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1: 人間七七四年 2013/12/09(月) 23:31:02.19 ID:Ts49pmxk
個人的感情で凝り固まり、家康にマンマと篭絡されて恩を受けた豊臣家を崩壊させた馬鹿な武功派や家康の示威行動に対してビビリまくり攻められてもいないのにヘタレ降伏する前田や浅野
総大将として積極的に決起を行いながら、中核となる軍隊をどうでもいい方向に分散させまくり奉行衆らの美濃方面への防衛要請も無視して、結果徳川にグイグイ押し込まれ木っ端微塵にされた馬鹿毛利輝元

こんな馬鹿に大版図やるくらいなら、三成や小西や大谷ら、本当の豊臣家に忠義を尽くした連中に大版図やればよかっただけじゃん。








2: 人間七七四年 2013/12/09(月) 23:43:21.75 ID:psy6nio3
元々大大名だった連中の領地をそんなに簡単に割れると思うの?

5: 人間七七四年 2013/12/10(火) 06:54:35.48 ID:07CgtR8+
蜂須賀加藤福島という錚々たる人間に堂々と暗殺されかける時点で三成なんかに領土やったらそれこそ内紛になるわ

7: 人間七七四年 2013/12/10(火) 12:18:30.72 ID:pvS2ESRZ
遠江・三河に配した子飼いの武将も微妙だったし
5大老っていうのがもうね

8: 人間七七四年 2013/12/10(火) 23:30:38.76 ID:gzOJuB8D
三成の豊臣家に対する忠義の話は、逸話レベルでも存在しない。

豊臣家を滅ぼした家康と相対したので、忠義扱いされてるだけ。
結果論から導かれる評価でしかない。

本当に忠義の人なら、関ヶ原は絶対に起こさない。
自身の政権復帰にために、豊臣家を巻き込んだ不忠の人。

10: 人間七七四年 2013/12/11(水) 10:40:02.06 ID:nKkvpowc
後世、豊臣家が家康に滅ぼされる事を知っている人間が、後付けで与えた評価。
関ヶ原当時、三成の挙兵は謀反扱いで、豊臣家の支持も得られていない。
実際、豊臣家に対する赤心丸出しの忠義話は逸話レベルでも存在しない。
加藤、福島等とは対照的。

13: 人間七七四年 2013/12/11(水) 14:34:21.40 ID:7ST3EvfI
>>10
>関ヶ原当時、三成の挙兵は謀反扱いで、豊臣家の支持も得られていない。

豊家から七手組の援助があったんじゃね?

661: 人間七七四年 2014/05/09(金) 22:35:14.62 ID:9TmPzdm4
>>10
三成の打倒家康挙兵が謀反扱いなら、東軍を上回る軍勢を動員できんよ。
毛利も加勢なんかしない。

戦国大名は利に敏い連中ばっかなんで、負ける側に味方しない。
当時の常識は、明らかに三成が正義で、家康は悪。

要は、豊臣政権の獅子身中の虫・家康が、上杉征伐軍という豊臣政府軍を、徳川の私軍に変換した小山会議での謀略が巧みだっただけ。

672: 人間七七四年 2014/05/10(土) 21:29:39.23 ID:/nHNoC+b
>>661
戦国大名は利に敏い連中ばっかだから負けそうだとみなされた三成は関ヶ原で見捨てられたんだろ
だいたい西軍大名の大半は会津に向かう途中で無理矢理に組み込まれただけで自由意志で西軍に入った大名なんてほんの一握りに過ぎない
無理矢理入れられたうえに三成が威張ってうるさいし負けそうだと思えばほとんどの西軍大名が関ヶ原で戦わないのも当然だろう

695: 人間七七四年 2014/05/12(月) 05:36:47.91 ID:wIbaFAXu
>>672
自由意志で東軍に入った大名も、ほんの一握りに過ぎないのだが。
東軍も西軍も、どっちもどっち。

