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1: イエスゲイ 02/09/14 18:51
モンゴル帝国について語りましょう。

横山光輝の「モンゴル帝国」読んだ人いる?








4: 世界@名無史さん 02/09/14 21:15
モンゴル帝国ほどいつ滅んだか曖昧な歴史上の国家も珍しいよな。

5: 世界@名無史さん 02/09/14 21:18
>>4
①宗主国たる元朝が北方に逃れたとき
②北元のクビライ家が断絶したとき
③「元朝」の主権が清朝に譲られたとき
④クリミア汗国の滅亡
・・・いつにしようか?

6: 世界@名無史さん 02/09/14 21:20
>>5
元朝の主権は清朝に、ジュチウルスの主権はロシア帝国に引き継がれてるから20世紀初めまでモンゴル帝国は存続してたとも考えられるな。

8: 世界@名無史さん 02/09/14 21:26
>>6
清朝の主権は中華民国に、ロシア帝国の主権はソビエト連邦→ロシア共和国に引き継がれてるので現在でもモンゴル帝国は存続してます。(藁

194: 世界@名無史さん 05/01/22 23:41:27 0
可汗って本来どういう意味の言葉だったんだっけ?
なんか水に関係あるらしいんだけど。
余談だが、単于は「天の子の大いなるもの」という意味らしい。

195: 世界@名無史さん 05/01/23 17:00:16 0
>>194
カカンは大人・首長の意味じゃなかったかな。

単于は「大天子」。「當犂孤塗単于」の略。
當犂=天、孤塗=子、當犂孤塗=天子。単于=大

196: 世界@名無史さん 05/01/23 19:29:35 0
最初の頃は(漢)皇帝≦(匈奴)単于だったけど
最後は王≧単于になったのはなんともかんとも。

202: 世界@名無史さん 05/03/06 20:47:02 0
>>1
なんで遼を含めない? 普通、遼・金・元とひとくくりにするだろうのに。

203: 世界@名無史さん 05/03/07 07:18:17 0
>>202
中華中心で考えたらそうかもしれんが、ここはモンゴル中心にその周縁を考えていこうというスタンスじゃないか?
たぶん。知らんけど。

204: 世界@名無史さん 05/03/08 23:39:54 0
歌手の元ち○せさんの苗字はモンゴル、フビライと関係ありますでしょうか?それともどちらかというと中国系(元寇の元?)?この地方(奄美)では変わった苗字が多いとはおもいますが、およそ400年前、薩摩から一部の人が苗字を与えられそのときは縁起の良い寿、恵などが多かったというなかで元という字はどのような意味合いがありますでしょうか?
どなたか推測でもお考えをお聞かせください。
お願いいたします。


205: 世界@名無史さん 05/03/09 01:51:40 0
>>204
あるわけないだろ。
大体元寇を縁起のいいものと考える人間が日本にいたと思う?

206: 世界@名無史さん 05/03/09 23:34:48 0
たしかにそうご指摘いただくと納得できます。
では、寿、恵などを使う意図はなんとなくわかりますが、当時、元という漢字にどのような意味があったのでしょか?
ご存知でしたらお願いいたします。

207: あやめ ◆C0.O2CxIMg 05/03/09 23:56:07 0
「元」は最初とか根源とかいうニュアンスのある字ですから、寿や恵などと同様にめでたい文字と言うことで採用されたに過ぎません。特別に隠された意味合いが篭められているということはないでしょう。

209: 世界@名無史さん 05/03/10 22:08:03 0
中国だと元という姓を名乗るのは、北魏王室の子孫と言いたい場合なんだよね。

210: 世界@名無史さん 05/03/10 22:37:58 0
金の官僚兼詩人の元好問がそうだったな。

213: 世界@名無史さん 2005/04/15(金) 01:17:13 0
金の文化人ってあまり聞きませんな。
女真族が漢文化を冷遇していたとか?

