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1: 名無しさん@おーぷん 2017/08/05(土)19:08:06 ID:sJ5
三国志齧ってるワイが正史三国志の諸葛亮伝を意訳と解説していくで
興味あったら見ていってクレメンス








566: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:02:36 ID:Rpv
諸葛亮、字孔明、琅邪陽都人也。漢司隸校尉諸葛豐後也。父珪、字君貢、漢末爲太山郡丞。亮、早孤。

諸葛亮は字を孔明といい、琅邪郡陽都の人である。漢の司隸校尉諸葛豊の後裔である。父諸葛珪は字を君貢といい、漢末に太山郡の丞であった。諸葛亮は早くして孤児となった。

567: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:03:28 ID:Rpv
從父玄、爲袁術、所署豫章太守。玄、將亮及亮弟均、之官。會漢朝、更選朱皓代玄。玄、素與荊州牧劉表有舊、往依之。玄卒。

おじの諸葛玄は袁術に豫章太守に任命された。諸葛玄は諸葛亮とその弟の諸葛均を率いて官職に就いた。そのとき漢朝は改めて朱皓を諸葛玄の代わりに選んだ。諸葛玄は平素より荊州牧劉表と旧交があったため、行ってこれを頼った。諸葛玄が亡くなった。

570: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:05:23 ID:Rpv
時、先主屯新野。徐庶見先主、先主器之、謂先主曰「諸葛孔明者、臥龍也。將軍、豈願見之乎」

時に先主(劉備)は新野に駐屯していた。徐庶は劉備に会い、劉備はこれを目にかけ、(徐庶は)劉備に言った「諸葛孔明(諸葛亮)という者は伏した龍です。将軍はどうしてこれを見ようとしないのですか」

571: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:06:15 ID:Rpv
 先主曰「君、與俱來」庶曰「此人、可就見、不可屈致也。將軍、宜枉駕顧之」由是、先主遂詣亮。

劉備は言った「君が共に連れて来てくれ」徐庶は言った「この人は見に行くことが出来ますが、連れて来ることは出来ません。将軍が来訪されて会いに行くのがよろしいでしょう」こうして劉備は遂に諸葛亮の元へ赴いた。

572: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:07:59 ID:Rpv
 凡三往、乃見。因、屏人、曰「漢室傾頹、姦臣竊命、主上蒙塵。孤、不度德量力、欲信大義於天下。

おおよそ三度行き、会うことが出来た。こうして人払いして言った「漢室は傾き崩れ、奸臣は天命を窺い、天子は都を逃げられました。私は徳を量らず力を量らず、天下に大義を示そうとしている。

573: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:08:45 ID:Rpv
而智術淺短、遂用猖獗、至于今日。然、志猶未已。君謂計、將安出?」

しかし知略は浅はかで、遂に悪事を用いずに今日に至る。しかれども、志は未だ止まない。君はどのように計るべきだと言うか?」

574: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:09:38 ID:Rpv
亮答曰「自董卓已來、豪傑並起。跨州連郡者、不可勝數。曹操、比於袁紹則名微而衆寡。然、操遂能克紹、以弱爲強者、非惟天時、抑亦人謀也。

諸葛亮は答えて言った「董卓がやって来てから、豪傑が並び立ちました。州を跨ぎ群を連ねる者は数えることが出来ません。曹操は袁紹と比べると名は小さく寡兵でした。しかしながら、曹操は遂に袁紹に勝ち、弱者は強者となって、それはただ天の時を得たのではなく、人の謀によるものです。

575: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:10:33 ID:Rpv
 今操已擁百萬之衆、挾天子而令諸侯、此誠不可與爭鋒。孫權、據有江東、已歷三世、國險而民附、賢能爲之用、此可以爲援而不可圖也。

今、曹操は既に百万の兵を擁し、天子を差し挟んで諸侯に号令し、これは誠に鋒を争うべきではありません。孫権は江東に拠り既に三世の歴史があり、国は険阻で民は懐き、賢者を用い、これは援助を貰うべきで計ってはなりません。

576: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:11:19 ID:Rpv
 荊州、北據漢沔、利盡南海、東連吳會、西通巴蜀、此用武之國、而其主不能守。此、殆天所以資將軍、將軍豈有意乎?

荊州は北を漢水、沔水に拠り、南の海はことごとく利があり、東は呉会に連なって、西は巴蜀に通じ、これは武を用いる国ですが、その主は守りきることが出来ません。これは天が将軍に与えた所で、将軍はその意がありますか?

