513Z2rxtv9L



1: 日本@名無史さん 2007/07/27(金) 19:34:51
名古屋という全国有数の要所を領しながら江戸250余年の間についに将軍を輩出せず、教科書に載るような当主も出なかった悲劇の名門、尾張徳川氏を語りましょう。
ちなみに自分は小学生の頃、御三家といえば、「将軍家」「水戸「紀州」だとずっと勘違いしてました








6: 日本@名無史さん 2007/07/28(土) 00:26:21
結局尾張家歴代で一番有名になったのは義親侯かな。

7: 日本@名無史さん 2007/07/28(土) 06:40:43
>>6
慶勝じゃね?

8: 日本@名無史さん 2007/07/28(土) 08:06:19
宗春だろ

10: 日本@名無史さん 2007/07/28(土) 10:21:21
野苺にあたって死んだ当主もいましたな。

11: 偽朝 2007/08/05(日) 04:04:06
>>10
ぐぐつたら三代藩主徳川綱誠(つななり)が出てきました。
1699年没。47歳の働き盛り子沢山。
それにしても随分ろうまんちっくな亡くなり方をしたものですね。
苦しんだんでしょうか。
その辺りについては、ここに比較的詳しく載っていました。
http://wttwtt.seesaa.net/article/27532352.html

13: 国士無双 ◆ktrtoQsVbQ 2007/08/05(日) 12:02:34
マイナーですね。

14: 日本@名無史さん 2007/08/05(日) 12:12:53
完全に男系が絶えたしね。
紀州は女当主を最後に断絶だったっけ?

15: 日本@名無史さん 2007/08/05(日) 12:18:50
紀州徳川家と蜂須賀家・・・馬鹿殿が散財、遺族が事業に失敗
尾張徳川家・・・養子当主が財産維持、いまなお事業や文化活動

20: 日本@名無史さん 2007/08/05(日) 20:47:22
義親侯
Tokugawa_Yoshichika_01


徳川 義親
(とくがわ よしちか/ぎしん、1886年10月5日 - 1976年9月6日)は、尾張徳川家第19代当主、政治家、植物学者、狩猟家。戦後は社会党を支援して党顧問となるが、公職追放を受けた。日ソ交流協会会長。戦前マレー半島で虎狩りをしたことから虎狩りの殿様として親しまれた。自伝に「最後の殿様」がある。


22: 日本@名無史さん 2007/08/09(木) 03:24:35
昭和初期は御三家の立場も様変わり。
水戸家のみ公爵となり、尾張・紀州は侯爵どまり。

>義親

旧日本社会党を創った人物の一人だもんね。公侯爵議員は、貴族院の中でも割と社会党に近い人が多かったらしい。

24: 日本@名無史さん 2007/08/09(木) 12:44:10
水戸が公爵になったとき他の二家の人たちはどう思ったんだろう。

まあ、義親侯はあまり華族だとか家格にこだわるような人ではないという印象があるけど。

49: 日本@名無史さん 2008/01/25(金) 19:41:36
義親は 

木彫の熊 
徳川黎明会設立 
マレーの虎狩 
三月事件への資金提供 
シンガポール博物館の維持保存 
日本社会党結党資金提供 
名古屋市長選出馬 

話題には事欠かない人物でしたな。

51: 日本@名無史さん 2008/01/28(月) 13:57:04
あと、治安維持法に貴族院議員で唯一の反対投票をしたこともだな。
48: 日本@名無史さん 2008/01/24(木) 04:29:44

「尾張徳川家」と言えば一般的に「義直」とか「宗春」とかの話になるが、尾張徳川家は江戸時代より、八雲産業の逸話のような近代以降のそれも特に戦後の話が面白い。例えば……ほんのさわりだけだが、 

第3章 テープレコーダーに惚れた男 ── Sony History 
ttp://www.sony.co.jp/SonyInfo/CorporateInfo/History/SonyHistory/1-03.html 
59: 日本@名無史さん 2008/04/26(土) 12:55:24
御当代(義崇氏)はコンピュータ業界人として日本のインタネット黎明期にその発展に多大な寄与のあった人です。 

こうして2chができるのも今お殿様のおかげである部分も何%かはあります。 

31: 日本@名無史さん 2007/10/29(月) 00:18:06
前から興味有ったんだけど愛知県民(特に旧尾張側)の織田家や豊臣家への愛着ってどの程度有るんだろう。例えば茨城県には水戸徳川家よりも佐竹家への思い入れの方が強い人が一定数いるようだけど愛知県ってあまりそういう話を聞かないんだよね。完全に尾張家オンリーなのかな?

