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1: 【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守 2005/08/30(火) 22:01:32
河内音頭のそれではなく、事件そのものを日本史の一部として語りましょう。 
もちろん、現代ヤクザ映画のそれじゃないですよ。






河内十人斬り

河内十人斬り(かわちじゅうにんぎり)は、1893年(明治26年)に大阪府南東部の金剛山麓の赤阪水分(あかさかすいぶん)村で起こった殺人事件。金銭・交際トラブルによって、名前通り10人殺害されて当時のビッグニュースとなり、小説・芝居にも使われ、大阪の伝統芸能である河内音頭の代表的な演目となった。

この事件の犯人は、村民で博打打ちの城戸熊太郎とその舎弟の谷弥五郎である。熊太郎の内縁の妻おぬいは、村の顔役松永傳次郎の弟、松永寅次郎と密通していたが、やがて熊太郎の知る所となる。激怒した熊太郎は別れ話を切り出したが、おぬいの母おとらが「お前とおぬいが一緒になる時に自分に毎月仕送りをする約束だったのに、全然仕送りを貰っていない。別れるなら払わなかった分を全部払ってから別れろ」と熊太郎をなじった。

仕方なく熊太郎は金を払うことにしたが、定職を持たない博打打ちの熊太郎には金が無く、金策に奔走した。そのうち、かつて金回りが良かった折に松永傳次郎に金を貸していたことを思い出し、金の返済を求めたが、傳次郎は記憶に無いと言い張った挙句、子分に命じて熊太郎に殴る蹴るの暴行を加えた。松永一家に女を盗られた挙句、借金まで踏み倒されて半殺しにされた熊太郎は、舎弟の弥五郎に焚きつけられて仕返しを決める。

明治26年5月25日、刀を差し、猟銃を抱えた熊太郎・弥五郎は雨の深夜を狙って犯行に及んだ。熊太郎の妻おぬいとおぬいの母親おとら、松永一家に乗り込んで松永傳次郎と傳次郎の妻と傳次郎の子供2人、そして傳次郎の長男松永熊次郎の家に乗り込み、松永熊次郎と熊次郎の妻と熊次郎の子供3人と生まれて間もない子供も含め11人を殺害した。しかし、事件の発端となったおぬいの浮気相手である松永寅次郎は、当日は京都の宇治へ出稼ぎの最中であり、熊太郎たちは目的を果たせなかった。






4: 1 2005/09/03(土) 03:51:14
谷弥五郎と妹との別れは何度聴いても目が潤む。

6: 楠正成 2005/09/03(土) 04:14:17
河内音頭なら「大楠公」より「河内十人斬り」の方がずっといいぜ!!

7: 1 2005/09/03(土) 11:13:19
この事件を題材に扱った小説「告白」の著者の町田康さんと大楠公も応援してくれるなんて、うれしいです。 ちなみにこの事件が発生したのは大楠公の命日たる5月25日←時代は明治26年だけど。

8: 津山三十人殺し 都井睦雄 2005/09/03(土) 12:04:41
男持つなら熊太郎、弥五郎 十人殺して名を残す

10: 日本@名無史さん 2005/09/04(日) 11:58:27
しかし、実在の大量殺人事件が踊りの曲になるというのも不思議ではある。

11: 1 2005/09/09(金) 01:36:19
>>10
よく、博徒の「非業の死」とかは音頭の題材になりますが、乳児や老婆まで殺戮した残虐非道な大量殺人事件が? ですよね。

12: 1 2005/09/09(金) 07:18:52
大阪府南河内郡千早赤阪村(中心地は事件があった水分村にあたる大字水分)では今もこの話はタブー。 この村は楠正成と金剛山が売り物だし。 盆踊りの時もこの村では河内十人斬りは無しなんだろうな。

19: 日本@名無史さん 2005/09/10(土) 00:57:38
ただ、怨み真髄の晋介は、当日京都の宇治に茶摘に行っていたために難を逃れているんだな。

20: 1>19 2005/09/10(土) 01:11:00
そのくらい事前にチェックしないのは馬鹿ですよね。 晋介(私が知る名は寅吉)の兄の伝次郎(同、熊次郎)のことはめちゃくちゃに惨殺したらしいですね。 「斬り刻んでも飽きたらんちゅうのはおまえのこっちゃ!こなしてくれるわ、エイッ」て。

