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1: 日本@名無史さん 03/11/26 14:34
昔の本に名前だけ載っていながら、今の世には現存しないものを語るスレです
帝記や国記は現存しないらしい








3: 日本@名無史さん 03/11/26 15:28
現存しない寺社仏閣はスレ違いですか?

4: 日本@名無史さん 03/11/26 17:58
OKっす

5: 日本@名無史さん 03/11/27 13:38
山田寺
室町時代に火事であぼーん

6: 山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM 03/11/27 14:19
徳一の著作、滋丘川人の著作、『宇治大納言物語』・・・ああ勿体無い。
一条兼良の蔵書が焼けていなければ一つぐらい残ったかも。

7: 日本@名無史さん 03/11/27 16:34
上東門院彰子が一条帝に入内した時に公卿達に遅らせた和歌の屏風、現存してたらどんなにすばらしいか……。

9: 日本@名無史さん 03/11/29 00:15
『日本書紀』の「系図一巻」。
本文三十巻と共に撰上されたがこちらは失われてしもた。

10: 日本@名無史さん 03/11/29 00:22
456 名前:平重衡 :1180/8/27 18:38
あの坊主ども!!!くそやってやる!
やってるやる!!

457 名前:日本@名無史さん :1180/8/27 18:38
>>456
もちつくでござる!!


過去ログより
やってくれたな…

11: 山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM 03/11/29 00:45
>>10
『今昔物語集』の原本もあの時失われた可能性が高いようですね。

12: 日本@名無史さん 03/11/29 02:54
織田信長の延暦寺焼き討ちのときにも何か失われなかっただろうか

15: ベンゼン中尉 ◆BENZENFG3I 03/11/29 09:40
古事記の前に書かれた歴史書があったね。

16: 日本@名無史さん 03/11/30 02:28
国記・天皇記(改新でアボン?)

歴史書ではないが、「類従歌林」「柿本人麻呂歌集」など
万葉集以前の歌集も現存しないな。

18: 日本@名無史さん 03/11/30 13:54
有名どころでは散逸した諸国の風土記じゃないかな。
日本国見在書目録で現存してるのが1割ほどっていうのも悲しい。
個人的には『禪宗秘法記』が読んでみたい。
一部が残ってるらしいが、どこで読めるんだよ!<京極

59: 日本@名無史さん 04/04/24 04:23
>>18
現存しない風土記のうち、讃岐風土記については、鎌倉期までは存在していたことが確かめられるらしい。

あと、現存しないものと言えば大宝律令の条文ってのもあるね。

64: 日本@名無史さん 04/05/30 22:14
>>59
どういうきっかけで捨てちゃったんだろうな。
もったいないよな。

19: 日本@名無史さん 03/11/30 21:16
島津義久の肖像画

25: 日本@名無史さん 03/12/11 02:10
これは有名だね
徳川家茂の写真

26: 日本@名無史さん 03/12/11 02:24
空気に触れて、パァ‥‥
だっけ。

28: 日本@名無史さん 03/12/11 06:25
和宮の遺体の前腕の所に1枚のガラス板が発見されたが
(つまり腕に抱かれていた)
重要視する者もいないまま研究室で整理の為電光の光にすかした所、これが湿板写真で、それには長袴の直垂に立烏帽子をつけた若い男子の姿が見えたが、翌日再度見たところ、膜面が消えただのガラス板になってしまった。
おそらく唯一の14代家茂の肖像写真だったのではと思われる。
(但し有栖川宮熾仁親王説もあり)

31: 日本@名無史さん 03/12/12 11:28
>>28
なんだかコワイ・・・
((((;;゚д゚))))ガクガクブルブル

56: 日本@名無史さん 04/04/01 03:26
>>28
徳川家茂の写真は見たかったな。でも頭蓋骨の写真はあるからそれで顔を想像しよう。

ところで、田安慶順、前田慶寧、伊達慶邦、松平昭訓(慶喜の弟で京都警備をした人)の
写真は誰か見たことないですか?