32: 日本@名無史さん 2007/10/29(月) 00:22:27
>>31
名古屋人からすると、織田・豊臣は名古屋人
ところが徳川は、同じ愛知でも田舎の三河人、という意識がある

33: 日本@名無史さん 2007/10/29(月) 01:21:45
レスthx。成る程、すると隣とは言え三河から来た徳川家を「あいつらは所詮よそ者」みたいな受け取り方はしてないんだね。茨城の場合は苛政だったみたいだし民衆の水戸家に対する怨嗟の気持ちが前の領主である佐竹氏への愛着に向かわせている部分もあるのかもね。

41: 日本@名無史さん 2007/12/12(水) 22:45:34
新陰流も尾張の方が本流なのに、イマイチ知名度がない。

45: 日本@名無史さん 2008/01/21(月) 18:57:14
義直の男系子孫は皆無?
竹腰とか井上の養子へ行った系統も絶えたの?

83: 日本@名無史さん 2008/05/09(金) 22:43:04
>>45
徳川義直→光友→友著→宗勝→竹腰勝起→井上正紀→正瀧→正和→正順
井上正瀧→永井直哉

竹腰家を通して井上家と永井家に残っている

84: 日本@名無史さん 2008/05/09(金) 23:12:03
>>83 
井上正順って藩主の再就職先とかいうスレで警官になったという彼か
義直の男系子孫だったとは!


54: 日本@名無史さん 2008/04/10(木) 00:05:06
綱誠の子供は結構味のあるキャラが多い。
剛毅で名の通った通温なんて、もう少し知名度が上がってほしい気がする。

56: 日本@名無史さん 2008/04/18(金) 23:15:52
>>54 
綱誠は父が家康の孫で母が家光の娘。
超サラブレッド!

55: 日本@名無史さん 2008/04/10(木) 06:22:35
慶勝は勝ち馬に乗ったつもりが、薩長に使い捨てに。

57: 日本@名無史さん 2008/04/25(金) 23:17:59
尾張藩上屋敷はすごい豪華!
鳩飼って一度もお国入りしなかった藩主もいたよね。


67: 日本@名無史さん 2008/05/02(金) 00:35:52
尾張家は、開祖義直の系統は途絶えて、一橋や将軍家(何れも紀伊系)から養子の藩主を迎え、幕末は水戸系藩主だったはず。
尾張家の系図は、複雑だと名古屋城見学のとき思った。

68: 日本@名無史さん 2008/05/02(金) 03:05:16
>>67
水戸徳川治保→高須松平義和→義建
義建から高須を継いだ義勇の他に尾張徳川慶勝・茂徳(慶勝養子)、会津松平容保、桑名松平定敬が出た
茂徳の後は慶勝実子義宣が継いだが子がなくその後は慶勝女登代子の婿義礼が高松松平から入ったが男子なくその後は義礼女米子の婿義親が越前松平からから入ったが義親実子義知に男子なく女三千子の婿義宣が佐倉堀田から入った

義宣の実父正恒の実父は鍋島直柔であり父系先祖はどこの馬の骨かわからず少弐氏(秀郷流藤原氏と称す)説が強いがそもそも秀郷流藤原氏がどこの馬の骨かわからない土豪の印のようなもの

71: 日本@名無史さん 2008/05/02(金) 16:12:40
竹腰は義直の直系だろ?

72: 日本@名無史さん 2008/05/02(金) 19:49:15
>>71 
竹腰家は途中から尾張藩主徳川宗勝の子が継いで幕末まで義直の血筋が続いていたが最後の当主に子が無く、三河田原藩三宅家から養子を迎えている。

73: 日本@名無史さん 2008/05/03(土) 20:30:27
ほぼ跡継ぎがない紀州徳川よりましじゃないか?
尾張徳川家といえば、終戦で玉音放送の録音盤を出せと迫られて、それを拒んだために陸軍将校に殴られたが、最後まで言わなかった侍従の人が印象深い。

90: 日本@名無史さん 2008/05/16(金) 14:28:06
五代藩主五郎太。
吉通直系とはいえ、幼名しか持たない赤子が家を継いだ理由はなんでしょう?

93: 日本@名無史さん 2008/05/16(金) 21:50:40
>>90
一応直系だからね。
長子相続できるならできる限りするのが吉という考えだろう
(最も三代綱誠は実のところ次男なのだが)

斉朝といえば
名古屋市史に載っている「順公小伝」はなかなか面白い
思えば彼以降紀伊系4代はいずれも苦悩の時代に生きた苦悩の藩主だったのかも

特に鳩ばかり飼って、一度も名古屋入りしなかった斉温などはかなり興味深い存在といえる
長編小説の主役になはれないが、短編向けの人物かも

95: 日本@名無史さん 2008/05/16(金) 23:08:45
家康の息子で現代まで男系子孫を残せているのは義直・頼宣・頼房だけなんだよね。
そのうち義直の男系子孫は井上、永井なんて小大名の家系にしか残せていないし、頼宣は本家の紀伊家が断絶してしまった。
現代の徳川諸家は大半が頼房の男系子孫。

96: 日本@名無史さん 2008/05/17(土) 07:05:25
秀康はないの?