699: 人間七七四年 2014/05/12(月) 10:12:12.90 ID:oyWKIF6D
>>695
三成の方が先に利休や秀次の命を奪って豊臣政権の瓦解を目論んだのだから先に排除すべきは三成であることは明白だろ
最初に豊臣政権内の害虫となった三成を消すことには成功しているのだから問題ない
関ヶ原の結果は豊臣政権としては万々歳といえる

700: 人間七七四年 2014/05/12(月) 12:13:15.36 ID:wIbaFAXu
>>699
政敵排除を目論む政権内権力闘争≠政権瓦解。
もしイコールなら、八代将軍の座を巡る紀州と尾張の両徳川家の敵対・暗闘で、徳川幕府は瓦解している。

豊臣政権の瓦解≠利休・秀次失脚・粛清。
三成の権勢は背後に豊臣政権有りき故に、三成≠豊臣政権内の害虫。

家康の権勢=豊臣政権の権力の否定。
拠って、家康のみが政権内害虫。

12: 人間七七四年 2013/12/11(水) 12:38:14.99 ID:LZ0w4ukD
そもそも三成は佐和山や大垣にいて、大坂城での会議や取り決めにも一切参加してない
大坂強兵後の緊急時即戦力としてのただの現地採用の最前線現場一指揮官風情だし。

14: 人間七七四年 2013/12/11(水) 16:19:06.28 ID:zcXIPJsS
>>12
8月2日付真田昌幸宛書状に三奉行・ニ大老と共に三成も署名しています

15: 人間七七四年 2013/12/11(水) 18:23:02.04 ID:LZ0w4ukD
>>14
だからそれは、伏見城陥落し、佐和山城まで西軍が侵攻できるようになってしまった
7月晦付けの真田宛の三成書状で
西軍に帰順現地採用された三成が初めて、俺は西軍参加したって表明して以後の話だろ・・・
それでやっと大坂へやってきた。
つまり三成は対家康へ向けた西軍挙兵に関わる会議や取り決めにはまったく関わってない。

19: 人間七七四年 2013/12/12(木) 00:30:45.53 ID:xsDiTGf9
>>15
7月13日付 益田元祥・熊谷元直・宍戸元次連署状 (榊原康政・本多正信・永井直勝宛)
7月14日付 榊原康政宛 吉川広家書状

いずれも、三成・吉継・恵瓊の謀議に触れている。

22: 人間七七四年 2013/12/12(木) 07:15:02.22 ID:ssIlunUX
実際に三成が七将襲撃事件でぶっ殺されていたら豊臣は瓦解しなかっただろうしな
家康の権力は強大なままだが、大坂の陣みたいな最悪の事態は回避できた

41: 人間七七四年 2013/12/14(土) 04:42:01.79 ID:/xxsw1jH
>>22
武力衝突がないだけで、家康が将軍になり、芽を摘むために豊臣は滅ぼされただろうな。

23: 人間七七四年 2013/12/12(木) 08:57:02.22 ID:eew7HvfI
七将が奉行派を排除して、自分らがその地位についたら政権運営なんてできないし、三成をかばう家康に討伐されるだけだろ。

24: 人間七七四年 2013/12/12(木) 11:34:51.82 ID:7H75NFai
七将が奉行を排除して、その地位を奪うシナリオはあり得ない。
三成排除はそれ自体が目的。

26: 人間七七四年 2013/12/12(木) 16:57:51.11 ID:NFNUICvw
>>24
奉行の代わりは誰がやることになんるんだ?

