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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/05/14(土) 09:01:58.24 ID:C+qD3laa0
よく大日本帝国は民主国家だ、いや、独裁国だという議論がありますがどうだったのでしょうか?

民主国家の定義、当時の法解釈、運営実態、さまざまな解釈があると思いますが、イデオロギー論じゃなくて社会科学的な見解を知りたいです。
皆さんの意見を聞かせてください。








3: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/05/14(土) 09:55:23.44 ID:uaJhttbD0
大日本帝国といっても、大正デモクラシー期と昭和じゃぜんぜん体制や状況違うからね
あるていど時代を区切っていったほうがいいかも

4: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/05/14(土) 12:12:54.73 ID:CVyGGc6y0
男子普通選挙が行われたのは1920年で世界でもかなり早い
軍が独裁政治を始めるまでは「憲政」を元に政治を行う
堂々たる民主主義国家だった。

昭和6年の満州事変で政府が勝手に兵を動かした軍に対して毅然とした措置が取れず、昭和7年の515事件で首謀者の軍人に甘い措置しか行えず、軍の暴走と独裁が決定的になった。

6: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/05/14(土) 14:46:54.76 ID:e4wouJRZ0
民衆政治(民主政治)といえばすぐ選挙制度に直結して考え勝ちだけど理論的にはべつに候補者に対する多数投票を前提とする選挙じゃなくてもええんやで。
話し合いの結果として代表を選出しても民衆政治(民主政治)は成立する。制度論だけで議論するわけにはいかない。歴史オタクの悪いクセや。
ポリアーキーによれば中国共産党もちゃんとした「民衆主義(民主主義)」だし北朝鮮だって民衆主義にはちがいないねんで。

8: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/05/14(土) 15:45:41.64 ID:CshmD0dW0
Another View of Japan
Exception Is Taken to Statements In Dr. Brown's Letter

でググってみて。1938年1月16日のニューヨークタイムズの寄稿が見つかる。
この文書を丸呑みしてよいかはわからないけど意見の1つとして参考になる。

16: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/05/15(日) 00:41:27.47 ID:hz7FwPcT0
反右派、反保守な立場の人が戯れに大日本帝国を北朝鮮などと言ったりしてるが、(歴史的にみれば北朝鮮を支持してたのは左派と思うんだが)今の国家で大日本帝国に近い国は、北朝鮮よりタイ王国ないしイラン共和国だろうね。
権威主義体制的な部分と議会民主政的部分のチャンポンでどっちつかずな国家体制。

安定期は差しさわりないが、不安定期になると国家の意思決定が定まりにくい。
日本に関しては、戦後も大差ないように思えるが。

27: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/05/22(日) 16:51:49.73 ID:fhG0oPcl0
旧陸軍というのは関係者や家族含めると550万人いたらしい
昭和元年の日本の人口は約6000万人
10人に1人は陸軍関係者という感じだった

現代で創価学会が実数250万人で、日本の人口約12000万人として50人に1人が創価学会
創価学会の選挙への影響力、政府やマスコミへの圧力は恐ろしいほどであるが、これの5倍のパワーが旧陸軍にはあったわけだ

したがって、選挙やってる民主国家だからこそ旧陸軍は影響力を発揮することができ、暴走できたとも言えるのではないか?

28: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/05/23(月) 04:08:12.46 ID:KMgUe1WT0
軍人は投票権なかったんだよ。被選挙権も停止される(貴族院議員も登院しないという慣習)
ちょっとその前提では語れない。むろん家族(母や妻)には投票権などない。

32: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/05/26(木) 12:53:58.17 ID:7WD8MYp50
>>28
>軍人は投票権なかったんだよ

そのうっぷんが在郷軍人会や右翼団体を通じて過激に吐き出される、という側面があった。なお、投票権や被選挙権がなかったのは現役軍人だけで、後備や軍属にはもちろんあった。

>むろん家族(母や妻)には投票権などない

軍人妻母に限らず、女性に選挙権が与えられたのは戦後
しかし軍人や公務員の妻を中心に作られた「愛国婦人会」とか
「国防婦人会」といった女性団体の右翼っぷりは、男性を上回って
平和主義や自由主義を説く政治家などへの吊るし上げもやった