97: 日本@名無史さん 2008/05/17(土) 10:32:35
秀康の男系も残ってはいるが、幾度となく改易食らってるし、宗家とされる津山藩系も福井藩系も秀康の男系じゃなくなってる。

85: 日本@名無史さん 2008/05/10(土) 00:43:58
徳川黎明会って、前は尾張徳川黎明会って言っていたのに、何故「尾張」を外しちゃったんでしょうか? 将軍も出せず、紀伊や水戸に乗っ取られ、(名古屋人として)唯一の心の支えが、文化財をいっぴゃー持っている事なのに、どうして尾張をアピールしないのよ…。

99: 日本@名無史さん 2008/05/18(日) 09:10:49
徳川黎明会は徳川家伝来の美術品・大名道具と藩政史料を保存しているが、家康からの御譲り本を中心とする和漢の古典籍(蓬左文庫)は市に寄贈したんだよな。

なんで、古典籍だけ市に譲ったんだろう?

101: 日本@名無史さん 2008/05/18(日) 14:06:39
>>99
戦後の財政難で名古屋市に売ったの。
義親侯も美術品を守るために苦渋の決断をしたんだと思うよ。

102: 日本@名無史さん 2008/05/18(日) 17:41:44
名古屋市がちゃんと引き取ってくれたから良かったよ。
散逸はしなかったから。

103: 日本@名無史さん 2008/05/18(日) 20:26:32
蓬左文庫は本居宣長が『古事記伝』を記す際に調査に使ったと言われる文庫。
藩の蔵書でありながら身元がしっかりしている者なら閲覧が可能だった。
このような由緒ある文庫が散逸していたら、名古屋は日本中から袋だたきに遭うところだよ。

116: 日本@名無史さん 2008/05/24(土) 13:41:34
なんで尾張徳川家は京都守護職を拝命しなかったの

京都にも近いし御三家筆頭・60万石の大国、おまけに義勝は公武合体派。
政局に首を突っ込んだりしながら、いちばん面倒な役割はうまく逃げたんだな。

129: 日本@名無史さん 2008/06/01(日) 11:46:08
>>116
>なんで尾張徳川家は京都守護職を拝命しなかったの

尾張は、幕府が勝った第一次長州征伐の総大将じゃん。
京都守護職よりはるかに格上。
明治に、鉄道を中仙道にしようとしたのは、それで尾張を無視出来るから。
そんな金も地理的優位もなく、あっさり鉄道は東海道にして、名古屋は両京間の中心となした。

121: 日本@名無史さん 2008/05/27(火) 00:49:35
歴史にifは禁物だが、京都守護職になって新選組を配下にしていたら、長州の恨みを買って、今の名古屋は無いかも…。そう言や弟も京都所司代か。

123: 日本@名無史さん 2008/05/27(火) 08:49:17
幕府の役職は臣下がやるものであって納言の御三家様がやるようなものではない。

124: 日本@名無史さん 2008/05/27(火) 12:54:21
やはり家格の問題ですよね
しかしながら、慶勝は京都に滞在していたしなにより征長総督(これこそ御三家のポスト)になったから充分怨み買ってますよね
慶勝自身は征長に反対だった訳ですけど青松葉はその報復ではないかとの説があるくらい

130: 日本@名無史さん 2008/06/01(日) 14:42:07
尾張大納言五郎太が死亡した段階で藩土返上がされるべきであった

132: 日本@名無史さん 2008/06/03(火) 20:37:04
>>130
ならば紀伊綱教が死亡した段階で藩土返上がされるべきであり水戸頼房が死亡した段階で藩土返上がされるべきであったとでも言うのか?
あんたの言ってることは無茶苦茶だ
なぜ吉宗が将軍になっても紀伊徳川が残ったのか考えてごらん

135: 日本@名無史さん 2008/06/03(火) 22:42:41
>>132
五郎太→継友の甥から叔父への逆相続がまずいってことだろう。
このせいで尾張家の正当性が薄れてしまった。

133: 日本@名無史さん 2008/06/03(火) 20:42:42
ちなみに五郎太は大納言になってません
というより幼児のまま死亡したんで、生前は無位無官

「同年(正徳三年)十一月二日、御無官ニ而御逝去ニ付、御願之通贈三位宰相
ニ被任之旨被仰出」
蓬左文庫蔵『御系譜』より

136: 132 2008/06/04(水) 01:52:10
>逆相続
「御三家・親藩」スレでも話題に出たからね
実はそれが言いたいってことはわかってたんだ
しかし、「藩土返上がされるべきであった」と言うのは暴論だと思う。
藩祖義直から一所懸命築いたものを軽く見すぎている、尾藩の武士たちのことも考慮に入れていない。
ましてや「大納言五郎太」なんて来た日にはね。