33: 人間七七四年 2013/12/13(金) 00:32:57.00 ID:8Uo+GETl
>>26
奉行そのものが不要だろ
だいたい家康の専横とか言われているが文治派が権力を奪われて不満を言っているだけで統治そのものは奉行などいなくてもなんらの影響もないことがはっきりしたわけで
むしろ奉行など現場とトラブルを起こし豊臣の政務を妨げる存在でしかなかった

35: 人間七七四年 2013/12/13(金) 08:16:50.29 ID:4zWOuiHL
つまり家康だけいれば、他の大老も奉行も秀頼も必要ないっし、いなくても困らないって言う話かw
逆にいえば遺令に背く家康だけがいなくても困らないよなw
そもそも大坂城で秀頼を後見するのを頼まれた前田と違い、家康は伏見にいて大坂に来てはならないのに、北政所を追い出して秀頼を人質に擁して専横するなんて董卓みたいな逆臣だよな。

38: 人間七七四年 2013/12/13(金) 23:24:25.22 ID:fEw+4ycf
>>35
真面目な話、天下国家で考えれば、家康がいないと困るよ。
秀頼の親政は現実的に不可能であり、安定した政権を志向しようと場合、複数の有力大名が並立するより家康一強の方が安定する。
そういう意味で、秀吉が敷いた家康主導の安定路線に従えなかったのが、毛利・上杉・石田等。

前田征伐で屈服した前田家は、領国を削られるでもなく経済的な実害はゼロ。
本質は徳川主導の豊臣安定政権への踏み絵だよね。

663: 人間七七四年 2014/05/09(金) 23:04:35.93 ID:9TmPzdm4
>>38
政権の安定化には、勢力均衡か一強多弱しか無い。
豊臣傘下の大名の中で、徳川だけが図抜けて巨大なのは、政権の不安定要因。
家康一強の方が安定するとは、すなわち家康に拠る政権の簒奪を意味し、豊臣政権の存続とは相容れない。

豊臣政権の法規を平気で踏みにじる家康が豊臣政権の不安定要因なのだから、三成は挙兵したのであり、拠って家康なんか居なくても、豊臣政権は痛くも痒くもない。

一頭抜きん出た家康が消えれば、勢力均衡となり、政権は安定するのだからな。

25: 人間七七四年 2013/12/12(木) 14:59:03.15 ID:xsDiTGf9
家康に、(他大名比)最大の版図、最高の官位を与え、豊臣宗家外戚の地位を約したのは他でもない秀吉。
家康中心となる体制を構築したのは秀吉であり、武断派は秀吉の敷いたレールに乗っただけ。
家康に篭絡されたとか勘違いも甚だしい。

結局土下座するなら、最初から土下座して領土維持する方が100倍マシ。

関ヶ原における毛利の主目的は、支配領域の拡大と瀬戸内海益の確保。
自国の権益を重視するのは当然で、豊臣家の守護者であるはずもない。
ましてや三成が毛利を制御出来るわけがない。

27: 人間七七四年 2013/12/12(木) 17:28:32.83 ID:99Do+yhh
家康に地位と石高を与えたのは確かだが豊臣家が家康中心になるような体制までは秀吉は構築してないし豊臣家を蔑ろにしたり、豊臣の天下を崩壊させてよいなどとは一言も秀吉は言ってないわけで。
三成は豊臣家の天下を守り、外様の暴走を防ぐのに必死だったが武功派は自分の石高や欲しか考えないような馬鹿だったから家康にマンマと篭絡されて、主家を崩壊させただけ。
三成が五大老筆頭、200万石レベルの石高、豊臣家の外戚の地位についていたら間違いなく
すんなりと秀頼への後継はうまくいっていた。

