(月) 22:36:14 0
中世最後の騎士ことマクシミリアン
Bernhard_Strigel_007


マクシミリアン1世

マクシミリアン1世(1459年3月22日 - 1519年1月12日)は神聖ローマ帝国のローマ皇帝。ハプスブルク家第2代の皇帝(1508年 - 1519年)。ローマ王(ドイツ王、在位:1486年 - 1493年)、オーストリア大公。ハプスブルク家の隆盛の基礎を築いたことから、マクシミリアン大帝と称される。また武勇に秀で立派な体躯に恵まれ、芸術の保護者であったことから、中世最後の騎士とも謳われる。


10: 世界@名無史さん 2006/09/18(月) 22:46:09 0
>>8
マクシミリアンは、悪い王様から姫君を救い出し、自らの花嫁に迎えて、お后にしたことからも、ぴったり。

11: 世界@名無史さん 2006/09/18(月) 23:13:51 0
同じマクシミリアンでもメキシコ皇帝マクシミリアン1世を俺は挙げる。
200px-Maximilian_of_Mexico_bw


マクシミリアン (メキシコ皇帝)

マクシミリアーノ1世(スペイン語: Maximiliano I、1832年7月6日 - 1867年6月19日)は、ハプスブルク=ロートリンゲン家出身のメキシコ皇帝(在位:1864年 - 1867年)。

優れた海軍の軍歴ののち、1864年4月10日、フランスのナポレオン3世と帝政復活を望むメキシコの王党派の支援の下、メキシコ皇帝に即位した。アメリカ合衆国を含む多くの国々は彼の帝国を承認しなかった。これはベニート・フアレス率いる共和派軍の成功を確かなものにし、1867年に捕虜となり処刑された。

12: 世界@名無史さん 2006/09/19(火) 00:22:23 0

白馬将軍ことキムジョンイル

白馬1



13: 世界@名無史さん 2006/09/19(火) 00:55:30 0
後漢末の「白馬長史」公孫瓚

公孫家の王子様のころ、白馬に跨り異民族の勇者王子様達も白馬に乗せて率い戦場を駆けめぐった。 腐女子は、この「白馬の王子様」騎馬軍団に蹂躙されて(;´Д`)ハァハァしてなさいてっこった。

15: 世界@名無史さん 2006/09/19(火) 20:07:26 0
イギリスだと、誰だろう。
日本でアニメにもなったアーサー王を挙げたいけれど、半分伝説の存在だから、リチャード獅子心王あたりかな。好敵手のサラディンから、「キリスト教徒として史上最高の騎士」と絶賛されている。
それに、ロビン・フッド伝説では、最後にロビン・フッドを救うために正体を現し、正しく物事を裁くとされるなど、庶民の人気も抜群。
ただ、女性関係が超ヘタレ(最初の婚約者は、実父に寝取られ、公然たる父の愛人になったので、婚約破棄。
十字軍の帰途、オーストリア公に幽閉されると、母や姉に泣きつき、身代金を調達してもらう)なのが、難点。

19: 世界@名無史さん 2006/09/20(水) 00:10:50 0
>>15
あと、外征ばっかりで国内がボロボロってのも微妙な感じが

18: 世界@名無史さん 2006/09/19(火) 23:55:42 0
>>15
「黒騎士」の異名を持つ人だから白馬は似合わないだろう

24: 世界@名無史さん 2006/09/20(水) 21:30:52 0
>>18
黒騎士は、英仏百年戦争で活躍したエドワード王太子の異名では(黒太子ともいう)。
エドワード王太子も、名前が黒太子でなければ、白馬の騎士に相応しい人物だと思う。

25: 世界@名無史さん 2006/09/21(木) 00:23:24 0
>>24
黒騎士というのは19世紀の小説「アイヴァンホー」の話。

17: 世界@名無史さん 2006/09/19(火) 23:53:15 0
ヤン・ソビエスキ

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ヤン3世 (ポーランド王)

