51-AsxxHUsL



1: 世界@名無史さん 2007/11/29(木) 19:33:18 0
コンゴ動乱についで語ろう







コンゴ動乱(1960年 - 1965年)は、1960年6月30日にベルギー領コンゴがコンゴ共和国(コンゴ・レオポルドヴィル)として独立した直後に勃発した反乱から始まる混乱である。このコンゴ動乱は、冷戦を主導したアメリカとソ連による代理戦争でもあり、動乱の期間中に、約10万人が殺害されたと見られている。




5: 世界@名無史さん 2007/11/30(金) 22:56:34 0
これだけ大きな動乱だと行方不明になった人もいるんじゃない?


10: 世界@名無史さん 2007/12/05(水) 01:34:54 0
ベルギーは、ここを失ってどのくらい経済的に凹んだんだ?

11: 世界@名無史さん 2007/12/05(水) 02:10:28 0
>>10
コンゴはベルギーのものではなくベルギー王室の私領。
ベルギー経済への影響はよく知らないが、ベルギー王室はそれまで世界一の金持ち王室と呼ばれていたのが、コンゴがなくなってものすごい緊縮財政に追い込まれたはず。

13: 世界@名無史さん 2007/12/07(金) 20:34:50 0
>>11
そして、コンゴで儲けたベルギー王室からの赤字補填のおかげで経営安泰だったのがベルギー航空。因果はめぐるわけですな。

12: 世界@名無史さん 2007/12/06(木) 22:47:16 0
私領だったコンゴ自由国は1908年まででは?
コンゴ自由国は、かつてアフリカのザイール川流域に存在した国である。国と称しているが、実態はベルギー国王レオポルド2世の私領地であった。

国王の私領となったコンゴ自由国では耕作地も全てが国王の所有となり、住民は象牙やゴムの採集を強制された。規定の量に到達できないと手足を切断するという残虐な刑罰が容赦なく科され、前代未聞の圧制と搾取が行われていた。

国際社会の非難の声は益々高まり、国王の恣意的な暴政にベルギー政府も黙っていられなくなった。1908年10月、ベルギー政府は植民地憲章を制定し、国王はベルギー政府からの補償金との引き換えにコンゴ自由国を手放すことになった。同年11月、コンゴ自由国はベルギー政府の直轄植民地ベルギー領コンゴになった。


18: 世界@名無史さん 2008/01/06(日) 16:29:43 0
それにしても独立運動も起きなかったコンゴで一番激しい動乱が起きたというのがよくわからんね

20: 世界@名無史さん 2008/01/06(日) 19:08:04 0
独立後のコンゴの政変デパートぶりを見てるとこれほど動乱好きの大衆がよくベルギー統治時代は大人しくしていたなと思う

22: 世界@名無史さん 2008/01/07(月) 08:14:59 0
コンゴの場合はベルギーを恨んだというより、本当に単なる祭りという感じだけどな。
祭りといってもレ○プ・殺人・食人をマジでやるんだけど、あの辺ではそれも祭りの範疇なんだろう。

24: 世界@名無史さん 2008/01/07(月) 13:06:06 0
キンシャサは昔、ベルギーのレオポルド2世にちなんでレオポルドヴィルという名称だったんですよね。

25: 世界@名無史さん 2008/01/07(月) 14:51:18 O
ウランをめぐる冷戦構造がどーたらこーたら

26: 世界@名無史さん 2008/01/10(木) 15:18:43 0
ウランだけじゃなく、鉱物資源が豊富みたいですね。

40: 世界@名無史さん 2008/05/13(火) 22:59:32 0
コンゴ動乱の後に入った国連軍が反政府組織に軍事物資を大量に横流ししたという話はどこまで信憑性があるのでしょうか?。

54: 世界@名無史さん 2009/01/08(木) 21:29:03 O
ゲバラってコンゴに来たような気がするけど動乱のずっと後?

55: 世界@名無史さん 2009/02/13(金) 02:59:39 O
ちょっと後だね。部隊は黒人キューバ兵。会話はフランス語
41: 世界@名無史さん 2008/06/15(日) 01:29:32 0
手首を切り落とされたコンゴ人たち 

no title

62: 世界@名無史さん 2009/05/10(日) 23:16:38 0
ブリュッセルにはコンゴ博物館というのが今でもある。
反省はしていないようだ。

64: 世界@名無史さん 2009/05/11(月) 18:30:45 0
>>62
http://s-moriwaki.at.webry.info/200811/article_1.html
ベルギー王立アフリカ博物館

ここかな?