29: 人間七七四年 2013/12/12(木) 19:57:26.33 ID:WuqL3yVR
秀頼の後見頼んじゃってるからなぁ

31: 人間七七四年 2013/12/12(木) 21:24:19.10 ID:3YHOe9t6
>>29
秀頼の後見は前田家に任している。

32: 人間七七四年 2013/12/12(木) 21:30:58.09 ID:FCQldDWA
前田は傅役、後見は家康にも託している

43: 人間七七四年 2013/12/14(土) 09:30:37.48 ID:QwzqEJZ/
中井氏 
一般に秀吉は自分の死後、秀頼成人までの政務代行者を家康に委ねた、との見方がされることが多い。 
これは浅野家文書の「豊臣秀吉遺言覚書」等の記述が典拠になっているが、原文を素直に読むと、あくまで家康は政務執行者の一人として位置づけられている。 
秀吉の死後、三成はくどいほど、十人衆(いわゆる五大老・五奉行)での合議を強調し、秀吉薨去後の誓詞にも盛り込んでいる
40: 人間七七四年 2013/12/14(土) 01:24:10.80 ID:bEqQsy/e
三成は石高が少ないから、豊臣家の天下を守り外様の暴走を防ぎ、自分の権力をふるえるように必死だったんだよ。
その三成が200万石レベルの石高になったら、自分の石高や欲しか考えないようになるよ。


44: 人間七七四年 2013/12/14(土) 10:11:42.76 ID:Wnh6w42N
最大の版図、最高の官位、最強の軍事力に加えて豊臣家の外戚である政務執行者ね。
これだけの実力・肩書きを持つ家康が、他の9人と同列でありそれに甘んじるべきだという
考えは、全く非現実的。

45: 人間七七四年 2013/12/14(土) 10:36:22.34 ID:4xthLgrF
秀長が長生きしてりゃなんの問題もなかったのにな

47: 人間七七四年 2013/12/14(土) 12:02:51.13 ID:3OVtpIJv
秀頼と秀長の対立が始まるとしたら秀頼成人後だろうな
家康って潜在的脅威が死ぬまでは起きない気もするけど

49: 人間七七四年 2013/12/14(土) 12:38:00.60 ID:ctSD9UJx
秀頼が生まれず秀次が継いでいたら普通に豊臣政権は続いたろうな。
でも、秀吉の専制君主体制みたいなものだから、死後政治機構は混乱するので不安はある。

56: 人間七七四年 2013/12/14(土) 13:27:12.27 ID:Wnh6w42N
家康は、実力・肩書・名声、いずれも大老奉行10人で突出しており、道筋をつけたのは秀吉自信。
自らが助長した圧倒的な実力差、この状況で合議が機能すると秀吉が本気で考えていたと思うか?
余程の政治音痴でない限り、あり得ない話だ。

58: 人間七七四年 2013/12/14(土) 13:36:18.63 ID:PrHdyBe1
まさか自分の家まで滅ぼすような奸臣に、全権委ねたなどという事はないだろう。
そうだとすれば秀吉は相当痴呆症が進んでいたとしかいいようがない。
結局の所、合議制により秀頼成人までの豊臣家運営がすんなりいく事を期待していたが武功派の三成への恨みや、目先の利に走る性格、前田やや浅野の毛利のふがいなさなどを全く想定していなかったか、甘く見ていて、秀吉の予測を大きく外れる末路となっただけの事だろう。

60: 人間七七四年 2013/12/14(土) 13:49:14.73 ID:Wnh6w42N
>>58
全権委ねたは言い過ぎ。誰もそんな発言はしていない。
秀吉自らに比肩する程の実力者を政権中枢に置きながら、合議が機能すると思っていたなら、秀吉は相当痴呆症が進んでいたとしかいいようがない。
三成への恨みとか、性格とか、不甲斐なさとかは、講談的なのでやめとけば?

59: 人間七七四年 2013/12/14(土) 13:41:22.43 ID:j1F7qcv7
結局>>1が正解だよな。
目先の欲に目がくらんで主家を見捨てる武功派連中や、政権簒奪の奸臣家康の示威行動にビビリまくって即効で土下座する前田や浅野などと違って、豊臣政権に忠義を尽くした無欲な三成や小西らに大封与えてればよかっただけ。
三成は島津家の蔵入り地問題や、家康の私婚問題に対する弾劾状や、朝鮮出兵の際の恩賞問題の処理などを見る限り極力豊臣蔵入り地の確保と、諸大名の力を削ぐ事を中心に考えて一貫して行動している。
結局武功派が馬鹿だったから、個人的恨みでもって三成らに立てついて主家への恩義を忘れて家康に篭絡されて、主家を滅ぼしただけ。