218: 世界@名無史さん 2005/05/02(月) 20:31:49 0
>>213
女真が漢文化を冷遇してたってのは一方ではそういうこともあったとは思いますが、実質てきには尊重し結局からめとられたということでしょう。
結局は中国内部に南遷しつつ消滅した感じの国ですから。

契丹と比べ女真はむしろ漢文化に染まって民族性を失っていったという方が正しいですね。契丹が最後まで都も北方から動かさず郊祀の祭典を行わず即ち儒を受け入れなかったのに対し、女真は特に海陵王の時から原住地から華北に遷都したり漢化が著しかった。皇帝でも十歳まで女真語を知らなかった人が出てくる。

221: 世界@名無史さん 2005/06/02(木) 04:31:43 0
>>218
ホンタイジの息子だっけ? 
女真の伝統から母と再婚した叔父と不仲だったという。

222: 世界@名無史さん 2005/06/06(月) 16:50:23 0
ホンタイジの息子=フリン=順治帝

ホンタイジの兄弟=ドルゴン=摂政王の事ですな。

井上何がしが著した「摂政王ドルゴン」(小説)に母の再婚は漢族の風習にそまりつつあった幼い順治帝の心をひどく傷つけ、ドルゴンへの憎しみを育て、ドルゴンが死ぬと一族郎党を失脚させて辺境においやったような記述があるけどこの辺の描写って想像で書いたのかな。
巻末にいろいろと参考資料のっているけど。
※図書館で借りたので手元にはありません。

229: 世界@名無史さん 2005/07/15(金) 21:27:23 0
元帝国の正式名称は、大元大蒙古国だっけ。
長いこと疑問に思ってるんだが、モンゴル語しか分からないはずのフビライは、どうやって漢語の「元」なんて国号をつけたんだろうか。漢人の家臣に意味と発音を聞いて、気に入ってつけたんだろうか。
漢字の読み書きができないモンゴル人が、漢語の「元」を自国の国号として、当時の漢語の発音で、モンゴル語の中で使用していたと考えると、なんか妙な感じがする。
その辺が釈然としない。

233: 世界@名無史さん 2005/07/16(土) 09:56:22 0
>>229
「元」は『易経』に出てくる「大いなるかな乾元」とか天の徳を意味する「元亨利貞」に由来すると思われ。
フビライが漢語・漢文を解したかどうかは知らないが、神秘の書『易経』については、モンゴル人の間でも知られていただろう。

238: 世界@名無史さん 2005/07/19(火) 01:35:35 0
>>229
元朝後期ころのペルシア語史料なんかによれば、クビライ、モンケ、バトゥはじめ孫の世代はムスリムの教師から初等教育を一通り受けたおかげでウイグル語は勿論ペルシア語も普通に出来たらしい。
あとアラビア語も少しなら読めたそうな。

モンゴル人で漢語というかヒタイ語が出来た人物というと、ペルシア語史料からだとガザン・ハンとかプーラード・チンサンとかわずかにしか出てこないけど、元朝も中期頃から『飲膳正要』の忽思慧とかが出てくるので、当然というか東方ではわりと漢籍を嗜む連中は多かったらしい。

ただ、モンゴルが金朝とか地理的に近かったからという理由でモンゴル人がダイレクトに漢学に精通するようになったとする考えは誤りで、元々ウイグル王国で仏教振興の一環としてウイグル語による漢学の研究蓄積が相当されていて、モンゴル帝国がウイグル王国との結びつきを深めていく段階でモンゴルの人士もこのウイグルの漢学を経由して暫時漢学そのものも吸収していったらしい。

確証はないが、クビライも初めは漢籍そのものを読むよりペルシア語やウイグル語文献を読む方が楽だったろうけど、80歳まで生きたわけだからウイグル文字の読み下し文付きでだったら漢籍も読めたのではと思えるのだが、さて。
モンケはユークリッド幾何学の解法を読みこなすのが趣味だったそうだからアラビア語文を読むのも堪能だったんだろうなあ・・・


235: 世界@名無史さん 2005/07/16(土) 20:14:01 0
あと蒙古人や色目人が漢語を使えなかったってのは偏見だよ。
イスラム教徒の科挙合格者までいるくらいだ。
そいつは合格した喜びを漢詩で書き残している。

237: 世界@名無史さん 2005/07/17(日) 12:41:20 0
フビライの兄のモンケ・ハーンはユークリッド幾何学の問題を解くのが趣味だったらしい。
239: 世界@名無史さん 2005/07/26(火) 21:35:51 0

元より前の中国王朝の名称は全て地名からきていた。漢にせよ、宋にせよ全て地名である。
元という国号によってはじめて抽象的な概念が国号となった。 
易の大いなるかな乾元からとったというが、元以後は明・清というふうに抽象的な語句が王朝名として採用された。 

以上のようなことが何かの本に出ていたと思う。中公の世界の歴史の元の巻だったかな? 

