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1: 世界@名無史さん 2006/05/08(月) 11:12:14 0
ガーナ帝国(4世紀頃?~1077)
マリ帝国(1000以前~17世紀?)
ソンガイ帝国(11世紀頃~1590)
トゥクロール帝国(1848~1893)
サモリ帝国(1865頃~1898)
ソコト帝国(1808~1902)
カネム・ボルヌー王国(9世紀以前~1846)
ハウサ諸都市(10世紀以前~1903)








5: 世界@名無史さん 2006/05/15(月) 11:25:33 0
アフリカ史学界では「帝国」をどのような概念として規定または認識しているのか?

6: 世界@名無史さん 2006/05/17(水) 22:37:35 0
あのへんの「帝国」は単なる「デカイ国」というだけじゃないのかな。
気分の問題に近いっていうか。違うか?

8: 世界@名無史さん 2006/05/30(火) 00:49:02 0
66 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2006/02/25(土) 09:19:13 0
>>33
アラビア語の年代記によるソンガイ帝国の様子

この地方の習慣はまことに風変わりである。ここでは神秘的な事象についての科学を知ると自任する男に出会ったが、その知識は砂地に描いた線の読み取りや星の位置、鳥の鳴き声や飛翔の様子などにもとづいている。人びとは文字のついた護符を信ずるが、それは富を増し、愛を高め、破滅から救うという。闘いにおいては敵を蹴ちらし、剣や毒矢から身を守る。
また、妖術師が呪文とともに行使するような多くの事からも・・・

最後に、かれ(ソンニ・アリ王)もその臣下も大モスクをはじめとしてどのモスクにもけっして姿を見せなかった。そして王宮に住まう何千という男女は、王の怒りを恐れてラマダーンの期間に断食もせず礼拝もおこなわない。かれはコーランの開扉の章すら暗記しておらず、ましてその他の章についてはまったく知らない。礼拝もいつもぞんざいな態度で、朗誦のあいまにお辞儀も平伏もしない。イスラム法で認められた結婚や婚約の手続きをとらずに女たちと関わりを持っている。気に入った女は夫や家族の承諾なしに王宮に入れる始末である。

9: 世界@名無史さん 2006/05/31(水) 00:48:40 0
マリやソンガイの軍隊ってどんな感じだったんでしょう。
ベルベル人とかと変わらない感じ?
svg


ンガイ帝国

ソンガイ帝国(Songhay、1464年–1590年)は、15世紀後半から16世紀にニジェール川湾曲部を中心に西スーダンのほぼ全域を事実上支配した黒人王国である。ソンガイ帝国の歴史は、イスラム的伝統が優位にたつ王の治世とソンガイ的伝統が優位にたつ王の治世が交互に繰り返されている。

14: 世界@名無史さん 2006/05/31(水) 22:40:20 0
>>10
ターバンくらいはかぶってたんだろうか。ムラービトみたいに覆面着けたりしてたのかな。

15: 世界@名無史さん 2006/05/31(水) 23:46:06 0
>>14
カネム・ボルヌの騎兵はかっこいいね。
以前見たイラストではタタール人のようなキルティングの防衣を着て
穂先のでかい槍をもっていた。
svg



Group_of_Kanem-Bu_warriors


カネム=ボルヌ帝国

カネム=ボルヌ帝国はアフリカ内陸部スーダン地域の中央で700年頃から1376年に後のチャド及びリビア南部一帯を支配したカネム帝国及び1396年から1893年に後のニジェール東部一帯を支配したボルヌ帝国を併せて呼ぶ場合の呼称。

カネム帝国は、テダ語及びダザガ語を話すトゥーブゥー系(英語版)が移民したザガワ語を話すザガワ人が起源であり、彼らは乾燥と圧迫を逃れサブサハラと中東の交易路に面したチャド湖北東部へたどり着いた。彼らの年代記『ディワン』ではドゥグワと書かれたザガワ人がそこに着いた時には、防壁に守られた洗練されつつも分散した都市国家を形成したサオ族と呼ばれる先住民が既にいた。ザガワ人は、彼らの習慣の多くを採り入れ、度々交戦しつつ最終的に16世紀後半までにサオ族を支配した。