664: 人間七七四年 2014/05/09(金) 23:30:10.03 ID:9TmPzdm4
>>59
豊臣恩顧の大名連中は、何年もの間、異国で不毛な戦に明け暮れた揚句、ただ多額の戦費と労力を消耗しただけで何の見返りも得られなかったのだから、帰国後、目先の欲に目がくらんで主家を見捨てるのも道理だ。

外征で失った己の富を、国内で乱を起こして他者から収奪して回復したいと思う武断派は責められない。

国内に居て戦費も労力も損耗していない三成と、異国で徒労した喪失感と失望感とを抱えて帰国した武断派とは、考えが根本的に違うのは当たり前。
両者の亀裂に付け込んだのが奸臣・家康。

しかも政権の後継者は幼児なので、外地で徒労させられて怒りに燃える武断派の押さえにはならない。
単に豊臣傘下の最大大名という立場だけでは、政権を掻き回し、乱を起こせない。

64: 人間七七四年 2013/12/14(土) 14:13:18.95 ID:/FFf432O
>>三成への恨みとか、性格とか、不甲斐なさとかは、講談的なのでやめとけば

だってそれ以外に理由がないじゃん。
当時家康は私婚の連発や、前田や浅野家へのいちゃもんと、示威行動や、自身への奉行衆からの弾劾状を軍事力で無理矢理排除するなど無茶苦茶好き勝手やってたわけで、それにもかかわらず恩を受けた主家を見捨てて家康についたのは、三成への個人的恨みや好悪感情としか考えられないだろ。
奸臣を排除するという西軍と違って、東軍には何せ一切大義名分がないからな。

66: 人間七七四年 2013/12/14(土) 14:32:05.70 ID:zmKsSEMr
三成が真に忠義に溢れていたなら関ヶ原の行動はありえないしな
家康や豊臣武功派の留守を狙って挙兵し、関係のない勢力まで味方にすべく行動し従わなかった奴はガンガン攻める。
明智光秀のそれと同じ

74: 人間七七四年 2013/12/14(土) 23:16:31.83 ID:4xthLgrF
関が原が起きず
家康がネチネチ五大老潰しにかかったとして征夷大将軍にはなれないよね?
結局家康の死ぬ1617年位まで粘れば豊臣の勝利か?
ただその頃には加藤も死んでるし頼りになる恩顧大名も軒並み代替わりで忠誠心なさそうだな

75: 人間七七四年 2013/12/14(土) 23:37:42.24 ID:EpVcVJ50
五大老潰せるかどうかも怪しいな
石田三成が1599~1600に亡くなるということは、史実で西軍側だった人間がそのまま延命することになるし、上杉討伐はなされるだろうが、上杉単独の反乱では上杉が敗死しても大した戦功にはならんし、万が一長期化すればそれこそ家康の政治生命にかかわる
順調にいけば秀頼は1610年くらいには元服できるから、家康は最低でもここまでに全ての五大老を潰さないと無理
服従させるだけでは秀頼が大号令した時に秀頼に味方する奴も出てくる。ましてや家康が強行に五大老などを潰しにかかっていたとなれば心象最悪だし・

結局どちらが勝つかは別にしても、豊臣秀頼VS徳川家康の構築は可能だし、年齢的に死亡が近いのは家康だから長期化すると秀頼が有利
史実のような他藩が全て豊臣を見捨てたのは家康が絶対権力を固め切っていたからで、そのアシストをしたのは三成(と輝元)だわな

88: 人間七七四年 2013/12/15(日) 11:48:59.94 ID:9KqSZ4Xn
逆に秀吉が家康を葬れる機会がなかったのが原因だな。
小牧・長久手で息の根を止められずゲームオーバーってとこかな?

引用元: ・秀吉は三成や小西や大谷に大版図やるべきだった




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