577: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:12:06 ID:Rpv
 益州、險塞沃野千里天府之土、高祖因之以成帝業。劉璋、闇弱。張魯在北、民殷國富而不知存恤、智能之士、思得明君。

益州は険阻で肥沃な千里の土地があり、高祖はこれによって帝業を成しました(※)。劉璋は暗愚です。張魯は北にあり、民は多く国は富んでおりますが哀れみを知らず、智恵のある士は名君を得たいと思っております。

※高祖は漢を興した劉邦のことで、彼は項羽に命じられて蜀に流されたが、ここを基盤とし、後に項羽を破り帝位に就いた

578: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:13:07 ID:Rpv
 將軍、既帝室之冑、信義著於四海、總攬英雄、思賢如渴。若跨有荊益、保其巖阻、西和諸戎、南撫夷越、外結好孫權、內脩政理。

将軍は帝室の末裔で、信義は天下に及び、英雄を掌握し、賢者を渇望しておられます。もし荊州、益州を所有されるならその険阻を保ち、西の諸々の異民族と和を講じ、南の異民族を慰撫し、外で孫権と誼を結び、内に政を修めるのです。

579: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:14:11 ID:Rpv
天下有變、則命一上將、將荊州之軍以向宛洛、將軍身率益州之衆出於秦川、百姓孰敢不?食壺漿以迎將軍者乎。誠如是則霸業可成、漢室可興矣」

天下に変があれば一人の上将に命じ、荊州の軍を率いて宛、洛陽に向かい、将軍は益州の兵を自ら率いて秦川に出れば、百姓のいずれも食事や飲み物をもって将軍を迎えぬ者がおりましょうか。誠にこの通りにすれば覇業を成すことが出来、漢室が再興されましょう」

580: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:15:11 ID:Rpv
ここまでが有名な天下三分の計やな
劉備がこれ以降この諸葛亮の策に従って動いていくことは先主(劉備)伝などを読んでいけばわかるで

581: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:15:24 ID:Rpv
先主曰「善」於是、與亮情好日密。關羽張飛等不悅、先主解之曰「孤之有孔明、猶魚之有水也。願諸君勿復言」羽飛乃止。

劉備は言った「良し」これにおいて、諸葛亮との親密さは日に日に密となった。関羽、張飛らは喜ばず、劉備はこれを説明して言った「私に孔明(諸葛亮)があるのは、魚に水があるのと同じだ。諸君は再び言わないでくれ」関羽、張飛はこうして言わなくなった。

584: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:16:59 ID:Rpv
 劉表長子琦、亦深器亮。表、受後妻之言、愛少子琮、不悅於琦。琦、每欲與亮謀自安之術、亮輒拒塞未與處畫。

劉表の長男劉琦もまた諸葛亮を評価した。劉表は後妻の言葉を受けて、幼子の劉琮を愛し、劉琦を喜ばなかった。劉琦は度々諸葛亮と自らを安んずる術を計ろうとしたが、諸葛亮はその度拒んで計画はしなかった。

585: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:18:00 ID:Rpv
琦乃將亮、游觀後園、共上高樓、飲宴之間、令人去梯、因謂亮曰「今日、上不至天、下不至地。言、出子口、入於吾耳。可以言未?」

劉琦はこうして諸葛亮と共に裏の園を遊覧し、共に高楼に上り、宴の間に人に梯子を片付けさせ、諸葛亮に言って曰く「今日のことは、上は天に届かず、下は地に届きません。言葉はあなたの口から出て、私の耳に入るだけです。言うべきことはありませんか?」

588: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:19:40 ID:Rpv
 亮答曰「君不見、申生在內而危、重耳在外而安乎?」琦意感悟、陰規出計。會黃祖死、得出、遂爲江夏太守。

諸葛亮は答えて言った「君は申生の内にあって危うく、重耳の外にあって安きを見ないのですか(※)?」劉琦はその意を悟り、密かに外に出ることを計った。この時黄祖は死んでおり、外に出ることが出来、遂に江夏太守となった。

589: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:19:48 ID:Rpv
※晋の献公の寵姫であった驪姫は自分の子の奚斉を王位に就かせるため申生を暗殺し、重耳も殺そうとした
重耳は首都から遠ざけられていたことを幸いに、国外へ逃亡したため命を長らえた
後に重耳は王位を取り戻すこととなる

590: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:20:45 ID:Rpv
俄而表卒、琮聞曹公來征、遣使請降。先主、在樊聞之、率其衆南行。