29: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/05/23(月) 04:12:26.49 ID:KMgUe1WT0
民衆主義でいうならば、戦前の民意なんてのは本当の民意でもなんでもなく大学卒のエリートが支配していた新聞報道が国際的に「世論」「民意」扱いだった。
社会の意思、人民の意志ってのはマス報道を媒介にして形成されるというのは現代でもさほどかわらん。単純に有権者の投票の結末によって確認されるような種類のものではないのだ。

32: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/05/26(木) 12:53:58.17 ID:7WD8MYp50
>>29
欧米のマスコミなら政府側と反政府側に別れて論争したりするんだが日本は昔から今でも記者クラブで言論統一し、お互いに避難し合ったりしないからな。
マスコミの全体主義体質は80年前から今でも変わらない

33: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/05/26(木) 17:36:14.56 ID:iw10SFcx0
>そのうっぷんが在郷軍人会や右翼団体を通じて過激に吐き出される、
>という側面があった。


こんな話しは聞いたことないな。国民の8割がたが農村に居住していて中等学校(いまの高校)ですら進学率10%程度、学費はいまの物価で年間年間7~80万くらいかかってたわけで、そんな知的水準で民衆主義がどうの国益がどうの、みたいな話しなんかせんよ。せいぜい国体ガーだの皇軍の威信ガーだの程度。

36: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/05/26(木) 21:54:12.61 ID:gtG+kCvI0
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
帝国在郷軍人会
ていこくざいごうぐんじんかい

1910年(明治43)11月3日、各地に組織されていた在郷軍人団体を統合して設立された在郷軍人の全国的な統一組織。
初代総裁は伏見宮貞愛(ふしみのみやさだなる)親王。日露戦争後の軍制改革に重要な役割を果たした田中義一(ぎいち)などが設立に努力した。
軍隊教育の復習や相互扶助などを目的にし、軍による国民支配の手段として国民に対する教化や統制を進めた。当初、陸軍のみの組織であったが、14年(大正3)に海軍も合流。
会員数は約300万と称され、連隊区ごとに支部、郡市単位に連合分会、町村単位に分会が設けられ、機関誌として『戦友』『我が家』などを発行。
20年代以降、軍国主義や戦争遂行体制協力のための社会的・思想的運動を広げ、とくに、35年(昭和10)に「天皇機関説」排撃運動を右翼勢力とともに進めて、国体明徴運動を展開。
翌年帝国在郷軍人会令によって勅令団体になった。敗戦による軍国主義追放により46年に解散。[遠藤芳信]

38: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/05/30(月) 05:24:01.50 ID:4V0f05dL0
日本は1920年に世界でもかなり早くに男子普通選挙が行われた国だし、識字率100%近かったし教育レベルは非常に高かったといっていいんじゃないか

ただ、記者クラブ制度で、マスコミの論調を一本化しようとするマスコミ全体主義体質は昔も今も変わらない。各役所や警察に記者クラブがあって、マスコミは賃料も電話代もコピー代も払わずに市民負担で運営されているんだから、ひどい話だ
費用は市民負担なのに、市民にとっては百害あって一利ナシ
日本を軍国主義に引きずり込んだ記者クラブ制度が、今だに日本人の税金によって運営されているんだから、余りに反省のなさに笑うしかない

39: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/05/30(月) 08:22:23.98 ID:neR79RWv0
基礎教育レベルな。中等学校(いまの高校)進学率は10%だった。
ちな大学進学率は男子は2%程度、女子ほぼ0%

41: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/05/30(月) 14:42:12.33 ID:4V0f05dL0
>>39
>中等学校(いまの高校)進学率は10%だった。

男は高校(今の大学)目指す中等学校よりも商工学校(今の商業高校・工業高校・農業高校)や専門学校へ行って「手に職をつける」のが当たり前の時代だった。

戦前の大企業の多くは学費格安の専門学校を保有していて、自前の優秀な職工や技術者育成に余念が無かった。うちの爺さんは「満鉄附属の専門学校が人気があった」と言っていた。鉄道科だけでなく語学科・工業科・鉱山科・商業科などもある巨大な総合専門学校だったそうだ。「満鉄附属のシナ語学校行った奴なんかスーパーエリートで、戦前戦中は恐ろしく羽振りが良かった」と言っていた。

ちなみに高等女学校は中等学校の3倍もあって「良家の子女は高等女学校へ行って箔を付けて、嫁に行く」のが当たり前の時代。現在の高等学校の出自が「戦前は○○高等女学校」が異常に多いのはそのため。

43: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/05/31(火) 22:07:58.96 ID:DB+2jb1t0
民主的かどうかは程度の問題だが、選挙で選ばれた議会の同意がなければ国を動かせないぐらいは民主的だった。