21: 1 2005/09/10(土) 11:05:47
熊太郎も気違い。 何故か昔の方が残虐な犯人が多かったような気がする。 社会全体が今と比べて貧しかったからかなぁ。

24: 【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守 2005/09/10(土) 14:55:16
熊太郎は不器用にしか生きられなかった男。

32: 1 2005/09/12(月) 00:51:53
松永一族は村民から憎まれていたらしく、熊太郎と弥五郎に襲撃されて、「ざまぁみさらせ!」と喜んだ人が多かったそうです。

30: 名無しさん@そうだ選挙に行こう 2005/09/11(日) 21:45:29
谷弥五郎の妹は何歳?

31: 1>30 2005/09/12(月) 00:25:43
事件当時、18歳ぐらいだったと記憶しています。 弥五郎が確か25歳だったかな?

33: 1 2005/09/12(月) 01:03:51
熊太郎もまだ数え年36歳という若さでした。

34: 1 2005/09/19(月) 08:16:44
それでも、まだ数え年25歳(24歳だったかな?)の弥五郎を誘ったことは熊太郎の罪だな。 弥五郎は松永一家に特に恨みもなかったようだし。 弥五郎は随分と殊勝な弟分だ。

43: 日本@名無史さん 2005/09/22(木) 20:19:11
実際の城戸熊太郎はただの凶悪犯

44: 1>43 2005/09/23(金) 01:07:27
それは間違いないと思います。 昔は犯罪者が講談の類でヒーロー化されたことは珍しくなかったですし、町田康の小説「告白」も、熊太郎のキャラクターに関する資料がほとんど残っていませんから、著者が考えたものでしょうし。

46: 1 2005/09/23(金) 01:47:55
千早赤阪村は、楠木正成、金剛山、水分騒動(河内十人斬り)と三つも名物がある。 もっとも水分騒動はいまだにタブーで、皆口が堅く、よその出身者(確か富田林の出身)しか話してくれなかった。

47: 1>23 2005/09/23(金) 06:35:25
私なりに調べたのですが、詳細は謎です。 犯人が城戸熊太郎と谷弥五郎という博徒で、二人の享年も被害者たちもわかっています。 ただ、動機が単にカネと女を巡る問題だけとは考えられないとの説も根強いようで。。。

48: 続き 2005/09/23(金) 06:41:32
被害者たちの名前が本や河内音頭によって微妙に異なるのです。 松永が松木とか、寅吉が寅次郎や晋介とか、熊次郎か徳次郎や伝次郎とか、森本が杉本とか。 前にこのスレで情報下さった方には無知と思い込みで失礼なことを言ってしまい、お詫び申し上げます。

51: 日本@名無史さん 2005/09/23(金) 22:15:44
告白で熊太郎が神とまで崇めた縫が只の淫乱だったのはなんか形容しがたい気持ちになった。

53: 1>51 2005/09/23(金) 22:21:15
熊太郎も所帯を持ったのに賭場だの女郎屋だのに行って家を空けていなければ良かったのにね。 それに森本トラに縫の戸籍を城戸にすることを初めから認めさせていれば、姦通罪で寅吉を訴えられたし。

65: 1 2005/09/25(日) 21:26:48
たった一人で三十人を殺害した「津山事件」と比べると、二人しかも村田連発銃もあったのに十人しか殺せなかった河内十人斬りはヘボい。猟奇ぶりでは上だろうけど。 吉原~人斬りは死者何人だったけ?

66: 日本@名無史さん 2005/09/25(日) 22:06:27
しかし熊太郎はその十人以外に怨みはなかったわけだろ?