27: 日本@名無史さん 03/12/11 03:53
信西古楽図の原本

29: 日本@名無史さん 03/12/12 02:36
井伊直弼の写真

32: 日本@名無史さん 03/12/15 07:13
松永久秀が持っていた家宝

33: 日本@名無史さん 03/12/15 23:12
この間の火事で焼けてしまった近衛家の文書。

34: 日本@名無史さん 03/12/15 23:21
>>33
陽明文庫は焼けてませんよ

35: 日本@名無史さん 03/12/15 23:23
>>34
「例の有名なネタ」だと思うが。

37: 日本@名無史さん 03/12/15 23:37
某氏「近衛さんの家にはさぞかし古文書がたくさんあるでしょうね。」
近衛文麻呂「この間の火事で殆ど焼けてしまいました。」
某氏「え?最近火事なんてありましたっけ?いつです?」
近衛文麻呂「応仁文明の時です。」
某氏「・・・・・・」

という有名な眉唾物の話だな

41: 日本@名無史さん 03/12/19 18:20
>>37
それって文麿の孫・細川護煕さんが言ったんじゃなかった?
それに近衛家の古文書は応仁文明の乱で焼けてないよ。

47: 日本@名無史さん 04/02/08 10:37
>>41
いや、近衛であっている。但し、それは火事では無く戦争(太平洋戦争)についての話。

おれは「日本後紀」の無くなった部分や「今鏡」と「増鏡」の間にあったとされる「やよ鏡」(だっけ?)が見たい。

38: 日本@名無史さん 03/12/16 01:05
戦国大名家の文書なんてほとんどがあぼ~んなんだろうね

39: 日本@名無史さん 03/12/19 15:50
鎌倉以来ずっと残ってるのは島津くらいか

48: 日本@名無史さん 04/02/08 10:46
「太平記」も一時仲間入り仕掛けた。

しかし、大内の重臣で筑前守護代の右田(陶)弘詮が全巻の再収集に成功した。
ちなみに北条早雲らまで扱うようになった「信長・蒼天録pk版」では陶姓で初登場。

54: 日本@名無史さん 04/03/22 20:44
>>48
太平記?

右田 弘詮

右田 弘詮(みぎた ひろあき)は戦国時代の武将。大内氏の重臣。

弘詮は文人としても知られ、宗祇や猪苗代兼載といった当時一流の文化人と親交があった。弘詮はそれら文化人から「吾妻鏡と号す」「関東記録」があり「文武諸道の亀鑑」と聞いていたがなかなか目にすることが出来なかったという。
しかし文亀元年(1501年)頃、その写本42帖を手に入れることが出来、数人の筆生を雇い書き写させて秘蔵した。それは治承4年(1180年)から文永3年(1266年)と、現在知られる範囲ではあったが、尚その間に20数年分の欠落があった。このため弘詮は諸国を巡礼する僧徒、または往還の賓客に託して、京はもちろん畿内・東国・北陸に至まで尋ねまわり、ようやくにして欠落分の内5帖を手に入れる。これを最初の書写と同じ形式で書き写させて全47帖とし、その目次も兼ねて年譜1帖を書き下ろし全48帖とした。


50: 04/02/24 18:52
中世に流行したであらう稚児物語の数々.

53: 日本@名無史さん 04/03/22 20:38
中世の物語本は、過去の名作の焼き直し的なものが結構あり、これらで現存しないものが多いって文章をどこかで見た。
内容がつまらないというのも消える要素なのかもね。

62: 日本@名無史さん 04/05/30 21:13
法隆寺の宝物庫にある聖徳太子の「未来記」とか?これはウソだと思うが。

66: 日本@名無史さん 04/06/14 21:42
太平記第22巻

いったい何が書かれていたのだろうねぇ……。

引用元: ・現存しない書類や経典を語るスレ




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