独裁的かと言えば、日本は全然独裁的でなくむしろ分権しすぎであっちにもこっちにも拒否権集団があり強調が必要だった。

44: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/05/31(火) 23:54:35.63 ID:PXq9DxWS0
太平洋戦争のベルは、肉体をもたない煙のような「上司」もしくはその「会議」というものが押したのである。
そのベルが押されたたために幾百万の日本人が死んだが、しかしそれを押した実質的責任者はどこにもいない。
東条英機という当時の首相は、単に「上司」というきわめて抽象的な存在にすぎないのである。

『世に棲む日日』より

48: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/06/02(木) 22:07:18.61 ID:P0XsHtFn0
民主平和論に基づいて、民主国家同士は戦争はしない
日本はアメリカと戦争をした
だから、日本は独裁国だっていう意見をみたことあるけど、それはそれで論理の順番が違うような気がするw

でも、大正デモクラシー期は米英と仲良かったけど、軍国主義化してから英米と仲が悪くなったというのは、ある意味象徴的だね
民主国家との友好性と、民主主義の度合いって、関連性はあると思う

49: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/06/03(金) 03:57:12.96 ID:tUyCyWme0
>>48
>民主国家同士は戦争はしない

アホらしい
日露戦争後、米国は日本を仮想敵国とし、日本の国力が大きくならないように徹底して嫌がらせを行った。

人種差別意識を剥き出しにして日本人移民の排斥や追い出しを行い、鉄屑の輸出規制が行われた。第一次大戦では同盟国として日米は一緒に戦っているのに、日本の造船業が盛んにならないように、戦争中から屑鉄の輸出規制が行われ「横暴なる米国」という言葉が新聞に盛んに言われるようになって「米国は日本人を見下し、日本に嫌がらせをするの生きがい」という思いが(現在の嫌韓意識によく似ている)日本人に強くなった事が満州事変や日中戦争への導火線になった。
「信用できない米国の言う事なんか聞く必要はない」という世論になったからね

58: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/06/04(土) 09:02:35.06 ID:inKAbras0
いろいろ過渡期だから判断が難しいよねぇ
あくまでも厳密に男女普通選挙制度を達成してないとダメだというのなら、当時はアメリカもそうだし

男子普通選挙制度は達成してたんだから、日本は当時としてはかなり進んだ民主国家だといえる

でも、問題なのは複数政党制の有無がネックになってくる
確かに政党政治が進んでいた大正期は民主的だったといえるけど、全政党が解党してしまった時期は、もう複数政党と呼べるものがいないんだから、
民主国家としての重要な要件を欠いてしまうことになる

そしてもともと議会の権限に限界があった
衆議院が立法の最高権限を有していたわけではないし、そこでも議会主義としての大きな資格を欠いている
法制度上の立法権は天皇が持っていたし、選挙によらない貴族院の存在も大きかった

議会が立法権を持っていなければ、たとえその議員を選挙で選んだからといって、民主的といえるのかとの問題が出てくる

・衆議院が法制度上の立法権を掌握していない
・全政党が解党して複数政党制を維持していない(議会内におけるチェック&バランスが作用してない)

この二点において、民主国家とはいえないという判断になると思う

保守と革新がせめぎ合ってた時代だからね
難しいけど、時代というものは進みすぎてもいけないし、遅れすぎてもいけない

天皇制の存在や、薩摩だ長州だのという藩閥意識や貴族院という封建的な制度や意識も残っていたし、あの時代に、衆議院が立法権を掌握するほどの民主化というのは難しかったと思うよ
あと、何よりもソ連が成立して、共産主義が台頭してきたから、それに対するカウンターアタックとして保守の象徴である天皇制がクローズアップされてしまった
そうでなければ革命の危機がリアルにあった

難しい時代だった
もしソ連がなかったら、大正デモクラシーが健全に発達して、昭和期でも衆議院主導の議会政治が続いていた可能性もあったと思う
そもそも、日本があれほど軍国主義化したのもソ連の脅威に備えるためだし、あくまでアメリカは二の次だったと思うよ

59: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/06/04(土) 10:53:14.91 ID:JCgYJ4CF0
議員立法でいえば、戦後ですら1/10くらいなのに戦前はもっと少なかったからな。
http://ndl.go.jp/jp/diet/publication/refer/pdf/071807.pdf