都井睦雄は村民全員に妄想的な恨みを抱いていたわけだから。

67: 1>66 2005/09/25(日) 22:13:23
それはわかっているけど、仇敵たる寅吉(晋介)&熊次郎(徳次郎)の親父さん伝次郎を殺し損ねたし(伝次郎は指を吹き飛ばされたが逃走)、弥五郎の恋人だった娘の一家を殺しそこねたし←ただ放火目的だけだったとは思えない。

68: 1>66 2005/09/25(日) 22:22:00
熊太郎にとって残念だったのは寅吉(晋介)が不在で殺せなかったこと、寅吉(晋介)・熊次郎(徳次郎)兄弟に対してほどは憎しみはないとはいえ、その親父さんの伝次郎を殺しそこねたことだろうね。 だから二人は事件後も官憲の包囲を突破して村に寅吉&伝次郎襲撃を試みた。

69: 1 2005/09/25(日) 22:24:45
村に度々潜入したのは親戚から食糧をもらうためでもあったろうけど。 弥五郎も元恋人の一家を殺し損ねて、執拗に狙っていたらしい。

70: 1 2005/09/25(日) 22:43:54
熊太郎&弥五郎も伝次郎の一家を虐殺するより逃げた伝次郎を追って射殺すべきだった。 女子供は後で良い。 そして熊次郎(徳次郎)の家を襲う←この時は逃げた熊次郎を追って虐殺し、それからその家族を虐殺。

91: 日本@名無史さん 2005/10/27(木) 21:41:29
城戸熊太郎・谷弥五郎に殺された松永熊次郎の おとっつぁん松永伝次郎は生年不詳。
熊太郎が享年36歳だった以外は知らなかったから、熊次郎と弥五郎が享年28歳、虎吉が当時26歳だと判っただけでも収穫。

92: 日本@名無史さん 2005/10/27(木) 21:50:25
弥五郎は専業博徒だったとの話と 山仕事をしながらの博徒だったとの話があり詳細不詳。
熊太郎も全く農作業をしていなかったという話と怠けながらも一応は農作業もしていたとの話もあって謎。

村の人々は口が硬く、城戸のことも松永のこともよそ者たる記者や警察になかなか話をしなかったらしく、物語が一人歩きしたようだ。

93: 日本@名無史さん 2005/10/27(木) 22:08:32
明治中期ごろまでの事件はどれも不明な点が多いし、講談とかで滅茶苦茶に脚色されるからわからなくなるんだよね。

101: 日本@名無史さん 2005/10/31(月) 18:18:41
山狩りには軍隊も出動したらしいな、大阪八連隊かな?それにしても情夫への恨みは恐ろしいな、この手の話は大部脚色されるからな、国定忠治だって名親分って事になっているが実際は強請りたかりの常習者でろくな人間ではなかったらしい。

102: 2005/10/31(月) 19:16:28
>>101
村民たちが演習中の連隊に出動を願ったことは知っていましたが、実際に出動したらしいのですか。
国定忠治は実の叔父と確か甥(甥じゃなくて叔父の息子=従兄弟だったかな?)まで殺しています。

104: 1 2005/11/01(火) 05:35:26
姦通やカネの貸し借りだけじゃなく、松永父子に積年の恨みがあったのかも。
熊太郎は凶暴で怠惰しかもエゴな奴に過ぎかったかもしれんが。

108: 日本@名無史さん 2005/12/07(水) 09:54:46
城戸熊太郎の収入源は何だったの?

110: 1 ◆.5DV4fMpf6 2005/12/07(水) 14:04:31
>>108
家は小規模な自作農でしたが、熊太郎は全く働かず、酒に溺れる博徒でした。
年老いた両親と弟がおり、三人が働き、熊太郎を食わしてあげていました。
ヤクザの一家に属してもいないければ、正業に就きながら博打を楽しむ手合いでもない、半端者(?)の博徒も当時はかなりいたようで、熊太郎もその類いだったようです。

食事はたいてい実家で済ませ、飲み代・酒代は踏み倒していたようです。
それでもカネは必要ですから、借金をしては踏み倒したり、強請たかりをしていたらしいです。
ただし、あくまで肩書きは農業です。

112: 日本@名無史さん 2006/01/12(木) 11:36:23
ところで…
殺害現場って今どうなってるんですか?
心霊スポットだったり?

114: 日本@名無史さん 2006/01/23(月) 02:00:59
>>112
今でも千早赤阪村ではこの話題はタブーです。
千早赤阪村の中心地は事件があった水分なのですが、誰もが知ってはいても知らぬ存ぜぬ。
あの村は大楠公と金剛山が売り物ですし。

引用元: ・【熊太郎】河内十人斬り事件(水分騒動)【弥五郎】



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