まもなく劉表が亡くなり、劉琮は曹操が征伐しに来ると聞き、使者を遣わして降伏を請うた。劉備は樊に居てこれを聞き、そこの民衆を率いて南行した。

591: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:22:28 ID:5aL
孔明は嫁の月英が蔡瑁の姪なんだよな
荊州でもめっちゃいい所に逆玉の腰してんのに劉表に仕える気なしとか良い根性しとるわ

593: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:23:46 ID:Rpv
>>591
後で出て来るけど諸葛亮って隠者みたいに過ごそうとしてたんだよね
結局使えなくて正解だし
592: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:22:33 ID:Rpv
亮與徐庶並從、爲曹公所追破、獲庶母。庶、辭先主而指其心曰「本欲與將軍共圖王霸之業者、以此方寸之地也。

諸葛亮と徐庶は揃って従い、曹操に追われて破られ、徐庶の母が捕らわれた。徐庶は劉備に別れを告げてその心を示して言った「本来なら将軍と共に王道覇道の業を、この一寸四方の場所(※)で図ろうと思っておりました。

※心臓のこと
 昔の人は心臓で思考すると考えていた


600: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:29:15 ID:5aL
>>592
ここの徐庶の胸中は色々と妄想できるなぁ
母親の事は別にして、もう劉備には付いていけへんわって感じだったかもしれん

601: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:30:12 ID:Rpv
>>600
ワイは劉備にずっと仕えていたいって感じに読んでたわ
そういう考えも面白いな

594: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:23:58 ID:Rpv
今已失老母、方寸亂矣、無益於事。請、從此別」遂詣曹公。

今既に老母を失い、一寸四方は乱れ、事において益はありません。ここで別れることを請います」遂に曹操の下に行った。

601: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:30:12 ID:Rpv
>>600
ワイは劉備にずっと仕えていたいって感じに読んでたわ
そういう考えも面白いな

595: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:24:58 ID:Rpv
先主至於夏口、亮曰「事急矣、請奉命求救於孫將軍」時、權擁軍在柴桑、觀望成敗。

劉備が夏口に到ると、諸葛亮は言った「事は急であり命を奉じて孫将軍(孫権)に救援を求めることを請います」この時、孫権は柴桑に居て軍を擁し、勝敗を傍観していた。

596: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:26:23 ID:Rpv
 亮說權曰「海內大亂。將軍、起兵據有江東。劉豫州、亦收衆漢南、與曹操並爭天下。

諸葛亮は孫権に説いて言った「天下は大いに乱れております。将軍は兵を興して江東に拠っております。劉豫州(劉備殿)もまた漢南の人々を収め、曹操と並んで天下を争っております。

597: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:27:22 ID:Rpv
今操、芟夷大難、略已平矣、遂破荊州、威震四海。英雄無所用武、故豫州遁逃至此。

今曹操は大難を除去し、大方平定し、遂に荊州を破り、天下を震撼させました。英雄は武を用いる所が無く、故に劉備殿は遁走するに至ったのです。

599: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:28:10 ID:Rpv
 將軍、量力而處之。若能以吳越之衆、與中國抗衡、不如早與之絕。若不能當、何不案兵束甲北面而事之。

将軍は力を量ってこれに対処されてください。もし呉越の兵をもって中原と拮抗出来るなら、早くこれと絶交するに越したことはありません。もし当たることが出来ないなら、どうして兵を参照し、甲冑を束ねて、北に行きこれに仕えないのでしょうか。

601: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:30:12 ID:Rpv
>>599
すまんこれも誤訳や
中国では皇帝は南面、臣下は北面するって概念があるから
北に行くってわけではないで

602: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:30:29 ID:Rpv
 今將軍、外託服從之名、而內懷猶豫之計。事急而不斷、禍至無日矣」

今将軍は外に服従の名を託し、内に猶予の計を抱いておられます。事が急であるのに決断しないなら、日を措かずして禍は至るでしょう」

603: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:30:59 ID:5aL
この辺は魯粛伝と合わせると面白いよな
ヤツの身も蓋も無い打算だけの説得と、それにホイホイ乗る孫権は草生える
タテマエってものがあるだろうに、こんなん史書に載せるなよって感じだった

604: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:32:08 ID:Rpv
>>603
ぶっちゃけ陳寿は孫権なんてどうでもいいと思ってるからしかたないね
三国の君主のなかで唯一皇帝扱いされてないし

606: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:33:20 ID:5aL
>>604
確かに曹操や劉備なら絶対あんな書き方しないやろうなぁ