60: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/06/04(土) 10:56:47.33 ID:JCgYJ4CF0
ああちがうか。戦前が約10%、戦後が約14%だった。まあ、なんつーか。すくないわな。

61: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/06/04(土) 12:40:24.38 ID:RzUQ2Dqj0
地元民に対して予算の口利き屋でしかない議員に立法能力なんてあるはずもないんだよね。

議会制民主主義とか、無批判に称揚するけどさ、現代のような高度な社会において果たして
有効に機能する政体なのか、疑問だぜ?しょせん夜警国家時代の産物じゃん。

62: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/06/04(土) 18:14:08.84 ID:/dKSWAdh0
選挙で選ばれていない軍部が実権を掌握した時点では、民主主義ではなくなったかな。
そのきっかけも国民の後押しというよりは、515や226みたいにクーデターに近いものがあった。

64: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/06/04(土) 20:31:06.90 ID:JCgYJ4CF0
むしろ皮肉な話しだけれども、憲法上になんら規定のない「維新の元勲」が退場してしまって以降に、天皇を中心とした民主主義という実態が失われて軍部(官僚制度)の独走ということが始まった。

70: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/06/06(月) 21:30:16.12 ID:rjJhiAjQO
>>64
元勲が憲法上に規定ないなら法的には、組閣は誰が決めることになってるの?やっぱり天皇ですか?

72: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/06/07(火) 07:01:05.77 ID:XIgp3p/30
>>70
「組閣を決める」の意味が不明なので答えられない。

73: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/06/07(火) 08:40:33.31 ID:HJjjD5Jg0
国務大臣は誰が決めるのですか、ってのが正しい問いなんだろうで、形式的には天皇親任で、慣例では元勲、首相経験者、議会の有力者等が合議して首相を選定して天皇に上奏・親任、首相が各大臣を指名上奏、親任。ところが法的根拠がないので開戦前夜になると陸軍が「こいつが首相ならうちからは大臣を出さない」みたいなことを言い出すことになる。

76: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/06/07(火) 14:46:23.99 ID:HJjjD5Jg0
軍務大臣現役武官制いうおかしな制度があってそれ削除するまえに元老ら実力者がおらんようになってもうたねん

77: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/06/07(火) 14:48:56.21 ID:HJjjD5Jg0
ちょっとしたことですぐ変更できるタテマエになってるのに、それができるステイタスを元勲にしか認めてなかったから、議会や首相経験者がいくらワーワー言っても、おなじステイタスにある別の有力者が反対すれば話しがすすまなくなる、という構造とでも言うか。

78: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/06/09(木) 03:02:03.49 ID:ETARyBXd0
1908年(明治41年)の陸軍参謀本部条例改正でそれまで陸軍省の一部局として陸軍大臣や内閣の指示を仰ぐ存在に過ぎなかった陸軍参謀本部が独立し、三権の外に飛び出して天皇直属となるという無茶苦茶な法令が、国会を特に反対もなく通過してしまった。

それ以後は「軍は内閣から独立している」「参謀本部は内閣の承認なく兵を動かせる」「統帥権は軍が輔弼し内閣は不可侵である」というカルト思想が軍内を覆い尽くし、それに逆らう骨のある政治家や官僚は次々と殺された。

昭和10年以降は、実際に軍が独裁者のように振舞って、帝国議会も内閣も天皇も無視して専制政治を行い戦争と破滅の道を転がり落ちて行った。

79: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/06/09(木) 08:56:22.00 ID:dtWTN78s0
明治四十一年ってことは、山縣の意向を受けての法改正なのかな?
目先の権勢を高めようとして将来に禍根を残したことになった?

82: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/06/09(木) 13:43:51.68 ID:ETARyBXd0
>>79
陸軍大学卒業者達が、その異常なエリート意識から
「内閣・陸軍省から独立して、不可侵な存在になりたい」としてやった。

もちろん背景には日露戦争の勝利がある。
強大なロシア軍を相手に少数の日本軍が作戦の妙で勝ったという事で朝日新聞など右翼新聞が「日本の参謀の優秀さ」をはやし立て、参謀どもの頭がおかしくなってしまった。
「俺達は神だ、不可侵だ」と思い込んでしまった。

81: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/06/09(木) 13:41:09.27 ID:ABbuxHmD0
シビリアン・コントロールなんて近代のものだからね
昔から政治の実権は軍人や将軍が握っていたものだから

軍部の台頭を抑えられなかったのも、当時の日本の限界といえるかもね
下手に抵抗したら天皇でさえテロに狙われかねない不安定な世相

どうすればよかったんだろうね

いや、軍人でさえ、対米戦が無理であることを理解していた人は多かったはず
なぜ、戦争回避派の軍人は、対米戦をとめることができなかったのか?