241: 世界@名無史さん 2005/07/29(金) 06:18:04 0
王莽の新も地名から来てんの?

242: 世界@名無史さん 2005/08/01(月) 03:08:26 0
>>241
王莽建国の国号の新は新野から取ってる。
新野侯→安漢公(宰衡)→仮皇帝(摂皇帝)→大新皇帝

後漢末期に劉備が荊州に居住して諸葛亮を配下に加えたのが新野県。

244: 世界@名無史さん 2005/08/26(金) 07:26:10 0
>>242
新野侯じゃなくて新野県令。

251: 世界@名無史さん 2005/10/18(火) 01:58:14 0
ジンギスカンが中央アジア諸国で破壊と虐殺を繰り返したのはイスラムへの憎悪?

253: 世界@名無史さん 2005/10/18(火) 12:57:05 0
>>251
バルジュナ衆にイスラム商人もいますが何か?

252: 世界@名無史さん 2005/10/18(火) 02:43:34 0
モンゴルの破壊はイスラムに限らない。
大征服に破壊はつきもの。
アレクサンダーもティムールもナチスも大規模な破壊を繰り返した。

254: 世界@名無史さん 2005/10/18(火) 18:31:59 0
チンギス・ハーンがブハラを征服した後で、モスクに市民を集めて説教段から「お前達の罪のために天がわしを遣わしたのである」と説教したそうだ。
その際に通訳がテングリをアッラーと言い換えたのでなんとなく話が通じてしまったらしい。

270: 世界@名無史さん 2005/11/20(日) 01:14:02 0
【もし、日本がなかったら】というスレを見かけたのでふと思ったが、日本列島がなかったら元寇をする分国内統治に費やせたのだろうか。

271: 世界@名無史さん 2005/11/20(日) 12:34:36 0
>>270
そういや、杉山先生は、南宋征服でもてあました旧南宋の軍員を入植(という名の棄民)させるために第二次日本遠征を起こしたみたいなご説だったな。
江南軍は日本に捨ててくるつもりで、海のもくずになったから、ある意味成功(-_-;)。
その説でいくと、日本遠征がなくても、江南軍を捨ててくる別の場所を用意しないとな。オイ;
結局、国内統治に振り向ける余力は変わらねえという結論に。
いや、あくまで杉山説を信じればのお話。

273: 世界@名無史さん 2005/11/23(水) 21:36:41 0
まあ中国人全部追っ払って(どこへ?)
牧草植えることを検討した連中だからね。

274: 世界@名無史さん 2005/11/27(日) 00:35:51 0
日本が無かったら、ビルマを始めとする東南アジア攻略に全力を注いだハズ。
文永の役より前からしばしばベトナムと交戦してたから。

276: 世界@名無史さん 2005/12/10(土) 13:54:03 0
>>274
ベトナムでは惨敗だねえ。見事なまでに。
兵力増やしても余り状況は変らないのではないかな?

275: 世界@名無史さん 2005/12/10(土) 13:07:07 0
目の前の台湾はスルーでしたっけ?
出兵したことあったかな。

沖縄本島には一度来寇したことありましたね。

288: 世界@名無史さん 2005/12/22(木) 22:48:30 0
>>275
当時の台湾は正に蛮族の世界で悪い話しかないからわざわざ征服にはでかけないでしょうね。
中国から化外の地とか呼ばれて、首を狩る半裸の野蛮人と、恐ろしい熱病が猖獗を極める人外の地というイメージでした。

289: 世界@名無史さん 2005/12/22(木) 22:52:08 0
>>288
でも似たような状況だったと思われるジャワには遠征してるけど

290: 世界@名無史さん 2005/12/22(木) 23:17:05 0
>>289
ジャワはちゃんとした王国があったでしょうが。ボロブドゥール遺跡を残したシャイレンドーラ朝とかモンゴル侵攻前後から栄えだしたマジャパヒト王国とか、ベトナム方面に侵攻したり、ヒンドゥーや仏教の寺院を建設したり盛んにやってましたよ。
台湾はまともな国家自体がなかった。日本統治時代にも首狩り話があったくらい。
漢族の台湾移民なんかは10人の内7人は逃げ帰り、2人は死し、1人だけ残ると語られた
ほどです。