605: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:32:19 ID:Rpv
權曰「苟如君言、劉豫州、何不遂事之乎」

孫権は言った「いやしくも君が言う通りなら、劉備殿は、何故これに仕えないのか」

607: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:34:20 ID:Rpv
 亮曰「田橫、齊之壯士耳、猶守義不辱。況劉豫州、王室之冑、英才蓋世。

諸葛亮は言った「田横(※)は斉の壮士であるだけでしたが、なお義を守り辱められませんでした。ましては劉備殿は王室の末裔で、英才は世を蓋います。

608: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:34:32 ID:Rpv
※秦末期の斉の王
 高祖が天下を取ると以前より高祖と確執があったことから殺されるのを恐れて逃亡した
 後に高祖に呼び出されると断り切れないと悟り、かつて共に王であった高祖の下に付き、自分が煮殺した?食其の弟である?商と同僚となることを恥じて自害した

609: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:35:23 ID:Rpv
衆士慕仰、若水之歸海。若事之不濟、此乃天也。安能復爲之下乎」

衆人は仰いで慕い、水を海に帰すがごときです。もし大事が成せなければ、それは天命でありましょう。どうしてまた(曹操の)下となれるのでしょう」

612: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:36:38 ID:Rpv
 權勃然曰「吾不能、舉全吳之地十萬之衆、受制於人。吾計、決矣。非劉豫州莫可以當曹操者。然、豫州新敗之後。安能抗此難乎」

孫権は勃発して言った「私は呉の全ての地の十万の兵を挙げ、人に制約を受けることなど出来ない。我が計は決まった。劉備殿でなければ曹操と当たる者などいないだろう。しかしながら、劉備殿は新たに敗れた後だ。どうしてこの難に対抗できるのか」

613: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:37:10 ID:5aL
孔明「このまま降ったらお前は曹操以下なのは当然として劉備以下なんやでプゲラ」
心臓に毛が生えてると言わざるを得ない

615: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:38:21 ID:Rpv
>>613
藺相如みたいに命がけの説得だったのかもしくはものすごい鈍感だったか
前者だと思いたい

614: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:37:39 ID:Rpv
亮曰「豫州軍、雖敗於長阪、今戰士還者及關羽水軍精甲萬人。劉琦合江夏戰士亦不下萬人。

諸葛亮は言った「劉備殿は長阪において敗れたといえども、今帰還した兵士と関羽の水軍の精鋭は併せて一万人です。劉琦の江夏の兵士を併せるとまた一万人を下りません。

616: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:38:36 ID:Rpv
 曹操之衆、遠來疲弊。聞、追豫州、輕騎一日一夜行三百餘里。此所謂『彊弩之末、勢不能穿魯縞』者也。

曹操の兵士は遠方より来ております。聞くところによると、劉備殿を追って軽騎兵は一日中三百里余りを行軍したそうです。これはいわゆる『強弩の末、魯縞に入る能わず(※)』というものです。

617: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:38:45 ID:Rpv
※『史記』韓長孺列伝及び『漢書』韓安国伝より
 強弩であっても最後には魯の絹を射貫くことは出来ない
 勢いのある者でも終いには衰えて何も出来なくなってしまうことの例え

618: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:39:36 ID:Rpv
 故、兵法忌之、曰『必蹶上將軍』且、北方之人、不習水戰。又、荊州之民附操者、偪兵勢耳、非心服也。

故に兵法はこれを忌み嫌い、曰く『必ず上将軍は倒れる(※)』です。かつ北方の人は水上戦に不慣れです。また、荊州の民で曹操に付いている者は、兵の勢いに迫られただけで、心服しているのではありません。

620: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:39:48 ID:Rpv
※『孫子』軍争篇より
『五十里先の利を争う時は、上将軍が倒れ、それはその半分が行きつくだけだからである』からの抜粋
五十里先の利益を求めて行軍を急がせると兵士の半分が脱落してしまい、先鋒の上将軍が倒されてしまうと言う意味

619: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:39:42 ID:uZB
諸葛亮は将軍としては大したことないって風潮あるけど、こいつの編み出した兵法は唐の頃猛威を振るったんよな
将軍としてのカテゴリーは軍人としてより理論家なんだろうな、グラウゼヴィッツとかそんな感じ

621: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:41:20 ID:Rpv
>>619
『李衛公問対』の李靖とかが参考にしとるしな
でもクラウゼヴィッツがわからん