84: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/06/10(金) 07:48:23.54 ID:hFWZOh230
新聞紙法成立以降は軍部批判がやりにくくなった。
マスコミが軍の御用宣伝媒体に堕した。

87: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/06/11(土) 17:44:48.87 ID:mjNfr2Ek0
>>84
>新聞紙法成立以降は

その前も新聞紙条例があったし、性的表現の規制とか公序良俗を守る事が中心で、新聞紙法で政府批判が鈍った事はない。昭和5年に発生した中村震太郎大尉事件で新聞各紙は日本政府がシナ政府に対抗措置を取らない事に対して「政府の弱腰は笑止!暴虐シナを膺懲せよ!」と凄まじく叩いた事で分かるように新聞の政府への批判なんて、ごく普通だった。

新聞が本格的に規制を受けたのは1938年の国家総動員法。
しかしその後も正力松太郎の読売新聞が新聞規制に猛反発を続けたように、完全に言論の自由が閉ざされた訳ではない。

1941年11月に東條内閣が発足し、12月13日(真珠湾の5日後)に新聞事業令が交付されて、翌1942年1月10日に新聞各社へ統制団体参加命令が出て、報道の自由は息の根を止められ、軍の宣撫班となる。

ただ日本の新聞の場合は朝日新聞・毎日新聞を始め元々「軍も驚く右翼新聞」が非常に多くて、米国開戦を煽りまくっており、1941年12月の新聞事業令の交付も「元々右翼新聞だから実質的には影響はない」新聞が多かった

88: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/06/18(土) 12:03:22.21 ID:kLHQVq8K0
まあ、独裁よりは民主的な国だったけどな。

94: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/02(土) 07:42:48.37 ID:V066XgaA0
明治以来の新聞紙法、出版法などの検閲体制下で言論の自由は元々、制限付きのものではあったが、昭和(1925年)に入って以降、年々、言論、思想への統制は厳 しさを増して、満州事変ではさらに残された約50%、日中戦争で80%、太平洋戦争 下ではガンジガラメの検閲によって、ほぼ100%報道の自由が奪われ、メディアは国 のプロパガンダ機関に組み込まれた。

新聞紙法の「安寧秩序の規定」 (第23条)=「内務大臣は新聞紙掲載の事項にして、 安寧秩序をみだし、または風俗を害するものと認めたる時はその発売および頒布を 禁止し、必要においてはこれを差押えることができる」=が官憲の恣意的な解釈によ って、猛威を振るった。
この安寧処分は役人の都合でどのようにでも解釈され得る万能の剣であり、軍事は もちろん、政変や次期内閣の予想記事の掲載、外交、財政、経済などの「国家機密」 をもらした者は厳罰に処せられることになった。

前坂俊之 (静岡県立大学国際関係学部教授)

98: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/04(月) 20:42:21.60 ID:wOWGySkQ0
まあ、検閲はやってたけど、当時の新聞紙法では事前の検閲はできないことになっていたからな。
だから政府の側は報道禁止事項を事前にメディアに通告する。
メディアはそれに従う。
こういったかたちでの検閲になっていた。
事後検閲の場合、印刷発行後に処分が来たら、回収費用などで多大な経営的被害を受けるからな。
やはり事前に公式な文書や非公式な場などで通告を受け取るようなシステムのほうが、経営的に大きなメリットがあったんだよ。
まあ、その副産物としてメディアによる政府への迎合と従順が生まれたわけだ。

101: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/05(火) 21:54:30.93 ID:20fXCRAI0
まあ何らかの「基準」や「比較」といった、客観性を欠いている論評は信憑性に難があるね。
言ってしまえば1930年代~の欧米の新聞(これはネットで容易に手に入る)を読んでも
現代の価値観や後年に判明した情報で見ると、それらに情報操作があったことが読み取れる。
現代でもメディアによる情報操作・プロパガンダが無いとは言えない(例えば慰安婦騒動。イラク戦争)。

102: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/06(水) 06:49:43.66 ID:dkfLYjye0
新聞紙法が自由な報道を萎縮させた。
加えて情報将校や在郷軍人会、右翼らによって
軍部の意向に反する論調は弾圧を加えられた。