カネム帝国はトリポリとのサハラ交易の交易路の南端に当たり、ザガワ人は記録上の初代王(マイ)セフとして知られるサイフの下で遊牧民の生活を捨て、西暦700年頃に首都ンジミを建設した。ドゥグワの王たちは神聖な王として扱われ、マグミとして知られる権威を形成した。王朝の交替に拘らず、マグミとマイの称号は以後1,000年間以上用いられるようになった。



11: 世界@名無史さん 2006/05/31(水) 10:10:19 0
餓え死に寸前のモロッコ軍1000にあっさり滅ぼされたんだからしょぼかったと思うよ

14: 世界@名無史さん 2006/05/31(水) 22:40:20 0
>>11
でも火器の存在は大きいぞ。
同時期ののシベリアでも数十人規模のコサック部隊が数千規模の先住民集落を火器の威力で次々に制圧していったし。

12: 世界@名無史さん 2006/05/31(水) 13:45:21 0
>>11
このことかな?
ttp://www.h4.dion.ne.jp/~kosak/Morocco.html#Morocco2


ソンガイ帝国征服(1590~91)

勝利者を意味する名を持つマンスールは、サード朝の王位を継ぐとオスマン帝国の侵入に備えてフェズをはじめ東南各市の城壁を強化すると共に、山岳部族や修養所勢力を各個撃破してモロッコ国内を平定する。内外を固めたマンスールはさらに、サハラ以南のスーダン地方を支配するソンガイ帝国の征服を計画した。

 ソンガイ帝国は強力な騎馬隊、歩兵隊、艦隊を有し、ソンニ・アリ大王(在位1493~1528)の時代、 1468年にトンブクトゥを陥落させてマリ帝国を滅ぼすと、1473年、さらに交易都市ジェンネを征服して西スーダンの盟主となった。ソンニ・アリの死後、1493年に家臣のアスキア・ムハンマド(在位1493~1528)がクーデタを起こして王位に就くとソンガイ帝国は最盛期を迎えるが、16世紀後半になると疫病や干ばつ、内乱などによって衰退していた。

 スーダン地域ではサハラ砂漠を経由しての金や塩の交易が行われていたが、サード朝とソンガイ帝国の間では、タガザの岩塩鉱山の領有をめぐって軋轢が生じていた。それに加えて、1471年に黄金海岸に到達したポルトガルやスペインがサハラを経由せずに直接海岸地帯から金を入手し始めており、東からはオスマン帝国がサハラ交易の要地トゥワットに勢力を伸ばし始めていた。

 ソンガイ帝国征服の計画に対してサード朝の閣僚たちは、過酷なサハラ越えやオスマン帝国の干渉を理由に難色を示したが、1583年にトゥワットを征服し、1587年にはさらにタガザも征服していたマンスールには自信があった。1590年12月29日、火縄銃装備の歩兵2000、同装備の騎兵500、槍と投げ槍装備の騎兵1500のモロッコ軍は、8000頭のラクダと1000頭の馬を引き連れてマラケシュを出発した。鉄砲隊は主に、1492年のグラダナ陥落以後にスペインからモロッコに逃げてきたムスリムのスペイン人1000人と元キリスト教徒背教者1000人で構成され、遠征隊を率いるパシャ・ジェデルもキリスト教からの改宗者であった。

 1591年3月1日、ついにサハラ砂漠を踏破したモロッコ軍は、3月21日、ガオ近郊のトンディビに駐屯していたソンガイ軍を急襲する。モロッコ軍は過酷なサハラ越えによって1000余人にまで減少していたが、火器をはじめて見たソンガイ帝国の騎馬隊は潰走してしまう。モロッコ軍は、4月25日にトンブクトゥに入城し、逃走していたソンガイ王アスキア・イスハーク2世(在位1588~1591)も翌年に殺害されてソンガイ帝国は滅亡する。

 ソンガイ帝国の征服によってサハラ以南の国々に対するサード朝の威信は増大し、毎年1トンもの黄金がモロッコに流れ込んだという。トンブクトゥにはその後、22年間に渡りサード朝の任命したパシャ(太守)が置かれたが、マンスールの死後に内紛で衰弱したサード朝がこの町から身を引いてゆくにつれて、残存モロッコ人部隊は現地人女性と結婚してしだいに現地化していった。