277: 世界@名無史さん 2005/12/10(土) 15:19:23 0
ジャワでもグダグダですから。
まあ、東の海、南の熱帯雨林、中東の砂漠、西の森。
所詮騎馬軍団が役に立たないところではたいしたことは出来なかったということでしょう。

279: 世界@名無史さん 2005/12/10(土) 17:42:06 0
>>277
失敗したのは船を使っての渡航を必要とする戦だけ。
ジャングル地帯でビルマの象兵部隊にすら勝っている。
むろん、中東の砂漠、西の森では圧勝しているし。

280: 世界@名無史さん 2005/12/10(土) 17:58:43 0
>>279
アイン・ジャールートの戦いではマムルーク朝に惨敗しているぞ。
あとベトナムは陸路からの侵攻もやっている。

281: 世界@名無史さん 2005/12/10(土) 18:01:56 0
>>280
本隊が引き上げた後の話じゃあないか。
そりゃあ支隊の戦闘まで考えれば他にも幾つも敗戦はあるだろう。

283: 世界@名無史さん 2005/12/10(土) 21:33:25 0
マムルーク朝の場合、シリア方面だけ集中して兵員を投入しれば済む話だけど、イルハン朝の場合、モンケ没後の混乱でチャガタイ・ウルスとジョチ・ウルスとの関係が悪くなってシリアのことだけに構ってる余裕なんか全然なくなっちゃうのがマムルーク朝の事情と決定的に違うんだよね。

だからマムルーク朝はシリア方面の遠征はスルタン自身が親征に赴く場合が殆どだけど、イルハン朝の場合、ジュチ家の軍勢がいつカフカスを越えて攻め込んでくるか分らないからフレグ家の当主たちは冬営地にしろ夏営地にしろアゼルバイジャン方面から離れる事が出来ず、ホラーサーン方面にも常に境域守備部隊を常駐させなければならなかった。

このためフレグ家の当主がシリアの再征服のため親征に赴いてきたのはアバカ・ハンがチャガタイ家のバラクをヘラート郊外で撃ち破って返す刀でその混乱に乗じてシリア遠征を仕掛けてきたバイバルスを討伐するために何とか人員を割く事のできた3万程度がやっと。それ以外にイルハン朝の君主が直接自らシリア征服のため親征してきたという話はほとんど聞かれない。

とくにアバカが赴いてきたときは、丁度バイバルスが陣没したときで、マムルーク朝軍は撤退した後だった。わざわざなけなしの親衛軍を率いてシリアに来たのに、肝心のバイバルス
はとうにいなくなっていて、アバカはこの事態に憤慨して、「ブンドクダール(バイバルス)はコソ泥みたいに主人の居ぬ間に守備軍を壊滅させて領土をかすめ取るような姑息な戦は出来ても君主対君主のような正々堂々とした合戦が出来ぬ盗人野郎だ!」と怒りを爆発
させていたりする。

その後もイルハン朝は折を見てシリア遠征を幾度か行っているが、派遣人員がせいぜい2、3万騎程度しか出せなかったようで、大体はかばかしい戦禍をあげる事が出来なかったり、場合によっては人員を消耗するだけ終わったり、緒戦で敗退して遠征計画が大失敗をしたなんて例が多い。

285: 世界@名無史さん 2005/12/22(木) 21:26:00 0
アイヌ人も北海道で蒙古を撃退したんですね。

286: 世界@名無史さん 2005/12/22(木) 22:32:21 0
>>285
たぶん実際に戦ったのは漢人や女真族の部隊だと思われ

287: 世界@名無史さん 2005/12/22(木) 22:42:03 0
>>285
北海道じゃなくて、多分モンゴルがやってきたのは樺太。樺太も南半分はアイヌだが。
アイヌだけでなくて周辺のオホーツク民族も合わせて戦っていないのかな?
余談だが、樺太アイヌ(エンチュウ)は北海道アイヌとは多少文化的に変異している。言葉も通じにくいし。

291: 世界@名無史さん 2005/12/23(金) 00:36:37 0
>>287
幕末でもアイヌとニヴヒ(旧名ギリヤーク)は交易する仲ですが、ちょっとした緊張関係にもありました。この時代はニヴヒと樺太アイヌが抗争していた時代で、当時元に朝貢していたニブヒ側が元に救援を求めたのが発端です(元の資料では)。
元は1万くらいの軍勢で4~5回樺太アイヌと戦っています。多分、樺太アイヌとだけ戦っています。
樺太には元の要塞跡と見られる遺構まで存在します。
樺太アイヌ側も攻められているだけではなく、報復に何とアムール河近郊まで渡海して、沿海州を攻撃しています。最終的には樺太アイヌも元への朝貢を受け入れて事は収束しますが、はっきりいって”北の元寇”はいわゆる鎌倉幕府への元寇よりももっと派手な戦争です。