106: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/07(木) 07:18:02.76 ID:PYjseUq20
そもそも、明治政府は君主国として大日本帝国を作ったから、民主主義国家ではなかったのは確かだ。大正期になって、デモクラシー運動が起きた際にも民主ではなく民本という表現を用いたのもそのため。

108: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/07(木) 09:12:23.46 ID:G02/ibrs0
>>106
当時でも立憲君主国は、英国・オランダ・ベルギー・スウェーデン・ノルウェーを始め沢山ある。全て民主主義国家。
戦前の日本も立憲君主国の中のひとつ。
デモクラシーの訳語で「民本」も「民主」も同じ意味

109: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/07(木) 12:05:22.38 ID:VkWQ39QU0
「民主」「デモス」って言葉は歴史的経緯を反映したものだから、どうしても「実際の政治体制」に整合しないんだよ。イギリスは現代でも正式には民主主義じゃなくて議会主義だし主権は国民にあるのではなく「国王(女王)のいる議会主権」だという解釈も有力。けっきょく先に言葉をおいて政治体制を置いて制度化するか(戦後の日本国憲法)、先に実態があってそれを言葉でラベリングするかの差になってくる。

民本主義とか民衆主義という語はそういう意味では造語ではあるけれども実態をより適切に
ラベリングしようとする講学上の概念としては苦労のあとが伺える

110: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/07(木) 12:09:51.15 ID:VkWQ39QU0
そういう意味では「戦前の日本は民主主義ですか」という設問自体がどうしても言葉遊びの様相を呈してくるのは間違いのないことであって、「戦前は民本主義と呼べる時期もあった」とはいえるし「昭和の時期は総じて民衆主義であった」ともいえる。
しかし制度論でいえば明確に厳格な意味では「民主」主義などではありえず君主主権が憲法に明記されているわけであって、かといって天皇絶対主義であったかといえば言葉の定義による、などというアイマイなことになる。

111: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/07(木) 12:14:35.08 ID:VkWQ39QU0
けっきょく議会があって選挙があって憲法があっても「民主主義」とよべるかどうかは実態の精査によらなければなんともいえないことであって、ポリアーキーの議論でいえば、表現の自由や情報へのアクセス、人民一般の 利の保護などの水準からいえば、当時の最先端の民主主義国家(イギリスやワイマール下のドイツ)に比してけっして民主主権国とはいえなかった、とは言えるかもしれない。

一方で世界中にある60を超える主権国の中においてはそこまで状態の悪い「非民主」国でもなかったという評価が適切になるのだろう。

112: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/07(木) 14:11:59.74 ID:G02/ibrs0
正当な選挙により国民に選ばれた議会で予算案が可決される国は「民主主義国家」と言って間違いない

第二次大戦突入時の日本も帝国議会は機能を失っておらず、衆議院で戦争予算を否決すれば、戦争を終える事が出来た。
つまり、「帝国議会」>「軍」の関係だった。

帝国議会が軍をストップできる存在である事に危機感を抱き昭和17年の総選挙で軍や警察によって本格的な選挙介入が行われ翼賛選挙となったが、軍や警察の執拗な介入にも関わら85人の非翼賛候補が当選した事実は「主権国民の良心」として記録されるべき。

113: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/07(木) 14:26:18.29 ID:VkWQ39QU0
帝国憲法は予算案が否決されれば前年度の予算が執行されるシステムになってたんだよ。

119: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/07(木) 19:24:50.75 ID:nqEh0pBe0
犬飼が軍将校に銃殺されて以後は、選挙を経て首相になったものは皆無
首相はほとんどが軍人で、時に貴族院議員がいる程度。
5.15事件で民主国家は消滅したんだよ。

125: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/07(木) 22:24:07.70 ID:JuRwwDA50
>>119
犬養以後で開戦までの首相、

軍人出身、斉藤、岡田、林、 阿部、米内、東条。

それ以外、広田、近衛、平沼、近衛、近衛。

この比率を見て、ほとんどが軍人とは言えない。

126: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/07(木) 22:57:02.51 ID:G02/ibrs0
>>119
>選挙を経て首相になったものは皆無

そんな事を言ったら、戦前は衆議院議員で首相になったのは原敬と犬養毅ぐらい
貴族院議員が首相になったら「民主主義国家でない」なんて、無知すぎ

129: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/08(金) 10:26:34.86 ID:vCuInrgh0
1920年に男子普選が実現したのは、欧米を見まわしてもかなり早い方で、堂々たる民主主義国家だな