63: 世界@名無史さん 2009/05/11(月) 12:08:04 0
ルムンバ殺しに関しては謝罪してるよ
46: 世界@名無史さん 2008/10/03(金) 23:38:32 0
ルムンバ:国軍を統率できなかったリーダーの末路
Anefo_910-9740_De_Congolese2


パトリス・ルムンバ

パトリス・エメリィ・ルムンバ(1925年7月2日 - 1961年1月17日)は、コンゴ共和国の政治家、民族運動家。同国独立期の指導者で初代首相。

コンゴに駐留していたベルギー軍の挑発行為に対して、ルムンバがベルギー軍の撤退を要求した事から事態は急変した。7月8日、ベルギー軍は首相官邸を襲撃、7月9日、キンシャサ国際空港を占領。さらにベルギー本国から空挺部隊が増援された。このような事態を受けて、ルムンバ首相は7月10日、ベルギーとの国交断絶を表明し、同時に国際連合とアフリカ諸国に対して援助を要請した。

ルムンバとカサヴブ大統領の対立も次第に激化し、9月6日ルムンバは臨時閣議を開き、カサヴブ大統領の解任決議を採択した。しかし、カサヴブは逆にルムンバを更迭し、後任の首相にジョゼフ・イレオを任命する事態になった。

12月1日夜に、国軍参謀長だったジョゼフ・モブツ将軍(後のモブツ・セセ・セコ大統領)はカサヴブ側に立ち、クーデターを敢行。カザヴブ大統領の命令でルムンバを逮捕した。

1961年1月17日、ルムンバと2人の同志は、キサンガニ空港で飛行機から引きずり出されて深夜に白人の傭兵とチョンベの兵によって殺害された(CIAの現地基地には「フランドル出身のベルギー人将校が軽機関銃で処刑した」と報告された)。


66: 世界@名無史さん 2009/05/11(月) 20:11:01 0
http://d.hatena.ne.jp/kingfish/20070208

ベルギー国王レオポルド二世は、1885年からのほぼ20年間に、アフリカ大陸中央部のコンゴの「闇の奥」でコンゴ人の大量虐殺を行った。(略)ユダヤ人の大虐殺は誰でも知っている。(略)しかし、コンゴ人大虐殺の方はほとんど誰も知らない。現代人の記憶と意識から見事に拭い去られている。これは一体どういうことか? 

この奇怪な歴史の現実の奥に目を凝らせば、コロニアリズム(植民地主義)とは何か、帝国主義とは何か、そして、「ヨーロッパ」とは何なのか、私の言葉で言えば、これらすべての現実を生み出してきた「ヨーロッパの心」とは何なのかが、やがてはっきりと見えてくるであろう。

68: 世界@名無史さん 2009/05/17(日) 12:51:53 0
他の地域で何百万人が虐殺されたらホロコーストや戦時期の中国のように本やドキュメンタリーが星の数ほど出るのに、アフリカで何百万人が虐殺されても世論が盛り上がらないんだよね。

70: 世界@名無史さん 2009/06/08(月) 08:45:55 0

71: ウーゴ ◆eaYqa3SeLE 2009/06/09(火) 23:44:01 0
>>70
この人の書いたド・ゴール伝は読みごたえあったから、是非ザイールというか、モブツの一代記を見てみたい。
ザイール時代はリンガラポップスなど世界に誇れる水準の文化は栄えたけど、デュヴァリエ親子やソモサ親子と並んで、西側でも最悪の部類の独裁者だったことが今もコンゴが酷いことになってる要因だし。もしこれから書くならどう料理するのか。

74: 世界@名無史さん 2009/08/01(土) 18:07:06 0
コンゴって文学や映画はてんでダメなのに、音楽だけはアフリカ最高の水準なのが全く理解できない
フランコのOKジャズってなんなのあれ?

97: 世界@名無史さん 2010/04/30(金) 20:34:03 0
コンゴ動乱って歴史の教科書にも載っているケースがあるが、ただの世界的にもそこまで重要ではないアフリカの一小国の争い以上のものがあるの?
もちろんベルギーやフランスが関わっていたのかも知れんが、日本もしくは世界の歴史にとってコンゴ動乱ってどういう位置づけ?

98: 世界@名無史さん 2010/04/30(金) 20:38:39 0
国連が大々的に乗り出したってぐらいかな?

99: 世界@名無史さん 2010/04/30(金) 20:58:42 0
例のスッチーだが、案外、事件の直後にベルギー政府か国連に救出されて、こっそり帰国してるんじゃないのか?
被害者や家族の心情を気遣って、表向き「行方不明」ということになってるだけで、
実際には人知れずベルギーでひっそり暮らしてるものと思われる。

100: 世界@名無史さん 2010/04/30(金) 23:45:58 0
>>99
お前優しいな。

引用元: ・【1960】コンゴ動乱【ルムンバ】




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