>ソンガイ帝国は強力な騎馬隊、歩兵隊、艦隊を有し

艦隊って・・・カナリア諸島でも征服するつもりだったのか。

14: 世界@名無史さん 2006/05/31(水) 22:40:20 0
>>12
ニジェール川の内水艦隊じゃないのかな?
黄金をばら撒いたので有名なマンサ・ムーサの少し前のマリの王で、大艦隊を率いて大西洋探検に行って帰らなかったという人もいるらしいけど。
騎兵といえばカネム・ボルヌーのも有名だったはず。

13: 世界@名無史さん 2006/05/31(水) 20:31:08 0
トンブクトゥのあたりでは第2次大戦の頃になっても剣や槍で武装したトゥアレグ族が騎馬で徘徊してたそうだ。

14: 世界@名無史さん 2006/05/31(水) 22:40:20 0
>>13
アフガニスタンでは21世紀にも現役。

24: 世界@名無史さん 2006/07/05(水) 09:33:14 0
あの辺より南へ行くと眠り病でウマが死んでしまうため騎兵が使えないらしいですね。

17: 世界@名無史さん 2006/06/05(月) 12:34:05 0
あの辺の交易品目でよく出てくる「コーラの実」って昔は本当にコーラに入ってたんだね。

18: 世界@名無史さん 2006/06/24(土) 19:08:51 0
時代も地域も微妙にずれるがラビーフ帝国も忘れないでけろ。

26: 世界@名無史さん 2006/07/09(日) 10:20:15 0
トンブクトゥの写真を見ると、モスクや民家の壁から丸太がいっぱい突き出してるのは何なんでしょうね?


Great_Mosque_of_Djenné_3

Mali1974-123_hg


27: 世界@名無史さん 2006/07/09(日) 12:03:36 0
日干し煉瓦の壁を毎年補修するので
足場代わりに最初から梁材を長めに造っとくため。

いわゆる「マリ様式」は非イスラム系民族の建造物にも広く見られるので、イスラム以前からの伝統様式と考えられている。突き出た梁材の一本一本とその配列に宗教的意味付けが配されている点はドゴン族(非イスラム系)関係の著書でも詳しいそうな。

29: 世界@名無史さん 2006/07/20(木) 17:59:45 0
マリ帝国等の経済を潤おした黄金は、具体的にはどこの鉱山で採取されたんでしょうか。
大抵の本には「ギニアの金」「ニジェール川上流」程度しか載ってないです・・・

30: 世界@名無史さん 2006/07/20(木) 22:00:31 0
マリの支配層は金の流通を支配していただけで、生産にはタッチしていない。
現地住民から沈黙交易で入手していたらしいから、マリ人自身も知らなかったんじゃないか?

31: 世界@名無史さん 2006/07/20(木) 23:29:21 0
ちなみに今のマリ共和国の金山は南西部に集中してるようですな

32: 世界@名無史さん 2006/07/26(水) 10:11:39 0
「ニジェール川大湾曲部の自然と文化」って本が結構詳しいけど現在のマリ・ギニア国境近くの「ブレ地方」から産出する金だったとの事。
あとセネガル川上流の「バンブク地方」も金産地だったらしい。

採掘に従事してたという食人種はその後どうなったんだろう・・・

33: 世界@名無史さん 2006/07/30(日) 13:33:13 0
大西洋まで川を下って、海路地中海へ運んだほうが早くて安全そう・・・と思ったものの、大航海時代まではルートが知られてなかったのかもね。

35: 世界@名無史さん 2006/08/08(火) 23:38:30 0
>>33
スペインやポルトガルはアフリカ周回航路をムスリムから学んだとかいうけど・・・

軍事史関係の洋書に、マンサ・ムーサの父王がセネガルあたりから艦隊を出しておそらくカポヴェルデ諸島に向かわせたとかいう記述があった。

37: 世界@名無史さん 2006/08/24(木) 15:22:07 0
>>35
アブ・バカリ二世だね。
帰ってこなかったそうな。
出航の前に、息子に譲位していたというから覚悟は決めてたのかも知れぬ。