ヤン3世ソビェスキ(1629年8月17日 - 1696年6月17日)は、ポーランド王(在位:1674年 - 1696年)。オスマン帝国との戦いで活躍し、1683年の第二次ウィーン包囲で勝利して英雄として名を馳せた。

オーストリア領のハンガリー北西部で、皇帝に対するプロテスタントの反乱が発生しており、反乱者はオスマン帝国に支援を要請した。オスマン帝国はこれに応じて、大宰相カラ・ムスタファ・パシャ率いる15万の大軍を派遣した。レオポルト1世はポーランドに支援を要請、ヤン3世はこれに応えてオーストリアやドイツの諸侯と同盟を結び、自ら連合軍を率いてオーストリアに向かった。

9月12日、オーストリアの首都ウィーンの郊外に達したヤン3世とポーランド軍は、オスマン帝国軍がカラ・ムスタファ自らが率いる大軍であっても、全軍の指揮が不統一で士気も弛緩し、防備が弱体であることを見抜き、その日の夕方に連合軍に総攻撃を命じた。ポーランドの有翼重装騎兵フサリアのうち尖峰隊はたった3000騎で敵陣の中央突破を敢行、一気に敵陣最深部に到達し暴れまわった。この猛烈な中央突撃の成功によりオスマン軍の陣地は大混乱に陥った。フサリアの残りを含む連合軍の全ての部隊も敵陣に到達し、わずか1時間ほどの間に包囲網を寸断されて散り散りになり潰走した。

この勝利により、ヤン3世はイスラム国家オスマン帝国の侵略に晒されるヨーロッパのキリスト教世界を守った英雄として、大きな名声を勝ち得た。


20: 世界@名無史さん 2006/09/20(水) 02:18:10 0
ラファイエットとかはナマモノすぎてだめかな?

Gilbert_du_Motier_Marquis_de_Lafayettei


ラファイエット

マリー=ジョゼフ・ポール・イヴ・ロシュ・ジルベール・デュ・モティエ, ラファイエット侯爵(1757年9月6日 - 1834年5月20日)は、フランスの侯爵で、軍人、政治家である。アメリカ独立革命とフランス革命の双方における活躍によって「両大陸の英雄」と讃えられた。


21: 世界@名無史さん 2006/09/20(水) 16:47:13 0
たしかグスタフ・アドルフが白馬好き

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グスタフ2世アドルフ

グスタフ2世アドルフ(1594年12月9日(グレゴリオ暦12月19日) - 1632年11月6日(グレゴリオ暦11月16日))は、ヴァーサ朝第6代、スウェーデン王国最盛期の国王(在位:1611年 - 1632年)。通称「北方の獅子」。グスタフ・アドルフとも呼ばれる。三十年戦争における主要人物の一人。

グスタフ2世の三十年戦争における戦略は、すでに1620年代から開始されており、1624年にはフランスが主導となった対ハプスブルク同盟(ハーグ同盟)への連名、1628年にはデンマーク王クリスチャン4世と同盟を締結し、シュトラールズントを解放している。そして1630年のポメラニアへの上陸、翌1631年にフランスとの軍事同盟の締結によって、本格的に三十年戦争への参戦に至ることとなる。




27: 世界@名無史さん 2006/09/24(日) 10:35:04 0
リチャードやグスタフ・アドルフの場合、白馬の獅子。

28: 世界@名無史さん 2006/09/27(水) 21:10:41 0
スペインだと、エル・シドかな。
諸般の事情により、イスラム教の主君に仕えたので、騎士ではない、と叩かれかねないが。

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エル・シッド

ロドリーゴ・ディアス・デ・ビバール(1045年? - 1099年6月)、通称エル・シッドは、11世紀後半のレコンキスタで活躍したカスティーリャ王国の貴族。叙事詩『わがシッドの歌』の主人公としても知られる。