292: 世界@名無史さん 2005/12/23(金) 08:36:25 0
北海道を元軍が占領していたら奥州攻略の基点になってたかも

294: 世界@名無史さん 2005/12/23(金) 18:09:22 0
樺太・北海道を南進すれば日本に至る、なんて知識は当時はないだろうよ。そもそも樺太を占領する意図があったのかどうかね。あんな寒くて貧しい所を欲しがるとは思えん。
アイヌって北海道・樺太はもとより、カムチャッカ半島南部、沿海州あたりまで行動してたらしいね。間宮海峡は頻繁に横断していたらしい。

295: 世界@名無史さん 2005/12/23(金) 21:51:13 0
たしかに。
シベリア全体が一応モンゴルの勢力圏にあったはずなのにロシア人のように北極海に達したり、ベーリング海やアラスカまで進出するようなことはなかった。
あのへんだって全くの無人地帯というわけではなかったはずだし、やっぱりあんまりにもあんまりなところには興味が湧かなかったんだろうなあ。

ちなみに中国人が津軽海峡や宗谷海峡ののことをちゃんと認識したのはどうもやっと元代のことのようで、元代の「宋史」より前の史書では本州の西端は漠然としたことしか書いてない様子。宋史の記事も日本人やアイヌ人からの伝聞形だし。

なんにせよ3つも海峡を渡って北から鎌倉を攻めるのは兵站的にかなり厳しそう。
沿海州や樺太や北海道で、高麗や宋でみたいに大量の船を調達するのは難しそうだし、海峡を渡る度に兵力が減少して、だいぶ心細くなったところを関東から大挙北上して来た軍勢に平泉あたりで迎え撃たれちまうんじゃなかろうか。

296: 世界@名無史さん 2005/12/23(金) 23:46:21 0
金って仏教国だったんだしょうか?
栄西も道元も宋には留学してんだけど金に渡った坊さんていませんよね。

297: 世界@名無史さん 2005/12/23(金) 23:51:55 0
>>296
杉山正明の本でそういう例があるとか書いてたような。

299: 世界@名無史さん 2005/12/24(土) 11:52:49 0
南宋とは違う宗派があったとか。

300: 世界@名無史さん 2005/12/24(土) 13:21:24 0
北方民族って仏教徒が多いんでしょ。

302: 世界@名無史さん 2005/12/27(火) 05:36:06 0
華北の仏教大寺というと、河南の嵩岳、少林寺とか山西の浄土教の祖庭、玄中寺とかが有名だね。龍門石窟とか麦積山石窟とか石窟寺院の有名所も華北が有名だね。

金代の華北仏教文化というとあまり良く知らないけど、道仏儒三道に通ずっていう文化は遼代や金代のものだとは聞くけれど・・・

323: 世界@名無史さん 2006/03/22(水) 22:29:02 0
金は沿海州をどの程度支配していたんでしょうか。
唐の都護府のような政庁を置いてたんでしょうか。あるいは朝貢程度?

324: 世界@名無史さん 2006/03/23(木) 03:17:27 0
>>323
ロシア沿海地方歴史教科書によれば今のウラジオストクとかウスリースクとかナホトカ辺りを中心に城郭都市が幾つもあったそうな。また町の外だと牧畜などが中心とのこと。

城塞址としては以下の名前が上がっていた。
クラスノヤーロフ(恤品もしくは蘇品)、ユジノ・ウスリースク、ザパドノ・ウスリースク、
アナニエフカ、ニコラエフカ、シャイガ、ラゾ

行政区画としては恤品路と耶懶路があり、その下に府、州、県があったとのこと。

330: 世界@名無史さん 2006/04/09(日) 12:47:39 0
チンギスって子孫が1700万人にもいるなら一代目の子供は何人いたと思います?