622: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:41:33 ID:Rpv
 今將軍、誠能命猛將統兵數萬、與豫州協規同力、破操軍必矣。操軍破、必北還。如此則荊吳之勢彊、鼎足之形成矣。

今将軍が猛将に数万の兵を統率させて、劉備殿と協力すれば、曹操軍が敗れるのは必至です。曹操が敗れれば、必ず北に帰ります。こうすれば荊、呉の勢力は強くなり、鼎の足の形(※)となります。

※鼎の足は三本あり、即ち天下三分の形勢のことを指す

623: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:42:32 ID:Rpv
 成敗之機、在於今日」權大悅、卽遣周瑜、程普、魯肅等水軍三萬。隨亮詣先主、幷力拒曹公。

成功と失敗の機会は、今日においてあります」孫権は大いに喜び、すぐに周瑜、程普、魯粛ら水軍三万を遣わした。諸葛亮に随行させて劉備の元に行かせ、力を併せて曹操を拒ませた。

625: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:43:10 ID:Rpv
 曹公、敗於赤壁、引軍歸鄴。先主遂收江南、以亮爲軍師中郎將、使督零陵、桂陽、長沙三郡。調其賦稅、以充軍實。

曹操は赤壁において敗れ、軍を退かせ鄴に帰った。劉備は遂に江南を収め、諸葛亮を軍師中郎将とし、零陵、桂陽、長沙の三郡を督させた。賦税を調達し、軍費に充てた。

630: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:46:01 ID:5aL
>>625
ここでようやく行政官諸葛亮が水を得たって感じやな

634: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:47:39 ID:Rpv
>>630
そういえばここからやな

627: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:44:14 ID:Rpv
 建安十六年益州牧劉璋、遣法正迎先主、使擊張魯。亮、與關羽鎭荊州。

建安十六年(211年)、益州牧劉璋は法正を遣わして劉備を迎え、張魯を攻撃させた。諸葛亮は関羽と共に荊州を鎮めていた。

629: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:45:14 ID:5aL
赤壁本編は行間で終わってて草
まぁこの人の伝やとこんなもんか

631: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:46:06 ID:Rpv
>>629
意外やと思うけど正史の赤壁って皆こんなもんなんや

632: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:46:16 ID:Rpv
先主、自葭萌還、攻璋。亮、與張飛趙雲等、率衆泝江、分定郡縣、與先主共圍成都。

劉備は葭萌から翻って劉璋を攻めた。諸葛亮は張飛、趙雲らと共に兵を率いて長江を遡り、分かれて郡県を平定し、劉備と共に成都を包囲した。

633: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:46:31 ID:uZB
そういえば南蛮王孟獲を打ち破ったのは正史だと諸葛亮ではないんだっけ?
そして孟獲も官僚として出世してるとか

634: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:47:39 ID:Rpv
>>633
それは調べたことなかったわ
一応諸葛亮が南征したのは記録にあるけど孟獲を倒したとは書かれてへんし

636: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:48:58 ID:5aL
>>633
そもそも孟獲は反乱の首謀者ですないですし
見りゃ解るけどあの辺は演義一ハチャメチャやってるから色々違いが面白いよな

635: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:47:50 ID:Rpv
成都平、以亮爲軍師將軍、署左將軍府事。先主外出、亮常鎭守成都、足食足兵。

成都が平定されると軍師将軍とし、左将軍府に割り当てた。劉備は外に出ると諸葛亮は常に成都を鎮め、食を充足させ兵を充足させた。

637: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:49:21 ID:uZB
実は諸葛亮って軍を率いたのは結構遅いんだよな、ホウトウが死んでからだったと思うが
この辺りを見れば、劉備は諸葛亮をどう見てたかわかる、完全に宰相、政治家として扱って、ホウトウは軍の参謀だわ

639: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:50:28 ID:Rpv
>>637
なるほど
確かに諸葛亮は?統の後に入蜀したな

638: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:49:27 ID:Rpv
 二十六年羣下、勸先主稱尊號、先主未許、亮說曰「昔、吳漢耿弇等、初勸世祖卽帝位、世祖辭讓前後數四。

建安二十六年(221年)、群臣は劉備に尊号を称する(帝位に就く)ことを勧め、劉備が許諾しないと、諸葛亮は説いて言った「昔、呉漢、耿弇らは、初め世祖に帝位に即位することを勧め、世祖は断ること前後四回を数えました(※)。

※世祖は王莽を倒し漢を再興させた光武帝劉秀のこと
 呉漢、耿弇、後述の耿純はその主だった配下

640: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:50:45 ID:Rpv
 耿純進言曰『天下英雄、喁喁、冀有所望。如不從議者、士大夫各歸求主、無爲從公也』世祖、感純言深至、遂然諾之。

耿純は進言して言いました『天下の英雄は仰ぎ慕い、(帝位を)所望することをこいねがっております。もしこの議論をする者に従わなければ、士大夫は各々帰って主を求め、公に従うことは無いでしょう』世祖は耿純の言葉に深く感じ入り、遂にこれを許諾しました。

644: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:52:26 ID:uZB
コウジュンって光武帝の頃、城を落としまくった人やっけ?それとも蕭何みたいな人やっけ?