「正当性に欠ける」というのは綱條さんの発言を受けての琴田と思うけれど、この発言自体勝者におもねっている感じがする。つまり後付に近いのでは。

まあちょっと大人気なかったかな、と反省はしている

137: 日本@名無史さん 2008/06/04(水) 19:04:28
継友が吉宗との将軍争いに敗れたのは、単に実績の違い。
藩主に就任して3年で実績が少ない継友や、老齢で実子のいない綱條より、吉宗を選ぶのはごく自然な判断。

138: 日本@名無史さん 2008/06/05(木) 07:29:01
いや、五郎太から継友への相続は御三家の家格を考慮しての特例措置だよ。
幕府の規定からすれば無嗣断絶か大幅減封されて相続が妥当な線。

139: 日本@名無史さん 2008/06/05(木) 08:33:36
>>138
御三家は代替わり毎の朱印状いらないし何があっても潰されないの前提じゃないか?

140: 日本@名無史さん 2008/06/07(土) 09:04:05
だから宗春もあれだけ大胆なことをやってのけたわけ

141: 日本@名無史さん 2008/06/07(土) 10:58:04
水戸光圀もね

142: ぴーす ◆u0zbHIV8zs 2008/06/07(土) 21:00:45
失敗したけど宗春追放の時に自分の子供を押し付けようとしたのが事実上の改易処分でしょ。いわば義直藩の取り潰し。

143: 632 2008/06/07(土) 21:44:49
宗春→宗勝も「相続」ではないですからね
吉宗から新たに宗勝に与えたという感じ
宗春を父と呼ばせるのを禁止したし

144: 日本@名無史さん 2008/06/11(水) 12:59:53
謹慎を申しつけられたとき、田安宗武が後継ではないことをなによりも気にした宗春。

145: 日本@名無史さん 2008/06/11(水) 19:59:39
>>144
どうして?

150: 日本@名無史さん 2008/06/12(木) 00:39:09
>>145
尾張の社稷を保つことができなくなれば、先祖に顔向けができない
死んでも償えないから

147: 名乗る程の者ではござらん 2008/06/11(水) 21:44:40
ぶっちゃけ
吉通が長生きしてても
将軍職は吉宗にもってかれたでしょう。
酒乱・荒淫・悪政と三拍子揃ってたんじゃねえ…

そら白石も反対するわな

148: 日本@名無史さん 2008/06/11(水) 22:20:25
御三家筆頭生まれで苦労知らずの吉通より、紀伊藩の財政を再建した功績のある吉宗の方が将軍に相応しい。

150: 日本@名無史さん 2008/06/12(木) 00:39:09
>>147>>148
吉通は名君、暗君両説あり、未だその人物性向ははっきりわかりません
暗君説の史料の一つに鸚鵡籠中記がありますが、これは一藩士朝日文左衛門の見聞した記録であり、ゴシップに類するもので、真実かもしれないし、噂に過ぎないかもしれない、どちらとも言えない物です。
御三家の当主とはいえ、若くして死にましたから、それほど記録は残っていないのです

ちなみに私も吉宗は稀有の人物であり、彼が宗家を継いだことは天の采配であったと思っています

149: 日本@名無史さん 2008/06/11(水) 23:48:32
絵島事件~八代将軍争奪戦あたりはフィクションの題材にはもってこいなおかげでお話として面白いように改変されまくってずいぶん創作がでまわっているからなあ。

間部・白石は尾張を支持した
→家宣が吉通を将軍後見職につけようとした時、猛反対して断念させたのこいつらだろ。

紀州(吉宗)は天英院の支持があったから将軍になれた
→姪っこが尾張(継友)の正室なのに何で天英院が紀州応援するんだよ。


尾張兄弟では吉宗相手に勝ち目ないな

150: 日本@名無史さん 2008/06/12(木) 00:39:09
>>149
そうですよね
『折りたく柴の記』では、吉通を推したのは家宣であり、それを退けたのは白石であると書かれていますね
とはいえ、白石が自著の中でそう述べているだけで、それが真実であったかどうかはわかりません

151: 150 2008/06/12(木) 00:42:23
読み返してみて、>>149さんに反論しているように取れる書き方になっていました
スミマセン
同じ意見です
当時の白石たちからすれば、幼君家継が自分たちにとって一番都合がよかったでしょう
幼い間は自分たちの腕を振るえるし、なにより学者である白石にとって、幼君を自分が導いて、理想の将軍にしたかったのではないかと思います

152: 日本@名無史さん 2008/06/12(木) 08:20:14
間部も白石も
家継以外の誰が将軍になっても
自分たちの政治改革が頓挫するくらいは分かってたろうしね。

引用元: ・超超超マニアックな悲劇の名家 尾張徳川氏