29: 世界@名無史さん 2006/10/13(金) 08:06:36 0
>>28
あの辺の浪人というか傭兵騎士では普通

30: 世界@名無史さん 2006/10/19(木) 20:10:11 0
>>29
そうなんだ。スペインというとガチガチのカトリックの狂信者ばかりで、異教徒に対する異端審問、拷問は当然、と思っていた。
だから、エル・シドは、スペインの現地では、異教徒に仕えたということで、白眼視されていると思ってきたのだが。
そうでもないなのかな。

38: 世界@名無史さん 2006/11/14(火) 09:12:29 0
>>30
それはレコンキスタ完了後にきた大反動。
レコンキスタ時代は宗教の壁なんて案外誰もほとんど気にしてなかった。

31: 世界@名無史さん 2006/10/22(日) 23:53:41 0
フニャディ・ヤノーシュが何故でていない

200px-Iancu_Hunedoara


フニャディ・ヤーノシュ

フニャディ・ヤーノシュ(1387年/1407年/1409年- 1456年8月11日)は、現在のルーマニア出身のハンガリーの貴族。

同時代の史料には、ルーマニア南部のワラキアの貴族の家系の出身と記される。オスマン帝国の侵入に晒されるハンガリー南部の国境地帯に身を置き、戦闘を経て軍事技術を習得した。1441年にトランシルヴァニアの公(ヴォイヴォダ)といくつかの地区の知事に任ぜられ、国境の防衛を一手に引き受けた。

軍事技術の革新によって、フニャディは1440年代初頭にハンガリー南部に侵入したオスマン軍に勝利することができた。1444年のヴァルナの戦い、1448年のコソヴォの戦いでの敗北にもかかわらず、1443年から1444年にかけてのバルカン山脈を越えての「大遠征」と1456年のベオグラードでの包囲戦におけるオスマン帝国皇帝メフメト2世に対する勝利によって、偉大なる指揮官としての名声を確立した。


33: 世界@名無史さん 2006/10/24(火) 21:09:15 0
ヤノーシュは息子が有名すぎるからちと霞むね

35: 世界@名無史さん 2006/11/13(月) 01:44:12 0
フニャディ・ヤーノシュはカピストラノ神父の率いる十字軍と一緒に、ベオグラードで圧倒的に優勢なオスマン帝国の軍勢を破ったことで、 キリスト教世界の守護者と称えられています。

正式な記録がないので俗説とは思いますが、正午に教会が鐘を鳴らすのは、ベオグラードでの彼らの勝利を記念してと言われます。

息子のマーチャーシュはオスマン帝国と停戦して、ウイーンに攻め込んだりしたせいで、むしろ悪名高いかもしれません。

32: 世界@名無史さん 2006/10/23(月) 19:58:47 0
フニャデウィ・ヤノーシュ、ハンガリーの英傑ですね。
悪魔の一族、吸血鬼ドラキュラと手を組んだのが、白馬の騎士としては、知名度が低い原因ではないでしょうか。

34: 世界@名無史さん 2006/11/12(日) 20:05:40 0
ドラキュラは、当時の東方正教徒からすれば、絶対に許されないカトリックに改宗しましたからね。
悪魔とか、吸血鬼とか呼ばれるのも、串刺し刑を愛好する残虐極まりない統治政策も併せ見れば、止むを得ないでしょう。
そんなドラキュラと手を組んでは、ヤノーシュを白馬の騎士とは、私には到底呼べません。


37: 世界@名無史さん 2006/11/14(火) 01:40:05 0
>ドラキュラは、当時の東方正教徒からすれば、絶対に許されないカトリックに改宗しましたからね。
これはヤノシュの死後の話。

>悪魔とか、吸血鬼とか呼ばれるのも、
吸血鬼などと言われたのはブラム・ストーカーの小説以後


39: 世界@名無史さん 2006/11/14(火) 20:55:10 0
>>37
> >ドラキュラは、当時の東方正教徒からすれば、絶対に許されないカトリックに改宗しましたからね。
> これはヤノシュの死後の話。