42: 世界@名無史さん 2006/09/16(土) 08:11:16 0
>>33
西アフリカの沿岸部は常に北風が吹いているので原始的な帆船では北上出来ません。

43: 世界@名無史さん 2006/09/17(日) 13:47:48 0
う~ん、どっちもどっちか。
しかし直線最短距離とはいえ、灼熱の砂地獄を渡るのとどっちが確実にたどり着けるんだろうな。
大西洋岸を歩くという手もないえはないか。海岸部に限っては、多少なりとも気候温和で湿潤だし。

44: 世界@名無史さん 2006/09/22(金) 12:18:24 0
これらの帝国もヨーロッパの国々の帝国主義の軍隊には、かなわなかったのかな?
エチオピア以外は。

45: 世界@名無史さん 2006/09/22(金) 21:30:53 0
サモリの帝国はけっこう頑張ってるだろ。

220px-Almamy_Samory_Touré


サモリ・トゥーレ

サモリ・トゥーレ(1830年頃 - 1900年6月2日)は、サモリ帝国(1878年 - 1898年)の創始者である。サモリ帝国は西アフリカのイスラム軍事政権として1882年からフランスの支配に抵抗したが、1898年にフランスに屈した。

サモリが成長した時代は、ヨーロッパとの交易などを通じた接触によって、西アフリカの変容が進んだ時期と重なっていた。西アフリカの一部の国家に銃器がもたらされたことは、従来までの戦争の姿を変えることになった。


51: 世界@名無史さん 2006/11/12(日) 13:16:17 0
預言者ムハンマドの時代あたりまではけっこう強かったらしいが・・・>ヌビア
マムルーク朝には簡単に負けてるね


48: 世界@名無史さん 2006/10/09(月) 18:46:49 0
遊牧民族があれだけ広域に往来したのに、なぜサヘル以南には車輪が根付かなかったんだろうな。
同じく車輪の原理を用いる回し臼や轆轤ですらも普及しなかった。
サハラの岩壁画にも二輪戦車に乗った黒人戦士の絵がニジェール川流域まで分布しているから、接触が無かったわけでは明らかにない。なぜだろう。

50: 世界@名無史さん 2006/11/12(日) 12:41:01 0
>>48
ヌビアやエチオピアはどうだ?
紀元前からオリエントの技術が伝わっているが。
ヌビアの二輪戦車なんてなかったっけ。

53: 世界@名無史さん 2006/11/18(土) 17:36:48 0
>>48
風土病にウマが耐えられなかったため根付かなかった、とも言われる。
コブウシやヤギは結構定着したようだが、ウマには手強いウイルスでも住んでいたのかな。
ナイジェリアのジョス高原やカメルーンなどの諸王国では騎兵隊を擁していたが、
高燥の環境が幸いしたのかも。

55: 世界@名無史さん 2006/11/26(日) 15:43:20 0
>>53
ツェツェ蝿じゃなかったか?

もともとウマは亜寒帯原産の動物だからね。酷熱の気候には弱い。
それだけにウマの生存南限地帯では、使い捨て覚悟ででもウマを使えるか使えないがけっこう重要なポイントになる。

南インドなんかでも毎年五万頭ぐらいのウマをエチオピアから輸入していた。
そのほとんどは年を越せずに斃死するけど、死ぬまでに働かせまくる。
そして翌年また輸入する。

70: 世界@名無史さん 2007/03/25(日) 15:26:04 0
>>48
サハラを越えて広まった二輪戦車の南伝がサヘルで止まったのは、まあウマが熱帯の気候と風土病に耐えられなかったということで納得いくが、軸回転の原理を用いた道具が全く根付かなかったのは理由が思い浮かばないなあ。
一応粉食文化圏なのだから、回し臼(ロータリー・カーン)などは重宝するはずなんだが。

イスラム文化との接触も相当早いから、色々な道具や技術が伝播する余地は時間的にもたっぷりあったはずなんだがな。不思議。紡績用の糸車しかり、荷車しかり、水車・風車しかりで。

71: 世界@名無史さん 2007/03/26(月) 23:20:30 0
なんかあの辺で使われてた船は常に船底から水をくみ出さないと沈むとか・・・

73: 世界@名無史さん 2007/04/14(土) 11:11:43 0
>>71
熱帯材は造船に不向きなのかな。
マリ皇帝アブ・バカリ二世はよく大船団を組んで外洋探険に乗り出したな・・・
まあマグレブ方面から輸入した船かもしれないけど。

79: 世界@名無史さん 2007/07/15(日) 20:22:17 0
>>71
そもそもカヌーを越える構造船は持っていたのだろうか?