646: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:55:10 ID:Rpv
>>644
雲台二十八将っていう将軍たちの一人やったかと
でも詳しくないから曖昧な事言えへん

648: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:56:03 ID:5aL
>>644
どっちかというと前者やけど早くに軍人引退して地方の行政担当して、そちらでも成果上げた人やな
蕭何ポジは寇恂って人かな、兵糧確保の達人

645: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:52:38 ID:Rpv
 今曹氏篡漢、天下無主。大王劉氏、苗族、紹世而起。今卽帝位、乃其宜也。士大夫隨大王久勤苦者、亦欲望尺寸之功、如純言耳」先主於是卽帝位。

今曹氏は漢を簒奪し、天下に主がありません。大王である劉氏は跡継ぎの一族で、世を受け継ごうと決起しました。今帝位に即位することはよろしきことです。士大夫で大王に付き従って久しく苦労を勤めた者は、また少しばかりの功を欲し、耿純の言葉通りです」

647: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:55:25 ID:Rpv
策亮爲丞相、曰「朕、遭家不造、奉承大統。兢兢業業、不敢康寧、思靖百姓、懼未能綏。

諸葛亮を丞相にする木片に曰く「朕は劉家の造営が出来ないことに際し、皇統を承り奉った。不安に怯え、あえて安寧にせず、百姓を安んじることを思い、恐れ多くも未だに安んじられていない。

650: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:56:48 ID:Rpv
 於戲、丞相亮、其悉朕意、無怠輔朕之闕、助宣重光、以照明天下。君其勖哉」亮、以丞相、錄尚書事、假節。張飛卒後、領司隸校尉。

ああ、丞相亮よ、朕の意に沿って尽くし、朕の欠けた所を怠らず補佐し、重き光のように助け、天下を明るく照らすのだ。君はそれに努めるのだ」諸葛亮を丞相として尚書の担当に任命し、仮節とした。張飛の死後、司隸校尉を領した。

654: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:58:34 ID:Rpv
章武三年春、先主於永安病篤、召亮於成都、屬以後事。謂亮曰「君才十倍曹丕、必能安國、終定大事。若嗣子可輔、輔之。如其不才、君可自取」

章武三年(223年)春、劉備は永安において病が篤くなり、諸葛亮は成都より召され、後の事を託された。諸葛亮に言って曰く「君の才は曹丕の十倍で必ず国を安んずることが出来、終いには大事を定められる。もし嗣子が補佐すべきなら補佐してくれ。その才が無いなら君が自ら取ってくれ」

663: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:01:53 ID:5aL
>>654
神遺言にして呪い遺言好き

656: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:58:51 ID:5aL
諸葛亮「蕭何と張良と韓信ぜんぶやるぞ(吐血しながら)」

657: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:59:49 ID:VRE
やっぱ帝位以降は結構カットされるんやな
まぁ関係ないしな

661: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:00:53 ID:Rpv
>>657
基本的に他の伝に詳しいことは乗せないからね
ここで抜け落ちたのは先主伝他に載ってると思うで

659: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:00:13 ID:Rpv
亮涕泣曰「臣敢竭股肱之力、效忠貞之節。繼之以死」先主又爲詔、敕後主、曰「汝與丞相從事、事之如父」

諸葛亮は涙を流して言った「私は敢えて臣下としての力を尽くし、忠節を尽くしましょう。これを継いで死にます」劉備はまた詔して後主(劉禅)に勅命して言った「汝は丞相に従い、父のように仕えよ」

669: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:03:52 ID:uZB
諸葛亮は間違いなく過労死やわ
司馬懿も諸葛亮の様子を聞いて長くないと思ったらしいし

671: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:04:44 ID:Rpv
>>669
せやな
あの遺言で縛りつけられてこうなったと


引用元: ・正史三国志・劉備伝の全文(意)訳と解説をするで

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