それは、間違い。
十字軍の際の暴虐行為や東ローマ帝国を見殺しにしたこと等から、当時の東方正教徒は、カトリックを不倶戴天の敵とみなしていた。
カトリックにしても、東方正教会は破門された異端の存在で、ドラキュラが救援を求めた際、ドラキュラにカトリックに改宗し、ドラキュラの領民をカトリックにドラキュラが強制改宗させることが、救援の必要最低限の条件になっている。


41: 世界@名無史さん 2006/11/15(水) 01:49:17 0
>>39
後学のために参考文献を教えてほしい。

ブラドがカトリックに改宗したのは、ヤノシュの息子のマーチャーシュの時代になっての話であるはず。


42: 世界@名無史さん 2006/11/15(水) 18:39:09 0
>>34=39
どうも、史実と創作と妄想がごちゃごちゃになっているようだ
ttp://www.carbuncle.jp/vamp/vlad/index.html
確定していない説を断言しているが、十分参考になるから読んで来い

まぁ個人的にヴァルナの戦いで敗北したのが、ヤノシュの汚点だな
そのほかの活躍は素晴らしいんだが

43: 世界@名無史さん 2006/11/16(木) 01:10:07 0
ヴァルナだけではない、コソボポリエでも大敗している。
ヴァルナはジュリアーノ・チェザリーニの暴走が原因で、ヤノシュは被害を蒙った側とも言えるが・・。

何にせよ、勝つときも負けるときも派手ですわ・・・。bb

44: 世界@名無史さん 2006/11/18(土) 13:00:11 0
そこらへんの詳細が分かる本ってある?

45: 世界@名無史さん 2006/11/18(土) 13:32:07 0
>>44
清水正晴「《ドラキュラ公》ヴラド・ツェペシュ」

ルーマニア専門の人じゃないんで念のため

48: 世界@名無史さん 2006/11/26(日) 16:56:45 0
過去にハンガリースレで書かれた内容だが、ヴァルナ戦はオスプレイから本が出ている。ベオグラード戦は個人が趣味でハンガリー語から翻訳したような本が出ていたが、出版社がつぶれて今は手に入れにくいだろう。

フニャディの伝記は英文の本が二種類出てるそうだ。

40: 世界@名無史さん 2006/11/14(火) 20:59:29 0
フランスの美貌の一族と言われたギーズ家のアンリ・ド・ギーズ
スコットランド女王メアリの従兄弟でフランス王女マリグリット・ド・ヴァロアと相思相愛の恋人同士だった。妹がギーズのアンリとつきあってることに嫉妬したアンリ3世が実の妹をレ〇プしてしまった噂の後、マルゴはアンリ・ド・ナヴァールと結婚。
後に兄のアンリ3世、夫のアンリ4世とも戦ったマルゴに政治的思惑があったとはいえ、援助したのがアンリ・ド・ギーズだった。アンリ3世に殺されて遺体は焼かれ灰はセーヌに撒かれたけれど残された肖像画を見ると、本当に美貌だ。

36: 世界@名無史さん 2006/11/13(月) 04:04:42 O
カール大帝はどうでしょうか?

実在人物かどうかは怪しいですが、セント・ジョージ(サン・ジョルジュ、聖ゲオルグ)とか。

50: 世界@名無史さん 2006/12/12(火) 00:15:03 0
アレキサンダー大王はどう?

51: 世界@名無史さん 2006/12/12(火) 03:38:32 0
逆に偉大すぎないか?
白馬の騎士ってもっと局所的な感じがするんだが

16: 世界@名無史さん 2006/09/19(火) 23:35:14 0
      .。   。   。   。
       .| ヽ / ヽ ./ ヽ / |
       |:  V   V   V  .|
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    ヽ:::::::::::::::::::.  \/     ノ 
ジョン王:言わずと知れたイングランドの「欠地王」

引用元: ・「白馬の騎士」という言葉が似合う人物


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