87: 世界@名無史さん 2007/10/19(金) 19:54:29 0
>>79
カヌーのような丸太を刳り抜いた船だけでなく、ピロッグという縫合船もありました。
主にニジェール川の水運で活躍してます。ま、それでも小さいんですけど。

56: 世界@名無史さん 2006/11/29(水) 12:09:57 0
南ロシアのタタール人もインドまで馬を連れて行って売ってたらしいな。
イブン・バトゥータの旅行記に出てくるけど。

58: 世界@名無史さん 2007/01/20(土) 12:46:15 0
ラクダとヤギはサヘルでもけっこう飼われているよね。

60: 世界@名無史さん 2007/01/24(水) 23:34:26 0
謎のガオ帝国

ソンガイ帝国(1464年–1590年)は、15世紀後半から16世紀にニジェール川湾曲部を中心に西スーダンのほぼ全域を事実上支配した黒人王国である。

ガオ王国

12世紀にやや北方で上流のガオに新首都を建設した。首都の名を取ってガオ帝国とも呼ばれる。アラブ人著述家アブー=バクリによると当時は、「カオカオ」と呼ばれていたようで、クーキャからは20日の旅程だったという。ガオは、塩の中継交易ルート、銅鉱山のあるダケッダを経由してエジプトやイフリーキヤから衣服や馬などの各種の商品、マグレブ西部のトゥアートやさらに遠方からやってくる隊商によって巨大な国際市場の観を呈していた。

このガオ王国(英語版)は、ベルベル人との混血でディアまたはザと呼ばれる少数民族に支配されていた。彼らの先祖はイエメン出身とも、モロッコにいたキリスト教徒のベルベル人の末裔ともいわれるが、12世紀初頭に当たるイスラム暦の年号が刻まれた墓碑の出土が確認されているにもかかわらず、非イスラム教徒であったことだけが確かなようである。


61: 世界@名無史さん 2007/01/25(木) 00:39:45 0
ガーナとは違うのか。
そもそも「帝国」という根拠はなんなんだろーか。

62: 世界@名無史さん 2007/01/25(木) 21:05:44 0
単純に領土がデカイってだけでノリで呼んでるんだろうな。

まあ、実際に多民族国家だったとも思うけど。

63: 世界@名無史さん 2007/01/25(木) 23:26:49 0
ガオって後のソンガイ帝国の前身でしょ。一時、マリに臣従していた。

帝国ってオリエントとかでもそうだけど、地方へ行けばその地方の王や民族が結構好きにしていて、一応は皇帝に臣従してるが、実際の統治は・・・ってのが多いんじゃないかな。世界的に。
日本でも対馬の宋氏は勝手に自分で朝鮮に朝貢していたりした。東南アジアになると、タイ王国の一地方の領主とかが、何故か独自の朝貢使節を中国に送っていたりする。

52: 世界@名無史さん 2006/11/13(月) 09:53:39 0
"mansa"って「諸王の王」すなわち皇帝の意味だったのね。

65: 世界@名無史さん 2007/01/26(金) 09:08:26 0
マリ君主の称号「マンサ」は「諸王の王」の意味で使われてたけど原義もそうなんだろうか?