332: 世界@名無史さん 2006/04/09(日) 14:56:58 0
>>330
チンギス・ハンの妃は別格扱いの最重要の正妃が5人いて、筆頭正妃ボルテ・フジンとの間に例の4男と5女を設け、次席正妃のウハズ・メルキト部族出身のクラン・ハトゥンからはコルゲンが、第3正妃でタタル部族出身のイェスゲンからはジャウルが、他に、ナイマン出身の側室(ゲルベス・ハトゥン?)からジョルチダイが出て、他の側室からの子供が男児と女児の数人いたらしい。

その他の妻妾が400人ほどいたと言われているが、全部が全部「お手付き」になれたかどうか分らないし、次席正妃のクランや第4正妃の金国公主、ナイマンのゲルベスなどはモンゴル高原を統一する多分40代も半ばくらいに娶ったのがほとんどで、筆頭クラスの正妃ですらボルテを除けば一人二人程しか記録に残るような子息がいない。

憶測になるが、子孫を残せるだけに成長した子供は少なかったかも知れない。記録を全部見たわけじゃ無いけど案外成長できたor実際にできた子供は男女あわせても30人くらいしかいなかったのかも。
彼の子供の係累の方が数が多そう。

338: 世界@名無史さん 2006/05/14(日) 15:10:22 0
>>332
正妻と9人も子供作ったんだから、そりゃ、妾妻との間にもごろごろ子供居ただろ、徳川幕府なんかみてみ、正妻と二人以上子供作ったの、二代秀忠だけだ。
大抵、一人男児を生んだら、その子の養育に専念するぞ。

339: 世界@名無史さん 2006/05/18(木) 02:20:23 0
案外子供は少ないのかな?
知識不足ですがボルテ夫人はモンゴル人なのでしょうか?

340: 世界@名無史さん 2006/05/18(木) 13:32:21 0
当初はモンゴル族だけをモンゴル人といっていたから、他部族の出身である彼女は違うようにも取れるが、版図拡大同時にモンゴル族も他部族を吸収拡大していったわけだから、モンゴル人でいいんでないの?

342: 世界@名無史さん 2006/06/07(水) 22:33:22 0
チンギス・ハンの第一皇后であるボルテ・フジンや母のホエルン・エケは、コンギラト部族のオルクヌウト氏族の出身で、『集史』に載るコンギラト部族の起源神話によれば、彼らは「黄金の壷」から生まれた3人の始祖の末裔だという。

この3人からコンギラト、イキレス、オルクヌウト、カラヌウト、コンクリウトの各氏族が派生したが、モンゴル族の始祖ボドンチャル・ムンカクの母アラン・コアはコンクリウトから派生したコルラス氏族の出身だったと伝えている。

また、『集史』ではテュルク・モンゴル諸部族を言語と集団ごとに4つに分類しているが、そのうちの「エルゲネ・クンから出現した始祖に由来するモンゴル語を話す諸部族」をニルン諸氏族とドルルキン諸氏族に大別している。ニルンにはタイチウト氏族やベスト、バルラスなどが含まれるモンゴル族の支配階層に属す集団で、系譜的にいえばチンギス・ハンが属すキヤト氏族もこの中に入る。一方ドルルキン諸氏族にはウリヤンギト、イキレス部族などとともに、上位にコンギラト部族が名を列ねている。
さらにボルテの父デイ・セチェンはモンゴル語の人名であるし、ホエルンも同じくモンゴル語だろうと考えられている。

ということで、少々長くなったけど「ホエルンはモンゴル族」と言っても何ら問題ない。

343: 世界@名無史さん 2006/06/10(土) 08:17:45 0
言語と部族は実はあまり関係はない

344: 世界@名無史さん 2006/06/10(土) 16:58:12 0
> 言語と部族は実はあまり関係はない

それは時と場合による。

『元朝秘史』や特に『集史』では言語によって固有のモンゴル系とその他のテュルク系を峻別している。
当時は「セチェン」なんて単語、『集史』で「モンゴル語を話さないテュルクの諸部族」に分類されている
ケレイトやナイマンといった他のテュルク系の諸部族では使っていない。

コンギラト部族については「エルゲネ・クン以来の固有のモンゴル族の一派」というタタルやケレイト、
ナイマン、オイラトとは違う、起源的に同族であり、言語的にも同じグループである、と述べている。

何かしら矛盾する証拠なりがあれば、「非モンゴル」という疑いを抱くが、コンギラト部族については
特に積極的にこれを否定する根拠は今の所見つかっていない。

引用元: ・モンゴル帝国・金国・西夏・ホラズム




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