130: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/08(金) 11:28:00.61 ID:n7PRemLk0
だから明治憲法は議院内閣制じゃないって言ってんのに。首相は議会がえらぶわけじゃないよ。
内閣総理大臣はべつに国民の代表でも議会の第一人者でもないんだよ。

134: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/09(土) 09:25:19.70 ID:xABsQMpT0
>>130
>首相は議会がえらぶわけじゃないよ

戦前は「憲政の常道」という強烈な不文律があって、政友会系の首相がコケたら、次は民政党系から首相を出してと、二大政党が代わりバンコに首相を出していた。だから少数与党も多かった

軍が「軍大臣現役武官制」をゴリ推ししてから「憲政の常道」がおかしくなった。50年も続いていた「憲政の常道」が軍によって潰されてしまった事も、軍の暴走の一因

139: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/09(土) 14:45:18.91 ID:xyWwz+lT0
「憲政の常道」みたいなレッテルってホント怖いですよね。与党首相が辞任したからって
野党党首が首相になるべき、なんて主張になんの政治学的・法律学的根拠もないのに、この言葉だけが先行して、現実の政治をふりまわしてしまう。

140: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/09(土) 15:29:16.33 ID:txNxe7N00
護憲三派の加藤高明内閣以来の政党政治=「憲政の常道」は、わずか8年で終わりを告げたからな。
五・一五事件で犬養内閣に代わって挙国一致内閣として斎藤内閣が成立して、1924年の護憲三派内閣以来の政党政治が終わったわけだ。

143: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/09(土) 19:14:18.22 ID:txNxe7N00
まあ、たった8年で伝統は大袈裟だけどな。

144: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/09(土) 21:58:27.41 ID:xABsQMpT0
>>143
桂園時代から昭和7年までだから36年だな

147: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/10(日) 06:31:17.07 ID:B4jXw1o10
>>144
原敬乙

原の言っていた「憲政の常道」の意味は衆議院多数派と貴族院多数派の政権交代だった。

150: 名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote! 2016/07/10(日) 13:23:42.47 ID:LC847Qru0
1890(明治23)年11月に第1回帝国議会が開催されたが、帝国議会は貴族院と衆議院よりなり、貴族院は皇族・貴族と学識経験者・高官・多額納税者などの勅選議員で構成されていたし、衆議院は1889(明治22年)2月に憲法と同時に衆議院議員選挙法が公布され、全人口の1.13%にしか選挙権が与えられない制限選挙だったからな。
これじゃあ、まだまだ民主主義国家とはいえんわな。

1925(大正14)年5月に公布された普通選挙法では納税資格は撤廃され、25歳以上の男子は選挙権をもった。しかし、婦人と朝鮮人・台湾人には依然として参政権が与えられなかったから、まだ民主主義国家とはいえんわな。
日本が晴れて民主主義国家になったのは、1945年に選挙法が改正されて、選挙権が20歳以上の男女に与えられ、婦人に参政権が与えられてからだな。

151: 名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote! 2016/07/10(日) 14:41:25.38 ID:1oo403MV0
>>150
するとアメリカが民主国家になったのは1970年代になるのか?

155: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/10(日) 20:53:07.24 ID:57QSGh5cO
選挙だけなら北朝鮮だってあるじゃん

156: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/10(日) 21:00:27.26 ID:fDUbMjKH0
選挙っていうか、あれ信任投票でしょ
選挙は対立候補がいて、落選者が出ないとダメだよ
対立候補を認めないのが、全体主義みたいなもんだから

159: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/11(月) 12:57:33.92 ID:/P121TaV0
>>156
そういうふうに自説に都合よく選挙の定義を改変して議論してもダメだよ。
無投票当選制度があるいじょう、君の立論によれば現代の日本だって民主政じゃなくなってしまう。結論からいえば「公正な選挙」は民主政において絶対不可欠なものではない。有権者の議論の結果として代表を選出したってかまわないんだよ。

ただその方法は「自由主義」に抵触してくるのであって、民主政を否定するものではない。
中国共産党だって北朝鮮労働党だって「民主政」「民主主義」なんだ。ただあいつらは自由主義者の敵なだけの話し。

161: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/11(月) 18:10:11.15 ID:i22aVjel0
>>159
まあ、そんなことをいえば、結局すべての制度は民主制になってしまう