66: 世界@名無史さん 2007/01/27(土) 13:16:56 0
そもそもなに語だろう? <マンサ
アラビア語のようでもないし。
イスラムと関係ない称号ならば、地元の言葉からきているのだろうか。

67: 世界@名無史さん 2007/01/27(土) 22:25:24 0
マリの言葉。即ちマンディング系の言葉のはず。


92: 世界@名無史さん 2008/07/29(火) 08:38:46 0
車輪の件とは逆に、西アフリカ発の技術がサハラ以北に伝来した事は無いんだろうか?
一つぐらいあってもおかしくは無いと思うけど。

99: 世界@名無史さん 2008/10/09(木) 01:57:27 0
>>92
技術とはちと違うかもしれんが
スイカやヒョウタンの栽培は西アフリカ発。

94: 世界@名無史さん 2008/10/01(水) 19:39:08 0
西アフリカ発の金は大量に地中海方面に流れ込んでいたけどな。
アフリカの金が入らなければ中世の地中海は金融恐慌になったはず。
うーん、でも技術は・・・

97: 世界@名無史さん 2008/10/02(木) 17:24:22 0
二輪戦車の話。もっと物理的な制約があること、忘れてないか?
車は、どんなに頑張っても半径よりも大きな凹凸を乗り越えられない。
車軸に動力がなく水平方向に引っ張る車でとなねと、凹凸の高さは半径の4分の1が物理的な限界で、さらにその半分くらいの凸凹が実用での限界だろう。乾燥地帯はわりと平坦だから車を曳いていけるだろうが、降雨地帯では、草は生える、木の根が浮いてくる、モグラが掘ったところが凹む、雨の日に進むと深い轍をつくる、雨が土を洗って石が浮き上がってるくる……ととてもじゃあないが前近代で特に管理もされていない道てせもないのに車に適した状態で維持できるようこと無いだろう。

95: 世界@名無史さん 2008/10/01(水) 20:45:28 0
カネム=ボルヌ帝国はほぼいまのチャドだけどチャド人はカネム=ボルヌ帝国にチャド人のアイデンティティや歴史意識があるのかね?あるいは社会科の授業でチャド史の授業でカネム=ボルヌ帝国の歴史をそのままチャド史として教えてるのかな?

98: 世界@名無史さん 2008/10/08(水) 21:26:12 0
そもそもチャドという国自体20世紀に誕生しているだろ。
カネムボルヌとチャドは別の国だろ。

100: 世界@名無史さん 2008/10/09(木) 13:27:26 0
>>98
んなこといったら清や明を中国史として教えている日本の学校教育も中国史というタイトルで三国志や元時代も書いている日本の中国史の書籍はみんなマチガイとなるな。

118: ウーゴ ◆eaYqa3SeLE 2009/01/20(火) 01:55:59 O
ソコト帝国の記事がWikipediaで作成されてて畏れいったけど、時代が下るごとに西アフリカの中心がギニア、マリからナイジェリア北部に動いたのは何でなんだ。

123: 世界@名無史さん 2009/01/25(日) 08:46:43 0
>>118
今も続いている経緯だけど、サハラ砂漠の拡大のためでしょ。
かつての黄金の都トンブクトゥなんて今や砂塵にまみれている。
本来国家設立の条件としては大河流域で草原と森林があったニジェール河上中流部がもっとも良い。でも乾燥化したんでしょうがなく密林地帯に中心が移ったんでしょ。

119: 世界@名無史さん 2009/01/21(水) 21:16:48 0
>時代が下るごとに西アフリカの中心がギニア、マリからナイジェリア北部に動いたのは何でなんだ。
 
移っているかな?
マリ・ソンガイの時代にはカネム=ボルヌ、ソコトの時代にはベナンやトゥクロールとかおおむね群雄割拠だったと思うけど

125: 世界@名無史さん 2009/01/30(金) 14:26:34 O
ギニアはサモリ帝国の中心だったりと、19世紀まで国家が成立するための条件が整っていた

127: 世界@名無史さん 2009/02/01(日) 08:19:54 0
マリ帝国以外は皇帝相当君主居ないよな。スルタンを皇帝と呼ぶなら別だが。
宗教もスンニ派一色だろうし。
まあ一応他民族国家ないし諸勢力の統合体とは言えるが。

130: 世界@名無史さん 2009/02/16(月) 20:21:27 0
同じアフリカ人同士でも、ガーナ帝国とかマリ帝国とか、古い帝国の歴史がある国はそうでない国に対してお国自慢をするけど、その彼らもエチオピアに対しては別格扱いなんだってさ。


引用元: ・西アフリカの諸帝国