例えば、徳川家康が、関が原や大阪の陣で勝ったのは、敵よりも多くの数の兵、つまり支持者を集めたからだということになる
どんな独裁者だって、多数の支持を得なきゃ、独裁者にすらなれない
独裁者になる過程で、世論の支持は必要なんだ
その支持が長続きしないというだけで

やっぱり、自由で競争性のある選挙の有無は大事だよ
他者が異議を申し立てて、対立候補として立候補できる
選挙で、有権者が複数の中から選べる
そういう制度が議会制自由民主主義の根幹なんだ

162: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/11(月) 18:32:22.94 ID:/P121TaV0
「こんなのは民主主義国家じゃない 」ってのは自説に都合のいいように勝手に決め付けてるだけなんだって。民主主義に普遍的価値があるんじゃなくて「自由主義」に普遍的価値があるかどうかが論点なの。完全に自由を否定した民主主義・民主政ってのは歴史的にも学理的にも十分ありうるんだよ。

民衆が合意によって代表を選出しても独裁者が民衆に奉戴されてもそれは民主政だ。そこに自由があるかどうかがあんたが本質的に要求している観点なのな。そういうのをポリアーキーというんだ。
中共も北朝鮮も政体としては民主政なんだよ。まあ北朝鮮は血統相続に移行してるから実質的に君主制なんだろうけど。

163: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/11(月) 19:14:18.07 ID:iWTczFUj0
>>162
まあ、そんなこと言い出せば「民主政」の社会科学定義は何かってことにならない?
何でもかんでも民主政になってしまうから、社会科学用語として、反証可能性がないから無意味だよ

168: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/12(火) 02:52:31.72 ID:46bmP0tr0
>>163
そう。民主政ってのはあくまで君主政や貴族(寡頭)政、共和政に対置される概念だし相対概念にすぎないんよ。「選挙制度があるから」だとか「有権者に参政権があるから」っていう形式的な要素だけで判断できるものではない。だから戦前の政体が民主政かどうかを論じると必然として言葉遊びみたいになる。

けっきょくわしらが民主主義を議論してるときに焦点としてるのは民主主義の外形がそなわっているのかどうかではなく、ほとんどのばあいは「自由主義」の実質がどこまで保護されているのか、というほうなんだよ。自由主義に対置される概念は「独裁主義」や「全体主義」になる。そして独裁主義や全体主義は民主主義とまったく矛盾することなく整合するわけよ。

164: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/11(月) 19:49:45.93 ID:l72iaTct0
程度わ性質の違いはあるが、戦前だって相当の民主制だったんだよ。

普通選挙も婦人参政権とか黒人さん参政権とか18才から参政権とか。。。簡単には線を引けるものではないし、今が完成された民主制だと思い込むのも思い上がりだな。

165: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/11(月) 20:19:48.02 ID:95GUgQpT0
戦前という大雑把なくくり方が間違いだな。
大正期と昭和期では全く違うし、何より「民主制」ではなく「民本主義的運用」に過ぎない。

169: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/12(火) 03:12:09.27 ID:/+L7sDr20
明治憲法だって猛烈に民意の影響を受けていたからな。
戦争だって強硬外交だって軍部支持だって民意を受けてのもの。

177: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/12(火) 16:13:01.41 ID:46bmP0tr0
民意がどうかではなく、自由がどこまで保護されてたかが重要なんだよ。

戦前はアメリカも日本も義務徴兵制で罰則付きだったんだからどっちも個人の消極的自由は外形的に制限されてて、どっちも似たような強権社会だった。イギリスは第一次大戦後に良心的兵役拒否が認められたから、じっさいに申請した者はすくないんだけれども、自由主義の観点からは日米をあきらかに先んじてたといえる。

きみらが「民主主義」っていうばあい、論点になるのは大多数側の民意が社会に反映されているかどうかを論じたがるが、じつは重要なのは大多数側につきたくない極少数者が多数の専制に対してどこまで自由が許容されてるかどうかのほうなんよ。

そういう観点にたてば、じつは第二次大戦期のアメリカも日本も、自由主義の点ではたいしてかわんなかった。

178: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/12(火) 16:48:55.72 ID:YY2hmiF00
基本的人権の内容も、歴史的発展につれて豊かになってきたが、どのくらい充実したかは、やはり程度問題だよ。
程度は国によって違うのは当たり前だ。

引用元: ・大日本帝国は民主国家だったのか?




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